M&A 退職

M&Aを検討している譲渡企業の経営者の方の中には、譲渡後の従業員の処遇や、退職金などについて気になる方も多いのではないでしょうか。実際に、M&Aは手法によって退職金の取扱いが異なるなど複雑です。退職金や従業員の処遇について事前に知っておくことは、M&Aを円滑に進めるために重要といえます。

本記事では、M&Aでよく活用される株式譲渡を前提に、従業員の処遇、雇用を守る方法や退職金の対応に関して説明します。

M&A(企業譲渡)した際の退職金・給与

退職金は所得税法第30条においては「退職所得」とよばれています。また、退職金は、老後の生活保障などの観点から、他の所得よりも税率が優遇されています。

退職金を受取り所得を得た際には、所得税・復興特別所得税・住民税が源泉徴収または特別徴収されますが、一時的な所得が多額の場合には税負担が大きくなるため、退職所得控除や分離課税方式など、税負担を軽減できるように配慮されています。

また、退職金の算出方法や課税の仕組みは企業の規則や役職などで異なります。ここでは大まかな役職にわけて紹介します。

社長・役員の退職金

経営者などのオーナーや役員がM&Aで自社を譲渡する場合、継続して会社に残ることもありますが、目的が事業承継の場合、一般的には社長や役員は時期を見て退職することになります。その場合、譲渡企業は役員退職金を支払います。

税務上、損金と認められる役員退職金の額は、一般的には下記の計算式で算出されることが多いです。その際、功績倍数は2~3倍とされることが一般的ですが、税法上適正な税率が必ずしも明確に定められている訳ではありません。

退職時の月額報酬×役員勤続年数×功績倍率=退職金

また、役員退職金は会社の損金に算入されるため、譲渡企業の法人税を抑えることが期待できます。退職金にかかる税金は下記の式で求められます。役員、従業員共に同じ計算方法です。

(退職金支給額 ー 退職所得控除)× 1/2 × 税率 ー 控除額 =所得税額

税額を計算する際は、退職金の額から退職所得控除を差引き、更に1/2を乗じた金額が課税対象になります。所得税は所得が高い程、税率が高まるため、毎年少しづつもらう場合に比べて退職金に高い税率が課税されてしまうという問題があります。そのため、1/2を乗じ、税率の緩和を図っています。

設例

例えば、退職金の支給額が2,300万円、勤続年数が29年2ヶ月の場合は以下のようになります。

勤続年数について

1年未満の端数は1年に切上げされるため、勤続年数は30年となります。

退職所得控除額

国税庁の定める退職所得控除の計算をもとにすると、勤続年数が20年を超えているため、以下のようになります。

800万円+70万円×(30-20)(勤続年数-20年)=1,500万円

課税退職所得金額

(2,300万円(退職金支給額)- 1,500万円(退職所得控除額))×1/2 = 400万円

税額

(400万円(課税退職所得金額)× 20%(税率)- 427,500(控除額))×102.1%=380,322円(1円未満の端数切捨て)

M&A 退職

また、経営者や役員の給与については、手法や条件によって引継がれる場合と、譲受企業の給与体系に従う場合の2つがあります。経営者が引退せず、M&A後も働き続ける場合、M&A後の処遇や立場は譲受企業との取り決めにより決定します。そのため、使用するM&Aのスキームによる権利関係の移転の有無や契約内容について、譲受企業と交渉を行いましょう。

役員退職金を使った節税の手法

退職金の節税スキームでは、株式譲渡対価の一部を役員退職金とし、譲渡会社から先に支出するという方法があります。譲渡企業のオーナーが自社株を保有している際に、譲渡企業から退職金を譲渡企業のオーナーに渡した後、譲受企業へ株式の譲渡を行います。退職金を差引いた譲渡企業の残りの金額が株式の売買対価として、譲受企業から譲渡企業のオーナーに渡されます。

譲渡企業のオーナーは低い税率の退職金を差引いた金額に、所得税が課税されるため、譲渡対価全額には、20.315%の所得税が課されるわけではありません。そのため退職金を活用することで、節税効果が期待できます。

