M&Aの手法の一つである合併は、2つに分類されます。1つ以上の会社の事業・権利義務のすべてを新しく設立した会社に包括的に承継し、合併するすべての会社を消滅させる「新設合併」と、複数の会社のうち、1つが合併会社として存続し、他の企業の権利義務が引き継がれる「吸収合併」があります。
合併は包括承継になるので、原則、被合併会社に関係するすべての権利義務は、合併会社に承継されます。従って、雇用契約や労働条件も、他の契約などと同様に合併会社に承継されます。
その場合、被合併会社の従業員への待遇はどのようになるのでしょうか?本記事では、合併時の退職金制度について解説します。
なお、本記事では合併を行った後に存続する会社を「合併会社」、合併を行った後に消滅する会社を「被合併会社」とします。また、「雇用契約」と「労働契約」は混同されることも多いですが、雇用契約は労務供給*1契約の一つとして民法で用いられている概念で、労働契約は労働関係諸法規で用いられる概念です。法律上の違いはありますが、ほぼ同一の意味として扱われることが多いです。本記事では、「雇用契約」として解説します。
*1 労務供給:供給契約に基づいて、一方が他方のために労働者を提供すること(他の労務供給契約として、請負や委任があります)
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合併時の退職金制度の取扱い方
退職金制度が設けられている会社では、合併時に退職金が満額支給されるのかどうかについては、被合併消滅会社の従業員が気にするところでしょう。
ここでは、合併時に被合併会社における退職金が満額支給されるケースと、満額支給されないケースについて説明します。
退職金が満額支給されるケース
合併の場合、包括承継によって被合併会社の権利義務は、合併会社にそのまま承継されます。
一般的に、両社の労働条件を統一する際、経過措置として緩和期間を設けます。その後、1〜2年ほどかけて徐々に合併会社と労働条件の統一化を図るべく、調整される傾向にあります。
そのため、合併後すぐならば被合併会社の雇用契約もそのまま継続していることが多く、退職金に関しても契約通りに満額支給されます。
退職金が満額支給されないケース
一方、退職金が満額支給されないケースに、退職金制度を含む、労働条件や雇用契約などが、被合併会社と合併会社で合併を行う前に減額する方向で統一された場合があります。
ただし、合併を行う前に被合併会社側は従業員に対して、労働条件の変更を説明し、個別に書類に署名押印をしてもらう必要があります。
その際、合併会社側の説明不足や被合併会社側の理解不足であると、双方の考えに行き違いが生じ、実際の退職金の支払いに際してトラブルが生じることになりかねません。
特に、以前よりも労働条件が不利益に統一される「不利益変更」となる場合は、合併会社の慎重な対応が求められます。
合併に伴う従業員の勤続年数と退職金の関係性
従業員が気にすることとして、給与や労働条件などの待遇面以外にも、これまで勤めてきた勤続年数や退職金、有給休暇はどうなるのか、ということがあります。
一般的に、退職金同様、勤続年数も一緒に継承されるケースが多いようですが、勤続年数はなぜ清算されないのでしょうか?
