本記事では、M&A進行プロセスの各段階において、特に売り手の経営者が注意すべき点や、トラブルになりやすいポイント、M&Aを成功させるためのコツなどについて説明します。なお、医療M&Aの進行プロセスについては、別の記事(医療施設M&AのスキームとM&A進行プロセスの全体像)で解説していますので、そちらもあわせて参照してください。
上場企業に負けない 「高成長型企業」をつくる資金調達メソッド
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検討・準備フェーズにおける注意点
▼「M&Aありき」で臨む必要はない
基本的にM&Aは、いくつかある事業承継の手段のひとつに過ぎないものなので、「M&Aありき」で相談に臨む必要はありません。M&Aによる第三者承継が検討されるのは、子などへの親族承継が難しい場合でしょう。しかし、アドバイザーが介入して助言することにより、難しいと考えられていた親族内承継がうまくいったという事例もあります。また、親族内承継が本当に不可能だとしても、たとえば院内承継など、他の方法のほうが良いこともあり得ます。検討段階においては、自院にとってベストな選択は何かを、アドバイザーとともにゼロベースから考え探っていくような心づもりでいるのがよいでしょう。
▼M&Aをするなら目的を明確に
検討の結果、M&Aを選択するという結論になった場合は、その目的を明確にしておきましょう。これは言い換えると、M&Aにおいて考慮すべき条件の優先順位を決めるということです。たとえば、なるべく早期に病院を引き継いでもらい、地域に医療を残すことを第1の目的=最優先事項とするのであれば、譲渡価額などの面は多少妥協してもいいという考え方にもなるでしょう。逆に、なるべく高い譲渡価額を得ることを第1の目的=最優先事項とするのであれば、そのために、まず病院の内部を改革するといった「急がば回れ」の方法を採ったほうがいいこともあるでしょう。目的を明確にしておかないと、その後の方針もぶれてしまいます。明確にしておけば、M&Aの進行プロセスで壁にぶつかったときも「そもそも何のためにM&Aをするのだっけ」と、考えるための座標軸となります。
▼M&Aアドバイザーは医療業界での実績で選ぶ
M&A成功のためには、それをサポートしてくれるアドバイザーが非常に重要です。アドバイザーの選び方については、別記事(M&Aによる譲渡を検討したら、誰に、何を相談するのか?)でも解説しており、重複する部分もありますが、簡単に説明しておきます。
アドバイザーは、仕事に対する熱意があり、人として信頼できる人物であるといった、一般的な条件に加えて、個人、またはチームとして、医療業界でのM&Aサポートの経験が豊富なことが何より重要です。
ポイントは「医療業界での」という点で、他業界でのM&Aサポート実績がいくら豊富でも、医療業界M&A固有のポイント、たとえば行政の許認可関係などのノウハウを知らないアドバイザーでは、トラブルが生じる可能性も高くなります。また、医療業界でのM&Aサポートの豊富なアドバイザーは、過去の業務を通じて、買い手候補とも幅広いネットワークを持っています。そのため、自院にマッチする適切な相手を見つけやすいということもあります。
マッチング・交渉フェーズにおける注意点
▼目的に沿ったマッチング相手選びを意識する
先に確認した「目的」に沿って、どのような相手に買い手となってほしいかという希望をアドバイザーに遠慮なく話し、アドバイザーに選んでもらうことが大切です。たとえば、「これまでに十分な貯蓄があるので、譲渡価額は低額になっても構わないから若くて志の高い先生に買い手になって欲しい」、「長年尽くしてくれた従業員の雇用を最優先したいので、できれば大きな医療法人に買い手になって欲しい」といったようなことです。これらの情報は、仲介会社にとってもマッチングを考える上でとても重要な情報です。このような買い手に対する希望は、積極的に仲介会社に伝えるようにするとよいでしょう。
▼アドバイザーには“悪いこと”も包み隠さず伝える
M&A仲介会社のアドバイザーに対しては、医療施設の業績、財務などの定量情報は当然のこととして、院内の人間関係、また、理事長一家の家族関係など、非常にセンシティブな情報も知らせなければなりません。
これらの中には、過去に経営上の不備や失敗があったことや現在抱えている患者さんとのトラブルなど、医療経営者にとって、あまり表に出したくない事項が含まれることもあるでしょう。また、医療経営者自身も認識していなかった問題が、M&Aの準備を進める中で発覚することもあります。そのような情報を伝えることに、心理的な抵抗があるかもしれませんが、M&Aを成功に導くためにはアドバイザーを信頼し、話をしておくことが大切です。なぜなら、医療経営者が隠したい情報ほど、往々にして買い手にとって重要な情報であり、これらの情報が後日のデューディリジェンス(買収監査)で発覚した際は、交渉の打ち切りや、譲渡価額の減額などの条件変更を求められるといったことにつながる可能性があるためです。
