会社の譲渡・売却を成功させるためのポイント

【会社を売りたい】会社売却の方法やメリット、成功するためのポイント

近年、高齢化や後継者問題、経営の先行き不安などを受けて、M&Aによって自社の譲渡を行う企業が増加しています。
しかし、譲渡の方法やメリット、注意点などを把握している方はまだまだ多くはないでしょう。また、既に譲渡を検討している場合でも、どのようなタイミングで譲渡すべきかの判断は難しいことも多々あります。

会社の譲渡とは

会社の譲渡とは、一般的に株式の譲渡により経営権を譲渡することを指します。会社を譲渡することで「売却益を得る」や「事業のさらなる成長が見込める」、「後継者問題を解決する」など様々なメリットが考えられます。

会社を譲渡する経営者の増加

日本の中小企業では後継者不在が深刻な課題となっています。この様な背景の中、M&Aによる第三者承継を選択する経営者が増加しており、中小企業のM&A実施件数は近年増加傾向で、事業承継の手法としてM&Aを選択するケースが多くなっていることがわかります。

中小企業M&A件数の推移

中小企業M&A件数の推移

※主要M&A仲介会社及び事業承継・引継ぎ支援センターでの成約件数を合算したもの ※中小企業庁「中小M&A推進計画」よりfundbookが図を作成

近年は業界毎の先行き不安解消や、企業にとって事業を拡大する成長戦略として広く認識されるようになり、M&Aは経営戦略の1つとして有効活用されるようになってきました。

会社を譲渡するメリット

創業者利潤の獲得

自社を譲渡することで、対価としてまとまったお金を手に入れることができます。こうした創業者利潤は次の事業展開、老後の資金などさまざまな用途に使うことができます。
また、株式を譲渡することで得られる譲渡対価によって、新たに事業を起こすための資金にすることもできます。以前はイグジットの方法としてはIPO(新規上場)が一般的でしたが、IPOには多くの時間が求められることや、監査など乗り越えるべきハードルが多々あります。
一方、譲渡は比較的短時間で達成できることや、大企業の傘下に入ることで売却後の経営基盤を安定できることなどから、イグジットの手段としても注目されるようになったのです。

後継者問題の解決

日本の中小企業にとって、後継者不在は深刻な問題となっています。少子化に加え、以前は経営者の子どもを後継者とすることが当たり前でしたが、現代では徐々に価値観が変化し、自身と同じ思いを子どもにさせたくないなどの理由から、後継者が不在となる企業が増加しています。会社を譲渡することは、親族ではない第三者に経営権を譲渡することですので、こうした後継者不在の課題も解決することが可能です。

個人保証の解除

経営者には、会社の債務に対して個人保証を設定されている場合があります会社が金融機関などから融資を受ける時に連帯保証が求められ、会社経営者が個人保証として設定されているという状態です。連帯保証は、金融機関から支払請求された場合には会社とともに支払う必要が出てきます。
精神的な負担も多い個人保証を含めて、親族などに会社を引き継いでもらうことは難しく、個人保証はどうしても足かせになってしまいます。会社を譲渡する場合は、個人保証も含めて譲受企業に引き継がれることが一般的ですので、個人保証から解放されることになります。個人保証が設定されている場合には、会社を譲渡することで得られるメリットの一つとなります。

企業としてのさらなる成長

会社を譲渡することで譲受企業のもと、企業としてさらに成長出来る可能性があります。大手グループの傘下に入るなどした場合、資金面やノウハウ面、人材面や設備面などあらゆる面で補完してもらえる可能性が考えられ、さらに譲受企業が同様の事業を営んでいる場合、技術や営業販路などでシナジーを期待することが出来ます。

OUR CASES

成約実績

  • M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    岡山県津山市で1962年に設立した株式会社セキサンは、地域密着の老舗ガス会社です。代表取締役社長の苅田裕也氏は、数年前から事業承継の一つの手段としてM&Aを検討し始めていましたが、あるときLPガス卸大手である株式会社サイサンのM&A事例を見て、「M&Aは会社が繁栄に向かうための手段だ」と気づきました。サイサンとのご縁があり、専務取締役の早瀬芳憲氏とともにM&A成約に向けて動き始めました。

    しかし、M&Aについて公表された幹部社員からは現状維持を望む声も。お客さまと従業員、そして会社の将来を思う気持ちは同じでありながらも、そのためにM&Aに踏み切るべきか見解が分かれてしまったのです。熱心に説明を重ねるうちに、サイサンがグループ企業の独自性・自主性・地域性を重んじる姿勢であることが伝わり、2024年3月にM&Aが成約。サイサンがグローバルに展開するブランド「Gas One (ガスワン)」のグループの一員となりました。

    M&Aの検討から成約に至るまでの経緯や、セキサンが今後描くビジョンについて、苅田氏と早瀬氏にお話を伺いました。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    父から経営を継いで30年。地域密着の信頼厚い老舗ガス会社

    セキサン様の事業内容や強みをお教えください。

    苅田氏:当社はLPガス・高圧ガスの販売やリフォーム事業を手がけているほか、関連会社のセキサンリテーリング株式会社にてガソリンスタンドも運営しています。地域密着の老舗ガス会社として、地元の皆様との強い絆を築きながら信頼を培ってきたことが強みだと思っています。

    苅田様のご経歴をお教えいただけますか?

    苅田氏:高校卒業後に大学進学で上京し、社会人になってからは出版業界で編集などの仕事をしていました。30歳を過ぎた頃から家やセキサンのことが気になってきていた矢先、先代社長である父が病気で倒れてしまい、それがきっかけで1995年に津山市に戻り、セキサンに入社しました。

    入社直後、取締役に就任して業務を学び、会社の経営は父の右腕として会社を率いていた当時の専務取締役が切り盛りしてくださっていました。そして2年後の1997年に30代で代表取締役社長に就任し、もう30年近く社長を務めています。

    社長に就任してから、どのようなことを意識して経営を続けてきましたか?

    苅田氏:先代社長が、創業の精神である「真心」を大切にしようとよく言っていました。「真心をもって、縁ある人のお役に立てるよう日々研鑽に努め、チャレンジし続けることによって全社員の物心両面の幸福を追求するとともに、社会の平和と繁栄に寄与する」。私の代になってからも、この企業理念を実現する行動を常に意識してきました。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦
    株式会社セキサン 苅田裕也氏

    M&Aは「前向きな経営戦略」。大手グループの一員になりたいと思った

    苅田様がM&Aをご検討され始めた時期やきっかけをお聞かせください。

    苅田氏:fundbookさんと出会ったのは2020年でしたが、それ以前にもほかのM&A仲介会社やメーカーなどからM&Aでの譲渡の提案が持ちかけられることが何度かありました。私も周りの同世代の経営者と同様、後継者をどうすべきか悩んでいたので、M&Aも選択肢の一つとして考えてはいたのですが、当時は諸事情によりすぐには踏み切れない状況に置かれていました。

    その諸事情が解決するまでの間、fundbookさんのセミナーに参加したり、色々なM&Aの事例を見たりして自分なりに勉強をしてみたところ、M&Aの目的は後継者問題の解決が本質ではないと気づいたのです。今後も業界の再編が進んでいくでしょうし、規模の経済が働く業界ですから、成長するためにはセキサン単体で突き進んでいくより、大きなグループの力を借りたほうがいいという気持ちになりました。

    どういったM&A事例から、M&Aの目的に対する認識が変わったのでしょうか?

    苅田氏:まさに、今回当社がM&Aを実施したサイサンさんの事例に最大の気づきを与えられました。経営者としては、M&Aをした後に会社がどうなるのかが一番不安なものです。fundbookさんからM&Aのお相手にサイサンさんを提案いただいた際、開示できる範囲でサイサンさんのこれまでのM&A事例を丁寧に教えていただいたのですが、後継者がいながらもガスワングループに入り、地元でさらに成長・発展を遂げていらっしゃる企業があると知ったんです。「これはもう後継者不在だからM&Aをするのではない。セキサンの将来を考えたうえでも、M&Aは積極的かつ前向きな経営戦略の一つになる」と、M&Aに対する見方が変わりました。

    サイサンさんの川本武彦社長の著書『ガスワン三代』(ダイヤモンド社、2010年)も読んだのですが、各社のカラーや従業員を大切にするサイサン流のM&Aで成長していることや、国内外を含めたグループ経営で強化をめざしていることなどがはっきり書かれています。2045年の創業100周年に向けて、「アジア・太平洋地域において総合エネルギー・生活関連事業でリーディング企業になる」という目標を、ガスワングループで達成していくのだと。各社を尊重しながらグループで力を合わせる考えにとても共感し、私たちもガスワングループの一員になりたいと思いました。

    サイサン様は、まさに苅田様がM&Aをしたいと心から思えるお相手だったのですね。

    苅田氏:実は、M&Aを検討する何年か前にも青年会議所の活動を通じて川本社長とお会いしたことがあり、当時から異色の会社さんだなと注目をしていました。サイサンさんは親子3代で着実に会社を成長させてこられていますし、業界でも珍しく都市ガスの会社も傘下に入れられています。

    それに、ガス業界は大手企業間で国内のシェア争いが繰り広げられている一方で、サイサンさんは早期から海外展開を進められています。斜陽化が懸念される業界の中でも、まだまだ勢いの止まらない力強い会社さんだなという印象で、どうグループを拡大させているのか、その戦略にも関心を寄せていました。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    早瀬様は最初に苅田様からM&Aの意向を聞いたとき、どういうお気持ちになりましたか?

    早瀬氏:以前からいろんなM&A仲介会社が来社していたことは知っていましたが、苅田社長から最初にM&Aの具体的な考えが伝えられたのは2023年に入った頃でした。ただ、その当時の私は「苅田社長はまだまだ若いし、もっと社長にオーナーとして続けてほしい」という気持ちが強かったので、失礼ながらあえて話を軽く受け流していたんです。しかし、その年の春ごろにはもう社長の意思は固いということが私も理解でき、「当然、私が手伝わないといけないな」と、心境がだんだん変化していきました。

    M&Aのお相手がサイサン様と知った際は、早瀬様はどういう思いを持ちましたか?

    早瀬氏:遠方の会社さんなので当初はイメージが湧かなかったのですが、詳しく知っていくうちに当社のカルチャーと重なるところが多々あるという印象を受けました。fundbookさんからサイサンさんについて詳しく聞かせてもらったり、自分でも調べたりしていくうちに、「サイサンさんとならM&Aを進めていいのではないか」という考えが私の中でも固まっていき、そこから一気にM&Aに向けて進み始めました。

    株式会社セキサン 早瀬芳憲氏

    お客さまと従業員を思う気持ちは同じ。幹部社員への説明に奔走

    サイサン様とのトップ面談では、どのようなお話をされましたか?

    苅田氏:川本社長から「サイサンのカラーになるのではなく、地元に根差したセキサンのカラーを貫いてほしい」と言っていただけたんです。『ガスワン三代』に書いてある通りだと思いましたね。国内だけでなく、海外で拠点を立ち上げるときもその土地の文化や風習を大切にしながら活動されているそうで、すごく興味深いお話を色々と聞かせていただきました。

    早瀬氏:当社の独自性や自主性を保ってほしいと話していただけて、サイサンさんの姿勢にさらに魅力を感じました。地方は特に人口減少が加速しているため、生き残りと成長のためには規模の拡大がどうしても必要です。私はサイサンさんとのM&Aがセキサンと従業員を守ることにつながると信じて苅田社長についてきたものですから、その言葉ですごく安心できました。

    M&Aを進めるうえで、大変だったことはありましたか?

    早瀬氏:M&Aは成約に至ってから社内に知らせるのが通常の手順だと思いますが、当社の場合は持株会があったため、初期は苅田社長と私の二人だけで進めつつも、ある段階で幹部社員だけには話をしておくことにしたのです。正直なところ、彼らに納得してもらうまでが少し難航しましたね。

    幹部社員は30年、40年とセキサンで勤めてきた人たちです。代々続くセキサンの苅田社長のもとで頑張ってきたのに、M&Aで譲渡するとなればオーナーが変わるわけなので、なかなかすぐには「そうですか」と受け入れられない気持ちは私も十分理解できます。決してお相手のサイサンさんに何か思っているのではなく、M&Aをすること自体に対して疑問を持ったようで、様々な意見が投げかけられました。

    苅田氏:幹部社員としては、自分のことよりお客さまや従業員が心配だったようです。地域密着のセキサンですから、遠方の企業がオーナーになるとお得意様が離れたり、動揺した従業員が辞めたり、業務が滞ったりするのではないかといった声があがっていました。実際にはM&A後にお客さまの離脱や従業員の退職はなかったのですが、やはり当初は不安が大きかったのだと思います。

    当社がM&Aをする理由は、将来にわたって繁栄していくためです。しかし、何もしなければ10年は現状維持できたところを、もしM&Aが間違った手段となっていれば逆に短命になる可能性があるから、もっと慎重に行くべきだという意見もありました。

    早瀬氏:苅田社長と私の二人だけで進めていたことに対しても、「なんで相談してくれなかったのか」という思いを打ちつけられました。説明は大変でしたが、幹部社員から会社と従業員とお客さまを思う意見が聞けて、皆が愛社精神を強く持っているんだなと改めて実感もしましたね。

    最初は批判が出るのも仕方がないと思うんです。ただ、せっかく会社の繁栄に向けたM&Aになるはずが、成約前に私たち二人と幹部社員の間で軋轢が生まれてしまっては元も子もありませんですから、fundbookさんが矢面に立つ役目を担ってくれたり、抱えている悩みについて相談にのってくれたりして、すごく助かりました。

    幹部社員の皆様からご納得いただくために、お二人はどのように努めてこられたのでしょうか?

    早瀬氏:とにかく話し合う機会を何度も設けました。セキサンと従業員の将来を守りたい苅田社長の気持ちと、その上でサイサンさんとのM&Aがベストな道になることを、少しずつでも理解してもらえるように説明し続けました。

    苅田氏:どんな理由でこういう経緯に至ったのかなど、私たちから幹部社員に向けて伝えていることは毎回ずっと同じだったんです。ですが、回数を重ねることが大切でした。サイサンさんとは当初2024年3月のM&A成約をめざしていたところ、社員からは「(M&A成約まで)もっと時間がほしい」という意見も出ていました。ただ、時期を先延ばしにしてかえって状況が悪くなる事態だけは避けたいと思い、予定通り3月の成約をめざして進めてきました。

    限られた期間でハードなスケジュールだったにもかかわらず、サイサンさんには役員会に通す事項などをいつもスピーディーに対応いただいたり、2回目のトップ面談では埼玉県の本社や現場をご案内いただいたりと、常に全面的な協力をいただけてとてもありがたかったです。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    事業や商品が拡充しても、地域密着で変わらぬ真心のサービスを届けていく

    M&Aが成約したときのお二人のお気持ちはいかがでしたか?

    苅田氏:やっと成約まで来られたけど、ここからがスタートだなと身が引き締まりました。今度は従業員にも、ガスワングループとして新たなスタートを切った意識を定着させていかなければいけませんから。

    早瀬氏:成約するまでは本当にいろんなことがあったので、私としては「やっとここまで来たか」という気持ちが正直なところでした。

    従業員の皆様には、サイサン様とのM&A成約をどのようにお伝えしたのでしょうか?

    苅田氏:クロージングの日に従業員全員に集まってもらい、私たちが作った資料を見せながら、資本提携とはどういうことなのか、サイサンさんはどのような会社なのかなど、1時間ほどかけて基本的なことから話をしました。また、幹部社員の数名がデューディリジェンスの段階から携わっていたので、気になることは部署ごとでも随時回答できる体制にしていました。

    もう一つ、従業員がもしお客さまやお取引先さまからM&Aについて聞かれたときにも、誤解を与えず正確に説明できるよう、社内向けにFAQも作成しました。そこにも、友好的かつ包括的な資本提携であることや、変わらぬ真心のサービスを提供していくことなどを、改めて明記しています。

    お客さまはセキサン様のM&A実施をどう受け止めていらっしゃいますか?

    苅田氏:M&A実施について当社からはメディア等で大きく広報はしておらず、お客さまやお取引先さまを訪問した際に個別にお伝えしているのですが、どちらも私たちが驚くほど自然に受け止めていただけているんです。

    M&A成約後にサイサンさんから1名が代表取締役専務として出向してくださっていて、年末には一緒に各方面へご挨拶に回ったのですが、お客さまのほうから「変わらぬお取引をお願いします」と言っていただくばかりで、すごくありがたく思いました。現場の従業員がしっかり伝えてくれていたこともよく分かりました。

    M&A成約後にセキサン様で変化したことなど、近況をお聞かせください。

    苅田氏:グループ入りしてまだ1年目(取材時)なので、業績などが一気に変化したわけでありませんが、想像以上にいろんなことが順調に進んでいます。経営に関しては、将来的にセキサンの社内から幹部や社長を輩出できる体制を構築したく、まずは数年先を目途にサイサンさんから出向してくださっている代表取締役専務が新社長に就任する計画です。今はスムーズな引き継ぎができるよう、準備をしているところです。

    事業や現場の業務においては、同じガスワングループで隣の広島県にある会社さんと共同でできる活動を企画しているほか、新たな種類のガスの充填も開始しました。また、グループが展開する電力サービス「エネワンでんき」や、ウォーターサーバー「ウォーターワン」などもラインアップされ、取扱商品が増えてきています。嬉しいことに、今まで控えめなタイプだった従業員が、電力サービスの販売で頭角を現したりしています。

    早瀬氏:商品や事業が拡充すると従業員も最初は大変だったと思いますが、同時に「グループ入りして、何か良い方向に変わるんじゃないか」といった期待も膨らんでいるようです。

    ただ、M&A直後からあらゆる面が急激に変わってしまうと、それこそ当社の独自性や自主性が損なわれかねませんから、無理に変化しようとするのではなく、引き続き今のペースで徐々に前進していければいいと考えています。

    苅田氏:それと、当社に来てくださるサイサンさんのスタッフの方々はいつも礼儀正しく、なおかつ仲間として接してくださっていることを、従業員の皆も身をもって実感してくれているようです。サイサンさんは地域や従業員を大切にしてくださっていますし、実際にはセキサンのオーナーは変わったとはいえ、地域密着の会社としての良さを引き続き貫き通すことができています。

    グローバルグループの一員として、津山市のセキサンを重要な拠点にしていく

    ガスワングループの一員となったセキサン様。今はどのようなことを心掛けて業務にあたっていますか?

    苅田氏:サイサンさんが社員綱領に掲げる「凡事徹底」を念頭に、そして当社が創業以来の企業理念としている「真心」は変わらず軸として、とにかく地元の方々のお役に立ちたいという思いで日々勤しんでいます。また、ガスワングループの経営理念や、グループの使命である「ガスワン憲章」を体現するうえでも、私たちは「真心」を中核に取り組みながら、長期ビジョン「The Gas One Vision2045」を一緒に達成したいと考えています。

    グローバルグループの一員である津山市のセキサンとして、胸を張って「We are Gas One」「We are セキサン」と言えるようになろうと、社内で呼びかけ合っています。

    セキサン様の今後の目標をお教えください。

    苅田氏:2003年にガスワンブランドがスタートして20年。ガスワングループは2024年9月に、株式会社ガスワンホールディングス(旧社名:株式会社サイサンホールディングス)を持株会社としたホールディングス体制に伴い、組織再編が実施されました。私たちも今後のグループの動向に、これまで以上の関心を向けているところです。グループ各社が集まる「Gas Oneサミット2024」では、改めて各社の独自性や地域性を強めていこうという方針が発表され、現にその通り進んでいると実感しています。

    今、グループの輪は国内外で何十社にも広がっており、今後もますます規模が拡大していくことでしょう。その中で、当社も臆することなく挑戦をし続け、成長のサイクルにしっかり乗っていかなければいけません。従業員の皆にも、決して孤独に挑戦しているのではなく、グループの仲間とつながって前進していることを体感してもらいたいと思っています。さらに大きな規模へと発展していくグループの一員として、セキサンが重要な一つの拠点となっていくこと。これが、私たちの目標です。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    大手企業とのシナジー効果で、成長のチャンスを再び掴めるはず

    株式会社セキサン
    代表取締役社長 苅田 裕也氏

    現在、全国に1万数千社のLPガス事業者がありますが、直近では毎年500社ほどが廃業している状況にあり、そのほとんどが小規模事業者だそうです。私も岡山県LPガス協会の副会長や津山支部の支部長を務めるなかで、廃業や統合によって急速に事業者数が減っているとよく耳にしています。経営者にはぜひ、事業承継の方法の一つにM&Aを検討のテーブルにのせてみてはどうかと提案したいです。

    ただ、譲受する立場の企業にとっても、M&Aは大きな決断であることに変わりありません。決してどんな会社でも譲受したいとは思っておらず、しっかり吟味してから踏み切っているはずです。この業界に限らず、譲渡したくとも譲受企業が見つからずに悩むケースは少なくないため、自社や業界の状況をよく判断して譲渡を検討することが大事です。

    当社は、お互いの考えに共感できる大手企業とグループになりました。大手企業と手を組み、シナジー効果を創出することで、縮小が懸念される業界でも再度成長のチャンスを掴む企業事例はきっと今後も出てくると信じています。

    M&Aでグローバルなグループの一員に。地域密着の老舗ガス会社の挑戦

    担当アドバイザー コメント

    岡山県津山市を代表するエネルギー商社のセキサン様と、「我が国を含め、アジア・太平洋地域において総合エネルギー・生活関連事業でリーディング企業になる」をビジョンに掲げるサイサン様のM&Aのお手伝いをさせていただきました。
    地域のお客様、従業員を大切にする社風である両社の親和性が高いことに加えて、「前向きな経営戦略」として本件の検討に至ったセキサン様にとって、「エネルギー業界で一番」になることを掲げるサイサン様との提携は最良のご選択だったと考えます。
    本件のご成約から1年が経とうとしていますが、取扱商品の拡大やグループ間同士の交流を通して従業員様の期待も膨らんでいるなど前向きなお話を伺っており、大変嬉しく思います。
    今後とも両社様の更なる発展を心より応援しております。

  • ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    LPガスや灯油の販売、住設工事などを手掛ける株式会社よしや商店は、愛知県弥富市で長きにわたり、地域に根ざした商売を続けています。2014年に父から代表を引き継いだ久保良史郎氏は、積極的に全国の同業者と悩みや情報を共有しながら、「今までとは違うガス会社」の姿を追い求めてきました。

    よしや商店の転機となったのは、LPガス卸大手の株式会社サイサンと中部電力ミライズ株式会社による株式会社エネワンでんきの設立です。会社の成長を見据える久保氏は、真っ先にエネワンでんきとのM&Aに名乗り出ました。「電力会社のグループ企業になりたい」という久保氏の強い想いが実り、2023年12月にM&Aが成約。早速、顧客数は拡大している状況です。

    電力会社とのM&Aを望んだ理由やM&Aの経緯、今後の展望などについて、久保氏にお話を伺いました。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    明治時代から地域の暮らしを支えてきたよしや商店

    よしや商店様の事業内容や強みをお教えください。

    久保氏:当社はLPガスを中心とした燃料販売と、それに付随する住設機器の取り付けや工事を主な事業としています。

    強みはまず、地域密着であること。そして、ガスだけでなく灯油を販売していたり、従業員に電気工事士がいたり、さらには水道工事も手がけているなど、基本的にほぼ全ての家のトラブルに対応できることです。

    1958年の創業から、ずっと弥富市で商売をされているのですか?

    久保氏:「よしや商店」の名称では1958年の創業なのですが、手元に残っている一番古い資料によると、明治後期頃には旅館を営んでいたとの記録がありました。この辺りは昭和初期まで宿場町に指定されていて、当時は宿泊客への食事で手作りの豆腐も提供していたそうです。豆腐作りには燃料が必要で、その燃料を近所の方々に販売し始めたのが、今の事業の始まりになったと聞いています。時代とともに薪から炭、LPガスへと商材が変わりながらも、燃料を通じて長い間地域の暮らしを支えてきました。今も弥富市内が一番のお客さまエリアとなっています。

    久保様のご経歴をお教えいただけますか?

    久保氏:高校卒業後に建築系の学校に進学し、社会人になってからは大手建設会社などで7~8年ほど勤務しました。ただ、建築・建設系と言っても、今のよしや商店の住設とはあまり関連がない仕事だったんです。

    その後、縁があってスノーボード店や携帯電話ショップなど、当時流行し始めていた商売を自身で営む経験も積んできました。サラリーマン時代はバブルで景気が良かったですし、自身の商売もそのときの時流に乗っていて、どの仕事も楽しかったです。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」
    株式会社よしや商店 久保良史郎氏

    そこからどのような経緯でよしや商店様に入社し、代表に就任されたのでしょうか?

    久保氏:もともと、「いずれはよしや商店を継がないといけない」という考えは持っていました。自分で商売をする経験も積んだことだし、30歳手前で家業に戻ろうと決め、1998年によしや商店に入社しました。当社が株式会社化したのも、ちょうどその頃です。

    あるとき、代表を務めていた父が体調を崩してしまい、2014年に父から引き継ぐ形で私が代表に就任しました。

    代表に就任して10年。どのようなことを意識して経営を続けてきましたか?

    久保氏:ガス業界は独特のルールが長く続いているような、昔から変わらない業界だったんです。例えば、器具を売るためのチラシを作って配布したときに、他店のお客さまの家にもチラシが入ってしまうと、他店からルール破りだと思われかねないような世界でした。競争が起こらないような仕組みになっているのだと思いますが、ほかの業界からすると、違和感があるのではないかと思います。

    この商売に身を置き、だんだんと業界の実態を知るうちに、「この業界は、従来のルールに則って新しいことに挑戦しない傾向が強い」と感じた私は、代表になったときから「今までとは違うガス会社になりたい」と思って経営を続けてきました。

    会社の成長のために思い描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    「今までとは違うガス会社」に向けて、どのように活動されてきたのでしょうか?

    久保氏:まずは周りの状況や情報が知りたいと考えていた頃、思いがけず愛知県LPガス協会から「青年部の委員になって会議に出ないか」と呼んでいただき、地区の委員として出席するようになりました。こういった会議は大体、毎年決まった時期に同じようなテーマで決めごとをしたり、近況報告したりすると思いますが、誰も意見を言わないなかで、私は思いきって自分の意見を発してみたんです。すると、当時の会長と専務理事から「そうやって意見を言ってくれる人を待っていた!」と声がかかり、青年委員長とブロック長を任せてもらって全国会議にも出席するようになりました。

    全国会議に参加するようになってかれこれ10年以上になりますが、この活動を通じて全国各地のガス会社のルールややり方、悩みをよく知れたことは良かったと思っています。特に関東では昔からのルールに縛られない完全自由商売になってきた時期で、その流れはいつか当社の地域にも来るのだろうなと。

    また、中部6県のブロックからも、同世代で同じ境遇の人たちが青年委員の代表として出席していて、その方々とも常に情報や悩みを共有しながら、ガス会社の新たなあり方を模索してきました。

    他県の同業者と情報を共有するなかで、久保様の経営に対する考えに変化はありましたか?

    久保氏:はい。特に人口減少の問題は、まだ人口を保っている弥富市にいながらも他人事ではないと思いました。2040年には日本の人口がピーク時の半分ほどになるとの試算も出ていますが、圧倒的なスピードで過疎化が進む地域の同業他社の中には、私が最初にお会いした頃に比べてお客さまの数がすでに半分近くにまで減っている企業もあります。

    仮に毎年5%ずつお客さま数が減少すると、10年後には半数になってしまう。じゃあ、エリアを広げて減った分を補えるかと言うと、外には別の同業他社がいるわけで、結局は今のお客さま数でどれだけ耐え凌げるかになってしまう――。いろんなことが分かってくるうちに、当社も今後単独で経営を続けていくのではなく、いつかはM&Aで他社と連携しなければならないなと思うようになりました。

    「いつかは」と考えていたところから、M&Aが現実味を帯びてきたのには何があったのでしょうか?

    久保氏:昔から変わらなかったLPガス業界に、電力会社という新たなプレイヤーが現れたことです。これは、私が理想に思っていたことが実際に起こった瞬間でした。私は電力会社の業界参入を早い段階で知ることができ、縁があればグループに入りたいとすぐに思いましたね。

    当社がM&Aをする理由は、私が引退したいからだとか、会社が業績不振で救いの手を求めたとかではなく、会社をさらに大きくさせていくためです。大手電力会社とグループになるM&Aは、よしや商店の成長に向けてまさに思い描いていた理想の形でした。その後fundbookさんと出会い、「こういうM&Aができれば」と希望を伝え、実現に向けてサポートしてもらうことになりました。

    久保様はなぜ電力会社のグループ企業になりたいと考えたのですか?

    久保氏:やはり人口減少と温暖化対策によるガス使用量の減少が進むなかで、ガス会社同士がM&Aをして対抗策を講じる場合には、支店や営業所の統廃合と人員削減が行われ、コストカットや効率化を図っていくのだろうという懸念があったからです。とりわけ、当社のエリアにも既存の販売網を持っているような大手ガス会社とのM&Aであれば、支店としてのよしや商店は要らなくなってしまうのではないかと、そんな不安が拭いきれませんでした。M&Aの最低条件として、何としても従業員の安定した雇用は確保したいと思っていましたから。

    一方で、電力会社にとってのLPガス事業は新たな挑戦となり、これから営業所や人材を揃えていかなければならない領域です。そこで私たちが仲間になれば、よしや商店は存続し、従業員も仕事を続けられ、私も活躍し続けられる未来が想像できたのです。

    2022年にサイサンさんと中部電力ミライズさんが合弁会社「エネワンでんき」を設立されたのを見て、できれば一番乗りでグループに入りたいと早々に動き始めました。

    同じLPガス業界のサイサン様はよくご存じだったと思いますが、どのような印象をお持ちでしたか?

    久保氏:実は、2019年頃に、全国LPガス協会の会合で協会の担当者が「サイサンさんは業界でも異彩を放つ会社だ。きっとトップになるから」と、川本武彦社長に直接挨拶をさせていただく機会を設けてくださったことがありました。その通り、サイサンさんの姿勢や取り組みから、LPガス業界に新しい風を吹き込ませる存在だという印象を強く受けました。また、サイサンさんとM&Aをした企業のその後を見ても、良い方向に進んでいそうな様子から「M&Aのやり方が違うのだろうな」と、以前から注目していたんです。

    そのサイサンさんがまさにこの地区の中部電力ミライズさんと合弁会社を設立したとなると、当社としてはこれ以上ないベストな条件なので、エネワンでんきさんとM&Aをしたいと手を挙げました。どちらかというと、譲渡側の当社から「攻めのM&A」をした形ですね。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    念願叶って電力会社とのM&Aが成約。初年度からお客さまが増加

    M&Aはどのように進められたのでしょうか?

    久保氏:私の中ではどうしてもサイサンさんと中部電力ミライズさんが設立した“電力会社”とグループになりたいという強い想いがあったので、エネワンでんきさんとのM&Aを前提にfundbookさんから交渉してもらいました。

    すると2か月後に先方からも、「エネワンでんき社とM&Aをしましょう」という返事をいただけたのです。もし悩む期間がもっと長ければ、M&Aに対する私の意欲は消極的になっていたかもしれません。はっきりと回答がいただけたときはすごく安堵しました。

    M&Aを進めるなかで大変だったことはありましたか?

    久保氏:エネワンでんきさんとのM&Aにおいては、サイサンさんと中部電力さん両社が関わることになるため、色々な取り決めや手続きなどが必要であったことが少し大変だったように思います。ですが、なるべく早く進められるようfundbookさんも各社の間に立って尽力してくださり、サイサンさんとの初回面談からわずか5カ月後にエネワンでんきさんとのM&Aが成約できました。

    実際にM&Aを経験してみると、難しいことは色々あるなと実感しました。ましてや譲渡する側は人生で何度も経験するものではないので、fundbookさんというM&A仲介のプロにしっかり関与してもらいながら進められてよかったと思います。

    2023年12月にM&Aが成約しました。そのときの久保様のお気持ちをお聞かせください。

    久保氏:当初から望んでいた形でのM&Aが実現できたので、率直に「やったな!」と思いました。それに、もし成約が1年後、2年後になっていれば状況はかなり変わってしまっていたと思うので、早い時期にグループになれた安心感は大きかったです。今は、会社の「縮小を止める」ではなく、「成長を加速させる」ことに日々奔走しています。

    M&A成約から1年(取材時)が経過し、よしや商店様で変化したことなど、近況をお教えください。

    久保氏:M&Aが成約してからは、急激に変化したのではなく、グループとして融合していけるよう、スマートに移行できていると思います。まず、サイサンさんから1名が当社の共同代表として出向してくださり、私一人で切り盛りしていた経営業務の負担がとても軽くなりました。従業員もM&Aをしたことに強く賛同してくれていて、退職した人は1人もいません。さらに、グループに入ったことで、エネワンでんきさんの商品をご案内できるようになり、実際に仕事もお客さまも増えています。中部電力さんがバックアップしている電気を販売するということなので、お客さまも当社も安心感は断然大きいと思うんです。これまでと同じLPガスの販売にしても信頼度はより一層高まり、お客さまの増加につながっていると思います。

    よしや商店様には周囲の同業者の皆様からも、ますます注目が集まっているのではないでしょうか?

    久保氏:色々と聞かれることが増えましたね。周りの同業者には私と同じ世代の人が多く、親の介護と会社の経営を必死の思いで両立させている人もたくさんいます。私の場合は両親とも介護を必要とせずに人生を全うできたので、そういった苦労はなかったものの、同業者の誰しもが将来の不安や、会社を衰退させたくない気持ちを持っていることは共通していると思います。悩んでいる人の相談には精一杯答えていきたいですし、私の経験がどこかの企業を成長に導く手がかりになれば嬉しい限りです。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    次は譲受側として、一緒に成長する仲間を迎え入れていく

    グループでのこれからの取り組みで期待していることをお教えください。

    久保氏:LPガスは比較的高齢世帯のお客さまが多く、人口減少の影響をまともに受けやすい業種です。そのなかで今後、ガスと電気の両方が商売の柱となれば、新規顧客開拓の可能性はより広がるだろうと期待しています。

    また、ガスは夏と冬とで仕事量に4倍の差があるため、繁忙期の冬だけに合わせて人材を確保するわけにもいかず、一方でプロパンガスの配送はマンパワーでしかできないので、加速する人手不足も業界の大きな課題となっています。その点、電力会社とグループになったことで、夏は電力関連の仕事ができたり、冬はグループで人員を補完し合ったりできるという期待も大きいです。

    電力会社とM&AをしたLPガス販売店は全国的にもまだ珍しいですが、M&A後の1年目から経営状況が良くなっていると実感しているので、グループとしての融合をさらに進めていき、業界にインパクトを与える取り組み事例を着々と作っていきたいと思っています。

    エネワンでんきグループの一員となったよしや商店様の今後の目標をお聞かせいただけますか?

    久保氏:今、エネワンでんきグループはLPガスの顧客数1万件を目指しており、目標達成に大きく貢献することがよしや商店としての目標にもなっています。当社のお客さまを引き続き増やしていくだけでなく、今度は当社がM&Aで譲受する立場となり、一緒に成長したい同業社たちを仲間に迎え入れていきたい考えです。

    エネワンでんきグループの一員になれたからには、一緒にグループを大きくしたいですし、それがよしや商店にとってもプラスになるはずです。「よしや商店は良い同業社を仲間に連れてきてくれる」と、一目置かれるような働きがしたいですね。

    久保様は以前から業界での横のつながりを大事にされてきたので、同業者からも「よしや商店と仲間になれるのなら」と、信頼が置かれそうです。

    久保氏:昔からの信頼もそうですし、何よりもよしや商店が成長していることが最大の安心材料になると思います。「うちはエネワンでんきグループだから、調子いいよ」と。その事実が一番説得力を持ちますよね。

    当社が成長していれば、いつかは「私も仲間に入れてほしい!」といった声が、同業者の間から自然と出てくるときが来ると思うんです。そんな状況を、近い将来作っていきたいなと。仲間を引き入れる立場になって、仕事がますます面白くなりました。やる気のある同業者の皆さんがもっと良い未来を見られるように、当社が成功事例となって仲間を増やしていき、皆で成長できるエネワンでんきへと、グループの力もより強くしていきたいと考えています。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    エネルギー業界で“成長戦略としてのM&A”が増えていくことを期待

    株式会社よしや商店
    代表取締役 久保 良史郎氏

    これから先、エネルギー業界における事業者同士の統廃合はますます増えていくことでしょう。言葉ではそれも一括りにM&Aと呼ばれますが、本来なら「統廃合のためのM&A」ではなく、「成長戦略としてのM&A」であるべきだと私は考えています。

    エネルギー業界では、人口減少等によってすでに苦労を強いられている販売店が少なくないですし、自分の子どもに継がせて同じ苦労を背負わせたくないと思う経営者の気持ちもよく分かります。ただ、それだけが理由で行うM&Aは、まるで会社の片付けにM&Aを利用しているような、消極的な考え方になってしまっているのではないかと思うのです。

    今までのエネルギー業界は、どちらかというと成長に向けたM&Aのほうが少なかった気がしていますが、今後は譲受・譲渡企業の双方が伸びるような、成長に向かうM&Aが少しずつ増えていけばと期待しています。

    ガス会社が成長のために描いた、電力会社との「攻めのM&A」

    担当アドバイザー コメント

    本件では、中部地区でのLPガス商圏拡大の戦略を掲げるエネワンでんき様と、弥富地域の優良店であるよしや商店様のM&A成立となりました。
    両社の親和性も高く、今後の商圏拡大に向けて、最良の提携に至ったと考えております。
    よしや商店様はM&A成立後も堅調に規模の拡大が進んでおり、両者の更なる発展に期待しております。

  • 従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    岐阜県羽島郡笠松町に拠点を置き、立地の利便性を生かした中距離輸送を手がけている株式会社三恵物流センター。父が創業した同社の3代目社長を務める船坂亨広氏は、従業員やお客さまから支持される運送会社を目指し、20年以上にわたり会社を率いてきました。そんな船坂氏がM&Aを考えた理由は、「船坂さんの後に誰が会社を指揮するのか」と不安を打ち明けた一人の従業員の言葉がずっと心に残っていたからだそうです。誰よりも従業員を大切に思う船坂氏らしい決断でした。

    今いる従業員とお客さまを大事に思ってくださり、会社の発展にも繋がる企業とM&Aをしたい――。一切の妥協をせずに譲受企業を探し続けた結果、東北地方屈指の物流会社である白金運輸株式会社と出会い、2024年7月にM&Aが成約。「2024年問題」に向けてかねてから準備を進めてきた両社が手を取り合い、物流を途切れさせることなく人々の生活を守っていこうと、気持ちを一つにしています。

    船坂氏と白金運輸の代表取締役社長・海鋒徹哉氏に、M&Aまでの経緯や今後の展望についてお話を伺いました。

    父が創業した会社の3代目社長に就任。「三恵物流“が”いい」と思われるように励んできた

    三恵物流センター様の事業内容や強みをお教えください。

    船坂氏:当社は名古屋圏を中心に、山梨・長野方面から関西方面まで、200~250km圏内の中距離運行をメインとする運送業者です。岐阜県の笠松町に拠点があり、川を1本渡った先がすぐ愛知県で、高速道路のインターやバイパスにも近いため、運送業を手がけるうえで利便性の高い立地が一つの強みとなっています。

    現在は貸切便が多くを占めますが、このほかにも大手路線会社の路線便や幹線輸送、倉庫での荷物の一時預かりなども行っています。

    船坂様が三恵物流センター様に入社されるまでのご経歴をお聞かせいただけますか?

    船坂氏:社会人になって最初に就職したのが、岐阜県に本社がある運送会社のエスラインギフです。当時は、いずれ三恵物流センターを継ぐと決めてはいませんでしたが、運送業を知らずして継ぐかどうかの判断もできないだろうと考え、エスラインギフに生涯を捧げるくらいの気持ちで入社しました。エスラインギフでは、本社のほかに埼玉県や東京都の支店でも勤務し、事務仕事から現場業務まで幅広く経験を積み重ねてきました。

    そのうちにだんだんと三恵物流センターで自身の経験を生かしたいと考えるようになり、エスラインギフの新支店を立ち上げる仕事を全うした後、2001年3月末日に退社し、翌日の4月1日に三恵物流センターに入社しました。

    三恵物流センター様に入社してから、大変だったことはありますか?

    船坂氏:父が当社を創業したので、「社長の息子が来た」という目で見られるであろうことは自分でも十分に分かっていましたから、「やったことがない」「できない」などとは言っていられないなと、常に気を張っていました。誰かが運行に出られないときは、初めてのルートであっても私が率先して出ましたし、とにかく皆から認められるように、何でもできる人になろうという意識を強く持って業務にあたる毎日でした。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A
    株式会社三恵物流センター 船坂亨広氏

    船坂様が社長に就任された経緯をお教えください。

    船坂氏:父の共同創業者が2代目社長を務めていたのですが、2014年頃に体調を崩され、やっと重い腰を上げて病院に行ったときには、もう肺がんがステージ4まで進行していたんです。それでも本人は平然とした様子で、私もそれを真に受けていたのですが、知り合いの医師からステージ4がどういう状態なのかを教えてもらい、そこで初めて事の重大さを理解しました。

    そして2015年1月に組織体制を変更し、2代目社長が会長に、私が3代目社長に就任しました。それまでは数字を見て何かをするにも全て先代社長が判断しており、一方の私は日々の業務を回すことに全力を注いでいたので、経営者になって初めて細かく数字を見たときは「こんなに累積損失があるのか」と愕然としたことを覚えています。

    社長に就任してからわずか2カ月後に、先代社長は逝去しました。引き継ぎ等もほぼできていなかったので、本当にドタバタした状態でのスタートでしたが、それでも「社長ってこんなもんなのかな」と、私自身あまり苦労だとは捉えていませんでした。

    社長に就任されてから、経営するうえでどういったことを心がけてきましたか?

    船坂氏:従業員やお客さまから、「三恵物流センター“で”いい」ではなく、「三恵物流センター“が”いい」と思われるような会社にしたいと、常日頃から皆に伝えてきました。

    今「2024年問題」が注目されているように、ここ数年、特に運送会社は働き方改革に伴う大きな変化が求められており、実は当社も行政から指導を受けたことがありました。そのときは、もしかするとお客さまが離反するかもしれないと大きな不安がのしかかったのですが、お客さまが直接「うちはどこの運送会社でもいいわけじゃない。三恵物流センターさんがいいからオーダーをしている。だから心配せずに、これからもよろしくお願いします」と言ってくださったんです。私もドライバーも、その言葉がすごく嬉しかったですし、より一層「当社“が”いい」と積極的に選んでいただける会社になろうと、皆で心がけて事業を続けてきました。

    運送業界を悩ませる「人手不足」。DX推進や人材確保が大きな課題に

    白金運輸様の事業内容や強みをお教えください。

    海鋒氏:当社も運送業や倉庫業などを手掛ける会社です。本社のある岩手県奥州市をはじめ、東北全域を面で捉えるように拠点を持っているほか、関東・中部・関西地域を含めた長距離の幹線輸送も手がけています。

    私は東日本大震災の翌年に先代社長の父から代表を引き継いだのですが、震災を境に人手不足が一気に加速し、都市部から離れた地域での輸送力の確保が非常に難しくなりました。そうした経緯から、既存の貨物自動車運送事業に加えて、近年は鉄道や内航海運・外航海運の第二種貨物利用運送事業にも乗り出し、さらにはストック拠点としての倉庫も整備しながら、東北を中心に大都市間の輸送力強化も図っています。

    両者様から「2024年問題」や人手不足の話題が上がりましたが、今の物流・運送業界が抱える課題について、改めてお話しいただけますか?

    海鋒氏:ドライバーや倉庫作業員の募集をしてもなかなか応募が集まらない状況は、震災後からどんどん悪化し続ける一方です。今の従業員も65歳頃から徐々にリタイアしていくので、若い人にぜひ入ってほしいのですが、人口動態を見ても分かる通り本当に困難を極めています。おそらく、地方の中小企業はどこも人手不足が一番の問題となっているでしょう。国も様々な政策を講じているなかでもあるので、今がまさに物流業界が大きく変わろうとしている過渡期なのだと思います。

    その中での課題としては、物流業界はデジタルなどの先端技術が使えない現場として長く続いてきてしまい、DXも思うように進められないことが挙げられます。様々な自動化のシステムがあるにもかかわらず、日本はパレットなども統一規格化がされていないため、ユーロ規格やUS規格が決まっている欧米より明らかに遅れてしまっています。欧米では数種類の規格をセンサーで判別してロボットに任せられている作業も、日本だけはまだ人が手積みをしていて、高い人件費がかかっているんです。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A
    白金運輸株式会社 海鋒徹哉氏

    船坂様は、どういったところに業界の課題を感じていますか?

    船坂氏:私もやはり、人手不足が一番の課題だと感じています。免許制度の改正に伴い、トラックを運転するための条件が厳しくなったことも要因として大きいです。昔は普通免許があれば中型トラック(4tトラック)まで運転できましたが、今は2tトラックも運転できないため、高校卒業後の就職先としても難しくなってきています。

    それに、免許制度改正前までは30代半ばで仕事を辞めた人が、次の仕事をじっくり探している間に一旦ドライバーになって生計を立てることも珍しくなく、人材確保は今ほど困難ではありませんでした。当社でもまったく違う職種から入社して、ここでドライバーデビューをした人も多くいれば、一時的に働くつもりが意外と居心地が良いと思ってくれて、そのまま働き続けて大型トラックのドライバーまでステップアップした人もいます。

    ですが、今はもうドライバーになろうという強い意思と免許を持っている人でないと運送会社の門を叩かないので、ドライバー職を選ぶ人の数は大幅に減少しています。大手物流会社が募集をしてもほぼ反応がないほどの状態なので、中小企業にとっては人手不足がなおさら切実な課題となっています。

    「自分の後を継ぐのは?」従業員の不安を払拭すべく、M&Aを検討

    三恵物流センター様がM&Aを検討し始めた時期や理由をお聞かせください。

    船坂氏:以前、10代で当社に入社したドライバーがいまして、その人は熱心に仕事をしながら成人式を迎え、結婚して家庭を持ち、家も建て――と、ライフステージをともにしてきたので、当然のように将来もずっとここで勤めてくれるのだろうと思っていました。ですが、あるとき彼は退職することになったんです。理由を聞くと、「船坂さんの後を継ぐ人がいない。誰が指揮を執るか分からない将来に不安を感じる」と。家族を養っていく立場として、転職できるうちに安定した会社に移ろうと考えたそうです。

    まったくの他業種への転職であれば、私も「次の道で頑張れよ!」と送り出せたのですが、同じドライバー職として母体の大きな運送会社に転職してしまい、複雑な心境でした。その出来事から、若い従業員たちが不安を抱えながら勤めている状態なのだと身に染みて実感し、将来の不安を払拭していかなければいけないと考えたことが、M&Aを検討する大きなきっかけになりました。そうして2年ほど前から、fundbookさんとM&Aに向けた話を重ねてきました。

    どのような企業をM&Aのお相手に希望していましたか?

    船坂氏:経営する方のお人柄や会社の規模感はもちろん重視しました。また、大きく仕事内容を変えられたり、譲受企業の仕事をメインに行うよう要望されたりするのではなく、当社の既存の従業員、お客さま、仕事を大切に思っていただける企業と出会えれば嬉しいと考えていました。

    船坂様がM&Aに向けて動き始めてから、大変だったことや不安を感じたことはありましたか?

    船坂氏:M&Aは初めての経験で、なおかつ社内では一人で進めていましたが、分からないことは全てfundbookのアドバイザーさんに聞きながら事細かに教えていただいたので、一人で悩むことはまったくなく、大変だとか不安に感じることもありませんでした。

    実は、白金運輸さんと出会う前にも数社がM&Aに手を挙げてくださり、あとは私が決断すればM&Aが成約するという段階まで進んだ企業もありました。ですが、自分の思いと若干違う将来が見えたことに少し引っ掛かりを覚えたため、そのときは申し訳なく思いつつも、相手探しから再度仕切り直しをさせていただいたんです。アドバイザーさんが自分の思いに寄り添って快く一から再スタートしてくださった結果、こうして白金運輸さんと出会えたので本当によかったと思っています。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    白金運輸様は、どういった経緯でM&Aを検討するようになったのでしょうか?

    海鋒氏:拠点のネットワーク化を図るべく、10年ほど前にもM&Aを実施しました。その際、自社単独で行うより企業同士で協力するほうが、人や車両などといった経営資源の投入から稼働までがとても早く実現できると身をもって実感したんです。

    当時の東京事務所はお取引先さまの1室を借りて運営していましたが、単に営業活動を行う事務所ではなく、物流の現場となる拠点を作りたいと考えていました。しかし、その頃もすでに人手不足は深刻で、建物とトラックを準備しても人がいなければ物流現場として稼働できないことが懸念点でした。そのときにちょうど1社とご縁があり、M&Aを実施したところ、圧倒的なスピードでネットワークを強化できたのです。

    また、当社は輸送手段に鉄道や船舶も用いて人手不足に対応していると話しましたが、次はトラックが無人化される時代が来るわけです。将来的には拠点間を無人トラックが走る時代が来ることを予測し、引き続き拠点化を進めていこうと、今回のM&Aを検討するようになりました。

    白金運輸様から見て、三恵物流センター様のどういったところに魅力や相乗効果を感じましたか?

    海鋒氏:拠点化に関して、中部か大阪エリアを拡充したいという考えがあったなかで、fundbookさんから三恵物流センターさんを紹介していただきました。船坂社長が仰っていた通り、立地の有利性を存分に活用した運行をされていることに驚きましたし、近畿圏から北陸、関東へのアクセスという点でもすごく魅力を感じました。

    また、三恵物流センターさんの本社からほど近い愛知県小牧市にグループ会社の営業所があり、そこでは特定のお客さまの仕事を引き受けているのですが、専属で運行するとなると、仕事に穴を開けないようほかの依頼を断らざるを得ないときも少なくありませんでした。ですが、本当はもっとトラックも仕事も増やして、依頼を断ることがないようにするに越したことはありません。もし三恵物流センターさんも同じ思いで、お互いに連携して繁忙期や休みを補完し合えれば、双方がとても良い形でスムーズに仕事を受けることができ、さらなる相乗効果が生み出せるのではないかと考えました。

    決断の決め手は「人柄」。飾らない姿勢で伝わった両社の誠意

    面談でのお互いの印象はいかがでしたか?

    海鋒氏:船坂社長は第一印象からとてもまじめで誠実なお方だと思いましたし、今も一貫してその印象のままです。先ほど、働き方改革での指導を受けたとの話をされていましたが、こういったネガティブな情報は言いづらいだろうにもかかわらず、船坂社長から「こういう経緯があり、こういう改善をした」と、積極的に開示してくださったんです。

    社会的にもこれだけ「2024年問題」が叫ばれているなか、コンプライアンスを徹底しなければ、次に生き残れる物流会社にはなれません。過去につまずいたことがあったとしても、大きく変化・改善したいという強い意思をお持ちだったからこそ今に至れているのでしょうし、逆に言えば、変化・改善したことは実績でもあります。それに、“これから”のほうがもっと重要です。

    同じ運送会社として、過去の経験やプロセスから現在の状況も十分理解できたので、初回の面談から「船坂社長と一緒にやっていきたい」と思いました。

    船坂氏:とてもありがたく思います。白金運輸さんとは海鋒社長をはじめ、経営陣3名との面談だったのですが、物腰柔らかで、自分のことよりほかの人のことを大切に考えられている印象を皆さんから受けました。それに、話していても3名とも意思を同じくされていることがよく分かり、会社として裏表がなく、安心できるなと。なので、私もぜひ一緒に手を組ませていただきたいと思いました。

    海鋒氏:光栄です。初回の面談後も何度かお会いしてきたなかで、船坂社長が何よりも従業員の皆さまのことを大切に思っていらっしゃることがものすごく伝わってきました。当社としても、ネットワークの拡充に向けて両社で徐々に機能を融合させつつ、これまで通り既存の従業員、お客さま、仕事を大切にしていただきたいという意思で一致しました。

    船坂様が白金運輸様とのM&Aを希望した一番の決め手は何でしたか?

    船坂氏:やはり、お人柄です。従業員の不安を解消したいはずが、もし自分の心のどこかに「この方々と一緒にやっていけるだろうか?」という疑問があれば、従業員はもっと不安になってしまいます。今、自信を持って皆に「大丈夫」と言えるのも、一番はお人柄があってこそだと思っています。

    また、当社としてはせっかく業務改善後の状況が軌道に乗ってきたところだったので、M&Aによる抜本的な変化は求めていませんでした。白金運輸さんは「今の仕事を継続しながら、相乗効果が生まれることは新しい取り組みとして協力していきましょう」というスタンスで対話してくださったので、安心して一緒になれるなと感じました。この先私が引退するときが来ても、残る従業員の皆が不幸になることはないだろうと確信し、白金運輸さんとのM&Aを決めました。

    白金運輸様が、三恵物流センター様からM&Aのお相手として選んでいただくために意識されていたことはありますか?

    海鋒氏:一緒のグループになってから方向性の違いが露呈するのはお互いが望まないことだと思うので、飾り立てることなく自然体でいることがベストだと考えていました。ただ、当社にとっても重要な経営判断だという誠意はぜひお伝えしたかったので、面談はいつも常務と取締役を含めた3名で臨ませていただきました。

    今日改めて船坂社長のお話を伺い、当社の思いをしっかり受け取っていただけていたことに、とてもありがたく思うばかりです。

    海鋒様は、企業をグループに迎え入れるお立場として心がけていらっしゃることはありますか?

    海鋒氏:当社を創業した私の父の時代から、「○あなたよし ○わたしよし ○みんなよし」を経営理念としてきました。三恵物流センターさんと同じく、当社もお客さまと従業員を大切に考え、社会に貢献していくという意思をこの言葉に込めています。

    船坂社長には三恵物流センターの皆さんの幸せをこれからも変わらず思い続けていただきたいですし、私も船坂社長を見習いながら、創業時の思いを忘れず、そして次の世代へも意思をつなげていけるよう、グループのリーダーとして皆さんと一緒に歩んでいきたいと考えています。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    これからも社長を続投。グループの一員として自社の強みを生かしていく

    M&Aが成約したときの船坂様のお気持ちはいかがでしたか?

    船坂氏:「決まったな」という気持ちはありましたが、「これが終わりではなく、ここから始まるんだ」という思いがすぐに浮かんできました。これまでは、三恵物流センター単体でどうするのかという考えだけでしたが、これからはグループの一員としてどうすれば最善なのかを考えながら頑張らないといけないなと、身が引き締まりましたね。

    また、今後は何か新しいことができたり、当社単体では考えつかない方法を勉強できたりしそうだと思いましたし、管理する人材の教育などもぜひ吸収させていただきたいなと、色々な期待が膨らみました。

    周囲からは「なぜ東北の会社と?」と聞かれたことがありますが、白金運輸さんは関東や関西などにも拠点があるので、そのネットワークの中に中部地方の当社が入ることに何のハンディキャップもないと思っています。それどころか、当社の強みである立地を生かして、グループの役に立っていきたいとやる気に満ちています。

    従業員の皆様からは、白金運輸様とのM&A成約について、どういう反応が寄せられましたか?

    船坂氏:40数名の従業員一人一人を自室に呼んで、言葉と資料で説明したのですが、ネガティブな反応は一切ありませんでした。それどころか、「うちにはメリットばかりですね」といったポジティブな声もたくさん寄せられました。

    前々から会議の場などで、大きなお取引先さまがグループの傘下に入った具体例を挙げながら、「あれだけ大きな会社でも、こういう動き(M&A)をしていくことが生き残るためには必要なんだよね。皆も正直、私の後がどうなるか不安やろう?私が皆の不安を解消するように動いていくから、安心してほしい」と、雑談程度に話していました。なので、前もってM&Aに対するマイナスなイメージは払拭できていたものと思います。

    また、これからも私が代表を続けていきますし、既存のお客さまの仕事を変わらず大切にしていくことも資料に明記して説明したので、心配の声は寄せられなかったのだろうと捉えています。

    船坂様が三恵物流センター様の社長を続けていただけることに、白金運輸様はどういう思いをお持ちですか?

