「ポートフォリオ経営」や「事業ポートフォリオ」という言葉を聞いたことがある医療経営者もいらっしゃるかもしれません。これは、タイプの異なる様々な事業や施設を組み合わせて経営することで、経営全体としての安定化と長期的な成長を図ろうという、経営理論に基づく考え方です。
医療施設においても、成長拡大を目指す場合はもちろん、人口減少エリアにある病院が積極的に生き残りを図ろうとする場合にも、このポートフォリオ経営の考え方は役に立ちます。たとえば、M&Aによる譲り受けを通じて、人口動態が異なるエリアに進出することで、人口減少地域にある本院の経営を安定化させている病院の例などもあります。
本記事では、まず市場細分化や事業ポートフォリオなど、医療経営にも役立つ経営理論の基本を紹介しつつ、成功事例を見ていきたいと思います。
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目次
市場を均一に捉えるのではなく、様々な観点から細分化して見ることのメリット
マーケティング理論に「STP分析」という考え方があります。これは、特定業界において、様々な観点から市場を細分化(セグメンテーション)して、その特定領域に狙いを定めて(ターゲティング)、自社の立ち位置を決める(ポニショニング)という、分析手法で、マーケティング理論の巨匠、フィリップ・コトラーが提唱したものです。
この分析手法を、我が国の医療業界に当てはめて考えてみましょう。我が国は、すでに人口減少時代に入っています。人口が減っていけば、長期的、総体的に見て医療需要も減少していくのは必然ですが、その減少は均一に進行するわけではありません。医療市場(患者さんのニーズ)を様々な観点から細分化して見れば、需要が増えているところと、減っていくところがまだらに混在しながら、移り変わっていく様相になるでしょう。
たとえば、求められる病床機能、設備や治療法(先端医療など)などによる市場の細分化が可能で、それぞれ今後の需要動向が異なります。
あるいは、地域による細分化もできます。すでに人口減少率が高くなっている地域もあれば、東京23区のように、現在でも人口が増加している地域もあり、需要動向が異なります。さらには、世代を細分化して考えることも必要でしょう。若年世代の急性期医療ニーズは減少していくが、逆に高齢世代のリハビリ医療ニーズは当面増加していく、などです。
そういった、様々な細分化の観点を組み合わせてみて、需要が増加していき、かつ、自院の特徴が活かせるところにポジションを定めていくことが、医療機関の長期的な存続にとって重要となります。
事業のポートフォリオを分析する「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」
もう1つ「事業ポートフォリオ」あるいは「ポートフォリオ経営」の考え方についても触れておきましょう。
「ポートフォリオ」とは、ある目的のために組み合わされたものを指す言葉です。特に、資産運用の世界では、保有している株式などの資産の組み合わせを「資産ポートフォリオ」と呼ぶことが一般的で、聞いたことがある方も多いでしょう。
「事業ポートフォリオ」は、経営の長期的な成長のために、複数の異なる事業を組み合わせることであり、そのような経営スタイルのことを「ポートフォリオ経営」と呼びます。
企業が複数の事業を経営すること自体は、昔から行われていますが、そこに事業のライフステージと、経営資源の配分最適化という観点を採り入れ、1つの分析フレームワークとしてまとめたものが、有名な「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」略して「PPM」です。
PPMは、1960年代に米国で、コングロマリット企業の経営分析のために、世界的なコンサルティングファームのボストン・コンサルティング・グループにより考案されたフレームワークです。その後、ポートフォリオ経営分析の定番的なツールとして、広く一般的に用いられています。
PPMは、ポートフォリオの各事業へ、どのように経営資源を配分すべきかを分析する
PPMの前提として、製品市場のライフサイクルという考え方があります。どんな事業でも、時代の流れにあわせて、誕生→成長→停滞→衰退の道を辿るということです。また、同じ市場においても、各社の間で競争があり、勝ち負けがあります。PPMでは、縦軸に市場成長率、横軸に市場の中での相対的シェアをとったマトリクスの中で、自社の各事業がどこに位置付くのかを分析し、資源配分を考えます。
<図1:PPM>
マトリクスの4象限は、それぞれ下記のように位置付けられています。
・問題児:生まれたばかりの事業で投資資金がかかる。これから成長するかどうかもわからない。
・花形:市場全体が伸びており、その中で自社事業のシェアが高い状態。しかし、高いシェアを維持するために、投資資金も多額に必要となるため収益性は低い。
・カネのなる木:市場が成熟して成長率が低下する中、シェアを伸ばせなかったライバルの多くは撤退し自社が利益を寡占できる状況。少ない投資で多くの収益を生む。
・負け犬:市場の成長率が低く、しかもシェアも低い。原則的に、撤退の検討が必要だが、低投資、低収益ままで続けていくという選択もある。