一般論として、悪い情報が知らされるのが、後になればなるほど、相手の心証は悪くなります。そのため、可能であれば、早期に問題の存在や存在可能性を相手に伝えておくことが交渉上のポイントになります。どの段階で伝えるのがベストなのかは、一概にいえませんが、少なくとも、アドバイザーは問題の存在を把握しておく必要があります。そうすれば、交渉に入る前にそれを解決しておくこともできるかもしれないのです。その意味でも、アドバイザーには、正確な情報を包み隠さずに話しておくことが重要です。
▼ネガティブ情報の例
悪い情報を隠したままM&A交渉を進めても、デューディリジェンスの段階でほとんど発見されます。また、仮に発見されなかったとしても、M&A契約には補償条項がありますので、契約後に発見されれば補償を求められる可能性もあります。売り手の医療経営者が隠したがるネガティブな情報としては、たとえば以下のようなものが代表的です。
【ネガティブな情報の代表例】
・未払いの残業代など、(潜在的な)簿外の債務がある
・患者との間で係争事案を抱えている(もしくは今後争いになりそうな潜在的事案がある)
・医療経営者と関係の良くない親族などが、売却予定の医療法人の社員にいる(出資持分を有している)
・医療施設の建物が既存不適格になっている、大規模な修繕の必要性がある
・土地の定期借地権を設定しており、解約するには違約金が必要である
・看護師の人員基準を満たすため、いわゆる“名義借り”を行っている
・無診療処方を行っている
▼売り手にとっても「バリュエーション」の理解は重要
M&Aにおいては、対象となる医療施設や医療事業の事業価値を評価する必要があります。この事業価値評価は一般的に「バリュエーション(Valuation)」と呼ばれます。M&Aにおける譲渡対価は、バリュエーションの結果による理論的な算定値を“相場”として参照しながら、最終的には売り手と買い手の交渉により決定されます。一昔前は、医療施設の譲渡価額は、「ベッド1床1000万円」をベースに算出するなどといわれることもありましたが、現在では、そのような考え方は採られておらず、基本的に一般的な事業会社のM&Aと同様の考え方が採られています。バリュエーションの代表的な手法には、「類似会社比較法」、「DCF法」、「時価純資産法+営業権法」などがありますが、医療施設のM&Aでは、時価純資産法+営業権法を用いることが一般的です。
買い手にとっては当然ですが、売り手にとっても、バリュエーションについて基本的な理解を持ち、“相場”の算定方法を知っておくことは重要です。そうしないと、売り手と買い手の希望譲渡価額に大きなギャップが生じてしまい、結果的に交渉がまとまらなくなることが多々あるためです。医療M&Aにおいて、売り手と買い手の価額感に差が生じる要因としてよくあるのは、次のような点です。
【希望譲渡価額にギャップが生じる要因】
・医療施設の建物の建て替えや大規模修繕が必要であるにも関わらず、バリュエーションで織り込まれていない(譲渡価額の引き下げ要因)
・医療法人の貸借対照表に、経営者(社員・理事)に対する多額の貸付金があるが、その回収可能性の検討がなされていない(譲渡価額の引き下げ要因)
・買い手が個人の若手医師などの場合で、金融機関などから多額の資金調達をすることが難しい(譲渡価額の引き下げ要因)
・事業譲渡を採用する場合に、その事業にかかる補助金の返還が予想されるにも関わらず、その影響を考慮していない。(譲渡価額の引き上げ要因。通常、返還義務を負うのは売り手となるため)
▼トップ面談は交渉の場というより「お見合い」のようなもの
M&Aにおけるトップ面談は、イメージとしては結婚における「お見合い」のようなものです。このため、最初は自己紹介などからはじまり、売り手、買い手双方の「人となり」を確認するイメージとなります。その場でいきなり価額交渉などをしてしまうことは、お見合いの場でいきなり年収を聞くようなもので、相手に良い印象を与えないことともあります。しかし、場が和んできたら、ビジネスに関する少し突っ込んだ質問をしてもよいでしょう。経験豊富な担当者であれば、売り手と買い手の置かれた状況や経営者の性格などを鑑みた上で、その案件において確認すべきポイントや過去のトップ面談の失敗談を踏まえたNG言動などについて、適切な助言をしてくれるはずなので、事前に確認しておくこともポイントです。
▼デューディリジェンスで特に気をつけたいポイント3点