    海鋒氏:船坂社長はまだまだお若いですし、当初から社長を継続することがM&Aの条件の一つとされていたことに、私は何の違和感もありませんでした。むしろ、続けていただいたほうがより良い形でスタートが切れるだろうと思っていたので、もし船坂社長の退任が条件だったら当社も悩んだはずです。組織のトップに立つ人は、能力だけでなく従業員を思いやる気持ちも非常に大事ですから、10年、20年と社長を続けていただきたいと思っています。

    これから先、船坂社長の後継者となる人が、三恵物流センターさんの中で育成されるかもしれませんし、グループの中から逸材が見つかるかもしれません。ただ、今までどおり船坂社長が続けられてこそ、そういう“未来”が築き上げられると思うので、ぜひ私たちと一緒に未来を創っていただきたいと願っています。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    物流を途切れさせない。社会に貢献する運送会社を目指して

    両社様がお互いの企業に期待することと、今後の展望をお聞かせください。

    船坂氏:白金運輸さんは組織がしっかりしていらっしゃいますし、従業員の成長を後押しできる仕組みも確立されていらっしゃいます。一方当社は、皆で力を合わせて汗をかき、労い合うような、そんな昔から続く雰囲気も良いところの一つではありますが、従業員がステップアップできる仕組みも構築していきたく、白金運輸さんからぜひ勉強させていただければと思っています。

    また、海鋒社長が業界の課題にDXを挙げられたように、当社の業務や管理方法も、効率化・省力化ができる場面がまだたくさんあると感じているので、良い方法を当社にも共有いただけると嬉しく思います。

    海鋒氏:スケールメリットを生かせられることがグループ化の大きな目的の一つになると思うので、参考になるような仕組み等があればどんどん吸収していただき、良い会社作りをさらにグレードアップしていただきたいです。合わせて、当社にはトラック、鉄道、船舶という多様な輸送モードがありますので、三恵物流センターさんのサービスでも活用できるようにしていただければと思っています。

    当社は「2024年問題」に向けて、複数のドライバーが各拠点で交代しながら、より短いリードタイムで効率よく長距離輸送を可能とする「リレー中継輸送」に、数年前から力を入れてきました。働き方改革関連法の施行で勤務間インターバルの時間が長くなってからは、一人のドライバーによって以前と同じリードタイムと運賃で長距離を運ぶことができなくなったからです。

    長距離運行のドライバーがいなくなる将来が見えており、多くの運送会社が長距離輸送から撤退しているなか、当社グループはそこに切り込んでいます。三恵物流センターさんの立地は、日本海側の北陸から関西にもつながる重要な拠点であり、可能性は無限に広がっています。私たちと一緒に、徐々に新しい輸送便を作り上げていただけるとありがたいです。

    今後、三恵物流センター様はグループにとって大事なハブのようなポジションになる可能性があるのですね。

    海鋒氏:そうですね。以前は当社も「北陸や大阪に拠点があれば」などといろんな思いを巡らせていたのですが、それほど都合よく協力関係を結べる企業が見つかるわけではありません。運送会社のご縁を結ぶfundbookさんも、そこのニーズのマッチングにも常に尽力されていると思います。

    三恵物流センターさんは立地の強みを生かし、岐阜からどこかに運送してから空で帰ってくるのではなく、帰り便にも荷物を積み、岐阜でインターバル時間をとってさらに出発するという、画期的な方法で運行しています。本州の端にいる当社には思いもつかなかった方法で、「本州の真ん中って強いな」と、目から鱗が落ちる思いでした。面談の段階から、「こうしたら面白そうですね」といった今後につながる話で盛り上がりましたね。

    船坂氏:自社がどういう方法でどういう運行をしているかを紹介したときから、海鋒社長が「それならこういう連携ができそうだな」と感じ取られまして。前もってお互いが一つの同じビジョンを持ってお会いしたのではなくとも、最初の面談からすでにそういう話は始まっていました。

    物流業界は様々な課題を抱えながらも、人々からのニーズは高まる一方にあります。その中で、グループとして社会にどのような貢献をしていきたいとお考えか、最後にお聞かせいただきたく思います。

    海鋒氏:当社グループでも人が集中している東京からの案件が多いのですが、その分、ものを作ったり消費したりすることにおいて都市部と地方の間の格差が広がっているように感じています。しかし、ITが都市部と地方の情報格差を縮めてきたように、物流も場所による格差を埋めるためになくてはならない存在だと思うのです。

    皆さんが日々食べているものも然り、例えば地方で新しい駅や施設を建てるときの資材まで、生産地からモノを運んでくる物流なしには何も成り立ちません。ところが、「2024年問題」により物流サービスの持続可能性が著しく低下し始めています。

    日常の生活に物流は必要不可欠です。だからこそ、私たちが影響を与え得る地域の物流を途切れさせないことが、私たちの一番の社会貢献になると言えます。「継続性」「持続可能性」を重視しながら、積み込みから荷卸し作業まで、あらゆる業務を時代に合ったものに進化させ、地域を廃れさせないための物流を担っていきたいと思っています。

    船坂氏:海鋒社長が仰る通り、運送業は物流インフラだけでなく、生活インフラの一翼も担うほどの存在ですので、今後も途切れることなく安定的にサービスを提供していきたいです。

    一方では、社会的な重要性と隣り合わせるように、例えば事故などが起きたときには「トラックが」「運転手が」などとメディアで報じられるほど、非常に大きな責任や影響を持つ仕事であることも事実です。そのため、信用を保ち続けられる日々の行動も、社会貢献の一つになるだろうと思っています。

    最後にもう一つ、運送会社として、そしてその経営者として、トラックドライバーの皆がもっと自分たちの仕事に誇りを持てるような状況を作っていきたいです。「ドライバーの仕事“で”いい」ではなく、「ドライバーの仕事“が”いい」と思って物流業を目指す人が増えれば、ひいては持続可能な物流の実現につながると考えるからです。今後は色々な場面で白金運輸さんと協力しながら、引き続き社会に貢献する運送会社を目指してまい進したいと思います。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    今後は小規模事業者間のM&Aニーズも高まっていくと予想

    株式会社三恵物流センター
    代表取締役 船坂 亨広氏

    当社がM&Aを実施したことを、地元の中小企業で社長を務める友人たちに話すと、最初は「ほかの方法はなかったのか?」と驚かれたのですが、経緯や現状を説明するうちに、「M&Aも一つの選択肢だよね」と、考えが変わった様子でした。いずれ自分の子どもが会社を継ぐと想定しているものの強制したいとは思っておらず、継がなかった場合にはM&Aも手段として十分考え得ると思ったのだそうです。

    私の地元には、規模こそ大きくなくとも都市部からの需要が常に高い優良な企業が様々あります。例えば、銘木店が後継者不在に悩んでいた場合、今の時代はハウスメーカーや建築会社とグループになって事業を存続する道が考えられ、お互いのノウハウと販売ルートを生かして、お客さまにもっと喜ばれる商品を展開することも可能になると思います。

    これまでのM&Aは、大手企業が中小企業をグループ化するイメージが強かったと思いますが、今後は相乗効果が期待される小規模事業者同士によるM&Aのニーズも、ますます増えていくのではないかと想像しています。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    事業の存続が地域社会の生活を守ることに直結している

    白金運輸株式会社
    代表取締役社長 海鋒 徹哉氏

    M&Aは譲渡企業と譲受企業のどちらにおいても、従業員の生活を守ることにつながりますし、従業員が守られるということは、技術やノウハウも未来につなげていけることになります。提供する商品・サービスが必要とされていたからこそ、そこに存在していたはずなので、自分の会社や店を大切に思ってくださる利用者がいるのであれば、そういった方々のためにも、事業を守っていっていただきたいと私は思っています。

    私の住む地域は、田園風景の広がるのどかな良い場所です。しかし、後継者不在で中小企業がどんどん減って産業が縮小し続けており、さらにはコロナ禍で多くの飲食店が閉店しました。地方に行くほど、事業の存続が地域社会の生活を守ることに直結するのだと、切に感じています。

    会社や店を閉じるという経営者の判断は、誰にも止められないものです。ただ、地域のコミュニティーに役立つ事業を続けていく手段の一つにM&Aがあり、そのこと自体が社会貢献になる可能性があると思うので、後継者不在などに悩む経営者も、ぜひとも事業を辞めることだけにとらわれないでほしいと願っています。

    従業員が安心できる未来と、持続可能な物流の実現を目指すM&A

    担当アドバイザー コメント

    この度はご成約誠におめでとうございます。

    船坂社長様と初めてお会いした当時は、まだまだM&A=選択肢の一つというご状況でしたので、そこから1年以上は業界の先行き、事業承継プラン、会社の経営課題等、本当に様々なテーマについて議論を重ねていきました。
    ご面談ではご自身のことは二の次で、常に「従業員の幸せが一番」と熱心にお話されていたのをよく覚えております。

    本格的にM&Aの検討を始めてからは、様々な企業様とご面談し、すぐに複数オファーを受けました。一方で、「従業員の幸せ」を満たすこと具体的にイメージできる企業様とはなかなか出会うことができず、事業承継の方向性を再考するか否かを検討し始めたタイミングで出会ったのが白金運輸様でした。

    白金運輸様は、東北地方を中心に強い基盤を持つ総合物流企業様です。歴史や広範な物流ネットワークなど、お相手様としての前向きな要素は数多くありましたが、最終的な決め手は経営陣の穏やかなお人柄だったと感じます。M&Aはある意味成約してからが本番で、人対人の信頼関係が最も重要になりますが、初回のご面談で「従業員を幸せにしたい」という船坂社長の想いを受け入れ、共感し、実現させることを約束いただいた時に本件のご成約はきまっていたのかもしれません。

    改めまして、今回の素晴らしいご縁を紡ぐお手伝いがことができたことを誇りに思います。
    これから三恵物流センター様が白金運輸様というパートナーとともに共にさらに成長し、本件に関わる全ての方々が幸せな未来を歩めるよう、陰ながら応援しております。

  • 「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    株式会社クレイリッシュは、2001年の創業以来「誠実」な経営を貫き、全国でも有数の事業者向け貸金業者へと成長しました。

    会社員の頃から創業後のこれまで、数々の困難を乗り越えてきた代表取締役社長・髙木秀男氏は、ゆくゆくは円満な廃業で幕を引こうと考えていましたが、お客様のため、そして従業員がより仕事に専念できるようにしたいと考えを一新し、M&Aで事業拡大を目指すことに。程なくして、金融事業への進出を目指していた総合人材サービスのCRGホールディングス株式会社と出会い、2024年4月30日にM&Aが成約しました。互いに理想の相手と手を組めた様子で、成約後のクレイリッシュはますます活気づいているそうです。

    M&Aに至るまでの経緯や今後のビジョンなどについて、髙木氏とCRGホールディングスのマネージングディレクター・米津雅史氏に伺いました。

    金融業界に進み約四十数年。会社員時代から創業後も数々の困難を乗り越えてきた

    髙木様が金融の仕事を始められた経緯をお聞かせください。

    髙木氏:幼少期まで遡るのですが、私が生まれた頃、父は中小企業の代表取締役を務めていました。しかし、中学校に入って間もなくオイルショックで父の会社は倒産し、中学・高校は経済的に厳しい時代を過ごすことになりました。倒産後、5人だった家族も3年間で3人も家から離れていってしまい、最終的には父と私の2人だけになったんです。

    会社が倒産した影響でアルバイトを転々としていたのですが、当時の私は定職に就かずにまとまった収入も得られない父と一緒にいるのも辛かったので、高校を卒業してすぐに就職し、一人暮らしを始めました。

    そしてお金がなく、家賃が払えなくなったあるとき、大手消費者金融から7万円を借りてなんとか家賃を払えたことがあり、その経験が金融業界で働く一番のきっかけになりました。それまでは「金融会社=怖い人たち」というイメージを持っており、不安な気持ちで消費者金融を訪問したのですが、実際はまったく逆でとても対応が良く、「金融業界にはこれほどスマートな会社があるんだ」と認識したのです。

    また、困ったときに借り入れができることはサラリーマンにとっても然り、経営者にとっても、お金がなければ会社が倒産してしまうのでとても大事なことです。このときに社会における金融業界の存在意義や重要性を痛感し、19歳にして金融業界に進もうと決意しました。

    クレイリッシュ様を創業されるまでは、どのような会社員時代を過ごしましたか?

    髙木氏:金融業自体は意義深い仕事ですが、転身してからも様々な困難がありました。1社目の金融会社はバブル崩壊に伴って業績が悪化し、さらには代表者による不正な貸し付けが発覚したのです。要は粉飾決算をしていたわけで、実際には大きな損失が発生していたことが分かり、新卒採用者や給与の高い社員が続々と解雇され、私もその対象となってしまいました。

    そして転職した2社目の金融会社は、超ワンマン経営だったのです。金融以外にも色々な事業を運営していたのですが、それらは全て赤字で、金融事業で上げた利益をほかの事業が全て食いつぶしている状態でした。その実態が判明した頃には、働くことに理不尽さすら覚えるわけです。それに、当時は私一人でその会社の利益の半分ほどを稼ぐトップセールスだったのですが、利益を出せていない営業担当とボーナスは同等で、働きがいがまるでありません。それならば、約20年間の経験を生かして自ら起業しようと考えるようになりました。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ
    株式会社クレイリッシュ 髙木秀男氏

    そうして2001年に、クレイリッシュ様を創業されることになったのですね。創業からは順調でしたか?

    髙木氏:いえ、様々な困難がありました。創業当時は金融業者向けに積極的に融資をしている上場企業があって、そこから約20億円の資金調達が実現し、業容は急拡大しました。ただ、その融資に応じてくれた企業はリーマン・ブラザーズから借り入れをしていたため、リーマンショックにより状況が一変し、それに伴って当社も借りていた20億円を毎月1億円ずつ返済しなければならなくなったのです。

    当社には当時16人の従業員がいましたが、やむを得ず6人をリストラし、残った10人で毎月1億円前後の返済を約2年も続けて、ようやく全額返済できました。これが創業時に立ちはだかった大きな苦境でした。

    数々の困難を乗り越えてこられた髙木様。創業からこれまで、どういったことを意識して経営を続けてきたのでしょうか?

    髙木氏:やはり、「放漫経営をしてはいけない」ということです。これは、私が勤めていた会社を辞めたきっかけから来ています。会社に貢献している従業員に十分な報酬を支払えなかったり、不正な貸し付けを放置したり、そういったことが私の反面教師となって心に強く刻まれているので、ワンマン経営はしないと決めています。そういう会社になれば従業員が幸せになれるだろうし、従業員が幸せであればきっと私も幸せになれるだろうと考えています。

    従業員に多くの利益を還元する会社にしたいと創業当初から考えているので、従業員の半数ほどは私よりも給料が高くなっています。

    「誠実」な経営でお客様がお客様を呼び、県内トップクラスを維持する企業に

    改めて、クレイリッシュ様の強みをお教えください。

    髙木氏:会社として一番の強みで、かつ最も大事にしていることは、「誠実であること」です。金融業というのは、お客様がお金を借りる側の資金需要者となるため、貸す側の業者が優越的地位に立ってしまいがちです。

    借りる立場としては、「貸してくれる業者の提案を何でも受けないと借り入れができないのでは」と考えてしまうので、融資と同時に投資信託や保険商品などを抱き合わせ販売するような金融機関も決して珍しくありません。ですが、当社はそういった優越的地位の濫用になるようなことは一切せず、お客様目線に立った誠実な貸し付けをするよう常に心掛けています。

    誠実な対応を受けたお客様からは、きっと評判も良かったのではないかと思います。

    髙木氏:当社では業界経験の長い従業員が活躍しているうえ、社員教育も徹底しているため、これまで「クレイリッシュから融資を受けたら、接客が丁寧で金利も良心的だし、誠実でとても良い会社だった。」と周りに伝えてくださる多くのお客様に恵まれてきました。営業の宣伝広告をしていないにもかかわらず、口コミで全国から新しいお客様が集まってきてくださっています。誠実な経営を続けてきた結果、県内企業の業種別売り上げランキングでも常にトップクラスを維持する企業へと成長できたのだと思います。

    40年以上にわたり金融業に従事してこられた髙木様から見て、業界はどう変わってきたと思いますか?

    髙木氏:貸金業者数はピーク時である昭和61年頃の4万7,000社超から、現在は約1,500社まで減少しています。激減した理由は様々あると想像しますが、一番の影響は貸金業法の規制が厳しくなり、上限金利が引き下げられたことだと思います。金利規制が緩やかな欧米諸国に比べると、日本は世界で最も厳しい規制が敷かれている国だと言えます。そうした規制に対応できない会社の多くが、撤退や廃業に追いやられたのでしょう。

    もう一つ、過払い金返還請求が多発したことも影響したと思います。貸金業者は法律の範囲内で営業してきたにもかかわらず、最高裁判所の判例により過払い金として利息の一部を返還せざるを得なくなったのです。特に消費者金融はキャッシュディスペンサーから機械的に借りられますから、困っていたときにお金を借りることができた感謝の気持ちが生まれにくく、気軽に返還請求しやすいのかもしれません。

    当社の場合、法令順守は当然のこと、貸付担当者とお客様が対面のコミュニケーションをしっかり取りながら融資しているので、過払い金返還請求はほぼ受けていません。優越的地位を濫用しない営業活動を続けてきたからこそだと思いますし、そうした誠実さが業界でより求められるようになっていると感じます。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    資金調達力を高め、事業拡大へ。異業種の上場企業とのM&Aを検討

    CRGホールディングス様のグループの事業内容や強みをお聞かせください。

    米津氏:私たちは人材派遣や人材紹介のほか、製造現場や倉庫の請負業など、グループ全体で総合人材サービスを中心に手掛けています。人材サービスの会社はどこも人が資本であり、人件費もある程度相場が決まっているので差別化が図りにくい業界ではありますが、私たちはこれまでに蓄積した豊富な経験を生かし、職場と人材を最適にすることに真摯に取り組んできたことが強みとなっています。

    また、時代に合わせて変化していこうとする社風も特徴です。請負業では自分たちで工場を持って製造業に進出したり、人材に関しては介護福祉の分野に進出したりしていますし、今はまさにクレイリッシュさんとともに、グループとして新たに金融業へのチャレンジも始まっています。変化や挑戦を掲げていても、社内調整に難航してなかなか踏み出せない企業は少なくないと思いますが、CRGグループは徐々にですが確実に実践できていると感じています。

    CRGホールディングス様は、金融系の企業とのM&Aをどのような背景で検討し始めたのでしょうか?

    米津氏:2023年初頭から新規事業として「金融事業への進出」を検討し始め、まずは要件や規制を調査したり、必要資格を取得したりして、社内でスモールスタートをしようとしていました。その事業を社内で推進していた私が、同年中に貸金業務取扱主任者の免許を取得し、本格的に登記もし事業を開始しようと考えていたところ、fundbookさんからM&Aの提案をいただいたんです。

    ちょうど私たちも、CRGグループで独自に金融業を始めるうえでは、何人か金融経験者をお呼びしないと難しいと考えていたため、M&Aも視野に入れることになったのです。髙木社長にお会いしてお話を聞けば聞くほど、やはり金融はノウハウや経験則が極めて重要であることを痛感し、ぜひ経験豊富なクレイリッシュさんと手を組ませていただきたいと声を掛けさせていただきました。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ
    CRGホールディングス株式会社 米津雅史氏

    クレイリッシュ様は、どういった理由でM&Aを検討されたのですか?

    髙木氏:1つは、後継者がいなかったという理由がありました。しかし、もし身内に跡取りとなる人材がいたとしても、必ずしも跡を継ぐのに十分な能力が備わっているとは限りませんし、世襲で社長になったとしても会社をまとめられるとは限りませんので、親族内承継は考えておりませんでした。

    後継者問題もさることながら、やはり一番の理由は事業規模の拡大でした。私たちの商売では、大口の融資をしようとすると、それに見合う資金を調達しなければなりません。

    つまり、金融は資金調達能力がとても大切な事業であり、元となる資金がなければ事業を拡大できません。私が一人で当社の全株式を保有していた頃は40数億円までは融資残高を積み増しできたのですが、それが精一杯なラインでした。

    貸付の原資が無いことを理由として融資をお断りせざるをえない状況が頻発していましたので、このままではいけないと考え、信用の高い上場企業に株式を譲渡して上場子会社になれば、資金調達がよりスムーズになって従業員のやりがいも増すであろうと考えたのです。

    従業員の皆様のことも考えた結果のM&Aだったのですね。

    髙木氏:私が全株式を保有していた頃は、例えば1億円の融資の話が来た際には、同時に1億円を調達する計画を進めなければなりませんでした。お客様に貸し付けるプランが成功しても、当社が借り入れるプランが失敗すれば、担当者がいくら頑張っても成果を挙げられなかったのです。私は、それが従業員に対してとても申し訳なく思うばかりでした。

    M&Aをするにあたり、髙木様はどういった企業をお相手に希望していましたか?

    髙木氏:最初は漠然と、同業者がいいだろうと考えていました。しかし、もし同業者に会社を譲渡すると、システムを変えることになったり、「こういう貸し付けはやめよう」と言われたりと、当社の経営に細かく干渉されることが十分にあり得るとも考えたのです。

    私は、当社のノウハウや利益率は国内トップクラスだと自負していますし、私以上に金融のノウハウを持つ者はそうそういないだろうと思っています。当社のやり方に色々と干渉されると、おそらく従業員もがっかりするでしょうし、やる気をなくしてしまうことは明らかでした。なので、今までの当社のやり方や経験を尊重してくださる異業種の上場企業が理想だろうと考えるようになりました。

    経営はそのままに、「ヒトとカネ」を強化できる理想の上場企業との出会い

    まさにCRGホールディングス様は希望に合った会社でいらっしゃいますが、ほかにM&Aの候補先はあったのでしょうか?

    髙木氏:fundbookさんの他に別のM&A仲介会社も通じて、合計4社の候補先から話をいただきました。そのうち3社が希望条件に挙げた上場企業でしたが、私はお相手を選ぶうえで、信用調査会社による企業評点をはじめとした「信用力」を1つの軸に考えていました。信用力が高いほど資金調達がしやすくなるうえ、金利も安くなるため、そういった企業と提携することで、当社の資金調達能力も上がるだろうと判断したのです。

    CRGホールディングスさんは企業評点が特に高く、信用力があるという印象を持ちました。希望していた条件にもマッチしていたので、ぜひお会いしたいと思い、紹介してくれたfundbookさんにご紹介をお願いいたしました。

    実際にお会いした際、お互いに最初はどのような印象を持ちましたか?

    髙木氏:トップ面談は飲食店で行い、お互い気さくに意見を交わしました。最初からとても良い印象を受けました。「資金調達面のサポートはするけど、クレイリッシュの方法で経営を続けてほしい」と仰ってくださったので、CRGホールディングスさんと一緒なら、私のやりたい経営が続けられるだろうと思いました。

    米津氏:私たちとしては、これまであまり金融系の企業と深く資本業務提携のお話をしたことがなかったので、どういった方が来られるのか想像がついていませんでした。なので、fundbookのアドバイザーさんに髙木社長のお人柄などを事前に伺ったうえで、面談に臨みました。実際にお会いすると、先ほど髙木社長が仰っていた「誠実」という言葉通りの方でしたね。複数回の面談を経て、最初の印象が確信に変わりました。

    誠実な経営をされているからこそ、私たちからしてもぜひ現場はこれまで通り髙木社長に舵を取っていただき、体制も維持していただきたいと思いました。私たちが一部手掛ける部分はありますが、お客様に対応する現場に関しては、これまでと変わらずクレイリッシュさんにお任せしたいという意見で双方一致しました。

    面談で、特に印象に残っている出来事などがあればお聞かせください。

    髙木氏:実はM&Aを検討する前まで、私は従業員に対して「全員が定年に達した時期に廃業する」と公言していたんです。なので、これまでは採用時にも定年後に会社が残らないことをあらかじめ伝えていましたし、ここ10年以上は若い人を採用していませんでした。そのため、社内の高齢化がだんだんと進み、人材不足も事業拡大を難しくする一要因となっていました。

    そんななかでCRGホールディングスの井上会長と面談したところ、「企業はヒトとモノとカネが必要だ。CRGグループは総合人材サービスの会社として豊富な人材を持っているので、若い人を派遣することもできる」と仰ってくださったのです。なおかつ、CRGホールディングスさんは上場企業ですから、当社とは桁違いの資金調達力を持っています。クレイリッシュに足りないヒトとカネが補えて、事業拡大が現実的に目指せるに違いないと思い、このときにM&Aをしようと決意しました。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    髙木様は廃業を考えていたところ、なぜM&Aをしようと考えを切り替えられたのでしょうか?

    髙木氏:やはり、お客様の今後が気にかかっていました。当社が廃業すれば、当然ながらその分の資金繰りに穴が開きますから、通常なら新たに他社から調達して当社に返済を完了しなければならなくなります。なので、事業を続けていく道を選んだほうが、社会的な意義や価値が大きいと思ったのです。

    それに、以前の私は廃業して貸し付けを止めると、その時点の融資残高分が1年後に戻ってくるわけなので、M&Aより廃業のほうが手残り金額は多くなるのではないかと、淡い皮算用をしていたんです。しかし、当社が融資を止めると倒産する企業が増えるかもしれません。fundbookのアドバイザーさんから、廃業するよりM&Aをしたほうがキャッシュフローの状態も良くなるだろうと教えていただいたことも後押しになり、廃業の意向を取りやめて、M&Aで会社を続けていこうと思いを改めました。

    大怪我を乗り越えM&A成約。上場企業からの支援が加わり、より一層勢いを増すクレイリッシュ

    M&Aを進めるなかで、大変なことはありましたか?

    髙木氏:約2週間という、かなり短期間でDD(デューディリジェンス:買収監査)を終わらせなければならなかったので、それが一番大変でした。しかも、DDが始まる週に、私が社内で脚立から転落してしまい、肋骨を折って救急車で搬送されたんです。肺に穴も開いて血が溜まっていたため、医師からは一晩入院して安静にするよう言われたのですが、私の気持ちはそれどころではありませんでしたし、CRGホールディングスさんに心配をかけられないと思い、そのまま帰宅して翌日も定刻に出社しました。

    すぐにCRGホールディングスさんから「大丈夫ですか」とお電話をいただき、「大丈夫です」と答えたのですが、実際は満身創痍の状態でした。それでも休まずDDに取り組み、2週間後の期日に間に合わせることができて本当によかったです。

    米津氏:一報をいただいたときは断片的な情報しか分からなかったので、DDのことより何より、お体は大丈夫だろうかと本当に心配しました。かなりタイトなスケジュールで、かつ大怪我を負って相当つらい状況の中、資料提出などもスピーディーに対応していただいたのですごく驚きました。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    怪我で大変な状況の中、ようやくM&Aが成約された際の髙木様のお気持ちはいかがでしたか?

    髙木氏:正直、ほっとしました。無事に成約できたこともさることながら、DD中の2週間は毎日たくさんの設問に対応していたので、期限内に終えられたことも相まって、どこか解放されたような気持ちでした。

    成約後の今は、クレイリッシュのやり方や私のノウハウを、第三者にも理解できるような形にしていかなければならないので、引き続き仕事にまい進しているところです。

    CRGホールディングス様とのM&Aで期待していた「ヒト」の面で、すでに何らかの前進はあったのでしょうか?

    髙木氏:20代の若い従業員が1人来てくれましたし、年内にはもう1人増やしていただける予定です。当社の既存の従業員は徐々に定年退職の時期が到来してしまうので、それに合わせて今後も新しい人材を増やしていきたいと考えています。

    M&A成約後、従業員の皆様の反応や社内の雰囲気はいかがでしょうか?

    髙木氏:とても喜んでいます。私が全株式を保有していた頃は、貸し付けをするにも資金調達を同時に気にしなければならなかったうえ、資金調達の額にも限界がありました。でも今は、CRGホールディングスさんが調達を主導してくださっているので、当社は貸し付けに専念できるようになり、従業員は皆以前にも増して生き生きと仕事をしています。

    それに、長い間採用をせず、古くからのメンバーで固定されていたところに新しい従業員が入ってくれたことで、上下の風通しがより良くなったり、社内全体のコミュニケーションがさらに活発化したりと、いろんな面で良い方向に変わりつつあるなとつくづく感じています。

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    目指すは業界ナンバーワン。社長としてさらなる成長に向け力を尽くす

    CRGホールディングス様では、クレイリッシュ様とともに金融事業を始められたことについて、社内や周囲からどのような反応が寄せられていますか?

    米津氏:グループ内のほかの事業会社とも扱う商材がまったく異なるので、皆も実際にクレイリッシュさんの中を見させていただかないと、どういう仕事をしているのかまだ分からないことは多いと思います。ただ、私も含め、皆が熱心に勉強しているところで、だんだんと「こういう考えで事業をされているんだ」といった理解や、価値観の変容は起きていると感じています。

    一方、グループの経営目線においては、クレイリッシュさんの事業はまだまだ需要があることが再確認できたので、私たちが最も貢献できる「資金」と「人材」の2つで可能な限り支援していき、事業拡大を後押ししていきたいと考えています。

    米津様はクレイリッシュ様の取締役に就任されましたが、実際に社内に入ってどのような印象や感想をお持ちでしょうか?

    米津氏:皆様の社歴が長いこともあって、社内の雰囲気や関係性がとても良いという印象を受けました。それと、一番驚いたのは、髙木社長がいつも縦横無尽にオフィス内を動かれて、指示確認や業務をされていることです。

    DDの際のご対応にも通ずることですが、経営者によっては「ここは、従業員に任せているから、中身はあまり管理していない」というケースは少なからずあると思うんです。しかし、髙木社長はそういったことが一切なく、まさに経営者として鑑となる働き方をされていると感じました。そんな社長の働き方をいつも見ているので、従業員の皆様も必然的に同じような動きをされているのだと思います。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    クレイリッシュ様が加わったCRGホールディングス様の今後のビジョンをお聞かせください。

    米津氏:せっかくCRGグループに加わっていただいたからには、これまでメインとしてきた人材サービス良い意味で競っていただき、「金融事業ってすごいね」とグループ内でも目立つ存在にしていきたいです。

    また、将来的には金融事業自体をさらに大きくしていければと考えています。金融の中でも、クレイリッシュさんの手掛けている事業以外の分野にも広げていける可能性はあると思っているので、ゆくゆくは具体的に検討していけるよう、クレイリッシュさんとともに金融事業の土台をしっかり固めていきたいです。

    引き続き代表としてクレイリッシュ様を率いていかれる髙木様。ご自身の抱負や、貴社の今後の目標をお聞かせください。

    髙木氏:今の当社は事業者向け貸金業界において国内で30位あたりで健闘しているのですが、CRGホールディングスさんに資金と人材を支援していただけるわけなので、ぜひ業界ナンバーワンを目指していきたいですね。業界ナンバーワンになるのは私が引退した後だろうと思いますが、働ける限り社長としてクレイリッシュの成長に尽力し、DNAをしっかり残していきたいと思っています。

    米津氏:私たちからもぜひお願いしたいです。髙木社長の過去からの積み重ねはかけがえのない経験値となっていて、従業員の皆様にもノウハウが蓄積されていることがクレイリッシュさんの大きな強みだと感じています。これからは私たちもどんどん吸収させていただきながら、目標に向けて一緒に前進していきたいです。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    会社の成長にも、経営者の出口戦略にも、M&Aは有効な手段

    株式会社クレイリッシュ
    代表取締役社長 髙木 秀男氏

    金融業はお金がなければできない商売であって、経営者は「お金がないから融資できない」と、従業員やお客様に極力言いたくないものです。以前までは私の口座にお金があれば、その全てを会社につぎ込んで事業を繰り回しており、結果的に会社に貸し付けている金額は億単位に膨れ上がっていました。なので、会社がどれだけ事業を拡大して利益を出そうとも、私自身の使えるお金は、常に口座に入っているわずかな金額だけという状態を、何十年も続けてきたわけです。

    私がつぎ込んできた資産は「貸付金」という3文字の言葉で会社に積み上がっていましたが、これ自体はお金になっていません。M&Aは貸付金をお金に変えられる数少ない手段であり、そういう背景を考えても、経営者の出口戦略としてM&Aはとても有効な方策だと強く実感しました。それに会社にも、M&Aで「ヒト・モノ・カネ」が揃い、大きなメリットがもたらされています。

    当社が所属する業界団体の会員企業の中では、もしかすると私が株式を譲渡した最初の経営者になったのかもしれず、それだけM&Aの事例がまだ少ない業界だと言えます。ただ、経営者の高齢化も進んでおり、事業承継やM&Aは興味深いテーマとなっている様子です。この業界でもこれから徐々に、良いM&A事例が増えていくのではないかと想像しています。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    M&Aでシナジーを創出。時代に合わせた変化と挑戦を続けられる

    CRGホールディングス株式会社
    マネージングディレクター 米津 雅史氏

    ずっと同じ組織のままだと、そこのルールや社風に適合した人だけが残り、全体的に似通った考えしか持てなくなってしまいかねません。全体としてうまくいっているときはそれでいいと思いますが、変革を求められたときや、何か違う取り組みを始めようとしたときなどは、新たな風を入れたほうが刺激になり、皆の意識も劇的に変えられるのではないかと思います。当グループもこれまで、M&Aやスタートアップ企業への出資によって、新しいつながりや交流を積極的に構築し、時代に合わせた変化と挑戦を続けてきました。グループ各社やそれぞれの事業同士が切磋琢磨したり協業したりすることで、シナジーが創出できていると感じています。

    また、M&Aの意義に関してもう一つ言うならば、私は率直に高齢化だけを理由に、数十年続けてこられた事業を廃業させるのは非常にもったいないと思います。手を組むことで私たちからの支援が成長につながったり、「ヒト・モノ・カネ」が補い合えたりするのであれば、お互いに力を高めていけるに違いありません。今回のクレイリッシュさんも、髙木社長が作り上げてきた社風や組織力に、当社がさらに燃料を追加したような形です。そんなM&Aが実現できることを広く知っていただき、今後も積極的に様々な企業とつながりを持っていきたいと思っています。

    「誠実な経営」を続けた事業者向け貸金企業。異業種M&Aで業界トップへ

    担当アドバイザー コメント

    この度は、金融事業を営むクレイリッシュ様と人材派遣業を営むCRGホールディングス様とのM&Aをご支援させていただきました。
    髙木社長は、「誠実であること」をモットーに、聡明ながらも心の内に熱い気持ちを持たれ、そして自社の発展、及び従業員様含めたステークホルダー様の将来を真剣にお考えになられている方でございました。
    一方で譲受企業であるCRGホールディングス様におかれましては、新規事業の発足に伴い金融業において知見を持ち合わせた方を迎え入れたいとお考えがございました。本件が進行するにつれ益々クレイリッシュ様とのご提携を強く望まれていた事を覚えております。
    タイトなスケジュールの中でもスムーズに進行が出来ましたのは、お互いが理想のお相手様と感じていたからだと思っております。
    事業シナジーが大いに期待出来る素晴らしいM&Aをご支援できたこと、アドバイザーとして大変嬉しく思います。
    今後ともご両社の益々の発展をお祈り申し上げます。

  • 全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    医師の道を志し、医学部へ進学した山口高秀氏は、特殊救急部での経験で世の中の変化を実感していました。患者に寄り添う在宅医療の重要性を感じていた山口氏は、20年近く前の「在宅療養支援診療所」制度化とほぼ同時に在宅医療クリニックを開業。「伴走医療」を理念に掲げる医療法人おひさま会は、全ての人が自分らしく人生を歩めるための“伴走者”となって、地域の皆様に寄り添い続けています。
    こうした医療体制が広く全国に普及すれば、医療が抱える多くの課題解決につながると考えた山口氏は、一緒になって本気で取り組んでくれるパートナーを探していたところ、オートメーション事業を中心にビジネスを展開するRPAホールディングス株式会社(現オープングループ株式会社)と出会いました。山口氏の思い描く未来をともに目指すべく、2024年1月に両者は業務提携を締結。3月には共同で新会社も設立しました。
    山口氏と、オープングループの経営企画部長・長谷川修司氏に、医療業界の課題や実現したい世界観などについて伺いました。

    ※RPAホールディングス株式会社は、2024年6月1日に社名を「オープングループ株式会社」に変更。本記事では変更後の社名で記載

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    世の中の大きな変化を目の当たりにした特殊救急部時代

    最初に、山口様が医師を志したきっかけをお聞かせください。

    山口氏:私が生まれ育った大阪市阿倍野区の地元には、家族皆でお世話になっている町のクリニックがありました。専門は外科でありながら、風邪から盲腸の小さな手術にも対応してくれる医院で、地域を守っているその先生こそが、私の中での開業医の像となっていました。そんな先生を見て育ちましたし、中学校・高校では理系科目が好きだったので専門職の仕事に憧れるようになり、医師も選択肢の一つにぼんやりと入っていたんです。

    高校は生徒の半数ほどが医学部に進学するような学校で、私も医師への憧れから、大学は医学部を目指すことにしました。ただ、私の家はそんなに裕福なわけでもなかったので、家から通えて、なおかつ国立で学費の負担も少ない大阪大学医学部だけに絞って受験しました。ダメなら学部を変えようとも思っていたのですが、無事に合格し、医師への道のスタートが切れました。

    研修医だった頃は、主にどのような医局や専門に興味があったのですか?

    山口氏:私が医学部で研修医をしていた当時は、まだスーパーローテート(研修医が様々な診療科を経験して知識や技術を身につける制度)が導入されておらず、基本的には自身で入る医局を選ぶ仕組みで、私は特殊救急部を選びました。
    特殊救急部を選んだ理由は、激務でも労を惜しまず活動できる医局で学びたかったこと、そして、疾患が決まった患者が来るほかの診療科と違い、特殊救急部だけは外に向けて扉を全開にしているからです。救急車で患者が運ばれてくるように、世の中で起きたことが飛び込んできては、一生懸命しっかり対応している医師たち。そんな仕事はすごく魅力的だと感じました。

    念願の特殊救急部に入った山口様が、現在の在宅医療を始めるまでには、どういった出来事があったのですか?

    山口氏:特殊救急部は3次救急といって、事故による重症の救急外傷や、内臓と頭部を同時に損傷して治療が複雑なケースなど、私たちでないと治療できないような患者が運ばれてきていました。ですが、世の中の変化とともに交通事故や労災事故の数は改善し、そういった重症の患者は減少してきました。一方で、病気の悪化などで重症化した高齢者の患者が大多数を占めるようになってきたのです。救急部自体も、精鋭を集めて重症患者を治療するより、運ばれてきた患者を効率よく他の医療機関につなぐER(救急救命室)の役目が多くなってきたのです。

    末期癌の高齢者などが運ばれてくる様子を見ていると、「もはや“救命救急”という感じではないな」と、複雑な気持ちになることもしばしばありました。それに、そういった患者さんは特殊救急部で数カ月間の集中治療を受けてなんとか回復しても、一般病棟や療養病棟に転院した1カ月後くらいに亡くなったという報告が入ることが多いんです。頑張って命を助けているけど、患者さんに何の価値を提供しているのだろうかと考えるようになりました。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    医療法人おひさま会 山口高秀氏

    自宅で祖母を看取った経験も。在宅医療での開業を決意し、体制を確立

    特殊救急部の状況や環境の変化とともに、山口様の心境にも変化があったのですね。

    山口氏:もう一つ、大きな出来事がありました。実家の近くの救急センターにいたとき、祖母が心肺停止で運ばれてきたんです。自宅で母が食事介助をしていたときに窒息してしまったようでした。ここで私たち医師が蘇生を続けなかったら「穏やかに亡くなった」ではなく、一生懸命介護をしていた母が自責するかもしれないと考え、できるところまで力を尽くすことにしました。

    祖母は蘇生後脳症にはなったものの、幸いにも命は助かり、病態が落ち着いてから自宅へ退院しました。もともと重度の糖尿病で、退院後も大変な時期はありましたが、最期は皆がいる家で看取ることができました。寂しさはあるけど悲しさがないと言いますか、祖母が生活の中に戻ってこられて、皆と楽しく最期を過ごせたことはとても良いなと思いました。

    救急の現場や、家族皆でおばあさまを看取られた経験を経た山口様が、おひさま会様を創設した経緯をお教えください。

    山口氏:昔から、大学の医局に戻って教授になろうとか、研究をしようなどという考えは持っておらず、ずっと臨床を続けていきたいと思っていましたし、救急で開業するのは稀なことなので、それならば、障がいがあっても病院で寝たきりにさせるのではない医療機関みたいなものができればな、と考えるようになりました。

    あとは、タイミングです。50歳くらいでそういう医療機関を開設しようと思っていましたが、2006年に「在宅療養支援診療所(在支診)」が制度化され、在宅で療養する患者のかかりつけ医の機能が確立されることになったのです。当時私は31歳で、開業は早いかなと悩みましたが、いずれは開業を考えていましたし、救急も以前のような重症患者の治療を行う姿から他の医療機関へつなぐERタイプへと様変わりするなど、世の中の変化も実感していた頃でした。それに、在宅医療の制度がスタートすると同時に飛び込めるなんてそうそうないだろうし、早くに始めるデメリットも少ないだろうから、救急で身につけた対応能力を次に生かしていこうと思い、在宅医療のクリニック開業を決意しました。

    若くしてクリニックを開業されることになり、大変なこともたくさんあったのではないでしょうか。

    山口氏:実は開業の前に、ある医療機関がこの地で在宅医療クリニックを作るために院長を探していました。私は雇われ院長として応募していたのですが、その在宅医療クリニックが撤退してしまったんです。私自身で開業するには十分なお金がないものの、場所と施設とやる気はありますし、撤退して困る人だっているわけです。そこで、最低限必要な資金を調達して、自らで開業しました。なので、看護師をたくさん雇用することもできず、最初は事務スタッフと私だけでのスタートでした。施設や地域には看護師や薬剤師、理学療法士や作業療法士もいるので、地域の資源と連携して患者さんに貢献する存在になろうとしたのですが、結果的にそれが私たちの強みにつながっていきました。

    事務スタッフはあちこちから入る連絡を24時間体制で取ってくれて、各所とも常にコミュニケーションをしてくれたほか、往診のスケジュール管理や医師の送迎なども徹底してくれました。すると、事務スタッフのオペレーションとコミュニケーションの役割はどんどん増幅していき、一つの職種として確立されたのです。この「メディカルスタッフ」の存在が在宅医療のオペレーションで良い仕組みとなり、少数の医師でも幅広く動けるだけでなく、新しい医師が入った際も円滑に医療が提供できるようになっています。この方法は10年ほど前にクリニック情報誌で丸一冊の特集に取り上げられるほど、注目を集めました。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    「伴走医療」の普及に向けて、パートナーが必要だった

    在宅医療の画期的な仕組みを確立されたおひさま会様が、ほかの企業との提携を検討された背景をお聞かせいただけますか?

    山口氏:メディカルスタッフが大勢いればまだまだ拡大できると思いましたが、なんせスーパースタッフですから、容易に量産できる存在ではありません。加えて、在宅医療のニーズと医療依存度の高い患者も増してきたため、メディカルスタッフを中心とした強力なチームを作ろうと考え、看護師や薬剤師、医療事務員、ソーシャルワーカーを採用して人員を拡大したんです。

    当時のおひさま会は、ここ関西と関東で運営をしていましたが、それぞれの投資すべき分野が異なってきたため分割することになりました。その際、レセプト請求や会計業務などを全て引き受けているMS(メディカルサービス)法人の拠点が関東にあったため、それは関東側に渡して、関西側はその機能を新たに作り直すことになりました。ただ、こちらは人材の拡大に投資をしたばかりだったので、資金に余裕がある状況ではありません。私たちの取り組みをサポートしてくださるパートナー企業が見つかればと期待し、fundbookに相談しました。

    なぜ、企業との提携という形を一番に考えたのでしょうか?

    山口氏:テクノロジーをどう入れるのか、マーケティングをどうするのかといったことは、やはり医療機関だけで考えるよりも企業と提携したほうが大幅に可能性が広がると思いました。また、在宅医療は24時間体制の究極のかかりつけ医療であるため、どんな疾患が生じようが、単にいろんな診療科にパスするのではなく、まずはこちらで責任を持って対応していかなければいけません。ただ、実はこれこそがプライマリケア(何でも相談に乗ってくれる身近な医師による医療)の原点なのです。

    おひさま会は「24時間、いつでもどこでもその人に伴走できる医療体制」を全国民に普及させることを次のミッションに掲げています。ですが、当然、医療従事者だけで実現できるものではありませんから、パートナーは絶対に必要でした。医師がかかりつけ医として楽しく医療が提供できるプラットフォームを作りたいと思い、そんな大それたことにも本気で一緒に取り組んでくれる、次の時代の主役となるような企業が現れてくれればと願っていました。

    プライマリケアを推進すると、どういった医療の課題解決につながっていくのでしょうか?

    山口氏:例えば胸のあたりに違和感があったときに、胃腸科や循環器内科で検査をしても問題が見つからず、次は呼吸器科か精神科か……と悩んでいる人もいると思います。それはその人の胸の違和感に伴走する医師、つまり健康責任者がいないということなのです。また、胸の違和感に対して複数の診療科がそれぞれの思うベストな治療で介入してしまうと、優先順位をつけていないがためにかえって悪化するかもしれず、さらには医療費も時間もかかってしまう。そうすると、医療側も薄利多売になって相談も表面的になってしまい、医療の効果も満足度も下がる――という悪循環にも陥ってしまうわけです。

    これを解決するためのプライマリケアであって、かかりつけ医が症状の一丁目一番地からしっかりと寄り添い、優先順位をつけながら統合して医療を届けることが重要なのです。ただ、医師はそれぞれの専門分野で教育されており、その専門性を生かして開業しているので、包括的な対応ができる医師はいるのかという声もあります。ですが、私の地元の町のクリニックでは、先生が「この地域で何でも診ないといけない」と、地域密着で医療を提供していましたし、次の世代にも引き継がれているので、私は間違いなくプライマリケアは実現できるものと考えています。

    医療従事者が現場に専念でき、患者により向き合える環境を作りたい

    オープングループ様はRPA関連事業を中心に幅広くビジネスを展開されていますが、特に医療業界に向けてどのようなお取り組みをされているのでしょうか?

    長谷川氏:私たちオープングループは2000年に高橋と大角とで創業以来、新規事業支援を展開し、ここ最近は特にRPAや様々なデジタルを活用した伴走型のオートメーション事業をに力を入れています。そのなかで、医療業界に向けても、医療事務の業務効率化を図るプロダクトを提供するなど、様々な支援実績を有しています。

    また、中立的な立場で医療現場の生産性や労働環境などの課題解決に取り組むべく、2019年には「一般社団法人メディカルRPA協会」を立ち上げました。現在では大病院の理事長や先生方にも協会理事メンバーに加わっていただけており、活動は年々活発化しています。診断書提出用ロボットのように、多くの医療機関で汎用的に使える業務ロボットを幅広く提供し、入会者の皆様に使っていただけるようにしており、オープングループとしても協会の活動を通じながらより一層医療業界に貢献しようと尽力しているところです。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    オープングループ株式会社 長谷川修司氏

    医療業界の課題解決に向けて、オープングループ様が主体となって協会を立ち上げていらっしゃったのですね。

    長谷川氏:ほかの業界と同様、医療業界でも人手不足や働き方改革が課題に挙がっています。加えて、医療の場合は、デジタル化やDXが遅れていると言われる業界の一つであるように思います。そこに対して、私たちなりに何か付加価値が提供できる場面は多々あるのではないかと考えました。協会という方法をとったのも、ベンダーとしてRPAを提供して使ってもらうだけではどうしても表面的にしか分かり得ないところがあり、より医療現場に踏み込んでユーザー目線に立った仕組みを作るためでした。

    ユーザー目線に立つと、「高価で使いづらいけど、これしかないから使っている」というようなシステムが多くあることが分かります。医療業界に山積する課題を解決するうえではまず、使いやすい仕組みやシステムを作るために、医療機関と企業が一緒に取り組むことが大事だと思います。事務手続きなど面倒な業務はなるべく私たちの手で負担を減らしていき、医療従事者には現場に専念してより患者に向き合っていただけるような環境を作っていきたいと考えています。

    医療の未来を創るパートナーとして、志を一つに

    おひさま会様は、どういった企業を提携のお相手として希望していましたか?

    山口氏:「(すでに)あるものをこうする」よりも、「ないものを新しく作っていこう」と積極的に取り組む企業だったら嬉しいと思っていました。

    もう一つ、私にはないネットワークを持っていて、ソリューションを集めてくる力がある企業です。私自身もいろんなところに聞き回るタイプで、医療で工夫している人たちとは接触できるのですが、医療以外にも手広く交流している企業であれば絶対的に視野は広いでしょうし、普遍的なものも見つけやすいと思いますから。

    幅広いネットワークを持つ企業と手を組むことで、おひさま会様にも広がりを生み出したいと思われたのですね。

    山口氏:そうです。私が「こうしたいな」と思いついたことくらい、たぶん誰かが実現できるだろうと思っているので、不可能ではないのです。それよりも、実現するためのチームが作れていないことや、ネットワークがないことのほうがよほど課題です。いろんなつながりを持っていて、お客様に役立つものを作っている企業を求めていたので、今考えてもオープングループさんはすごくぴったりなお相手です。おひさま会のことや私の考えを理解してくれて、異業種・異業態でもおひさま会と提携するのに最適な企業をfundbookに紹介してもらえたのは良かったと思っています。

    相性抜群の様子が伺えます。最初の面談でのお互いの印象はいかがでしたか?

    山口氏:私はもう、自分の考えを話すことに精一杯でした。「こんなこととか、こんなことって面白いと思いませんか?」「こんな仕組みが必要なんです!」と。本気で聞いてくださったので、嬉しくなってたくさん話してしまいました。

    長谷川氏:こちらは医療に関してはまだまだ素人に近いものですから、ひたすらに山口先生のお話を聞かせていただきました。当社からは代表の高橋と取締役の大角、私の3人が出席したのですが、面談後も「もっと勉強しないとね!」と、全員の気持ちが高まる一方でした。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    ご両者で対話を重ねていくなかで、特に印象に残っている出来事などをお聞かせください。

    長谷川氏:当社グループ取締役の大角が山口先生と会食をしたときに話が一段と盛り上がったようで、後日「山口先生のアイデアやビジョンは素晴らしい!」と、ものすごく感銘を受けた様子で熱く語っていたことを鮮明に覚えています。山口先生には、初回の面談からプライマリケアやかかりつけ医の重要性、プラットフォームの構想などを詳しくお話しいただいていて、毎回共感するばかりでしたが、このときは特に「当社も実現に向けて動かなければ!」と自社の使命として捉えたような、一気にエンジンがかかったような、そんな感覚でした。

    山口氏:嬉しいですね。私の中で、やりたい医療の姿は2009年頃にはすでに固まっていて、方向性は何も変わっていません。例えば、24時間体制で相談できるかかりつけ医がポケットに入るようになるかもしれないし、100万人を管理できる仕組みができるかもしれない。それを海外旅行に持って行ければ、保険制度も使えるかもしれない――といった夢は持っていたんです。ただ、それは今50歳の私の次の世代が、十数年かけて作っていくのだろうなと想像していました。

    それが今になってAIの台頭など、テクノロジーが加速度的に進化してきて、時代が早まったなと思ったんです。国もデジタル化を推進していますし、高齢化も待ったなしの状況で、医療もDXやイノベーションをしなければならない状況になっています。オープングループの皆さんと、「これはもう自分たちで取り組んで、先に掴みに行くしかない!」と盛り上がりました。

    提携により「加速できる!」と高まる期待。共同で法人も設立し、医療現場の課題解決を目指す

    両者様はM&Aではなく提携の形を取られましたが、その理由をお聞かせいただけますか?

    山口氏:ありがたいことに、「対等な立場で運営していきたい」と言ってくださったんです。

    長谷川氏:医療法人なので「資本」ではないかもしれないですが、おひさま会さんと当社は「資本業務提携」という言い方がふさわしいように思います。吸収・合併のイメージでもなく、ビジネスライクな単なる業務提携でもない、対等で強固な関係性です。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    山口氏:結果的に、すごく良い形で手を組むことができたと思っています。

    提携を締結された際の山口様のお気持ちと、職員の皆様の反応や雰囲気はいかがでしたか?

    山口氏:私自身は「これから加速できるぞ!」という、すごくポジティブで楽しみな気持ちでした。

    職員は当然、提携によって何がどう動くのか、最初はよく分からないために不安はあったと思います。ですが、仲間になることにはとても寛容ですし、以前からも業務改善に自ら取り組める積極性と、変化に強い柔軟性を強みとしていました。それに、物事が前に進まず停滞していることがネガティブだと捉える雰囲気が醸成されているので、提携後も「AIでこういう新しい取り組みをしてみよう」と言うと皆で触ってみたり、地域活動もより外向的になってきたりと、前進するエネルギーがどんどん増している状況です。

    皆が「変化は大変だ」と言って進まなければ状態は悪くなるだけですが、「加速する」と信じているからこそ、私たちの実現したい未来がこれまで以上に早く近づいてきているように感じています。

    2024年3月に、両者様で新法人「ホスピタリティパートナーズ株式会社」を設立された理由や目的をお教えいただけますか?

    長谷川氏:言うならば、おひさま会さんと当社で、医療現場の課題を解決するためのジョイントベンチャーを設立した形です。オープングループの一事業ではなく、新会社として立ち上げた理由は、この「MS法人=箱」の中にグループのプロダクトや経験などの資源を存分に投入し、おひさま会さんをはじめとする様々な医療法人を幅広く支援したいと考えたからです。

    最初の段階としては、医療事務のDX支援をはじめ、人材採用や事務長業務のサポートなども必要に応じて手掛けていきたいと考えています。

    山口氏:まさに、オープングループさんの持つ資源から好きなものが詰め込める箱です。私はかねてから、実現したい医療に向けての部品は、おそらくもう世の中にはあるのではないかと思っていました。その部品を揃える箱もできたわけなので、医療業界や社会全体にとって嬉しいものができると期待していますし、それが世の中に広く普及するといいなと願っています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    全ての人に伴走者を。誰もが孤独にならず、諦めることもない世界へ

    皆様の今後の展望や、目指す世界観をお教えください。

    山口氏:専門性で縦割りになった医療より、「あなたの人生を支えます」という医療が全員に配られているような世界、つまり、全ての人に伴走者がいる世界を作りたいと考えており、その思いをおひさま会のスローガン「今日も誰かの人生と。」や、理念「伴走医療」の言葉に込めています。

    「人生に伴走するソリューションを作りたい」と、医療以外からアプローチしようとしても、全員に対して提供するのはなかなか難しいことです。しかし、医療は全ての人にニーズがあるためターゲットが限られておらず、その上、人々の生活を支えているため、あらゆるところに接続できる広がりがある。だからこそ、医療を基点に見つけたソリューションは、あらゆるビジネスや課題解決のきっかけとして、とても良いのではないかと思うのです。

    おひさま会が共通理念に掲げる「A New Harmonious World.」(あらゆる人が支え合いながら、自分らしく生きていく。そんな新しい調和の取れたハーモニーのある世界)は、医療に限定された考えではありません。医療から取り組んでいき、誰もが「孤独にならない」「諦めることがない」、そんな世界をオープングループさんとともに目指していきたいと思っています。

    長谷川氏:オープングループとしても、おひさま会さんがやりたいことは全力でバックアップしていきたいですし、ホスピタリティパートナーズとしても、皆さんの給与にしっかり還元してモチベーションをさらに高めていただけるよう、活動を強化していきます。

    ホスピタリティパートナーズの社名には、「“ホスピタリティ”=使いやすい新しいプラットフォームを作る会社になる」「“パートナーズ”=伴走する」の思いが込められています。良い形でスタートが切れているので、引き続き勢いを絶やさぬまま前進していきましょう。

    最後に、山口様ご自身の今後の抱負をお聞かせください。

    山口氏:もっと輪を広げていきたいです。ネットワークが広がり、どんどん知恵が集まれば、目指す世界や思い描いていた未来はもっと早く訪れるはずですから。15年後にできると思っていたことを、10年後、5年後に実現できるように、私自身これからも貢献していきたいと思っています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    <新設企業 ホスピタリティパートナーズ株式会社 概要>
    設立  :2024年
    代表者 :代表取締役 長谷川 修司
    事業内容:在宅医療に関して発生する情報の管理受託業務、医療事務に関する各種書類の作成医療関連事業の営業、調査、マーケティングの支援医療関連事業の経営支援、医療関連人材の派遣、採用支援、評価、教育、研修コンピューターによる医療事務に関連する計算業務の代行情報ネットワーク及びシステムの構築、運用、ソフトウェア制作
    所在地   :東京都港区
    URL  :https://hospitalitypartners.jp/

    医療法人と企業の連携は必須。行政やNPOも加わってほしい

    医療法人 おひさま会
    理事長 山口 高秀氏

    医療はもはや、その地域を左右するほどの重大な存在となっており、ましてや変化がより一層大きくなるこれからの時代で、医療法人と企業との提携は必須になると思います。医療の中だけでも医師、看護師、薬剤師などが協力する多職種連携が必要とされていることと同様に、いろんな文化や強みを持っている企業・法人同士が連携するほど、良いものができると考えるからです。さらに言えば「医療法人×企業」だけでなく、行政やNPOも連携したほうがもっと良いでしょうし、農業や漁業、国際団体などとも連携できれば、ますます面白い取り組みができるかもしれません。

    同じ理念を持っていたり、同じ方向を見ながら進んだりできるのであれば、色々なところと手を組んでも、何ら問題はないと思います。大事なことは、一方的なギブアンドテイクの関係になるのではなく、一緒に“伴走”してネットワークを広げていける関係となること。「つながればつながるほど、良い連携が生まれてくる。どう考えてもつながりが多いに越したことはない!」というのが、私の意見です。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    違う者同士が理念を共有し手を組めば、新たな化学反応が生まれる

    オープングループ株式会社 経営企画部長 
    ホスピタリティパートナーズ株式会社 代表取締役
    長谷川 修司氏

    私たちは、提携やM&Aにしても、日頃の業務の受発注においても、「共創型」で一緒にビジネスをしていこうというメッセージを発信しています。どちらかが使う・使われる立場になるのではなく、理念を共有しながら共同で働くことで、長く付き合える良い関係に発展できると考えているからです。

    これだけ激しい変化が起きている今、1社単体で何でもできる時代ではなくなっています。スタートアップ企業がエコシステムの構築により発展しているように、医療法人や私たち企業もほかの法人などと手を取り合い、互いの強みを掛け合わせながら変化に対応し、未来を創っていければ、より速いスピードで、より良いものが作れるはずです。理念の共有を大前提に置きながら、違う文化や物の見方を持つ者同士が手を組むことにより、これまで考えつかなかったような発想や化学反応が生まれるだろうと期待しています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    担当アドバイザー コメント

    在宅医療を幅広く展開するおひさま会様と、RPAによる業務効率化や新規事業支援を行うオープングループ様との業務提携をご支援させていただきました。
    おひさま会の山口先生とは、初めてお会いした際「2050年を見据えた医療体制のビジョン」について、熱く語られている姿が非常に印象的でした。
    その後、訪問診療への同行、おひさま会様の研修等に参加させていただき理念や体制の理解を深める中で、理想的な提携のお相手について時間をかけて擦り合わせ出来たように感じます。
    オープングループ代表の高橋社長、大角様、長谷川様もチーム一丸となり、山口先生のビジョン理解に努めていただいたうえ、提携によるメリットを具体的に示していただけたことで本件を実現することができました。
    双方の希望がぶつかった際でも決してネガティブな意見は出ず、課題解決に向けお互い前向きに議論を進められたのは、双方が実現したいビジョンを明確に持っていたからだと感じました。
    異業種でありながら、議論を重ねビジョンを共有された両社の提携に携われたことを嬉しく思います。今後の両社の更なる飛躍とご発展を心より応援させていただいております。

  • 「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    医師の高野英男氏が1980年に福島県双葉郡広野町で創設した「医療法人社団養高会 高野病院」。眼下に海を望む自然豊かなこの場所で、地域の皆様に寄り添った医療を提供しています。英男氏の娘・高野己保氏(以下、高野氏)も、事務長として職員や患者を支えてきました。

    そんな高野病院の日常が、2011年3月の東日本大震災で一変。震災直後のライフラインの寸断はおろか、原発事故の避難指示区域から程近いために職員が減少し、さらには広域な双葉郡で高野病院だけが診療を続ける事態になりました。ただ一人の常勤医として働き続けた英男氏も心労が重なり、2016年末に急逝。その1カ月前に理事長を継いでいた高野氏にとって、まさにそこからも医師探しやコロナ禍などで苦難が絶えなかったと言います。

    病院を残すために奔走し続けて7年。医師であり、医療機関の経営改善でも実績の豊富な小澤典行氏と出会い、2023年11月に小澤氏が高野病院を承継。地域医療の拡充に向けた取り組みが、もうすでに始まっています。病院も地域も幸せになるM&Aの形とは――。高野氏と小澤氏にお話を伺いました。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    震災直後、地域で唯一診療を続けてきた高野病院

    高野様が父・英男様の創設した高野病院で働こうと思われた背景をお教えください。

    高野氏:医師としての父は本当に尊敬すべき人でしたが、娘の私からすると、幼い頃から父と一緒に過ごした記憶がほとんどないほど、家族を二の次にしてまでも医師として生きてきた人でした。高野病院は私が中学生の頃に開業し、当時の私は多感な時期でしたから「何においても患者さんを優先させる父が、家族を放っておいてまでも守りたいものや、貫きたいものとは一体何なのだろう」と、最初はけんか腰で見るような興味があったんです。

    30年ほど前に、初代の事務長が体調を崩されて代わりの人員が必要となり、それがきっかけで私が高野病院に入職することになりました。当初は時々来ては院長秘書や事務長の手伝いをしていましたが、次第にここでの仕事がメインとなり、2002年には事務長代理に就任し、その後2008年に事務長に就任しました。

    高野病院で働くうえで、どういったことを心掛けてきたのでしょうか?

    高野氏:病院を創設した院長の娘が来るとなると、親の七光りと思われても仕方がないです。最初は事務を手伝う程度でしたが、急に事務長代理になって指示をする立場になったわけですから、それを面白く思わない人だって少なくありません。なので、まずはその人たちが一緒に仕事をしてくれるように働きかけようと心掛けてきました。
    昼食後に職員が集まる休憩室に毎日出向き、最初は相手にしてもらえなかったものの、徐々に話してくれるようになり、1年も経たないうちに「早くおいで!」と言われるまでになりました。事務仕事は慣れればどうにかなりますが、やはり人との関係性を構築するまでが一番大変でした。

    医療法人社団養高会 高野己保氏

    高野病院で勤務して、「何においても患者さん優先」だった英男様の気持ちや行動の理由が見えてきましたか?

    高野氏:見えたというより諦めに近いような、「医師ってこうなのかな」と折れたんです。医師と事務長のそれぞれの立場から言い争いになることもありましたが、結局のところ、父の患者さんは常に寄り添ってもらえて幸せだったんだろうなと思います。

    東日本大震災と原発事故後、高野病院だけが双葉郡で唯一診療を続けてこられたことも、英男様の医師としての使命感の強さが表れていると思います。当時の状況をお聞かせいただけますか?

    高野氏:急性期(発災から1週間程度)はとにかく、水、食料、燃料、電気など、生きるために必要なものを確保することに一番苦労しました。そんな誰もが大変なときでしたが、隣町のスーパーの社長が「食べ物を自由に持って行っていいよ」とお店の鍵を置いていってくださったり、近くのガソリンスタンドの所長も自家発電機用の軽油を使わせてくださったりと、皆様からの支援を受けられて本当に心強かったです。

    また、自家発電機から異音がして、県の災害対策本部を通じて東北電力が持ってきてくれました。そのときの担当者が当院の状況を見て「こんなに頑張っている病院なのに、発電機を置いただけで去るわけにはいかない」と思ってくださったようで、3月の冷たい雨に濡れながら、1日がかりで遠くから電線をつないで電気を通してくださいました。

    ほかにも、ガソリンが不足して職員が移動できないなか、当院の状況を知ったいわき市のガソリンスタンドの方から連絡をいただき、給油していただけたおかげで避難所に職員を迎えに行けましたし、そこで出会った新聞屋さんが「自分の親も入院中で、病院の大変さが分かるから」と、新聞を毎日渡してくださったんです。地域の皆様や初めて出会った方々にも助けられて、なおのこと病院を続けなければという気持ちになりましたね。

    高野病院を事務長として支えてこられた高野様の役目も、とても大きかったと思います。高野様が理事長に就任された経緯をお教えいただけますか?

    高野氏:2016年3月頃から、父に足腰の衰えや手の震えが見え始めたんです。検査をしても脳にはまったく異常がなく、今振り返ればフレイル(虚弱)状態だったと思いますが、やはり震災後の疲労が大きかったのでしょう。避難により職員が減ったため、長らく常勤医は父一人の状況が続き、いくら医師とはいえ、あの年代の人が続けられる仕事量ではありませんでしたから。

    それで、何かあった場合でも必ず病院は残さないといけないと思い、半ば強引に父を説得して県に特例認可申請を出し、同年11月23日に事務長だった私が理事長に就任しました。その翌月に父が火災で急逝してしまったのですが、あのときに私が理事長に就任せずに事務長のまま病院を継続することになっていたら、もっと厳しい状況になっていただろうと考えると、父がいるうちに理事長をバトンタッチできていたことは不幸中の幸いだったと思います。

    病院経営が安定しなければ、患者さんを救い続けることができない

    小澤様のご経歴をお教えください。

    小澤氏:私は富山医科薬科大学(現:富山大学)医学部を卒業後、心臓カテーテル治療や遺伝子解析の研究にずっと従事してきましたが、ここ10年ほどはいくつかの病院で院長を務めながら、経営改善や病院経営の立て直しをすることに力を入れています。多いときにはグループで全国各地の5病院を同時に経営改善し、全ての黒字化に成功したという経験があります。

    どのような経緯があって、病院の経営改善を専門的に行うようになったのでしょうか?

