目次
「子が病院を継ぐのは当たり前」?
現在、病院・クリニックなどの医業経営をしている経営者には、経営する施設をいずれは我が子に引き継いでもらいたいと考えている方も多いでしょう。心血を注いで経営してきた医療施設を子に継いでもらい、将来まで長らく繁栄・成長させてもらいたいと考えるのは、ごく自然な感情です。とくに、ご自身が親(あるいはその他の親族)から病院の経営を引き継いだ経営者の場合、「自分も親から病院を引き継いだのだから、自分の子も引き継ぐはず」と、当然のように考えている方が多くいらっしゃいます。しかし、現代の医業承継をめぐる状況は、まったく異なっているのが現実です。つまり、経営者に子がいたとしても、その子が引き継がないケースが往々にしてある、というより、そのケースのほうが普通になっているのです。その背景には、現在の医療経営者の世代と、その子の世代における意識ギャップやコミュニケーションなど、さまざまな要因があります。
そこで本記事では、なぜ、子が病院・クリニックを引き継がなくなったのか、そして円満な医療施設の承継のためにはどうすればいいのかを考えてみます。
▷関連記事:M&Aとは?M&Aの意味・流れ・手法など基本を分かりやすく【動画付】
「子が跡を継ぐ」と決まっている医療施設は約1割しかない
日本医師会総合政策研究機構が2019年1月に発表したワーキングペーパー「医業承継の現状と課題」によると、2017年における医療施設の後継者不在率は下記のようになっています。
・診療所(有床・無床):86.1%が後継者不在(13.9%が後継者決定)
・病院:68.4%が後継者不在(31.6%が後継者決定)
なお、ここでの「後継者不在」とは、調査時点で決まっていないものを意味しているので、理事長がまだ若く、事業承継が具体的に射程に入っていないために未定となっているケースも含まれていると思われる点には留意してください。
一方、同ワーキングペーパーには、「すでに後継者が決まっている医療施設」における、後継者の属性調査も掲載されています。
<図1 後継者の属性>
診療所(有床・無床)においては、52.9%で子が承継すると回答されていますが、病院においては子が承継すると回答した割合は34.8%と、約3分の1にすぎません。
次に、「後継者が決まっている」医療施設と、「後継者は子にする」医療施設を掛け合わせれれば、医療施設全体において、「後継者が子と決まっている」施設の割合がどれくらいなのかがわかります。
・診療所(有床・無床):後継者が決定13.9%×後継者は子52.9%=約7.3%
・病院:後継者が決定31.6%×後継者は子34.8%=約11%
このように、診療所、病院のいずれにおいても、「後継者が子と決まっている」施設は、1割程度しかありません。ここからわかるのは、「経営者の子が病院、診療所を引き継がない」、あるいはそのために、「後継者がいない」というのは決して特別な状況ではなく、むしろ大半の医療施設が直面している課題になっているという現実です。
子が医業を承継しない理由(1)子の意識の変化に、親世代が気づいていない
子が医療経営を引き継がないケースが増えている理由はなんなのでしょうか。
子が医師ではない
まず、基本的な事項を確認しておきます。子に医業を引き継いでもらう場合は、子が医師免許を持った医師であることが、ほぼ必須の要件になります。医療法人の場合は、経営業務の執行機関は理事会であり、そのトップは理事長です。経営トップとなる理事長職には、原則として医師でなければ就くことができません。(例外として、長期間、常務理事などとして病院経営に携わってきた人の場合には、都道府県の許可を得ることで理事長職に就ける場合があります。ただしそれが認められるかどうかは、都道府県の個別の判断によります)。したがって、経営者に子がいたとしても、医師になっていなければ引き継ぎはできません。
医師ではあっても目指す理想や思いが異なる
