事業承継の手段として事業譲渡を行う場合は、取引として譲渡企業の事業を譲受企業に売却することになります。その時、企業間で売買契約を取り交わすことになりますが、その影響は従業員にも及びます。
経営者が決めたこととは言え、従業員にとっては「これまでの雇用契約はどうなるの?」「退職金は減るの?」「待遇はどう変わるの?」など、いくつかの疑問と不安があることでしょう。
経営者としては、共に働いてきた従業員の今後を無視するわけにはいきません。本記事では、事業譲渡における従業員への影響や転籍時の注意点について解説します。
なお、混同されることも多い「雇用契約」と「労働契約」ですが、雇用契約は労務供給契約の一つとして民法で用いられている概念で、労働契約は労働関係諸法規で用いられる概念です。法律上の違いはありますが、ほぼ同一の意味として扱われることが多いです。本記事では、「雇用契約」と表記します。
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事業譲渡と従業員の関係
ここでは事業譲渡を行うことによる「従業員との関係性」や「雇用契約の取り扱い方」について解説します。
事業譲渡とは
事業譲渡は、会社の一部または全部の事業を第三者に譲渡(売却)することを指します。吸収合併などでは権利義務・財産(負債含む)が包括的に承継されますが、事業譲渡では事業の全部または一部の承継の対象となるため「特定承継」とも呼ばれます。その範囲の中には、関連する資産や負債をはじめ、当該の事業で働く従業員も含まれています。
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事業譲渡による従業員との関係性は?
事業譲渡では、譲渡企業の当該事業で働く従業員の雇用契約は、そのまま譲受企業へ承継されません。そのため、改めて譲受企業と雇用契約を結ぶことになります。しかし、従業員の中には「譲受企業の評判が良くないから転籍したくない」「退職金が減るのが嫌だ」「今までの会社に愛着がある」など、譲受予定の企業への転籍に対し反発が起きることもあります。
雇用契約の終了や再契約は、事業譲渡の手続きの中で行われるため、従業員の大半が転籍に反対したために事業譲渡が頓挫してしまった、という事例も少なくありません。また、事業譲渡が成立しても、中核となる従業員が離職してしまえば事業の価値が下がり、譲受企業にとって事業を譲り受けた意味が薄れてしまいます。
事業譲渡を行う際は、経営者同士のみで話を進めるのではなく、従業員も当事者としてタイミングを図って情報を開示し、スムーズに新しい雇用契約を結べるように進めることがポイントになります。
▷関連記事:M&Aで譲渡された企業の社員は その後どうなる?
事業譲渡による転籍と雇用契約の取り扱いを確認
従業員の雇用契約の取り扱い
事業譲渡では、従業員と譲受企業が雇用契約を新たに結び直すことになりますが、これは強制できるものではありません。譲渡企業と譲受企業の双方が事業譲渡を行うことに対して合意をしていても「譲渡企業を離れること」、もしくは「譲受企業と新たに雇用契約を結ぶこと」を従業員は拒否することができるのです。
また、譲渡企業の従業員が転籍する際、譲受企業の賃金等の労働条件に異議のある従業員は雇用せずに、労働条件に同意する従業員のみを受け入れるという対応をすることもあります。
つまり、事業譲渡を成立させるために肝心なのは、譲渡企業・譲受企業・従業員の三者全ての合意が必要であるということです。
上記の雇用契約を結び直す方法とは別に「再雇用型」という形式もあります。再雇用型では、譲渡企業が事業に関わる従業員を解雇、もしくは退職してもらい、一旦雇用契約を終了させた上で、その従業員と譲受企業が全く新しい雇用契約を締結するという方法です。この方法のメリットは、譲受企業と従業員との間で新たに交渉を行い、労働条件を変更できる点にあります。
従業員の転籍によって生じる注意点
従業員の転籍については、一人ひとりと改めて契約を結ぶ必要があるため手続きが煩雑であり、注意すべき点が多数存在します。以下では、その注意点を紹介します。
転籍承諾書の取り扱い
譲受企業としては、必要な従業員は譲渡企業から確実に転籍してほしいものです。従業員がスムーズに転籍してくれるよう、譲渡企業が従業員から転籍を了承する転籍承諾書を取ることは、努力義務として課されるのが通常です。
労働条件の引き継ぎ