    小澤氏:以前、医師として勤めていたときに、院長に就任するよう声が掛かったんです。ただ、当時の私はカテーテル治療に専念したく断っていたのですが、理事長からも「自分の好きなことだけをやっていてはいけない」と説得され、院長になることを決意しました。院長になるからには、やはり経営をしっかりできなければいけないだろうと思い、病院経営について徹底的に勉強するようになったのです。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継
    医療法人社団養高会 小澤典行氏

    医療業界の課題をどういったところに感じられているのか、お二人それぞれのお立場からお聞かせいただきたく思います。

    小澤氏:医師というのは、本当にお金ではなく道徳心で動いているんです。だから、経営の観点にはなかなか立つことができないのです。私が心臓カテーテル治療をしていたときも当然、途中で終えるわけにはいかず、快方に向かうまで続けなければいけませんでした。ですが、そうすると保険がどんどん切られていき、赤字になってしまう。それを当然だと思っているのが、医療の現場です。いろんな院長と話していても、この状況を「仕方がない」と言うのですが、私は「仕方がないで済ますのではなく、工夫しなさい」と一貫して指導してきました。

    決して、治療をするなと言っているわけではありません。病院の経営が成り立たなければ、治療することもできなくなると認識してほしいのです。私が臨床の現場に出たい本心をぐっと抑えてまで病院経営を専門とする道に進んだのも、やはり「患者を救う」という医師の満足のために、病院自体を危機にさらしてはいけないと強く思ったからです。医療の提供と経営のバランスを取るように工夫する意識を浸透させることが、今の課題だと思います。

    高野氏:父がよく「病院がなければ患者さんが困る。患者さんがいなければ病院が困る。だから、お互い共存していかないといけない」と言っていたのですが、まさに小澤(現)理事長の仰る経営の観点を持つことにも通じると思います。ですが、そういう観点で医療を提供できる人は少ないようにも感じます。

    地域の人々が安心できるよう、「高野病院」のまま承継

    高野様がM&Aを検討し始めた時期や理由をお教えください。

    高野氏:2022年3月頃から検討を始めました。コロナ禍の影響で赤字が続いてしまい、それでも病院を閉めるわけにはいかないという思いが一番にあったので、病院を残すためのいろんな選択肢を考えたんです。その一つにM&Aもありましたが、M&Aについて詳しく知らなかったので、当時の経営コンサルタント経由で仲介業者に相談しました。ところがその仲介業者の担当者と意見が合わずに頓挫してしまい、自己破産することも厭わないと腹をくくっていました。

    そんなときに、偶然fundbookさんからM&Aの解説DVDを配布しているというご案内が届いたのです。日頃はそういった案内はほとんど目に留まらないのですが、病院を残す道に導かれていたのか、「申し込もう」と行動に移し、それを機にfundbookさんと連絡を取り合うようになりました。直前に一度M&Aが白紙になってもう懲りていたはずなのに、不思議なものです。

    小澤様からも、M&Aを検討した理由をお教えいただけますか?

    小澤氏:私が以前勤務していた病院グループは何度かM&Aを実施していたのですが、そこで身に染みて思ったのが、「規模を大きくすれば確かに安定はするものの、単なる陣取り合戦だけになって、M&A後の地域医療や病院職員を置き去りにしてはいけない」ということでした。なので、譲渡する側も譲受する側も、そして地域の皆様や患者さんも、全員がWin-Win-Winで幸せになるM&Aを目指し、自ら譲受に向けて動こうと考えました。

    今、この高野病院の副理事長には、私と一緒に各地の病院を立て直してきた徳丸さんという方が就任しているのですが、Win-Win-Winの構想は彼とともに5年ほど前から温めてきていたもので、それが実現できる病院を探していたときに、高野病院と出会えたのです。

    小澤様は、高野病院のどういったところに共感を持たれたのでしょうか?

    小澤氏:福島という土地は初めてだったので、はじめは「震災で大変だったんだろうな」くらいの想像しかできませんでした。そこで、高野顧問の奮闘がつづられた書籍(『福島原発22キロ 高野病院 奮戦記 がんばってるね!じむちょー』東京新聞出版局)を読んだところ、養高会の苦労や高野顧問の情熱がものすごく伝わってきたのです。私と徳丸さんが考えていた、地域を守り、病院を守っていくWin-Win-Winを叶える場所としてうってつけだと思い、「ぜひ、高野病院を承継したい!」と、声を掛けさせてもらいました。

    面談でお会いしたときのお互いの印象はいかがでしたか?

    小澤氏:高野顧問は書籍の通りのお人柄だなという印象でした。書籍には胸が詰まるほどの震災後の苦労が書かれていたのですが、それでも写真は全部笑顔だったんです。それは頑張って作った笑顔だったのかもしれませんが、あの苦労のなかで笑顔を出せるとは、なんて強い人なんだろうなと。誰にもできないことです。地域にそれだけ情熱を持っている人と一緒に仕事をしたいと心から思いましたし、今も当時の印象のままです。

    高野氏:私自身はM&Aが成約すれば高野病院を去る覚悟をしていたのですが、後をお任せした際に病院はどうなるのかをとても気にしていました。M&A成約までは良いことを言っていても、後に職員の給与を下げたり、思わぬ方針転換をしたりするケースもゼロではないと思っていたので、最初にお会いした時点ではまだ100%信用していたわけではなかったんです。

    ところが、小澤理事長が「病院の名前は変えません」と仰ってくださいまして。面談の場でそうはっきり断言してくださるということは、信用できるかもしれないと感じました。やっぱり父が高野病院にこだわってきて、私もこの名前を大事にしたいという思いがあったので、高野病院のまま承継してくださるのであれば嬉しいなと思いましたね。

    小澤氏:やはり地元に高野病院があるということで、地域の皆様が安心感を持てているわけですから、高野病院として残さないといけません。なので変えることはありません。

    高野氏:「自分が承継したからには、法人名や病院名を変えたい」と思う人も少なくないと考えていたんです。なので、高野病院として残すという決断は信用につながりましたし、同時に、「名前を変えたがらないなんて不思議だな」と思ったくらいでした。

    M&Aを進めるうえで、大変だったことはありましたか?

    高野氏:M&Aではかなり多くの資料を揃えて提出する必要があるので、一般的には3~4人が関与しながら進めることが多いそうですが、今回は私一人で進めていましたし、加えて子どもたちの引っ越しなど、病院と家庭の両方で色々な大仕事が重なったため、一時はかなりの激務をこなさないといけない状態でした。一方の小澤理事長はスピーディーに対応されていたようなので、まるでジェット機並みの進捗に目が回るようでしたが、小澤理事長の情熱や、こまめに連携してサポートしてくれたfundbookのアドバイザーさんのおかげで、成約まで進めてこられたと思っています。

    小澤氏:高野病院は書類が非常にきれいにまとめられていました。いざM&Aをするとなったときに、必要な資料や証書が見つからないというケースも多いなか、創設から40年以上が経つにもかかわらずとてもスムーズに進められたのも、高野顧問が事務のトップとしても日頃から整理されてきたことに尽きると思います。

    M&Aが成約したときの高野様のお気持ちはいかがでしたか?

    高野氏:成約直前のことですが、10月の最終調印の前日は本当に今までにないほど胃が痛くて、「私、こんなに根性がなかったのかな」と思いました。

    そして11月にとうとう成約したときは、半々の気持ちが入り乱れていました。小澤理事長と徳丸副理事長は経営者としてすごく尊敬できる分、「私はこれができなかったんだ」と少し卑屈になるときもありましたし、反面では、父が亡くなってからの7年間、なんとか病院を残して引き継ぐことができたという安堵の気持ちが交互に押し寄せるような感じでした。

    今はもう、高野病院がこれからも続いて、職員がハッピーでいてくれたらいいなと。その気持ちしかありません。

    M&A成約に対して、職員の皆様からの反応はいかがでしたか?

    高野氏:当院にはお世話になった方々がたくさんいるので、さすがに急に「今日付で理事長を退任します」なんて不義理なことはできない、ということを小澤理事長にもご理解いただき、M&A成約の前から少し前から職員には伝えるようにしていました。職員だけには動揺させたくなく、一番先に伝えるべきだと思ったからです。

    職員は高野病院が好きで働いていても、やはりそれぞれが自分の生活を守らないといけませんし、そういう人たちが集まって働いてくれていることを私たちは忘れてはいけません。職員からは高野病院がどうなるのか心配する声も寄せられましたが、個別に色々と聞きに来てもいいよと話しました。また、小澤理事長も心配事や疑問を解消できるように職員向けの説明会も開いてくださったので、すぐに落ち着けたのではないかと思います。

    小澤様が理事長に就任してから、改めて感じた高野病院の良さや魅力についてお聞かせください。

    小澤氏:やはり震災を乗り越えてきたわけですから、この地域で暮らす方々は心が強く、職員の皆さんも自分をしっかり持って仕事をしてくれる人ばかりです。私の経験からも、理事長や院長が変わったり、何かが経営に入り込んできたりしたときは、もう皆が右往左往してしまうものですが、そんな事態にならず、きちんと統率を持って運営できているところに、高野病院の強さを感じます。

    高野氏:M&A前から院長が変わらずにおりますので、病棟での連携はこれまで通りに取れていると思います。それもこれも、職員が不安なく仕事ができるよう、体制や環境を大きく変えずに努めてくださった小澤理事長のおかげです。

    地域のために、困っている人々のために、できることを広げていく

    M&A成約後に高野様は病院を去る覚悟だったそうですが、引き続き顧問として病院を支えられることになった経緯をお教えいただけますか?

    小澤氏:私は、最初から高野顧問には病院に残ってもらいたいと考えていました。Win-Win-Win構想でお話しした通り、地域の医療を守ることが重要なので、地域に一番精通する人がいなくなってしまっては、外から来た私たちだけでできることは何もないだろうと。それで、私たちからお願いして顧問を引き受けていただきました。

    ただ、譲渡する側と譲受する側の心理はかなり違うと思うんです。高野顧問が成約時の気持ちを仰っていたように、自身が情熱を注いで守ってきた病院の経営権が移ったということなので、つらい思いもかなりあるだろうと考えると、顧問をお願いするのもすごく心苦しかったです。しかし、この病院は高野顧問がいなければきちんと維持できないでしょうし、やはり高野家が作ってきた病院ですから、理事長を務めてきた高野顧問にはしっかり見届けてほしいと、こちらの思いを伝えながらお願いさせてもらいました。

    M&A成約後、高野病院ではどういったお取り組みを始められているのでしょうか?

    小澤氏:この地域の医療は、震災後に唯一診療を続けてきた高野病院が担っていくしかないと思っています。2018年に、救急医療を行うふたば救急総合医療センターが開設されましたが、双葉郡という広い土地で救急対応ができる医療機関はそこしかなく、1カ所で全域をカバーすることは不可能と言えます。

    本来、高野病院は慢性期病院なのですが、震災からしばらくの混乱していた時期には、先代(英男様)がお一人で救急患者も受け入れていたそうです。今も地域のなかに困っている人たちがいるはずですから、当院も救急の入院施設になるしかないと考え、2023年1月から救急対応を再開しました。救急対応に必要な設備を整えるために開始したクラウドファンディングには、多くの方々から寄付をいただいています。

    また、病院に通えない方々に必要な訪問診療も、この地域では不足していたため、2月から新たに開始しましたし、現在はさらにリハビリの強化にも取り組んでいます。高齢になったり、脳梗塞になったりした患者さんにとって、リハビリはとても大事になるので、リハビリ設備や専門人材を追加して、充実化を図っているところです。

    すでに多くのお取り組みが始まっていることからも、地域医療に対する高野病院の皆様の熱意が伝わってきます。今後の展望についてもお聞かせいただけますか?

    高野氏:震災後、「何としてでも高野病院は残すんだ」という思いでここまでやってきたので、それはこれからも一貫して変わることはありません。ただ、父が「共存」と言っていたように、残るだけで役に立たない存在ではいけないのです。父が急逝してからは、医師を探すことさえすごく大変で、「この地域に高野病院は役に立っているのだろうか?」と考え込むときも多くありました。

    今回、小澤理事長が来てくださったことで、高野病院がまた地域にきちんとお役に立てるようになってきたと実感していますし、以前の私たちではできなかったことを着実に進展させ、大きくしながら未来につないでくださっていると思い、ありがたい気持ちでいっぱいです。今後も、ここにあり続けながら地域に貢献していきたいという思いに尽きます。

    小澤氏:維持することは大事ですが、私は、維持するために削減や効率化ばかりをやっていてはいけないと思うのです。救急、訪問診療、リハビリを強化しているように、外に向けて活動を広げていく“ポジティブな維持”もしていかなければいけません。この地域に本当に貢献できる病院として維持していくことは、高野顧問ともしっかりと意見が一致した私たちの目的であり、そこに向けて今の計画を拡大しています。ポジティブな考えのもとで維持し、進展していくことが、今後の高野病院の展開になります。

    最後に、高野様ご自身の今後の抱負や、挑戦したいことをお教えください。

    高野氏:私たちは東日本大震災と原発事故を経験しました。原発事故はとても異質な出来事だったにしても、その後各地でたくさんの災害が起きるたびに、経済的支援などといった、行政のあらゆる対応が不十分なままだと私は思うのです。もっと改善してもらうために、震災を経験した立場として何かをしないといけないという使命感から、震災についての講演を全国で続けてきました。ただ、2011年から日が経つごとに皆さんの興味が薄れてきたのか、依頼が少なくなったので、一度は講演をやめようと思った時期もありました。

    しかし、2018年に北海道胆振東部地震が発生した際、避難所ではまだ段ボールしか敷けていなかったり、自家発電機がなかったりする様子を見て、やっぱり自分が経験したことは今後も続けていかなければいけないと痛切に感じたのです。災害発生直後は現地に出向いた医師や看護師によるケアが受けられると思いますが、彼らが引き上げた後に取り残された病院は、結局大きな困難に直面するわけです。実際、私たちがそうであったように。なので、私はあきらめずに伝え続けなきゃいけない――。そう思って、今も講演の依頼を受け続けています。

    今後は理事長だったときよりも、もっと災害について勉強する時間などもきっと作れると思いますし、いざというときには現場でもっと動けるようになると思うんです。もちろん、災害が起きないことが一番の理想ですが、私の知識と経験と力を生かして困っている方々の助けになれるよう、これからも頑張っていきたいと思っています。

    全員の幸せを目指す病院の承継ができると、広く認識してほしい

    医療法人社団養高会 高野病院
    顧問 高野 己保氏

    今回のM&Aを経て、譲渡するにも経済的によほど限界を超えた状態では、成約までのハードルはすごく高くなっていただろうと思いました。譲受する側だけでなく、譲渡する側も当然一定のコストは必要になりますし、地域の皆様にとって必要で、今後も続いていくべき価値のある病院でなければ、承継者探しも難しかったのかもしれません。
    一方で、いくら“事業承継”という名称で分かりやすく説明しても、「高野病院は一体どうなるんだ?」と心配される声を多くいただき、医療業界はとりわけM&Aに対するネガティブな先入観がまだまだ強く持たれていることも実感しました。
    ですが、高野病院は確実に良い方向へ進展し始めています。当院のようなケースもあることや、小澤理事長のように全員の幸せを目指す考えを持って承継する方々もいることを、もっと広く認識していただけるようになれば嬉しく思います。

    震災を経験した病院を残していかなければ、医療は進まない

    医療法人社団養高会 高野病院
    理事長 小澤 典行氏

    今、数多くの地方のクリニックや小規模の病院が後継者不在に悩んでおり、病院の存続が危機的な状況にあります。その解決策として、M&Aは今後ますます盛んになってくると思いますが、ただの陣取り合戦を目的に譲受するようではいけません。信頼の置かれている病院を、地域の方々が困らない形で承継するM&Aにしていかなければならないと思うのです。
    また、最近は若くして医師を辞める人も珍しくなく、医療業界における引き継ぎの重要性について改めて考えさせられています。アーリーリタイアすること自体は、各々の価値観や人生観があるので肯定的に捉えていますが、医師というのは自身の人生と同様に、診ている患者さんの今後も大事に考えなければならない立場にあります。私はこれまでも患者さんが困らないよう手助けをしてきましたが、医師の引き継ぎや病院の承継は、患者さんを救うためにも意義が大きいものなのです。
    そしてもう一つ、この高野病院のように、震災を経験した病院を後世にしっかり残していかなければいけません。当時、何が起きてどう対処したのか、その経験はここにいた職員にしか分からないことですし、私も承継するまではこれほどまでの苦難があったとは知り得ませんでした。病院を残し、啓発していかなければ、10年先も医療は進みません。有事の際にどう対処できるのか、それを示すことが私たちの大事な仕事であり、果たすべき責任だと思っています。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    担当アドバイザー コメント

    原発事故後、双葉郡の病院が次々と閉鎖する中、医療を提供し続けた唯一の病院が「高野病院」様です。この地から病院をなくすわけにはいかない、その一心で病院運営を行われてきました。そのような、地域医療の最後の砦ともいえる医療機関の事業承継に携われたことを光栄に思います。

    昨年秋の事業承継後も、小澤理事長と高野顧問が協力して、病院運営をしておられます。2024年に入ってから、地域の医療ニーズに応えて、救急や訪問診療という新たな医療の提供も始め、新体制の下でも地域患者様の為に尽力しておられます。

    二人三脚で、この地に必要な医療を提供し続けられることを影ながら応援しております。

  • 50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    愛知県名古屋市で生まれ育った小池嘉一氏。大学進学で上京し、証券会社への就職が決まった後に、父が地元で工作機械の周辺機器メーカーを起業したと知らされました。社名は、コイケエンジニアリングアンドサービス株式会社。創業以来、技術と品質が評価され、堅調な業績を誇っています。

    いずれは地元に帰ろうと考えていた小池氏は、20代で証券会社を退職し、同時にコイケエンジニアリングアンドサービスに入社。2009年に父から経営を引き継ぎ、社長に就任しました。そして50代に入った頃、「このまま社長として終わるのではなく、何か新しいことを始めたい」という思いが湧き、M&Aを検討。事業の継続と、会社を必要としてくれるお客様のことを考えたうえでの判断でした。

    モータ製造を行う株式会社FEWと出会い、お互いの事業や業界に対する熱心さに感銘を受け、2023年10月にM&Aが成約。小池氏は2年間、社長を続ける予定です。ニッチな領域でのものづくりを得意とする両社がM&Aに至った経緯や、ともに描く未来とは――。小池氏とFEW代表取締役の仲下正一氏に、お話を伺いました。

    株式会社FEW 作業場

    株式会社FEW 作業場

    父が創業した会社。地元へ戻り、自ら継ごうと決意

    コイケエンジニアリングアンドサービス様とFEW様の事業内容や強みをお教えください。

    小池氏:当社は、私の父が創業した1990年から、液面計やオイルスキマー、フィルターといった工作機械に取り付ける周辺機器の開発・製造・販売を手掛けています。特許取得の技術があったこともあり、小さなマーケットながらも他社がどこも参入してこなかったため、34年間ずっと値下げすることなく、市場を独占した状態で事業を続けてこられました。
    「生産現場の満足を得ること」をコンセプトに、当社製品はこれまで、大手自動車メーカーなど数々の名だたる企業の生産現場で導入していただきました。昔は製品に付いている電話番号を見て問い合わせてくださるお客様も多くいたほどで、ネットがない時代も商品自体が当社を宣伝してくれて、順調に販売先を拡大してこられたと思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A
    コイケエンジニアリングアンドサービス株式会社 小池嘉一氏

    仲下氏:当社は1920年の創業以来、モータ製造一筋に取り組んできた会社です。モータというのはすでに成熟製品で、性能で圧倒的な差別化を図ることは難しいですが、多くのメーカーが大量生産かつ自動化を進めることで競争力を高めようとする傾向にあります。その中で、当社は大量生産型ではなく、「1台だけ欲しい」という要望や、個社別の細かなカスタマイズニーズにも長年応え続け、結果的にモータ業界内でも競争の少ない領域で、あまり下請けのようにならないニッチなポジションを確立してきました。
    そのため、お客様の業種も多岐にわたっており、業種ごとに需要の増減があっても当社の業績は毎年バランスが取れているので、景気に対する耐性は強い方だと思います。自分たちで狙ってそうなったわけではありませんでしたが、今では他社がやりたがらないような「ニッチさ」が長所となっています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A
    株式会社FEW 仲下正一氏

    小池様がコイケエンジニアリングアンドサービス様を継がれた経緯をお教えいただけますか?

    小池氏:私が大学4年生のときに父が当社を立ち上げたのですが、それまで起業することはまったく知らされておらず、創業時には私もすでに証券会社への就職が決まっていたんです。大学卒業後はそのまま就職し、新規開拓などの営業を担当していました。そうして3年8カ月が経った1994年に証券会社を退社し、1995年にコイケエンジニアリングアンドサービスに入社しました。
    私は一人っ子なので、就職する前からいずれは地元に帰ろうと考えていましたし、父が47歳のときに創業した会社なので、継いでほしいと直接言われてはいないものの、きっと誰かに継いでほしいだろうと思っていました。なので、自ら会社を継ぐことを決めたのです。

    金融とは違う業界への転身に、不安や抵抗はありませんでしたか?

    小池氏:子どもの頃からプラモデルをたくさん作っていたほど、もともと何かを作ることが好きでしたし、車にもすごく興味があったので、メーカーに移る抵抗感はなかったです。ただ、業界や事業を知らないと何もできないので、入社後しばらくはお客様企業に関連する展示会をほぼ全て見に行きました。そうして日々経験を積みながら、1998年に取締役に就任し、2009年に父から社長を引き継ぎました。

    コイケエンジニアリングアンドサービス様の製品は業界からの評価が高いと伺いましたが、小池様は経営するうえでどういったことを心がけてきたのでしょうか?

    小池氏:大々的にビジョンを掲げているわけでもなく、本当に好きにやってきたと言うほかないんです。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    仲下氏:小池さんご自身からはなかなか仰らないと思いますが、一緒にお客様と話す機会が増えてすごく実感するのが、小池さんはものすごい敏腕セールスマンなんです。いろんなタイプのお客様がいらっしゃるなかで、それぞれの企業と非常に良い関係を構築されています。そこにはやはり、持って生まれた資質と、社長としての責任感があるんだろうなと。私も金融の営業出身なので、「こういう営業ができたらな」と羨ましく思うほど、稀有な存在です。小池さんだからこそ、お客様からの信頼が厚いのだと思います。

    「新たな挑戦をしよう」社長からの引退を見据え、50代でM&Aを検討

    小池様がM&Aを検討された時期や理由をお聞かせください。

    小池氏:この仕事はすごく好きで性に合っているのですが、仕事では何の後悔もないくらい大抵のことをやってきました。それに、自分の子どもたちが独り立ちしてきたタイミングも重なったことで、私自身も「このまま社長を続けてキャリアを終えるのではなく、思い切って何か新たな挑戦をしようか」と考え始め、なんとなく55歳頃に当社の社長から引退しようと思ったんです。最初は2021年にM&Aの検討を始め、譲渡先を探そうとしたのですが、ちょうどコロナ禍の真っただ中で例年よりも業績が振るわず、そのときは経済情勢が回復するまで待とうという判断になりました。
    そして2023年にfundbookさんから最初のコンタクトをいただき、再度動き始めることになったんです。ただ、会社や自分が困っているわけでもなく、無理して今すぐM&Aをする必要もないと思っていたので、「良いお相手が見つかればM&Aしようかな」程度の動き出しでしたね。

    M&Aに向けて動き出すことに、ご自身や創業者であるお父様の心境に迷いはありませんでしたか?

    小池氏:実は、会社を経営している私の知人が昨年M&Aをして、上場企業のグループに入ったのですが、その人がもし後悔するようなことがあれば考え直そうと思っていました。その人はM&A後も引退せずに社長を続けており、辛そうな様子もなかったので、「じゃあ、私もM&Aに向けて動いてもいいよね」と。それが気持ちを後押しする大きな要因でした。
    また、父にはM&Aをふと思い立った2021年から話をしていたのですが、そのときから止められることは一切ありませんでした。本心では私の子どもに継いでほしそうでしたが、無理に継いでもらう時代でもないですし、子どもたちもそれぞれ自分の道を進んでいるので、理解してくれていたのだと思います。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    仲下様からも、M&Aを検討された理由や経緯をお聞かせいただけますか?

    仲下氏:私は2020年に当社に入社し代表に就任したのですが、中小企業の代表を務めるのは2社目で、以前も100名規模の会社で、なおかつ事業の「ニッチさ」で共通する機械メーカーでした。中小企業の中核に入って経営していると、中小企業は本当に力が分散しているということをものすごく感じます。まず、人材が不足していて、事業の中核を担う人がわずかしかいません。そうはいっても世の中全体的に採用が難しくなっていて、専門性が問われるような時代です。ほかの従業員も自分の仕事で精一杯で、採用活動も思うようにはできません。
    その状況下で将来の日本のものづくりを俯瞰すると、やむを得ずやめていく事業者ばかりになるのではないかと懸念されるのですが、私はその様子を本当に見たくないと思っているんです。後継者がいても事業が継続できないほどの難しさになっていますから、経営はプロの経営者などに集約して、ものづくりの事業はそこに専念できるような環境を作ることがベストなのではないかと。企業同士がグループの中で協業し合い、お互いの持つ人的リソースや経営資源を共有することで、中小企業のものづくりを維持し、発展させたいという考えが、今回のM&Aの検討につながりました。

    小池様は、どういった企業とM&Aをしたいと考えていましたか?

    小池氏:当社の健全な経営とお客様との良好なお付き合いを続けてもらえるなら、違う業界の企業でもまったく構わないという考えでした。また、会社の体制は大幅に変えてもいいかもしれないと思っていましたが、今の当社のスタンスを気に入ってくれているお客様や従業員のことを考えると、全てが変わると厳しいだろうと思ったので、今までの雰囲気も大事にしていただける企業であれば、という希望がありました。

    一方の仲下様は、どういった企業をM&Aのお相手に探していらっしゃいましたか?

    仲下氏:一つは、当社のモータ事業でもできないことはたくさんあるので、お互いの不足を補い合えるようなM&Aをしたいと考えており、これは今後も引き続き機会を伺いたいと思っています。
    もう一つはやはり、参入障壁が低い事業ではなく、「ニッチ+ものづくり」であることにこだわりたいと思っていました。ニッチな事業を行う企業でも、後継者不在など様々な悩みを持たれているなかで、当社と一緒に解決できる企業であれば、モータ製造に限らず手を組みたいなという考えがありました。

    M&A成約へ導いたのは、お互いの「人柄」と「ものづくりへの熱意」

    コイケエンジニアリングアンドサービス様とは、どのようにして出会いましたか?

    仲下氏:当社の総務部長がfundbookさんと連絡を取っていたなかでコイケエンジニアリングアンドサービスさんのお話が舞い込み、私も資料を見させてもらったのですが、とても業績が良く、自己資本も厚い会社でいらっしゃるので、最初は高嶺の花のように感じて、一旦は横に置いていました。しかし、1~2週間後にどうしてもまた気になった私は再度資料を手に取り、まるでコイケエンジニアリングアンドサービスさんの収益力に背中を押されたかのように、お会いしたい意向を伝えました。いろんな偶然が重なり、良い出会いにつながったと思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    そうしたなかで出会われた両社様ですが、小池様と仲下様が面談でお互いに受けた印象はいかがでしたか?

    小池氏:最初にお会いする前から、fundbookのアドバイザーさんに「仲下さんはとても前向きな人ですよ」と聞いていたのですが、実際にお会いすると本当にポジティブで、当社や業界への熱心な思いがとても強く伝わってきました。先ほど仲下さんが話していた、中小企業のものづくりに対する考えにも、「よくそんなことまで考えられて、すごい人だな」と思うばかりでした。

    仲下氏:小池さんはとても真面目な方で、なおかつ純粋に車への関心が強く、事業や仕事にも一生懸命向き合ってこられたのだろうという印象でした。小池さんだからこそ、これだけ実績のある企業でいられるのだなと感じ、お会いしてよりいっそうM&Aを実現したいという熱意が高まりました。コイケエンジニアリングアンドサービスさんとのM&Aには、ほかにも挙手していた企業が数社ありましたが、当社からの誠心誠意の気持ちが伝えられるよう、アドバイザーさんと一緒に色々と工夫して頑張ってきましたね。

    小池様にとって、何がFEW様とのM&Aの決め手になりましたか?

    小池氏:やはり、仲下さんですね。また、お会いした総務部長や製造部長の印象もとても良く、安心して決断することができました。現に成約後も当社と密にコミュニケーションをとってくださっているので、すごくありがたい限りです。FEWさんから熱意を伝えていただいた当社ですが、こちらこそFEWさんで良かったと思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    両社間でも、お客様とも、さらに強固な関係を築いていく

    M&Aが成約した際の小池様のお気持ちはいかがでしたか?

    小池氏:まずは、ほっとしましたね。また、成約後も2年間は社長を続けることになりましたので、「これから大変だな」という思いもあります。今後は自分だけが経営する会社ではなくなるので、今までとは違う緊張感を持ったと言いますか、改めて身が引き締まる思いになりました。

    仲下氏:小池さんに代わる人を探すことは至難の業ですので、2年間、コイケエンジニアリングアンドサービスさんの経営を続けていただくよう、当社からお願いしました。引き続き、お力をお貸しいただければと思っています。

    仲下様は、今後コイケエンジニアリングアンドサービス様の経営にも携わるにあたりどのようなことを意識していますか?

    仲下氏:お互いに従業員がいるので、やはり「人の融合」を大事にしたいと思っています。従業員の立場からすると、どういう志でM&Aに至り、M&Aによって企業が変わるか変わらないかということ以前に、安心して働ける会社でいられるかが重要です。
    コイケエンジニアリングアンドサービスさんには「今まで通りにやってください」という姿勢のもと、総務部長や製造部長がメインとなってコミュニケーションを深めながら、従業員の皆さんに安心・安定を提供していきたいと思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    小池様は社長としての残りの任期中に、どういった目標がありますか?

    小池氏:製品を安定的に仕入れていただけそうな企業の新規開拓を今も続けており、実際に数社との話が進みつつあるので、あと1年半のうちに取引を開始し、今後の良好なお付き合いにつながる関係性を構築しておきたいと思っています。

    最後に、両社様の間で、今後どのような交流や取り組みをしていきたいと考えていらっしゃるのか、ぜひお伺いしたく思います。

    仲下氏:まずはお互いの持つパイプを生かして、それぞれに取引先や提案先の幅を広げていきたいと思っています。当社にとって工作機メーカーのフィールドはほぼ初めてといえますが、小池さんと一緒にお取引先を訪問していると、工作機械にもふんだんにモータが使われていることがよく分かりました。小池さんの築かれてきた事業やお取引先との関係性から次のヒントを得て、当社も仲間入りできればと願っています。
    工作機メーカーでは、各社とも自社の特徴を出すために相当な腐心をされていらっしゃいます。グループとして各社の課題に寄り添えるよう、ざっくばらんに会話ができるような関係を構築していきたいですね。

    小池氏:工作機メーカーには勢いのある企業がたくさんありますし、若い経営者への世代交代も進んでいるので、エネルギーもすごく感じられます。そういった企業との対話は今後の楽しみでもありますから、一緒に取引先との関係を深めていきたいですね。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    独自の技術や価値の高い仕事が消えて良いことは何もない

    コイケエンジニアリングアンドサービス株式会社 取締役社長
    小池 嘉一氏

    私の周りの経営者にも、自分の子どもに会社を継いでもらう人と、そうではない人の両方がいますが、子どもが承継しない場合、社内にも後継者がいないという意見でほぼ共通しています。上場や清算などの方法が考えられますが、上場は一定のハードルがありますし、清算をするとせっかく良好なお付き合いをしてくださっていたお客様に、迷惑をかけてしまうことになります。そう考えると、M&Aが最善の選択肢となる企業もきっと少なくないのではないでしょうか。
    また、本当はすごく付加価値の高い仕事をしているにもかかわらず、自分たちがそれに気づいてないがゆえに、安く提供してしまっている企業も多く見受けられます。やり方を少し変えれば利益が上がるのに、自力でなんとかしようとしても難しいようであれば、企業同士が手を組んで変革させることも一つの手です。
    独自の技術や価値の高い仕事が、後継者不在や利益が少ないために世の中から消えていっても、何も良いことはありません。簡単に会社をたたもうとするのではなく、M&Aも視野に入れておいてほしいと思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    働く人が付加価値の高い事業に就けるように。M&Aは有効な手段

    株式会社FEW 代表取締役
    仲下 正一氏

    当社も事業を展開するなかで、「優秀な人材を採用したい」「若返りたい」など、いろんなニーズを持っていますが、なかなか働き手が見つからないことが悩みとなっています。しかし、一方では後継者不在などの様々な理由で、従業員がいるにもかかわらず、廃業を選ぶ企業もあります。

    私たちからすると、働いている人はすごく貴重な存在であり、“人”の問題が最大のリスクになり得ると捉えています。なので、働く人たちがより付加価値の高い事業に就けるような社会を作らないといけないと強く思っているのですが、今はものすごくミスマッチや分散をしてしまっている状況です。企業としては、「この事業の付加価値を高めよう」「付加価値の高い事業を作り出そう」という意識と、そこに人材を投入するという考えを持たなければいけません。

    その点では、M&Aは現状の社会を変えていくうえで有効かつ絶対的に必要な手段になっているものと考えられます。M&Aで各社の持つ事業基盤や技能・技術を進化させたり、事業をリストラクチャリングして成長分野に集中したり、経営者はそういったリーダーシップの発揮を本当にやらなくてはならない時代に突入していると思っています。

    50代で譲渡を決断。ニッチな領域で活躍する製造業同士のM&A

    担当アドバイザー コメント

    本件では、大手工作機械メーカー向けにニッチ製品を製造するコイケエンジニアリングアンドサービス様と、国内大手メーカー向けにモータを製造販売するFEW様のM&Aをご支援させていただきました。
    小池社長とは2023年2月に最初にご面談の機会を頂戴し、M&Aについてのお考えを伺っておりました。社長として会社・従業員さんのことを深く正しく端々まで理解されている社長という印象であり、M&Aによって会社発展ができるお相手像もクリアであったように思います。
    仲下社長とは2023年6月にご面談をさせていただきました。従来から中小企業M&Aに対するお考えや、ニッチ産業企業を集める構想などを描いておられ、本件についても前向きに検討いただいていたことが印象的でした。特に、コイケエンジニアリングアンドサービス様の会社経営方針を踏襲した上で、会社業績を伸ばしていきたいというお考えがおありだった印象です。
    両社が最初にご面談をした時点から今日まで変わらず円滑なコミュニケーションを取られている事も伺っており、製品分野の違いからの顧客共有などを含め両社ともに発展の期待ができるものと感じております。今後の両社の更なる飛躍とご発展を心より応援させていただいております。

  • 日本酒への情熱が結んだ、歴史ある酒蔵と大手通販会社のM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    嘉永元年(1848年)に、現在の山梨県北杜市で小さな酒造蔵から始まった谷櫻酒造有限会社。甲斐の地酒として県内有数の知名度を誇り、県民の皆様から長く親しまれています。50年前に酒蔵を継いだ4代目蔵元の小宮山光彦氏(現会長)は、先代からの教えと伝統を守りながら、“うまい酒”で消費者に喜んでもらうことに生涯を捧げてきました。

    日本酒市場の低迷やコロナ禍など、様々な苦境を乗り越えてきた小宮山氏。70代後半になって後継者不在の課題に向き合い、M&Aを本格的に検討するようになったところで、日本酒販売事業を行っている大手通販の株式会社ベルーナと出会いました。小宮山氏は当初ベルーナとの提携に前向きではなかったものの、ベルーナの熱意と将来性に心が動き、M&Aが成約。両社の成長だけでなく、日本酒業界の再発展と文化の継承に貢献したいと意気込んでいます。

    小宮山氏と、ベルーナのグルメ事業責任者で谷櫻酒造の新社長に就任した浅野福太郎氏、ベルーナ経営企画室理事の片山勇樹氏に、M&A成約までの経緯や今後のビジョンを伺いました。

    谷櫻酒造有限会社 本社

    谷櫻酒造有限会社 本社内販売店舗

    谷櫻酒造有限会社 本社内酒蔵

    五味の調和がとれた、伝統的な“良い酒”を造り続ける谷櫻

    谷櫻酒造様の商品の特徴や、酒造りのこだわりをお教えください。

    小宮山氏:谷櫻酒造は代々、“良いものしか造らない”ことを信条としてきました。この地はシリカを多く含む八ヶ岳の湧水に恵まれており、水は良質な酒造りにとても適しています。また、原料は高品質で丁寧に自社精米した米を中心に使用し、醸造方法も職人の手による生酛(きもと)造りで行うこともあり、伝統と丁寧さを重んじています。ただ、どうしてもコストが高くなってしまうため、売値もなかなか安くはできません。山梨県は農業が盛んな土地柄、果物も買わずにもらうことが普通なくらい、あまり出費をしなくても食べるのに事欠かないものですから、当社の酒は「旨いけど、たまにしか買えない」と言われることもあります。それでも、品質に妥協しない良い酒を追求し続けています。

    小宮山様が考える“良い酒”とは、どのようなものでしょうか?

    小宮山氏:良い酒の原点は、「甘・酸・辛・苦・渋」の五味の調和にあります。今風の日本酒は甘口のものが多くなりましたが、私は五味のバランスが良い昔ながらの飲みごたえのある酒に憧れていましたし、それが良い酒だと考えてきました。例えばワインにしても、食べ物の後に飲めば苦味や渋みで口の中がニュートラルになって、次に食べる物がまたおいしく感じられる。なので、酒には甘み以外の要素も必要なのです。

    私は50年前に婿養子として谷櫻酒造を継いだのですが、その前は10年ほどフレンチの料理人をしていました。食中酒が料理を引き立て、食事がより楽しめることはよく分かっていましたから、せっかく酒蔵を継ぐからにはフレンチにも合うような日本酒を造りたいと思ってここまでやってきました。当社の商品は食事との相性が良く、五味の調和がとれた酒として評価されてきたのではないかと思っています。

    谷櫻酒造を継いでから半世紀の間、経営ではどういったことを意識してこられましたか?

    小宮山氏:やはり、ものづくりには“和”が必要ですから、従業員を家族だと思って酒蔵を続けてきました。和を作るためには、昔から「同じ釜の飯を食う」と言いますし、良い酒を造るためには良いものを食べないといけないと思っていますから、今も昔もずっと、私や妻が作った手料理を皆で囲んでいます。

    谷櫻酒造有限会社 小宮山光彦氏
    谷櫻酒造有限会社 小宮山光彦氏

    後継者不在の課題に直面。酒蔵には独特の経営の難しさがある

    小宮山様がM&Aを検討した経緯をお聞かせください。

    小宮山氏:私は80歳くらいまで社長を務めて、その後は娘に継いでもらおうと思ってのんびり構えていたのですが、娘の意向は違っていました。酒造りは1年を要するのに、いまだに米は前払いですし、社長自身がいろんな会合に出る必要があるなど、酒蔵ならではの経営の難しさがあるのです。80歳まであと3年になったとき、知人の紹介でfundbookさんとお会いしたのですが、そこからはアドバイザーさんが素早く動いてくれて、あっという間にベルーナさんとお会いすることになりました。

    一方のベルーナ様は、どういった理由で酒蔵とのM&Aを検討するようになったのでしょうか?

    浅野氏:当社の日本酒事業はずっと右肩上がりで伸長してきましたが、最近はやや頭打ちになっており、さらには原材料の価格高騰により仕入れコストが上がるなど、以前に比べて利益が出にくい状況となったため、何か新しい形を見いださなければいけないと考えていました。そんなときに、食品工場などの製造会社とのM&Aによって、成長を再加速させているスーパーマーケットの取り組みが目に留まったのです。小売店が単に製造会社と取り引きしているだけであれば、小売店から「これを作ってほしい」と依頼をしても、本当に売れるか不安があれば製造会社が作ってくれないこともあります。ですが、製造から小売りまでを一体化させると、作ったものを全て売っていく体制になるため、思いきって商品が作れますし、スピードも上がります。それに、製造側からしても卸先が決まっている分、営業活動が要らなくなり、コストの軽減と工場の稼働率がアップするメリットもあります。

    当社の日本酒事業は販売力が強みですから、酒蔵さんと一緒になって製造から販売までを一気通貫でできれば、お互いにとってより効率的かつ発展的な取り組みができるのではないかと考えたことが、M&Aを検討するきっかけになりました。

    日本酒事業としての方針にも具体的に変化があったのでしょうか?

    浅野氏:今までは低価格ラインを主に展開してきましたが、それだけでは難しくなってきたので、中価格~高価格ラインもしっかり揃えていこうという方針になり、徐々に1本2万円ほどの純米大吟醸もラインアップするようになりました。ただ、低価格ラインをリピート購入してくださる既存のお客様もとても多いので、即座に高価格商品を大量に動かそうというよりは、まずは高価格商品に興味を持っていただき、購入していただけるような力を蓄えていきたいと考えています。

    株式会社ベルーナ 浅野福太郎氏
    株式会社ベルーナ 浅野福太郎氏

    ベルーナ様は、谷櫻酒造様のどういったところに魅力や相乗効果を感じましたか?

    浅野氏:まず何と言っても、お酒がおいしいことが魅力です。その背景には、酒造りに妥協をしない姿勢と味へのこだわりがあります。最近のトレンドとしては、香りが華やかでフルーティーな日本酒が多く見られますが、毎日飲むにはどうしても飽きが来やすくなってしまいます。もともとお酒をあまり飲まない人の入り口を広げるためには良いと思いますが、やはり毎日飲んでも飽きない酒が一番長続きしますし、消費量も増えるものです。水や造りが良く、毎日飲んでも飽きない親しみやすさと馴染みやすさがあって、どんな料理にも合う酒を生み出す谷櫻酒造となら、お客様に喜んでいただける取り組みができるだろうと強く思いました。

    小宮山氏:「不景気になると甘い酒が売れる」と言われるくらい、甘い酒は早く飽きやすく、辛い酒は飲み飽きないのです。私は、メーカーがトレンドや時流に乗ってはいけないと考えています。メーカーにとって、商品は自分の顔です。酒は嗜好品ですから、万人に好かれようと思ったら何もなくなってしまう。ノッペラボウになることなく、自分の顔をしっかりと持たないといけないというのが、私たちの考えです。ベルーナさんが当社を選んでくれたのも、それが理由なのかなと思います。

    初対面では厳しい言葉を放つも、熱意と業界への思いで意気投合

    小宮山様が最初にベルーナ様とお会いしたときの印象をお聞かせいただけますか?

    小宮山氏:実は最初に来ていただいたとき、私はベルーナさんに対して厳しい言葉を投げかけたのです。なぜなら、当社は酒造りにコストをかけて、売値も決して安くない酒を売ろうとしているのに、ベルーナさんは一升瓶の大吟醸を5本セットで1万円という価格で販売していましたから。当社にとってはどう計算しても無理な価格なので、「日本酒の価値を下げないでくれ」と言いました。

    どのようにお気持ちが変わっていったのでしょうか?

    小宮山氏:最初は厳しく言ったにもかかわらず、ベルーナさんは何度も来てくださって、色々な話をするようになり、日本酒や業界に対する熱い思い、どう協業していくかといった話で、だんだん意気投合してきました。

    浅野氏:当社はこれまでも、いろんな酒蔵さんから多くの意見や指摘を受けてきました。「製造量に限りがある酒蔵は、しっかりと付加価値をつけてお酒を販売しているのに、その市場を弊社の低価格ラインが脅かしている」と。それに対して私たちは、「日本酒を飲む人が減っている現状を打破するのは、低価格高品質の商品であり、まずは裾野を広げていく戦略をとることで、日本酒文化を守っていきたい」と伝えると、「なるほど、それなら一緒に取り組みましょう」と言ってくださる酒蔵さんもあれば、納得いただけないケースもありました。

    当社の売れ筋ラインが、先ほども話に出た大吟醸5本で1万円のセットなのですが、その日本酒が1本約2,000円なのに対し、谷櫻酒造さんの大吟醸は一升瓶を1本7,000円台で販売されています。当然、造りからして異なるので、そこのギャップはあるものですが、お互いの良さを掛け合わせて良い形を作り上げましょうと、話を進めてきました。ベルーナとしても、私個人としても、谷櫻酒造のお酒がすごく好きで、酒蔵も本当に素敵だと思ったので、ぜひご一緒したいという気持ちはとても大きかったです。ビジネスの面で変化や進化を目指す部分と、変えてはいけない部分をじっくり話し合いながら、最善の道を模索していきたいと考えています。

    浅野氏と小宮山氏

    ベルーナ様にとっては今回初めて酒蔵(製造業)をグループに迎えられましたが、M&Aを進めるうえで大変だったことはありますか?

    片山氏:当社は今まで小売を中心にビジネスをしてきており、製造業を手掛けたことがございませんでした。そのため、谷櫻酒造様の財務諸表を始めとする情報を開示していただいた際も、どういった背景や活動を通じてこの結果となったのかが俄かには把握できず、まずその理解を深めるまでに少し苦労しました。ご一緒させていただくからには、両社にとって良い未来につながるシナリオが描ける必要があります。そのため、M&Aを進める過程では、谷櫻酒造様やfundbookのアドバイザーさんにはかなり多くの質問も重ねさせていただきました。

    一方で、酒蔵は「製造業」の一言では語れない、その土地の風土・歴史・文化を背景に持つ特別な存在でもあると思います。以前も何度か酒蔵とのM&Aを検討したことがありましたが、それぞれの酒蔵が持つ思いや背景をこちら側がしっかりと理解し、その上で当社の考えも受け止めていただく難しさは、毎回非常に大きなものでした。今回初めて酒蔵とのM&Aが成約し、その過程ではやはり大変なこともございましたが、結果としてとても良いご縁をいただけたと思っています。

    「掲げた経営プランを達成する」。新社長の意気込みと覚悟

    M&Aが成約した際の、小宮山様のお気持ちはいかがでしたか?

    小宮山氏:直近ではコロナ禍という大きな苦境があって、そのときは資金調達ができたから製造を続けてこられたものの、来年あたりから返済時期になってくるので、先々の不安は多少なりとも抱えていました。そんなときにベルーナさんと出会って、初対面では厳しいことも言いましたが、それでも当社を選んでくれたことはありがたかったですし、将来に対する不安も払拭されていきました。酒蔵を継いで50年、このタイミングで思いきってM&Aをやって良かったと思っています。

    小宮山氏

    浅野様が谷櫻酒造様の代表に就任した経緯をお教えください。

    浅野氏:私はグルメ事業の責任者として、製造と小売りをつなげられれば、お客様により喜んでいただけるだろうと前々から考えていました。なので、当社でM&Aを担当している経営企画室には常々、酒蔵さんと一緒に取り組みたい旨と、そういったM&Aの話があった際はぜひ私に声をかけてほしい旨を伝えていました。谷櫻酒造との話が挙がってからは、自らの足で何度も谷櫻酒造に伺い、自ら事業計画を立てて、「私に経営をさせてください!」と、経営層にも直談判してきました。そうして、グルメ事業の責任者業務をおろそかにしないことを約束したうえで、谷櫻酒造の社長に就任することとなりました。

    小宮山氏:ベルーナさんから浅野さんが谷櫻酒造の新社長になると聞いて、私も浅野さんのものすごい熱意を感じましたね。

    浅野様ご自身の今後の抱負を、ぜひお聞かせいただきたく思います。

    浅野氏:今回のM&Aは、自分の40代をかけるつもりで進めてきました。そして、谷櫻酒造の代表になった際に掲げた以下の経営プランを、必ず達成していく覚悟です。
    一、谷櫻酒造が積み上げてきたもの、良さを継承し、後世に繋げる
    一、ベルーナとして投資したものを5年で回収する(上場企業としての責務)
    一、ローコストオペレーションを推進することで利益を上げ、会社を守り社会に貢献する
    一、たくさんのお客様に飲んでいただき、喜んでいただく
    一、関わる全ての人の幸せの向上に貢献する

    企業の代表になるのは初めての経験ですが、今は不安よりも期待を大きく感じています。

    国内外に販路を拡大。「山梨の日本酒と言えば、谷櫻」を目指して

    小宮山様が今後のベルーナ様に期待することをお聞かせください。

    小宮山氏:谷櫻酒造に一番欠けていたのは、営業力だと思います。かたや、ベルーナさんはそこに大きな強みを持たれています。これまでの当社の経営を見る限りでは、1500石高くらい売れれば会社は回っていきますが、それで満足していては発展し続けられません。両社の強みを活かし合いながら、うまくタッグを組んでいってほしいですね。

    日本酒の業界でも、一時的に注目を集めて売り上げを伸ばす事例はよく見かけますが、私はリピート購入されて初めて「売れた」と捉えるべきだと思っています。なので、5年後、10年後に、このM&Aは成功だったという状態になっていることを期待しています。

    ベルーナ様はどういった期待や楽しみを抱いていますか?

    浅野氏:ベルーナの日本酒通販では、すでに谷櫻ブランドの純米大吟醸の取り扱いを始めていますが、谷櫻酒造は純米大吟醸酒や大吟醸酒といったハイクラスな日本酒以外にも、比較的手の届きやすい本醸造酒も多く造っています。谷櫻酒造の高価格ラインと、ベルーナで売れ筋の低価格ラインの間を狙いながら、お客様にアプローチする方法を模索しているところです。当社にはかなり多くの既存のお客様がいますので、新たなご案内ができることをとても楽しみに思っています。また、ゆくゆくは谷櫻酒造とともに、ベルーナのプライベートブランド商品も開発したいと考えています。

    浅野氏と小宮山氏

    片山氏:酒蔵さんとお取引先としてつながっているだけでは拾いきれないお客様のニーズが、まだまだあると感じています。酒蔵さんと手を組むことでその酒蔵の個性が当社にとっての武器になり、新たな可能性が見えてくるのではないかと期待を寄せています。M&Aは、成約してからがスタートです。新しい武器を手にニーズの開拓を推し進め、従来のお客様とより深い結びつきを図るとともに新しいお客様との出会いを拡げ、M&Aによる成果を着実に出していきたいと思っています。

    最後に、両社様としての今後のビジョンや構想をお聞かせください。

    浅野氏:谷櫻酒造の商品は一部、県外や海外に流通していますが、約9割が県内流通です。一方で、ベルーナは通販でつながったお客様が全国各地に数多くいらっしゃるので、谷櫻というお酒を全国のお客様に知っていただけるよう、プロモーションを強化していきます。その次に、日本酒や国産のワイン・ウイスキーの輸出を手掛ける部門と協力して、海外に向けた販売にも力を入れていきたいと思っています。また、当社が国内外で複数展開しているホテルも活用して、飲食業界にも谷櫻のブランドを広げていくことも考えているところです。

    そうした取り組みによって、「山梨県の日本酒といえば、谷櫻」と皆様に言っていただけるような、県でナンバーワンの酒蔵を目指していきたいです。昔は県内に約50社の酒蔵があったそうですが、今は11社にまで減少しています。ただ、裏を返せば谷櫻酒造の商品力があるからこそ、時代を超えて飲まれ続けているのだと思いますから、ベルーナの販売力と掛け合わせて、売り上げと利益をしっかり伸ばしていきながら両社で発展していきたいと思います。

    小宮山氏:ピーク時の谷櫻酒造は今の3倍ほど製造していたので、人員を増強できれば、設備的にはそこまでの増産が可能です。ベルーナさんとの取り組みによって販売力を上げ、原材料や製法のこだわりはそのままに、より効率よくおいしい酒を増産できる体制を作っていきたいと思っています。山梨でナンバーワンの酒蔵を、一緒に目指していきましょう。

    浅野氏と小宮山氏

    守るべき技術と文化が未来につながった

    谷櫻酒造有限会社 会長
    小宮山 光彦氏

    後継者不足や経営体制の問題などで、今後もM&Aは増えていくのではないでしょうか。私自身、M&Aに対して最初はすごく抵抗がありましたが、後継者不在の状況と将来を考えたことと、ベルーナさんの日本酒事業への熱意によって、気持ちが変わっていきました。
    酒造業という伝統産業において、営業展開することやモノを売ることは、本当に難しいなとつくづく実感する50年でした。アルコールの産業は飽和状態にあると思いますし、まして日本酒や酒類自体の消費数量も減少しているなかでは、どうお願いしても売れないときは売れません。ですが、販売力のあるベルーナさんとの良いご縁をいただきましたから、今はもうこれからに期待するしかありません。
    谷櫻酒造が行っているような「伝統的酒造り」は、文化庁が無形文化遺産の登録を目指しているほど、守るべき技術と文化であると言えます。私たちは今まで、頑なに伝統的な手造りの製法を続けてきました。文化遺産に登録されたとき、谷櫻がその枠組みの中で胸を張っていられる未来にもつながったのかなと思っています。

    小宮山氏

    製造小売モデルを成功させ、業界を活性化させる

    株式会社ベルーナ グルメ企画室 室長 兼 谷櫻酒造有限会社 代表取締役
    浅野 福太郎氏

    日本酒は日本の文化であり、世界に誇るべき深い歴史があるにもかかわらず、酒蔵の廃業は後を絶たず、どんどん数を減らしています。廃業の要因は後継者不在もありますが、業界の国内市場が下降傾向のため、経営が厳しくなっている酒蔵も少なくないと思います。様々な酒類が出回っている今は、日頃飲むお酒に日本酒を挙げる人は少ないかもしれません。ですが、日本酒がもっと身近に感じられれば、飲んでくださる人や消費量が増えるはずですし、そうして業界が活性化していけば、一つ一つの酒蔵も活気を取り戻していくと思うのです。谷櫻酒造とベルーナは、製造小売モデルを成功させて業界の活性化につなげていこうと動き始めました。
    酒蔵とのM&Aは個々の企業としての発展だけでなく、業界・産業・文化を守り、発展させていくという、二つの大きな意義があります。当然ながら各酒蔵でそれぞれの考え方があると思うので、経営状況が厳しくとも、決してM&Aだけを重視すべきというわけではありませんが、将来につなぐ手段を考えている酒蔵さんには、M&Aという手段がより効果的な形で推進されるようになればと願っています。

    浅野氏

    担当アドバイザー コメント

    この度は、業歴170年超の歴史を有し、数々の受賞歴を誇る酒蔵様と、首都圏の上場企業様とのM&Aのお手伝いをさせていただきました。
    提携後に、本件がWebニュースにも掲載されたことから、業界内でもインパクトの大きいM&Aだったのではないかと思います。

    小宮山社長と初めてご面談をさせていただいた際に、「自分の代で当社の歴史に幕を下ろすわけにはいかない」「M&Aを通じて営業力の高い会社と一緒になることで、より多くの顧客に当社商品を知ってもらえれば」などといったM&Aに対する想いを強く感じ、なんとか谷櫻酒造様の企業存続と更なる発展の一助になれればという想いのもと、全力でご支援をさせていただきました。

    結果として、日本全国に独自の販路を築かれているベルーナ様とのM&Aに至り、この提携が谷櫻酒造様のブランドの全国展開を後押しできれば、我々としてもこの上ない幸せです。

    fundbookの役割は、経営陣の想いを引継ぎ実現するためのベストなパートナーをお繋ぎし、会社が一段上のステージへ進むお手伝いをすることです。その意味でも、今回は複数社とのご面談を通して、小宮山社長及び谷櫻酒造様にとって幅広い選択肢の中からベストなパートナーとのM&Aをご選択いただけたと思っております。

    谷櫻酒造様がベルーナ様というパートナーとともに、更に成長される未来をとても楽しみにしております。

  • 後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    1988年に東大阪市で1号店を開店し、現在は10店舗の美容室を展開する株式会社MASHU。創業者である増成進氏の人財育成手腕は業界でも一目置かれ、大阪を拠点としながらも、今や全国的に有名な美容室となっています。

    60歳で社長を引退し、MASHUに在籍するスタイリストの奥裕介氏にMASHUを引き継ぐ決断をした増成氏は、数年前から社長交代に向けたプランを着々と進めていく一方で、株式の承継による奥氏や従業員の負担を懸念していました。その懸念を解消する手段として、増成氏はM&Aの本格的な検討を開始。美容室等を展開するグループのBIQREAホールディングス株式会社とめぐり逢い、2023年に資本提携に至りました。新社長には予定通り奥氏が就任し、MASHUは発展と進化を続けています。一方で、BIQREAホールディングスグループで美容室運営を行うフレイムス株式会社やリタ株式会社も、業界内でも有名なMASHUと手を組めたことで喜びと期待にあふれています。

    増成氏、奥氏、フレイムス株式会社代表取締役の舟津隆一氏と、BIQREAホールディングスの親会社であるニューホライズンキャピタル株式会社の漁野有紀氏に、M&A成約までのエピソードや今後の展望について伺いました。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    「日本一になる」の心意気で創り上げた、「人財育成」を大切にする美容室

    27歳で独立した増成様。MASHU様の創業の経緯をお教えください。

    増成氏:30年前は、特に男性の美容師は独立することが当たり前という時代で、私も独立自体を目標としていたわけではなく、美容師人生の通過点の一つとして独立をしました。27歳と言っても、美容学校の同期のほとんどがその頃に独立していたので、特別若いわけでもなかったんです。

    独立した当時、増成様にはどのような思いがありましたか?

    増成氏:日本一になろうと思っていました。何をもって日本一かというと分かりませんが、「どうせやるんやったら、何らかの日本一になろう」と。漠然としているし、何の根拠もないし、経営すら分からない状態でしたが、そういう心意気だけは携えて、東大阪市の1号店から始めました。

    ただ、店舗の運営は最初、なかなかうまくいきませんでした。もともと美容室だったところに居抜きで入れたのですが、ビルの2階で窓もなく、暗い階段を上がらないといけない場所だったんです。それに、前の美容室が閉店してから半年も経っていましたし、私が勤めていた美容室から顧客を連れて行かないという約束で独立していましたから、開店からしばらくはまったくお客様が来ない日が続きました。勤めていた頃は店長をしていましたし、お客様も多く付いてくださっていたので、独立後は潤った生活になると夢見ていましたが、実際はかなり苦難が多かったですね。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室
    株式会社MASHU 増成進氏

    どのようなお取り組みで、お客様が来店してくれるようになったのですか?

    増成氏:お客様が来たときにお渡しするノベルティとして、シャンプーとリンスのミニボトルセットを用意していたのですが、一向にお客様が来ないので、「これはもう、街で配るしかない」と考えました。街頭で配布したり、近所の家々を訪問してお渡ししたりと、言わば「ローラー作戦」でお店を知ってもらうように努めました。そうしているうちに、徐々にお客様が来てくださるようになったんです。

    今や店舗数は拡大し、全国的にも有名な美容室となっています。奥様の思う現在のMASHU様の強みをお聞かせいただけますか?

    奥氏:MASHUの強みは、増成会長にあると強く感じています。当社には“おもろ”という考え方があるのですが、これは「また会いたくなる人」という人間性を意味していて、接客をはじめとしたあらゆる面で増成会長がずっと大事にしてこられました。「MASHUは人財育成業」と掲げる通り、商売よりも人を育てることに重きを置くインナーブランディングに力を入れており、そこに惹かれて集まってきた人たちが「人財」として蓄積されています。お客様だけでなく、スタッフも大事にしているからこそ、お互いがまた会いたくなるような接客や人間性が形成されているんです。人生観、職業観、社会観など、増成会長が作り上げてこられた軸をさらに強化しながら人財を育成しようとする考え方が、まず一つのMASHUの強みだと思っています。

    もう一つの強みはやはり、技術面です。美容室にはカット、カラー、ストレート、パーマなど、メニューがたくさんありますが、一つ一つにスペシャリストを置いて、外部講師も呼びながら非常に速いスピードで技術をブラッシュアップしています。それと同時に、技術やノウハウを反映した自社商品の開発も手掛け、スタッフのやりがいやブランディングにつながっていることも、MASHU独自の特長になっています。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室
    株式会社MASHU 奥裕介氏

    優秀な従業員へ社長を引き継ぎ、M&Aでさらなる飛躍を目指す

    増成様はMASHU様の承継や後継者について、どのような考えをお持ちでしたか?

    増成氏:美容業界は今までのノウハウが通用しづらく、新陳代謝が激しい世界です。今はBIQREAホールディングスの舟津さんのような40代が一番力を発揮できる年代になりますし、私はインスタグラムをやっていませんが、奥社長や従業員らは集客にもSNSを駆使しています。こうした時代の変化を受けて、私は60歳になったら社長を降りようと考えていました。

    後継者については、自分の娘に継がせる方法も考えられますが、私が60歳のときに娘はまだ23歳。これだけの組織を率いていかなければならないことを考えると、一番能力がある彼(奥氏)に引き継いでもらいたいと思ったんです。

    奥様を次期社長に選ばれた決め手をお聞かせください。

    増成氏:仕事に対して真摯であること。そして、仕事をすごく楽しんでいることが最大の理由です。仕事が楽しいと言える人は自分自身で改善できますし、できないこともできるように進化していくでしょうから。美容師の仕事も、困難は結構多いものです。でも、奥社長は仕事を楽しんでいるからこそ、どんなトラブルがあっても矢面に立てますし、それゆえに解決もしやすいんです。なので、何年も前から「奥裕介が次期社長になる」と決めていましたし、2020年には従業員に向けても発表していました。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    社長は奥様に引き継ぎつつ、BIQREAホールディングス様とのM&Aも行うことになりました。その経緯をお教えいただけますか?