デューディリジェンスの実施項目は多岐にわたります。一般的には、デューディリジェンスにおいて、なんの問題も発見されない医療施設はほとんどありません。それが小さなものであれば、買い手としても特に条件変更なしに飲み込むことができますが、バリュエーションに大きな影響を与える論点の場合は、条件変更が検討されたり、場合によっては破談につながったりします。医療施設のM&Aにおいて、特に大きな論点となることが多いのは、次の3点です。
①建物の建て替え・大規模修繕の必要性
病床の総量規制の仕組みができた1985年前後に建設された建物は、現在、建て替えや大規模修繕の時期を迎えています。このため、医療施設のM&Aでは、不動産についてのデューディリジェンスが行われることも多く、その結果、建物の帳簿価額が過大であると判断されたり、建て替え等に要する支出を織り込む必要があると判断されたりすることがあります。該当する場合には、譲渡価額の減額調整を求められる可能性があります。
②未払い残業代の有無
古い体質の医療施設では、従業員の時間外労働(残業)に対する給与の支払いを適切に行っていないことがよく見られます。たとえば、着替えの時間を労働時間に含めていない、など、適切に支払っているつもりでも労働基準法通りの支払いになっていないケースもあります。これらの未払い賃金は、従業員が退職後も過去に遡って請求することが可能であるため、潜在的な債務となります。過去の勤務状況から見て該当する場合は、潜在債務として計上されることになります。
③診療報酬の返還事由の可能性
医療施設の中には、無診療処方や人員基準の未充足など、行政の個別指導や適時調査等が実施された場合に、診療報酬を返還しなければならない事由を抱えている施設があります。該当する場合には、M&Aの破談にもつながる大きな問題となります。これらの問題は、上記2点と異なり“お金で解決できない”側面があるため、M&Aを検討し始めた段階から、こういった事実がないか確認をしておく必要があります。
最終契約フェーズにおける注意点
▼最終契約書で注意するポイント
最終契約フェーズでは、契約内容において、どちらかが一方的に有利となるような条項がないか、内容に十分注意して確認しなければなりません。よく問題になるのが、「表明保証」と「損害賠償」です。「表明保証」は、一定時点(契約時点、あるいはクロージング時点)で、契約書に列挙された特定の事項が事実であることを保証するものです。そして、もし将来、その表明保証に反する事態が発覚した場合は、損害賠償などの対応が求められます。
しかし、経営者とはいえ、すべてを隅々まで把握しているわけではないでしょう。自分の知らないところで、スタッフが不正を働いている可能性もあります。そのため、なんでもかんでも幅広く表明保証をしてしまうと、将来にリスクを残します。表明保証の範囲については、十分に検討されなければなりません。
また、損害賠償条項においては、請求可能期間や補償額が、よく問題になります。たとえば、保証の期間は3年から5年が一般的ですが、これを無期限とするといった内容の契約書案が送られてくることもあります。あるいは、補償額は譲渡価額を上限とする、などとするところが、無制限とされることもあります。こうなると、売り手経営者の将来のリスクは非常に大きくなります。
いくつかの医療施設を買収した経験があり、買い慣れている買い手は、このように自分だけに有利な条項を入れてくることもあります。こういった、一方の当事者だけに有利な内容に気がつかないまま、調印して契約が有効になってしまうと後々大きな問題となる危険があります。しかし、法律の専門家ではない医療経営者が契約書を隅々まで読み込んで、将来の問題になりそうな点に気づくことは難しいでしょう。そこで、M&Aの経験豊富なアドバイザーや弁護士の存在が重要になるのです。そういった専門家が関与していれば、契約書で一方だけに有利なことがあれば、それに気づいて医療経営者に知らせてくるはずです。
▼従業員への開示のタイミングと仕方
一般的に、M&Aは、経営者や一部の経営層だけが関与し、一般スタッフには情報を秘匿しながら進められます。これは、「この病院は売りに出されている」といった断片的な情報だけが広まって、スタッフや患者さんに無用の動揺を招かないようにするための配慮です。しかし実務上、「キーマン」となるスタッフにはあらかじめ伝えておいたほうが良い場合もあります。キーマンの範囲はケースバイケースですが、常勤の医師や看護師長、事務長などになります。その他の一般スタッフには、クロージング後に開示します。スタッフを集めて、元経営者と新経営者が揃って、経営権の委譲が実施されたことを説明するのが一般的です。
突然知らされるスタッフは、当然ながら驚きますし不安も感じるでしょう。そこで、M&Aの背景や目的、業務環境や待遇などはこれまでと変わらないこと、よりよい医療施設を目指していくことなどを丁寧に説明することが必要です。なお、M&A契約にもよりますが、医療法人名や病院名を変更しない場合は、患者さんには特に告知しないことが普通です。