企業再生とは
企業再生とは、経営不振に直面している企業の業績不振の原因を改善して企業の維持、再構築を行うことをいいます。
具体的には、過剰な設備投資や営業力不足、競争力不足、事業の多角化の失敗など、企業の業績を悪化させた要因の解消や不採算事業を切り離すことで、経営を再生・安定させます。企業再生には不採算部門の切り離しや法的整理、M&Aなど、いくつかの手法があります。
企業の経営を見直し、不振の原因を取り除くことで再生させる手法である「企業再生」に興味はあるが、どうすれば良いのかわからない、どうすれば成功するのか不安に思っている人も多いのではないでしょうか。
債務超過など経営悪化の要因を取り去ることで、経営破綻状態の企業を立直らせた事例もあります。
本記事では、企業再生を成功させるための参考事例として、国内の3社のケースを取り上げて解説します。是非、専門家と企業再生を進める方は、成功の過程に必要な基礎知識としてお役立てください。
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意識改革から着手して企業再生に成功した「日本航空」
日本と海外の主要都市を結ぶ、日本を代表する航空会社として栄華を誇ったJALにも経営破綻の危機があったことは、ご存知の方も多いかと思います。では、その経営破綻からの企業再生に至る過程を見ていきましょう。
日本航空株式会社(Japan Airlines Co., Ltd.、JAL)は、1951年8月に設立されました。1953年には、日本航空株式会社法(昭和28年法律第154号)によって、国内初の国際線定期航空運送事業の免許会社として発足し、1970年には東京・大阪・名古屋において証券取引所の市場第一部に上場を果たしました。
その後も旅客・貨物運送実績世界一を5年間維持するなど、日本のみならず世界を代表する優良な航空会社として知られるようになります。
1987年には完全民営化され、ホテル事業を始め、教育事業やIT事業などの子会社を設立し、事業の拡大が推進されました。しかしながら、効率・採算性の悪い大型機の導入やホテル事業への参入など、長年にわたる脆弱な企業体質から破綻を迎え、2010年1月に会社更生手続きを申し立てることとなりました。
企業再生に迫られた背景と原因は、国営企業時代からの為替差損*1など長年にわたる放漫経営の影響をはじめ、数多くあげられます。
・供給する座席数が需要に対して過剰になるなど、効率の悪い大型機を主軸に運航していた。
・地方路線の就航が採算性を悪化していた。
・リゾート・ホテル事業や関連企業の拡大など、本業以外の投資が振るわなかった。
・複数の労働組合が存在し、経営の安定化を阻害してきた。
・2008年のリーマンショックによる世界的な不況の影響を受けた。
リーマンショックが最終的な経営破綻の引き金となったことは事実ですが、長年にわたる企業体質が原因といわれています。
企業再生支援機構の下、経営の立直しが図られ、5,215億円にのぼる金融機関による債権放棄、3,500億円の支援機構からの公的資金の注入、株式の100%減資などの再生措置が取られたことが企業再生できた一因と考えられます。あわせて再生の取組みとして、不採算路線からの撤退を含めた路線の見直しや事業規模の縮小、複数回の希望退職の募集をはじめ、子会社の売却や企業年金にかかる費用の削減など広範囲にわたり、大幅なコストダウンが実行されました。
中でも京セラ株式会社の創業者でもある稲盛和夫氏を会長に迎え、社員の徹底した「意識改革」を行ったことが、企業再生の成功を導いたといわれています。経営感覚の向上を図る社内セミナーを何度も実施し、企業の収益性を社員と共有できたことなどが、意識改革として役立ったということです。
先述の通り、経営改革についての取組みを労働組合も前向きに受け止め、企業年金の大幅な削減を了承した点も企業再生の大きな後押しとなりました。その結果、2010年3月期には1,337億円の営業赤字が出ていましたが、2012年3月期には2,049億円の営業黒字を計上し、同年9月には東京証券取引所市場一部に再上場を果たしています。
為替差損 *1:為替相場の変動により発生する損失のこと
ターンアラウンド戦略で企業再生に成功した「カネボウ」
次に化粧品メーカーとして知られるカネボウが、倒産寸前の過大な債務超過を抱えた状態から、企業再生に成功した過程や成功に導いた「ターンアラウンド戦略」について説明します。
カネボウは、1887年に紡績事業を主体とする東京綿商社として創業しました。戦前より化粧品事業をスタートし、その後は名だたる化粧品メーカーとして成長を遂げました。また、1960年代より化粧品以外にも食品や薬品などの新規事業を積極的に推進しました。しかし、化粧品事業は売上を伸ばしていったものの、過剰投資や繊維事業などの赤字事業に資金を回した結果、経営基盤を悪化させ赤字体質から脱却できないところまで状況は深刻化します。
2004年には化粧品事業を分離・独立させ株式会社カネボウ化粧品を設立し、企業再生を成功させました。2006年には花王へ事業を売却して、今日に至ります。企業再生に追い込まれた背景と原因としては、1960年代後半の多角化経営に起因します。
化粧品事業は堅実に成長を見せ、売上げに貢献するものの、複数の事業への過剰投資、繊維事業や食品、薬品などの新規事業に資金を回した結果、成長性の高い化粧品事業に資源を集中できないという状態になりました。