    増成氏:最初のプランでは、今から3年後あたりに奥社長を中心とした会社を設立して、そこに私の株式を譲渡しようと考えていました。奥社長に「自分なりのまったく新しいやり方でやって欲しい」と言っていても、やはり私が株を保有したままだと、経営に口出しをしてしまうかもしれませんから。今までもいろんな承継事例を見てきましたが、社長交代をしても前社長が後継者に口出ししてしまうパターンは多いと思います。ですが私は、「奥社長には自分流でやらせた方が絶対に良い」という確信があったので、自分が口出しをしないためにも、株式を渡していく計画を立てていました。ただ、そうなった場合、私の株式を買い取るための負担を、奥社長たちにかけてしまうことが懸念でもありました。

    そのときにfundbookさんから、M&Aの手段を提案していただいたんです。M&Aをすれば株式の承継が奥社長たちの負担にならずに済みますし、事業面でも新たな仲間もできて広がりが見込めます。それに、何と言っても奥社長や幹部陣が「BIQREAホールディングスさんと一緒にやりたい」と言ったことは一番の決定打になりましたね。

    舟津様はM&Aのお相手としてMASHU様の名前を知ったときに、どう思われましたか?

    舟津氏:「あのMASHUさんがM&Aを考えられているんだ!」と、すごく驚きました。先ほど増成さんが日本一を目指していたと仰っていましたが、私がまだ半人前だった20年以上前から、MASHUさんは関東でもとても有名で、本当に日本一だと思うほど、当時から圧倒的なブランド力のある会社でした。いろんな業界誌に載っていましたし、増成さんご自身も経営者としての影響力が大きく、「教育のMASHU」という印象がとても強かったんです。私たちの世代からすると魅力の多い憧れの会社で、今回のM&Aの話になる前からも一度お会いしたいと思っていたので、一緒のグループになれてよかったと思うばかりです。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室
    BIQREAホールディングス株式会社 舟津隆一氏

    BIQREAホールディングス様に迎え入れる企業を探すうえで、ニューホライズンキャピタル様が一番大事にしたことは何でしたか?

    漁野氏:やはり、理念が共通していることをとても重視しました。MASHUさんと増成会長の知名度は非常に高く、お客様との関係をしっかり築かれていることはもちろんですが、加えて、制度や取り組みからも人を大事にされている姿勢がものすごく伝わってきたことも大きなポイントとなりました。例えば、企業主導型の保育所を運営されていることも、その表れの一つです。従業員が永く働ける環境を目指したことがきっかけで開設されたそうですし、今では地域の皆様からも親しまれ、広く利用される保育所となっていることに、当社としても深く感銘を受けました。

    フレイムス社とリタ社は以前から、業務委託型ではなく、自社でスタイリストを採用して育成していく雇用形態をとっており、「美容師が一生安心して働ける会社を作ろう」という両社共通の思いのもと、BIQREAホールディングスとして一緒になって事業を拡大してきました。MASHUさんも「〜Life with MASHU〜 『MASHUと共に人生を』」を経営理念に掲げているように、お客様や従業員の一生に寄り添い続ける会社にしたいという増成会長の思いは、まさにBIQREAホールディングスと共通しています。それが、「一緒にやっていこう」と全員が思った一番の要因になったのだと思います。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室
    ニューホライズンキャピタル株式会社 漁野有紀氏

    グループ間で連携を深め、互いに学び合いながら成長していく

    増成様と舟津様が最初に面談でお会いした際の、お互いの印象をお聞かせください。

    舟津氏:私はもう印象どころか、憧れの目で増成さんを見てきたので、お会いする前からとにかく緊張していました。初めてお会いしたときは緊張のあまりどんどん話が脱線してしまったことを今でも覚えています。

    増成氏:その様子を見て、誠実で裏表がない人だと、良い印象を受けました。舟津さんも、一緒にお会いしたリタ代表の高橋さんも人柄が良くて、フレイムスさんもリタさんもすごく素敵な会社に育っているので、とても興味が湧きました。奥社長や幹部陣も、BIQREAホールディングスの皆さんをちゃんと見たうえで、M&Aに納得したんだと思います。

    舟津氏:そう言っていただけてすごく嬉しいです。フレイムスとリタは埼玉県を中心に店舗展開しているので、グループになりたいと言っても、関西随一のMASHUさんにどう思われるのかと、少し心配もしていました。しかし今、こうして受け入れてくださっています。グループ内で上や下はないにしても、お互いに影響し合いながら、MASHUさんから色々と勉強させていただきたいと思いました。また、奥社長も知れば知るほど並外れた知識や技術をお持ちだと、本当に驚いています。

    漁野様は増成様にどのような印象を持ちましたか?

    漁野氏:最初の面談で、「こういうことがしたい」と仰る内容の端々に増成会長の従業員の皆様を思う気持ちが垣間見えて、「増成会長だからこそ、こんな素晴らしい会社になったんだな」と、強く感じました。

    グループに参画していただいた後、幹部の皆さんとお会いしたり、一顧客として美容室にお邪魔したりするようになってからも、“おもろ”の価値観が従業員の皆様にしっかりと浸透していると実感するばかりです。ここまで組織文化が浸透している会社はそうそうありません。これは増成会長が築かれてきたMASHUさんの大きな強みの一つだと思いますし、この文化を大事にしていきたいと強く思いました。

    フレイムス様はグループに参画して約2年。舟津様の感じるグループのメリットをお教えいただけますか?

    舟津氏:フレイムスは2021年にニューホライズンキャピタルさんからの投資を受け、その際に設立されたBIQREAホールディングスの一員となりました。働いている皆が「グループになってよかった」と思えれば、きっとそれを仲間にどんどん伝えていくはずです。約2年が経ち、フレイムスや周辺では、M&Aは良い選択だったというイメージがかなり広がっています。

    個人経営の美容室だと、従業員の美容師がどれだけ頑張っても経営者のご子息が後を継ぎ、結局その中で働いていくしかないというケースも少なくありません。ですが、BIQREAホールディングスのようなファンドを通じたグループであれば、頑張った皆が社長になれるチャンスを得やすくなります。また、チャンスだけでなく、働く人の安心感が増すこともグループのメリットだと思います。例えば、どこかの地域で災害が発生して店舗が営業できなくなったとしても、グループで連携すれば復旧までの間、従業員はほかの地域で働くことができる。東日本大震災のときも、全国にネットワークがあるサロンはその強みを発揮したと思うので、BIQREAグループも各社間の連携をますます深めていきたいですね。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    MASHU様はBIQREAホールディングス様に参画してから、何か新たな気づきや変化などはありましたか?

    奥氏:当社は「課題」を「進化ポイント」と言っているのですが、進化ポイントに対してフレイムスさんやリタさんからアドバイスをいただくことが多々ありますね。

    増成氏:舟津さんたちのやり方からはたくさんの学びを得られます。当社は人財に困らないほど応募が来ていたのは確かですが、「人財育成」と言いつつも、やはりしんどいと思った人は辞めてしまうので、150人規模に達してからは特段、拡大も縮小もしていません。しかし、フレイムスさんは絶えず規模が拡大しています。その理由を考えてみたのですが、舟津さんの話を聞いている感じからすると、良い意味での“緩さ”があるんですよね。それはたぶん、器の広さだと思うんです。結局、社長の器以上に会社は大きくなりませんから。

    奥氏:舟津さんは上の立場であっても物腰柔らかで、50店舗以上を展開する会社の社長がその姿勢でいられる理由は何だろうと、ものすごく勉強になりますし、舟津さんやリタの高橋さんからは本当にたくさんのヒントをいただいています。グループになってから、集客や店舗展開、人への接し方など、私も発想が今までにないほど広がった感覚があります。

    舟津さんと高橋さんのお二人は、一緒にいるとよく議論を交わされていて、でも後には良いところで落ち着いている様子を見ていると、そうやって遠慮なく意見を言い合える関係性を構築されていることもすごく面白いなと思います。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    新たなステージに立ち、MASHUらしい冒険を続けていく

    スタイリストと社長の双方の職務でますますご多忙な奥様ですが、ご自身の今後の目標をぜひお聞かせください。

    奥氏:もちろん今、プレッシャーはものすごく感じていますが、私は「人生、経験や」という考えを常に心に刻んでいます。簡単な方より難しい方を選んでいきたいと思うからこそ、独立よりも難しい道になるであろうMASHUを引き継ぐ道を選びましたし、今回のBIQREAホールディングスさんとのM&Aについても、最初は不安が大きかったですが、話を聞くほどに一緒にいろんな取り組みができて面白そうだと思い、この道を選ぼうと決めました。

    私の今の抱負は、まずMASHUとして“おもろ”の人財を育成していくことです。「人に貢献できる“おもろ”な人が増えていけば、人の幸せも広がっていき、やがて世界平和という大きなテーマにもつながっていくはず」。これは以前、増成会長が仰っていたことで、私も強く共感しています。なので、自分がMASHUにいる間にもっと“おもろ”の人財を増やしていきたいのです。そしてもう一つ、抱負というよりはビジョンになりますが、BIQREAホールディングスさんを通じて、もうすでに様々な成長の可能性が広がりつつあるので、これからグループの皆さんとともに、いろんなチャレンジをし続けていきたいと思っています。

    増成氏:「難しい方を選びたい」というのはまさに、私も小さい頃からそうだったなと思います。難しいことも楽しみながら何とかしていこうという人は滅多にいませんから。やっぱりそういうところが、社長になってもらった決め手だったんです。

    BIQREAホールディングス様のグループとしての今後の取り組みや展望についてのお考えをお聞かせください。

    舟津氏:先ほど、グループのメリットをお話したように、規模が大きくなればいろんな良いことが起こります。災害などのリスク対策以外にも、例えばMASHUさんの作っている商材をフレイムスやリタでも取り扱うなど、できることはまだまだたくさんあるので、皆で利益を生んでいけるようになっていきたいですね。

    現在のBIQREAグループは、美容室、アイラッシュサロンなど、すでに幅広いジャンルが揃ってきていますが、今後また新たに優れたサロンが加わっていただけると嬉しいですし、そうなればなおいっそう面白くなるのではないかと思います。実際、増成さんがいらっしゃるという理由で、BIQREAホールディングスに興味を持ってくださるサロンもあります。様々な会社と連携していくためのベースはもうできあがっていると思うので、これからの5年後、10年後がとても楽しみです。

    ニューホライズンキャピタル様は、今後のBIQREAホールディングス様の成長をどのように考えていらっしゃいますか?

    漁野氏:現時点でもBIQREAホールディングスは、国内有数のサロン事業を手掛ける規模のグループになっていますし、今後もさらに拡大させていきたいと思いますが、各社が大事にしてきた「美容師が一生安心して働ける会社」「お客様や従業員の一生に寄り添う」という軸は、今後も変わらず持ち続けていたいですね。むしろ、その軸をいっそう強化しながら、さらなる成長を目指したいです。

    グループが発展するうえで重要なのは、各社それぞれの持つやり方や考え方を共有し、互いに刺激し合うなかで、事業のアイデアや様々なシナジーが自然発生的に創出されること。そして、グループとしてのビジョンもしっかりと持っておくことです。BIQREAホールディングスには素晴らしい会社が集まっていますから、各社間や経営者同士でダイナミズムを生み出せる良い環境が構築できるよう、引き続き私たちも応援していきたいと思っています。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    最後に、増成様が今後のMASHU様やBIQREAホールディングス様に期待することをお聞かせください。

    増成氏:グループになるにあたって、BIQREAホールディングスさんとニューホライズンキャピタルさんには「(MASHUに)冒険をさせてあげたい」ということをお願いしていました。今後のMASHUは、私の時代とはやり方がまったく変わると思うんです。3年前に社長交代の発表をしてから、すでにMASHUは奥社長のビジョンで経営するようになっています。そのビジョンは私からすると想像できないことがたくさんありますが、それを「矛盾だ」と思うのではなく、「これは新しいな!」と思うことが大切です。今までのMASHUでは、美容室の仕事は「デザインを作る」が大部分でしたが、今は「問題解決業」の要素が大きく加わっています。その変化により、ある商品がものすごく売れたり、奥社長の初回指名料が10万円を超えても予約が常に埋まっている状態だったりと、今までの美容業界では考えられなかったことが起きています。私からすると「これは失敗するんじゃないか」と心配になることもたくさんありますが、それすらもやらせてあげたいんです。

    漁野氏:ニューホライズンキャピタルのフィロソフィーの1つに「常に挑戦と変化を肯定する」というものがあります。なので、冒険や挑戦は大歓迎です。規模のあるグループだからこそ、挑戦するうえでのリスクも軽減できますし、成功すればより大きなムーブメントになっていきます。今後もぜひ、MASHUさんらしい冒険を続けていただければと思います。

    増成氏:それを聞いて安心しました。奥社長によってまた新たなステージへ進み、私の頭の中では考えられなかったようないろんな新しいことが実現できると確信しているので、あらゆる冒険や経験をさせてほしいと願っています。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    成功事例を作って、M&Aのネガティブなイメージを払しょくしたい

    株式会社MASHU会長 兼 BIQREAホールディングス株式会社顧問
    増成 進氏

    美容業界においても過去には、経営不振の会社を大手グループが譲受したケースや、関西でもM&A後に結果が伴わず、従業員が半減した美容室があったのも事実なので、「譲渡する=会社がダメになった」というイメージを持たれていたことは確かです。そういうネガティブなイメージからか、今でも「MASHUがM&Aをしたということは、今の美容業界は大変なんだ」と捉えている人もいます。過去からのネガティブな先入観を払しょくして「M&Aは素晴らしい手段になるんだ」と認識してもらえるよう、私たちも成功事例を作って、良いイメージを構築していく一助とならなければいけないと痛切に感じているところです。

    誰かに会社を引き継ぐとき、自分の持っている株式をどうするのか、これが大きな厄介ごとになりますが、株式はお墓まで持って行けませんから、いずれ誰かに渡すことになります。自分の身内に渡すのならまだしも、そうでなければなおのことネックになるでしょう。その点でも、今回のようなM&Aの形はとても良いと思いましたし、私も経営権がなくなる不安は完全に解消しています。ポジティブなM&Aがあることを、美容業界をはじめ世の中に広く伝わってほしいと願っています。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    「やってよかった」と思えるM&A案件が今後さらに増えていく

    株式会社フレイムス代表取締役 兼 BIQREAホールディングス株式会社代表取締役
    舟津 隆一氏

    私が創業したフレイムスは、譲渡をした立場でもあります。今でも時折「舟津さんは会社を売ったの?」と聞かれることがありますが、私ははっきりと「売ったわけではないし、“バイアウト”と言うけど、私はまだ全然“アウト”していない」と答えています。いつか私に何かあっても、会社がずっと生き続けていくために、法人格として皆で会社を育て上げていき、常に次へとつないでいけるようにしたかったのです。それに、自分で創業した当社の価値を一度評価してもらうことも大事でしたし、M&A後は企業価値をさらに高めていく流れも作られています。

    承継問題は、決して美容業界特有の課題ではありません。味は絶品なのに後継ぎがおらずに閉店してしまう飲食店や、技術はあるのに後継者不在で廃業してしまう会社など、世の中にはそういった惜しい事例がたくさんあります。しかし、一方では、やる気はあるのに現時点で自分の店や会社を持っていない人もいる。ご子息や従業員に会社の全てを継いでもらう選択肢しかほぼない状態だった一昔前までと違い、今は多くの人が当たり前のようにM&Aを受け入れられるようになってきています。それに、マッチングの支援もより丁寧になっているので、「やってよかった」と皆が思えるM&Aが、今後ますます増えていくのではないでしょうか。

    後継者がいるなかでM&Aを決断 挑戦と進化を続ける人気美容室

    担当アドバイザー コメント

    MASHU様は、「Life with MASHU」をフィロソフィーとして掲げ、従業員様やお客様と一生をともにできる企業を目指し、女性の働きやすい会社づくりや地域住民に向けた企業主導型保育所事業にも取り組まれている社会的意義の大きな企業様です。
    この度のBIQREAグループ様との協業により、創業者の増成会長の想い「Life with MASHU」がより一層に体現化され、MASHU様固有の高い技術力と高度なサービス品質に裏付けされたお客様との信頼関係をもって、多様なニーズに応えられる新たな美容室のカタチを時代と共に創造されることを陰ながら応援しております。

  • インタビュー

    2023年4月12日、譲渡成立

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    滋賀県内を中心に、全国的にも有名になった「朝恋トマト」。2008年に、近江八幡市浅小井町出身の松村務氏が地元で浅小井農園株式会社を創業し、丹精込めてこのブランドを作り上げてきました。

    2018年、当時銀行員だった関澤征史郎氏が、農業への深い関心から浅小井農園へ研修に訪れます。松村氏から後継者がいないことを聞き、農園を引き継ぐことを決意した関澤氏は、1年半の研修を経て代表取締役社長に就任しました。その後農園を経営するなかで、コロナ禍をはじめとした様々な困難に直面。特にウクライナ情勢の影響は大きく、関澤氏は今後の経営を考え、M&Aの本格的な検討に踏み出しました。

    その後、40年以上にわたってシステム開発を手掛けながら、農業事業にも力を入れる株式会社大和コンピューターと出会い、2023年4月に「農業×IT」の異業種M&Aが成約。「日本の食を支えたい」という思いが合致し、農業界を取り巻く課題にも両社で果敢にチャレンジしようとしています。M&A成約までの経緯や業界の課題、今後の展望について、関澤氏と大和コンピューターの代表取締役社長・中村憲司氏にお話を伺いました。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    高品質な「朝恋トマト」を栽培する大規模農園を承継

    浅小井農園様の事業内容や強みをお教えください。

    関澤氏:当社は滋賀県近江八幡市で「朝恋トマト」というブランドのミディトマトを栽培している農園です。ハウスの広さは県内最大規模の約8000平方メートルで、室内は環境制御システムによって温度や湿度、二酸化炭素濃度などを全て管理し、高品質なトマトを栽培しています。「朝恋トマト」は県内から京阪神地区を中心に流通していますが、最近では関東や中部地方、九州地方などへも販売を拡大しており、少しずつ全国的に知名度が上がってきています。

    また、適切な農場運営の基準「JGAP(Japan Good Agricultural Practice)」を県内で最初に取得していることも強みです。当社の松村会長は新規就農者として創業したため、農業のオペレーションを自らの手で確立していかなければなりませんでした。中小規模の農業法人であっても、従業員を雇用しながら農園を運営していくうえでガバナンスは必要です。JGAP認証はオペレーションの最適化につながると考え、創業直後の2009年に取得したのだそうです。

    関澤様が農業に興味を持つようになったきっかけをお聞かせいただけますか?

    関澤氏:私自身は農家の出身でもなく、農業に関わる職歴もなかったのですが、昔から食べることが好きで、食に深い興味を持っていました。以前はケーキ店で店長を務めていたこともありますし、その後11年間、銀行員として勤務していた頃も、週末にはいろんな産地に出向いては特産品の食べ歩きをしていたほど、とにかく地のものが好きだったんです。

    また、銀行に勤務していた頃は中堅中小企業への融資業務を手掛けていたのですが、いろんな経営者とお会いするなかで、自分も起業してみたいと思うようになったことも、農業の道に進む一つのきっかけになりました。起業・創業や制度融資について調べていたときに、新規就農者向けの無利子の資金「青年等就農資金」があることを知ったのです。よく「農業は儲からない」という噂を耳にしますが、金融面での支えはしっかりしているのではないかと思い、自らの今後の仕事として農業を本気で考えるようになりました。

    浅小井農園様とはどのようにして出会ったのでしょうか?

    関澤氏:社会人向けの週末農業スクールに通い始め、そこで農業経営の勉強をしていたのですが、実際の栽培技術も習得したいと考えるようになり、滋賀県に研修先を探していただくようお願いしたんです。私としては環境制御や養液栽培に興味があったので、それに合った研修先を希望していたところ、紹介いただいたのが浅小井農園でした。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦
    浅小井農園株式会社 関澤征史郎氏

    研修で出会った浅小井農園様を継ぐまでのいきさつをお教えいただけますか?

    関澤氏:銀行の融資業務で事業承継に関わることも多かったので、研修中にそれとなく松村会長に後継者をどうするのかと聞いてみたんです。すると、「後継者はいないけど、最後は土地をきれいにして地主に返したらいいから」というような回答でした。ただ、せっかく軒高4メートルの環境制御ハウスが8000平方メートルもあって、「朝恋トマト」も県内で有名になってきているのに、なんてもったいないんだと率直に思いました。
    当時、私は滋賀県東近江市に自分で運営するための農地を一つ見つけていましたが、やや規模が小さかったので、ほかに空いているハウスはないかと探していた時期でもありました。しかし、もし浅小井農園を私に継がせていただけるのであれば、ここで農業を生業として十分やっていけますし、従業員も引き続きここで働いていけます。そう思った私は、1年半の研修が終わる少し前に松村会長を飲みに誘い、プレゼン資料も提示しながら「後継者として私はどうですか?」と話してみたんです。

    後継者としてご自身を提案された関澤様に、松村会長はどう反応されましたか?

    関澤氏:唐突な提案だったのでとても驚かれていました。ただ、年齢のこともあって、会長は奥様とも話しながらそろそろ引退を考えていらっしゃったそうなんです。お互いのニーズが合致したことですぐに第三者承継を進めることになり、提案からわずか半年後の2020年10月に代替わりが完了しました。

    「日本の食を支えたい」という思いから農業を始めたIT企業

    大和コンピューター様の事業内容についてお教えください。

    中村氏:当社は、ソフトウェア開発事業、SaaS分野のサービスインテグレーション事業、農業を含めたその他事業――大きくこの3つの事業を展開しています。1977年の設立からソフトウェア開発を手掛けてきた知見を生かし、この3つの事業が有機的に結び付けられていることが特徴です。

    農業の分野に着手された時期や理由をお聞かせください。

    中村氏:農業には2008年頃から本格的に着手しました。ソフトウェア開発会社である当社が農業を始めた背景には様々な思いがありましたが、「日本の食を支えたい」という考えが最大の動機になりました。食を支えるためにはまず、食の安全保障と食品そのものの安全性を維持しなければいけません。日本は世界に誇れる食文化を持つ一方で、農業では後継者問題が深刻化しており、良い農作物が食べられなくなる危機に迫られています。また、素晴らしい農業技術があるにもかかわらず、そのほとんどが経験と勘に頼っており、マニュアルや技術指導ではせいぜい3割程度しか補えない状況です。加えて、天候不順や天災など様々な要因で安定的に農作物が成長・収穫できない事態も珍しくないため、当社も食の安全に少しでも貢献できればと思い、農業の事業を開始しようと決断しました。
    もう一つ、当社の従業員の働き方を考えたこともきっかけになりました。日頃はどうしてもバーチャルな世界で仕事をすることが多いため、リアルな世界とのバランスを取れるようにしたかったのです。農業を始めたことで、今ではリアルとバーチャルがちゃんと融合した環境で仕事ができるようになったと思っています。

    大和コンピューター様の中で、農業の事業はどのような位置付けにありますか?

    中村氏:メインの領域ではないにしても、農業は現在当社が手掛けている無線ICタグやトレーサビリティ、ECサイト構築など、そういった製品やビジネスを展開する端緒を開いてきた重要な存在です。今後も農業が新たな取り組みの起点になっていくと思いますし、農業の事業自体もますます伸ばしていきたいと考えています。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦
    株式会社大和コンピューター 中村憲司氏

    農業界での様々な課題に直面し、農園の今後を考えて決断したM&A

    県内最大級の農園を引き継がれた関澤様ですが、これまで困難に直面したことはありましたか?

    関澤氏:いろんな困難がありました。まず、承継と同時期にコロナ禍に突入してしまい、販路がガラリと変わりました。栽培においては病害虫が原因で、一度トマトを全滅させてしまったこともあります。また、最近ではウクライナ情勢の影響で、肥料、原油、電気代などが大幅に値上がりしています。それにもかかわらず、消費者心理としては10円でも高くなると手が出にくくなってしまうため、農作物の小売価格はなかなか上げることができません。当社は多い日に2トンもの収穫量があるのですが、着実に売れていかないと不良在庫となって廃棄せざるを得なくなってしまうので、小売りの面でも悩むことは多いですね。

    食料安保や現場での困難など、農業界には解決が急がれる様々な課題があるのですね。

    関澤氏:中村社長が仰った通り、食料安保の問題は深刻で、私自身も課題意識を強く持っています。農業に尽力する立場としてそこに関われるのは社会貢献度が高いことだと思いますが、ただ、政策と農業生産の現場との温度差はかなり大きいと感じるばかりです。例えば農家への年間の補助金にしても、日本はアメリカなどに比べるとはるかに少額で、さらには農作物の多くを安価な外国産の輸入品に頼っています。これではその場しのぎにしかなりません。根本的なてこ入れが必要であることを、メディアや行政と話す際にはいつも提言するようにしています。

    中村氏:農業においては承継しづらい要因を解決していくことも重要だと思います。少子高齢化については私たち参入者だけで解決できる話ではありませんが、重労働の負担軽減や生産性の向上には積極的に取り組み、承継しやすい環境を作ることで後継者問題の解決に貢献できるのではないかと考えています。

    関澤様が実際に直面した困難や農業界の課題は、今後の経営に対する考えに影響を与えたのでしょうか?

    関澤氏:そうですね。病害虫の問題は正直、自分たちの対策にも要因があったと思いますし、コロナ禍による販路の劇的な変化も、営業次第では何とかなったかもしれません。しかし、ウクライナ情勢以降の苦境は、浅小井農園単体で経営していくには難しい局面が多すぎます。元銀行員の感覚として、自力で資金調達できるうちはよくても、今後を考えるとどこかと手を組んだ方がいいと考え、その手段として2022年8月からM&Aの検討を本格的に始め、fundbookさんに相談しました。その後はスピーディーに進めていただいたので、1年弱で成約に至ることができました。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    「農業×異業種」を考えていた。ITは農業界を激変させられる

    関澤様が大和コンピューター様と面談されたときの印象をお聞かせいただけますか?

    関澤氏:まず、大和コンピューターさんが農業を手掛けられていることに驚きました。お会いするまでは、IT企業が農業をされる一番の原動力は何なのかと、私もすごく気になっていましたね。

    先ほど中村社長がバーチャルとリアルのお話をされましたが、面談のときに「農業とITは対局関係にある」と仰っていて、この概念がとてもしっくりきたんです。時には土に触れたり、自然豊かな場所に出掛けたりすると感性がニュートラルになる気持ちは私も共感しますし、IT分野の上場企業の社長というお立場でいらっしゃりながら、農業について深く理解されていることも本当に嬉しく思いました。

    IT企業との異業種M&Aに対し、どのような印象を受けられましたか?

    関澤氏:「まさかのIT」という思いはまったくなく、むしろ業界のリスクヘッジのためには、できれば大和コンピューターさんのような別の業界の企業がお相手として良いと考えていました。農園の場合、例えば卸売企業やスーパーなどの小売企業のような、流通の川下にあたる企業が生産部隊としてグループ化することも十分考えられますが、それだと当社自体は業界リスクから抜け出せきれません。それに、食料安保などの大きな課題に農業界だけで立ち向かうとなると、ウクライナ情勢の影響が甚大な中では非常に難しくもあります。このため、「農業×異業種」でうまくシナジーが発揮でき、業界のリスクヘッジにもつながる企業とのご縁があればと当初から思っていました。
    農業では土壌分析や環境制御、収穫ロボットまで、いろんなIT技術が登場していますが、それでもまだまだITの活用は遅れている業界です。農業界を激変させられるのはITだと私は思っているので、大和コンピューターさんとのM&Aは本当に理想の形でした。

    M&Aが成約した際の関澤様のお気持ちをお聞かせください。

    関澤氏:浅小井農園が間違いなく安定すると確信しましたし、大和コンピューターさんというしっかりした会社の目線を経営に入れるべきだと思っていたので、M&Aが成約したときは感謝の限りでした。松村会長と農場長も「すごく良い判断だと思います」と、歓迎してくれています。

    中村様は浅小井農園様に、どういった印象を持ちましたか?

    中村氏:アプローチの方法はそれぞれ違っていても、農業界を取り巻く課題に対して目指す方向性は一緒だと感じました。面談だけでなく、農園の見学にも伺わせていただきましたが、浅小井農園さんは当社も手掛けている統合環境制御システムを取り入れて、品質や生産性をどんどん良くしていこうとされていますし、廃油のリサイクルなど、エコでクリーンな取り組みにも力を入れていらっしゃいます。単にトマトを作るだけにとどまらない考え方に、強いシンパシーを覚えましたね。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    大和コンピューター様はM&Aのお相手となる農業法人を探すうえで、大変だったことはありましたか?

    中村氏:15年前に農業事業を始めた頃は、一緒に取り組んでいただける農園を探そうにも、ITという異業種だからか、なかなか話すら聞いてもらえない時期もありました。たまたま静岡県のメロン農家さんが後継者不在で廃業されるかもしれないという話を聞き、お声かけさせていただきましたが、ご理解いただくまでには相当な時間を要しました。現在は静岡に数名の従業員が常駐して、実際の栽培と農業向けシステムの開発に一緒に取り組んでいます。
    静岡の農園と提携した後も、大阪本社に近い近畿圏の農園と手を組むことができれば、より事業が進展するだろうと考えていたので、考え方を共にする浅小井農園さんとのご縁がいただけてよかったと思っています。

    企業をグループに迎え入れるお立場として、大和コンピューター様が意識していることをお教えください。

    中村氏:企業ごとに文化や事業のやり方は違いますし、農業とITでは当然ファシリティも違います。企業同士が融合して発展していくためには、お互いに変わるべきところがあると思いますし、どう変われば最善なのかを探求するうえでは、相互の理解が不可欠です。それはコミュニケーションなしには成り立ちませんから、スピードよりも十分な時間をかけて理解を深め合っていくことを重視しています。浅小井農園さんの事業に携わらせていただいたり、関澤社長から色々と伝授いただいたりしながら、相乗効果が最大化する進化をともに成し遂げていきたいですね。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    互いに協力し、農業界を取り巻く課題に挑戦していく

    両社様の今後の展望や構想をお教えいただけますか?

    中村氏:まずは、人的交流を促進させたいと考えています。当社は静岡の農場で新入社員の農業研修を行っていましたが、残念ながらコロナ禍以降は休止せざるを得ない状況が続いていました。ようやく人々が活発に動けるようになってきたので、浅小井農園さんにも研修に伺わせていただきながら、「一緒の仲間だ」という意識をより強固にしていきたいと思っています。

    また、農業界を取り巻く社会課題にも、両社で力を合わせてチャレンジしていきたいです。農業にIoTやICTを取り入れたり、統合環境制御システムで栽培したりすれば、品質や生産性の向上が見込める一方で、エネルギーが一つの重大な問題になってきます。世界的にもカーボンニュートラルの実現に向けた動きが加速している今、中小企業もエネルギー効率を高める挑戦を怠ってはいけないと考えています。すでにエコでクリーンなエネルギーを積極的に活用されている浅小井農園さんとともに、両社で知恵を出し合いながら前進していきたいですね。

    関澤氏:今の若い人はSDGsへの関心がものすごく高いですし、当社もSDGsへの力の入れようは関西でも屈指だと思いますので、大和コンピューターさんの事業に当社の取り組みが少しでもプラスに働けばと願っています。中村社長が仰るように、両社間の人的交流やコミュニケーションを重ねながら、意見を出し合って進めていきたいです。

    最後に、関澤様ご自身の今後の抱負と、中村様から関澤様への期待を、ぜひお聞かせいただければと思います。

    関澤氏:私個人としては農業の後継者問題に力を入れたいと考えていて、つい最近も、個人農業の規模でもM&Aができるような事業承継のマッチングプラットフォームに申し込みをしたところです。そのプラットフォームを活用しながら、農業の後継者問題を解決する活動を近畿圏で広げていきたいと思っています。
    やはり、事業承継は誰かに相談しようとしても、実際に経験した人からでないと的確なアドバイスが得られないと思いますし、特に農業は特殊な分野なので、農業を始めたい人や農業を継いでもらいたい人に、私の経験を役立てていけるよう、こつこつと努力を続けていきます。

    中村氏:当社は“農業とITの二毛作”の形で、もっと仕事を面白くしていこうとしているので、ぜひ関澤社長には農業の魅力をアピールする方法を一緒に考えていただければと思っています。機械やITの導入により、農作業の負担は大幅に軽減されるにもかかわらず、今もなお「農業は重労働だ」というマイナスイメージが先行しています。農業を始めようとする人材を増やして育成できれば、ひいては後継者問題へのアプローチにもなるはずですので、農業の魅力を正しく広めるアイデアを出し合っていければ嬉しいです。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    新規就農者はM&Aや事業承継も選択肢に入れるべき

    浅小井農園株式会社
    代表取締役社長 関澤 征史郎氏

    銀行員をしながら農業スクールに通っていたときに、農業をやりたいと思っている人はかなり多いと感じました。ただ、そのうち新規就農できる人は10分の1にも満たないのではないかと思います。なぜなら、新規就農するにはハウスや設備を用意して、販路も自力で開拓するなど、全てゼロの状態から立ち上げなければいけないものだとイメージされがちだからです。当然、それではハードルが高すぎて一歩が踏み出せないでしょうし、家族も納得してくれないと思います。

    しかし一方では、立派な農園や販路があるにもかかわらず、後継者不在などで農業を辞めようと思っている農家さんも多くいらっしゃいます。新規就農しようとしている人がM&Aや第三者承継、事業承継という引き出しさえ持っていれば、初期投資やリスクがほぼないまま、すでに営農している人から引き継げる可能性は十分にあります。私自身、浅小井農園の創業者である松村会長から第三者承継をした立場として、こういったゼロから作り上げる以外の方法を選択肢に入れておいた方がいいと自信を持って言えますし、様々な場所で啓発するように努めています。M&Aも含めた事業承継の形が、今後の農業界でますます加速させられれば嬉しく思います。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    農地の価値をゼロにしてはいけない。M&Aや協業で手を打つべき

    株式会社大和コンピューター
    代表取締役社長 中村 憲司氏

    先祖代々農業を営まれている農家さんも多くいらっしゃる中、農業の発展を意図したM&Aを提案したとしても、M&Aと聞くと「受け継いできた農地が持って行かれてしまうのではないか」と、不安に思われることも決して少なくないと思います。今は浅小井農園さんと静岡のメロン農園と手を組めている当社も、十数年前は農家さんに提携を持ち掛けたところで、ただただ怪しまれる一方でした。なので、農業界ではM&Aと合わせて、もう少し緩めた形の“協業”も促進させて、協力体制を作る入り口を広げていくことも一つの策になるのではないかと考えています。

    せっかくの農地も、放置してしまうと土地が荒れてしまい、再び作物を作ろうとしても収穫までに数年を要することになってしまいます。使える農地はしっかりと有効活用して、実りあるものを作っていかなければ意味がありません。M&Aや協業などを活用し、農地としての価値がゼロになってしまう前に手を打っていく取り組みが、今まさに求められているのではないでしょうか。

    「農業×IT」の異業種M&Aで、食や環境の課題に挑戦

    担当アドバイザー コメント

    本件は両社長の「日本の食を支えたい」という強い想いが結んだ農業×ITの異業種M&Aでした。
    お相手を探すなかで、大和コンピュータ―様と浅小井農園様が出会うまでは一筋縄ではいかず、関澤社長は多くの会社とトップ面談を実施し、最終的に大和コンピューター様に巡りあい、M&Aの成約に至ることができました。
    後継者がおらず廃業を視野にいれていた浅小井農園が上場企業グループの仲間入りをし、より盤石な体制で「朝恋トマト」のブランドを今後も世に発信していけるM&Aに携われたことを大変光栄に思います。
    今後のご両社の益々の発展をお祈り申し上げます。

  • インタビュー

    2022年3月18日、譲渡成立

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    2005年に、25歳の若さで人材派遣業の株式会社アーツを創業した寺野圭一郎氏。リーマンショックなど数々の困難に襲われながらも、持ち前の行動力と、派遣スタッフや顧客への気配りが実を結び、企業理念「人と地域と社会に最高のサービスを」の通り、地元から厚い信頼を集める会社へと成長してきました。

    経営は軌道に乗り、順調そのものだったある日、寺野氏は突然の病に倒れてしまいます。それまで多くの業務を一人で背負ってきましたが、「今後また不測の事態が起きたときに会社をどうすべきか」と深く考え、M&Aに向けて舵を切りました。

    その後、同じ人材派遣業で、環境や雰囲気がマッチした株式会社ティー・シー・シーと、2022年3月にM&Aが成約。寺野氏は新たに会社を立ち上げ、次の夢へと歩みを進めています。アーツのM&Aに至るまでの経緯や、ご自身の今後の抱負について、寺野氏にお話を伺いました。

    リーマンショックも乗り越え、地域密着型の経営を続けた16年間

    アーツ様を創業されるまでの経緯をお教えください。

    寺野氏:私は高校卒業後に専門学校に通っていたのですが、だんだんと「自分の得意分野とは違うのではないだろうか」と、授業内容に悩むようになっていました。そんな最中に地元のパチンコ店でアルバイトを始め、最終的に学業より仕事をする道を選ぶことにしたんです。そのアルバイト先で私の働きぶりが評価されて正社員となり、20歳で本部の人事課に配属となったのですが、その頃から漠然と「将来は自分で何かをやってみたい」と思うようになりました。人事課で学んだ業務と、アルバイト時代のサービス業を組み合わせて、人材サービスを立ち上げたら面白いのではないか――。そういった考えから、25歳で人材派遣業のアーツを創業しました。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ
    株式会社アーツ 創業者 寺野圭一郎氏

    アーツ様は神奈川県西部で地域密着型の事業を展開されていますが、その理由をお聞かせいただけますか?

    寺野氏:南足柄市で生まれ育った私にとって、神奈川県西部には幼い頃から日常的に見聞きしてきた企業が数多くあったからです。それに、派遣の仕事は企業数と人口が多い地域に集中しやすい分、都心部では当然、競合も多くなってしまいます。そうした理由から、まずは地の利を知っている神奈川県西部から事業を始めようと考えました。

    それと、これは今になって思うことですが、神奈川県西部で事業を展開してきたことにより、結果として地域貢献や地元への還元にもつながったという自負もあります。アーツの売り上げ・利益によって事業税が地域に納められ、アーツの雇用によって人がその地に住み、住民税や所得税なども納められる状況を16年以上も続けてこられたわけですから。地元を拠点とした意義は大きかったと思います。

    創業からの16年間を振り返って、特に印象深い出来事はありますか?

    寺野氏:初期・中期・後期と大きく5年ごとに分けると、初期はとにかく売り上げと利益を作ることに必死でした。そんな、ただでさえ大変なことばかりなのに、2008年に起きたリーマンショックは本当に大打撃となりました。国内でも“派遣切り”が瞬く間に広がり、職を失った人たちへの炊き出しが各地で行われるなど、まるで戦後のような状況でした。アーツも売り上げが6~7割も減少し、このときは「家族を守らないといけない!」という、ただその一心でした。

    中期にはリーマンショックが徐々に落ち着いてきて、派遣の採用が再開し始めましたが、やはり企業も慎重になるものです。なかなか派遣の単価は上がらず、実質的な収益としては辛うじて黒字を維持するような状況がしばらく続いていました。

    そして後期あたりになった頃、大手通販の物流業務を手掛ける企業との大口契約が決まったのです。まとまった派遣先があれば、派遣会社の請求書業務など様々な作業負荷が軽減されるため、これはとても良い転機になった出来事でした。

    人材派遣会社の経営者として、意識してきたことをお聞かせください。

    寺野氏:とにかく「順法(法律を守ること)」を第一に意識してきました。例年10月頃には最低賃金が引き上げられていますし、労働基準法や安全衛生法なども頻繁に改正が行われています。法改正では事業者にとっての緩和はほぼなく、厳しくなる一方ではありますが、しっかりと対応していこうと常に気を引き締めてきました。

    それと、地道な努力ですが、派遣スタッフ一人一人への出勤前日の連絡も大事にしてきましたね。大半のスタッフは真面目に勤務してくださっていますが、遅刻や欠勤をしてしまうスタッフもゼロではありません。しかし、当然ながら派遣先の企業は、派遣会社ごとにスタッフの遅刻・早退・欠勤率を見られています。スタッフ一人が出勤した際の売り上げと利益だけでなく、真面目に働いているほかの派遣スタッフの待遇も損なわないよう、丁寧にリマインドのメールやLINEを送り続けてきた結果、出勤率の高さは各派遣先で1~2番目に良い状態を維持してこられました。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    会社が順調な中突然の病に。会社と自身の未来を考え、M&Aを検討

    順調に経営を続けてこられたなかで、なぜM&Aを検討されたのでしょうか。

    寺野氏:あの日のことは忘れもしませんが、2019年5月のある夜、突然苦しくなって呼吸ができない状態に陥り、救急車で搬送されたんです。診断結果は肺気胸で、すぐに処置していただけたおかげで何とか一命を取り留められました。ただ、そのときは給料日の1週間ほど前で、救急車の中でも「給与計算をしないと…」と頭をよぎっていましたし、入院中の病室でも資料とパソコンを持ってきてもらって作業をしていました。自分がどうなろうと、人に迷惑をかけてはいけないと。

    私が経営している期間は税理士以外、弁護士や社会保険労務士なども入れていないほど、ほぼ全ての業務を自分一人で手掛けていたんですよね。どうにか給料日には間に合いましたが、「こんなときも休めないの?」という葛藤や、今後また急な事故や入院があったときに会社をどうしようかという迷いが、一気に浮上してきました。会社は順調でも、こんなところで困るんだと、身に染みて実感したものです。仮に会社を拡大するにしても、もっと色々と考えなければいけないと、経営者としての責任感を新たにしていた矢先、偶然fundbookさんから連絡をいただき、そこからM&Aを視野に入れるようになりました。

    病気を患ったことが、大きなきっかけになったのですね。

    寺野氏:病気になる前にほかのM&A仲介会社からお話をいただいたことがあったのですが、M&Aをしようとはまったく考えていなかったので、そのときはお断りをしていたんです。病気というのはそんな考えが一変するほど大きな出来事でしたし、悩んでいたところで偶然にもfundbookさんから連絡をいただけてよかったとも感じています。

    私は20歳頃から株式投資をしていたのですが、当時はまだM&Aという言葉が今ほど広がっておらず、どちらかというとネガティブなイメージの方が強かったと思います。しかし、今回fundbookさんと話していくなかで、現在は戦略的かつ前向きなM&Aが可能であることも十分理解できました。アドバイザーさんも人材派遣業に見識があって、こちらの話にも理解を示していただけそうだと思い、「必ず譲受企業を見つけてください!」と、仲介を依頼しました。

    どういった企業を譲渡先に探していましたか?

    寺野氏:やはり同業の会社ですね。派遣会社はほかの業種と違い、派遣スタッフと顧客(派遣先企業)を派遣会社がサポートするという、特殊な「対スタッフ」「対顧客」の関係性があります。単純に売り上げや利益率だけでは測りきれない評価基準が、運営を続けていくうえで非常に重要になるので、異業種だと難しいかもしれないと思っていたんです。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    譲渡候補先として同じ人材派遣業のティー・シー・シー様と出会われましたが、面談での印象はいかがでしたか?

    寺野氏:ティー・シー・シーの多羅澤社長とお話をして、考え方が似ているな、という印象を受けました。また、宇都宮市の本社にも伺わせていただいたのですが、活性している地方都市でありながら、少し離れれば田畑や自然に囲まれた豊かな環境であることも、小田原市に本社を置くアーツとどこか親近感がわくような感覚を抱きました。

    譲渡後も私の妻や従業員はアーツに残るので、譲受企業の環境や雰囲気、双方のフィーリングは大事にしたいと思っていました。実際にお会いして「うまくいきそうだ」と直感できましたし、面談後もスムーズにM&A成約まで進みました。

    ティー・シー・シー様とM&Aが成約した際の、寺野様のお気持ちをお聞かせください。

    寺野氏:苦労もたくさんしてきたので、M&A成約直後はいろんな感情が混ざりましたね。嬉しさや安堵の気持ちもありますし、創業の年度で言うとアーツは私の娘と同級生ですから、少し寂しさもあるような、不思議な感覚ではありました。

    ただ、譲渡後すぐにアーツから離れたわけではなく、業務の引き継ぎのために半年間はアドバイザーとして在籍していたのですが、そのうちに心情も変化していきました。16年間、これが普通だと思ってやってきた業務も、いざ引き継ぐとなると、私一人で背負ってきた業務があまりにも膨大だったことを再確認するばかり。それに、ずっと毎日夜遅くまで仕事をして、家族で夕食を囲んだことも片手に収まる程度しかなかったことを思い返すと、だんだん「早く引き継ぎを終わらせて、自分は次に向かわないと!」という思いが本音になっていました。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    新会社を立ち上げ、未来への種まきも開始。これからは“自分への投資”も大切に

    寺野様ご自身の今後の抱負や目標をお聞かせいただけますか?

    寺野氏:病気になった経験から、人生観が大きく変わったんですよね。正直なところ、今までは“いっぱい働いて、いっぱい稼ぐ”ことに重きを置いてきました。もちろん、お金はあって損するものではありませんし、同じ時間働くならば、より高い対価が得られるように頑張ることも大事だと思います。ただ、過去の私は相当な無理をしながら、時間と能力と体を切り売りしていたからこそ、病気になってしまったんだという自省の念もあるんです。これからも、時間・能力・体を使いながら働くことに変わりありませんが、それと同じくらい“自分への投資”も大事にしていきたいと考えています。

    もしあのとき病気から快復せずに、いろんなことが経験できないままだったら、せっかくの人生がすごくもったいなかったなと。これからは、両親を旅行に連れて行ってあげたり、ワールドカップを現地で観戦したり、読書や映画に没頭したり、そういった知識や経験を積み重ねる時間も、バランス良く持つようにしたいと思っています。

    譲渡後、新たに株式会社ネクスト様を創業された寺野様。経営者としての今後のご活躍にも期待しています。

    寺野氏:ありがとうございます。アーツの創業、成長、譲渡を経て、結果的には間違っていなかったと実感していますから、やっぱり起業や事業承継って、すごく夢があるなと改めて思いますね。私はアーツで手にした結果だけで終わるつもりはなかったので、新たに立ち上げた株式会社ネクストで再度、未来に向けた種まきをしているんです。将来的には地元の神奈川県西部にある複数の小規模事業会社をグループに迎え入れ、シナジーの高い事業会社同士で新規事業や新サービスを創出するような複合企業にしていきたいと考えています。

    日本人の寿命は80歳超で、さらには「人生100年時代」と言われるようになっても、病気を経験した私からすると、仕事をするうえでも「今日が一番若くて、一番体が動かせる日」という考えが大前提にあります。その考えに基づくと、一般的な定年退職の年齢もあながち間違ってはいないと思いますし、実質的な自分のコアな時間もあと25年ぐらいかな、とも思うわけです。その時間を、もっと張り合いのある時間にしたい。だから、60歳頃までにもう一度、アーツと同じ規模の譲渡ができるように前進しよう――今、そんな思いを巡らせているところです。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    1社1社がオリジナルだからこそ、高く評価してくれる企業が現れる

    株式会社アーツ
    創業者 寺野 圭一郎氏

    日本は少子高齢化に伴う人口減少時代を迎えています。人材の確保が困難になれば、企業の事業活動に多大な影響を与えることは明らかですし、特に町工場のような特殊な技術と業務を誇る事業者が継続できなくなってしまうと、失うものは計り知れないだろうと懸念せざるを得ません。加えて、職業や働き方が多様になった今は、経営者のご子息が当然のごとく家業を継ぐとも言い切れなくなっているのではないでしょうか。こうした状況の中で企業や事業を続けていくためには、身内に固執しすぎるのではなく、外部からもやる気のある人を探し出して、しっかりと引き継いでもらうことが最善の道なのではないかと思うのです。M&Aを経験した立場として、事業譲渡や事業承継は今後ますます増えていくべきであり、増えていかなければいけないと現実的に感じました。

    企業は二つとして同じものがないからこそ、M&Aをするうえではデューデリジェンスが絶対的に必要で、そこに煩雑さや不安を感じることがあるかもしれません。しかし、逆に言えば、1社1社がオリジナルだからこそ、高く評価してくれる譲受企業が現れる可能性が十分に広がっているということです。何事も、自分が知らないことは怖いものですが、それはM&Aでも同様です。相談したり、情報収集したりすれば、M&Aはそんなに難しいことでも怖いことでもないと、広く認識されるようになればと願っています。

    病気を機にM&Aを決断、起業家として新たなステージへ

    担当アドバイザー コメント

    本件のご成約にあたり、寺野社長の会社に対する情熱・創業から大切にされてきた派遣スタッフさんへの想い・困難な場面での苦労などを肌で感じることができました。譲受企業であるティー・シー・シー様におかれましても、寺野社長同様に創業オーナーであることから、面談の場で意気投合したことが印象に残っております。
    今後、両社が一緒になることにより、派遣サービスを利用される企業様・就業される派遣スタッフにとってより良いサービス提供ができ、両社が更なる飛躍をされることを陰ながら応援しております。

  • 生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    長崎県の佐世保市地方卸売市場で地域の食を支え続けてきた佐世保靑果株式会社は、まもなく創業から100年を迎えます。長い歴史を誇り、地元大手スーパーなど多くの販売先を抱える佐世保靑果ですが、近年は周辺産地での生産者減少に伴う集荷量への影響が課題となってきました。

    佐世保市に限らず、地方市場は今、生産者と市場運営に関わる人材の減少で苦戦が強いられており、同地域内や同業者との合併の動きが相次いでいます。そのなかで、代表の山本茂雄氏は自社と青果卸売業界の将来性を最大化するために、青果物の専門商社グループの富永商事ホールディングス株式会社とのM&Aを決断。異業者でありながらも、同じ青果物を取り扱う立場として、両社とも生産者への貢献と業界の発展への思いが根底にありました。山本氏と富永商事ホールディングス株式会社代表の富永浩司氏のそれぞれに、M&A成約までの経緯や今後の展望について伺いました。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    およそ1世紀にわたって地元で商売を続けてきた佐世保靑果

    (佐世保靑果株式会社 山本茂雄氏インタビュー)

    佐世保靑果様の歴史や事業についてお教えください。

    山本氏:当社は佐世保市が開設している佐世保市地方卸売市場で、青果物や花きの卸売業を手掛けており、JAや生産者が市場に出荷した商品を当社が受けて、せりで販売している会社です。この市場は九州でも2番目に早くできたほど歴史が古く、当社も昭和4年(1929年)の設立から100年近くの間、この地で商売を続けています。

    山本様が佐世保靑果様に入社されたきっかけをお聞かせください。

    山本氏:私は生まれも育ちも佐世保市で、大学の頃だけ県外に出ていたのですが、地元で働くため卒業とともに帰ってきました。当社には青果関連の業界に従事していた親に勧められたことがきっかけで入社したので、正直なところ当時はこんなにも長く勤めるとは思ってもいませんでした。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A
    佐世保靑果株式会社 山本茂雄氏

    山本様が佐世保靑果様に入社されてから、社長に就任されるまでの経緯をお教えください。

    山本氏:当社では、入社後にまず、売上伝票や仕入伝票を管理する電算課に配属となって、そこで基礎的なことを勉強してから、営業やその他の部署へそれぞれ配属される仕組みとしています。私も入社直後から電算課に約3年間所属し、その後はずっと経理を担当し、その後2020年5月に社長に就任しました。当社はオーナー企業ではないので、社員の中から社長が決まる形となっています。今、私で8代目になりますが、もう3~4代も前からずっと経理部門出身の人が社長を務めてきたので、それが社長に選ばれた一つの大きな理由だったと思います。やはり、経理は会社の全ての部門に関わらないといけない仕事ですし、良い所も悪い所も全て見えることが、経営にも生かせられるという考えがあるからではないでしょうか。

    社長に就任されてから、経営でどのようなことを意識してこられましたか?

    山本氏:社長になって最初に、「社長の仕事とは何か?」と考えました。管理部門を統括していたときは管理部門だけを集中的に見ておけばよかったのですが、社長は営業部門と管理部門の全体を見なければいけませんから。そしてたどり着いた答えが、「会社にある色々な問題を、一つ一つじっくりマネージメントしながら最適解を見つけること」。それこそが社長の一番の仕事なのではないかと思ったのです。

    私は営業の経験がない分、営業のことに意見や疑問を投げかけると、営業担当からすると快く思わないことだってあると思います。しかし、最適解を見つけるためには、各部門に気を使ってばかりでは仕方ない――。そういう意思は強く持つようにしています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    同業者との合併が主流の業界で見出した「異業者との資本提携」という選択肢

    今の青果業界には、どういう課題があると感じていますか?

    山本氏:まず、生産者の減少が大きな課題となっています。当社は商品を集荷しないと商売が始まりません。しかし、生産者が減るということは、青果物や花の生産量の減少に直結することを意味し、現に集荷が難しくなってきているのです。今まで青果物を出荷してくださっていた産地が高齢化によりなくなってきていますし、JAに集まる青果物も減少して市場に出荷する分がなくなるなど、生産者の減少には一番の危機感を覚えています。

    そしてもう一つ、青果卸売業における人材不足もとても大きな課題です。市場は朝が早い力仕事というイメージがどうしても強いようで、若い人たちからは敬遠されがちなのだと思います。それに、せりや何かの商品を担当する業務は専門的になるため、入社から2~3年はいろんな知識を蓄えないといけないのですが、今の社会は転職できる環境や職業の多様化が進んでいるため、人材が育った頃に離職してしまうことも少なくありません。

    そういった課題のなかで、山本様が佐世保靑果様を経営していくうえで何らかの変化はありましたか?

    山本氏:平成10年頃から青果市場の業界は右肩下がりが続いており、特に中小の市場や地方の市場は厳しい状況となっています。なので、私は10年以上前から、いずれは県内の同業者か、大都市の大きな市場と合併することも視野に入れていました。この業界では同地区の同業者同士や大都市の市場などとの「合併」で規模を大きくする形が主流で、県内の同業2社の合併話が出た時は、私も「うちもいよいよどこかと合併かな」と本気で考えるようになっていました。ただ、仮に同じ県内で合併したところで将来性が最大化するのか分からなかったですし、ほかの地域からも合併後になかなかシナジーが生まれないという話を耳にしていたので、合併が本当に良い道なのかという迷いもありました。

    そんなときにfundbookさんと話して、株式譲渡による「資本提携」という道があることを知ったのです。もしfundbookさんとお話ししていなければ、今もまだ合併どころか悶々と考え続けていただけだったかもしれません。

    同業者に限らず、相乗効果の高い企業との資本提携も視野に入れた結果、富永商事様と出会われました。面談での印象はいかがでしたか?

    山本氏:最初の面談では、どういった提携をしていくか、といった具体的な将来の話をするというよりは、お互いの仕事の内容などの話が中心で、雰囲気を味わうのが第一の目的だったように思いますが、私は富永社長に対して、話しやすくてお付き合いがしやすそうな、とても良い印象を持ちました。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    M&Aを前向きに捉えてもらおうと努めた日々

    M&Aを進めるうえで大変だったことはありましたか?

    山本氏:M&Aは一般的に、従業員への開示は成約後に行うそうですが、当社の場合は役員や従業員も株主で、株主の総数は100人以上にのぼります。もし私一人でM&Aを進めて、最終的に知らされた従業員が動揺して会社が不安定になってしまうと本末転倒ですから、ここはぜひ、会社が一体となってM&Aを進めるべきだと考え、早い段階で役員と一部の従業員に説明しました。ただ、最初は「会社や自分たちはどうなるのか?」といった不安の声ばかりでした。それで、1週間じっくり考えてもらってから再度意見を聞いたのですが、皆の考えは変わっていなくて。従業員の皆に、M&Aに対して前向きな気持ちになってもらうまでが大変でしたね。

    従業員の皆様一人一人に対応するのは、多大な労力が必要だったと思いますが、何が山本様のモチベーションになっていましたか?

    山本氏:あのときはfundbookのアドバイザーさんと毎日連絡を取り合っていたくらい、ずっと頼っていました。困ったことがあればすぐに相談して、そのたびに的確なアドバイスをくださったので、ここまで来られたのだと思っています。

    それに、M&Aに消極的だった従業員の意見としても、「自分たちでやれる」という気持ちが前面にあったので、それだけ皆が佐世保靑果を「自分の会社」と思ってくれているのだと実感できたことも大きかったです。納得してもらうまでの労力もありましたが、一方では自社を思う従業員の気持ちが嬉しくもありました。

    従業員の皆様が前向きにM&Aを考えてくださるようになるまで、どういった出来事や取り組みがありましたか?

    山本氏:何が不安で何を懸念しているのか、富永商事さんに向けた質問を従業員から寄せ集め、失礼を承知のうえで富永商事さんにご回答いただくようお願いしました。すると、多くの質問あったにもかかわらず、富永商事さんからすぐに誠意のあるご回答をいただけたのです。それに加えて、今度は富永商事さんの富永社長や役員の皆様と、当社の役員がお会いして何でも質問させていただける機会も設けていただいたことで、従業員の気持ちはかなり変化していきました。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    数年後に「やってよかった」と思える提携になるように

    今後、富永商事様とどのような取り組みをしていきたいと考えていますか?

    山本氏:まず出荷に関しては、どうしても地元だけでは消費しきれずに、全量販売が難しい状況にあったことが課題だったので、今後は富永商事さんの力を借りて、関西圏や関東圏にも販路を広げていきたいと考えています。仕入れに関しては、当社のお客様である地元の大手スーパーさんなどが色々な商品を求めているので、富永商事グループのパイプや情報を活用して、自社だけでは集荷が難しかった商品も取り扱えるようになりたいと願っています。

    また、今の時代は生産者が売れるか売れないか分からない青果物を作るのではなく、市場の方から生産者に「この品種のカボチャを作ってください」といった提案をして、しっかりと販売する仕組みが主流となりつつあります。そうした生産者さんに対する提案も、富永商事さんとの協力でより活発にできるようになると思いますし、それが生産者さんへの貢献にもなると期待しています。

    引き続き、佐世保靑果の社長を続投される山本様。ご自身の今後の抱負をお聞かせください。

    山本氏:このM&Aは私が主導したわけですから、成約してからも、投げ出すようなことはしたくないですね。それに、「提携したけど、何も変わっとらんやん」と思われるような結果にはしたくないです。1~2年かけて富永商事さんとしっかり連携できる体制を構築してから次の社長に譲りたいですし、3年後や5年後に「やってよかったな」と思える提携にしていきたいと思っています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    世界的に減少する「生産」を大事にしたい

    (富永商事ホールディングス株式会社 富永浩司氏インタビュー)

    富永商事様のグループの事業内容や強みをお教えください。

    富永氏:当社は青果物の専門商社です。食品という幅広い商材の中でも、厳選した青果物を取り扱うニッチな事業を手掛けていることと、研究・開発から生産、加工、流通までをグループで一貫して担える体制が強みとなっています。

    佐世保靑果様と富永商事様は、青果物を取り扱う点で共通しています。この業界では今、どのような課題があると捉えていますか?

    富永氏:第一次産業全般に言えることですが、若手人材の不足が課題となっています。北米などでは農業従事者の世代交代がスムーズに行われていて、若い世代の生産者が多いイメージですが、日本をはじめ東アジア各地では高齢化が進んでいる一方です。このため、若い人材が一緒に仕事をできるような環境作りが急務だと捉えています。

    また、地球規模で考えても、世界人口が増え続けていますが、気候変動や資源枯渇など様々な要因で、生産は減少傾向にあります。だからこそ、消費以上に生産を大事にする視点を持つようにしていかなければならないと思いますし、当社もその姿勢で営業するよう心掛けています。

    富永様は若くして3代目社長に就任されましたが、青果の業界に課題がある一方で、魅力はどのようなところにあると思われますか?

    富永氏:野菜や果物は世界的に見てもとても歴史が長く、今後もずっと続くビジネスであるものではないでしょうか。流行が目まぐるしく移り変わるサービス産業とは違う側面が強く、まるでコレクターのような完成のない仕事だと感じますし、それが一つの魅力であると思っています。

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    富永商事ホールディングス株式会社 富永浩司氏

    お互いの歴史や考えを大切に、長所を生かし合う

    佐世保靑果様のどういったところにシナジーを感じたのでしょうか?