医療経営者である親の世代と、子の世代のギャップがあるのに、そのことに親世代が気づいていないということがあります。たとえば、子が医師であったとしても、親のやっている医療とは別の理想を目指していることは往々にしてあります。「医療で人を救いたい」という思いは親から受け継いで医師になった子でも、臨床よりも研究の道に進むことで医療に貢献したいという人もいます。子が優秀であればあるほど、早期から大学で研究者としての一定のポストを与えられたり、海外の研究機関や大学で働くようになったりすることがあるでしょう。これは親子でそれぞれが目指す「理想」が異なっているということであり、調整することは難しい場合が多いでしょう。
診療科、あるいは仕事としてやりたい専門性が異なる
地域の医療に貢献したいという理想は同じでも、診療科が違っていることも、よくあります。極端にいえば、親が精神科医で、子が心臓外科医であれば、精神科病院を子が承継したくなる可能性は限りなく低いでしょう。さらには、仮に診療科が同じだったとしても、「そもそも自分は専門技術者としての医師になりたかったのであって、経営者になりたいわけではない」という人もいます。親と子が同じ医師だからといって、理念や思いまで同じかといえば、そんなことはまったくないということです。
ワークライフバランスなど、働き方への意識が違う
現在の病院経営者の平均年齢は約64歳ですが、この世代、あるいはもっと上の世代の方々は、人生のすべてを仕事に捧げてきたタイプの方が多いでしょう。昼間は医師として診療をし、夜は宿直をして時には急患にも対応し、その上で最新医学の勉強をし、さらには経営者として経営管理の仕事もこなしてきたはずです。休む間もないハードワークですが、やりがいと充実感を持って主体的に取り組んできた方がほとんどでしょう。だからこそ、高い社会的ステータスと報酬を得られて、地元で名士として尊敬されるようになったはずです。ところが、現在の30代、40代の世代においては、ワークライフバランスや、仕事以外のプライベートな時間を大切に考える人が増えています。それは、医療業界においても変わらず、上述のような医業経営者としての人生を必ずしも肯定的に捉えない若い世代の医師が増えているのです。そのような世代の感覚からすると、たとえ高いステータスや報酬が得られるとしても、病院経営者の仕事中心の人生は、決して求めるものではないと感じられるのでしょう。
子が医業を承継しない理由(2)コミュニケーション不足
仮に、親世代と子世代に意識のギャップがあったとしても、早期から家庭内で密なコミュニケーションを心がけて、そのギャップを埋める努力をしていれば、子への承継は可能になるかもしれません。たとえば、地方都市にある病院経営者の子が、東京や大阪の大学に進学して医師国家試験に合格したとします。その後、診療科を選ぶ初期臨床研修の2年目、あるいは後期研修の段階で、いずれは自院を継いで欲しいことや、その意義、そして自院内でしかるべきキャリアパスを用意すること、などをきちんと伝えて親子でじっくりと話あう機会を持つべきです。そうすれば子のほうでも、心の準備を整えることができますし、公私ともに、それに応じたキャリアパスの設計を考えるでしょう。
ところが、実際は、「自分の子なのだから病院を継ぐのが当たり前だろう」と考えて、そういったコミュニケーションを取らない医療経営者のほうが多いのです。そのため、次のような問題が生じます。
子の家庭環境の変化、家族の反対
よくあるのが、東京などの都市部で勤務医をしながら結婚して家を買い、子どもを持ってしまうケースです。子どもがいない段階であっても、将来の子どもの教育環境という理由で、出身地に戻ることに配偶者が反対することはあります。まして、子どもができて「お受験」の準備を始めたり、有名幼稚園や有名小学校に入学したりしてしまうと、親元に戻ることはまず不可能になります。少なくとも、その子が大学に入るくらいまでは、東京から離れることはできません。では、仮に子の子ども(孫)が20歳になって、親が離れてもいいとなったときはどうでしょうか。このとき、経営者の子は50歳になっているとします。では、50歳まで勤務医として組織の中で働いてきた医師が、いきなり病院を引き継いで経営ができるかといえば、相当にハードルが高いことは容易に想像がつきます。親としても「まかせて大丈夫だろうか?」と心配になるのは当然で、結局はまかせられないという結論になることもよくあります。
医療経営に関する情報の提供不足