そのため、粉飾決算を繰り返し、2003年9月の時点では629億円もの深刻な債務超過に陥っていたことが判明し、事実上破綻しました。そして、2004年3月には企業再生に向けた、国の産業再生機構による支援が開始されました。
再生の要因としては、化粧品事業を分離・独立させるとともに、事業として可能性のある繊維事業を切り離し、投資ファンドへ売却したことがあげられます。そこに至るまでに事業の可能性を検証し、ガバナンスの修復をはじめ、経営陣の刷新、社内組織体制の見直し、大幅なリストラを実施する「ターンアラウンド戦略」を実行しました。そして再生の目処が立ったことで投資ファンドへの売却へと繋がりました。
カネボウがとったこの企業再生の手法は、収益性の高い化粧品事業と将来性が見込まれる繊維事業を切り離し、企業を存続させることに成功しました。この「ターンアラウンド戦略」とは、企業再生の手法の一つで、業績不振の会社に対して、企業の立直しのために設備投資や事業内容の見直しなどを行い、中長期的な改善案を提出することです。
様々な事業に過剰投資したことで経営悪化した「ダイエー」
中内功氏が、高度経済成長期に主婦の方へ安く、良いものを販売する「主婦の店ダイエー」として創業し、スーパーマーケットのチェーン展開を成功させた、ダイエーの事例を取り上げてみましょう。
株式会社ダイエーは、1957年、大阪市に「主婦の店・ダイエー薬局」1号店を開店します。薬品や食料品、日用雑貨の大量仕入れ、「価格破壊」といわれた安売り販売により事業を拡大し、スーパーマーケット「ダイエー」を全国チェーン展開し、1972年には旧三越を抜いて小売業界で売上高トップに立ちました。
創業当初より薄利多売の安売り販売に加え、50年代に米国で台頭したプライベートブランド(PB)戦略をいち早く取り入れるなど、流通コストを抑えた効率的なビジネスモデルを確立したことでも知られます。
日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターをオープンさせ、グループ内のハンバーガーチェーン「ドムドム」をテナントに入れるなど、斬新なビジネス手法を採り入れ、長らく流通業界のトップに君臨しました。創業者である中内功氏は「流通業界の風雲児」とも称され、カリスマ経営者として威光を放ち、福岡ダイエーホークスの経営やコンビニエンスストア「ローソン」、出版大手のリクルート社など、多角化経営に突き進み、一時は300社を擁する巨大グループ会社へと成長を遂げます。
ところが、バブルが崩壊するとともに多額の負債を抱えることになります。ダイエーは、バブル期に土地を次々と購入して建物を建設し、価格の上昇を見込んだ将来の含み益を狙うビジネスモデルや、相乗効果(シナジー)を狙った事業の多角化を行っていました。そのため、バブルが崩壊するとともに多額の負債を抱えることになり経営に大打撃を与えました。
それ以外にも次世代の新業態として期待された欧米の流通スタイルを日本に輸入しながら、日本の消費者に受け入れられることなく、大きな赤字を生んだことがあげられます。そして2004年に産業再生支援機構による経営再建が決定され、本格的な企業再生へと動き出しました。
福岡ダイエーホークスはソフトバンク、ローソンは三菱商事へ売却されたのをはじめ、リクルートは独立、福岡ドームは外資系投資会社へ売却するなど、大きな事業の柱であるグループ会社の再編が進む中、不採算のダイエーの店舗を大量に閉店させるなど、企業再生に向け大きなかじ取りがなされました。その後、本体のダイエーは総合商社丸紅の傘下を経て、2013年にはイオンの連結子会社となります。
3度の金融支援を受け、産業再生支援機構からも支援を受けるなど、約10年にわたり企業再生が進んでいたにも関わらず、ダイエーは赤字体質から抜け出すことができませんでした。その後2014年には、上場廃止とともにイオンの完全子会社となり、ダイエーは事実上消滅することになりました。リストラをはじめ様々な企業再生プログラムが進む中、安価なアパレルブランドの台頭やダイエーの店舗の老朽化が進み、思うようにスクラップ&ビルド*2にコストを捻出できなかったこと、また安さの追求だけでは、いつまでも収益に結びつかなかったことも企業再生に失敗した大きな要因といわれています。
歴史ある企業を再生するには、競合他社と戦う体力やブランド力を維持・向上できるかが重要なカギとなった事例といえるでしょう。
スクラップ&ビルド *2:老朽化したり陳腐化したりして、物理的または機能的に古くなった非効率な設備を廃棄・廃止し、高能率の新しい設備に置き換えること
まとめ
本記事では、JAL、カネボウ、ダイエーといった大企業が何故、企業再生に至ったのか、またどのように企業再生を行い、その後どうなったのか具体的な事例を紹介しました。
企業再生は不良債権の処理をはじめ、不採算事業の切り離しや経営陣の刷新、組織の見直し、リストラの実施などにより、改めて採算性・将来性のある事業に経営を集中することを目標に行い、経営を安定させるためのひとつの手法として知られています。
企業を存続させるためには、慢性的な赤字体質を脱却するための大きな改革も必要であり、企業再生を検討している担当の方や経営者は、企業再生コンサルタントやM&Aアドバイザーなどの専門家と相談しながら、企業再生の可能性を模索してみてはいかがでしょうか。