    富永氏:当社は九州にも販売先が多く、佐世保靑果さんも元々は販売先の1社でした。ただ、九州に仕入れの支店がなかったので、佐世保靑果さんと一緒になることで、現地の生産者とのつながりがより強化できると考えました。佐世保の周辺には農作物の良い産地がありますし、そうした産地に当社の神戸本社から伺うよりも、佐世保靑果さんと協力できれば、時間をかけず円滑に取引ができるようになると期待しています。

    また、当社には市場(いちば)のお客様も多くいらっしゃるので、お客様のことを深く知るうえでも佐世保靑果さんから色々と教わりたいという思いもありました。今後、従業員同士の行き来が活発化すればもっと面白くなるだろうなと思っています。

    面談で山本様にお会いしたときの印象をお聞かせください。

    富永氏:紳士的で優しくて、人柄が素敵だという印象を受けました。それに、佐世保靑果さんで勤めてこられた40年間のことや、今後の佐世保市への思いもお話しいただくなかで、きっと人徳のあるお方なんだろうなということも伝わってきましたね。

    M&A成約までの間に、佐世保靑果様の従業員の皆様からの質問や面談にも対応されたと伺いました。今までもそういった事例はあったのでしょうか?

    富永氏:いえ、珍しいケースではありました。ただ、佐世保靑果さんは元々佐世保市が発起人となって立ち上がった施設で、約100年もの歴史がありますし、地域の皆様の食を支えるために働いてこられた方々の力で栄えた企業でいらっしゃいます。誰か個人の会社というより地域のための会社という存在ですから、従業員の皆様も自社を大事に考えられているのだと思います。なので、私たちも佐世保靑果さんの歴史や考えを大切にしないといけないと強く思っており、それが伝わるよう、佐世保靑果さんの役員や従業員の皆様と対話させていただきました。

    業態はもとより、社風や文化も違う企業同士が手を組むうえで、どういった考えを大事にしていますか?

    富永氏:お互いの長所を生かそうという考え方です。当社は商社なので、利益重視の風潮が強いと思います。「利益ベース」と言うと冷たい印象に聞こえるかもしれませんが、食品は放っておくと傷んでいくだけなので、この考えは重要なのです。例えば、1000円で仕入れたものを1500円で売ることもあれば、500円で売らざるを得なくなることもありますし、商品価値がゼロになってしまうこともあります。もし怠慢な管理によって商品を腐らせてしまい、利益が出なくなったとしても、最終的なしっぺ返しは生産者に向かってしまうのです。なので、生産者に対する思いやりが根底にあってこその利益重視の社風となっています。

    一方で、佐世保靑果さんも農産物を取り扱っている点では当社と共通していますが、主には地域の食料供給を支えてこられた背景がありますから、当社とまったく同じような利益ベースの考えを求めるのは筋違いだと思っています。無駄が生じている部分を少しずつ改善しつつも、お互いの良さを掛け合わせる道を追求することが大事だと考えています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    流通の拡大や物流の効率化。市場との提携により高まる期待

    M&Aが成約してから、佐世保靑果様とどのような交流や連携が始まっていますか?

    富永氏:毎月定例の財務ミーティングのほか、当社の営業部長が佐世保に頻繫に伺うなど、着々と連携を強化しているところです。また、佐世保靑果さんと当社間のやり取りだけでなく、年に4回ほど開催しているグループ全体会議も、各社間の交流の場になると期待しています。コロナ禍以降のグループ全体会議はオンラインで行われていましたが、そろそろ対面での開催もできるかと思いますので、グループ間で関係を深める動きがますます活発化すればと願っています。

    佐世保靑果様との今後の取り組みや展望についてお聞かせください。

    富永氏:青果物は遠い外国産のものより、国産の方が新鮮なままお届けできるので、まずは佐世保靑果さんの取り扱う九州産の青果物を国内で広く流通させていきたいです。また、当社がグローバルに取り扱っているカボチャや玉ねぎなどについては、佐世保靑果さんからの出荷品が輸出ルートに載る可能性も十分にあると思っています。

    それともう一つ、佐世保靑果さんとともに、物流を効率化させる取り組みにも力を入れていきたいです。物流業界では働き方改革に伴う2024年問題が懸念されている通り、今後は長距離輸送や大量の小口配送への対応が難しくなるため、各地域の物流拠点の価値はよりいっそう高まるものと考えられます。そうした状況下で、流通施設として利用できる市場は、今まで以上に機能を発揮するようになると思うのです。

    週休3日制を取り入れる企業も出てくるなど、世の中の働き方改革は前進していますし、私もそうなるべきだと考えています。そのために、物流をはじめとした業務効率化は不可欠です。働き方改革を推し進めるうえでも、佐世保靑果さんをはじめ、グループ各社で協力し合っていければと思っています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    会社の存続・発展のためには、「単独」ではなく「手を組む」べき

    佐世保靑果株式会社
    代表取締役社長 山本 茂雄氏

    少子高齢化と人口減少が進むなかで、オーナー企業や個人経営の事業者は特に後継者問題がますます深刻化するものと考えられます。そういった場合にただ廃業するのではなく、譲受してくれる企業を見つけられれば、経済的にも最善の策になる可能性が大きいものと思います。

    当社はオーナー企業ではなく、言うなれば私もサラリーマン社長ですが、それでも責任は非常に重大で、単に自分の任期を満了すればいいとはまったく考えていませんでした。「従業員の生活もかかっているからこそ、会社を存続・発展させなければいけない。ならばこれから先、単独でいるよりも相乗効果の高い企業と手を組んでいくべきだ」と、判断したのです。

    後継者問題の解決や会社の発展に向けては、M&Aが一番有効な手段になると期待できるので、今後ますます活用する動きが増えてくるのではないかと思っています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    産業を良くしていくためには、競争よりも力を合わせることが重要

    富永商事ホールディングス株式会社
    代表取締役社長 富永 浩司氏

    企業間の競争はある程度必要なものの、一つの産業の中に事業者が溢れかえっている状態では、競争相手ばかりを意識してしまい、その産業や業界自体をどう良くしていこうかという考えが欠けてしまいかねません。私も、いかに競争相手に打ち勝とうかとばかり、ずっと考えていた時期がありました。ですが、自社のマーケットシェアが拡大するに従い、「業界をどう伸ばそうか」という健全な考え方へ自然と変わっていきました。なぜなら、その産業や業界がなくなることの方がはるかにリスクになるからです。

    「1産業1業者」と言うと極端かもしれませんが、その産業を発展させるためには、一つのパイを大勢で食い合いながら多くの無駄を発生させるのではなく、今後は集約して力を合わせていく方がますます重要になってくるのではないでしょうか。新規参入が難しい第一次産業においても、M&Aは有効に働くと私は考えています。

    生産者への貢献と青果業界の発展へ。100年続く地方市場のM&A

    担当アドバイザー コメント

    本件は、100年もの歴史を誇る地元に無くてはならない青果卸売会社の譲渡企業様と、国内・国外とグローバルな展開をする青果専門商社の譲受企業様とのM&Aという青果業界に多大な影響を与えるマッチングだと思います。

    青果卸売会社である譲渡企業様は、地元の「食」のインフラとして、重要な役割を有しています。大手量販店、小売店側と生産者側との間に入り、需要と供給のバランスを整え、両社にとってメリットがあるためには時には損をしながらも消費者の台所に野菜や果物を届ける必要があります。

    しかし、現在、青果業界は非常に厳しい環境にあります。
    生産者様が減少の一手をたどっていることに加え、市況に伴う青果物の低価格化などが主な要因です。単独の経営戦略と資本ではなかなか解決できない悩みが、どこの青果事業者にも当てはまる状況です。

    また青果業界のM&Aは同業同士が多いのですが、それでは面の取り合いになってしまい、根本的な解決にはならないことが多いです。

    このような背景から、譲渡企業の山本社長様と青果事業として「食」のインフラ機能を大事にしつつ、抜本的な改革を起こせるM&Aを一緒になって考えてきました。

    譲渡企業様の願いである地元の生産者と一緒になって販路を見出していくためには、譲受企業様のような国内のみならず国外にも「青果」の販路を保有しているのが一つ、またその上で販路が確定できれば、譲渡企業様のバックにいる生産者にも自信を持って何を作れば生産者として安定するのかを提案できる。そこに商品としてのブランドを作り上げ、低価格だけではない付加価値のあるものを市場に流していくことができます。これは単独資本ではなかなか難しくM&Aだからできることと言っても過言ではありません。

    M&Aは終わりではなく、ここからがスタートとなります。
    今後、ご両社が日本の青果業界に新しい風を吹き込むことをとても楽しみしています。

  • 訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    沖縄県で生まれ育った川平稔氏は、2001年に内科・神経内科・リハビリテーション科を診療科目とする「医療法人かなの会 コザクリニック」を沖縄市で開設。県内で神経内科に対応する医療機関が少なかった頃から神経疾患の治療に励み、パーキンソン病治療の「LSVT BIG」を県内で初めて導入したほか、「全国パーキンソン病友の会・沖縄支部」の立ち上げも率いてこられました。

    後継者を探すべくM&Aに動き始めていたコザクリニックに、突如としてコロナ禍の影響が降りかかることに。当初の予定よりも早く譲受法人を見つけなければならない――。不安と焦りの中でしたが、リハビリや介護事業に強みを持つ法人とめぐり逢い、2022年5月、M&Aの成約に至りました。譲受法人との連携によりコロナ禍で打撃を受けていた収益は大幅に改善し、休止していた訪問診療も再開に向かうなど、相乗効果が顕著に表れています。

    川平稔理事長と、医師の町田憲彦氏、総務を担当するご子息の川平史明課長に、M&A成約までの経緯や、今後への期待などについて伺いました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    沖縄県を代表する神経内科専門クリニック

    川平理事長がコザクリニックを開設された経緯をお教えください。

    川平稔氏:私はここ沖縄県で生まれ育ち、大学進学等で10年近く県外へ出た後沖縄に戻り、以降はずっと県内で医師として勤めてきました。私自身、神経内科を専門にしてきたのですが、昔は県内に神経内科が少なかったんです。県内の患者さんが県内で治療とリハビリを受けられるようにしたいと思い、2001年にコザクリニックを開設しました。現在は北は本島最北端の辺戸から、南は石垣島・宮古島からも患者さんが来られています。沖縄県は非常に広域ですが、当院の近くまで高速道路が通っていますし、離島と本島間の航空便も充実してきましたから、県外の病院に通わなければならなかった頃に比べて、コザクリニック開設後は患者さんたちもはるかに治療が受けやすくなったと思います。

    特にパーキンソン病治療では沖縄県の第一線で活躍されてきたそうですね。

    川平稔氏:当院は県内初のパーキンソン病治療を行うクリニックですが、沖縄県でパーキンソン病の患者会を立ち上げてはどうかとずっと働きかけてきて、ようやく「全国パーキンソン病友の会・沖縄支部」を発足させられたことは思い出深いです。当院は沖縄市に位置していますが、友の会の拠点は県内の中心都市にあった方がいいだろうと提案し、那覇市に拠点を置くこともできました。コザクリニックに来てくださった皆さんが中心となって立ち上げられたことはとても嬉しかったですし、今も継続して友の会の活動に力を注いでいます。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 川平稔氏

    M&Aを進め始めたところで襲い掛かったコロナ禍の大打撃

    かなの会様がM&Aを検討し始めたきっかけをお聞かせください。

    川平稔氏:私の年齢やクリニックの建て替えなどいろんな事情が相まって、数年前からM&Aを視野に入れるようになっていましたね。神経内科の医師として、20年以上にわたって続けてきた訪問診療も、年齢的にだんだん難しくなってきたと感じていた矢先、4年ほど前に病気を患ってしまったんです。そのときに課長の呼びかけで町田先生が当院に来てくれたのですが、町田先生にはご自身が続けてきた研究に専念できる時間も必要です。診療以外の病院経営の面まで負担をかけないようにしたいという思いから、M&Aが最善の策ではないかと真剣に考えるようになりました。

    町田先生はそのような状況をどう感じられていましたか。

    町田氏:私はコザクリニックに来てから2年間ほど訪問診療にも携わってきました。神経疾患は進行すると通院が困難になる場合もありますし、療養病棟に入院するより、落ち着いて過ごせる自宅での療養を選ばれる患者さんも多くいらっしゃいます。また、特別養護老人ホームに伺って診療することもあるなど、訪問診療は地域医療の一端を担う重要な取り組みであることは間違いありません。

    一方で、訪問診療は人材と時間と体力が要求されるため、容易には行えない医療サービスでもあります。また、私はコザクリニックに来る前からある医療分野の研究を続けている最中の身で、川平理事長と従来のペースのまま訪問診療を続けていくには限界があり、やむを得ず休止することになりました。訪問診療はコザクリニックの看板でもあるので、将来的に再開できればと色々な考えを巡らせていました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 町田憲彦氏

    その後、いつ頃からM&Aに向けて本格的に動き始められましたか?

    川平史明氏:2021年末に開催されたfundbookさんのセミナーを受講したことが、第一歩になったと思います。セミナー後に個別の相談をしたこともあってM&Aが具体的にイメージできるようになり、翌月には担当アドバイザーさんとともに、M&Aに向けて動き出しました。

    当初はM&A成約まで半年から1年弱のペースでゆっくり進めていこうと話していたのですが、直後に当院がコロナ禍の影響を大きく受けてしまったのです。県内でオミクロン株が急速に感染拡大し、途端に運営状況が悪化してしまいました。私がここで勤めてきたなかでも、最も大きな困難でした。資金繰りの不安もあり、その時点からスピードを上げてM&Aを進めていただくことになりました。

    短期間でM&Aを進めるうえで、大変だったことはありましたか?

    川平史明氏:強いて挙げるならば、資料の準備が大変でした。ただ、分からないことがあったときもfundbookさんが丁寧に教えてくださったので、問題なく資料を作成することができました。私たちとしては大変だったことより、時間が限られた中でも素晴らしい法人を紹介していただけたことに感謝の思いでいっぱいです。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 川平史明氏

    譲受法人の支えで、クリニックの経営や職員の意識が向上

    譲受法人様と面談されたときの感想をお聞かせください。

    川平史明氏:当院はリハビリに力を入れており、譲受法人さんもリハビリを得意とされていらっしゃいますので、まず率直に相乗効果がありそうだと感じました。譲受法人の代表からも「一緒にやりましょう!」という熱い言葉を掛けていただき、こちらとしてもぜひ手を組ませていただければと、初回の面談から思いましたね。本格始動から4~5カ月でM&A成約に至れたことは奇跡的と言いますか、本当に良いご縁をいただけたと身に染みて感じています。

    町田氏:私も、初めて代表にお会いしたときから、そのエネルギッシュさと、従業員や周りの人々を大事にされているお人柄を見て、「とても良い法人さんを紹介していただけたな」と嬉しく思ったことを覚えています。また、私は鍼灸の分野にも興味を持っていて、研究対象にしたいと考えていたことがあったんです。譲受法人さんは鍼灸治療にも強みを持たれていますから、色々と勉強させていただけるのではないかという期待も膨らみました。

    M&Aが成約した際の川平理事長のお気持ちはいかがでしたか?

    川平稔氏:もう、「良かった」の言葉に尽きます。クリニックの移転や建て替えから後継者のことまで、今後どうするべきかと模索し続けていましたし、とにかく職員の雇用を守るために一番良い方法は何だろうかと探っていましたから。譲受法人さんに経営を応援していただけることになり、安堵の気持ちはひとしおでした。私は80歳(取材時)を迎え、無事にM&Aも成約したので、これからは少しゆっくりさせていただこうかなとも思いましたが、患者さんやクリニックが必要としてくださるときはぜひ、引き続き力になっていきたいと考えています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    M&A成約後、コザクリニックではどのような変化が表れているでしょうか?

    川平稔氏:今までも「コザクリニックの人たちは良心的だ」という評判は得られていたと思います。ただ、クリニックを長く続けていくには、そういった評判と同時に、経営もしっかりしておくことが大事です。譲受法人さんの代表が当院を見てくださるようになって、評判と経営の双方が乖離なく良い状態になったと実感しています。

    やはり経営者というのは、自身の生活をかけてその職を担っているものでしょうから、バイタリティーがあって、職員に対する気配りも大事にしてくださる代表が当院を率いてくださることは、すごく良いことだと思いますね。代表の「一緒にやっていくんだ!」という思いがこれからますます職員にも浸透していくと、さらに当院が発展していくのだろうと楽しみにしています。

    川平史明氏:職員にM&A成約を伝える際は、多くの人が離れていかないだろうかと心配していましたが、今も大半の職員が勤務し続けています。それに、譲受法人さんの施設との連携や職員間の交流も進んでいますし、譲受法人さんによる教育によって、職員の意識もますます向上している状況です。

    また、以前はほぼ私一人だけで財務管理をしていたのですが、譲受法人さんからノウハウの提供やサポートが受けられるようになり、負担もかなり軽減されました。様々な連携と支援によって、医業収益もM&A成約前に比べて倍近くまで伸長しています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    クリニックの存続は患者の安心につながっている

    今後のコザクリニックに期待することをお聞かせください。

    川平稔氏:まずはこのコザクリニックが存続し、職員が安心して生活できる基盤を固めることですね。医療機関であっても、世の中の移り変わりに合わせて、その都度、柔軟に方向性を変えていくことは必要です。その際に、医療法人としての核となるものをしっかりと持ちながら、経営に長けた譲受法人さんからアドバイスをいただいていけば、最適な方向に進んでいけると信じています。医療も経営も、一人だけで全てができるとは考えられませんから、皆がお互いに協力し合うことはとても大切です。職員同士、そして譲受法人さんと当院との協力が相乗効果を生み出し、その雰囲気が患者さんや外に向けても伝わっていけば嬉しく思っています。

    町田氏:ありがたいことに、譲受法人さんとの取り組みによって、訪問診療が小規模から徐々に再開できるようになりました。川平理事長も市外の患者さんのところまで行かれているんですよ。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    川平稔氏:訪問診療はまさに、コザクリニックの一つの核です。

    訪問診療について少しお話させていただくと、診療報酬のルール上、訪問診療を行えるエリアは医療機関から16km以内という決まりがあります。今でこそ神経内科に対応する医療機関が増えてきましたが、当院を開設した20年前は県内にほとんどなく、その上離島に住む患者さんも多くいらっしゃるので、当時は何とか遠方の患者さんにも訪問診療を行えないかと、厚生局などへ熱心に掛け合ったものでした。その結果、専門的な治療が必要な患者さんを例外として認めてもらえたこともあります。それだけ訪問診療は必要とされていますし、私たちにとっても強い思いがあるんです。

    訪問診療の再開など、M&Aは患者様とコザクリニックの双方にとって喜ばしい結果を生み出しているのですね。

    川平稔氏:そう思います。クリニックがより良くなって経営を続けられ、そして求められる医療が提供できるのですから。

    いろんな事情で閉院するクリニックがありますが、そのときは患者さんをほかの医療機関にお願いするわけですよね。いつも診てくれていた医師や医療機関を丸ごと変えなければならなくなると、患者さんに対しても大きな不安や負担を与えかねません。しかし、M&Aでその医療機関が続いていくのであれば、職員も然り、患者さんも心配せずに過ごせられると思うのです。M&Aがなければ、ただ単に閉院することになる医療機関もあるでしょうから、医療業界にとってもこういう手段があって本当に良かったと思っています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    個人レベルではなく、公共の視野で物事を考えることが大切

    医療法人 かなの会

    理事長 川平 稔氏

    十数年前までは、M&Aに関するネガティブなニュースの影響で、M&Aに対して悪い印象を持った人は少なくなかったと思います。しかし今は、後継者不在など様々な課題を解決する手段を模索するなかで、M&Aは必要だと認識する人が多くなったのではないでしょうか。実際に当院もM&Aを実施してみると、課題を解消しながら、これまでの長所はさらに伸びていると実感しています。

    人は物事に対する良い印象は忘れやすく、悪い印象の方が残りやすいものです。医療業界でも「M&Aをして良かった」というところは当院以外にもたくさんあるでしょうから、もしM&Aに対して悪い印象が払拭できないまま悩んでいる医療機関があれば、ぜひ良い事例にも目を向けてみてはどうかと思うのです。

    理事長である以上、年齢を重ねるといくら健康に自信があっても「このまま続けられるのか?何かあったときにどうするのか?」という、将来の不安は必ず出てきます。そのときに、個人のレベルで物事を理解するのではなく、職員や患者さんたちも考慮した公共の視野で物事を理解し、考えようとすることが大切です。今回のM&Aを経て、改めてそう思いました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    担当アドバイザー コメント

    この度は、沖縄県でも数少ないパーキンソン病の専門治療を担うクリニックとリハビリに強みを持つ譲受法人のM&Aをご支援させて頂きました。

    クリニックには毎年延べ数万人のパーキンソン病患者が通い、地域に欠かせない医療機関の代表例のような存在でした。そこに突如として襲い掛かかったオミクロン株の影響で経営にも打撃が・・・、1日でも早くM&Aでお相手を見つけたいと願った矢先、奇跡とも呼べるタイミングと相性で現れたのが譲受法人でした。

    譲受法人の経営支援により患者数が増え、コロナ禍の影響で失われた業績も一気に回復、休止していた訪問診療も再開の目途が立ちつつあり、新たな風が吹いたことで職員にも活気が湧いてきたように思えます。

    理事長から成約式で言われた「いいお相手に縁を持たせてくれてありがとう」という言葉が今でも胸に残っています。医療法人かなの会が地域に欠かせない医療機関として更に存在感を増していく姿をとても楽しみにしております。

  • インタビュー

    2022年9月20日、譲渡成立

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    印刷業を手掛ける譲渡企業は、仏事の挨拶状制作に関する豊富な知識を強みに、全国のお客様からの注文に対応しています。

    2代目社長の佐藤貴史氏(仮名)は、わずか25歳にして社長に就任。創業者である父が急逝し、「会社を継ぐのは自分しかいない」と覚悟を決めたと言います。父が築き上げてきた会社で、佐藤氏は社長就任後一つ一つの業務を改善・進化させるために奮闘してきました。そうして十数年が経ったとき、今度はコロナ禍による大打撃を受けることに。雇用を守り、会社の持続的な発展を実現することを第一に、そして、40代を迎えた自身の第二の人生のため、最善の道として選んだのがM&Aでした。

    その後、同じ印刷業で事業を展開する服部プロセス株式会社と出会い、2022年9月にM&Aが成立。譲渡企業は服部プロセスとともに、強みをより発揮できる施策を練り始めており、それを見届けた佐藤氏は、自身の新しい人生を歩み始めようとしています。佐藤氏と服部プロセスの代表取締役・服部晴明氏に、M&A成約までのストーリーや今後の展望について伺いました。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    25歳で家業を継ぎ経営者に。雇用を守ることを最優先に考えてきた

    譲渡企業様の事業内容や強みをお教えください。

    佐藤氏:当社は創業当時から印刷業を手掛けており、特に挨拶状の制作を得意としてきました。たとえば、葬儀の参列者には四十九日の法要後に香典返しと挨拶状を贈る慣習が至る地域で根強く残っていますが、葬儀自体が人生でそう何度も経験することではないので、挨拶状の書き方や送り方のマナーに不安を持つ人は多いと思います。当社には、お客様の宗教や地域性など、様々な状況に合わせて対応できる豊富な知識が蓄積されており、それが独自性と強みになっています。

    また、昔は近所の印刷屋さんに依頼するのが一般的でしたが、昭和時代からいち早く、FAXで受注して全国に発送するという通販形式の手法を取り入れていたことも特徴です。現在は複数の通販モールにも出店しており、全国のお客様がネットからも注文できるようにしています。

    佐藤様が譲渡企業様の社長に就任されるまでの経緯をお教えいただけますか?

    佐藤氏:創業者である父が亡くなったことがきっかけでした。幸いにも会社には借金がなく、健全な経営ができていたものの、「自分が会社を継がなかったら、従業員はどう思うだろう」と考えるようになり、父がこれまで育ててきた会社の今後について考えた結果「こうなったら自分しかいない!」と、継ぐ覚悟を決めたんです。父が亡くなってすぐの3年ほどは母が経営を担い、その後25、26歳で私が社長に就任しました。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    若くして家業を継がれた佐藤様。経営者としてどういったことを意識してきましたか?

    佐藤氏:雇用を守ることを最優先に考えてきました。周囲からも倒産や破産をする企業の話が耳に入っていたので、雇用を守るためにはまず、現金を残すことが私の第一の使命でした。それに、挨拶状や仏事の専門として今まではやってこられたものの、今後もこの事業だけでいいのだろうかという思いが常にあり、印刷と関連した別事業の立ち上げを考え続ける日々でしたね。

    社長に就任されてから、嬉しかったことや苦労したことなど、印象に残っている出来事をお聞かせください。

    佐藤氏:社長に就任した頃は、業務の改善に苦労していました。時代の変化に合った新しいやり方を従業員に浸透させるのはなかなか難しく、こういう作業を一つ一つやっていく生活が10年も20年も続いていくのかと思うと、多少なりとも気落ちしたものです。父の話なら聞いても、若い私では聞いてくれないんだと。

    なので、従業員の理解を得ながら地道に業務を改善してこれたことは、経営者として嬉しく思います。父と比べれば、印刷業に詳しくないことは重々分かっていましたが、それでも何とか説得して改善・進化させていこう――その積み重ねでしたね。時間はかかっても、従業員の皆とお互いに分かり合うことができたと思っています。

    コロナ禍を機に、会社も自身も次のステージへ向かおうと決心

    服部プロセス様はこれまで数回のM&Aを実施されていますが、貴社グループの強みをお教えいただけますか?

    服部氏:服部プロセスはオフセット印刷をメインに事業展開しており、これまでM&Aによってその分野を強化してきました。現在、十数社あるグループ会社は、基本的には独立採算で個々の強みを伸ばしつつも、グループ全体で最良のシステムを導入したり、キャパシティーや技術などを集約したりする形で、全体的なパワーアップを図っています。

    今の時代の印刷会社は、単純に印刷を請け負うだけではなく、デジタルマーケティングやウェブ技術などもお客様から求められるようになっているため、小規模の印刷会社1社で競争するには難しい側面が多々あります。その点、当グループには技術やノウハウの特殊性が高い企業が集まっているので、互いに手を取り合いながら、必要に応じてそれぞれのリソースを生かせられていることが一番の強みになっていると思います。

    印刷業界で発展していくために、M&Aが役に立っているということですね。

    服部氏:そうですね。ご存じの通り、“紙離れ”は顕著にあらわれていますが、お客様の中にある“紙以外のニーズ”を、私たち印刷会社は丁寧に拾っていかなければなりません。それができない印刷会社が淘汰されていることが、業界の課題になっていると思います。日本には小規模の印刷会社が多く、経営者の高齢化も進んでいるので、ある時期が来たら、廃業・倒産・譲渡のいずれかを選ぶしかない状況です。倒産はやむを得ないとしても、廃業はまだお客様を保有しているわけですから、非常にもったいないと思うんです。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ
    服部プロセス株式会社 服部晴明氏

    佐藤氏:服部社長がおっしゃるように、小規模の印刷会社が淘汰されていく未来は見えています。規模がある印刷会社には紙代ですら勝てず、印刷後の完成品の価格が紙代にもならないような事態は決して珍しくありません。規模を拡大するのか、ゼロにするのかという選択を、近い将来迫られる時が来るだろうというなかで、私は少し早めにその選択をしたと思っています。

    佐藤様が具体的にM&Aを検討し始めた時期や理由についてお教えいただけますか?

    佐藤氏:私は経営学の修士号を取得しているので、M&Aが最善の策であれば譲渡すべきだし、企業価値が高い状態で譲渡する方が良い、と冷静に考えていました。なので、前々からM&Aは選択肢の一つと捉えながら、客観的に自社の価値を見続けてもきました。ただ、コロナ禍の影響はあまりに突然でした。感染防止のためにお葬式が行われなくなり、挨拶状や仏事に特化した当社の弱みの面が一気に露呈したのです。以前から考えていた事業の多角化を早急に進めつつも、M&Aという手段も急がなければいけないと、切迫感を持って決心しました。

    経営者としての冷静な判断をされた一方で、佐藤様ご自身としての迷いはなかったのでしょうか?

    佐藤氏:迷いはありませんでした。コロナ禍になったときがちょうど40歳になった頃で、「今が第二の人生を始められるギリギリのところだ」という考えもあったんです。父は60歳で亡くなったので、自分の残りの人生を考えたときに、「別の人生もあるんじゃないか?」と。社長を引退するには早すぎると言われることもありますが、人生の時間は限られていますからね。会社と自分が次のステージへ向かうべき時期が重なって、もう1日も遅らせることができないという思いでした。

    会社の成長とご自身の第二の人生のために、スピーティーなM&Aの成約を望まれていたのですね。

    佐藤氏:M&Aを決心してすぐ、顧問税理士に相談しようと思ったのですが、ちょうど一番忙しい時期で、時間をいただけるまで10日ほどかかるとのことだったので、同時に複数のM&A仲介会社にも問い合わせをしました。fundbookさんはCMで知ったのですが、どこよりも早く「岐阜に伺います」と返信をくださったんです。そのスピード感で進めていただきたいと思い、fundbookさんに依頼することにしました。実際、お会いしてから半年ほどでM&A成約に至れたので、本当にスピーディーに進めていただけたと思っています。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    M&Aの裏に常にあった、従業員と亡き父への思い

    服部様は、譲渡企業様のどのようなところに魅力を感じましたか?

    服部氏:ほぼ競争がないようなニッチな領域で事業を確立されていることですね。そして、パート従業員も含めて、少ない人数でしっかりと事業を回せるような会社の仕組みづくりが良く出来上がっていることも強みだと感じました。もちろん、技術面や営業面などで何かを必要とされた際にはいつでも協力したいと思っていますが、これほどまでに何も心配しなくてもいいような体制が整えられている会社も珍しいなと思いました。

    面談でのお互いの印象はいかがでしたか?

    佐藤氏:経営者の中には売上高を重点的に見ている人も多いと思いますが、服部社長は売上高のみならず、総合的に数字をしっかりと見られている経営者だと思いました。また、朗らかなお人柄も非常に魅力的な方だと感じました。

    服部氏:私は佐藤さんに、真面目で誠実な人柄という印象を受けましたね。M&Aの過程では、最初に譲渡企業の資料だけを見てM&Aを進めるか否かを決めないといけませんが、譲受する側としても「何か隠されていることはないか?」など、少なからず心配事はあるものです。しかし、佐藤さんとお会いすると「この方の会社の資料は信頼できるな」と分かりました。「知りたいことはもっと聞いてください」と仰っていたほどでしたから。

    M&A成約後、譲渡企業様の従業員の皆様の反応はいかがでしたか?

    佐藤氏:従業員には、服部社長にも同席いただいた上で今回のM&Aについて知らせました。私が以前から仏事専門だけで不安に思い続けていたことや、コロナ禍の影響を受けても雇用を絶対に守りたかったこと、そして自分ができる選択肢の中で最善の方法を取ったことをしっかり説明したので、納得してもらえたと思います。

    服部氏:私からも、一部の経理システムなどを導入するだけで、「今まで通り、人も仕事も企業文化も変わりませんよ」と伝えました。当社は譲受した企業の社風や文化を変えるつもりは一切ありませんし、従業員の皆さんにもその思いが伝わって、抵抗感なく受け止めていただけてよかったです。初めて譲渡企業を訪問したときから従業員の皆さんの真面目さが伝わってきて、佐藤さんのお人柄が表れている会社だなと感じましたし、これからも譲渡企業らしい社風を大事にしていただきたいと思っています。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    M&Aが成約したときの佐藤様のお気持ちをお聞かせください。

    佐藤氏:ここ数年、亡くなった父がどれほど努力してきたかということをずっと考えてきましたし、そのうえで出した結論だったので、「M&Aが実現できてよかったな」と。もう本当に、その気持ちだけです。

    服部様も「父が創業した会社を継いだ」という同じ境遇だと伺いました。

    服部氏:譲渡企業・譲受企業という立場の違いはあっても、家業を譲渡された佐藤さんの気持ちを慮ると、やはり嬉しさと寂しさの両方をすごく感じられているんだろうなと思います。それに、当社も困難な時期を経験したことがあるので、佐藤さんが抱いてきた不安には深く共感するばかりです。不安でいっぱいでも、寂しさやいろんな感情がよぎって譲渡に踏みきれない経営者がたくさんいますが、その中で佐藤さんは“自分を違う自分で見る”ことができていらっしゃる。だからこそ、会社や従業員にとって一番良い方法を選ぶことができたんでしょうね。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    会社も自身も、新たなステージで今後も成長していくために

    譲渡企業様の今後の展望をお教えください。

    服部氏:社内には佐藤さんの手腕を受け継いで事業推進の中枢を担っている従業員の方がいます。その方と一緒に、さらに強みを発揮できるような施策を考えて、それを全国展開していこうと話しているところです。1社1社の強みをより高めていけることがグループの良さですから、今後も服部プロセスグループ全体でさらなる発展を目指していきたいと考えています。

    佐藤様が今後期待されることや、ご自身の今後の抱負をお聞かせください。

    佐藤氏:今後も従業員の雇用が守られて、かつ発展を続ける会社でいてくれれば嬉しいです。私個人としては、倒産や破産をする企業も少なくないなかで、約20年間にわたって経営者を続けてこられました。また、イグジットをしっかりと考えたうえで、雇用を守りながら、経営者として円満な幕引きもできたと思っています。25歳で経営者になって、40代で引退するという経験はなかなかできることではないと思うので、この貴重な経験を困っている人の課題解決に生かせられるような第二の人生にしていきたいと考えています。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    奥深くてやりがいのある“経営者の仕事”を全うできてよかった

    譲渡企業
    3代目代表取締役 佐藤 貴史氏(仮名)

    寂しさやいろんな感情が邪魔をして、会社の譲渡に踏みきれずにいる経営者がいらっしゃれば、私はぜひ「躊躇せずに一度相談してみてはどうか?」とお伝えしたいです。やはり、企業価値を測るには、自社を客観的に見た視点が必要で、相談すらしないうちに企業価値が落ちていれば、もう手遅れになってしまうからです。

    経営者は日頃から一人で意思決定をしなければいけないことばかりですし、最終的な責任を問われる立場だからこそ、「経営者は孤独」と言われるのだろうと、20年間を通して身に染みて感じています。従業員に知られないようにM&Aを進めていたときも孤独感は伴うもので、「一度決めた以上はもう振り向くな」と、ずっと自分に言い聞かせていました。しかし、M&Aが成約した今は、経営者という仕事は奥深くてやりがいがあったと思うと同時に、その仕事が全うできてよかったと思っています。

    廃業はもったいない。第三者への譲渡でお客様と従業員が守れる

    服部プロセス株式会社
    代表取締役 服部 晴明氏

    私は、廃業という選択が非常にもったいないと心から思っています。社名もお客様も全てがなくなってしまう廃業は、従業員にとっても悲しいことなのではないでしょうか。事業に価値があるならば、譲渡をしてお客様を次の会社にしっかりと託す方が、あらゆる人にとって良い選択になる可能性は大いにあります。「会社=自分のもの」と思って、寂しい気持ちでがんじがらめになってしまうのではなく、会社や従業員のことを一番に考えて最善の道を論理的に判断できる力が、経営者に求められていると思うのです。

    今は仲介者がいるおかげで、廃業せずに事業・お客様・従業員を守っていくことができる時代です。これからも、M&Aがなくなることのない世の中であってほしいと願っています。

    コロナ禍を機に、M&Aで新たなステージへ

    担当アドバイザー コメント

    この度のご成約の一番のポイントは、譲渡企業の佐藤様が会社の成長の為に、M&Aを進めることをご決断され、計画的なお相手探しを推進されたことでした。経営者にとって最も重要かつ難しい判断となるのはM&Aを行う「タイミング」の見極めですが、家業を手放すことに対する寂しい気持ちや社長業への未練などの様々な感情が複雑に交差し、経営者として客観的な判断が難しいケースも多く見られます。佐藤様におかれましては、40代とお若いながらも、市場環境が激しく変わる中で、譲渡企業の存続と成長の為の手段として、早い段階からM&Aをご検討され具体的な準備を進めたことが、結果的にこの度の良いお相手との出会いに繋がったと感じております。

    譲渡企業様は、挨拶状に特化した印刷物を手掛けており、創業以来長年に亘って培った挨拶状特有のノウハウをお持ちで、全国約40都道府県の法人顧客との取引実績を有しております。また、昨今では個人向けのEC販売も展開しており、販売先の多角化を進めておりました。

    服部プロセス様は、ご創業当初は製版事業を専業として展開されておりましたが、印刷業界が大きく変化していく中で業態変革を推進し、M&Aも積極的に進めていくことで事業拡大を図り、服部プロセスグループとしての総合力を高めておられます。これまでに10社以上の会社のM&Aをされておりますが、M&A後の経営統合は円滑に実施し、グループ全体として高い効率性と高付加価値を実現しております。

    譲渡企業様は服部プロセスグループの一員として、今後はその強みを更に磨き上げつつ、グループ内のシステムやリソースを活用することで、更なる業容拡大や新たな事業創出の機会が得られると思います。今回のご両社の出会いと新たなスタートに立ち会い、また、このご成約に微力ながらお手伝いさせて頂けたことに大変光栄に感じております。

    今後の両社の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。

  • 地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    福島県いわき市で、長年にわたって地域医療を支えてきた社団医療法人養生会。かしま病院をはじめ、特別養護老人ホームやケアハウスなどもグループで運営しながら、職員が一丸となって住民の健康と福祉の向上に尽力されています。

    県外の大学病院で勤めていた中山大氏は、父が創設したかしま病院から手伝いを求められ、地元へ戻ることに。そこで地域医療の重要性を目の当たりにし、理事長を引き継いで献身的に医療・看護・介護の地域連携の推進に取り組まれています。そんな中山氏にとって大きな壁となったのが、東日本大震災とコロナ禍でした。

    医師として現場に対応したいが、経営も見なければならない――。その葛藤から、経営支援を受けようと考え始め、医療グループの株式会社地域ヘルスケア連携基盤(CHCP)と出会いました。CHCPの社名と事業内容はまさに、養生会の目指す地域連携そのものだと期待を寄せています。中山氏と、CHCPの代表取締役会長・武藤真祐氏、代表取締役社長・国沢勉氏の3名に、医療業界の課題や養生会の展望について伺いました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    地域多機能病院のかしま病院。勤務当初は戸惑いの連続

    中山様が医師を志したきっかけやご経歴をお教えください。

    中山氏:私の父はかしま病院の創設者であり、もともと開業医でもあったため、私も物心がついた頃から「将来は医師になるんだろう」という環境にいたと思います。

    臨床研修医時代は心臓カテーテル治療の創生期で、その分野に魅力を感じた私は、研修を終えて大学に戻ってからもカテーテル治療を中心に対応していました。そうしているうちに、米国への留学の機会を得て、循環器科で1年半ほど臨床研究や論文の執筆、学会での発表などに携わり、帰国してからもしばらくはそういった仕事をしていました。

    そんなあるとき、かしま病院から「人手不足で大変だ」と手伝いに来るよう求められ、いわき市に戻ってきました。でも、最初は一時的な手伝いの予定だったんです。

    もともとはかしま病院を継ぐと思っていなかったのでしょうか?

    中山氏:私は末っ子ということもあって、かしま病院を継ぐなんて自分には関係ないだろうと思っていたほど、当初はまったく考えてもいませんでした。私が戻ってくる前から兄や姉夫婦が手伝いに来ていたのですが、当時兄は医大の仕事で多忙を極めていたので、「だったら、弟の私に」という程度で声がかかったのだと思います。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    社団医療法人養生会 中山大氏

    ですが、中山様は今もかしま病院で尽力されています。医師としてかしま病院に戻ってきて、お気持ちに変化はありましたか?

    中山氏:それまでは大学病院等で専門医として勤務していたため、循環器のことしか知らない状態で戻ってきたわけですが、地域多機能病院であるかしま病院にはいろんな症状の患者さんがいらっしゃいます。例えば、腰椎の圧迫骨折など、高齢者にはよくある外傷で来院された患者さんにも何をすればいいのか分からず、整形の先生に電話で聞いたりして、本当に「日々、勉強だな」と思うばかりでした。

    一方で、自分の得意とする分野の患者さんでも、併存症の状態が悪ければなかなか退院できない。大学病院とはまるで違う戸惑いの連続でした。今でこそ、重複して持つ病気を総合的に管理する医療は当たり前になっていますが、振り返れば私は20年ほど前から対峙していたということになります。

    今、中山様は医師としてどういうことを心掛けながら医療の現場に立っていますか?

    中山氏:常に“利他”を心掛けるようにしています。やはり、医療は中立的な立場でなければいけませんし、疾病や年齢で差別があってもいけません。それに、自分のことより相手を中心に考えることが大切です。若い頃の私は自分のやりたいことに目が向いていましたが、かしま病院に戻ってきてからは、「求められることにしっかり応えていこう」という意識を持って現場に立つようになりました。

    当法人のValue Statementには、①何物にも先入観を持って対応せず、医療・介護弱者の手助けを行うこと②他の施設が遂行困難な問題にこそ大きな需要があることを知ること③その仕事に誇りを持ち、決して皮肉はいわないこと――を掲げています。職員にも同じベクトルで考えてほしいと思い、この3つを明文化しました。「そんなの自分じゃなくてもいいでしょ」ではなく「自分がやらねば、誰がやる」と思って対応しようと、職員全員で心掛けています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    格差、高齢者ケア、医療従事者の負担など、業界の課題は山積

    皆様が感じられる医療業界の課題についてお聞かせください。

    中山氏:地域医療に関わる立場からすると、やはり都市部と地方の格差が非常に大きな課題です。また、医業に関しては、「高齢者の管理」が目の前にある一番の課題だと思っています。例えば、脳梗塞を起こした場合、最初に救命センターで機能障害を最小限に食い止めてから、かしま病院のような回復期リハビリテーション病棟を利用することになりますが、高齢になり再発を繰り返すとどうしても回復機能は低下してしまうので、再発時に高次特定機能病院で診てもらえなくなってしまうといった現状があるのです。在宅や介護施設などでの療養中に身体能力の低下や、症状が急性憎悪した状態を「サブアキュート」と呼びますが、そういった方々を私たちがしっかりと管理していかなければいけないと考えています。

    かしま病院では、訪問診療を活用しながら集合住宅に住んでいる高齢者を包括的に管理できるような仕組みを作ったり、地域内で救命センターを持つ病院との協力関係を構築したりと、課題の解決に向けた様々な取り組みに力を入れています。高齢者が過ごしやすく、健康長寿を叶える地域「Age-Friendly City」を実現するのは単独では難しいですから、病院をハブとした地域内の連携を推し進めていくことも、今必要になっていると思います。

    武藤氏:私たちも在宅診療を行っていますので、中山先生が仰った課題は身に染みて感じています。医療業界の課題は様々ありますが、格差の問題はものすごい勢いで広がると考えられます。その理由の一つに、医局の構造の変化が挙げられるのではないでしょうか。以前は大学が中心となって医師が各所に派遣されていましたが、今は医師個人の選択に変わってきているように思うのです。若い医師たちへのある調査結果を見ても、「教育」や「自身の成長」が重視されていることが分かりますし、働き方改革の流れも踏まえると、今後は「自分の時間」も大事になってくるとも想定されます。そうなると、教育や希望の働き方を提供できる医療機関とそうでない医療機関との間で、人材の集まり方にますます格差が生じてしまい、結果的に地域医療の格差も広がってしまいます。

    また、高齢者のケアについても、一人暮らしの高齢者が増えていますし、入院先の病院が十分ではない地域も少なくないので、病院外で高齢者が安心して生活できる環境の整備がいっそう重要になっています。そのために訪問看護・介護、薬局などと連携する制度の充実化は課題だと思います。

    最後に、新しい仕組みやイノベーションを導入できるか否かが、格差をさらに助長するのではないかと懸念しています。ITの活用などで、より少ない人材でより良い医療・介護が提供できるようになるにもかかわらず、従前どおりのオペレーションを続けていれば、人頼みになる上に人材が集められない状況になってしまう。従って、イノベーションをきちんと導入していくリーダーシップや、支援する仕組みが今まで以上に必要になってくると考えています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    株式会社地域ヘルスケア連携基盤 武藤真祐氏

    国沢氏:医療従事者や、特に医師が多忙すぎることも課題だと思います。理事長が典型的な例になりますが、理事長や医師が、診療から経営、さらには関係各所との会合まで、全てに対応しなければいけません。まして、病院は医療の中心という考えがあるので、退院後に在宅看護に移られた患者さんのことまでも考えていらっしゃるほど、医療従事者が地域全体を一手に担っていると言えます。今までは理事長や医師のやる気と「私が支えていく」という意志に頼って何とか成り立っていましたが、このシステムがいつまでも維持できるとは考えられません。長く続いた「気合いと根性」の風習を、これからの時代は変えていかなければならないと思っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    株式会社地域ヘルスケア連携基盤 国沢勉氏

    CHCP様の事業についてお教えください。

    国沢氏:私たちは医療グループとして、医療機関や調剤薬局、訪問看護・高齢者施設運営などの在宅サービス事業者に対し、資金・人材・ノウハウの提供を通じて、新しい地域包括ケアモデルを創出する支援をしています。これまでの医療支援は、医療機関のみ、調剤薬局のみ、といった形でそれぞれの業態に特化した支援をする事業者が一般的でしたが、私たちは全てのヘルスケア・プロバイダーを総合的に支援していることが特徴です。

    また、医療の現場はやはり医師・看護師と患者さんとの関係性が大事ですから、専門的な医療サービスは医療従事者にお任せし、経営部門を全面的にサポートするのが私たちのスタンスです。ヘルスケアと経営の両方に精通したメンバーが、医療従事者の皆様としっかりコミュニケーションを取りながら、一体となって経営を改善・推進する体制を整えていることも強みとなっています。

    CHCP様の社名にもある「連携」についてのお考えをお聞かせいただけますか?

    国沢氏:まず、これまで医療従事者にかかっていた猛烈な負荷を軽減するために、「機能の連携」と「サービス提供者の連携」の両軸が必要だと考えています。この2つは、医療従事者が医療行為に集中していただけるよう、経営などその他のことは私たちのような事業者がサポートすること、そして、調剤薬局や歯科医院などのいろんな医療資源と病院が連携して役割分担をすることを意味しています。

    格差においても、人材が集まる都市部ではできるようなことが、できない地域で生じてしまうものなので、私たちはその課題認識に則って、地域で連携と役割分担がうまく機能するインフラを構築したうえで、格差を解消していこうとしています。

    武藤氏:少子高齢化が進行し、社会保障費が国家財政を大きく圧迫している現状にある日本では、地域の医療機関・薬局・在宅系サービス事業者がそれぞれ孤軍奮闘しながら地域の医療インフラを支えている現行の医療・介護システムは限界に近づきつつあります。だからこそ、連携を進めなければいけません。また、後継者を含む人材の確保・育成や、IT化への対応は、組織の存続と地域医療の継続を左右する課題にもなっています。地域医療の担い手が誇りとやりがいを持って協働するネットワークを構築し、地域医療の現場から新しいイノベーションを創出していくことも私たちの大事な責務だと考えています。

    医師として経験した震災とコロナ禍。経営はプロに任せるべきと再認識

    中山様が理事長に就任して以降、特に印象に残っている出来事をお聞かせください。

    中山氏:東日本大震災での原発事故と昨今のコロナ禍は、本当に大きな出来事でした。震災後2カ月ほどは断水が続きましたし、避難地域からもそう遠くなかったため、当然、職員の中にも病院に残ると言う人もいれば、子どもが心配で避難させたい人など、いろんな思いや事情がありました。なので、私から正式に「避難しなさい」と伝えたんです。2週間ほどは職員が減って大変でしたが、通常診療を再開した途端に皆が戻ってきてくれてすごくありがたかったですし、職員との関係性がさらに強まったと感じました。このときに改めて「職員に対しても、私がしっかりやっていかないといけないな」と思いましたね。

    そして次は今のコロナ禍です。ワクチンも治療薬もなかった頃に地域の病院とコロナ患者の受け入れについて話し合ったのですが、そのときはどの病院も手を挙げなかったんです。ですが私は、「地域に求められていることだから、私たちがやらないといけない!」と思い、受け入れを決めました。震災の経験から、地域に応えていこうとする土壌が職員の間でもしっかり固められていたのだと思います。この規模ながら、今では県内で3番目に多くのコロナ患者を受け入れており、各職員がプロフェッショナルとして、誠実に義務を果たしてくれているなと実感するばかりです。

    震災やコロナ禍の経験を経て、中山様が病院を経営していくうえで何らかの変化はありましたか?

    中山氏:震災のときを思い返しても、本来ならば私は経営者としての目線も持っていなければいけなかったのに、どうしても現場に走ってしまったんです。その反省があったにもかかわらず、コロナ禍でも同じことをしてしまって。だったら、自分が不得手としていることは、その道に長けた人から全面的なサポートを受けた方がいいと考えたんです。数年前に母校の理事長が「教授は医療と学問に専念すべきで、医局の運営はプロがすべきだ」と話されていたのですが、まさにその通りだと思いました。こうした経緯から、経営支援や協業の仕方を勉強するようになり、fundbookさんのセミナーも受講させてもらいました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    経営コンサルティングではなく、しっかりと中に入っていただける経営支援には、どういったメリットがあると思いましたか?

    中山氏:過去には当法人も経営コンサルタントに色々と相談に乗っていただいたことがあるのですが、その多くは短絡的な提案で、やはり長期的な視野で見ていただきながら、経営の母体を強固にする仕組みを作る必要があると思ったんです。また、病院経営をするうえで、ほかの医療機関と比較して自分たちがどの立ち位置にいるかを知ることも重要ですが、欲しいデータはなかなか手に入らないものです。その点、情報を豊富に持っている医療グループと協業できれば、メリットも大きいだろうとも感じていました。

    CHCP様と面談されたときのお気持ちをお聞かせください。

    中山氏:fundbookさんから最初にCHCPさんを紹介頂いた時は、「経営のサポートを受けながら、共に地域医療のあるべき姿を目指していくーー。そんな方法があるんだ!」と、イメージが覆りましたね。そして迎えた面談の日、お話ししていくなかで「私が求めていたことはこれだ!」と直感しました。私たちが目指していることは間違っていなかったんだと再確認できましたし、何よりCHCPさんの社名がそれを表していらっしゃいます。まだ経営支援が決まった段階でもないのに、面談後に浮足立っていたことを思い出します。

    CHCP様は、養生会様にどういった印象を受けましたか?

    国沢氏:最初に訪問したときから、とてもアットホームで良い雰囲気が醸成されていることがよく伝わってきました。しかも、そのアットホームさが病院の中だけに閉じているのではなく、地域に広く染み渡っているんです。地域のほかの病院や保育園とどう協業するのか、地域住民とどういった形で関係を構築するのかなど、医療機関を中心に皆で役割分担と連携をしながら地域全体をケアしていこうとされていて、まさに私たちが目指す地域医療の姿を体現されていると思いました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    面談や見学を重ねた結果、養生会様にはどういった形で経営支援を提供されることになりましたか?

    国沢氏:経営の概念には、「リーダー」と「事業運営」の2つの側面があります。中山理事長をはじめ、養生会さんのトップマネージメントの方々から医療に対する思いを伺うと、皆様が本当にリーダーシップを持っていらっしゃることがよく分かりました。ですので、引き続き中山理事長やトップマネージメントの皆様にリーダーを務めていただきながら、私たちは事業運営の支援に徹し、そのうえで地域連携に向けて協力していきましょうと、そう気持ちを一つにしました。

    武藤様は養生会様や中山様にどのような印象を持ちましたか?

    武藤氏:長年にわたって地域医療に貢献されてきており、単なる医療機関ではなく「無形の財産」と言える存在になっていると思います。私も医療法人を運営していますので、地域を巻き込んでアットホームな雰囲気を作り上げることは決して容易ではないと重々承知しています。日々の診療やマネージメントを通じて実現されてこられたことを本当に素晴らしいと思うばかりですし、中山理事長の医師としての姿勢、そして地域における病院の価値の正当性を築き上げてこられた功績に、心から感銘を受けています。

    これまでの医療業界はイノベーションや協業などに馴染みが薄かったと思いますが、中山理事長はそういったことにも関心を持たれ、新たな価値を生み出せるのではないかと期待してくださっています。私自身、医師及びCHCPの立場として色々な活動をしてきましたので、中山理事長のお考えには大きな共感と尊敬を持っていますね。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    いわき市のこの地で「Age-Friendly City」を実現していく

    CHCP様からの経営支援が決まった際の中山様のお気持ちと、職員の皆様の反応はいかがでしたか?

    中山氏:私はもう「よしっ!」の一言でしたね。職員からは色々な反応がありましたが、ネガティブな意見はまったく出ませんでした。CHCPさんとお会いする前からも、全職員に向けて地域連携や多職種業務連携の話を頻繫にしていましたし、例えば訪問診療に行く最中にも看護師やドライバーとざっくばらんに意見交換をしていたので、「常日頃から言っていたことね」と、すんなり捉えてくれたのだと思います。

    CHCP様からの経営支援が始まってから、すでに何らかの変化は起きていますか?

    中山氏:今まで自分たちだけではできなかったことも、CHCPさんの丁寧なサポートのおかげで着実に進められています。収益構造も目に見えて向上していますし、いろんなことがものすごいスピードで前進していると、身をもって実感する毎日です。それに、現場もより未来志向になり、前にも増して明るくなったように思います。

    国沢氏:採用も、少しずつ強化しています。医療制度や教育はそんなに急激に変われるものではないので、まずは技術と熱意を持った人に集まっていただき、中長期的な視野で、段階的かつ確実に良い方向へと進んでいくことが大切です。私たちもその心づもりでチームをセットしているので、末永くお付き合いさせていただければと願っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    経営支援を受けるべきか悩んでいる医療機関に向けて、CHCP様から一言アドバイスをいただければと思います。

    国沢氏:経営支援や事業連携など、医療機関ごとに最善の方法は異なりますから、まずは色々な事業者をご存じの、fundbookさんのような立場の方々とたくさんお話しして、良い選択肢を提示してもらえればいいと思うんです。その後、私たちのような事業者とお話しする際にも、じっくり時間をかけて最適解を導けばいいのではないかと思いますね。「話をしたからには、何かしなければいけないのでは?」と悩む必要はまったくありませんし、第一歩として選択肢を広げることが大事だとお伝えしたいです。

    最後に、養生会様の目指す将来像や今後の展望をお聞かせください。

    中山氏:まずは、目の前にある高齢者救急問題をしっかりと解決していけるようになること。次いで、健康長寿を目指す高齢者に向けて、地域が一体となって親身な介入をしていくことが大きな目標です。当法人の中だけでも、病院のほかにグループホームや特別養護老人ホームもありますし、近くには小学校や保育園、複数の介護施設などもあって、実はかなり魅力的な地域なんです。医療から介護までシームレスにケアしていくことはこれからますます重要になりますから、かしま病院を中心に点と点を連携させ、この地域で「Age-Friendly City」を実現していきたいですね。CHCPさんの力もお借りしながら、地域での医療・介護・福祉の連携を推し進めたいと思っています。

    武藤氏:養生会さんのお取り組みは、いわき市の「街づくり」に直結していると思います。それだけに、養生会さんの発展が地域には欠かせないのです。地域医療や住民の方々の健康と福祉を守ることに、中山理事長や職員の皆様がさらに多くの時間と情熱を注げるよう、私たちも労力を惜しまず最大限のサポートをしていきます。

    国沢氏:当社の社名にもなっている「地域ヘルスケア連携」は、養生会さんがずっと前から力を入れてこられていることです。養生会さんの成功モデルや中山理事長の理念を、全国各地の同じような課題やニーズを持つ地域に向けて展開していくことも当社の使命だと考えていますので、良い成果を出して全国に広くインパクトを与えていきたいですね。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    職員たちが“良い夢”を見られる職場にすることが私の役目

    社団医療法人 養生会
    理事長 中山 大氏

    2015年に地域医療構想が策定されてからも、色々なところで格差は生じてしまっています。やはり、各々の医療機関が各々の考えで「連携を組んでいきましょう」と言っても、相当なリーダーシップを持った医療機関がないと、実現は難しかったと思うのです。今回のような協業によって、様々なシステムや人材、地域とのコネクションが広がっていけば、例え私たちが今までと同様の取り組みをしていたとしても、地域医療構想の推進力はもっと強くなっていくのだろうと感じています。そういう意味でも、経営支援や協業は、一医療機関の経営課題の解決にとどまらない、非常に大きな価値があるのではないでしょうか。

    地域のためにしっかりと真面目に働いてくれる職員たちにとって、もっと自慢できる職場にすることと、次世代の職員たちが“良い夢”を見られる職場にすることが、私の役目です。CHCPさんからのご支援もいただきながら、一歩ずつ実現していきたいと考えています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    「医療と経営」それぞれの責任者で役割分担する必要がある

    株式会社地域ヘルスケア連携基盤
    代表取締役会長 武藤 真祐氏

    日本は原則として、医師・歯科医師でなければ医療法人の理事長になれない制度のため、結果として理事長が経営にも関わらなければならないケースが多くなります。しかし、診療報酬は年々複雑になってきていますし、中山理事長が仰る通り、震災やパンデミックなどの不確実な事態がいつ起こるとも限らない中で、従前のマネージメントスタイルだけではうまく対応できないこともあるかもしれません。また、医療機関としては、医療従事者に成長できる場所を提供して人材を集めていくことも、ますます重要になっています。こうした全てを、プロの医師である理事長だけに任せるということは、企業であればほぼ無理な話です。

    海外では、CMO(チーフメディカルオフィサー)と経営の責任者が役割分担をして、より良い組織にしていく動きはすでに一般化しています。日本でもこうした流れは今後ますます取り入れられると思いますし、そうならざるを得ない状況になっているのではないでしょうか。私たちは医療機関への経営支援を通じて、医療従事者の業務改善から地域医療の発展まで、医療を取り巻くあらゆる課題を解決していきたいと思っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    担当アドバイザー コメント

    医療法人の経営は、新時代を迎えようとしています。

    医療職中心で運営していく時代から、各々スキルを持ったプロが集い、スキルシェアをしていくこれからは、

    ・CMO(最高医療責任者)

    ・CEO(最高経営責任者)

    ・CTO(最高ICT・DX導入責任者)

    ・CAO(最高地域連携責任者)

    など、各々の役割分担を明確にした組織体の増加、今までになかった呼称も誕生していく可能性を感じています。地域の患者様・働き手となる生産年齢人口がこれだけダイナミックに変化する時代を迎え、変化し続ける医療機関が、その地域の地域医療の新しい形を創っていくのではないでしょうか。この度の経営支援が、養生会様の更なる発展に繋がるとともに、いわき医療圏の皆様にとって有益となることをとても楽しみにしています。

  • 「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    阪本勝氏は大手金融機関での勤務後、地元の奈良県で保険代理店業のアソシアードフィナンシャル株式会社を創業しました。創業の理由を「お客様目線で金融の悩みを解決したい」と話す通り、来店型保険ショップ「ほけんの扉」は、保険から住宅ローン、融資に至るまで、金融の悩みを包括的に相談できる店舗として、地域の皆様から親しみ深く頼られています。

    事業は順調に成長していながらも、末永くお客様をフォローし、従業員の安定雇用を守り続ける店舗の“未来”を、経営者として考えるようになった阪本氏。そのなかで、理念や考えに互いが共感できる企業と出会います。それが、同じ保険代理店業の株式会社F.L.Pでした。2022年9月に両社のM&Aが成約し、統合後も「ほけんの扉」ブランドはそのままに、F.L.Pの店舗とともに地域に根差した活動に尽力されています。阪本氏とF.L.P代表取締役社長の須山馨氏に、成約までの経緯や今後への期待について伺いました。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    お客様目線を第一に、金融の悩みをワンストップで解決できる店舗へ

    アソシアードフィナンシャル様を創業した経緯をお聞かせください。

    阪本氏:私は以前、金融機関で7年間勤めていましたが、当時はなかなかお客様目線で金融商品を提案できないことに、少なからず疑問を感じていました。大きな組織ではどうしても、お客様の悩みを解決する立場より、単なる販売員という立場になってしまうのかもしれません。こうした背景から、保険だけでなく住宅ローンや融資なども包括的に相談でき、しっかりとお客様目線でコンサルティングができる場所を作りたいと考えるようになりました。そうしてアソシアードフィナンシャルを創業し、来店型保険ショップ「ほけんの扉」を開店しました。私は生まれも育ちも奈良県なのですが、創業の地に奈良県を選んだのも「自分がお世話になった地元で、金融関連の悩みを持たれている人を支援したい」「自分が嘘をつかない環境で仕事をしたい」という強い思いがあったからでした。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A
    アソシアードフィナンシャル株式会社 創業者 阪本勝氏

    創業以降、経営で意識してきたことをお教えください。

    阪本氏:来店してくださったお客様の目線に立って悩みを解決することが何より大切なので、店頭に立つファイナンシャルプランナーの教育には特に力を注いできました。時間をかけてでも一人一人を丁寧に育て、質の高い接客を提供することが「ほけんの扉」の姿勢です。保険の相談だけでなく、住宅ローンや相続、税金など、お客様の様々な金融の悩みをファイナンシャルプランナーがワンストップで解決できる店舗づくりを意識してきました。

    また、金融だけでなく、医療の悩みも相談できる店舗にしたいと考え、別会社で訪問看護ステーション・在宅医療サービスの会社、「ほっとナビ」を創業しています。「ほけんの扉」のお客様の健康・医療に関する不安にも、両社が連携して寄り添っていける体制を目指してきました。

    F.L.P様の事業についても詳しくお聞かせいただけますか?

