譲渡企業がその経営権や営んでいる事業を他社(譲受企業)に譲渡する際には、譲渡企業や譲受企業の資産や債務に影響が出てきます。会社の債権者は、会社の財産状況を見て貸付など取引を行っているわけですから、あずかり知らないところで引き当てを見込んでいた資産や利益を出していた事業を廉価で譲渡されてしまったりしては、非常に困ることになります。
そのため、会社法では経営権や事業を譲渡するための一定方法において、債権者が会社の行う決定に対し、異議を述べることができることを規定しました。そして、その異議を述べる機会を保障する手続きのことを一般に「債権者保護手続き」と呼んでいます。
本記事ではM&Aにおける債権者保護手続きについてその要否及び内容を解説していきます。
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債権者保護手続きとは
M&Aを行う場合、各当事会社の債権者は、相手会社の資産状態によって重大な影響を受けることになります。たとえば、1)ユニークな事業を行っていたり技術力を持っているにも関わらず、営業力や規模が足りないために、利益が出ていない会社や事業を譲り受けようとした場合、譲受企業は当該譲渡企業または譲渡企業の事業の取引負債などを引き受けたり、また、2)ある譲渡企業の優良な事業だけを譲渡した場合、譲渡企業は利益を生み出していた主力事業を失ってしまいます。
そうすると、1)の場合には譲受企業の債権者は、自らの知らないところで譲受企業の借入金が増えることになりますし、2)の場合には譲渡企業の債権者は、利益を生む事業がなくなってしまったことで譲渡企業が利益を生まなくなるリスクを負うことになります。
そのため、上記のように重大な影響を受ける各当事会社の債権者は、一定期間内に異議を述べることができ、異議を述べたときは、各当事会社はM&Aを実行しても債権者を害するおそれがないときを除き、弁済、相当の担保提供などをしなければならないと、会社法は定めているのです。
この場合の債権者とは、各当事会社に対し債権を有している者をいいます。当事会社が融資を受けている金融機関などはもとより、仕入先も債権者です。債権は現金でも手形でも変わりません。
M&A手法ごとの債権者保護手続きの要否
債権者の保護を考えた場合、どのようなM&Aの手法をとったとしても、大なり小なり債権者への影響はあるでしょうから、すべての手法で債権者保護手続きを執るべきとも考えられます。しかし、実際はそうではありません。これは、企業譲受のための手続き自体を迅速に進めたいとの要請とのバランスでもあるからです。M&A手法ごとの債権者保護手続きの要否は次のとおりです。
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M&A手法ごとの債権者保護手続きの要否の詳細
事業譲渡
事業譲渡では、債権者保護手続きが法定されていません。事業譲渡は会社が事業を取引行為として他に譲渡する行為であって、会社分割などと異なり、事業を構成する債務・契約上の地位などを移転しようとすれば、個別にその契約相手方の同意を要します。
他方、譲渡されない債務の債権者は、優良な事業を譲渡されてしまった場合、不利益を被ります。そのような場合にはどうしたらよいのでしょうか。事業譲渡は取引行為ですから、当該取引行為が債務者である譲渡企業が優良事業を第三債務者である譲受企業に廉価で譲渡するなど、譲渡企業の債権者の債権を侵害するような場合には、民法の詐害行為取消権(民法424条)により事業譲渡を取り消すことができます。これにより、債権者を害する事業譲渡を防止することができるのです。他方、事業譲渡を行う場合には、あとから債権者に詐害行為取消をされないよう、譲渡対価を合理的に定めることが必要になります。
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株式譲渡
株式譲渡では、債権者保護手続きが法定されていません。これは、株式譲渡は、株主とその株式を譲り受ける者との取引であって、株式自体はすでに発行され出資も支払済みであるため、会社財産に影響を与えるものではなく、会社の所有者が交代するに過ぎないためです。
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株式交換
株式交換においては、原則として債権者保護手続きは不要とされています。それは、完全子会社となる会社の債権者については、完全子会社となる会社の株式にかかる新株予約権を有していた債権者は、完全子会社となる会社の株式を発行して貰えませんから地位に変動があるものの、それ以外の債権者はその地位に変動がないからです。また、完全親会社となる会社の債権者についても、完全子会社となる会社の株主に対し完全親会社となる会社の株式を交付する限り、財産状態の悪化はないからです。
