現在、医療経営において、「医療」と「経営」をある程度分離して、医師は医療活動に専念する、そして経営面は経営の得意なプロの知見を活用しようという考え方が広まりつつあります。
そして、その具体的な形の1つとして、事業会社が医療法人を譲り受けて経営面を主導するというケースがあります。これは、医療業界における「成長を目指したM&A」(成長略型のM&A)の1つのパターンです。(もう1つには、大きな医療法人グループの傘下に入るというパターンもあります)。
事業会社の経営企画部門などは、マーケティングや営業、IT活用、人材マネジメントなど、一般的に医療経営者があまり得意としていない(時間の制約から積極的に学ぶ機会がない)分野の知見を豊富に有しています。M&Aを通じ、事業会社の経営面のノウハウを導入、活用することで、医療経営のさらなる持続発展を期待することができます。
その反面で、長い間、行政と連携し、非営利事業であるべきとされてきた医療業界において、事業会社が経営を主導することに対する、忌避感、あるいは疑念を持つ医療経営者が、まだまだ多いことも事実です。
そこで、本記事では、事業会社が、医療経営を担うことの意義や有効性について解説していきます。
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医療経営が変化しなければならない背景
まず確認しておきたいのは、今後の医療施設経営は、“普通の会社”である事業会社の経営にどんどん近づいていかざるをえない流れがあることです。その理由はいくつかありますが、主なものを具体的に確認しましょう。
▼患者さんが病院・医師を選ぶ状況の進展
2021年6月、一定の所得がある75歳以上の後期高齢者の医療費窓口負担を、1割から2割に引き上げる医療制度改革関連法が成立しました。ただ、効果は限定的だといわれています。そもそも政府債務の圧縮・財政健全化のために、医療費を含めた社会保障費を削減することは日本の重要課題だと考えられており、今後長期的に見れば、健康保険の給付範囲の縮小、あるいは自己負担比率の上昇(現状の原則3割負担を4割、5割にする)などにより、患者さんが自己負担する医療費額が上昇していくことは不可避かと思われます。
自己負担が増加する流れの中で、自分の出すお金が増える患者さんが、より良い医療サービスを求めて、医療施設や医師を主体的に選択していくことは当然です。すでに、インターネットには医療施設や医師に関する情報交換の場が数多く設けられており、その下地はできています。今後はそれらの情報によって、患者さんに選ばれる病院とそうではない病院の格差がどんどん拡大していきます。
これは医療機関から見れば、質の高い医療サービスを提供することは当然として、それをしっかりと伝えるマーケティング施策を打つなどの集患努力も必須になるということです。そうして「選ばれる病院」にならなければ、生き残ることが難しくなっていくということを意味します。
▼スタッフマネジメントの重要性のアップ
病院で働く医師、看護師をはじめとしたスタッフについても、上記と似た状況になりつつあります。人材不足が構造的に続く医療業界においては、優秀なスタッフであればあるほど、より良い職場で働こうと、自ら選別をします。これには、単に給与の多寡といった待遇面だけではなく、いまでも一部の病院で見られる前近代的な労務管理や人間関係がないか、ありていにいえば「ブラックな職場かどうか」ということも重視されています。さらには、より積極的に経営改革に取り組む病院が、ブランド価値の高い病院として評価され、そのような病院には就労希望者が集まりやすくなることにもつながるかもしれません。
すると、今後は、情報発信や労務管理、人材マネジメントが稚拙な病院は、法律上最低限必要とされるスタッフを集めることにも苦労するようになるでしょう。
▼設備投資、IT投資の必要性の高まり
医療業界は、IT化が遅れている業界です。基本的なITシステムである「電子カルテ」の導入率でさえ、一般医療機関全体の普及率は46.7%(2019年。株式会社ユヤマ調べ)と、半数程度に過ぎません。
まして、コロナ禍以降注目を集めるようになった遠隔診療システムなどの先進的なITシステムは、まだその導入の端緒についたばかりです。こういったITシステムは、導入に多額の費用がかかることはもちろん、導入後の運用についても、システムに合わせたノウハウが必要になります。今後、先んじて導入した医療施設と、そうではない施設との間に格差が広がる懸念があります。
▼普通の事業会社と同様の高い経営意識、経営ノウハウが求められる
以上見てきたような、「マーケティング」「営業活動」「ブランディング」「人材マネジメント」「計数管理」「IT管理」などは、普通の事業会社ならどこでも時間を掛けて改善し、自社独自のノウハウを積み上げている領域です。今後は、医療経営においても、これらの面で経営知見やノウハウを持つ病院と、持たない病院とでは、集患数や利益率に大きな差がつくようになっていくでしょう。そのため、医療経営も普通の事業会社に近づいていかなければならないということです。
しかし、当然ながら、それらの経営知見やノウハウは、一朝一夕に身につけられるものではありません。そこで、本記事のテーマとなる、適切な事業会社との戦略的連携により、それらの経営知見を短期で導入するという選択肢が視野に入るようになるのです。
持続可能な医療サービス提供を可能に
医療経営者の中には、次のように考えられる方も少なくないでしょう。
「そもそも医療事業は非営利事業であり、儲けのために病院経営をしているわけではないし、自分もカネのために医者になったわけではない。地域の患者さんの生命、健康を守ることが医師としての本分であるはずだ」
それはまったくおっしゃる通りです。
しかし、いくら非営利事業とはいえ、赤字が毎年続いていたり、借入金が増え続けていたりする状況だとしたら、決して健全ではないでしょう。
収益性が低く、赤字が続くような医療施設では、えてして、経営者自ら、あるいは医師、看護師などのスタッフが、自己犠牲的な働き方をして病院を支えていることがあります。たとえば、長時間勤務が常態化しているにもかかわらず、きちんと残業代が支払われていないなどのケースは典型的です。そのような状況を、今後も、経営者が代替わりした後も、続けていくことができるでしょうか?