事業譲渡により雇用契約が承継される場合、労働条件については譲渡企業で交わされていた内容が引き継がれることが多くなります。しかし多くの場合、譲受企業は従業員の能力などに合わせて新しい条件で雇いたいという希望を持っています。そのため、「一定の期間は譲渡企業の労働条件が守られる」と譲受企業と従業員の間で取り決めを交わし、期間経過後に改めて給与などについての雇用条件について話し合う、という方法が用いられることもあります。
必要とする人材の転籍拒否
譲渡される事業において、中核となる従業員が転籍を拒否する場合があります。この場合、譲渡企業では転籍拒否のみを理由に解雇することはできません。また譲受企業が損をしないための保険として、中核となる従業員の転籍拒否が起こった場合、譲渡価格を減額できるという契約を結ぶ場合もあります。
希望退職者の扱い
M&Aの手法として事業譲渡を用いる場合、譲渡企業から譲渡される事業は経営的にプラスにならなければいけません。その観点から考えると、譲渡企業の従業員を全て受け入れることは、必ずしも譲受企業にとってプラスに働くとは限りません。
基本的には事業譲渡のみを理由として従業員を解雇することはできませんが、解雇を回避する努力を行った証として希望退職募集を行うことができます。希望退職では、従業員自らの意思で辞めてもらうという形をとることで、退職手当の増額や再就職先の斡旋などのメリットを与えて、希望者を募ります。
事業譲渡における従業員の退職金における注意点
事業譲渡で従業員が転籍する場合、重要なポイントとして退職金の問題があげられます。従業員にとっては、転籍によって退職金が減額されてしまうのは受け入れられないことであり、転籍拒否などのトラブルが起きる原因にもなります。
事業譲渡をスムーズに実行するためにも、退職金の扱い方と注意点についてはしっかりと確認しておきましょう。
従業員の退職金はどうなる?
事業譲渡では雇用契約が一度リセットされ、転職する形になることはお伝えしたとおりですが、勤続年数に応じて退職金支給率が上がる計算方式の場合、転籍する前の企業で定年まで働く場合より、退職金が減額してしまう可能性があります。
退職金の扱いについては、2つのパターンが存在します。1つは譲渡企業で転籍まで働いた分の退職金を精算して一度支払い、それ以降の分については譲受企業の規定に従うという形。もう1つは、譲渡企業で働いた分の退職金を譲受企業に引き継ぐという形です。
退職金の支払いに関する注意点
退職金を清算する場合
退職金の精算は、譲渡企業の規定に基づいて支払われます。譲受企業が債務を引き受ける場合であっても、譲渡企業の規定が適用されます。
勤続年数に応じた所得税の控除金額の違い
退職金の所得税の控除金額は、勤続年数によって異なり、勤続20年までは40万円×(勤続年数)で計算された額(ただし80万円に満たない場合は80万円)、勤続20年を超えると20年までの控除800万円にプラスしてさらに70万円×(勤続年数ー20)で計算した額が退職金の額から控除されます。
事業譲渡では転籍扱いになるため、例えば転籍前の企業で19年、転籍先で15年勤めた場合、合計勤続年数は34年で20年以上になります。しかし、転籍することで勤続年数がリセットされてしまうと、控除される金額が減額されることになり、手元に残る金額が減ってしまうことがあります。
過去の勤続年数の取り扱い
上記の所得税の控除金額の違いに関わってくる事案として、過去の勤続年数の取り扱いがあります。それまで勤めていた企業の勤続年数と、新しく働く企業での勤続年数を合計して退職金の計算をする場合には、「所得税法第30条に係る所得税基本通達30-10」に基づいた対応をする必要があります。
これは、譲渡以前の会社での勤務期間と新しく働く企業での勤務期間を通算し、支払われる退職手当等に係る勤続年数の計算に適用するというものです。ただし、それまで他の企業で勤務していた期間により、退職手当等の支払金額の計算をする旨が、譲受した企業の退職給与規程において明らかに定められている場合に限られます。
▷関連記事:M&A後の退職金、給与、従業員の処遇はどうなる?雇用を守るM&Aとは
まとめ
事業譲渡では、従業員に対する雇用契約といった法律に係る注意点が多くなります。法律に従った手続き、対応をしないと、事業譲渡自体が破談になる可能性が出てきてしまいます。また、退職金という従業員にとっては大きな問題も、正しいやり方を取らないと従業員の不満につながり、離職による優秀な従業員の喪失という結果になりかねません。
様々な細かい注意点、法律、従業員への説明など、詳細を全て抑えて手続きをやり遂げるのは経営者だけでは難しいでしょう。こちら不明な点があれば、専門家に相談してみてはいかがでしょうか。