コミュニケーション不足の一形態として、「ゆくゆくは、お前には病院経営を継いでほしい」といいながら、その一方で、具体的な経営状況などをまったく伝えていないケースがあります。かつては、診療報酬が基本的に上昇していき、特別な経営努力をしなくても集患ができた時代がありました。現在の医療経営者の多くが病院を開業、または先代から引き継いだのは、そういった医療経営者にとって幸福な時代だったでしょう。しかし、現在はまったく事情が異なります。患者さんはネットで情報収集しながら病院を選ぶため、集患努力が欠かせず、また、人手不足を背景にスタッフ管理の困難度も増しています。病院経営の舵取りは、年々難しくなっており、少し油断すれば業績はすぐにマイナスになってしまいます。さらに、多くの病院では老朽化した病棟の建て替え問題に直面しています。そのような中で、集患数や入院日数、売上、利益、人件費などの基本的な業績数値(損益計算書)、資産、負債などの財務状況(貸借対照表)、さらには、地域の医療ニーズや競合医療施設の状態(市場調査)などの経営判断資料すら提示されなければ、子としても承継をするべきか否か、その判断はできません。子が優秀であればあるほど、また、真面目で責任感が強ければ強いほど、そう感じるはずです。
子に継がせたいのなら、今すぐ対策を取り、早期に結論を出す
子に医療経営を継いでもらいたいと考えるのであれば、大切なのは以下の3つのポイントです。
①早期に綿密なコミュニケーションをとり、親子ともに意志決定をする
子が初期臨床研修に入ったとき、後期研修後、他院へ就職時(もしくは大学院への進学時)、婚約時など、医師としてのキャリアの節目あるいはライフステージの節目で、しっかりと「家族会議」を開き、忌憚のない話をしておくことがなによりも大切です。「病院の家の子なのだから、いわなくてもわかるだろう」という考えは、通用しません。
②経営状況に関する現況(IR資料)をまとめて提示する
IRとは、Investor Relationsの略で、上場企業などが株主・投資家に対しておこなう情報発信活動のことを指します。病院経営においては、上場企業のように経営内容を広く一般に公開する必要はありません。しかし、事業承継を考えるのであれば、少なくともその関係者に病院の経営状況を客観的に伝える資料を作成して提示することは必要でしょう。
③子が引き継ぐと決めたら、なるべく早く自院に入り準備を始める
①②を踏まえて、子が事業承継をすると決めたのなら、なるべく早い時期に、何らかの形で子が自院に入ることも大切です。先にも述べたように、今後の医業経営は、どんどん厳しさを増していきます。それに対応して医療経営の舵取りをまかせられるようにするためには、経営者として相応の力が必要です。ところが、子は、大学やその後の研修で、医師になるための教育は受けていますが、経営者になるための教育はまったく受けていません。そこで、通常、10年程度の長期計画を立てて、親が伴走しながら子に経営者教育をしていく必要があるのです。そのため、なるべく早く自院に戻り、経営承継に向けた準備を始める必要があります。なお、10年という期間は、中小企業庁などが作成している事業承継計画書などでも用いられており、標準的な後継者育成期間です。もちろん、絶対に10年が必要というわけではありませんが、ひとつの目安にはなるでしょう。
早期の対策で地域医療の不幸を防ぐ
医療経営にとって最悪なのは、経営者が「自分が働けるうちは経営をしよう。働けなくなったら、子どもが跡を継いでくれるだろう」と、体が動かなくなるぎりぎり近くまで働き、いざその時になったら、子どもにはまったくその気がないということがわかった、というケースです。こうなると、急いでM&Aを検討するしかありませんが、その時に都合良く適切な買い手が見つかるかどうかもわかりませんし、なんでもそうですが、売り急げばそれだけ相手に「足元を見られる」ことになりがちです。結局、望ましくない結果になってしまうこともあります。現在、子への承継を検討なさっている医療経営者のかたは、ぜひとも早めの対策を取られることをおすすめします。
そして、先に述べた①~③の対策をご自身だけで行うことに不安があるのなら、ぜひ医療承継サポート専門家にご相談ください。