新規事業は、最初は問題児からスタートして成功すれば花形→カネのなる木へと移っていきます。しかし、問題児のままである場合や、いきなり負け犬になる場合もあります。また、現在はカネのなる木である事業も、いつかは負け犬になるので、常に新しい問題児を生んで、花形からカネのなる木に育てていかなければなりません。
しかし、経営資源には限りがありますから、自社が長期的な成長を図るために、いま足りない事業はマトリクスのどの部分で、どこに投資をするのかが最も効率的なのかを見極めなければなりません。その検討のために利用するのが、PPMの考え方です。
ポートフォリオ経営を採り入れる医療法人グループが増えている
医療業界は規制があり、自由に新規事業を開発できるわけではないので、一般の事業会社のようにPPMの考え方を直接そのまま適用できる場面は少ないかもしれません。
しかし、最初に述べたように、医療に対するニーズも均一に変化しているわけではなく、細分化してみれば、様々な観点からニーズの違いを見出だすことはできます。そこで、ニーズの動態が異なる区分を組み合わせたポートフォリオ経営を意識することは、医療経営にとっても有益でしょう。
▼兵庫県医療法人H会の例
兵庫県にある医療法人H会は、県内A市に開院されたA病院を本院として、その他診療所や老健を経営する医療法人でした。初代理事長が亡くなって息子であるK理事長が後を継いだときには、A市ではすでに少子高齢化が全国にも先駆けて進んでおり、A病院は赤字状態でした。K理事長の経営改革は、財務情報を含めた情報開示推進や、スタッフのモチベーションを上げるための人事給与制度改定などいくつかの要素がありましたが、その大きな柱となっていたのが「経営安定のための規模拡大」です。拡大すること自体を目的とするのではなく、あくまで病院の経営安定、つまり、地域に医療を継続して残していくための規模拡大というところがポイントです。A市は人口約5万人。高齢化率も全国平均より高いという、典型的な「衰退する地方都市」でした。国全体に先駆けて人口が激しく減少していく地域にある病院では、早晩縮小していかざるを得ないし、それでは、スタッフも希望を持って働くこともできないだろう、そう考えたK理事長は、M&Aを活用した拡大成長戦略を採用します。
▼地域や医療内容を組み合わせて、「経営安定のための規模拡大」を実現
H会は、A市の本院以外に、東京エリア、京阪神エリアの3エリアで医療施設や介護施設をグループ展開しています。収益を分散させることで、もし、本院の売上が大きく落ち込んだとしても、他エリアの施設でカバーでき、グループ全体として医療、介護サービスの提供を続けることができるようになりました。これは、人口動態の異なる地域による「地域によるポートフォリオ」を組んだと見ることができます。また、グループ内の一部病院に、多額の投資をして、ガンの「陽子線治療」設備を導入。高度なガン治療を求める患者さんを広域から集患しています。これは、日常的な医療と高度先端医療を組み合わせた「医療レベルのポートフォリオ」だということができるでしょう。
さらに、グループ内の一病院で、救急災害医療での活用できる最先端システムを導入するなど、災害医療分野でも独自のポジションを打ち立てようとしています。これは、「平時医療と災害時医療とのポートフォリオ」であると捉えることもできます。多額の投資も交えながら、成長が見込まれる分野で顧客ニーズに応える事業・サービスを育てるというのは、まさにPPMの考え方を応用した医療経営の好例だと言えるでしょう。
人材採用にM&Aを活用している例も
他の医療法人のケースもご紹介しておきます。東日本震災後、被災地では長い間、人材の確保が非常に難しくなる病院が増えました。そんな中で、東北エリアでいくつかの病院を運営していたある医療法人Cグループでは、東京の城西地区の中規模病院・D病院をM&A買収しました。その目的のひとつが医師を中心としたスタッフの確保でした。東京の城西地区であれば医師や看護師からも人気が高いエリアなので、採用は比較的容易で、定着率も高めでした。Cグループでは、グループ内での人事異動として、D病院から被災地病院での勤務を募りました。その際に、被災地復興という社会貢献の意義があることや、1年から2年間などとあらかじめ限定した期間での異動であること、追加の手当を給付することなどにより理解を求めたところ、少なくない数のスタッフが被災地病院での勤務に同意してくれたのです。このようにして、Cグループで滞りなく医療提供を継続できたことが、被災地復興の大きな力となったことは言うまでもありません。被災という背景はあるものの、これは「人材ポートフォリオ」の一例であるといえるでしょう。
医療を残すために、拡大を目指す
医療を残すために、大手のグループ傘下に入る(M&Aによる病院の譲渡)というのも、1つの手段です。たとえば、後継者が不在といった事情があれば、それも有力な戦略になるでしょう。しかし、事業承継はまだ当面先である、あるいは、やる気のある後継者が存在するといった状況であれば、自ら規模拡大していくことで、生き残りやすくしていくというのも、有望な戦略になるのです。ただ、「ポートフォリオ経営」と言うのは簡単ですが、規制によりさまざまな制約がある医療業界においては、どのような組み合わせでどのようなニーズを狙えばいいのか、また、それを具体的にどのように実現すればいいのかは、決して単純なことではありません。
もし現状のままでの自院の将来性に不安があるのなら、一度専門のアドバイザーなどを交えながら、可能性を検討してみてはいかがでしょうか。