    須山氏:当社も「ほけんの扉」様と同様に、お客様のご要望をじっくりと聞きながら、顕在ニーズではなく潜在的なニーズを深掘りしていくコンサルティング提案を強みとしています。

    全国には数多くの保険ショップがありますが、同じ保険代理店業でも、考え方や運営スタイルは会社によってまったく異なるのが実状です。当社もお客様が気軽に足を運んでいただけるよう、相続相談や税務相談などにも無料で対応していますが、「ほけんの扉」様や当社のように、保険だけにとどまらないコンサルティング提案をしている会社はかなり稀な存在と言えます。阪本様が仰る通り、人材の育成は時間を要するものですが、一方で、口コミ評価やリピート率は高く、既存のお客様が別のお客様をご紹介してくださるケースも非常に多くあります。この強みをさらに伸ばしていこうと、日々取り組んでいるところです。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A
    株式会社F.L.P 須山馨氏

    「お客様の人生に寄り添う」という保険代理店の役目を果たすために

    阪本様がM&Aを検討された理由をお教えください。

    阪本氏:来店型保険ショップの“未来”を考える中で、M&Aを検討するようになりました。保険代理店は契約がゴールではなく、例えばその後入院したり亡くなられたりした際に、お客様ご本人やご家族の人生に寄り添ったフォローをしっかりと提供する役目を果たしていかなければなりません。お客様が永劫的に頼れる店であり続け、従業員の安定雇用も永く守られる環境をつくろうと考えると、いずれ大手企業の資本傘下に入るべき時期が来るだろうとは考えていました。

    阪本様はどういったきっかけでfundbookを知ったのでしょうか?

    阪本氏:私はほっとナビの子会社で、歯科医院の承継を支援する株式会社ほっとナビコンサルティングも運営しているのですが、fundbookさんとはそちらの事業の中で、3~4年ほど前から情報共有をさせていただく間柄になっていました。そして年月が経つうちに、私自身がアソシアードフィナンシャルの創業者としてM&Aを視野に入れるようになり、仲介を依頼する立場になったという流れです。ただ、fundbookさんに仲介を依頼したのは、昔からのつながりだけが理由になったわけではありません。これまでもいろんなM&A仲介会社や金融機関のM&A部門の方々とお会いしてきましたが、fundbookさんは特に行動力があって、私の思いにも寄り添っていただけると感じたからです。その印象の通り、「ほけんの扉」の将来を親身に考えていただきながら、今後の方向性と道筋を一緒に明確化してくだりました。

    F.L.P様は今回初めての譲受でしたが、どういった経緯でM&Aを検討されましたか?

    須山氏:当社は集客や認知度拡大に向けて、インターネットの検索結果で上位に表示される施策に力を入れています。ただ、首都圏を中心に店舗展開しているため、店舗がないエリアのお客様からお問い合わせがあった際には、当該エリアで懇意にしているほかの代理店様に紹介する形で対応せざるを得ませんでした。そのため、できれば首都圏以外の代理店様で当社と近い考えを持たれている企業があれば、ぜひ私たちと一緒になっていただきたいと以前から考えていたんです。コロナ禍以降も業績がスムーズに推移できたこともあり、2021年10月頃から本格的にM&Aを検討するようになりました。

    確かなサービス品質と経営理念に強く共感した両社

    両社様は、どのような企業をM&Aのお相手に探していたのでしょうか。

    阪本氏:アソシアードフィナンシャルが作ってきた企業文化に理解を示していただきながら、将来のビジョンをしっかりと持たれていることが一番大事だと考えていたので、お客様への対応方針や、従業員教育などへの考えが共通している企業が見つかればと思っていました。規模や業態については、オーナー企業ではなく大手保険会社や金融機関、上場企業などを視野に入れていました。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    須山氏:当社の場合、やはり私たちと同じように、コンサルティング提案に強みにもつ企業が一番の希望でした。加えて、お客様との信頼関係が強く、地域に根差した活動もされていれば、なお嬉しいと考えていました。ただ、そんな魅力的な企業が、タイミングよくM&Aを検討しているとは限りませんから、そう簡単には見つからないだろうとも思っていました。実際、これまでも数社と面談をしてきましたが、そのたびに、希望する企業と出会う難しさを感じてきました。なので、fundbookさんからアソシアードフィナンシャル様をご紹介いただいたときは、まさに、希望していたような企業だと、驚きすら覚えましたね。

    実際にアソシアードフィナンシャル様にお会いしていかがでしたか?

    須山氏:初回の面談から、経営理念や接客のスタンス、従業員教育に至るまで、色々なお話をさせていただいたのですが、その全てが当社の考えととても近く、親和性が高いと感じるばかりで、ぜひこのご縁を大切にしたいと強く思いました。アソシアードフィナンシャル様は経営理念に「金融のプロとして、質の高い提案・サービスを提供し、お客さまの経済的安定を導くとともに社会経済の発展に貢献する」と掲げられている通り、丁寧なコンサルティング提案と、地域や社会の発展に向けた活動に実直に取り組まれています。そこに感銘を受けましたし、親近感も持ちました。M&Aが成約した今では、社内用のホームページのトップにF.L.Pの企業理念「お客様の想いを受けとめ、安心を提供する」と並べて、アソシアードフィナンシャル様の経営理念も掲載しているほどです。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    阪本様は須山様とお会いしてみていかがでしたか?

    阪本氏:経営者として魅力的なお人柄でいらっしゃると素直に感じました。従業員の意見にしっかりと耳を傾けられている姿勢や、大きな視点で物事を捉えて判断されていることが、話の随所から伝わってきたんです。企業文化やスタンスも似ているので、お互いを尊重しながらお客様と従業員を守っていただけるのだろうと思いましたね。

    また、F.L.P様は首都圏各地の有名な商業施設でも店舗を展開されています。そういった知名度も生かしながら、関西圏の「ほけんの扉」のコンサルティングサービスをより広げていただけそうだという期待も膨らみました。

    信頼できる企業に託せたことで、従業員に「安心してほしい」と伝えられた

    M&A成約後の阪本様のお気持ちや、従業員の皆様の反応はいかがでしたか?

    阪本氏:私自身、創業時の思いを強く持って15年間歩んできたので、譲渡する寂しさは当然ありました。しかし同時に、経営者として従業員の今後を守る責任を果たせたという安堵もとても大きく感じていました。

    従業員には最初に私の口から伝えたかったので、譲渡契約書に印鑑を押して投函した後すぐに、私と役員で各店舗を回って従業員一人一人と面談しました。唖然とする人や涙する人など、いろんな反応がありましたね。長く勤めてきた店舗や、自分自身の今後はどうなるのかという戸惑いと動揺があったんだと思います。ただ、F.L.P様に対する信頼や私が得られた安堵感は確かなものでした。その気持ちのまま、従業員に「安心してほしい」と直接伝えられたことは結果として良かったと思っています。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    F.L.P様の従業員の皆様は、どのような反応をされましたか?

    須山氏:発表時こそ驚いた様子でしたが、以前から事業拡大の意向は折に触れて私から伝えていたので、すぐに「ほけんの扉」様を仲間として迎え入れる良い雰囲気が醸成されました。M&A成約直後から「ほけんの扉」様の接客や教育などのノウハウを学びたいといった熱い要望がたくさん寄せられているほどです。本格的な交流は体制を整えてからになりますが、近い店舗同士の交流や、オンラインミーティングによるコミュニケーションは、すでに活発化している状況です。

    F.L.P様は今回初めての譲受でしたが、今のお気持ちはいかがでしょうか。

    須山氏:保険業界は寡占化が進んでいて、中小規模の企業は淘汰の波に晒されている状況です。このため、当社にもM&A案件の提案は至るところからいただくのですが、M&Aの相手探しで一番重視している「経営理念」や「事業展開」といった要件が、二の次にされてしまうことは往々にしてあります。しかし今回、アソシアードフィナンシャル様と巡り合うことができたのは、fundbookさんが経営理念や事業展開に対する私たちの考えをしっかりと聞き入れてくださった結果だと思います。また、M&Aのイロハや心構えからアドバイスしていただいたことはとても心強かったですし、M&Aを進めていくなかでも細部まで気にかけて両社をサポートしてくださったので、本当に感謝しています。

    地域のお客様を多方面から支えていく

    阪本様は「ほけんの扉」様とF.L.P様の今後に、どういった期待を寄せていますか?

    阪本氏:まずは、お客様の期待に応え、困ったときはいつでも寄り添う店舗であり続けることと、従業員の安定雇用を今後も維持していただくことが、F.L.P様への一番の希望であり、期待していることです。また、今回は子会社化ではなく統合のため、アソシアードフィナンシャルの社名はなくなりましたが、「ほけんの扉」のブランドを永続的に発展させていただき、地域密着型の成長を目指していただければ嬉しく思います。

    一言に保険代理店と言っても、他社にはない優位性を高めるためには、保険事業にとどまらない取り組みや付加価値が必要です。私はこれまで、金融と医療を組み合わせて、お客様の人生に起きる様々な悩みをサポートする店舗づくりを目指してきました。今後もそういった形でサービスの幅を拡充し、地域の皆様の一生を支えられるお店として確立していただきたいと願っています。

    F.L.P様の今後のビジョンをお聞かせください。

    須山氏:「ほけんの扉」様のノウハウを共有しながら、お客様のご要望と潜在的ニーズを丁寧に深掘りするコンサルティング提案を引き続き強化し、地域の皆様に喜ばれるサービスや取り組みを各地に広げていきたいと考えています。「ほけんの扉」様という強力な存在が加わったことで、首都圏と関西圏の約30店舗で地域に根差したサービスが提供できるようになりました。その他の地域にも私たちと同じ方針や考えを持つ企業様がいらっしゃれば、今後も積極的に提携を呼びかけ、中期的には50店舗まで拡大していきたいと思っています。そうすることで、従業員とお客様の経済的な安定をともに果たしていきたいと考えています。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    最後にぜひ、阪本様ご自身の今後の目標や抱負をお聞かせください。

    阪本氏:ほっとナビ訪問看護ステーションは現在、全国15拠点(取材時)まで拡大しています。「ほけんの扉」と同様に、今度は医療の目線で皆様の問題や悩みを解決できる会社にしていこうと、尽力しているところです。今後もほっとナビの医療サービスを全国に広く展開していき、そして従業員の働きやすい環境を構築することで、また新たな分野で地域社会に貢献していきたいと考えています。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    経営者は企業価値を最大化する努力と、“きれいな引き際”が大事

    アソシアードフィナンシャル株式会社

    創業者 阪本 勝氏

    経営者には必ず、経営者としての幕を引くときがやってきます。そのときに一番大事なことは、経営者が利己的な考えだけで判断しないことです。全ての企業には、“企業物語”とも言うべき歴史があるはずで、その物語はお客様や従業員など、たくさんの人によって紡ぎ出されています。企業に関わる全ての人が幸せになるために、経営者は先を見据えた考えを持ち、承継に向けた入念な準備をしておかなければなりません。

    そして、経営者であるうちに、企業価値を最大化する努力をし続けることも重要だと思います。やはり企業価値を高めた状態にしておかなければ、譲渡することも難しいからです。「まだいける」「自分なら立て直せる」という時期は当然あるにしても、その状態がけじめなくズルズルと長引いていれば、それも経営者の利己的な考えに偏ってしまっているのではないでしょうか。企業は多くの方々の支えによって成り立っていますから、そうした皆様を裏切らない努力と判断をして、未来につながる“きれいな引き際”にすること。そこまでが経営者の責務だと考えています。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    中小企業のM&Aは日本社会の活性化につながる

    株式会社F.L.P

    代表取締役社長 須山 馨氏

    一社一社の企業には、それぞれの知恵や工夫、ノウハウなどがものすごく凝縮されています。M&Aは、そうした各社のリソースが合わさって、拡大・発展できる手段になるため、今後もさらなる活用の広がりが期待できるのではないかと思っています。

    日本は特に中小企業が多い国と言われていますが、とりわけ中小企業に関しては、大手企業とは違ったノウハウが無限にあると実感しており、それらをもっと融合していけば、もっと広く伝搬していく力が持てるものと考えられます。マーケットの変化など様々な要因により、事業拡大や事業展開の見直しが必要になることは決して珍しくありません。中小企業こそM&Aを活用し、各社の培ってきたリソースを相乗効果で進展させることができれば、日本の社会全体をより明るく元気に活性化していけるだろうと、私は信じています。

    「お客様と従業員を永劫的に守る」経営者の果たす責務とM&A

    担当アドバイザー コメント

    この度は、自社の更なる成長を目指す関西の保険事業者様と、M&Aを通じて関西進出を熱望する関東の企業様との企業提携のお手伝いをさせていただきました。

    アソシアードフィナンシャル社は、大阪・奈良を中心に展開する来店型保険ショップを運営される企業様です。阪本様が創業し、自社の優秀な人材と連携して関西を中心に商圏を広げられておられました。生損保両方を扱っておられ、財務基盤も安定していたものの、自社を更にスピード感をもって成長させるため、成長戦略型M&Aをご決断されました。

    F.LP.様は、関東を中心に来店型保険ショップを営む企業様です。自社のさらなるネットワーク拡大等を目的に本件を進められました。関東と関西では商圏文化が大きく異なるため、今回新規立ち上げではなくM&Aという手段を取ることで、スピード感をもった関西圏進出を検討されておられました。

    本件については、双方の事業親和性の高さはもちろんのこと、何より双方の企業文化・価値観が非常に近しいことがポイントでした。同じ保険業ではありながらも、顧客第一主義を貫き現場レベルまで徹底させる、またその価値観に沿った店舗作りを行うという考え方が双方にとっての今回のM&Aの決め手になったものと存じます。

    アソシアードフィナンシャル様がF.L.P様というパートナーとともに、さらに成長される未来をとても楽しみにしております。

  • 父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    梱包資材の卸売業を営む三豊工業株式会社は、1961年に兵庫県神戸市で創業しました。地元企業からの厚い信頼を得ながら成長し、現在は全国に卸先を持つほど広い販路を持たれています。

    創業者である父親が急逝し、突如として2代目社長に就任した前田晃江氏。数年前から同社に勤めていたものの、入社当初は会社を継ぐつもりはなかったと言います。しかし、従業員とお客様を思う責任感は人一倍強く、「皆の将来のためにも、会社はこれからも続いていかなければいけない」と、経営者として選んだ手段がM&Aでした。

    梱包資材関連の総合商社である松永産業株式会社とめぐり逢い、2022年7月にM&Aが成約。松永産業の代表取締役社長・松永誠三氏が三豊工業の社長を兼任し、前田氏は会長に就任する形で、経営はますます強化されています。また、両社それぞれの得意分野、商材、エリアを最大限に生かした協力体制も、早速築かれ始めています。前田氏と松永氏に、M&A成約までの経緯や今後の展望について伺いました。

    地元企業とともに歩んだ60余年、受け継いだ会社を続けていくために

    三豊工業様の創業からの歴史についてお聞かせください。

    前田氏:当社は1960年に私の父が神戸で創業し、当時からずっと梱包資材の卸売業を手掛けてきました。色々な包装資材を取り扱っていますが、なかでも有孔シート(小さな穴が開いたフィルム)で食品を上下から覆って密着包装する「スキンパック」の販売に、特に強みを持っています。昔、甘いものが手に入りにくかった時代に、神戸の菓子メーカーが台湾から輸入した砂糖を使ったどら焼きを作り、「三豊工業さんで何か良い包装方法はないだろうか?」と、相談に来られたんだそうです。そのときに、資材メーカーと一緒にフィルムを改良した密着包装を開発し、それがスキンパックを取り扱う始まりになったと聞いています。どら焼きの人気とともにフィルムの売り上げも順調に拡大し、次第に全国の和菓子店や土産物店にも普及するようになったので、まさに地元企業とともに成長してきた会社だと思います。

    前田様が社長に就任された経緯や、経営者として意識されてきたことをお教えいただけますか?

    前田氏:もともと私は別の会社で営業の仕事に就いていましたが、あるときに父から「もしよかったら三豊工業に来てほしい」と言われたんです。別の会社で多くのことを学んできたので、それを三豊工業で生かせられればと思い入社しました。ただ、当初は会社を継ぐつもりなんてまったくなかったんです。最初は事務職から始めましたが、前職の経験を生かして数年も経たないうちに営業にも出るようになりましたね。そうして忙しく過ごしていた中、2004年に父が急逝してしまい、私が会社を継ぐことになりました。突然、経営者になった形ですが、やはり従業員のためにも売り上げをどう上げていくかと常に考えてきました。それに、お得意様を大事にする気持ちはよりいっそう強くなったと思います。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A
    三豊工業株式会社 前田晃江氏

    社長として20年近く率いてこられましたが、M&Aを検討し始めたのはいつ頃でしょうか?

    前田氏:メディアでもM&Aに関する情報を目にしていたので、5年ほど前から自分ごととして意識し始めていました。しかしそこから今日に至るまでには、いろんな困難がありました。4年前の台風では阪神間で数百棟が浸水する記録的な高潮に見舞われて、当社もその影響を大きく受けました。それから間もなくして、次はコロナ禍の打撃を受けるなど、目の前の困難を乗り越えていくうちに、M&Aもしないままあっという間に5年が経ったように感じています。

    そうした苦境の中でも力強く事業を続けてこられた三豊工業様が、なぜM&Aを決断されたのでしょうか。

    前田氏:それは、会社を存続させるためです。従業員の生活や将来のためにも、会社は続いていかないといけませんから。人間の寿命は延びていますが、不老不死ではありません。私も健康には気をつけていますが、いつかは次の世代に引き継いでもらわなければいけないと前から考えていました。私には娘と娘婿がいるのですが、二人とも別の仕事をしていますし、二人には自分の好きな仕事を続けてほしいと願っています。それに、世襲制のようにご子息が家業を継いだケースを色々と見ていても、本当に「やりたい!」と思って継いだ人でないと、会社を継続するにも難しい局面が多々あると思うんです。向き不向きもあるでしょうし、「経営後継者として適した人にやってもらいたい」と考えた結果、M&Aが最善の手段だと判断しました。

    M&Aを進めるうえでも不安や迷いはなかったのでしょうか?

    前田氏:当社は父の代からずっとお世話になっている会計事務所があり、そこの税理士さんにM&Aを検討していると相談すると「そういう方法もあるよね」と、肯定的に話を聞いてくれたんです。もちろん、「同じ業種の会社がいいのか?」など、考えることはたくさんありましたが、fundbookの担当アドバイザーさんも、いろんな相談に乗ってくれながら一生懸命に取り組んでくださったおかげで、無事ここまで進めてこられました。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    両社の強みを生かし、更なる発展へ

    fundbookがご提案したお相手は、松永産業様でした。面談される中で、お互いの印象はどのようなものでしたか?

    松永氏:当社が取り扱ったことがないスキンパックは、三豊工業さんの一番の特徴であり、強みだと思いました。スキンパックは業界の中でもニッチな商材なのですが、三豊工業さんは長年の実績をお持ちですし、全国への販売もされています。また、スキンパックを全国展開しながらもしっかりと地域密着型の事業を展開されていて、地元企業からの信頼が厚いところも魅力だと感じました。当社も以前は神戸に営業所を構えていましたが、阪神大震災によって営業所を閉じることになり、以降は本社のある大阪から営業と物流を行っています。ですが、商売というのは地元に拠点がないと難しく、神戸の卸先は大幅に減少してしまいました。なので、地場に強い三豊工業さんと力を合わせて、神戸での商売をもう一度強化していきたいと考えたんです。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A
    松永産業株式会社 松永誠三氏

    前田氏:松永産業さんは、何と言っても会社の規模や取り扱う商材の豊富さが強みだと思います。特に、チェーン店のスーパーマーケットにもたくさん商材を卸されていらっしゃいますから。当社は容器やトレーなどに関してはあまり多く取り扱っていなかったので、そこに強みを持つ松永産業さんと手を取り合って、当社の販路も広げていきたいですね。

    M&A成約後、三豊工業様の従業員の皆様はどのような反応をされましたか?

    前田氏:私自身、M&Aは良い選択だったと確信していますが、従業員は当然、最初は少し心配そうな様子でした。ただ、私が60代を迎えていたこともあって、M&Aが成約する以前の「誰が後を継ぐんだろう?」という心配の方が大きかったように思います。松永社長も当社に何度も足を運び、従業員といろんな話をしてくださったので、そうしていくなかでだんだんと従業員の不安や心配は解消されていきましたね。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    時代とともにニーズが変わりゆく包装資材業界

    両社様ともに包装梱包資材を取り扱う事業を展開されていますが、業界特有の課題などはあるのでしょうか?

    松永氏:包装資材や容器にはプラスチックなどが使われますから、やはり環境問題は大きな課題だと思います。私たち卸業者は直接製品を作っているわけではないので、代替商品の提案など、できることは限られています。それでも、植物由来の原料を使った資材や紙の資材、薄くて軽い資材などを提案して、できるだけプラスチックを使う量を少なくしようと努力しています。植物由来の原料であれば、使用後に燃やしてCO2が発生しても、植物は成長過程でCO2を吸収している分、全体のサイクルで見るとCO2排出量が増加しないカーボンオフセットにもつながりますからね。

    前田氏:昔は食品を買うと新聞紙に包んでいたり、市場(いちば)でも木製のトロ箱が使われたりしていましたが、だんだんとプラスチックや発泡スチロールの入れ物に変わりました。しかし、廃棄方法の煩わしさや環境問題の観点から、自然に還りやすい素材が再び求められてきています。資材を作るメーカーも、耐水性や保冷力の高い段ボールを開発するなど試行錯誤をされていますから、私たちもそうした時代の変化に対応した販売をしていく必要があると感じています。

    松永氏:両社とも主に食品の包装資材や容器を取り扱っていますが、消費者が急に食品を口にしなくなるわけではないので、この業界自体は普遍的に続いていくだろうと思っています。環境への配慮はもちろん重視しながらも、食品に関わるからこそ「安心安全」も常に大事にしなければいけません。また、お店にとっては容器にあまりコストをかけたくないことも重々理解しています。環境への配慮や安心安全といった“質”と、適正な“価格”を両立し続けないといけないと常に心掛けていますね。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    お取引先様や消費者の声を傾聴しながら、事業を続けられているのですね。

    松永氏:そうですね。一般家庭にしても、1世帯あたりの人数が減少していたりと、家庭環境もどんどん変化しています。人数が多かった頃はスイカを丸ごと買っていたのが、最近ではカットされた状態で店頭に並ぶことが一般的になっていますよね。カットすればラップをしなければいけませんし、ブロックカットであればカップも必要になります。それに、食卓に総菜を取り入れる世帯も多くなっているので、実は包装資材や容器というのは、昔に比べて用途も種類も増えているんです。

    前田氏:最近では、「自宅用の買い物には簡易包装がいい」という声が聞かれるようになった一方で、ギフトは包装に凝る傾向が強まっています。当社も日々様々な要望をいただいています。日本は風呂敷や熨斗の文化がありますし、マナーや風習もしっかり受け継がれているためか、“包むこと”に対する意識が高いのかもしれません。そう考えると、包装というのは本当に難しい世界でもあり、日本らしさが表れるところでもあると思いますね。

    事業の強みと社風の良さを、存分に生かしていく

    前田様は三豊工業様の会長に就任し、松永様が両社様の社長を兼任されています。松永様から見た三豊工業様の様子はいかがですか?

    松永氏:従業員同士のコミュニケーションが非常に活発で、皆さんの仲や雰囲気がとても良い会社だとつくづく実感します。三豊工業さんが60年以上会社を続けてこられたのも、事業の強みに加えて、こうした社風もあってこそお客様に受け入れられていると思います。なので、今の良さはこれからも存分に生かしていきたいですね。

    松永産業様は今回が2度目のM&Aですが、グループに迎え入れるお立場として、感じられていることはありますか?

    松永氏:長く継続されてきた企業ばかりですので、今までの経験や実績への尊敬の思いが大きいです。グループになったからといって、急激に松永産業の色に変えようとはまったく思いませんし、互いを尊重しながら徐々に馴染んでいく形が一番理想だと思います。当社の従業員を見ていても「三豊工業さんに行って新しいことを知りたい」と、積極的に手を挙げてくれる人がいます。それほど、グループ内で良い関係を構築していこうとする雰囲気が現場からも醸成されていますよ。

    前田氏:コロナ禍でのM&Aだったので、従業員同士の直接の交流はまだまだ制約が大きいですが、落ち着いてきたらもっと活発化させようと話しているところです。今できることを着々と進めつつ、皆で親睦を深められる日が来るのを楽しみにしています。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    早くも協力体制を築く両社。今後も安心安全で人に喜ばれる食を届け続けたい

    M&A成約からわずか1カ月半(取材時)ですが、すでにご両社で動き始めていることがありましたら、ぜひお教えください。

    松永氏:早速、両社間で仕入れルートの見直しを始めました。同じ業種とはいえ、それぞれに得意分野があります。お互いの得意なところを融通し合えば、仕入れコストが抑えられ、その分をお客様に還元できますからね。

    前田氏:お客様の要望に応えていくためにも、仕入れルートの見直しは非常に重要です。もちろん、そう簡単に進められることではないので、これからいくつものハードルが立ちはだかるかもしれません。ですが、「今まで通りにやっていては何にもならへん!」と強く思うんです。新しいことをすると、しんどいと感じることもあると思います。でもそれを乗り越えていかないと本当の改良にはなりませんし、発展にもつながりません。松永産業さんと一緒に、三豊工業が良い方に変わっていくことこそが私の願いです。今からしっかりと改良していけば、ゆくゆくは従業員の負担ももっと軽減していけるものと期待しています。

    松永氏:仕入れルートのほかにも、今後は物流の効率化も図っていく計画です。三豊工業さんは営業担当者が配送も兼務している一方、松永産業は営業担当と物流担当を分けています。そのうえ、三豊工業さんの地場である神戸の中でも、松永産業の配送エリアと被る部分がありました。それであれば物流を一本化して、三豊工業さんの営業担当者がより営業に専念できる体制を作っていくよう、戦略を練っているところです。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    最後に、両社様の今後の抱負をお聞かせいただきたく思います。

    松永氏:当社は経営理念の一つに「食品包装を通じて食品の流通に寄与し、継続可能な社会の創造に向け努力を続けます。」と掲げています。食のサプライチェーンの中でも、私たちは食品を安全に保つための商材を扱っており、私たちが抜けてしまうと消費者に食品が届かない事態にも陥りかねません。また、一度売って終わる商材とは違い、食品の包装や容器はほぼ毎日使用されるので、ほとんどのお取引先様とは長いお付き合いになります。食の流通を切らさないことを使命に、今後も安心安全な商材を適正な価格で販売し、適正な利益を得ながら、長く継続できる商売をしていきたいと考えています。

    前田氏:私たちの関わる業界で最近起きた大きな変化の一つに、レジ袋の有料化が挙げられると思います。これを機に皆さんがエコバックを持ち歩くようになりましたが、やはり食品によっては衛生面が心配なものや、お寿司などお手持ちのエコバックでは傾いたり崩れたりして、きれいに持ち帰れないものもあります。お店側からすると、お客様には安心安全かつ、作りたてのきれいな状態で届けて食を楽しんでいただきたいという思いがあるので、商品の特性に応じた専用の袋を、環境に配慮した素材に替えて用意しておきたいという声はよく耳にするようになりました。袋や容器には、食品の作り手と販売者の気持ちまでもが詰まっているのです。私たちもその気持ちに寄り添い、これからも安心安全で、人に喜ばれる食を届け続ける責務を果たしていきたいですね。

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    会社を「手放す」ではなく、「良くする」ために自分ができること

    三豊工業株式会社

    取締役会長 前田 晃江氏

    日本には、優れた技術を持つ小さな町工場や、世界に誇れる伝統工芸・伝統建築など、後世に残していくべき事業や職人の技が数多く存在します。しかし、そうしたところからも経営者や職人の後継者がいないという話はよく耳にします。素晴らしい技術や事業を未来につなげていくうえで、M&Aは役立つ手段になると思いますし、ひいては日本の発展にも寄与するのではないかと考えています。

    企業には大事な従業員がいて、彼らを守っていかなければいけません。なので、経営者は先々のことまで、そして次の代のことまでを考えておく必要があります。今日は元気でも、明日も本当に大丈夫なのかは誰にも分からないものなので、根拠のない「何とかなるわ」という考えでは、責任を全うしているとは言えないのです。

    次の代の最適な人材に経営を引き継いでもらうことは、会社を「手放す」ことではなく、会社を「より良くしていく」ために自分自身ができることだと、私は確信しています。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    M&Aは成長戦略の一環として有効な手段になる

    松永産業株式会社

    代表取締役社長 松永 誠三氏

    以前、松永産業の創業者である私の父から、「大阪は商売人が多いから、皆が皆、同じ1社から仕入れるのではなく、自社としっかり組んでくれる仕入先を持ちたがると思う」という話を聞いたことがあります。当社は、1954年の創業から大阪の地で着実にお取引先様との信頼関係を築き上げ、その実績を糧に大阪以外の地でも営業所を開設して、その土地に根付いた販売を続けてきました。そんななか、阪神大震災で神戸営業所の閉店を余儀なくされ、無念にも神戸での商売の大部分を失ってしまったという経験があります。

    今回、神戸の地場に強い三豊工業さんと手を組めたことで、当社は再び神戸で販売展開できるようになり、三豊工業さんにとっても販路拡大が可能になります。今の社会の状況を踏まえると、後継者不在によるM&Aが今後も増えると考えられ、三豊工業さんも同じような課題を持たれていたと思います。それでも、前田会長は「会社の発展」を常に念頭に置いて、M&Aを進めてこられました。M&Aは譲渡企業と譲受企業の双方にとって、成長戦略の一環として有効な手段になると大いに期待しています。

    父から継いだ会社を未来へつなぐために。私が選んだM&A

    担当アドバイザー コメント

    この度は、長年にわたって地域のお客様から信頼をいただいている地域密着型の企業様と、阪神淡路大震災で一度その地域を撤退された企業様の資本業務提携をお手伝いさせて頂きました。

    一見同じ事業を行う企業様同士のM&Aに見えますが、顧客層、営業スタイルはそれぞれ異なっており、お互いの強み弱みを補完し合える、両社にとってとても良いご縁談だったと感じております。

    従業員様開示に立ち会った際、ある従業員の方が「これから期待と、期待と、期待しかないです!」とお話されていたのが非常に印象的でした。世の中にはまだまだ我々の提供するサービスを待っている方が大勢いらっしゃるのだと改めて感じました。

    これからも、企業様の存続・発展に寄与できますよう精進して参ります。

  • インタビュー

    2022年2月28日、譲渡成立

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    鳥取県米子市で、1927年から印刷事業を続けてきた株式会社エッグ。40年ほど前に現社長の髙下士良氏がお父様から経営を引き継ぎ、以降はIT企業へと転換していきます。

    その後、髙下氏の先見の明と豊富なアイデアで、数々のサービスが誕生。特に、ふるさと納税システムは自治体導入実績ナンバーワンを誇り、現在は心身の老いや衰えによって介護状態になる手前の「フレイル」の早期発見システム開発に注力しています。

    一方で、自身の年齢を考慮し後継者の必要性を意識し始めた髙下氏は、M&Aでの事業承継を決断。多くの譲受候補先のなかで、株式会社スカラと社会問題への取り組みに対する考えが合致し、2022年2月にM&Aが成約しました。今後は自治体との“共創”による社会問題の解決に向けて思いを一つにしています。

    成約までの経緯や、M&A後に描く今後のビジョンについて、髙下氏と株式会社スカラ戦略投資事業部の山崎秀人氏、辻健輔氏にお話を伺いました。

    印刷業からの転換。ふるさと納税システムNo.1企業に

    エッグ様の会社の歴史についてお聞かせください。

    髙下氏:私の父が1927年に鳥取県米子市で印刷業として創業し、「米子印刷所」の名前で地域の皆様に親しまれてきたと自負しています。長い年月のなかで、印刷技術が次々と変わっていく歴史を見てきました。40年ほど前に私が社長に就任した頃は、写植(写真植字)という印刷手法が多かったですね。その後、写植の組版をコンピューターで行える電算写植が登場し、私もコンピューターの勉強を始めました。1992年頃には、データベースと印刷を組み合わせた名簿印刷を始め、1996年にはホームページも開設しています。この間に社名を「エッグ」に変更し、従来の印刷業から、将来性のあるIT事業へと徐々に転換していきました。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    IT事業へ転換後、どのようにしてビジネスを展開されてきましたか?

    髙下氏:2000年頃に、インターネットでハガキが出せる「ポスコミ」というサービスを始めました。世の中は「アナログをデジタルにしていこう」という流れでしたが、印刷業を手掛けていたので紙の良さをよく分かっていましたし、世代や利用シーンを考えると、ハガキはこれからも残っていくだろうと思っていました。「ポスコミ」は利用者に職業や年齢などを入力していただくことで、無料でハガキが送れる仕組みです。このビジネスモデルは大手企業や金融機関からも注目を集め、ファンドを新しく立ち上げてIPO(新規株式公開)を狙おうとするまでの大きな動きになっていたのですが、個人情報保護法の施行によって運用ができなくなってしまいました。

    そんな失敗も経験しましたが、その後は「ふるさと納税」の黎明期から、自治体向けふるさと納税システムの開発に注力するようになりました。それを鳥取県にプレゼンした結果採用されたので、同県のふるさと納税システムを制作しました。そして、2013年に鳥取県がふるさと納税の寄付額で日本一になった。鳥取県のふるさと納税に注目が集まると同時に、当社のふるさと納税システムも「使いやすい」との評価をいただき、自治体導入実績は国内ナンバーワンまでに成長していきました。

    IT事業への転換後も次々と画期的な事業を創出されています。その中で意識されていることはあるのでしょうか?

    髙下氏:コミュニケーションですね。やはりトレンドは重要ですから、時代を感じ取るためにいろんな業種の人と出会うことではないでしょうか。

    私自身、ビジネスは楽しくやるものだと思っているので、それを社員にも伝えるように意識してきました。そして、社員を含めた周囲の皆様からの応援によって私たちはチャレンジし続けられ、ここまで成長できた。これを還元するためにも、社会貢献をしたい思いも強く持っていますね。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    「社員」「お客様」「地域」を、これからも守っていく

    M&Aを検討したきっかけについてお聞かせください。

    髙下氏:私は今年72歳になるので(取材時)、いずれの形にせよ後継者が必要な時期だと思っていました。ただ、当初はM&Aをすることにメリットを感じていませんでした。後継者探しでは、社外から次期社長の候補まで見つけていましたが、入社直前に辞退の申し出を受けまして。そのタイミングでfundbookからM&Aの話を伺い、検討してみようと考えました。

    実績が豊富なエッグ様とのM&Aに、多くの企業が手を挙げられました。最終的にスカラ様を選ばれた理由は何でしたか?

    髙下氏:「社員」「お客様」「地域」、この3つを守ってくださいと候補先各社に要望しました。私からの願いに対して、一番真摯に向き合ってくださったのが、スカラの梛野憲克社長だったのです。

    山崎氏:当社も髙下さんのご意向と同様に、鳥取に拠点を置くエッグさんと、東京の上場企業である当社のインパクトの違いを考慮し、鳥取県発祥の企業とそのビジネスモデルを大事にしていきたいと強く思っていました。鳥取県内で働かれている従業員の皆様もいますから、鳥取―東京間の交流とコミュニケーションは活発に行いながら、今まで通りの拠点でやっていきましょうという話で合致しています。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    スカラ様にとっては、エッグ様のどういったところに強みやシナジーを感じられましたか?

    山崎氏:スカラグループ(以下、スカラ)は「医療と健康」「農業と食」「教育」「地方創生」をテーマに事業展開しており、特に「地方創生」の分野では、私たちもふるさと納税のサポートを手掛けてきた実績を持っています。そうした経緯から、エッグさんのノンネームシート(譲渡企業の匿名情報)を拝見した段階ですぐに興味を持ちました。その後エッグさんの社名が公開された時、私は非常に驚きましたね。というのも、私は前職に在籍していた2016年に、実は髙下さんと一度お会いしたことがあったんです。髙下さんはいろんな分野に好奇心をお持ちで、やりたいことがたくさんある人だという印象があったので、きっと私たちと相性が合うに違いないという自信を持ちましたね。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    まさに「やりたいことがたくさん」を体現されているように、エッグ様は今、ふるさと納税システムのみならず、フレイル早期発見システムにも力を入れられています。

    髙下氏:7年前、当社がふるさと納税システムを始めた頃は、市場はブルーオーシャンでした。さらに、実績主義の行政からも信用が得られたことで、みるみるうちに普及していきました。ふるさと納税自体の市場は今後もまだまだ伸びると思いますが、参入企業が増えたために、今はレッドオーシャンになっています。その状況に対して冷静に判断した結果、ふるさと納税システムを続けながらも、ほかの分野にも目を向けるようになったのです。

    そこで、4~5年前に「認知症早期発見システム」を開発しました。それを東京大学で老年病を研究している鳥取県出身の教授に見せたところ、「これからは認知症よりもフレイルだよ。フレイル全体を網羅したシステム開発をしてみたらどうか?」と言われたんです。その時はフレイルという考え方があるのかと衝撃を受けましたね。それがきっかけとなり、フレイルの早期発見システムへの開発に舵をきりました。現在は、「フレイルを早く発見する⇒自治体が介入指導する⇒本人が元気になる⇒介護率と介護保険の財政負担が軽減する」を実現できるビジネスに力を入れているところです。

    スカラ様は、フレイル早期発見システムという新しいアイデアを聞かれたときに、どのような印象を持たれましたか?

    辻氏:スカラとしても「医療と健康」の事業を強化するタイミングだったので、フレイルは事業ポートフォリオの重要な一つになるのではないかと思いました。それに、まだ世に浸透していない時期にふるさと納税システムを手掛けられてきたエッグさんが、次はフレイルの早期発見に取り組まれている。髙下さんに先見の明があるのは証明されていますし、当社の「医療と健康」の事業ともシナジーが生まれるという判断に至りました。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    山崎氏:最初はふるさと納税システムの実績が目に留まるものですが、面談のときから「これからはフレイルの事業だ」と何度も主張されていたので、髙下さんのバイタリティーや好奇心には驚かされるばかりでしたね。

    熱意が込められた“異例”の企画書。夢の実現に向けて提携

    「地方創生」だけでなく、「医療と健康」の分野でもシナジー効果の強い両社様ですから、成約までスムーズに進まれたのではないでしょうか?

    辻氏:実は当社以外にも10社ほどが手を挙げており、そのなかからエッグさんに選んでいただかなければいけなかったので、当社にとっては容易な道のりではありませんでした。3カ月間は毎日のようにfundbookのアドバイザーと会話していましたね。

    山崎氏:最初の面談から、髙下さんは「具体的に何をするか」までの提案をすごく期待されていました。しかし、当社はグループ全体で幅広い事業を展開しているので「いろんなことができます」という提案になってしまったんです。そのときの髙下さんの物足りない感じが、私には強く伝わってきまして。それと同時に、「M&A後の会社は任せる」という経営者も少なくないなか、「社員や会社の未来を、どう描いてくれるのか?」と、熱心に聞かれる姿勢はすごいなと思いました。面談後、アドバイザーからは、「髙下さんがおっしゃった3つの要望をしっかり要素に組み込んで、熱意を伝えましょう」と提案いただき、チーム一丸となって形にしてきました。

    辻氏:それで、エッグさんに渡す意向書に、「一緒にこういうことをやりましょう」という企画書まで付けさせていただいたんです。一般的にはあまりないケースだと思います。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    書類にもスカラ様の熱い思いが込められていたのですね。受け取られた髙下様は、どのようなお気持ちになりましたか?

    髙下氏:山崎さんが勘づかれた通り、最初は具体的に何ができるのかが、私にはよく見えていませんでした。ただ、初回の面談以降は、その企画書含めてどんどんと熱意が伝わってきたのです。私としては、フレイルやふるさと納税にしても、実現したい夢がちゃんとあるので、それらをしっかり話し合いながら応えてもらえるだろうなと。提携が決まってからもいろんな話が具体的に進んでいるので、良い方向に進めていると実感しています。

    M&Aについて、エッグ様の従業員の皆様はどう反応されましたか?

    髙下氏:私は「M&A」という言葉をほとんど使わずに、「経営統合」と言い続けてきました。それでもやはり、最初は皆不安だったと思います。しかし、スカラさんから多くの従業員の方が米子に訪問してくださるうちに、だんだんと気持ちが和らいでいき、今では自分で夢を追っているような生き生きとした雰囲気が高まっているほどです。私からも「上場企業のグループになって安定するかもしれないけど、これまで以上に責任を持ち、夢を持っていこう」と、常々話しています。「次に何をするか」が、しっかりと語れる企業になってきていると思いますね。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    珍しいのが、M&A成約前から両社間で交流を深められていたとお聞きしました。

    辻氏:M&A成約前から両社でPMIのチームを組んで、頻繁にコミュニケーションをとってきました。今では週に一度の定例会に留まらない頻度で会話が活発に行われていますし、オリエンテーションをやろうという企画がお互いから挙がっているぐらいです。

    山崎氏:面談の段階から、両社のトップ抜きで従業員同士が話をする機会も設けてきました。珍しいケースかもしれませんが、あまり特殊だという風には思っていません。現在、私たちPMIチームのコミュニケーションと並行して、実務の方もお互いの拠点を行き来しながらすでに業務が進行している状況です。

    髙下氏:スカラの皆様は、当社の社員ととても積極的に交流をしてくださっていますね。社員同士の交流が一番だと思っているので、アクティブにコミュニケーションを取っている様子を見ていると、非常に良い状態が作られているなと思うばかりです。

    それに、すでにスカラさんから次期社長となる人が当社に来てくれているのですが、私の比じゃないほど前向きでチャレンジ精神が豊富な方なんです。「この人についていけば大丈夫!」と社員から思われる、頼もしい存在となっていますね。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    企業として、個人として、成し遂げたい社会貢献活動

    これからの協業の構想や、ビジョンについてお聞かせいただけますか?

    辻氏:従来からスカラは、企業と自治体との“共創”によって様々な社会課題を解決していくサービス「逆プロポ」に力を入れてきました。取り組みの一例が「マルチエントリープラットフォーム」の開発です。例えば、災害発生などの緊急時に、現状では住民が求めるスピードで物資や給付金等の支援ができていない場面が多いと思います。住民それぞれの困っている内容が異なっていても、1つのプラットフォーム上であらゆる住民サービスが申請できるようになれば、人々が安心安全に暮らせる環境が提供できるのではないだろうか――。そんなシステムを目指して、「マルチエントリープラットフォーム」の開発と実証実験を自治体とともに行っています。今後は、全国の自治体とリレーションを持たれているエッグさんと手を組み、開発に勢いをつけていきたいと考えています。

    米子にお伺いしたときから、困っている人に寄り添ってサービスを創り上げられているエッグさんと、私たちの“共創”の考え方は非常に共通していると思っていたので、両社がパートナーとなって一緒に取り組んでいけるこれからがとても楽しみです。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    髙下氏:行政は今まさに「マルチエントリープラットフォーム」のようなシステムを求めていると思います。そして、両社が手を組めば、その実績となる自治体を鳥取県で作って、横展開する進め方がしやすくなると確信しています。当社はこれまで、行政や自治体の悩みに寄り添う“課題解決型”の会社として運営してきましたから、このノウハウをぜひ、スカラさんに取り込んでいただきたい。スカラさんなら十分に実現できると私は思っています。

    山崎氏:加えて、フレイルに関する事業もしっかり立ち上げていこうと動き始めています。フレイルを追求すれば、社会保障問題や地方の過疎化といった、社会課題の大きなテーマにつながることは明らかです。エッグさんと自治体と当社は、言わば“共創パートナー”ですから、課題解決に向けてしっかりと手を取り合いながら、前向きに取り組んでいきたいですね。

    髙下氏:私たちのサービスによって介護費用が減少するというエビデンスがとれれば、行政からの利用は一気に広がると思うので、今もまさに大学の協力を得ながら研究を続けているところです。フレイルの予防・改善は、運動や食事、健全な精神状態の維持と密接に関係しています。スカラさんは幅広い事業を手掛けられていますから、早期発見システムに留まらず、一貫したサポートができる仕組みを構築できるのではないかと期待しています。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    「社会課題の解決」という共通の目標に向かう両社様の取り組みを楽しみにしています。最後にぜひ、皆様から今後の抱負についてお聞かせください。

    辻氏:当社はミッションの一つに「究極の社会貢献をめざす」と掲げている通り、強みであるITを活用して、社会に潜む様々な課題を解決しようとしています。今取り組んでいる「マルチエントリープラットフォーム」やフレイルの分野以外にも、社会課題はまだまだ多いはずです。それらを見落とさない視野を持って、社会に貢献できるサービスにつなげていきたいと思っています。

    山崎氏:市町村合併によって自治体の数は減ってきていますが、機能が集約される分、新たな課題も発生している状況です。自治体が生活基盤を支えているわけですから、その課題を放っておいてはいけません。エッグさんと当社の強みは掛け算になりますから、今後はより積極的に自治体に入り込んでいき、社会の発展に貢献する企業として責務を果たしていきたいです。

    髙下氏:スカラさんは“課題解決型”のエッグと考え方が共通していて、なおかつ行動力のある人たちの集まりなので、夢を実現してくださる企業だと私は思っています。行政課題に対しても「逆プロポ」という優れた制度をお持ちですから、エッグでもぜひその武器を使わせていただきたいです。

    それともう一つ、私個人としても次の目標を持っています。経営からリタイアした後も、地域にしっかりと利益をもたらすような起業人を育てていきたいですね。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」
    左から、山崎氏、髙下氏、株式会社スカラ代表取締役 梛野憲克氏、辻氏

    M&Aは、経営が一緒になって前進する“共創”を表した形

    株式会社エッグ

    代表取締役 髙下 士良氏

    事業承継を考えた当初、私の選択肢にM&Aはありませんでした。しかし、実際にM&Aを実施すると、譲受企業との交流や協業によって、以前に増して社内が生き生きとし始めましたから、今となっては全面的に肯定する立場です。

    譲受企業のスカラは“共創”の考え方を大事にしていますが、M&Aは経営が一緒になってともに前進する、まさに“共創”を表した形ではないでしょうか。両社が同じ目的、同じ方向に進んでいれば、“共創”の原理にちゃんと従っているのだろうと私は思います。

    近い将来、次期社長に経営を承継する日が訪れますが、それは決して惜しいことではありません。会社というのは個人のものではなく、従業員やその家族も含めた組織体です。社員が夢を見続けられる企業でいられるよう、次期社長にも大きな期待を寄せています。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    M&Aがより一般化しても、やはり重要なのは「人の気持ち」

    グリットグループホールディングス株式会社     代表取締役      

    株式会社スカラ 戦略投資事業部

    山崎 秀人氏

    M&Aと聞くと、以前は精神的な面でも負担の伴う手段という印象が強かったと思いますが、今後はますます一般的になるのではないかと予想しています。ただ、ニーズが増えたとしても、やはり人の気持ちがとても重要なポイントになる。そのためには、しっかりとコミュニケーションをとりながら、丁寧に進めていくこと。私自身もM&Aによってスカラに入ってきた立場ですし、これまで数十件のM&A案件を手掛けてきた経験からも、これは確実に言えます。

    今回は地方の有力企業であるエッグさんとのM&Aでしたので、これまでの当社の事例からしても珍しい案件となりました。しかし、大切なことは「その会社がどういう考えを持って、何をしているか」です。拠点を意識しない、ボーダレスなM&Aが進んでいけば、これからもより多くの可能性が広がっていくのではないかと思っています。

    熱意が結んだM&A、共創で目指す「社会課題の解決」

    担当アドバイザー コメント

    この度は、地方都市から全国展開を目指す企業様と、首都圏の上場企業様との企業提携のお手伝いをさせていただきました。

    一般的に、中小企業には営業、案件、人材、技術、ネットワークなどすべてのリソースが揃っているわけではありません。M&Aを通して、譲渡企業は新しい技術・開発案件に触れる機会を創出することや、世の中のニーズに対してアンテナを高く持つ機会など素晴らしい環境を作ることができます。また、それは譲受企業の従業員にとっても同様で、エッグ様との提携を通してこれまでとは違ったものの見方で新たなビジネス創出をしていくチャンスを得ることができたと思っております。

    昨今、世の中の情勢も非常に変化の激しい時代になってきております。自社の事業を1社単独で圧倒的シェアを取っていくのは相当なハードルがあり、その点においても、この提携が今まさに取組中のフレイル事業の全国展開を後押しできれば、我々としてもこの上ない幸せです。

    fundbookの役割は、経営陣の想いを引継ぎ実現するためのベストなパートナーをお繋ぎし、会社が一段上のステージへ進むお手伝いをすることです。その意味でも、今回は複数社からの提携オファーをご提示することで、高下社長及びエッグ様にとって幅広い選択肢の中からベストなパートナーとの企業提携をご選択いただけたと思っております。

    エッグ様がスカラ様というパートナーとともに、さらに成長される未来をとても楽しみにしております。

  • 急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    1992年の設立から30年を迎えた有限会社六ツ星運送。長年にわたって本社を置く徳島県と関東間の長距離輸送を手掛け、地元企業の物流に大きく貢献してきました。多くの企業から必要とされ、順調に成長してきた六ツ星運送ですが、ここで一つの大きなハードルが立ちふさがります。それが物流業界における、「2024年問題」です。

    働き方改革関連法の施行に伴い、あらゆる企業が労働時間の削減に取り組んでいますが、長距離輸送のビジネスにおいては、ドライバーの長時間運転が求められるため、他業種以上の困難が伴います。企業が存続し、発展していくためには、どのようにして社会の変化に対応し続ければいいのか――。そう考えた創業者の山本訓資氏は、5年ほど前からM&Aを検討し始めました。

    そして2022年4月、同じ物流業のなかでも、異なる事業を手掛ける株式会社五健堂とのM&Aが成約。決め手は、五健堂の蓮尾拓也代表取締役社長が持つ考えに大きく共感したからだそうです。M&A後、山本氏は五健堂の取締役に就任。六ツ星運送の社長も続けながら両社で手腕を発揮されています。さらに、六ツ星運送は今後、グループ全体の強みを糧にして、同業者の譲受を計画しています。ハブとなる拠点を増やすことで、ドライバーの労働時間削減と持続的な成長を実現すべく尽力しています。

    山本氏と五健堂の蓮尾拓也代表取締役社長に、M&Aに対するお考えや今後の展望についてお話を伺いました。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    設立から30年。会社の存続と今後の発展のために決断したM&A

    1992年設立の六ツ星運送様。山本様にとってどのような30年間でしたか?

    山本氏:30年の月日は長いようで短くもありました。その時代や会社の成長段階ごとに色々な思いを持ってきましたが、やはり年を重ねるごとに、お客様や従業員に対しての “責任感”はしだいに強くなっていきましたね。30年の間に物流業界を取り巻く環境や法律も大幅に変わり、それと同時に背負っているものが変わったり、重みを増したりしてきたので、自分自身も変化を続けてきたように思います。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    「業界の変化」とありましたが、今の物流業界にはどのような課題があると感じられていますか?

    山本氏:物流業界では、働き方改革関連法の施行に伴って生じる「2024年問題」が目前に迫っています。「時間外労働時間の上限規制」が、2024年4月から自動車運転の業務にも適用されるため、長距離ドライバーの働き方の整備が急務となっています。当社は徳島から関東間の長距離輸送をメインに手掛けているので、一度の運送が長時間になってしまい、2024年問題を乗り越える対策を講じることが喫緊の課題なのです。

    蓮尾氏:もう一つ、課題として挙げられるのが高齢化ですね。かつては18歳で普通免許を取得すれば、中型トラック(4tトラック)の運転も可能でした。なので、免許を取れば若くして高い収入が得られる点を魅力に感じて、運送業に就く人は非常に多かったと思います。それが免許制度の改正に伴って、2007年に「中型免許」の区分が新たに設立され、中型免許を取得できる年齢が20歳以上になりました。つまり、トラックを運転するための条件に制限がかかるようになったのです。安全面では、良い改正だということは私たちも重々理解しています。ただ、これまで運送業は18歳で就職する人にとっての大きな受け皿となっていました。それが、免許制度が改正されたことによって、入社してすぐ運転ができなくなり、若い人材が入りづらい業界となってしまいました。こうした背景も、高齢化と人手不足が進む大きな要因になっています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    物流業界の課題はM&Aの検討に大きく影響したと思いますが、六ツ星運送様が検討を始めた時期や理由についてお聞かせいただけますか?

    山本氏:4〜5年前に、最初は譲受する側としてM&Aを検討していました。ただ、M&Aの価格相場や算出方法がわからなかったので、「たとえば自分の会社を売る場合だと、どのように算出し、どれくらいの価値になるのだろう?」と思い立ち、調べたことがきっかけでした。私は、今後の運送業界において、中小企業が1社で改正に対応していくのは非常に困難だと感じていたので、fundbookに相談する中で「先行きが不透明な同業者を譲受しても、当社にとってはかえって負担になってしまう可能性がある」と考えるようになったのです。M&Aを検討するうちに「会社の存続と発展のためならば、会社を譲渡するという手段もあるのではないか」と考えるようになったことで、譲渡する側としての本格的な検討が始まりました。

    「六ツ星運送の経営を続けてほしい」の言葉が決め手に

    数社と面談された結果、五健堂様とのM&Aを希望された決め手は何でしたか?

    山本氏:蓮尾社長の考えと、五健堂さんの経営方針に大きく共感したからです。1社単独で運営していたら常に利益の確保が必要で、利益を下げることもできなければ、利益がトントンであっても会社は継続できません。しかしM&Aを活用してグループの中に入れば、例えば当社が労働時間の削減に取り組む間、一時的に利益が落ちたとしてもグループ内で利益を補完し合える。それが一番のメリットでありグループの強みだということを、今もまさに蓮尾社長と話しています。

    蓮尾氏:同じ物流・運送業であっても長距離輸送の六ツ星運送さんと、食品を中心に関西近郊での配送を行う当社では、手掛ける事業がまったく異なります。当社がM&Aを積極化させている理由は、“関連多角事業”を展開することによってリスクヘッジをしながら、グループ各社が着実に成長できる基盤を作るためです。当社は「食品」の繋がりで、物流だけでなく飲食店の運営も手掛けていますが、コロナ禍では売り上げの2割を占める飲食事業が大打撃を受けてしまいました。しかし、スーパーマーケットやコンビニ向けの配送が巣ごもり需要で好調だったため、結果的に業績は向上しています。もし事業を一つに絞っていたら、太刀打ちできなくなっていたでしょう。だからこそ、同じ物流業でも違う事業を手掛ける六ツ星運送さんとぜひ手を組みたいと強く感じたのです。

    山本氏:蓮尾社長が私に「六ツ星運送の経営を続けてほしい」と仰ったことも決め手でした。だから実際に譲渡はするものの、気持ちとしては「譲渡をした」という感覚がないんですよね。M&A以前から、「譲渡をしたら経営から一切手を引く」という認識が私の中にはなくて、むしろM&Aが成約した後もどんどん自社を飛躍させたいという思いでいっぱいだったんです。蓮尾社長は気さくに話を聞いてくださりますし、当社の展望に対しても「思うようにやってや!」と背中を押してくださるのでとても心強いです。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    蓮尾様は六ツ星運送様の方針や山本様の考えを尊重されている印象を持ちました。

    蓮尾氏:当社は「M&A=買収」という考えはまったくなく、第一には“運送連合”を作りたいという考えを持っています。つまり、会社同士を一つにまとめるのではなく、皆で手をつなごうという考え方です。同業であっても分野が違うので、六ツ星運送の専門分野は、山本社長の方がはるかに明るいことに間違いありませんから、これまでの考え方とやり方で成功されてきた六ツ星運送さんに、当社の考えを押し付けようなんて思いは一切ありません。それに、山本社長は経営から手を引くために譲渡したのではなく、これからも成長していくために当社と一緒になったわけですからね。

    私も山本社長も、いつかは経営から退く日がやってきます。しかし、その後も会社を存続させなければいけません。存続させるためにはどういう選択肢が良いか、模索し続けるのは両社とも同じ。同じ経営者としても、いつまでも六ツ星運送らしくあり続けてほしいと思っています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    後継者がいるなかでの譲渡という選択

    六ツ星運送様には山本様の息子さんが後継者として入社されていますが、そのなかで譲渡を選択されたことには、どういった思いがありましたか?

    山本氏:M&Aという選択は、後継者のためでもありました。「後継者がいるのに、なぜM&Aをするのか」と言う人もたくさんいますが、私からすると、広い視野の中から会社にとって最善の道を選ばなければ、会社の未来を何も考えていないのと同然です。仕事やビジネスは時流に乗っていかなければいけませんし、意地だけで頑張って何とかなるものではないと痛感しているからこそ、M&Aに踏み切って存続と発展を目指したのです。

    蓮尾氏:中小企業の社長が自分のご子息に会社を継がせる理由には、例えば債務があって他人に継がせられなかったり、従業員が承継するには、後継者が株式を取得する資金の確保が難しかったりと、色々な事情があると思います。ただ、自分の子どもに継がせるにしても、好景気のときならまだしも、経済成長が鈍化しているなかではすごく怖いものです。まして今、物流業界では2024年問題が目の前に迫っている。そのなかでの山本社長の判断は、私も同じように子どもを持つ立場として非常に大きな共感を持つばかりです。

    M&Aの話をされたとき、山本様の息子さんはどのような反応を示されましたか?

    山本氏:将来会社を継ぐために、大手企業で7年ほど下積みをして帰ってきたところだったので、譲渡をすると話したときには「せっかく下積みをして帰ってきたのに、譲渡するなんておかしい!」と言われたのが最初の反応でした。しかし、息子は他社で色々な業務を手掛けてきていたので、視野の広さや物事を高い視座から見る力がぐっと身についていたのでしょう。ちゃんと話をすると、業界の状況や時代の流れをすぐに理解し、M&Aの決断に納得してくれました。蓮尾社長も、息子と何度も会ってくださって、話すうちにより安心できたのだと思います。今はM&Aという判断をして良かったと本人も思ってくれています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    蓮尾氏:息子さんが六ツ星運送さんを継いで、社長になるまでが山本社長の責任だと思いますし、私も当社の後継者を育てていくまでが責任だと自覚しています。当社は今回5社目の譲受になりますが、これまでは私の父親世代の社長が引っ張ってきた会社を譲受してきたので、後継者がいる会社を譲受したのは六ツ星運送さんが初めてです。親心としての不安はあっても、同時に次世代への大きな期待も持っていますね。

    「六ツ星運送らしさ」はそのままに、さらなる飛躍を”共に目指す”

    蓮尾様は面談の段階から山本様に五健堂様の取締役に就任いただくようオファーされ、M&A成約と同時に就任されました。そこには蓮尾様のどういったお考えがあったのですか?

    蓮尾氏:六ツ星運送さんをここまで成長させてこられた山本社長の経営手腕が当社にとっても魅力だったことはもちろん、「一緒に飛躍しましょう」という気持ちの表れでもあります。当社は2021年10月にTOKYO PRO Marketに上場し、株価と企業価値を高めるように努めながら、ゆくゆくは一般市場への上場も目指しています。山本社長には取締役として当社の株主になっていただければ、株価が向上したときに、山本社長が頑張って育ててきた六ツ星運送さんの評価にもつながる。六ツ星運送さんらしい経営を続けていただきながらも、一緒に努力しましょうという気持ちは共にしていきたいんです。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    五健堂様とのM&Aについて、六ツ星運送様の従業員の皆様の反応はいかがでしょうか?

