M&A 日本 歴史

日本のM&A件数は、2017年度に3,000件を超え、過去最高の数値を記録しました。多くの企業が合併と譲渡を繰り返す事は、もはや当たり前になった日本の企業情勢ですが、いつごろからM&Aがよく行われるようになったのか、詳しくご存知の方は少ないでしょう。
 
日本のM&Aの歴史は、1800年代後半まで遡ります。驚くことに戦前の経営者達は既にM&Aの効果を見抜き、多くの場面で有効活用していました。当時の経営者達はM&Aをどのように捉え、行っていたのでしょうか。

目次
~明治時代初期 紡績業界 第一次M&A革命~
昭和初期 電力業界 熾烈なM&A競争 「電力戦」
昭和中期 再生型M&Aの先駆け 「鮎川儀介」
昭和後期 財閥と政府の経済介入 超大型M&A時代
昭和末期 終戦 M&A時代の終焉
昭和~近代 バブルと海外企業買収の潮流
まとめ そして現代へ

今回話を聞いたM&Aアドバイザー


FUNDBOOK M&Aアドバイザー 西園 直記

西園 直記

株式会社FUNDBOOK
営業戦略本部 エグゼキューション部
アソシエイト

同志社大学商学部商学科卒。2011年株式会社みずほ銀行に入行し、大阪の基幹店にて2年半中堅中小企業の法人営業を担当し、既存顧客への融資や為替、新規顧客開拓等の業務を中心に行い、M&A案件にも携わる。その後4年間、本部の市場部門にて大企業・金融機関向けに市場性金融商品の営業や国際的な金融規制対応のサポート、自行仕組債発行の業務に従事。グループ全体の社内表彰を3度受賞。2018年10月より当社参画。

~明治時代初期 紡績業界 第一次M&A革命~

引用元:https://www.nikkei.com/news/image-article/?R_FLG=0&ad=DSXMZO2111717014092017960E01&dc=1&ng=DGXMZO21117190U7A910C1960E00&z=20170914

日本で初期に行われたM&Aは、戦前19世紀末期頃まで遡ります。当時の日本の主力産業は紡績業でした。
紡績業とは、綿花という花を原料に作られる綿糸で織った、綿織物を作る産業の事を指します。しかし、競合国である中国・インドの紡績産業が台頭したことによって日本の紡績業は圧迫され、輸出が伸び悩みます。更に日清戦争(1894~95)後、原料輸出の高騰、賃金の上昇によって、国内の生産コストが上がってしまいました。この問題を打破するために用いられたのがM&Aでした。特に鐘淵紡績株式会社(カネボウ株式会社の前身)は1900年前後の不況時にM&Aによって、一時は日本最大の企業にまで発展しました。このように当時の日本の大企業は、不況時に買収を重ねることで企業規模を拡大し、問題を解決していったのです。
 結果、M&Aにより強化された第二次世界大戦前の紡績業は成長を続け、1936年にはイギリスを抜いて世界シェアのトップまで発展しました。
戦前も現在と同様にM&Aは企業の重要な成長戦略であり、また事業再組織化の手段として積極的に活用されていたようです。

~昭和初期 電力業界 熾烈なM&A競争 「電力戦」~

引用元:https://mainichi.jp/articles/20160930/ddm/013/040/025000c

明治時代~昭和初期(1868~1926)は、三井・三菱・住友などの財閥が巨大な富と権力を手中に収めます。純粋持株会社に多くの企業を収めて運営し、敵対的な買収も含めM&Aを積極的に行いました。また大正時代の終わり頃、第一次世界大戦(1914~18)の特需で電力需要が著しく増加しました。加えて、関東大震災(1923)における火災で多くの犠牲者が出たことで、安全な電力化の需要に拍車がかかります。
 
その結果、電力業界の組織提携が盛んになりました。2018年10月現在、日本では電気を発電・供給する電力会社は10社に集約されています。しかし当時は850社もの電力会社が乱立し、激しいM&A合戦が繰り広げられていました。数が多かった理由は2つ挙げられます。1つ目は、日本の電気事業は1880年代に民間ベンチャー企業として創業されたこと(民営化されていた)。2つ目は、例えば電燈から電動機への移り変わりなど電化が急速に進み、電力に対する需要が爆発的に高まったこと。これらの要因により、日本の電力会社は広く発展していきました。
 
M&A合戦の結果、電力会社は100社以上ものM&Aを経て、5つの電力会社に集約されます。この熾烈な戦いは「電力戦」と呼ばれました。壮絶な顧客奪い合いの戦いに終止符を打ったのは、過剰競争による電力会社の財務内容の悪化を懸念する金融機関と監督官庁、そして現在の中央官庁の役割を担う逓信省(ていしんしょう)です。5つの電力会社は、三井、三菱、住友、興銀の各行と逓信省の斡旋により、電力会社のカルテル(企業連合)組織を組み、停戦協定を結びました。1938年には日中戦争勃発を口実に、全ての電力設備は強制的に国有化されることになりました。