▷関連記事:株式譲渡にかかる税金って何があるの?その種類や計算方法を徹底解説
 
M&A 退職

社員・従業員の退職金

株式譲渡とは、譲渡企業の株式を譲受企業が譲受け、経営権を譲受企業に移動することを指します。そのため、株式譲渡で変化する点は株主のみとなり、譲渡企業の従業員の雇用契約などは基本的に譲受企業に引継がれます。あわせて退職金制度もそのまま引継れることもあります。

また、株式譲渡と同様に、中小企業のM&Aでよく用いられる手法に事業譲渡があります。事業譲渡とは、会社の一部または全部の事業を第三者に譲渡することを指します。また、事業譲渡では、譲渡対象の会社資産や権利義務などを個別に承継します。

そのため、事業譲渡の場合は労働条件が見直され、定年退職の年齢、給与、退職金が変更される可能性があります。特に譲渡企業の従業員は、譲受企業の労働契約を改めて締結する場合もあります。

この事業譲渡の退職金の対応は以下の2つが一般的です。

  • 譲渡前に譲渡企業で退職金を清算、譲受企業の新たな退職金規定に従う
  • 譲渡前の退職金を譲受企業が引継ぎ、従業員の退職時に譲受企業が支払う

また、従業員の退職金の算出方法は、役員退職金とは異なる計算方法です。その計算式は大きく2つに分類され、月例賃金と連動する手法と、月例賃金とは切り離された手法があります。「最終給与連動方式」「全期間平均給与方式」「別テーブル方式」が月例賃金と連動しています。

最終給与連動方式

退職金 = 退職時の基本給 × 支給率 × 退職事由係数

退職時の基本給をベースに退職金が算出されるため、若い時期の年収の方が高い場合でも、現在の支給額を基本に計算されるという特徴があります。

全期間平均給与方式

退職金 = 在職中の平均基本給 × 支給率 × 退職事由係数

退職時の基本給に左右されず、生涯賃金の平均化した金額を計算に組み込むため、安定した算出方法です。しかし、新入社員の時期の基本給も一緒に平均化されるため、金額がそれほど高くならないという特徴があります。

別テーブル方式

退職金 = 別途管理する月例賃金 × 支給率 × 退職事由係数

勤続年数、年齢、資格、職種などに定めた労働者の受ける賃金の一覧表である、賃金テーブルを活用し、退職金を計算します。物価変動や大幅な賃上げが起きても、制限を超えて退職金が高くなることを防ぐことができます。

勤続年数方式と、ポイント制方式は、月例賃金と関係の無い退職金の算出方法です。

勤続年数別定額方式

退職金 = 積立額の合計 × 支給率 × 退職事由係数

基本給と完全に切り離して計算される手法です。基本給は退職金の計算方法に関連性がなく、勤続年数によって一定の退職金を積み立てるという仕組みです。

ポイント制方式

退職金 = ポイント累計値の合計 × ポイント単価 × 支給率 × 退職事由係数

職能、役割、評価、勤続年数などを対象に、全従業員に共通して決められたポイントを付与し、ポイントをもとに退職金を算出する方法です。また、算出の際に必要なポイント累計値とは、1年ごとに付与されたポイントの合計です。

労働基準法における退職制度の規定

また、退職制度は法律で定められていることではありません。そのため、退職金の有無については勤務している会社の就業規則の退職金規定や、労働契約などによります。

しかし、労働基準法第89条において退職手当の定めをする場合、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算および支払いの方法、支払いの時期に関する事項について就業規則に定めなければならないとされています。

退職金の支払日に関しては、就業規則に定められた期日に支払われます。特に指定がない場合は、退職金が労働基準法の賃金と認められる場合に限り、労働基準法第23条第1項によって、退職者からの請求より7日以内に会社は支払わなければならないと定められています。

そのほか、労働基準法第115条では、退社から時間が経過していても、退職金があったにもかかわらず取得していない場合、退職してから5年以内であれば、退職先に請求することができると定められています。

あわせて、文書による規定が無ければ退職金を払ってはいけないという定めはありません。希望退職を募集する場合や、長年にわたり会社に大きな貢献をした従業員などに対して規定に無い退職金を支給したり、規定を上回る金額が支給される場合もあります。