    山本氏:私としても、やはり従業員のことは一番気にかけていました。M&Aと聞くと、譲受企業が社内に入ってきてあれこれと指示されるといったイメージがどうしてもあったようで、従業員は不安な気持ちになっていたようです。ですが、先ほど蓮尾社長が仰ったように、五健堂グループになっても六ツ星運送は六ツ星運送のまま、何も変わっていません。その上、五健堂さんの取締役のポジションまで用意していただけたので、従業員も非常に安心しています。

    2024年問題が目前に迫っていても、「このまま行けるところまで行く」という考えではいけません。なぜなら、経営者が退いた後も会社は存続していかないといけませんから。ドライバーは言うならば技術職なので、年功を積むほどに熟練する一方、急に明日から別の仕事に就くことは難しい職業です。行けるところまで行った結果、働き方改革関連法に抵触して会社が営業できなくなってしまえば、従業員の職を守る経営者の責務が果たせません。最初に申し上げた“責任感”は、まさにここにも通じています。M&Aによって2024年問題を乗り越えられる盤石な体制を作り上げようとしていることは、従業員にも十分伝わっているように思います。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    物流を通して地域と社会に貢献する企業を目指す

    今後の展望についてお聞かせください。

    山本氏:2024年問題の労働時間の上限をクリアするために、今後は当社がM&Aで同業者を譲受して、地方の拠点を拡張していくよう動き始めているところです。徳島から関東間の輸送では、距離的にも時間的にもちょうど名古屋が中間地点にあたるので、名古屋に拠点を持つ企業を譲受してハブのようにしていきたいと構想しています。

    蓮尾氏:譲受するための資金を1社で用意するのは大変なことですが、グループであれば皆で助け合えるので、資金の面でもすごく楽になりますよね。それに、M&Aで良縁があっても資金面で諦めてしまうと、譲渡企業・譲受企業の双方にとって成長の機会を逃してしまうことにもなりかねませんから。六ツ星運送さんにはグループとしての強みを存分に活用していただきたいです。

    山本氏:蓮尾社長の「六ツ星運送さんのままでやってね」という言葉はすごく嬉しかったですし、五健堂さんと一緒になったことで当社が描いている未来も現実化に向けて着実に前進しています。これはもう、ありがたいとしか言いようがありません。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    今後の物流業界において、グループとして社会にどのような貢献をしていきたいと考えられているか、最後にお聞かせいただきたく思います。

    蓮尾氏:今の日本の物流は、無駄な運行が多いのが実情です。私たちが目指しているのは決して安い運賃でたくさん走るのではなく、合理化・効率化して無駄を最小限にすることであって、それこそが物流業界が取り組むべき課題だと考えています。合理化・効率化ができれば、二酸化炭素排出量や労働力不足などの問題も軽減していけますからね。また、物流業はお客様が繁栄していくためのお手伝いをする、縁の下の力持ちとしての役目であることは今後も変わらないと思います。お客様が商品を作り、消費者の手に渡るまでの大部分を物流会社が担っているので、“運ぶ”という作業だけでなく、物流全てのプロセスを通して社会に貢献していきたいです。

    山本氏:「縁の下の力持ちとしての役目は変わらない」と蓮尾社長が仰るように、私も物流業は社会からなくなることのない仕事だと思っています。だからこそ、継続できる企業にならなければいけません。これまで当社が拠点としてきた徳島や関東、五健堂さんの拠点である京都のほか、今後も配送拠点を増やしていく計画ですので、それぞれの地域で企業の皆様の繁栄に貢献できるような六ツ星運送へと、さらに成長していきたいと考えています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    M&Aは企業の存続と発展を実現する手段

    有限会社六ツ星運送
    代表取締役 山本 訓資氏

    企業は利益の確保が大事であることはもちろんながら、その大前提としてコンプライアンスを遵守し、継続できる体制が求められています。働き方改革関連法に伴う2024年問題や、度重なる免許制度の改正など、設立した30年ほど前とは比べものにならないくらい物流業界を取り巻く環境は変化しており、私たち経営者はしっかりと対応していかなければなりません。

    ただ、1社で何とか対応しようとしても困難なことだってあります。今の当社は、M&Aによってグループの強みを最大限に活用させていただき、コンプライアンスを遵守できる会社づくりに集中できるようになりました。これは企業の存続には不可欠な過程です。

    次は当社が譲受する側としてM&Aを進める立場になれることも、今回のM&Aが成約したおかげです。M&Aは企業の存続だけでなく、発展を実現する手段として有効だと実感しています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    互いに手を取り合い、社会の変化に対応しながら成長する

    株式会社五健堂
    代表取締役社長 蓮尾 拓也氏

    創業者の多くは、健康である限りずっと経営者を続けたいと願っていると思いますが、やはり人間ですからいつまでも続けられません。その引き際を考えたときに、M&Aという手段がある時代で良かったと思います。昔のようにM&Aが主流でなければ、すごく苦しかったのではないでしょうか。

    経営者は法律の改正や、時代の流れに対応しながら会社を成長させなければいけない、まさに“変化対応進化業”が仕事です。その変化への対応が1社では難しい場合も、グループならお互いに手を取り合いながら乗り越えられる。それがM&Aの利点として非常に大きいのです。例えば燃料費の高騰に際しても、1社単独ではお客様に運賃の値上げを申し出づらいところ、複数社であれば正当な交渉がしやすくなる。つまり、社会の変化に合わせながら健全な運営を続けていけるということです。

    人口減少や経済状況の変動など、一見すると企業運営にマイナスと思われる変化も、それらにしっかり対応していればグループ各社の成長は続けられる。私はそう考えています。

    fundbookのアドバイザーはいつも私たちの希望や心情を機敏に察してくださり、大きな信頼を寄せているので、今後もぜひお付き合いいただきたく思っています。

    急激に変化する物流業界。M&Aの選択で共に描く未来とは

    担当アドバイザー コメント

    今回は、物流業界が今後直面する2024年問題を解決するために、後継者がいながらも譲渡を決断した企業様と、株式上場を果たし今後の更なる成長のために積極的にM&Aを推進する企業様の戦略的資本業務提携のお手伝いをさせて頂きました。同じ物流会社でありながら「異業種」同士のM&Aであったと感じています。

    六ツ星運送様は地元徳島から関東への長距離輸送を得意とし、高利益体質で財務基盤は盤石でした。ご子息が社内に在籍しており、株式や経営の承継も進めておられる状況であり、外部から見ると今回の株式譲渡は「?」がつくかもしれません。一方で、長距離輸送会社が直面している2024年問題は自社だけでの解決は困難であり、今後も従業員や取引先への責任を果たすためにはM&Aしかないという考えもお持ちでした。

    五健堂様は地元京都において盤石な顧客基盤を持ち、安定的な利益を生み出しているものの、株式上場を果たし今後の企業発展にはM&Aは必要不可欠な手段であるとの考えから、現在も積極的にM&Aを推進しておられます。

    両社は同じ物流会社ではあるものの、六ツ星運送様は長距離輸送、五健堂様は近距離定期輸送と、物流に対する考え方は全くの異業種同士です。

    そんなお二人が初めてTOP面談で意見交換をされたときのことを今でも鮮明に覚えています。初めはどこか話も噛み合わなかったのですが、今後の事業戦略の話に進むにつれて議論は盛り上がり、TOP面談の最後には御両社ともに今回のM&Aを決断されていたのだろうと感じています。

    今後も私たちfundbookは、企業の経営課題解決の手段であるM&Aを通じて、関わる全ての人の成功を創出します。

  • インタビュー

    2021年10月1日、譲渡成立

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    レジのPOSシステムが国内で普及し始める以前から、POS事業に携わってこられた勝山徹氏は、1991年に株式会社日本システムプロジェクトを設立。常に時代のニーズを捉えた事業を展開し、現在はセルフオーダーシステムや「配膳ロボット」など、飲食店のホール業務に役立つシステムが国内外の多くの飲食店で導入されています。

    様々なアイデアを商品化してきた勝山氏ですが、多くのベンチャー企業が登場する中で、「自分の経営で本当にいいのか?」と悩まれた時期があったと言います。加えて、コロナ禍では非接触を実現する商品の受注が増加したものの、これから不確実性が高まる時代ではパートナー企業が必要だと考えるようになり、2020年頃からM&Aを本格的に検討し始めました。

    その後、「寿司ロボット」「ご飯盛り付けロボット」など、飲食店の厨房での省人化・省力化サービスで業界をリードする鈴茂器工株式会社と出会い、2021年10月にM&Aが成約。飲食店のホールと厨房が連携する包括的な業務効率化サービスや、フードテック技術を活用した新規事業に向けて、両社の協力はすでに始まっています。

    勝山氏と鈴茂器工執行役員の秋田一徳氏に、M&A成約までの経緯や両社様のシナジー、そして目指す未来についてお話を伺いました。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    飲食店を厨房の内外それぞれから支えてきた2社

    日本システムプロジェクト様の創業の経緯をお聞かせください。

    勝山氏:私は以前勤めていた会社で、レジのPOSシステムを手掛ける事業部に所属していました。店舗にPOSを導入し、運用していただくサービスでしたが、あるとき会社がM&Aによって別の会社のグループになり、POS事業部も統合されることになったのです。新しい事業部には3年ほどいましたが、これまでのサービス形態や考え方に相違を感じ、独立する形で1991年に日本システムプロジェクトを設立しました。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    創業から30年。会社を経営する上で、どのようなことを心掛けてこられましたか?

    勝山氏:一番は「継続」です。やはり、会社を経営するからには黒字を維持しなければいけないと考えていました。POSを導入する業界は、スーパーマーケットやドラッグストアなどの物販を手掛けるリテール業と、飲食店などのサービス業の大きく2つに分けられます。リテール業は資本力のあるナショナルチェーンに個店が淘汰されている一方、サービス業は今なお個店が健在といえます。加えて、飲食店の場合はチェーン店であっても個々の店舗がPOSを発注しているように、リテール業ほど本部と連携する必要がない。こうした市場の変化と業界の特性を見極めて、提供するサービスを全て飲食店向けに切り替えて事業を継続してきました。

    鈴茂器工様も飲食業向けのサービスを展開されています。業界にはどういった課題があると感じられていますか?

    秋田氏:当社は1961年に創業し、製菓機械の開発・販売を手掛けていたのですが、当社の創業者である鈴木喜作が、日本の減反政策に憤慨し、日本の米の消費量を拡大していきたいという思いに駆られて、1981年にお寿司のシャリ玉を作る「寿司ロボット」の1号機を開発しました。それ以降、「海苔巻きロボット」や「ご飯盛り付けロボット」などさまざまな米飯加工機械を開発し、40年にわたって飲食業界を支援してきました。例えば、一皿100円台の回転寿司店がこれほど多く展開できる裏で、店舗の省人化・省力化ができる当社の機械の貢献度は大きかったと自負しています。特にここ数年は、省人化・省力化のニーズが非常に高まっていると感じています。飲食店のオペレーションやコストをより効率化させていくには、一つの業務を手助けする機械をパーツごとに導入するだけでは限界があります。厨房、ホール、発注業務など、店舗を包括的に最適化するための施策が大きなニーズであり、課題になっていると考えています。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    三本の矢のように強固になるため、M&Aを本格的に検討

    勝山様がM&Aを検討されたきっかけは何でしたか?

    勝山氏:今から5~6年前に遡りますが、さまざまなベンチャー企業が登場し、新しい考え方や違った世界が出てくる中で、「自分の経営で本当にいいのか?今まで通りに製品を作って売るままでいいのか?」と悩んだことがありました。そうしているうちにコロナ禍になってしまい、飲食店が大打撃を受けたのです。「配膳ロボット」やセルフオーダーシステムなど、非接触を実現する製品が注目を集めたため受注は来るものの、製造のサプライチェーンが止まっているゆえに納品が遅れる日々。そのときに、この難局を1社で乗り切ろうとするより、やはり一緒に協力できるパートナーがいれば「三本の矢」のように強固になれるのではないだろうか。同時に、当社の継続のために経営を第三者に任せたほうがよいのではないだろうかと考え、本格的にM&Aを検討するようになりました。

    鈴茂器工様はどのような経緯でM&Aを検討されましたか?

    秋田氏:きっかけは大きく2つあります。まず、先ほどお話したような飲食店が抱える課題の解決に向けて一緒に取り組める会社を探していたこと。そして、2019年11月に発表した中期経営計画で、米飯に関する事業を一つの柱としながらも、当社の経営資源を活かし、他社と協力して新たな領域に製品や事業を広げていくと掲げたことです。今までは厨房で使う製品だけを提供してきたため、消費者と接するホール向けの製品やサービスを持っていませんでした。それならば、ホールの領域に強い会社と手を組み、飲食店の業務効率化を一貫してサポートできる事業を作りたい。そう考えていた時、fundbookからご連絡をいただきました。

    M&Aを進めるうえで、苦労されたことはありましたか?

    勝山氏:fundbookからは、20社もの譲渡先候補が提案されました。検討するにはさすがに多すぎましたね。M&Aは会社同士の長い付き合いが始まる重要な転機になると思ったので、そこは正直に伝えました。そして、当社に合う1社として紹介されたのが、鈴茂器工さんでした。鈴茂器工さんは業界でも有名なのでもちろん知っていましたし、厨房向けの製品を展開されているのでシナジーもありそうだと思い、話を進めさせていただくことにしたんです。ただ、鈴茂器工さんの存在は知っていても、どういう考えを持たれている会社なのかも分かりませんし、当社や社員が今後どうなっていくのかという心配もありました。なので、お会いするまで不安も大きかったですね。その一方で、鈴茂器工さんは全国や海外にも広く事業展開されていますし、当社と同じようなお客様がいらっしゃるので、営業面や将来性に対して社員も安心できるのではないかという期待も持っていました。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    秋田氏:当社にとっては、自社内の理解を得るまでに時間を要したことが大変でしたね。M&Aの最大の目的は、連結グループの売り上げや利益を今すぐ積み上げることではなく、鈴茂器工グループの一番の強みと財産である販路やネットワークを活かして、お客様の役に立つ新たなサービスを創造することです。しかし、それらを他の会社と共に一緒に作り上げていくのは、簡単にできるものではありません。加えて、厨房向けの製品を販売する当社にとって、ホールは「飛び地」のようなイメージ。なので、社員全員がこのM&Aをすんなり理解できなかったのではないかな、と思います。ただ、日本システムプロジェクトさんは時代の変化に合わせたサービスを提供する柔軟性や、新しいものを取り入れていくスピードと推進力を持たれています。そうした魅力も合わせて、両社で得られるであろうシナジーを、社内で繰り返し何度も説明をし、進めてきました。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    グループ共通のビジョンを打ち立て、経営の方向性を明確に

    2021年10月1日にM&Aが成約しました。そのときの勝山様のお気持ちをお聞かせいただけますか?

    勝山氏:「ほっとした」という気持ちが第一にありました。それは、経営者が背負う重い荷物を下ろしたからという意味ではありません。今まではずっと自分が会社を引っ張ってきましたが、これからは鈴茂器工さんと一緒に経営をしていく形になるので、外からの視点も持てるようになるのではないかと。「自分の経営でいいのか」と悩んでいた時期から一変し、今ではいろいろな方面から自社を見られるようになったことに安堵しています。

    M&Aが決まった際、それぞれの社員の皆様からはどのような反応がありましたか?

    勝山氏:以前からM&Aに向けて動いていると伝えていたため、鈴茂器工さんとM&Aを決めたと発表した際も、特に驚いていた様子はありませんでした。もちろん、どういう会社なのか詳しく分かるまでは不安もあったのではないかと思いますが、成約から半年もすると、皆から「良かった」という反応が出てくるようになりました。

    秋田氏:弊社ではこれまで、お客様である飲食店の皆様に寄り添っているという自負はあったものの、「寿司ロボット」や「ご飯盛り付けロボット」を販売しているだけでは、店舗全体のニーズに十分応えることができないと感じる場面が多々ありました。その中で日本システムプロジェクトさんと手を組んだことで、社員の中にも「お客様の支援に向けて新たな一歩が踏み出せる」という期待が高まったと感じています。

    M&A成約後、まずどういったことに取り組まれましたか?

    勝山氏:成約直後の経営会議で、鈴茂器工さんから「会社にはビジョンが必要」と伝えられました。しかし、これまでの私は営業戦略や商品戦略のような実務的な考えに重点を置いてきたので、最初はビジョンの必要性に疑問を持っていました。ところがその後、いろいろな人と話したり、書籍を読んだりする中で、会社にとってビジョンがどれだけ重要なのかが少しずつ分かるようになってきたのです。先ほど、会社を経営する上で「継続」を重視してきたと話しましたが、継続することは会社そのものの目的ではありません。会社の目的は社会における存在意義を確立していくことであり、そこに向かっていくためには、会社の方向性や目指す姿を明確にしたビジョンが不可欠だと気付きました。また、経営者として会社を継続させようとしても、ビジョンがなければ長期戦略が描けません。これまでは「来期の利益をどうするか」を考えてばかりでしたが、5年先、10年先を見据える考え方を鈴茂器工さんから教えていただき、本当に良かったと思っています。

    PURPOSE:豊かで多様な食生活を世界の人々が享受できる社会の実現
    VISION:食の「おいしい」や「温かい」を世界の人々へ
    MISSION:全てのお客様をシステムで元気にしよう!

    秋田氏:このビジョンは、鈴茂器工でも掲げているものです。当社も日本システムプロジェクトさんも、飲食店などの事業者が直接のお客様なので、BtoB企業ではあります。ただ、その先には最終消費者であるお客様がいます。BtoBtoC企業だという認識をしっかりと持ち、最終的に消費者の皆様にも「おいしい」「温かい」を届けていきたい。そして、「温かい」は物理的な温かさだけでなく、心の豊かさも届けていきたいという考えのもと、このビジョンを策定しました。「手軽で、誰でも、いつでも、どこでも、おいしく、安全に食べられる世界を作っていく」ことが存在意義だと考え、このように明文化しています。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    食の産業をより豊かにするため、広がる構想

    海外進出や、SDGsを重視した取り組みなど、飲食業界を取り巻く環境はコロナ禍以外でも大きく変化しています。今後、飲食業界でどのように貢献していきたいと考えていらっしゃいますか?

    勝山氏:当社は3~4年前から「セルフ」「キャッシュレス」「ロボット」「AI」に注力してきました。特にコロナ禍では、非接触を実現するセルフオーダーやセルフレジのシステムが多く導入され、配膳ロボットも多くの注目を集めました。その恩恵もあり、2022年2月期は過去最高益を記録しました。今後も、こうした製品は飲食店の必需品になっていくと思うので、引き続き時代に合わせた開発・改善に力を入れていきたいと考えています。また、飲食業界は人手不足が慢性的な課題となっています。特にコロナ禍の営業自粛や時短営業などで拍車がかかり、離職率が15%に達したという調査も目にしました。コロナ禍が落ち着いたとしても、離職した人が必ず飲食業界に戻ってくるとは言い切れません。人手が減れば、システムやロボットの需要はこれまでになく高まるので、常に時代のニーズを汲み取ったサービスの展開を心掛けていきたいと思っています。

    秋田氏:勝山様がおっしゃる通り、飲食店の皆様は以前までと次元が違うほどに人手不足なので、私たちもオペレーションの省人化・省力化を、これまでと違うレベルで考えなければなりません。並行して、お客様が私たちの持つサービスや機器、ネットワークを通じて、よりよい食の体験が向上できる仕組みを構築し、食の産業を豊かにしていきたいと考えています。日本システムプロジェクトさんと当社は、ホールと厨房向けにサービスを提供していますが、飲食店のバリューチェーンの流れを広く捉えたサービスなど、ご提案できることはもっと多くあるのではないかと思っています。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    M&A成約からまだ半年(取材時)ですが、両社様の間ではすでに何か具体的な事業構想が練られているのでしょうか?

    勝山氏:鈴茂器工さんはフードテックの分野でさまざまな研究をされているので、それらを当社の製品に応用して、新たな概念や仕組みを作ろうと構想しています。例えばタブレット注文だと、単なる注文でも、パーソナライズ化やエンターテインメント性などの“使いやすさの先”を追求すればUX(製品・サービスを通じて得られる顧客体験)も向上し、お店での体験をより楽しんでいただけるようになるのではないでしょうか。

    秋田氏:当社にとって、これまで提供している商品とお客様は少し遠い存在でした。ただ、日本システムプロジェクトさんはセルフオーダーシステムなど、お客様との直接的なタッチポイントを持たれているので、より近いところでUI/UXの新しい体験をどう提供していこうかと考えられるようになりました。

    勝山氏:ほかにも、今、両社で需要予測に取り組んでいます。需要予測の精度が上がれば、仕入れや機械の稼働、スタッフの配置など様々な点で無駄なく効率化できるようになるので、特に注力する研究の一つになっていますね。

    秋田氏:こうした新しいプロジェクトは、勝山様からのアイデアもあれば、お客様からの要望から始まることもあります。実際に「日本システムプロジェクトさんと鈴茂器工さんが一緒になったんだから、ぜひ組み合わせて提案してほしい」などの声も多く寄せられています。ニーズがあるということは、そこがお客様にとっての課題や悩みでもある証拠です。両社の連携がお客様にとっての価値につながっていくと日々実感しているので、今後ますます協力関係を深めていきたいと考えています。

    M&A成約前から、両社様とも海外店舗での製品・サービスの導入が進んでいましたが、今後はお互いがタッグを組んだ形での海外活動も視野に入れていますか?

    勝山氏:もちろんです。これまでのようにシステムや製品を単体で提供するだけでなく、例えばセルフオーダーシステムと厨房の「ご飯盛り付けロボット」を連動させるなど、飲食店のオペレーションをトータルで支援できるようなパッケージも提供したい、といった話をしています。海外には日本の何倍もの市場がありますから、これからがとても楽しみです。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    秋田氏:食文化が普及するには、手頃な価格でおいしいものを安心して食べていただける文化を醸成させる必要がある。そのため、省人化オペレーションは大前提として考えなければいけません。加えて、人の手間を削減したコストを食材などの原価に反映できるようになれば、よりおいしい食事が手軽に食べられるようになります。省人化オペレーションはこういった好循環も生み出すため、食文化を広げる大事な要素であると言えます。海外のお客様にも、日本の食文化を広く楽しんでいただくためのサービス開発に、両社で励んでいきたいですね。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    早くも将来に向けて動き出されている両社様の今後のご活躍がますます楽しみです。

    秋田氏:まさに、これからです。先を見据えていろいろな考えを巡らせることは重要ですが、いきなり目標に到達できるものではありません。まずはベースや全体図をしっかり作ること。今の私たちはそのフェーズにあると思います。ベースを固めた上で、日本システムプロジェクトさんとともに着実な成長を実現していきたいです。

    勝山氏:例えば、セルフオーダーシステム一つをとっても、システム自体は当社以外にもさまざまな会社で製造・販売されています。その中で業界1位を目指すためには、差別化やインパクトが必要です。すでに鈴茂器工さんとは新しいアイデアを出し合ったり、お互いの技術を組み合わせる構想を立てていますが、両社が協力することで目標や可能性がより広がっていくものと確信しています。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    M&A成約後の画を描いた提案で一歩が踏み出せる

    株式会社日本システムプロジェクト
    取締役会長 勝山 徹氏

    企業の歴史や、従業員の将来などを考えると、事業承継はそう簡単な話ではありません。ましてM&Aの場合、相手の会社の考え方など分からないことも多く、不安も大きいものです。なので、M&Aの仲介は単なるマッチングビジネスとは全く違う、責任重大な職務だと私は考えています。当然、先々を明確に見通すことは難しいですが、それでも「この会社とならこういう画が描ける」という点まで踏み込んだ提案を仲介会社がしてくれることで、M&Aの一歩が踏み出せると実感しました。

    今、M&A仲介の事業者が非常に増えてきている中で、譲渡・譲受する当事者も見極めが必要になってきています。やはり、M&Aは成約してからがスタートですから。fundbookにもぜひ、私たちの今後を見守ってほしいと思います。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    M&Aで重要なことは「両者の志」と「共に目指すもの」

    鈴茂器工株式会社
    執行役員 企画本部長 秋田 一徳氏

    企業がある方向を目指していく上で、事業上のシナジーや経営資源の補完など、さまざまな目的でM&Aを活用する事例は今後も増えていくと思います。その中で今後は、単純に規模の拡大や売り上げ・利益の積み上げを第一に考えるよりも、「その先にどんなものを一緒に作り上げていくか」がより重視される世の中になっていくのではないでしょうか。なぜなら、コロナ禍や国際情勢に見られるように、あらゆる面で不確実性が増しており、今後も想定外の事態が起きる可能性は十分考えられるからです。何かが起こると物流が停滞したり、原材料が届かなかったりと、様々な影響が出ます。つまり、思うようにいかないことが、今後さらに起き得るということです。

    数年後の目標を数値で表すことは必要ですが、不確実な世の中で数年後を完全に見通すことはほぼ不可能です。M&Aにおいても数字だけを見て判断するのではなく、「両社がどのような志を持ち、何を目指して一緒に取り組んでいくか」を、お互いに意識しながら進めていくことが重要になると思っています。

    M&Aが繋いだ2社の挑戦、「豊かな食体験」の追求

    担当アドバイザー コメント

    本件は外食業界の在り方を更に推し進めるインパクトの大きいM&Aだと思います。

    40年以上、日本の代表的な主食である米を配膳する形にひたすら向き合って洗練し続けてきた譲受企業。時代のニーズに向き合い、幾度と取り扱い商材をシフトしてきた譲渡企業。

    アフターコロナを見据えたこのタイミングで、厨房に強みを持つ譲受企業と、ホールと会計に強みを持つ譲渡企業のタッグは誰もがワクワクする提携ではないかと思います。

    本件マッチング時では多くの譲渡先候補を勝山社長へ提案しました。

    しかし、かなり早い段階から「鈴茂器工さんがいいでしょ!事業シナジーが面白そうだ!」という意見を頂いていました。

    結果としては勝山社長の「読み」通りだったように思います。

    いずれにしても今後が更に楽しみなご両社です!

    私たちfundbookは今後もsuccess for allの信念のもと、シナジーの高いM&Aを目指して参ります。

  • “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    元来、好奇心旺盛で我が道を行く性格だったという吉瀬融氏が、35歳のときに創業した株式会社コアー建築⼯房。1989年、平成という新たな時代の始まりを告げる年のことでした。

    四畳半一間からのスタートではありましたが、創業1年目から売上1億円を達成。地域の木材を使用した「⾃然と調和したこだわりの家」を掲げ、⼤阪南部を中⼼に厚い顧客基盤とブランド⼒を持つ注⽂住宅企業へと成長。新築施工実績は700件以上を数え、創業以来30年以上連続で黒字決算を達成し続けてきました。

    そして過去最高利益を記録した2020年6月に、三和建設株式会社とM&Aの成約に至ります。好調な中でのM&Aのニュースに、吉瀬氏が携わる地域のNPO法人、バスケットボール協会、⼀般社団法⼈からは驚きの声が上がったといいます。

    「事業承継は、経営者がいつか向き合わなければならないもの。親族か、社員か、あるいはM&Aか。その3つの選択肢を並行してずっと考えてきました」と語る吉瀬氏。
    地域に愛される創業社長のM&Aは、どのように決断されたのか。吉瀬氏、三和建設株式会社代表の森本尚孝氏、専務取締役の谷直人氏を交えて、お話を伺いました。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    試行錯誤の末にたどり着いた「自然との共棲」「自由都市・堺の暮らし」

    株式会社コアー建築⼯房の創業経緯をお聞かせください。

    吉瀬氏:高校を卒業後、一旗揚げようと建設会社に就職しました。そのなかで「自分にしかできないことをやれ」と言ってくださる人生の師となる方との出会いもあり、何事も体当たりで突き進むようなサラリーマン生活を送っていました。「いい家を作りたい」という想いが強すぎて、会社の経営方針とぶつかってしまうこともあったため、35歳のときに2社目の会社を退社することに。そのときの社長が「よそに勤めるくらいだったら、自分でやらないか」と言ってくれたので、“これも縁だな”と思って独立することにしたんです。妻と一緒に、四畳半一間から始めました。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    それから30年以上、黒字経営を続ける優良企業に。今では「木造といえばコアー」という確かなブランドを築いてこられました。経営においてどんなことを心がけてこられましたか?

    吉瀬氏:ひとことで言うとすれば、コアー建築⼯房“らしさ“でしょうか。自然を受け入れる暮らし。建物と建物を取り巻く自然との境界を緩やかにつなぐ家。日本人が木と共に歩んできた長い歴史を大切に、国産材の家づくりを推進してきました。
    逆を言えば、“らしさ”とは何かを模索する日々でもありました。創業して10年、15年のころは迷いの多い時期だったと思います。まずは売上を立てないといけないと考えていたので、営業スタイルも目標達成型。「背に腹はかえられない」とよく口にしていたと妻が言っていたので、当時を振り返ると私自身の軸がいかにブレていたのかがわかります。
    当社の“らしさ“はそうした迷いや葛藤を経てようやくたどり着いた答えなんです。前職時代から創業時、そして今に続く家づくりへの想いをまとめた「らしさブック」という本も作りました。社員はもちろん、お客様やお取引先の方にもその本を通じて、コアー建築⼯房を知っていただこうと思ってのことでした。

    迷いの中から“らしさ”を確立できたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

    吉瀬氏:地域とのつながりですね。数字ばかりを目指すのではなく、地域に存在価値を示せるような会社にならないといけないと思うようになった頃、地域の方からいろいろな役を手伝ってほしいという声をいただきまして。「地域密着」というのは、地域で商売させてもらうことではなく、地域への感謝の気持ちを何かで返していくことが、本当の「地域密着」ではないかと考えるようになりました。ビジネスだけではない形でも、地域に貢献していく必要があるのではないかと。
    若い頃に夢中になったバスケットボールの大会を主催したり、街の祭りに参加させていただいたり……いつしか子どもたちからも「吉瀬さん」と呼んでもらえる環境が出来上がっていったのは、ありがたいことですよね。ちょうど、その時期に現本社を建てたのも大きかったと思います。ここは小高い山で雑木林があった場所。自然を身近に感じる家づくりを本社で形にしてみせたことで、私も地に足がついたのかもしれません。それからは堺の暮らしを大切にすることも、コアー建築工房の家づくりの思想として掲げてきました。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    どれが最善かを並行して考えた、事業承継への3つの道

    M&Aを検討し始めたのは、いつごろからでしたか?

    吉瀬氏:3年前くらいからです。この堺の街で生まれ育ったコアー建築工房を、せっかくなら長く続けていきたい。そのためには、私の個人的な感情でしがみつくのはよくないと思いました。会社は自分のものではない。役割で今、たまたま社長をやらせてもらっているんだ。いつしかそんな考えになっていきました。
    事業を承継していくとなると、方法は3つ。身内に継がせるか、社員に継がせるか、M&Aか。
    仕事を手伝ってくれている娘にはもともと継がせるつもりはなかったんです。それでも可能性があるのなら一度任せてみようとも考えましたが、年齢も若く経験も少ない娘に、これからの時代の経営者としてより良い決断をしていけるのかと、自問自答を繰り返しました。次に社長候補として考えた取締役も、ナンバー2として会社を支えることはできてもトップの覚悟はなかなか持てない様子でした。
    今は額に汗を流して頑張るだけでは勝てない時代ですから、引き継ぐのは簡単なことではないです。挑戦することができないのであれば、無理に継がせるわけにはいかないので、ここは慎重に考えました。

    後継者について考えながらM&Aも並行して検討されていたのですね。

    吉瀬氏:幸い業績は好調で、今すぐに引き継がなければならないわけではなかったので、じっくり時間をかけて考えていきました。きっと、M&Aが最善の選択であれば、いい出会いがあるだろうと。実際、いくつか手を挙げてくださる企業はいらっしゃいました。
    しかし、どうしても決めきれない。条件面に不満はなかったんですがなぜか気が進まずお断りしたお話がいくつかありました。もしかしたら、自分では「しがみつくのはよくない」と言いながら、どこかで「誰にも渡したくない」と思っているのではないか、と悩みました。fundbookのアドバイザーの方には長期間に渡って根気強くサポートしていただいてたんですが「もう申し訳ないから一旦、M&Aの検討をやめようか」と、こぼしていたほど。
    そうした矢先、出会ったのが三和建設さんだったんです。不思議ですよね、話を聞いたときに「ここや!」と思えた。これぞ、巡り合わせだと思いました。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    森本様から見た、コアー建築工房様の印象はいかがでしたか?

    森本氏:当社はこれまでもいくつかM&Aを経験してきました。その多くが、業務領域の拡大を目的としたもので、fundbookさんにも同業種を中心にご紹介いただこうと思っていました。しかし、コアー建築工房さんはその条件とは全く異なる会社でした。
    当社は鉄骨で、コアー建築工房さんは木造。BtoBとBtoC、非住宅と住宅、大阪北部と南部など……注文建築という大枠は同じでも対極的。それを「シナジーがない」という発想もありますが、むしろ我々が持っていない考え方やソリューションでイノベーションが起こりうるのではないかと思ったんです。

    谷様はいかがでしたか?

    谷氏:最初は業容が全く異なる企業で驚きましたが、よくよく聞いてみると当社にとって可能性の広がりを感じさせる納得の提案だと思いました。表面的なニーズだけではなく、当社の現状や今後の方向性についても耳を傾けてくださり、親身になって考えてくださったのだと感じました。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    森本氏:早速お会いしてみようと思っていたところ、アドバイザーの方からコアー建築工房さんの「らしさブック」をいただいたので、私も著書「人に困らない経営 ~すごい中小建設会社の理念改革~ 」をお渡しすることにしました。

    森本様の著書をお読みになっていかがでしたか?

    吉瀬氏:こんな会社が建築業界であるんだな、と思いました。もちろん、各社人材を大事にしていこうという試みはありますが、それを本という形にしている会社は珍しい。書籍を出版してまで高らかに宣言しているということは、それをやらなきゃいけないという覚悟の表れ。実に勇気がいることです。この考えを掲げられる人になら、社員と職人たちを安心してお任せできると思いました。

    森本様は、吉瀬様とお会いした第一印象はいかがでしたか?

    森本氏:確かな価値観を持っていらっしゃる方だと思いました。イチから叩き上げで創業された方は、感覚でお話されることも少なくないのですが、吉瀬社長の話は理路整然としていて実に明快。理論的な戦略家だと、話していてすぐに感じられたので、この方とならご一緒できるとすんなり思いました。

    成約へと至ったときのお気持ちは?

    吉瀬氏:心が踊りました。やっとベストな選択ができたわけですから。実は、条件面は以前手を挙げてくださった企業とまったく同じだったんです。あのときはなぜか決めきれなかったのに、今回はすんなりと受け入れられた。これが、フィーリングというものなのでしょうね。
    森本氏:これまでのM&Aもそうでしたが、結局は人と人との相性のような気もします。M&Aで大事にしているのは、その会社のキャッシュフローよりも、「この人と一緒に働きたい」と思えるか。コアー建築工房のビジネスが素晴らしかったのはもちろんですが、最終的には吉瀬社長に対して「こういう面白い人と一緒に仕事したいな」と思えたことが大きかったので、本当に巡り合わせだと思います。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    残り2年、創業社長として最後の仕事を

    コアー建築工房様の社員の皆様の反応はいかがでしたか?

    吉瀬氏:社員には、事業承継を考え始めたころから半年に1度くらいのペースで「3つの選択肢のなかで、ベストだと感じたものにするから」という話を繰り返ししていました。そのため、彼らなりに心の準備ができていたのではないかと思っています。また、今回のM&Aで社員へも還元できるよう手続きを進めたので、成約したときは思わぬ恩恵を受けられたと喜んでもらえました。
    意外だったのは、社長候補として考えていた取締役が辞めなかったことですね。一度はトップになることを真剣に考えたわけですから、これが昔の私だったら辞めていたと思います。でも、彼は残る選択をしたんです。やみくもに誰もがトップを目指すのではなく、それぞれの良さが活かせる場所を選んでいく。きっとそういう意味でも、このM&Aはみんなにとっていい選択だったと思っています。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    今後のビジョンについてお聞かせください。

    森本氏:当社としては、木造をひとつの軸に打ち出していきたいと考えています。コアー建築工房さんのノウハウを活用して、木の香りがするオフィスなど、これまでになかった発想で木造非住宅のゼネコン案件を作り出していけるのではないかと見込んでいます。建築の基本は住宅ですから、そういう意味ではやはり木造は本能的に心地いいもの。新たな価値を提供できるのではないかと考えています。そのためにも、人材交流や営業機会・プロセスの共有、管理部門のインテグレーションも進めつつあります。吉瀬社長にはあと2年、現場に立っていただくことになりました。その間に、新たな社長を選出していく予定です。
    谷氏:現在、定期的にコアー建築工房に訪問し、吉瀬社長と社内の引き継ぎを行なっています。社員の方とも直接お話させていただく場面が多くあり、皆さん本当に真面目で誠実な方が多い。三和建設の社員と似ている部分が多いと感じています。今後、主体性はさらに伸ばしていけたらいいなと思う部分です。また、コアー建築工房の家づくりは建築に携わる者として、とても興味を抱いています。鉄骨やRCにはない本能的な親しみが木造にはある。建築の面白さや可能性が広がっていくのが楽しみです。
    吉瀬氏:創業以来黒字を続けてきたからには、引き継ぐまでずっと続けていくというのが、今後の私の目標です。社員に対しても「私と三和建設さんの求めるものは一緒だから」と話しています。「せっかくご縁があって共に働くことができるのだから、がっかりされないようにしっかりやるんだよ」と。私が去った後も、変わらぬモチベーションで仕事に取り組めるような心持ちにしていくこと。それが、創業社長としての最後の仕事だと思って取り組んでいきます。

    私らしい引き際に、M&Aという最善の選択

    株式会社コアー建築⼯房
    代表取締役 吉瀬 融氏
    私の希望はあくまでも「会社を永続させること」。娘に継がせるか、取締役を社長にするか、それともM&Aか……ずっと並行して考えてきたなかで、ありがたいことにベストな選択にたどり着くことができました。経営者として事業承継は避けては通れない道。社員、職人、技術を守るためにどうすればいいのか。考えれば考えるほど、これまでのように親族や社員に継がせることだけが、その全てではないということは、多くの経営者が思い至ると思います。
    しかし、まだまだM&Aには「事業がうまくいかなくなったからするもの」というネガティブなイメージが強く、今回のM&Aにも「順調なのに、なぜ?」という声が地域の団体から多く寄せられました。私としては、むしろ業績がいいタイミングに検討を始めたからこそ、社員や職人たちが不安なく新しい道を受け入れられたし、私もじっくりと時間をかけて決断をすることができたと思っています。
    創業社長にとって事業承継は、自分自身の執着心との折り合いが大切です。私は「これだ」と決めたらスパッと去ることができる、カッコいい社長でありたい。それが、自分らしい引き際だと思いました。この私の決断が、同じような悩みを抱えている多くの創業社長の方の参考になれば幸いです。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    目指しているのは、その会社“らしさ”が残るM&A

    三和建設株式会社
    代表取締役社長 森本 尚孝氏
    創業社長から2代目社長への承継は、最もデリケートなタイミング。きっとどなたが社長になったとしても、100点にはならないでしょう。その重圧こそが事業承継の阻害になっているとも言えますね。おそらく今後そうしたタイミングでM&Aを検討される方が、増えていくのではないでしょうか。
    ただ、M&Aが必要な選択肢であることを頭では理解しているのに、どこかで感情的な抵抗があるのは、その会社らしさが失われてしまうような気がするからだと私は考えています。今回で言えば、これまで吉瀬さんが大切にされてきた想いまで引き継ぐことができず、「吉瀬さんらしさがなくなった」「コアー建築工房らしさが消えてしまった」という事態になってしまうのではないかという懸念です。
    当社として目指しているのは、その会社“らしさ”を残したM&A。もちろん、これからもコアー建築工房さんが続けてきた地域貢献活動や、家づくりに対する考え方もそのまま承継していきます。そうしていくためにも、M&Aにおいては社長の人柄が99%。「この人と働きたい」が全てなのです。会社の数字なんて、いいときもあればそうでないときもありますから。
    仮にコアー建築工房さんの業績が悪化していたタイミングだったとしても、間違いなくM&Aを進めていたでしょう。今、譲受企業を求めている経営者の方も、きっとその会社らしさに共感し「一緒になりたい」と思ってくれる会社がいるはずです。それは、今回のようにまったく検討していなかった企業を、アドバイザーの方から紹介されることで出会えるかもしれません。

    “らしさ”まで受け継ぐ、地域に愛される創業社長のM&A

    担当アドバイザー コメント

    今回のM&Aは「RC造×木造」の、建物構造の垣根を超えたシナジー効果の発揮を目的としたものです。平成12年「建築基準法改正」及び設計技術の向上から中高層の木造建築が可能となったこと、平成22年「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」から国策として木造建築が推進されていること、そして2015年に国連が採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」を基軸とする社会・環境課題への貢献を見据えており、時代のニーズを的確に捉えたM&Aが実現しました。
    こうした背景には、吉瀬様が私とお会いする以前から、社員や大工の皆様の安心できる体制とは何かを熟慮されていらっしゃったからだと感じています。吉瀬様の判断軸が明確に定まっていたことで、過去最高の業績を記録したタイミングでも迷いなくM&Aをご決断されることができたのではないでしょうか。
    ご一緒になられた三和建設様は、これまで多くの実績を重ねてこられた関西を代表する総合建設企業です。「つくるひとをつくる」をいう理念のもと、普遍的な価値を大切にされているからこそ、互いに意気投合し、良縁となったのではと考えております。
    今後も、両社がさらに発展されることを祈念するとともに、本件のような理想的なM&Aのお手伝いが出来るよう、精進してまいりたいと思います。

  • 地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    インタビュー

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    譲渡:

    譲受:

    インタビュー

    2020年9月4日、譲渡成立

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    株式会社トラステック代表取締役の島淳一氏は、1998年に地元の新潟県で同社を設立以来、生産管理システムの開発や企業からのシステム受託開発事業などを展開し、お客様からの「こんなものが欲しい」を叶えてきました。

    還暦を迎えた頃から事業承継について考え始めたものの、当初M&Aという手法は有力候補ではなかったと言います。しかし、会社の将来性を高める「戦略的なM&A」に活路を見出し、県内屈指の物流・運送企業であるマルソー株式会社とめぐり逢いました。

    両社は2020年9月にM&Aの成約に至り、上場という目標に向けてともに一歩を踏み出しました。成約までの経緯や、ITと物流の異業種間によるM&Aで広がる可能性について、トラステックの島氏と役員の皆様、そして、マルソーの代表取締役社長である渡邉雅之氏に伺いました。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    技術屋集団が営業やマーケティングを強化するために

    トラステック様の創業の経緯をお聞かせください。

    島氏:私は新潟県内の大学を卒業後、県内の企業に就職しました。コンピューター部門を発足させるメンバーとして熱心に仕事に打ち込み、そこで積んだ経験が乞われて、後に東京や神戸の企業でも勤めてきました。しかし、神戸で勤務しているときに阪神淡路大震災が発生して会社が壊滅的な被害を受けてしまい、私が新潟県出身ということで新潟営業所を立ち上げることになったのです。3年ほど経った頃に東京営業所への合流を命ぜられましたが、一念発起して地元で独立する道を選びました。そして立ち上げたのがトラステックです。

    創業当初はとにかく自分が生き残ることに必死でしたが、何年かして事業が軌道に乗り始めると、地元の方々からの支えを日に日に実感するようになり、「地元への貢献」という思いも強く持つようになりました。見附市に本社を置くことは一つのこだわりとなっています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    M&Aを検討されたきっかけは何でしたか?

    島氏:現在64歳(2020年10月時)ですが、60歳のときから70歳で後継者に引き継ぐ構想を描いていました。事業承継を考える上でM&Aという選択肢も頭には浮かんでいましたが、正直なところ、当初は積極的に検討していませんでした。しかし、ちょうどその時期に、後継者として考えていた取締役が退職することになり、同時に業績も下火になってしまったのです。当社は「技術屋集団」としてお客様に喜ばれる質の高いシステムを開発している自負がある一方、営業やマーケティングの強化は課題でもありました。そんなときにfundbookから会社の将来性を高める「戦略的なM&A」の提案を受け、M&Aによる事業承継に一気に関心が深まったのです。

    当社は特に生産管理システムの開発を得意としているので、M&Aで製造企業のパートナーとなってグループ内の生産管理システムを構築・改善し、その先にはグループの持つお客様にも拡販していけるようなM&Aが実現できればと想像するようになりました。

    マルソー様は、どういった理由でM&Aを検討されたのでしょうか?

    渡邉氏:当社は1913年に私の曽祖父が運送業を創業以来、長きにわたって物流を支える事業を展開してきました。「物流という仕事は未来永劫なくならない」「どんな時代でも物を運ぶという仕事はきっと残る」とずっと思っていましたが、AIや自動運転技術が発達してきた今、物流センターではロボットが出荷し、トラックは無人で走る時代が案外近い将来まで来ているな、と考えるようになりました。

    以前からも経営の多角化を図ってきてはいましたが、あるときに会長である父と、私の息子を交えた3代で「太い事業柱をもう1本立てるために、何か新しいことを考えよう」という議論をし、3年ほど前から積極的に新潟県内でのM&Aに取り組んでいます。譲受する立場としても社運を賭けるわけですから、責任感や重圧は非常に大きいものです。ですが、これまでも優秀な企業と手を組むことによって事業の幅が着実に広がっており、グループ全体の体質強化にもつながっています。新潟県はとても広いため地域ごとに文化の特徴もありますが、これまで譲受してきた企業を見てもやはり同じ地元同士という感覚で仕事もスムーズに運んでいるため、今回も新潟県内の企業の譲受を検討していました。

    また、先ほどお話しした通り、物流業界のIT化は避けられませんので、マルソーグループにもシステム会社が必要だと予てより考えていたのですが、そんなときにfundbookからトラステックの紹介を受け、「これほどまでにポテンシャルの高い企業が近くにあったのか」と驚き、面談の機会をいただくことになりました。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    お会いした瞬間に「この方となら、絶対に大丈夫」と感じた

    M&Aの面談では珍しく、トラステック様の役員の方々やマルソー様の会長も面談に出席されたそうですが、お互いの印象はいかがでしたか?

    島氏:私たちからするとマルソーさんはよく知っている企業ですが、マルソーさんからすると当社は全く知らない企業だったと思います。また、当初は同業のIT企業か製造業と組むイメージを持っていたので、物流・運送業と組むことや、まして県内企業同士ということを全く予想していなかったので、面談までの間は戸惑いもありました。それにもかかわらず、初めて渡邉社長にお会いした瞬間「この方となら、絶対に大丈夫」と感じました。お話をさせていただくうちにお互いの価値観が同じ方向を見ていることがよく分かりました。

    室井氏:マルソーの渡邉会長からは、違う業界から見た当社について、厳しくも思いやりのある言葉をいただきました。私たちは島と思いや考えをともにしているので、そのときに「これは島社長の心にも響き、成約に向けて進んでいくに違いない」と直感しました。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    島氏:どうでもいい相手に対しては、わざわざ厳しい意見を言う必要はありませんよね。そこに真剣さや誠実さを感じたのです。IT業界では珍しいかもしれませんが、私は仕事に対してもデジタル思考より精神面を大事にしています。そういう考えになったのも、私が新卒で入社した企業の社長や直属の上司が、部下や相手を想った厳しさで接してくれる、まさに渡邉会長のようなお人柄だったからだと思います。渡邉会長からこの歳でこの立場になった私を叱咤激励していただけたことに懐かしさを覚えたような、久しぶりに親に会ったような、すごく心に響くものがありました。渡邉社長とお会いした瞬間から波長が合うと感じられたのも、仕事の中での育てられ方に似ている部分が多かったのではないかという気がしています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    渡邉氏:私は島社長や役員の皆様の顔を見るなり、「この方々と一緒に事業を推し進めたい」と思うほど、一目惚れをしたと言っても過言ではありません。私は過去に10社以上とM&Aの面談をしてきた経験から、面談の会場に入ったときの空気感をとても重要視しています。やはり大事なのは「人」。濁った空気や合わない空気が流れると消極的になってしまうものです。それが、トラステックさんは話をする前から良い空気が流れていたので、ぜひとも成約したいという気持ちが最初の面談から高まっていました。

    fundbookの担当アドバイザーの対応はいかがでしたか?

    島氏:ちょうど将来を考える時期にあったので、連絡をいただいたときはご縁というか、運命のようなものはすごくあるんだと思いました。最初は「会うだけ会ってみようかな」という程度で話を聞いたのですが、こういったM&A案件でも、やはり人と人の付き合いなんですね。当社を担当してくれたアドバイザーが古橋さんで本当によかったと思っています。

    渡邉氏:私も担当の阿部さんのつながりが決め手でした。実は以前から付き合いがあり、人となりも知った仲だったんです。連絡をいただいて「君が担当だったらお願いしよう」と。結局は人が大事なんですね。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    2020年は「コロナ禍」で多くの企業が苦戦を余儀なくされましたが、その中でも前進を続けられた両社のお考えや原動力がありましたらお聞かせください。

    島氏:もちろん万全な対策と注意は必要ですが、現状に恐れおののくだけで時間を過ごすのではなく、将来について考え、備えることも怠ってはいけないと思っていました。確かに2020年は多くの企業が苦戦を強いられましたが、ITの需要は今後もますます高まり、業界として伸長していくものと見込んでいます。「コロナ禍」になる前からもIT業界は慢性的な人材不足に悩まされているので、社会が回復したときへの備えが大切だと考え、将来を見据えて前進してきました。

    渡邉氏:当社も長い歴史の中で「不況のときにこそ果敢に挑戦する」という文化を育んできました。不況のときには多くの企業が体力を温存しようとしますが、そういうときこそ挑戦することで独自性や差別化が図りやすいからです。今回もコロナ禍の今だからこそM&Aでさらに前進していこうと考えました。当社が多角化戦略を講じているのは、あらゆるお客様に様々な切り口でアプローチしていくためです。従来からの物流業に加えて、生産工場で使用される機械の輸送や据え付けも手掛けたり、業務用LED照明の取り扱いも始めたりしてメニューを取り揃えてきたのも、例えば、機械の据え付けから始まったお客様が商品の物流も依頼できたり、物流から始まったお客様からLED照明による節電コンサルを依頼できたりと、それぞれの部門の相乗効果が期待できるからです。ここに今度はトラステックのシステムも加わることで、お客様への提案の幅とグループ間のシナジーがよりいっそう高められる。島社長と同じく、社会が回復した後を考えて手を打っておくことが大事だと思っています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    創業期に描いた「上場」という夢を、M&Aで明確な目標へ

    成約までの過程や成約後に、印象に残っている出来事はありましたか?

    島氏:成約の1週間ほど前に、渡邉社長から手書きのお手紙をいただきました。そこには熱い言葉が書き連ねられていて、なかでも「一緒に上場を目指しましょう」という一文には胸を打たれました。私も含め、創業社長の中には「いつかは上場」と思っている人も少なくないと思います。それを夢物語や空想に終わらせるのではなく「一緒に担わないか?」と言っていただけたことで現実味を帯びてきて、社員一丸となって燃えています。まだまだ課題は山積みですが、5年後には上場できる状態にまで成長しているよう、中長期経営計画を打ち出したところです。

    役員の皆様から見ても、社内の雰囲気は変わりましたか?

    石黒氏:今までは「こうしよう」という着地点だったのが、「ここに行くためにはどうすればいいか」という議論が展開されるようになったので、目指すところや行動、そして雰囲気も大きく変わりました。従来の枠の中で考えるのではなく、徐々に枠の壁が薄くなってチャレンジしようとする意気が揚がっていると感じています。たまたま同じ企業が両社のお客様だったことが分かったときも、渡邉社長が「マルソーに後押しできることがあったら言ってよ!」と声を掛けてくださったんです。相談できる相手がいる、後押しされている、もっと広がっていける、そういう思いを社員も感じ取ってくれて、壁を打ち破ろうとしているのだと思います。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    片桐氏:M&Aの話が具体化する前は業績が下火に転じていた時期で、実のところ社内の雰囲気は良い状況とは言えませんでした。その中でマルソーさんとのM&Aが決定し、上場という目標もできたことで目に見えて雰囲気が良くなったと実感しています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    秋山氏:渡邉社長にもお越しいただいた社内へのM&A発表のときに最初は皆キョトンとしていましたが、渡邉社長の熱い思いも共有でき、社員から賛同の声が上がりました。期が変わって10月4日の期初ミーティングで島社長から改めてM&Aの経緯と、上場に向けた中長期経営計画が発表されたのですが、そのときに島社長が「私にとって君たち社員が一番大事なんだ。君たちにとって一番良い選択ができた」と話したんですね。すると社員からも「社長、私たちにこういうチャンスを与えてくれてありがとう」という感謝の言葉が返ってきたんです。その光景が言葉では言い尽くせないほど感動的で、すごくうれしく思ったことが深く心に刻まれています。まだまだ改善すべきところはたくさんありますが、皆が「上場を目指そう」と口に出すことで、前向きにチャレンジしていく精神が社内に満ちあふれています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    2020年9月に譲渡が成立しましたが、島様と渡邉様の今のお気持ちをお聞かせください。

    島氏:まず、気持ちがすごく楽になりました。そして、マルソーさんと手を組むことによって目指す方向が明確になり、新たな可能性が見えてきたことが何よりうれしいです。可能性が感じられる状態と、あまり感じられない状態とでは、社員の士気も全然違うんでしょうね。私一人の力では限界があったかもしれないですが、マルソーさんとなら上場の実現に向けて歩いて行けると、心強く思っています。

    渡邉氏:今までは色々とやりたいことを頭の中で考えたり紙に書いたりして「そのうちやりたいな」と思うにとどまっていましたが、システムという強みのある会社を仲間に迎え入れられたことでこれから実際に着手できる段階になり、楽しみはひとしおです。次世代を担う息子も、私以上に目を輝かせているように見えて仕方ありません。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    トラステック様の今後の展望をお聞かせください。

    島氏:マルソーグループは多様な企業で構成されていますので、まずはグループ内の基幹システム等の開発・運用をしっかり手掛けて信用をいただき、その先にはグループ各社のお取引先にも、高品質なシステムを提供していきたいと考えています。様々な業種のシステムを手掛けることで新しいアイデアやビジネスモデルが創出される可能性は大いにありますし、ゆくゆくは物流業界向けの新しいサービスの展開も視野に入れて邁進していきたいと思っています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    異業種M&AがIT企業をさらなる発展に導く

    株式会社トラステック
    代表取締役 島 淳一氏

    異業種とのM&Aは、正直なところほかには教えたくないほど、将来性が広がる手段だと実感しています。譲受したい業種としてIT企業はとても人気が高いと聞きますが、M&AによってIT企業同士が組む以外にも、私たちのようにIT企業が異業種と組んでグループのIT化を促進したり、新しい商品を作り上げていこうとすれば、これから先に様々な良い結果を生み出していけるものと確信しています。
    また、グループ企業というと圧倒的な大企業が中心となってその下に中小企業が並んでいる形を想像しますが、今回、M&Aのプロセスの中で色々な企業体を見させていただき、マルソーグループのように中小企業同士が横並びで連携したり、中小企業が中心になって事業を推し進めたりできる企業体も結構あることが分かりました。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    M&Aが物流業界の未来をつなぐ

    マルソー株式会社
    代表取締役社長 渡邉 雅之氏

    物流業界では今後、M&Aは主流の取り組みになってくると見込んでいます。現在、国内の貨物自動車輸送事業者数は約6万社ありますが、そのうちの8割以上が従業員数30人以下の中小企業によって成り立っています。社員やお客様はこれからも大事にしたい、しかし自分の子どもに継がせると色々な苦労をかけるのではないだろうか――そう悩んでいる経営者も少なくありません。このような状況下で、事業と人を未来につなぐためのM&Aがますます活況を帯びてくるのではないでしょうか。

    また、どの業界もそれぞれに悩みがあると思いますが、物流業界も例外ではなく、人材不足や輸送の効率化などの様々な課題を抱えています。物流・運送業者同士のM&Aに限らず、IT企業などの別業種と手を取り合うことで、課題解決や企業体質の強化に向けたプラスの要素を広げていけると期待しています。

    地方IT企業が異業種M&Aで描く成長戦略

    担当アドバイザー コメント

    今回は、次世代への承継と会社の成長戦略の実現を模索する中堅IT企業様と、同県内の大手運送会社様との戦略的資本提携をお手伝いさせていただきました。

    トラステック様は将来的な承継問題の解決だけではなく、次の世代が飛躍していくための資本力や営業ネットワークを獲得し、一方で、マルソー様は念願だったIT企業のグループ化により、自社基幹システムの刷新のみならず運送業界のIT化を先駆けて取り組める体制が整った、まさに理想的なM&Aとなったと感じております。

    最近では、このように業種の垣根を越えたM&Aによってシナジー効果を追求し事業拡大を目指す事例や、首都圏だけでなく地方のIT企業様でも成長戦略としてM&Aはごく一般的な経営戦略となってきております。

    今回のトラステック様は役員陣の皆様が揃って検討に参加されており、島社長との厚い信頼関係が垣間見えただけでなく、会社や従業員の皆様の将来を第一に考え深く議論されていたのがとても印象的でした。

    fundbookの役割は、経営陣の想いを実現するためのベストなパートナーをおつなぎし、会社が一段上のステージへ進むお手伝いをすることです。その意味で、私にとってもこのM&Aは地方IT企業様の新たな成長戦略の形が見えた気がしました。トラステック様がマルソー様というパートナーとともに、さらに成長される未来をとても楽しみにしております。

  • インタビュー

    2020年1月20日、譲渡成立

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    永野設備工業株式会社 代表取締役の永野祥司氏は、同社を開業してから約20年、住宅設備工事を主とした企画から設計・施工まで一貫して行う技術を強みに、幅広い分野で事業を展開しています。また、住設ECの草分け的存在としても知られ、現在は「住設ドットコム」など6サイトを運営しています。

    当初はIPOを実現するための選択肢の一つとしてM&Aを検討していましたが、物流事業を手掛ける堀内商事株式会社と運命的な出会いを果たし、2020年1月、M&Aの成約に至ります。今は理想的だと思える譲渡先も、当初は「なぜ異業種の物流会社と?」という驚きからスタートしたと語ります。堀内商事とのM&Aを進める中で見えてきた新たな未来とは?

    永野設備工業の永野氏と、堀内商事の代表取締役社長である堀内正行氏にお話を伺いました。

    「自分にしかできないことを」YouTubeでEC事業を拡大

    永野設備工業様の事業について教えてください。

    永野氏:当社は2000年の開業以来、大阪・岸和田での住宅設備工事を主に、これまで介護事業、リフォーム事業など、お客様のより良い暮らしの提供を目指して事業を広げてまいりました。

    2002年にはEC事業部を立ち上げて「住設ドットコム」などのECサイト運営にも注力し、住宅設備機器の販売のみならず取り付け・取り替え工事まで行うサービスも展開しています。また、競合他社との差別化として「自分にしかできないことをやろう」と考えて2019年に『水道職人!ながちゃんねる』というYouTubeチャンネルを開設しました。こうした取り組みのおかげで、EC事業を年商11億円以上の規模にまで成長させることができ、将来的にはIPOを実現したいと考えるようになりました。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    M&Aを検討された理由を教えてください。

    永野氏:IPOを目指す中で、内部統制の仕組みづくりなど自社単独で実現するには難しい課題がいくつかあり、その課題を解決するための選択肢の一つとしてM&Aを検討しました。

    事業の面でも、今後はBtoCだけでなくBtoBにも広く展開したいと思っており、力を貸してくれるお相手を探していました。この業界では仕入れ・施工・販売の3つをすべて押さえられれば強い。しかし、仕入れ・施工はできても、在庫管理拠点の確保ができず、販売網を広げることができないというのが当社の弱点で、なんとかしたいと考えていたんです。

    M&Aを進めるうえで、不安な点はありましたか?

    永野氏:本当に信頼できる譲渡先が見つかるかどうか、当社の従業員が受け入れてくれるかどうか・・・不安はたくさんありました。M&Aをすれば譲渡先のオーナー様とビジネスパートナーとして会社を共に支えていくわけですから、お相手によっては取り返しのつかない事態になってしまう可能性だってある。また、本当にいまM&Aが必要なのかという思いもありました。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    厳しい時代を生き抜くための“武器”を求めて

    そこで、FUNDBOOKがご提案した譲渡先が、堀内商事様でした。

    (堀内商事株式会社 堀内 正行氏)

    堀内氏:当社は1968年に父が設立し2009年に私が2代目として代表取締役社長に就任しました。運送会社からスタートし、現在は幅広く物流事業を手がけています。また、15年ほど前に住宅建材に特化して物流と商社機能を掛け合わせた独自のサービス「HMDS(ホリウチマテリアルデリバリーシステム)」を始めました。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    なぜ、M&Aを検討されたのでしょうか?

    堀内氏:人口減少が進み、住まいに関わる物流業界は今後ますます経営が厳しくなると予想されます。そのような中で自社の競争力を高め、成長し続けていくためには、いま以上にお客様のニーズに応えていける会社にならなくてはなりません。大手に負けずに生き抜いていくためには、中小企業ならではのきめ細やかなサービスを提供していくことが重要です。そのようなサービスを一緒に作り上げていける会社を見つけるのがM&Aの目的でした。

    HMDSは、建築現場との間で発生する煩雑な発注業務やスケジュール管理業務などをワンストップで請け負う住宅資材一貫物流サービスですが、お客様から多数のご要望をいただいていた施工の技術が当社にはありませんでした。しかし、自社で施工部隊を立ち上げるのは時間と労力の面で難しく、大きな課題となっていました。

    もう1つの課題がITの強化です。5年ほど前からようやくIT化に着手したのですが、システムエンジニアが1人しかおらず、ITに強い人材の採用に注力する必要がありました。

    こうした課題に対して、以前から社内でも「M&Aを考えてはどうか」という声はあったんです。ただ、具体的にどうすればいいのか見当もつかず。そこへ今回のM&Aの話が飛び込んできたので、これはもう願ったり叶ったりだということで、役員も快く背中を押してくれました。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    理想のマッチングは「なぜ?」から始まった

    堀内様は、担当アドバイザーに「永野社長と直接話をさせてほしい」とお申し出になったそうですね。

    堀内氏:はい。永野設備工業は設計から施工まで一貫した高い技術を持ち、EC事業分野では優秀なエンジニアの方が多数在籍していらっしゃる。運命なのではと思うぐらい、衝撃的な出会いでした。しかし、今回のM&Aで譲受候補として手を挙げた企業のうち、当社だけがまったくの異業種だとお聞きしたんです。確かに同業であればM&Aもスムーズかもしれません。しかし、永野設備工業と当社のM&Aが実現すれば双方が飛躍的に成長できるという確信があったので、私の考えや当社のビジョン、理念などをお会いして説明させてほしいとラブコールを送りました。出資比率51%をご提案したのも、共に歩みたいという想いがあったからです。

    永野様について、堀内様はどのような印象を持たれましたか?