~昭和中期 再生型M&Aの先駆け 鮎川義介~

引用元:http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/226.html?cat=9

1930年代にM&Aは戦前の最盛期を迎えます。電力戦が落ち着きを見せた頃、経営破綻した企業の再生を目的としたM&Aが国策として推進されるようになりました。そのなかで最大の成長を見せた財閥が、当時の新興財閥であった鈴木商店です。鈴木商店の一事業部がM&Aを行うことによって、現在の双日株式会社、サッポロビール株式会社、帝人株式会社、株式会社神戸製鋼所、日本製粉株式会社等を再生させた経緯があります。これを支えたのが当時のIPOブームと、新たなM&A手法である「株式交換」の活用です。

関連記事:▷株式交換とは

そしてこのブームの先頭にいたのが鈴木商店の社長、鮎川義介でした。鮎川氏の手法は、まず株式交換で取得した企業を一旦合併し、事業を立て直します。その後で再度分離してIPOを目指し、そこで得たキャピタルゲインを元手に次のM&Aを行う手法を得意としていました。このサイクルで瞬く間に巨大化し、日産コンツェルンと呼ばれる一大財閥を形成したのです。大手自動車メーカーである日産自動車は、その日産コンツェルンの一員でした。
 
このような新興財閥の戦略的なM&Aは、昭和恐慌で萎縮した日本の経済を底上げし、世界中を巻き込んだ大恐慌から日本がいち早く抜け出すことができた要因の一つになりました。この後、日本は第二次世界大戦を迎えます。昭和中期はIPOにより資金を調達し、その資金でM&Aを進め事業を拡大していくというサイクルを回しながら、M&Aが活発に行われていました。

~昭和後期 財閥と政府の経済介入 超大型M&A時代~

引用元:http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c05_koshashin/c0502_huzoku/1350.html

日産コンツェルン以外の財閥や老舗企業も、ベンチャー企業によるM&Aをただ見過ごすことはなく、グループ再編や業界内の大型合併などの業界再編で対抗しました。1934年、官営八幡製鉄所と6つの民間企業が合併し設立されたのが日本製鐵株式會社(現在の新日本製鐵株式会社の前身)です。
合併評価額の合計が3億6千万円に達する大規模な合併でした。その他にも王子製紙、富士製紙、樺太工業の3社合併により発足した王子製紙株式会社や、札幌麦酒、大日本麦酒、大阪麦酒の3社合併により発足し、ビール市場のシェア70%を握った大日本麦酒(現在のアサヒビールやサッポロビールの前身)など、次々と大規模な合併が実施されていきます。
 
また、1930年代は財閥傘下の企業の再編が進展しました。1934年には三菱財閥のグループ再編により三菱造船と三菱航空機が合併し、三菱重工業が成立しました。同年、住友鋳鋼所と住友伸銅所の合併により、住友金属工業の設立も行われました。
同時に株式を公開し、資金調達の選択肢を広げることになりました。このように財閥の成長過程においても、M&Aは重要な成長戦略の一つとして活用されてきました。

~昭和末期 終戦 M&A時代の終焉~

引用元:https://www.sankei.com/photo/daily/news/150404/dly1504040001-n1.html

ここまで順調に歴史を重ねた日本のM&Aでしたが、国家の強制M&Aという強行策によって突如終わりを迎えることになります。それは、政府によって制定された重要産業統制法(1931)が引き金となりました。この法律は大恐慌の影響を考慮し、民間企業だけでは世界恐慌から脱出することが難しいと判断した政府が、国家統制を行いました。企業の重要な産業の利益を保護し、国民経済を発達させることを目的として制定されました。日中戦争(1936)が始まると、政府の動きが急速に進みます。紡績業は戦争による原料供給の制約のため、60数社あった企業は最終的に10社まで減少しました。一方で国策に協力する巨大企業への企業合同*1を進めた結果、財閥の規模は急拡大し、上位30社の資本金のシェアは1937年の26.8%から終戦時には37.6%に達したといいます。
 
一気に合併を進めた国家によるM&Aも、日本が戦争に敗れると今度は一転、会社分割へと向かいます。命じられたのは財閥解体です。GHQによる集中排除法と企業再整備処置によって18の財閥が解体、50社以上の企業が会社分割、事業譲渡を命じられました。M&Aが戦時体制を支えたという判断から、ホールディングカンパニーや、株式交換などの株式の移転を容易にする手法は全面的に禁止となりました。さらに、独占禁止法によって、企業統合により、経済力が過度に集中することに制限が加えられ、公正かつ自由な競争を促進することになったのです。
 
*1企業合同:同一業種の複数の企業が株式の買収や持合い、受託をおこなったり、持ち株会社を設立し同種企業を傘下に持つなどにより事実上企業として一体化させる企業経営の形態のこと

~昭和末期~近代 バブルと海外企業買収の潮流~

80年代半ばから後半にかけて、急激な円高や国内の株式市場の長期的な好調維持、土地高騰のバブルを背景に、日本企業が外資系企業を買収していきます。この海外企業のM&Aは、世界から注目を浴びました。しかし、バブル崩壊後には多額の借金の負担などが企業に重たくのしかかりました。
 