譲渡後の退職金に関する留意点

株式譲渡において役員退職金を受取る方法

役員退職金を支払う際は、株主総会での決議が必要になります。役員が会社に残る場合、株式譲渡の時点で役員退職金を受取ることは出来ないため、将来的に退職する際に受取ることになりますが、退職時点で業績が悪化している場合、受取れない場合もあるため注意が必要です。

勤続年数に応じた所得税の控除金額の違い

退職金の所得税の控除金額は勤続年数によって異なります。事業譲渡では転籍扱いになる場合があり、勤続年数がリセットされてしまうケースもあります。控除される金額が減額されることになるため、手元に残る金額が減少する点に注意しましょう。

所得税法の控除の規定

過去の勤続年数と、新しく働く企業での勤続年数を合計して退職金の計算をする場合には、「所得税法第30条に関わる所得税基本通達30-10」にもとづいた対応が必要です。

具体的には、譲渡前の勤務期間と譲受企業での勤務期間を通算し、退職金などの勤続年数の計算に適用するというものです。勤続20年までは1年にごとに40万円の控除がありますが、勤続20年を超えた場合には1年ごとに70万円と控除額が増加するため、退職を検討する従業員の方の勤続年数が20年を超える退職金の手取りを計算する場合には、控除額の増加に考慮しましょう。

▷関連記事:M&Aで譲渡された企業の社員は その後どうなる?
 
M&A 退職

M&Aによる退職は会社都合になるのか?

退職は「会社都合退社」と「自己都合退社」の2つに分類できます。会社都合退社とは、普通解雇や倒産、退職勧奨など会社側の働きかけによる退職を指します。一方で自己都合退社とは、労働者の事情、判断による退職を指します。

M&Aによる退職において、M&Aのみの理由であればそれだけで会社都合には該当しません。しかし、M&A後に勤務地が変わり、通勤が困難になった場合や、大幅に賃金が下げられた場合など、M&A前の労働契約や労働条件が大幅に変更された際には、会社都合退職に該当する場合もあります。

会社都合退職に該当すると、給付などの保護を受けられることになります。さらに自己都合退職に比べ、受給額は増加します。譲渡企業はあらかじめ、譲受企業と話し合い、従業員の雇用の継続など、雇用条件のすり合わせを行いましょう。

従業員の雇用を守るM&Aとは

従業員の雇用に関しては、M&Aのスキームによって注意する点が異なります。例えば、合併によって吸収合併される場合、ほとんどのケースで就労規則や雇用条件が統一されるため、事前に準備を行う必要があります。また、M&Aを理由に、従業員が退職する場合も考えられます。

従業員が退職することになった場合においては、公益法人で企業在籍中であれば、無償で企業間の出向や転籍のマッチングを行う産業雇用安定センターの活用や、早期退職制度の活用など、譲渡企業側においても支援の方法などを事前に検討することが重要です。

社員・従業員が幸せになる事例

2017年11月、京都府八幡市の調剤薬局事業を行っていた若江東大阪ファーマシィ薬局株式会社は、株式会社あけぼの関西に自社を譲渡しました。

譲渡企業の若江東大阪ファーマシィ薬局は、30年間地域に寄り添った経営方針で事業を行っていましたが、身体的な負担や漠然とした不安を抱える中で、M&Aを検討し始めました。

関西を中心に調剤薬局チェーンを展開する、譲受先企業のあけぼの関西の経営者自身も譲渡の経験者であることから、残された従業員を守ることを第一に、M&A後も従業員の雇用を継続するという、明確な方向性を示したことが譲渡企業の経営者の大きな決め手となりました。

現在でも、会社を「売る」のではなく、「バトンを繋ぐ」という意識のもと、従業員の声を拾いM&Aを行ったことで、譲渡企業の従業員は誰一人辞めることなく、従前の業務を継続できています。譲渡後もこれまで通り地域に根付いた調剤薬局を運営していくことでしょう。

▷関連記事:地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

まとめ

M&Aのスキームや条件によって、役員や従業員に支払われる退職金は変化します。また、会社都合の退職になるか、といった点は実際のM&Aによって変わる場合もあるため、事前の確認が欠かせません。こうした従業員への対応は、税務・法律の範囲の知識が必要なため、不明点はM&Aアドバイザーや税務・法律の専門家に相談することをお勧めします。