その理由や、勤続年数がリセットされてしまうケースなどを紹介します。
▷関連記事:吸収合併における社員の待遇は?吸収合併後の給与や告知を行うべきタイミングについても解説
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一般的に勤続年数が清算されない理由
先述の通り、権利義務や雇用契約の内容などが合併後もそのまま引き継がれることになる包括承継では、勤続年数も承継するケースがほとんどです。
また、所得税基本通達に退職手当に関する記載があり、一般的に合併を行うことによって勤続年数が清算されることは少ないでしょう。
そのため、合併会社の方で、労働者との合意なく一方的に合併前の勤続年数を認めない、または拒否をすることは難しいのが実際のところです。
勤続年数がリセットされるケース
合併の場合、被合併会社の従業員の権利義務が包括的に継承されるため、勤続年数はそのまま継続が可能です。こちらは、所得税法基本通達にも退職手当に関する記載があり、原則合併において勤続年数がリセットされることはありません。
M&Aにおいて注意すべきは、手法として「事業譲渡」をとる場合です。合併と異なり、事業譲渡では労働条件をそのまま承継することができません。譲渡企業の従業員は、譲受企業での労働条件を受け入れることを前提として、譲受企業への転籍の同意を求めるケースが大半です。
転籍をする場合は、一度退職をして新たに入社することになるため、勤続年数はいったんリセットされます。そのため、年次有給休暇の計算・退職金の勤続年数の扱いについて、譲受企業は譲渡企業の従業員へきちんと説明したうえで、転籍の同意を得る必要があります。
▷関連記事:事業譲渡による従業員の影響とは?退職金や転籍時の注意点を徹底解説
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合併前に必要となる退職金制度の内容変更と労働者の合意の有無の判断要素に関する事例
「退職金制度」とは、戦後の高度経済成長期に各企業が取り入れた制度です。会社勤めをする人達の間では、一般的な報酬制度として認知されていました。
しかし、目まぐるしい経済環境の変化によって、経営悪化や資金繰りに悩む企業も増え、現在は退職金制度の変更または廃止もやむを得ないという風潮となっています。
このような背景のある退職金制度ですが、合併の前に退職金制度を変更する場合はどのような手続きをとる必要があるのかを説明します。
退職金の廃止・変更についての法的な取り扱いとは
先述の通り、企業が合併する時に被合併会社の労働条件は合併会社に包括承継されます。ただし、1~2年は被合併会社の労働条件を維持することもあり、退職金制度も同様となります。
労働条件に関しては「労働契約法第9条」に、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。」と規定されています。
9条にある「労働者の合意」とは、「労働者の自由な意思に基づくもの」でなければならず、制度を変更するためには「合理的変更」である必要があります。
しかし、労働契約法第10条では「合理的変更」を判断するための要素が記されており、「変更後の就業規則も労働者に周知させること」「変更が合理的なものであること」の要件を満たすことができれば、労働契約法第8条および9条の合意による労働条件変更の原則の例外として、契約内容を変更できます。
山梨県民信用組合事件から学ぶ「労働者の合意の有無」の判断要素
労働契約法第10条では、「変更後の就業規則も労働者に周知させること」「変更が合理的なものであること」以外にも、「労働者の受ける不利益の程度」「労働組合などとの交渉状況とその他の就業規則の変更に係る事情」「変更後の就業規則の内容の相当性」などの要素が判断材料となります。
実際のところ、常にすべての従業員から合意が得られるとは限らず、特に不利益変更となる場合は、従業員に対しての説明が難しい部分です。
退職金などの、就業規則の不利益変更で有名なのは「山梨県民信用組合事件 最高裁平成28年2月19日判決」の判例が挙げられます。
この事件は、山梨県民信用組合に吸収合併された旧峡南信用組合の元職員が「退職金の大幅減額」を不服とし、合併前と同じ基準の退職金の支払いを求めたものです。この裁判は、不利益変更に際し、従業員の同意があったのかどうかが争点となりました。
山梨県民信用組合は、法廷で不利益変更に対する労働者の同意の有無を「同意書への署名押印行為」が「同意」であるという主張をしました。しかし判決では、署名押印だけで同意と見るのは相当でなく、慎重に判断されるべき、としています。その結果、この判決は原審である東京高等裁判所の判決を破棄差戻しとしました。
注目すべきは「従業員の自由意思」という部分です。山梨県民信用組合側が不利益変更の説明をして、従業員から署名押印をもらったとしても「当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容などに照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべき」と判示されました。
この判例から学ぶべきことは、説明をして署名・押印させて終わらせるのでなく、退職金制度の変更・廃止を実施する場合には従業員に対して情報提供を尽くし、十分な説明を果たすことが必要、という事です。また、説明会での労働者からの質問に対しての丁寧な対応や相談窓口を設置するなどして、「自由な意思に基づいた合意」を得られるよう、企業側の努力と慎重な対応が求められます。
まとめ
合併後の退職金の有無は、従業員にとっては重要です。合併後もこれまでと同様に引き続き従業員に働いてもらうためには、懸念点をクリアにしておく必要があります。
例えば、合併後に合併前よりも退職金が減額される、または廃止の可能性があるなどの不利益変更となる場合は、従業員へ十分な説明と、情報共有をすることがポイントです。
また、従業員とのトラブルを未然に防ぐためにも、合併を行う前に退職金制度について事前に説明しておいた方が良いでしょう。具体的な退職金の取り扱い方は、それぞれの会社の状況によるため、不明点があれば、専門家へ相談してみましょう。