また、赤字が続いていれば、病棟の大規模修繕や建て替え、最新機器の導入などの設備投資もままならないでしょう。それで、今後も患者さんに質の高い医療サービスの提供を続けることができるでしょうか。あるいは、患者さんに選んでもらう病院であり続けることができるでしょうか?。
これらは、医療経営の持続可能性の問題です。
将来にわたって医療施設を長期的に持続させ、地域の患者さんの生命、健康を守り続けるためにこそ、適正な利益を上げていく仕組みを作ることは、これからの医療経営に必要不可欠です。適正な利益を上げて、きちんと内部留保をして、適正な数のスタッフを抱え、しっかりとした待遇を用意する。また適宜、設備投資やマーケティング活動、営業活動にも投資する。このことが、今後も患者さんに選ばれ、地域に自院の医療を残していくことの要件となるのです。
そして、その際に、医療行為は医師の先生に担っていただき、一方、経営面は経営のプロ、たとえば事業会社に任せるという体制をとったほうがいい場合もあります。
事業会社に医療経営を任せることに関する疑問や懸念
経営をプロに任せるという点では納得できても、その相手が事業会社となると、以下のような懸念が生じるかもしれません。
「他業界の者に医業の経営ができるのか」
「事業会社が経営すると利益優先主義になるのではないか」
「医療行為にまで口を出されるのではないか」
いずれも、よくある疑問です。
▼他業界の者に医業の経営ができるのか
医療機関の収支構造(ビジネスモデル)は、比較的シンプルであるため、医業の経験がない事業会社の従業員であっても、ビジネス分析に精通している担当者がその構造を分析し、収益性を高める施策を打ち出すことは、実際上、十分可能です。
(なお、シンプルというのは、医療機関の経営が易しいという意味ではなく、あくまでビジネスモデルの構造の話です。)
少し詳しくみると、収益面では、診療報酬が決められている中で、いかに患者さんの数を増やすかという点がポイントですが、近隣医療施設や介護施設との連携などの営業マーケティング施策、患者さんの評判を良くするためのブランディング施策などが有効になります。また、費用面では、スタッフのモチベーションを保ちながら固定費である人件費を抑制する人事、労務制度改革、ITの導入活用による業務効率化などでも、他業種のノウハウを応用できる部分はたくさんあります。
さらに、総務や経理、経営管理などのバックオフィス業務全般を事業会社に任せることで負担軽減が図れ、医療従事者が医療に集中できる環境構築が期待できる点も大きなメリットといえるでしょう。
ちなみに、人事労務面では、2024年から「医師の働き方改革」が法整備化されることとなっていますが、一般の事業会社では、先行して義務化された働き方改革への対応が進んでいます。この辺りの知見を共有できることも、メリットは大きいでしょう。
▼事業会社が経営すると利益優先主義になるのではないか
次に、事業会社が医療経営に関与すると極端に利益優先主義となり、働くスタッフや患者さんの不利益が生じるような事態になるのではないかと危惧される点ですが、基本的にはそういう心配は不要です。
その理由として、まず、利益至上主義の会社は医療業界に参入してくる可能性が低いことがあげられます。医療業界は診療報酬という形で収益に上限が定められており、また、株式上場もできません。利益至上主義の会社なら、そのような業界ではなく、もっと大きな収益が得られる可能性がある業界に経営リソースを配分するはずだからです。
たとえば、医療業界に参入して成功している事業会社の例として、セコムがありますが、セコムはもともと警備事業によって人々の安全や財産、生命を守ることを経営理念とする会社です。生命を守るという点において、祖業の警備業と共通する理念を実現するために、医療業界に参入したという経緯があります。このように、実際の所は、どちらかといえば経営理念との合致、あるいは周辺業界にあってシナジーが見込める点から医療経営に参入する企業が多いのです。
また、現在は患者さんも情報収集能力が高くなっているため、利益至上主義だけでやっていくことは、長い目で見れば病院の評判を落とし、収益を減らしていく要因となります。経営技術に長けた事業会社がそのような手法をとることは考えにくいものです。
▼医療行為にまで口を出されるのではないか
プロ経営者に経営を任せることは、分業の体制を築くことでもあります。医療行為と施設経営とは車の両輪のようなものであり、どちらがうまくいかなくても、全体がダメになっていきます。その意味でも、プロ経営者が医療行為の内容にまで口を出してくるということは、原則的には考えられません。
事業会社との連携を考える場合の注意点
医療施設が、プロ経営者としての事業会社と連携することには、さまざまなメリットがあることをご理解いただけたでしょうか。
もちろん、事業会社との連携は、地域に持続可能な医療サービスを残していくための、数ある選択肢の中の1つに過ぎません。他の方法がよいケースも多いでしょう。
しかし、もし「事業会社だから」という理由で、最初からその選択肢を排除してしまうとしたら、もったいないことだと思われます。
ただし、事業会社との連携を選択肢に含める場合、当然ながら、相手がだれでもいいというわけにはいきません。事業会社だからといっても、すべてが有能なプロ経営者であるわけではありません。また、先に極端な営利主義に走ることは考えにくいという説明をしましたが、そういう考えで経営をしようする事業会社が絶対にないともいえません。
そこで、その事業会社の経営能力がどの程度のレベルなのか、医療の理念に共鳴しているのかなど、さまざまな角度から、医療施設の経営を任せるのにふさわしいのかどうかが検討されなければなりません。
そういった点を、医療経営者がご自分で見極めることは難しいと思われますので、ぜひ経験豊富なアドバイザーの助力を得ながら、慎重に相手の見極めをなさってください。