しかし、当然原則というのですから、例外があります。まず、完全子会社となる会社については、完全子会社が発行していた新株予約権が新株予約権付社債に付されたものである場合です。当該新株予約権付社債を有していた債権者にとっては、完全子会社を免責して完全親会社が債権者となる免責的債務引受けとなり、または債務者の交代による契約の更改となるため、当該債権者にとっては影響が大きいため、保護手続きを行う必要があります。
次に、完全親会社において、債権者保護手続きをとる必要があるのは、次の場合です。
a)株式会社において、完全親会社が完全子会社の株主に対し交付する対価が完全親会社の株式その他これに準ずるものとして法務省令で定めるもののみであるケース「以外」の場合
株式交換により完全親会社が取得する完全子会社株式が無価値でも、株式を交付している限り完全親会社の財産状態は悪化しないものの、他の資産を交付すると完全親会社の財産状態の悪化が生じるからです。
b)完全親会社が完全子会社となる会社の発行していた新株予約権付社債を承継する場合
この場合には、完全親会社の金銭債務が増加するからです。
c)株式交換に際し、完全親会社が株主資本など変動額に対価である自己株式の帳簿価額を加えた額のうち、自己株式の処分対価に相当する額を除く部分の全額を資本金・資本準備金にするのでは「ない」場合
その他資本剰余金を増加させる場合には、資本金・資本準備金と比してその資金の流出可能性が高いからです。
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株式移転
株式移転に関しては、株式交換とほとんど同じです。株式交換が、既存の会社を完全親会社にするのが株式交換で、完全親会社を新設するのが株式移転だからです。
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会社分割
会社分割では債権者保護手続きが必要です。たとえば、不良資産を承継したりした場合には、承継会社の債権者には不利益が生じます。また、会社分割においては不採算部門を分離して他の部門を生き残らせる手段として使用されるという特有の危険があるためです。さらに、債務者となる会社の経営状態が悪くなくとも、多角経営を行うことによるリスクヘッジ機能が失われることにより、分割会社の債権者のリスクが増大することが考えられるからです。
異議を述べることができる債権者は次のとおりです。
a)分割会社の債権者のうち会社分割後に分割会社に対し債務の履行を請求できなくなる者
これは会社分割によって承継会社の債権者とされ、かつ、分割会社が当該債務について承継会社と重畳的債務引受を行わない場合には、分割会社を免責して承継会社が債務を引き継ぐ免責的債務引受、または債務者の交代による更改となるため、債務者の財産状況が最大の関心事である債権者にとっては影響が大きいためです。
b)分割会社が分割対価である株式などを株主に分配する場合における分割会社の債権者
いわゆる人的分割を行う場合には、分配可能額による制約が課されません。そのため、この場合には分割会社の財産状態が大きく代わる可能性がある為、会社分割後に分割会社に対し債務の履行を請求することができる残存債権者も異議を述べることができます。
c)承継会社の債権者
分割会社の財産状態が悪いときには、それを承継会社が引き継ぐことになるからです。
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合併
債権者保護手続きが必要です。合併の相手方当事会社の経営状態が悪いときは、債権回収が困難となる危険性が大きくなり、他方当事会社の債権者には不利益があるからです。また、合併契約の資本金・準備金の額に関する事項の定め方次第で、債権者が引き当てとして把握する資本金・準備金の額の減少の効果を生じさせるためです。
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事業譲渡か会社分割か
事業譲渡は譲渡企業の営んでいる事業を譲受企業に対し、取引行為として譲渡するものです。他方、会社分割は分割会社の事業に関して有する権利義務の全部または一部を承継会社に承継させる会社の行為です。そのため、両手法はよく比較されます。ここではこれらの手法にどのような違いがあるのかを解説します。
事業譲渡と会社分割の比較
事業譲渡と会社分割においては、大まかに次のような違いがあります。