バブル崩壊後、企業の収益率や国際競争力の回復を目的として、多くの企業が高収益な事業に資産を集中させる経営方針に転換していきます。政府も企業が事業再編を行うための援助として、株式会社・会社分割制度の商法導入などの整備を行いました。加えて民事再生法、会社更生法等の倒産に関する法律の改正を行い、倒産処理過程におけるM&Aの適応範囲を拡大させました。
 
M&Aはこの時代「事業再編の手段」、不況の中で相次いだ「大型企業倒産の処理手段」として活用されていたと言えます。

〜そして現代へ

バブル崩壊後、1990年代後半から2000年代前半においては、国内企業のM&Aの取引件数が急速に増加しています。1980年代後半は、平均232件でしたが、2000年代前半においては平均1497件となっており、約6.4倍まで増加しています。そして日本のM&A件数は2017年度に3,000件を超え、過去最高の数値を記録するまでに成長しました。近年のM&Aの取引の特徴として、業界内の国際競争の激化を背景にした業界内再編の側面が強まっている事が特徴です。
 
背景として、バブル崩壊後経済が低成長化する一方で、発展途上国が勢いを増し、企業間競争が激化し、収益力が低下した点、機関投資家や外国人投資家などの株主の割合が増加し、株式の流動性が高まったことで、企業が売り買いされるものだという意識が徐々に高まった点、そして企業法制の整備が進み、M&Aに関わる諸制度が次々と導入された点がM&A増加の一因と考えられます。

【専門家によるコメント】

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今後、日本企業が関わるM&Aにおいては、1. 中小企業が当事者となるM&A、2. いわゆるクロスボーダーのM&A(日本企業が海外企業を買収するM&A、海外企業が日本企業を買収するM&A)がますます増加していくと思います。
 
1点目は、昨今話題になっている中小企業の後継者不在の問題・廃業リスクに端を発した円滑な事業承継ニーズという日本特有の課題があるためです。日本の雇用の7割を支えるのは中小企業であり、中でも高い技術力のある中小企業が後継者不在による廃業リスクにさらされることは、すなわち日本の産業基盤そのものの弱体化を意味します。中小企業が当事者となるM&Aが増加することはすなわち、日本の産業基盤を次世代、さらにその先の世代へと引き継ぐ重要なミッションの達成であることとイコールだと考えます。
 
2点目は、少子高齢化に伴う日本国内のマーケット縮小に伴い、成長市場を求めて日本企業が海外企業を買収するケースの増加が見込まれるとともに、急成長を遂げている中国をはじめとして、世界的な金融緩和による「金余り」を背景として、外資マネーが日本企業の買収に振り向けられるケースも併せて増加すると考えています。
 
今回は日本のM&Aの歴史を振り返りましたが、最近では当たり前となっている日本企業による海外企業の買収について、その先駆けとなる日本のバブル時代に行われたM&Aの事例を紹介します。近年、ソフトバンクやJT、武田薬品工業による海外企業の買収は世界からも大きな注目を集めていますが、実は、バブル時代にも、日本企業は世界からも注目を浴びるようなM&Aを行っていました。それは、ソニーによる1987年の米国「CBSレコード社」、1989年の米国「コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント社」の買収です。
CBSレコード社はアメリカ三大放送ネットワークの一つである「CBS社」のレコード部門であり、この買収でソニーは世界最大のレコード会社となりました。買収額は約2,700億円、当時、日本企業の買収金額では史上最高でした。そして2年後の1989年には、ソニーは再びアメリカで大型買収を行います。米国大手名門映画会社のコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント社を約5,200億円で買収しました。CBSレコード社とコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント社の買収価額は合わせて「約7,900億円」です。
最近、東京証券取引所マザーズ市場(東証マザーズ)に新規株式公開(IPO)し、初日の取引金額が全市場でトップに立った「メルカリ」の上場初日終値ベースの時価総額が約7,500億円でしたので、その規模の大きさがおわかり頂けると思います。ソニーが買収した企業は、どちらもアメリカのエンターテインメントを代表する企業であったため、バブル当時、多くの日本企業が米国を象徴する企業・不動産を買収してきたことと相まって、アメリカ国内からは日本企業のM&Aに対し反発の声があがるのと同時に、世界からも大きな注目を浴びることとなりました。

 
 

まとめ

台頭する海外の競争勢力へ対応するため、また国内の企業間での熾烈な顧客獲得競争のため、あるいは政府の意図によって半ば淘汰されるように合併したのが、戦前のM&Aでした。一方で、鮎川氏によるM&Aのような企業を再生するプロセスは、非常に近代のM&Aのイメージに近いものです。現在の私たちにも通ずる、ポジティブなM&Aの選択材料になりうるのではないでしょうか。時代とともに企業の形態やM&Aの手法も形を変えてきています。若い企業が次々にM&Aを選択するこの時代は、日本の新たな経済史の成長期なのかもしれません。