事業譲渡 | 会社分割 | |
権利・義務・契約上の 地位の移転 | 個別承継 | 包括承継 |
債権者保護手続き | 定めなし | 必要 |
承認手続き | 株主総会の特別決議 | 株主総会の特別決議 |
簡易手続き | 譲渡企業:あり 譲受企業:あり | 分割会社:あり 承継会社:あり |
略式手続き | あり | 吸収分割:あり 新設分割:なし |
株主などへの事前開示 | 定めなし | あり |
反対株主の買取請求権 | あり | あり |
労働契約の取り扱い | 雇用契約は承継されないため 個別に契約 | 労働契約承継法に定めあり |
消費税 | 課税対象 | 課税対象外 |
事業譲渡と会社分割の違い
(1)権利・義務及び契約上の地位の移転
上の図のとおり、事業譲渡では、譲渡企業の権利・義務及び契約上の地位などは全て個別に譲受企業に引き継がれます。つまり、譲渡企業の権利義務や契約上の地位を譲受企業が承継するためには、譲渡企業と契約している第三者の承諾が必要となるのです。他方、会社分割においては包括承継となるため、個別の権利移転行為は不要となり、相手方の同意を得ずに契約上の地位を移転することが可能です。
(2)債権者保護手続き
すでに解説したとおり、事業譲渡では債権者保護手続きは会社法上定められていません。その代わり、事業の評価が不合理で対価が非常に安かったりして譲渡企業の債権者を害する場合には、詐害行為取消が行使されることがあります。詐害行為取消が行使された場合、すでに実行された事業譲渡が取り消されてしまい非常な混乱が予想されます。他方、会社分割においては債権者保護手続きが法定されており、これら法定の手続きを守っている限りは、債権者からの異議に対し対応することで実行後に無効の裁判を提起される危険は少ないといえるでしょう。
以上より、事業譲渡の場合には詐害行為取消という方法があるため、債権者保護手続きがない事業譲渡だからその内容が適当でも構わないということにはならないことがわかったと思います。確かに債権者保護手続きは一定期間どうしても短縮できない手続きですから、迅速に手続きを進めたい場合にはネックになります。しかし、事後に無効を主張されたり、取消を主張されるというリスクもあることを考えると、スピードだけを判断の基準とすることは避けた方がいいといえます。
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債権者保護手続きが必要な場合の流れを確認
債権者保護手続きにおいて注意すべき事項は次のとおりです(会社法799条・810条)。
・債権者の異議を述べることができる期間は、1ヶ月を下回ることはできません。
・公告には、下記を記載する必要があります。
a)吸収分割などをする旨
b)相手方当事会社の商号及び住所
c)当事会社の計算書類に関する事項として法務省令で定めるものなど
d)債権者が一定の期間内に異議を述べることができる旨
・債権者保護手続きにおいては、官報への公告のほかに、知れている債権者に対しては各別の催告が必要とされるのが原則です。しかし、定款において債権者保護手続きの公告を官報のほか日刊紙または電子公告で行うことを定め、これをしたときは、各別の催告は不要となります。
・債権者が異議を述べることができる期間内に異議を述べたときは、当該債権者に対し、弁済し、若しくは相当の担保を提供し、または当該債権者に弁済を受けさせることを目的として相当の財産を信託しなければなりません。
ただし、当該吸収分割などが債権者を害するおそれがないときはこの限りではありません。この債権者を害するおそれがないというのは、債権者が異議を述べた相手方である会社が立証する必要があります。また、この立証においては、債務の履行の見込みに関する事項を記載した開示書類を示しただけでは必ずしも会社がその立証を果たしたことになりません。
まとめ
M&Aにおいてどのような手法であれば債権者保護手続きが必要または不要であるかは、手続きを選択・実行するときに非常に重要です。会社の財産状況に影響が大きいときには基本的に債権者保護手続きが必要になります。そのため株式譲渡、株式交換、株式移転と事業譲渡は債権者保護手続きは原則として求められていません。他方、会社分割と合併は債権者に与える影響が大きく債権者保護手続きが要求されます。
債権者保護手続きの要否とその手続きを知ることで、どの手法が最も会社にとってよいのかがわかってくることもあると思います。複雑な手続きであると同時に、時間もかかる手続きであることから、行いたいM&Aの内容に応じて専門家のアドバイスも受けるとよいでしょう。
※この記事は執筆当時の法令等に基づいて記載しています。