    堀内氏:お会いしてすぐに「この人と一緒にやっていきたい!」と思いました。事業に対する姿勢が、とにかくまっすぐで真面目。技術者という立場から会社を興された方なので、お客様に対してどのようなサービスを提供すればいいのかご自身の経験からよく理解されていらっしゃいます。社内にもそうした永野社長の感覚、スピリッツが浸透していて、だからこそお客様の信頼を勝ち得ているんだなと感じました。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    堀内商事や堀内様について、永野様はどのような印象を持たれましたか?

    永野氏:最初に堀内商事を紹介されたときは、正直びっくりしました。同業もしくはIT企業や建築会社、建設会社などを紹介されるだろうと予想していましたから「なぜ物流会社?」と。このような提案をしてくれるのは、fundbookだけではないでしょうか。

    しかし、堀内社長とお話をさせていただいて、すぐに決心がつきました。当社の経営理念は「お客様の喜びを通じて幸せなチームを作る」、堀内商事の経営理念は「携わるすべての人の幸せのために」。お客様や従業員だけでなく、関係するすべての人を幸せにするという理念が奇しくも一緒で、何か運命めいたものを感じましたね。地域も同じなので、会社の雰囲気もよく似ているなと親近感が湧きましたし、話せば話すほど、お互いの良いところを活かせるマッチングだと確信しました。

    また、堀内社長は、将来の目標をしっかり見据えて一本芯が通っている方だと思いました。「これをやりたい」と真剣に熱く夢を語る堀内社長が大好きで、その姿を見て「私もついていこう!」という気持ちになります。

    約20年会社を経営する中で、どうしても売り上げを優先してしまうときがありました。しかし、堀内社長と出会って、利益を超えた大きなビジョンを思い描けるようになった気がします。最終的に堀内商事を選んだ決め手は社長の人柄と言えるでしょうね。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    そうして2020年1月にM&Aが成約しました。その後、会社や事業にはどのような変化がありましたか?

    永野氏:いまはどのようなシナジーを生み出せるか色々と探っている段階です。堀内社長と当社の従業員の顔合わせも済み、これからが本番といったところですね。M&Aは実際に走り出してみなければ分からないことも多いですが、当初は想定していなかったシナジーにも期待でき「ああ、思った通りの会社だ。一緒になってよかった」と改めて感じています。堀内商事にはM&A経験がある役員の方もいて、何かと心配りをしてくださるのも助かっています。

    従業員同士の交流も盛んに行われていて、互いに尊重し合う非常に良いチームができそうです。お互いの営業所を利用して工事や配送の拠点を増やすことができますし、これからもグループになることのメリットを最大限に活用していきたいと思います。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    M&Aは過去を譲り渡すのではなく、将来の成長を託すもの

    永野設備工業株式会社
    代表取締役 永野 祥司 氏

    このように変化の激しい時代の中で、私たち経営者は自社の成長のチャンスを決して逃してはなりません。例えば自身でセミナーなどに通って勉強して新規事業を立ち上げるというのも方法の一つですが、M&Aは成長スピードが圧倒的に違います。

    自らの仕事に誇りを持ち、会社を支えてきた経営者にとって、第三者に会社を譲り渡すことはとても大きな決断です。しかし、将来を見据えて事業を継続的に成長させていくためには、あらゆる選択肢の中で最善の方法を選ぶ必要があります。M&Aは過去を譲り渡すものではなく、将来の成長を託すもの。譲受側・譲渡側という立場を超えて、私たちのように共に未来の成長を叶えるためのM&Aが今後増えていくのではないでしょうか。

    これからの時代、どのような業種の企業であっても競争力をつけるためには多様性を持つべきです。M&Aによって良いパートナーと出会い、互いの強みを活かし合うことで新しい価値を生み出していく。そうすれば自社だけでは思い描けなかった高みへと、スピード感を持ってたどり着くことができるはずです。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    M&Aは「共に」というビジョンが重要

    堀内商事株式会社
    代表取締役 堀内 正行 氏

    様々なM&Aのかたちがあると思いますが、今回のM&Aは、当社と永野設備工業にとって互いに掲げる目標への近道であったと思います。私もこのM&Aが実現したことによって、当初思い描いていた目標のその先まで捉えることができるようになりました。

    物流業界も今後さらに競争が激しくなっていきます。そのような環境で成長を実現するためには、サービスに強みを持ち、競合と差別化をしていく必要があります。永野設備工業は、まさに当社が求めていた高い技術を持つ会社でした。しかし、専門的な技術や知識が必要となる住宅設備工事業を未経験の我々が経営していくのはとても難しい。もとより経営権を譲り受けるという思いはまったくなく、永野社長と力を合わせて事業を行っていくからこそ伸びるチャンスがあると考えていました。

    これからの時代のM&Aは、どちらがトップに立つというものではなく、対等な立場で手をたずさえて共に進み、双方が大きく成長していくことを目指すものになるのではないでしょうか。夢を実現可能な目標に切り替える手段として、M&Aはさらに広く活用されていくと思います。

    住設企業と物流企業、異業種M&Aが生み出す可能性

    想像を超えたマッチングが、実現可能な未来を創る

    永野様と初めてご面談をした際、永野設備工業は住宅設備専門ECサイト「住設ドットコム」を中心に業容を拡大し、将来的にはIPOも視野に入れていると伺いました。ただ、単独での事業拡大には限界があるとも感じておられ、ご面談を重ねていく中で共に成長できるパートナーとのM&Aを選択されるに至りました。

    このM&Aによって、堀内商事は仕入から物流、施工まで一気通貫のサービス提供が可能となりました。運送業界において唯一無二の存在を目指したいという、堀内様の熱意のこもったプレゼンが深く印象に残っています。

    当社のM&Aプラットフォームを通して従来のM&A仲介では想像され得ない異業種のマッチングが実現し、それぞれの弱みを補い、強みを伸ばしあう理想的なM&Aとなりました。しかし、このM&Aが成功した一番の理由は、両社がいずれも「幸せ」を経営理念として掲げていたことではないでしょうか。従業員様やそのご家族、事業に関わるすべての方の幸せを実現したいというお二人の想いが、こうしてM&Aのご成約という形で結ばれたのだと思います。

    永野様、堀内様の目指す未来が実現することを心から楽しみにしております。

  • インタビュー

    2020年4月30日、譲渡成立

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    「英語×ITでビジネスを加速する」をテーマに掲げ、2013年にEarth Technology株式会社を設立した元代表の谷川昭雄氏。語学力のあるIT未経験者にエンジニア教育を実施し、グローバルプロジェクトにアサイン。約300名のバイリンガルエンジニアが在籍するSES事業を展開してきました。

    毎年、対前年比140〜150%ペースで売上高を伸ばし、将来的には上場も視野に入れ始めた2020年4月。fundbookを通じてCLSAキャピタルパートナーズジャパン株式会社へ株式譲渡を行いました。

    「経営者としての成長」と「組織としてのさらなるステップアップ」を見据えての大きな決断でした。「経営者としての理想を追求する上でM&Aは最善の選択肢だった」と振り返る谷川氏。M&Aが持つ新しい可能性について、Earth Technology株式会社現社長の能代達也氏、CLSAキャピタルパートナーズジャパン株式会社(以下:CLSAキャピタルパートナーズ)マネージングディレクターの中俊二氏、アナリストの黒澤成樹氏を交えて、お話を伺いました。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    勢いを大切に、創業からの急成長と組織拡大で直面した新たな課題

    Earth Technology様の創業の経緯について聞かせてください。

    谷川氏:もともと14歳の頃から経営者になりたいという夢を持っており、地元・北海道から上京しました。入社したのは、ソフトウエアの開発と人材サービスを手掛けている会社です。営業として大手通信会社への提案やエンジニアの採用・育成を手掛けていた頃、リーマン・ショックが起きました。200人ほどいた従業員はみんな解雇されていき、残ったのは社長とわずか数十名の社員と私だけという事態になったんです。

    私はそのとき「これはチャンスだ」と思いました。もしこの会社を立て直すことができれば「起業したのも同然じゃないか」と。同時に景気が一気に停滞していく中で、唯一伸び続けているニーズがあることにも気づきました。それが語学力を持ったエンジニアです。これをきっかけに「英語×IT」に絞って戦略を全て切り替えたところ、急激に業績が伸び始め、組織も順調に拡大していきました。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ
    Earth Technology株式会社 元代表 谷川 昭雄氏

    ところが、今度は会社側からストップがかかることになったのです。またリーマン・ショックのようなことが起きた場合、リスクが大きくなりすぎるという理由からでした。もちろんその判断も理解できたのですが、私のもともとあった起業したいという夢と、このビジネスで社会に貢献していきたいという想いが強くなり、このタイミングで独立を決意しました。それが2013年のことです。

    いざ会社を設立したものの、1人では厳しいことも多く一緒に働く仲間を集めることにしました。そこで、真っ先に声をかけたのが幼馴染の能代でした。東京にいることは知っていましたが、実は8年ぶりの再会。当時、美容師をしていました。「会社を作ったから一緒にやらないか」と誘ったら、驚くほどあっさり「いいよ」と快諾してくれて。しばらく会ってはいませんでしたが、相変わらず能代らしくて安心しました。それから2人でEarth Technologyを育ててきたのです。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    会社経営において、大事にしていたことはありますか?

    谷川氏: 「勢い」です。もともと負けず嫌いなところがありまして、特に20代の頃は「早く成果を出して注目される存在になりたい」という気持ちが強く、会社の成長スピードはかなり意識していました。そのためにも私自身がアクセルを全開にして突き進み、開拓していく姿を見せるように心がけていました。

    そんなビジョン型の私に対して、能代はロジックを立てて数字で話していくタイプ。ときにはヒートアップする私を見て、ストッパーになってくれたこともありました。今思えば、正反対な性格の2人だったからこそ、うまくバランスがとれていたのではと思います。

    感じられていた経営課題はありましたか?

    谷川氏:エンジニアの定着率です。語学力のある人がITスキルを身につけると、どの企業でも活躍できる人材になるわけです。すると、大手企業からのヘッドハンティングや縁故での紹介の声もかかりやすくなる。優秀なエンジニアを育てるのもミッションですが、活躍できるように支援するほどより良い条件の企業へと巣立っていってしまうジレンマがありました。

    会社として、優秀な人材が長く活躍できる環境を整えられればよかったのですが、そのためにはさらに大きな組織になる必要があります。しかし、現状としてそこに投資するだけの余裕はなく、まだ企業規模として難しいのが現実でした。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    経営者である自分を成長させるために「会社を託す」という選択

    M&Aを検討されたのは、いつ頃からだったのでしょうか?

    谷川氏:2019年2月頃、fundbookをはじめ、いくつかのM&A仲介会社からご提案をいただきました。当初はすぐに進める気持ちはなく、選択肢の一つとして知っておこうという感覚で話を聞くことにしたんです。

    複数あったM&A仲介会社からfundbookに興味を持ったのは、アドバイザーの方に泰然とした印象を感じたためです。他の仲介会社からは電話が頻繁にかかってきたのですが、fundbookからの連絡は数えるほどしかなく拍子抜けするほどでした。私も営業職出身なので、こちらのタイミングを待ってくれているのだと伝わってきました。お任せするなら相手を想えるゆとりのある方がいいと考え、11月頃に改めて「前向きにM&Aを検討したい」とこちらからご連絡をしたんです。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    本格的にM&Aに向けて動き出したときの心境を教えてください。

    谷川氏:先ほど、経営者として「勢い」を大切にしていたというお話をしましたが、会社の成長率を担保しつつ組織を拡大させ、さらには上場を実現することを見据えたときに、経営者としての経験不足は否めませんでした。

    この会社に関わる人たちの将来を「この人になら」と思える人に託し、私は新たに経営者としての勉強ができるフィールドに身を置きたいと考えるようになっていきました。それは決して諦めではなく、私が経営者としての理想を追求する上で最善の選択だと思ったのです。

    そんな複雑な想いにもアドバイザーの方は寄り添いながら進めてくださり非常にありがたかったです。上場を視野に入れた譲渡先ということで、投資ファンドを中心にご紹介いただき、その中でCLSAキャピタルパートナーズさんとの出会いがありました。

    これまでも中堅優良企業を中心に資金、経営人材、IPOのノウハウの支援を行ってきたこと、そして実際に投資先であるベイカレント・コンサルティング株式会社(ITコンサル事業)が東証一部上場を果たしていることなど、心強い情報はもちろんのこと、何よりもお会いしたときの中さんの人柄が「この人なら」と素直に思うことができました。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    CLSAキャピタルパートナーズ様から見たEarth Technology様の魅力を教えてください。

    中氏:「成長性」と「安定性」です。まずは、これまで対前年比140〜150%のペースで売上高を拡大させ、順調に成長を続けてきた実績。そして「英語×IT」という人材の需要は、今後も安定して推移するものと考えています。

    新型コロナウイルスの影響で、ほとんどの業態は影響を受けましたが、Earth Technologyさんのエンジニアは派遣契約期間が満了しても、ほとんどが継続して更新されています。今後、さらに社会がデジタル化していくことは明らかですし、コロナ禍が落ち着けばさらに急成長を見せてくれることでしょう。

    我々は、投資ファンドなので常に投資先を探しております。fundbookのアドバイザーの方からEarth Technologyさんのお話を聞いた瞬間、ベイカレント・コンサルティングをご支援したときのノウハウが活用できると確信しました。ベイカレント・コンサルティングもずっと成長していた会社ですが、我々が投資したことでさらに成長曲線の角度を上げられました。ですので、Earth Technologyさんについても、もっといい会社にしていくことができると思い「すぐにやりましょう」とお返事を差し上げ、2019年末に谷川さん、能代さんとのご挨拶が叶いました。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ
    CLSAキャピタルパートナーズジャパン株式会社 マネージングディレクター 中 俊二氏

    我が子同然の会社を託す覚悟ができずにいたとき、届いた1通のメール

    成約までの流れはいかがでしたか?

    谷川氏:「託すならこの人」という方には出会えたものの「やっぱりM&Aをする必要はないのではないか?」「いや、やっぱりやったほうがいい」……と、自問自答する日々が続きました。実際、年末の面談のあとに一度中断してもらい年明けに改めて話を進めましたが、やはり3月になって再度「やめたい」とアドバイザーの方にお願いしたくらいでした。

    振り返れば、会社を創り育てるために人生を捧げた、といってもいいくらい自分の生活も思い出も全部会社ありきのものでした。大げさではなく、我が子といっても過言ではないこの会社を、本当に手放していいものかとギリギリまで迷いました。経営を続けながら新たな勉強をすることもできるかもしれないと思う自分と、共倒れしては意味がないと思う慎重な自分と……。

    そんなとき、能代から長文のメールが届いたんです。いつもは短文でしかやりとりしない能代が、そのメールで自身が社長となって会社を守り、育てていく決意があることを語ってくれました。嬉しかったです。その文面は大事に保存しました。アドバイザーの方も中さんも、その間一切急かすことなく寄り添ってくれたのも助かりました。あの能代からのメールがなかったら、誰かの言動が一つでも異なっていたら、このM&Aはなかったと思います。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    中氏:谷川さんの心境は当然のことだと思います。譲渡を直前にして気持ちがブレない経営者の方はいらっしゃいませんから。やはり大切にしていた会社への想いがあるほど、心が揺らぐものです。我々からすると、今回はむしろ順調だったという印象でした。それは、fundbookのアドバイザーの方とEarth Technologyさんが深く話し込まれていたからだと思います。M&Aは、誤解しながら進めていくと、途中で何度も転んでしまうもの。しかし今回は、立ち止まることはあっても、転ぶことはありませんでしたから。

    能代氏:もしアドバイザーの方が違う方だったら、きっとこの展開にはなっていなかったと思います。谷川に対するメンタルのケアだけではなく、M&Aには必要書類の準備など物理的な作業もとても多く発生します。通常業務に支障がないように一生懸命サポートしてくださっているのが伝わってきました。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ
    Earth Technology株式会社 代表取締役 能代 達也氏

    このM&Aが「いい選択だった」と言える、それぞれの未来に向かって

    成約後、どのような変化がありましたか?

    黒澤氏:能代さんが谷川さんに代わって社長に就任し、上場を見据えた体制を整えているところです。当社では投資をしてから100日間で管理部門の組織作り、月次活動報告などの経営状況をモニタリングできる体制作りは優先順位を上げて取り組んでいます。

    今後は「英語×IT」の主力事業に加えて、2019年7月よりセールスフォース・ドットコムからコンサルティングパートナーとして認定されたセールスフォース事業を第二の事業として伸ばしていく予定です。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ
    CLSAキャピタルパートナーズジャパン株式会社 アナリスト 黒澤 成樹氏

    能代氏:経営課題でもあった、優秀なバイリンガルエンジニアの定着についても、長く活躍できるイメージが持てるようなキャリアパスの整備も進めているところです。海外での活躍を希望するエンジニアも多くいるため、CLSAのネットワークを活かすこともできるのではないかと考えています。離職することなく働き続けることによって、組織の規模も売上実績も、これまで以上に拡大していくのではないかと見込んでいます。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    谷川様の今後のビジョンは?

    谷川氏:今、新たな会社を立ち上げているところです。社会に新しい職業を作るようなプロジェクトを進めています。改めてゼロからイチを築くフェーズに立ってみて、大変さが身に染みているところです。この第二子とも言える新しい会社の生みの苦しみは、経営者としての新たな挑戦、自分が望んだ勉強だと思っています。

    託した会社の体制が変わり進化していく様子を見て、寂しさがないといったら嘘になります。しかし自分が作った会社が大きくなっていくことは、とても喜ばしいこと。こっちも負けてられないぞ、という刺激にもなります。一社だけではなく、二社三社といい会社を作っていくことができてこそ本物の経営者。このM&Aはゴールではなく、新しいスタートに他なりません。あのM&Aが「いい選択だった」と言えるようにするためにも、新たな道を突き進んでいきたいと思います。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    M&Aアドバイザーの存在がより大きくなっていく時代へ

    Earth Technology株式会社
    会長 谷川 昭雄氏

    今回のM&Aでは、経営者として今後も成長していきたいと考えていた私も、Earth Technologyでこれからも頑張りたいという従業員たちも、それぞれが自分の道を迷いなく進むことができました。こんな新しい形のスタートを迎えることができて、大変嬉しく思っています。

    M&Aを通じて気づかされたのは、自分が作った会社を、自分以外の誰かに託して成長させる手段もあるということ。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、創業者なら誰もが「自分じゃないとできない」と言うと思います。しかし、それは願望のような思い込みでした。会社を成長させる手段として、M&Aという選択肢にはマイナス要素はありません。もちろん、しっかりとした企業との出会いが大前提です。

    最近では、利益目的のためにイグジットする若手経営者も増えてきていますが、ビジネスはどこまでも人ありき。数字だけで成立した関係性では、強い組織として進化させていくことは難しいものです。これから若手経営者が新たな成長機会としてM&Aを検討することが増えていくと思いますが、そのときには、M&Aをする目的を見失わないよう、寄り添い、そして冷静な相手選びをサポートしてくれるアドバイザーの存在はさらに大きくなっていくのではないでしょうか。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    若手経営者の可能性を広げるM&Aを、これからも

    CLSAキャピタルパートナーズジャパン株式会社
    マネージングディレクター 中 俊二氏

    今回は、素晴らしい企業様をご紹介いただいてとても感謝しています。当社では主に中堅優良企業に特化して支援しています。Earth Technologyさんは、その安定性や成長性から、今後間違いなく成長曲線の角度を大きく上げることができると確信し、投資を決定しました。

    近年ではM&Aに対するイメージもかなり変わってきました。以前は60〜70代の経営者が後継者不在をきっかけにM&Aを検討されるケースが大多数でした。しかし現在は、30〜40代経営者が「新しいビジネスに着手するために」という声が多くなってきたのを感じます。

    当社としても、今後より多くの将来有望な経営者を、そして彼らが生み出した新たなビジネスの可能性を広げていきたいと考えています。そうした出会いの数々が、より明るい社会へと繋がっていくことを信じて。

    経営者としてさらなる成長を、M&Aで新たなステージへ

    担当アドバイザーのコメント

    Earth Technology様はITと英語をかけ合わせた独自性のあるビジネスモデルと、高い技術力を持った素晴らしい企業です。しかし、谷川会長は、より自社の事業を拡大し、従業員満足度を高めていくためには他社と協業して経営体制の再構築、仕組み作りが必要だと、課題をお持ちでした。

    ご一緒になられたCLSAキャピタルパートナーズ様は、これまで数多くの企業をご支援され上場に導かれた、経営構築のプロフェッショナル企業です。谷川会長や能代社長、そして中様や黒澤様の人柄も含め、これほどM&Aのニーズが合致したお相手はいないと確信し、ご提案いたしました。ご両社が顔合わせした初回のご面談の際は、想定していた通り意気投合されていた様子で、私自身も今後のご両社の発展を期待し、胸を膨らませたのを覚えています。

    ご成約に向けて取引を進めていた中、新型コロナウイルス感染症が発生したため影響を懸念しましたが、非常にスムーズに今回のご成約に至りました。現在も変わらず関係はご良好で、業績も堅調に推移されています。そして、高いモチベーションで働かれている従業員の皆様のお姿を拝見し、担当アドバイザーとしてとても嬉しく思います。

    今後もご両社のノウハウが交わり、多くの相乗効果を発揮され、一層ご発展されていくことを祈念しています。

  • インタビュー

    2019年4月15日、譲渡成立

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    山昭運輸株式会社代表取締役の山本明彦氏は、一部上場企業に勤めながら家業の経営を引き継ぎました。しかし、景気や業界環境の変化によって資金繰りが厳しくなり、明るい将来像が描けずにいたそうです。

    そんな折、税理士からの提案でM&Aの検討を始め、抱えていた不安を一つひとつ解消させながら、2019年4月、兼子グループの徳三運輸倉庫株式会社への株式譲渡を行いました。その後は同社とのパートナーシップのもと、顧客の新規開拓や業務の効率化、不足していたドライバーの採用などを通じて業績が改善し、明るい兆しが見られています。M&A成約までの経緯を、山昭運輸の山本氏と、徳三運輸倉庫の兼子卓三社長に伺いました。

    従業員の生活を第一に考え、M&Aを検討

    山昭運輸様の事業や、山本社長がどのように関わられてきたかについて教えてください。

    山本氏:父がトラック1台から始めた運送業を、1971年に会社組織に改めたのが山昭運輸です。横浜港で主に海上コンテナ輸送を行い、最盛期にはトラック15台ほどを有していました。私自身は米国の大学を卒業し、帰国後に一部上場の総合物流会社へ入社しました。そこで携わったのは家業とは異なる航空貨物輸送の仕事で、2018年に定年退職するまでの多くの期間を、海外で支店長として勤めています。ただ、直近の10年ほどは、山昭運輸を切り盛りしていた母が亡くなったため、同社の経営を引き継ぎ、サラリーマンと社長という“二足のわらじ”を履いてきました。

    長年続いた家業をいきなり終わらせるわけにもいかず、何より、苦楽をともにしてきた従業員がおりますので、その生活を守らねばならないという使命感でこれまでなんとかやってきました。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    サラリーマンと社長業の両立は、なかなか困難なことのように思われます。

    山本氏:先代の時代にも専務として経営に携わっていたので、そう難しくはないだろうといった気持ちが正直ありました。しかし、私一人の肩に全ての従業員の生活がかかっているという重圧は桁違いでしたね。

    また、山昭運輸は、景気や業界環境の変化による影響も大きく受けていました。たとえば、2007年の自動車NOx・PM法改正によって排出ガス規制が厳しくなったため、銀行から多額の借入を行い、当時10数台あったトラックを全て入れ替えています。その負債は重石として、私の代になっても経営を圧迫し続け、苦労を見かねた税理士を通じて、fundbookにご相談することとなりました。

    それが、2018年の初めですね。M&Aに対する印象はいかがでしたか?

    山本氏:M&Aは海外では頻繁に行われていて、私も海外駐在時代によく見聞きしたものです。一方、日本ではまだ一般的でなく、お客様からどう見られるかが気になりました。ただ、fundbookの提案が、当社の状況をきっちりと踏まえた現実味のある内容だったので、話を進めてもらうことにしたのです。

    ただし、この時点ではM&Aのほかに、廃業も選択肢としてありました。私自身、子どもがいないため、後継者問題はいずれ直面するもの。このまま私が経営できるのは年齢を考えれば、あと5年10年というところでしょう。それまでの間に、うまく後を引き継いでくださる経営者が現れてくれればM&Aは有望な選択肢になりますし、そうでなければ廃業についても考えておかねばならない、という状況でした。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    縁を感じたきっかけは、「番地まで同じ」だった住所

    M&Aの検討を進める際に、大切にされたのはどういったことでしょうか。

    山本氏:従業員がそのまま仕事を続けられる形で、会社を存続していただくこと。それから、「山昭運輸」の名を残していただくことですね。2018年10月より相手探しを始め、十数社の候補先から3社とお会いしました。その中でも特に、徳三運輸倉庫の兼子社長には、山昭運輸を安心して託すことのできるような本気度や気概が感じられたのです。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    徳三運輸倉庫様のこれまでの歩みを教えてください。

    (徳三運輸倉庫株式会社 兼子 卓三氏)

    兼子氏:当社は1984年に静岡県清水市で創業以来、「人を大切に、物を大切に」を基本理念として、運送や倉庫管理、労働者派遣などの事業を行ってきました。兼子グループとしては、関東・中部地方を中心として全国各地に拠点を拡大していますが、これらの多くはM&Aによるものです。最初のM&Aはもう25年も前のこと。いずれの場合も、その会社の文化や歴史、従業員の方々の雰囲気を見させていただき、ご縁を感じられれば話を進めてきました。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    山昭運輸様とのM&Aを決めた理由は?

    兼子氏:今回、山昭運輸とのご縁を感じたのは、兼子グループの中核企業である株式会社兼子の横浜工場と、番地まで住所が同じだったからです。fundbookから紹介されたとき、「横浜市中区新山下」という住所がパッと目に飛び込んできて、運命的なものを感じました。当社は、主力事業である古紙取引の一部を輸出していますが、その運送業務はこれまで外部に委託していました。横浜港で山昭運輸が培われてきたものを引き継ぐことができれば、それを内製化できるのではないかと考え、M&Aの検討を始めたのです。

    最初の面談で、お互いの印象はどのようなものでしたか?

    兼子氏:山本社長は、紳士的な方でとても好印象でした。経歴を伺ったところ海外駐在が長いとのことで、合点がいきましたね。譲受させていただく立場としては、譲渡企業の事業内容や財務状況とともに、経営者の考えや人柄も大切です。実際にM&Aを進めるかを決める、大事なポイントだと思います。

    山本氏:私も、直接お会いした時の直感を重視していました。兼子社長は、グループのトップとして多くの企業を束ねる優れた経営者でありながら、フレンドリーで、気安くお話しができる方。従業員一人ひとりに対しても誠実に向き合っておられ、この方なら安心して託すことができると思えました。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    M&A成約から半年で過去最高の売上高を達成

    M&A成約に至るまでのfundbookの対応は

    山本氏:初めてのM&Aでしたから、どうしても不安が先立ちました。ですが、fundbookのアドバイザーの方が、何度も電話や面談でフォローしてくださったので、その都度小さな不安が解消され、大きな安心につながりました。また、山昭運輸が存続し、発展していくためのM&Aというのを頭では分かっていても、会社を手放すといったネガティブなイメージにとらわれ少しセンチメンタルになってしまう時期がありました。そのようなときも本質に目を向けられるよう、しっかりと言葉をかけてもらえたことで、前向きにM&Aを進めることができたと感謝しています。

    兼子氏:アドバイザーの方が細やかに対応し、数々の微調整などの手間を惜しまず、山昭運輸と当社の双方が心から納得できるところまで導いてくれました。M&A仲介会社としての手腕やノウハウといったものを肌で感じましたね。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    成約から半年が経ちました。会社や事業にはどのような変化がありましたか?

    兼子氏:山昭運輸には、30年以上勤務されてきた方が多数おられます。皆さんが愛社精神や仕事に対するプライドをお持ちであり、また、港湾運送の仕事においては私どもよりも遥かに大先輩なわけです。それに対して居丈高に、一方的にこちらのやり方を押しつけても上手くいくはずがありません。変えるのではなく、足りなかった部分を補うというつもりで、一緒にやってきています。

    山本氏:山昭運輸らしい、良い部分を残したまま、うまく肉付けをしていただいており感謝しています。安全対策や教育プログラムの強化、点呼システムの導入やタコメーターのデジタル化など、あらゆる面での見直しを通じて運行効率も向上しています。そうした改善の取り組みが実って、この10月には過去最高の1車両当たり売上高を達成することができました。

    1971年創業以来の売上高というと、目覚しい成果ですね。

    兼子氏:山昭運輸の従来のお客様にも変わらずお取引いただいていますし、私どものリサイクル事業にも関わっていただくことで運送業務の隙間時間を埋め、1台のトラックがフル稼働できるようにしています。そうしたトータルの結果でしょう。

    山本氏:採用方法も工夫し、若手のドライバー採用がうまくいき始めています。人が増えればトラックも増やせますし、大変良い循環ができていると思います。また、11月には株式会社兼子の横浜工場と事務所を統合しました。着々と新たな組織体制が構築されていますし、これまで以上に一丸となって成長していきたいですね。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    「どう見られるか」は、余計な心配

    山昭運輸株式会社
    代表取締役 山本明彦 氏

    経営を見直す、あるいは立て直すうえで、M&Aという手法に対して「怖い」と思われるのは当然です。関連法規も含め、門外漢には分からないことだらけですから。私もfundbookという、密度濃く、的確にアドバイスしてくださる存在なしには、とても踏み出せなかったですし、やり遂げることもできなかったと思っています。

    また、多くの経営者が危惧するのが、顧客や取引先、地域からの反応でしょう。当初は悲観的に見られるのではと、私も不安でした。ですが、お得意様へご報告した際に意外にも「それは良かった」「これで安心だね」というポジティブな声が多く、選択は間違っていなかったのだと感じました。現在も「山昭運輸」の名は続いており、ドライバーやトラックも増えていることで、M&Aの成果を実感しています。今後さらにM&Aのポジティブな面が認知され、多くの経営者がネガティブなイメージではなく、「M&Aによって得られること」を第一に考えられるようになると良いですね。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    M&Aは想定以上の事業拡大につながる選択肢

    徳三運輸倉庫株式会社
    代表取締役社長 兼子卓三 氏

    譲受企業にとってM&Aは、事業をゼロから立ち上げるリスクを回避し、素晴らしい会社の歴史やノウハウ、即戦力の人材を得ることができる好適な手段。特に昨今はどの分野においても優れた人材の採用が困難ですから、山昭運輸のように熟練した従業員の多い企業を譲り受ける機会は貴重です。もちろん譲渡を考えられる経営者には、それぞれの経緯や複雑な思いもあることでしょう。しかし、双方のシナジーを発揮することでさらなる事業拡大につなげられるM&Aは、譲渡企業にとっても有意義な選択肢になるのではないでしょうか。

    今回のM&Aでは当社として初めて、専門のM&A仲介会社に依頼させていただきました。条件の微調整においては驚くほど細やかに、納得のいく進め方をしてくださいました。今後は、山本社長や、全ての従業員とともに、皆が夢を持って大きく成長できる会社にしていきたいと思います。

    二足のわらじで10年、家業を守った社長の決断

    歴史ある企業の「魅力」は、社会に残すべき財産

    (担当アドバイザーのコメント)

    山本社長と初めてお会いしたのは2018年5月です。

    当時はまだ大手企業に勤務されながら、家業である山昭運輸の経営を担っていらっしゃる頃で、長年の負債に悩まされ、将来への危機感と不安を感じられていた中でのご相談でした。

    課題が山積みで思い切った経営判断ができない八方塞がりの状況に、廃業も考えていると苦しい胸の内を打ち明けてくださったとき、なんとしても良いお相手を見つけ、この会社を残したいと決意したのを覚えています。

    山昭運輸様は業歴50年以上の歴史があり、横浜という好立地。地元の人脈も広く、とても魅力的な企業です。お相手は早期に見つかると確信していました。M&Aを進めていく過程でさまざまな問題に直面し、状況を打開することが困難な時期もありましたが、一つひとつ、山本社長とともに考え乗り越えてきたことを、今では懐かしく思います。

    ご成約から半年が経ちますが、徳三運輸倉庫様という素晴らしいパートナーを得て、これまで以上に従業員の方々が生き生きと働いていらっしゃることを感じました。本件にお力添えできたことを大変嬉しく感じております。

  • インタビュー

    2019年5月14日、譲渡成立

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    株式会社ラグザイアは2004年の創業以来、代表取締役社長の毛利良相氏と取締役副社長の佐藤学氏が二人三脚で経営を行い、着実に成長を遂げてきた開発会社です。2010年頃からはRuby on Railsに特化したプロフェッショナル集団として、独自の存在感を発揮しています。

    二人がM&Aの検討を始めたのは、「これまで熱心に取り組んできた経営がどう評価されるのだろう?」というふとした興味からでした。それが、業務用システム開発大手の株式会社ビーイングとの縁につながり、2019年5月、同社とのM&Aが成約に至ります。二つのIT企業はどのようにして出会い、どのような経緯で結ばれたのか、ラグザイア毛利氏と佐藤氏、そしてビーイングの常務取締役経理部長である後藤伸悟氏に伺いました。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    親友と起業した「技術者のための会社」

    ラグザイア様の創業の経緯を教えてください。

    毛利氏:私は新卒でシステム開発会社へ入社したのですが、SES(システムエンジニアリングサービス)の会社だったので、プロジェクトごとに客先へ派遣され、常駐で開発に携わっていました。そのため、帰属意識を感じることもなく、ある程度技術が身についた頃には、大学からの友人だった佐藤と「一緒に会社をつくろうか」と話し合うようになりました。技術者のための会社をつくって、自分たちでサービスを開発し、世に送り出していきたかったのです。

    佐藤氏:私は、当時働きながら司法書士を目指していました。ただ、毛利と話し合ううちに、二人で起業する道も面白そうだと思うようになり、そうして会社を作ったのが2004年です。しばらくはお互いにそれまでの仕事を続けていましたが、私が司法書士からラグザイアの経営に完全に舵を切ったため、毛利もラグザイアに専念するようになったのです。

    毛利氏:私はアバウトな性分ですが、佐藤は緻密。タイプの異なる二人でやれば、絶対にうまくいくという確信がありました。以来、私は売上に、彼はコスト管理に集中し、その体制は今も変わりません。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A
    株式会社ラグザイア 代表取締役 毛利 良相氏
    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A
    株式会社ラグザイア 取締役 副社長 佐藤 学氏

    これまで、どのように事業を営まれてきたのですか?

    毛利氏:お客様との対話を通じて、私たちが本当にやりたいと思える開発案件を中心に手がけてきました。そのため、自ら仕事をつくっている手応えがありましたし、事業も順調に成長を続けてきました。また、人材採用や育成には特に力を注いできたので、個々の技術者のレベルも高いですよ。2019年現在、正社員は16名で3分の1が10年以上当社で働いてくれています。IT企業はどこも人手不足ですが、こうして愛着をもってくれる仲間がいるのは心強いです。

    創業時に目指された「技術者のための会社」が実現されていますね。そのために意識されたことはありますか?

    毛利氏:労働環境の整備ですね。技術者がストレスなく開発に専念できるよう、サクサク動作するマシンを揃え、オフィス空間もゆとりのあるものにしました。勤務時間についても、ある程度個人の裁量に任せています。それぞれが、ライフステージにあわせて柔軟に仕事ができるような環境づくりにこだわってきました。

    佐藤氏:人を財産と考え、何より大切にしてきたからこそ、彼らも会社の成長にコミットして働いてくれているのだと思います。当社では、受注した案件を誰が担当するのかまで現場の従業員に任せていますし、会社全体に関わることも基本的には幹部陣と話し合ったうえで決定しています。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    Ruby on Railsでの開発に特化されるようになったのは何故ですか?

    毛利氏:2007年頃、当時走りだったアジャイル開発に魅力を感じました。要件をがっちり固めてから開発に着手する従来の手法と比べて、機能ごとに細かい開発サイクルを繰り返すためリリースまでが早く、仕様変更のご要望にも柔軟に対応できるからです。このアジャイル開発にもっとも適している言語がRubyでした。Ruby on Railsでの開発力を高めていくことで、他社との差別化になると考えたのです。

    また、その翌年にはリーマン・ショックが起こりました。同業他社の倒産が相次ぎ、当社の売上も大きく落ち込んでしまった。そこで幹部陣と今後の方針を考え、Ruby on Railsに特化することで生き残りを図っていこうと決めました。そうして「Ruby on Rails 専門」と打ち出していったところ、以前にも増して多くのご依頼をいただけるようになり、現在に至ります。

    “通信簿”をもらう気持ちで、企業価値評価を依頼

    M&A検討に至った経緯を教えてください。

    毛利氏: 同業の経営者と話していると、M&Aはよく話題にのぼります。ただ、私自身はあまり自分ごととしては捉えていませんでしたね。fundbookのアドバイザーの方とお会いしたのは、2018年の秋頃でした。実は、その期は業績が絶好調だったため、会社の”通信簿”をもらうような好奇心に近い気持ちで企業価値評価をお願いしました。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    その時点ではまだ、M&Aへの意欲は持たれていなかったのですね。

    毛利氏:あまりなかったですね。ただ、この業界でありがちな、不足する人材を補うためのM&Aではなく、組織としての技術力・開発力を活かして共に成長していけるような候補先があるならば、ぜひ話を聞いてみたいとfundbookには伝えました。

    そして、fundbookからご提案したお相手が、ビーイング様でした。ビーイング様は、なぜ今回のM&Aを検討されたのでしょう?

    後藤氏:当社は1984年に三重県津市で創業し、オリジナルソフトウェアの開発・販売を行っています。全国17都市に営業拠点を持ち、2019年で上場20周年を迎えます。建設・建築業界向けの土木工事積算システムや入札管理システムを主力製品としているのですが、近年はさらなる収益の柱となる新製品開発に注力していました。そこで核となる技術が、Ruby on Railsだったのです。ところが社内に専門家がおらず、また、需要の高さから外注するにも良い依頼先が見つからず、開発は遅れがちでした。

    そんな時に、fundbookからラグザイアを紹介されたのです。当社がもう一段飛躍するための起爆剤となり得るRuby on Railsのプロフェッショナル集団。これはぜひとも前向きにM&Aを検討したいと。開発現場の組織や体制が自律的で安定しているのも魅力でしたね。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A
    株式会社ビーイング 常務取締役 経理部長 後藤 伸悟氏

    グループ会社の自立した姿がM&Aの決め手

    そうして初めて面談されたのが、2019年2月のことですね。お互いの第一印象はいかがでしたか?

    後藤氏:こちらはキーマンとなる現会長・現社長と私の3名で面談にのぞませていただきました。即戦力となる技術力の高さが魅力だったのに加えて、ラグザイアの今後の成長にも大いに期待できましたし、グループの発展に寄与してもらえるのではと見込んだのです。実際にお二人にお会いしてその期待は確信に変わり、この方たちとぜひ一緒にやっていきたいと、会長以下全員が感じました。

    毛利氏:私は、会長がご自身の創業の思いを語られたときに、京都で事業を興して家族を養ってくれた父の姿が重なって見え、勝手ながら親しみに近い思いを持たせていただきました。社長が私と同い年だったのも嬉しかったですね。幸先が良いと感じられました。

    佐藤氏:直接お話しさせていただいて、将来像がしっかりとイメージできました。M&Aというのは、一方的に買い叩かれるものではないのだと安心しました。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    しかしながら、そこから成約に至るまで、ラグザイア様はかなり悩まれたそうですね。

    毛利氏:目の前の仕事があるので、正直M&Aのことを考える余裕がありませんでした。一緒になれたらお互いに成長できるという確かな感覚があり、当社がM&Aをするのであれば、お相手はビーイングしかあり得ないとは思っていたのですが。重要なことですから腰を据えてじっくり考えたいと思いつつ、日々の業務に忙殺されてしまい、なかなか難しかったですね。

    佐藤氏:必要な資料や書類を整えるのはどうしてもプラスアルファの作業になりますから、後回しにしてしまいがちでした。M&Aについても正しい選択をしなければと感じながら、毛利と一緒に揺れていましたね。そのような時に、fundbookのアドバイザーの方が頻繁に連絡をくださったので、気持ちを維持することができたのだと思います。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    最終的にM&Aを決断されたのは、いつ頃だったのでしょうか?

    毛利氏:4月の末頃、ビーイングのグループ会社である株式会社プラスバイプラスの室田社長にお会いしたときですね。グループの一員となった今でも、自立して事業を運営されていて、私が望む当社の将来像を見た感覚でした。

    後藤氏:プラスバイプラスは、2008年12月にM&Aで譲り受けた会社です。M&A直後は社長と経理担当者を当社から出向させましたが、2~3年で体制が整ったため、プロパー社員だった室田さんに代表取締役社長に就任していただきました。M&A後も自立性を持って経営されている好例だと思います。fundbookからの提案で、当社の姿勢が伝わればと場を設けましたが、確かにこの出会いがきっかけでM&Aの話も前進しはじめましたね。

    M&A成約から半年が経ちました。会社や事業にはどのような変化がありましたか?

    毛利氏:経営者仲間からは「リタイアするの?」などと聞かれましたが、私も佐藤もそんなつもりはありませんし、会社の体制は基本的に何も変わっていません。むしろグループ入りしたことで財務基盤が安定したので、新たな事業展開に向けて動き出せるようになりました。まずは、今年度中に技術者を5人純増させるべく、採用活動に注力しているところです。私がRuby on Railsのイベントに参加したり、登壇したりして、意欲のある技術者の方と直接コミュニケーションをとっています。これまで以上にラグザイアを成長させ、ゆくゆくは、私たちの夢である自社サービスの開発も実現させていくつもりです。

    後藤氏:成約から1週間ほど経って、ラグザイアの従業員の皆さんにご挨拶させていただきました。毛利社長、佐藤副社長のお気持ちがきちんと伝わり、皆さんがこのM&Aを前向きに受け止めてくださっていたのを見て、安心しました。現在、私はラグザイアの監査役を務めていますが、特に口出しすることなく、今まで通りお二人に経営をお任せしています。半年が経ち、これからビーイングの新製品開発にも本格的に関わっていただくことになります。さらなる成長の原動力となるような製品ができることを楽しみにしています。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    夢の実現を一気に近づけたM&A

    株式会社ラグザイア
    代表取締役 毛利良相 氏

    私たちは、M&Aをまったく検討していないところからのスタートでした。そこからfundbookにビーイングという魅力的な会社をご紹介いただき、お話しを重ねるうちに、私も佐藤も、M&Aが最善の選択肢だと考えるようになっていました。特に、プラスバイプラスの室田社長にお会いしたことが、M&Aに対する気持ちを前向きにさせてくれました。実際にM&Aを経験された方のお話というのは、大きかった。その機会をつくってくれたfundbookには感謝しています。

    ラグザイアを設立して15年。経営者として色々なものを背負ってきただけに、決断するまでには時間がかかりました。しかし、こうしてM&Aが成約してみると、これまで抱えていた悩みやプレッシャー、いつしか心にこびりついていた贅肉やノイズのようなものから解き放たれたような気がします。こんなにもスッキリした気分で、また仕事に向かえるとは思ってもみませんでした。これは、体験しないと分からない感覚じゃないでしょうか。

    ビーイングと一緒になれたことで、創業のときから目指している自社サービスの開発に大きく近づくことができました。佐藤をはじめ、ラグザイアの仲間と変わらず仕事に励み、「技術者のための会社」をつくっていきたいと思います。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    共に助け合い、より上のステージを目指す

    株式会社ビーイング
    常務取締役経理部長 後藤伸悟 氏

    IT業界、特に私たちのようなシステム開発の世界において、M&Aはまったく珍しいものではありません。ただ、慢性的に人材が足りていない業界ですから、単に人材確保を目的とするものも多く、譲り受ける会社とのパートナーシップをいかに構築していくかが、一つの課題になっている気がします。

    当社がM&Aによって会社を譲り受ける場合、必要なサポートこそさせていただきますが、基本的には独立性を維持しつつ、それぞれ成長へのドライブをかけてもらおうというスタンスです。あまり会社の体制を変えはしませんし、従業員の方にも今まで通りに働いていただけるよう心がけています。それは、多くのグループ各社がゆるやかに連携し、助け合いながら共にステージを登っていくのが理想だと考えているからです。

    今は当社を含めて6つの会社でグループを構成していますが、経営陣は「将来的には100人の社長を作りたい」と明言しています。そのようなビジョンを実現するためのパートナーとして、毛利社長にも佐藤副社長にも、心から期待しています。

    夢は「自社サービスの開発」、二人が選択したM&A

    長年会社を共に育ててくれた従業員の幸せを願って

    (担当アドバイザーのコメント)

    毛利社長、佐藤副社長と初めてお会いしたとき、お二人は42歳という若さでありながら、直近の業績も好調、継続取引しているお客様も多数おられると伺いました。一方で、創業時から目指している「自社サービスの開発」になかなか着手できない状況が続いていることもお話しくださいました。単独での成長も十分に見込まれる状況で、なぜM&Aを検討されているのか。当初こそ私も不思議に思っていましたが、そのような歯がゆさが、M&Aを検討される一つのきっかけになったのかもしれません。

    また、これまでの経営のお話や今後のビジョンを深くお聞きするなかで、お二人の言葉の端々に、長年共に働いてきた従業員の皆さんに対する感謝の思いがにじみ、従業員の幸せを第一に考えていらっしゃるのだと感じました。「自社サービスの開発」と「従業員の幸せ」。この二つを叶える理想的なお相手として、数ある候補の中から提案させていただいたのが、ビーイング様です。

    ビーイング様は東証JASDAQ上場、主に建設・建築業界向けのソフトウェアの開発・販売事業を手がけ、ニッチ市場を先導するベンダー企業。業界での知名度も高く、財務体質も盤石です。そのような企業様とラグザイア様との良縁を結ぶお手伝いができたこと、心から嬉しく思います。今まさに取り組まれている新サービスの開発において、ラグザイア様がその技術力や開発力を存分に生かし、両社がさらなる成長を果たされること。そして、毛利様、佐藤様が創業時からの夢を実現されることを、楽しみにしています。

  • インタビュー

    2019年3月28日、譲渡成立

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    株式会社トライテック元代表の深野義昭氏は、入社して以来20年以上にわたって技術畑を歩み、開発部門のリーダーとして会社を支えてきました。2005年に創業者から経営を引き継いでからは、様々な苦労がありながらも、それまでの経験を活かし、より現場に近い目線での経営を心がけてきたそうです。

    そして2019年3月、深野氏は東海電子株式会社への株式譲渡を行いました。M&Aに対して、当初はネガティブなイメージを持っていたものの、実際にM&Aによる譲渡を経験したことで、価値観が180度変わったと語ります。東海電子とのM&Aの過程で、どのように価値観が変わっていったのか。トライテックの深野氏と、東海電子の代表取締役である杉本一成氏にお話を伺いました。

    技術者から社長に 周囲の支えがあって今日がある

    トライテック様の事業や、経営で心がけてきたことを教えてください。

    深野氏:当社は、組込機器のハードウェア、ソフトウェアなどの受託開発・設計などを行っています。現在の主力事業は、長年手がけている建設用機械の制御装置と、海苔巻きを自動で巻く寿司ロボットの電子基板製造です。業界・業種を問わず依頼を受けてきたので不得意分野がなく、お客様のニーズに合わせた製品を提供できるのが強みです。

    とにかく真面目に、誠実に、お客様と向き合うことにこだわってきました。おかげさまで、ここまでお客様や関係者に大きな迷惑をかけることなく、経営を続けてくることができました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    2005年に経営を引き継がれましたが、親族内承継ではないそうですね。社長就任後、どのような点で苦労されたのでしょうか?

    深野氏:創業者が病気を患い、当時取締役だった私が経営を引き継ぎました。ただ、若くして入社してからこれまで技術者としてしか仕事をしてこなかったので、会社を経営するとはどういうことなのか、本当の意味での理解はできていませんでした。実際に引き継ぐと大変なことだらけでしたね。

    まず、資金繰りに関しても素人ですから、総務から「借入金の返済期限ですが、どうしますか?」と聞かれても、逆に「どうすればいいの?」と聞き返す始末でした。長年お付き合いがある経営者の先輩や銀行の担当者、税理士の先生方の親身なアドバイスのおかげで、なんとかやってこられたのだと思います。

    また、バブル崩壊以降、電機業界全体が構造不況に陥ってしまっており、私の頭の中には常に「このままではいけない」という思いがありました。バブル崩壊以前は国内で様々な仕事が生まれていたので、当社のようなシステム開発会社への依頼も豊富にありました。しかし一転、会社が株主重視の経営になってくると、単価の安い海外の開発会社に、設計から製造まで一括で依頼する動きが強まり、国内の需要は縮小しました。そのような時代の変化に、我々はどう適応していけばいいのか。
    「このままではいけない」と思いつつも、時代に合わせた新しいサービスを生み出すことには苦心しました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    M&Aの扉を開くと理想的な経営者に出会えた

    M&Aを検討された理由を教えてください。

    深野氏:今年で還暦を迎えるにあたり、数年前から会社の引き継ぎを真剣に考えていました。しかし、私と同じ大変な思いをさせたくなかったので、親族や従業員の誰かに引き継ぐという選択肢はなく、出口が見えず動こうにも動けない状況でした。

    そんなときにfunbdookからご連絡をいただきました。実はM&Aに対して「お金のために会社を売る」「経営者として負け」といったネガティブなイメージがあったのですが、アドバイザーの方から話を聞いて、気持ちが大きく変わりました。「自分と会社は一心同体で墓場まで一緒だという考え方は、経営者としては本望でも、従業員に対して責任をとったことにはならない。でもM&Aなら事業を継続させることができて、従業員への責任も果たせる」という言葉が強く印象に残っています。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    M&Aを進めるうえで、不安な点はありましたか?

    深野氏:本当に理想的な譲渡先が見つかるのかという点ですね。fundbookから話を聞いて、M&Aが最良の選択だと気持ちは固まっていったのですが、トライテックの事業を理解し、ともに歩んでもらえるような企業がどれだけあるのだろうかと。従業員の転勤や会社の移転を強いられないか、M&A後に会社に残る人を選別されないか、ということも気がかりでした。

    そして、fundbookがご提案した譲渡先が、東海電子様でした。

    (東海電子株式会社 杉本 一成氏)

    杉本氏:当社は大手時計メーカーの製造下請けとして創業しました。専門的な技術はなく、パートの従業員を集めて単純な組立作業を行う、労働集約型の事業を22年続けておりましたが、90年代の円高進行とともに、メーカーの生産拠点がより安く生産できる海外に移転してしまい、当社の経営は非常に不安定な状態でした。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A
    東海電子株式会社 杉本 一成氏

    それが今では売上高25億円です。なぜ躍進できたのでしょうか?

    杉本氏:長男の入社を控えた2001年に、親子で新事業を展開していこうと一念発起し、システム開発事業本部を設立して自社開発に挑戦しました。何を作るかも決めずに走り出したのですが、当時は飲酒運転による交通事故が多発し、大きな社会問題となっていましたから「私たちの技術でこのような痛ましい悲劇を減らしたい」と、アルコール測定器を開発することに決めました。

    測定器自体はすでに世に存在していたのですが、当社は検知結果の記録・管理機能や不正防止の仕組みを導入して、ドライバーを雇う会社向けの「業務用アルコール測定システム」として完成させました。新たな市場を開拓したのです。そして、精度にこだわり製品を改良し続けたことと、ただ製品を売るのではなく年間保守契約をセットにした直接販売にしたことで、今日ではこの分野でトップとなりました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    なぜ今回M&Aを検討されたのでしょうか?

    杉本氏:第二創業期以降、測定器の開発はずっと自社で行ってきましたが、数年前に予算や人材の都合で開発がストップし、新製品を出せない期間が3年も続いてしまいました。そこで、開発を外部に委託してみたのですが、今度は設計変更など開発後の小回りがきかなくなってしまい、やはりもう一度内製化しようという結論に。そうして改めて技術者の採用を始めたものの、なかなか欲しい技術者が見つかりませんでした。

    fundbookとの出会いはその頃ですね。普段はM&A仲介会社から届く手紙に目を通すことはないのですが、fundbookからの手紙には目が留まり、会ってみようと思ったのです。実際にお会いすると、アドバイザーの方が前職で設計をしていた経験をお持ちで、非常に話が合いました。これは縁としか言いようがない。そして、当社のニーズにぴったりな企業として、すぐにトライテックを提案していただきました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    東海電子や杉本様について、深野様はどのような印象を持たれましたか?

    深野氏:譲渡先の候補として5社と面談させていただいたのですが、杉本社長との面談にはまるで雷に打たれたような衝撃があり、すぐに心が決まりました。お互い下請け時代に苦労した経験から意気投合し、大きな会社の代表で、経営者として大先輩であるにもかかわらず、こちらが緊張しない距離感で向き合ってくださるお人柄が魅力でした。

    後日お会いした役員の方々も人当たりの良い方ばかりで、「こんな会社があるのか」と杉本社長の経営者としての手腕の高さを改めて感じました。また、当社と東海電子は創業時期がわずか2年違いなのですが、相当な覚悟と独自のアイデアで第二創業に挑み、下請けから飛躍されたところも非常に尊敬します。

    杉本様は、トライテックや深野様にどのような印象を持たれましたか?

    杉本氏:深野さんは真面目で実直そうな技術畑の方。従業員の方々も真摯に仕事に取り組まれており、一貫して製品を作れる技術も揃っていました。お相手にはピッタリだと感じ、ぜひお話を進めたいと思いました。

    トライテックには利益を生み出す技術力があります。資料を見れば一目瞭然。創業者時代の負債が重荷になっているようでしたが、深野社長のもと、非常に頑張っていることが分かります。当社もお金のことでは本当に苦しみましたが、利益体質に生まれ変わることと、適切なコストコントロールをすることで脱却できました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    成約までの過程で印象に残っていることはありますか?

    深野氏:当社の「数字にならない部分」まで丁寧に光を当て、理解していただけたことです。特に人材の価値は単純に数値化できないものですが、fundbookのアドバイザーの方が従業員一人ひとりとの面談を通して彼らの価値を拾い上げ、それを東海電子に伝えてくださいました。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    従業員の雇用が守られ、待遇改善も実現

    2018年秋に最初の顔合わせがあり、半年後に譲渡が成立しました。成立した際のお気持ちは。

    深野氏:最終契約書の調印までとても忙しい日々が続いたので、直後は脱力状態、数日後にこれまでの重圧から解放された感覚がありました。譲渡後も私は会社に残っておりますので、新たなスタートから4ヶ月経った今は、会社のさらなる成長に向けて、これまで以上に頑張らねばと身の引き締まる思いです。

    会社や事業にはどのような変化がありましたか?

    深野氏:従業員への公表は調印直前でした。調印後すぐに杉本社長が当社を訪問され、M&Aに伴う転勤や会社の移転はなく、全従業員の雇用が維持されること、さらに待遇改善を行うことを説明してくださいました。新しいトップの言葉を直接聞くことができて、社内にホッとした雰囲気が広がったのを感じました。

    現在は東海電子の開発内製化に向けたプロジェクトが進んでいまして、とても大きな役割を当社に任せていただいてます。従業員の士気も高まっていますし、以前より活気のある雰囲気の中で働けていると思います。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    「会社という資産を社会に残す」それがM&A

    株式会社トライテック
    取締役 深野義昭 氏

    経営者は一国一城の主です。会社と、ともに働く従業員を守るために、死力を尽くすのが経営者だと考えてきました。そのため、M&Aに対しては、会社を守りきれなかった経営者が選択するものというネガティブな印象があり、当社には他に選択肢がないと分かっていながら、なかなか踏ん切りがつきませんでした。

    しかし、M&Aによって会社を譲った現在は、価値観が大きく変わっています。より広い視野で考えてみると、長い歴史を通じて会社が培った固有の技術や組織としての力、優れた人材は「社会にとって貴重な資産」と言えます。M&Aは、その資産を絶やすことなく次世代に伝えていける選択肢。会社と従業員を守りたいと願う経営者にとって、検討する価値のあるものだと気づかされました。事業承継を考える経営者の方々に、もっとM&Aのプラスの面が認知され、今後ますます活用されていくことを願っています。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    M&Aがもたらしてくれた素晴らしい出会い

    東海電子株式会社
    代表取締役 杉本一成 氏

    今回は、当社にとって初めてのM&Aです。製品開発の内製化のために、優れた技術者を確保することが目的でした。しかし、トライテックをご紹介いただき、深野社長とお話しを重ねるなかで、単なる人材確保というニーズ以上に、この会社と一緒に成長していきたいという気持ちが、強くなっていったのを覚えています。会社の業績や技術力を冷静に見極める必要があるのはもちろんですが、このお相手だからこそと思えるのが、理想なのだと感じます。

    トライテックと出会えたおかげで、当社は自社製品の開発を再び内製化する目処が立ちました。それと同時に、同社の優秀な従業員の方々の将来に対する責任も引き受けました。今後、お互いが補い合い、シナジーを最大限に発揮していけることを楽しみにしています。

    「雷に打たれたような出会い」エンジニア社長のM&A

    失くしてはならない優れた技術を次代へ

    (担当アドバイザーのコメント)

    私がfundbookに入社して、初めて担当させていただいたのがトライテック様です。

    前職で設計に携わっていたこともあり、深野様とは技術に関するお話をすることが多かったのですが、技術的なお話をされる際、まるで少年のように目をキラキラさせていらっしゃったことが印象に残っています。トライテックは技術者集団であり、従業員一人ひとりが強い信念を持っていると仰っていました。無理難題と思えるようなお客様のご要望にも粘り強く取り組み、解決に導いてきた従業員の方々の技術レベルは非常に高く、深野様はそれを、中小企業だからこそ培われた強みなのだと自負されていました。お話を伺うたびに心惹かれ、この経験と実績の詰まったトライテック様の技術を絶対に日本から失くしてはいけない、という強い使命感でサポートさせていただき、こうして良いご縁を結ぶことができたこと、大変嬉しく感じています。

    東海電子の杉本社長は、深野様との面談の際に、現在抱えている問題点や、今後の課題をご自身の口からお話しくださいました。過去に下請けとして事業を行っていたご経験から、深野様に共感される部分があったのではないかと思います。何事にも誠実に対応され、技術者としてのプライドを持った深野様。独自のアイデアで第二創業を成功された凄腕経営者の杉本社長。トライテック様と東海電子様が一緒になれば、今までにない素晴らしい製品を開発できると当初から確信しておりましたが、このM&Aが成約に至ったのは、深野様と杉本社長のお人柄がマッチし、それぞれの経営者としての想いが通じ合ったからこそだと思います。

    今後、両社がそれぞれの強みを活かしながら、精力的に新たな製品の開発に取り組んでいかれることを、心から楽しみにしております。

  • インタビュー

    2019年5月10日、譲渡成立

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    匠の技株式会社の代表取締役を務める武藤健一氏は、2012年に設立した米国法人のEC事業を年商数億円の規模にまで成長させ、2014年に日本で匠の技を創業。2016年にはヘルスケア製品ブランド「TAKUMED(タクメッド)」を立ち上げ、順調に業績を伸ばしてきました。

    そして2019年、同ブランド事業を京都の総合レジャー企業、三恵観光株式会社に譲渡します。手塩にかけて育てたオリジナルブランドを手放すという大きな決断。その決断に至った経緯やどのようにM&Aが進んだのかを、武藤社長と三恵観光株式会社の森部一浩常務に伺いました。

    サイドビジネスから自社ブランド立ち上げへ

    匠の技の創業は、サラリーマン時代に始めたサイドビジネスがきっかけだそうですね。創業の経緯について教えてください。

    武藤氏:2004年に自宅にあった印刷機を個人でECサイトに出品したのがきっかけですね。当時、私はアメリカのコンサルティング会社で働いていたのですが、それ以前から「優れた日本製品を海外で販売してみたい」という思いがありました。そして、ものは試しとトライしてみた結果、これがうまくいった。ただ、当時利用していたECサイトは出品や発送などの作業にとても手間がかかりまして。その後しばらくは何も出品していませんでした。

    それから2011年になって、家族でEC事業に再びチャレンジしました。今度は日本のアニメ関連商品や玩具に見当をつけて商品ラインナップを揃えたところ、狙いが見事に的中したんです。売上は順調に伸び、翌年には勤めていた会社をやめてアメリカで会社を設立しました。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    その後2014年に日本で匠の技株式会社を設立されました。なぜ改めて日本で創業されたのでしょうか?

    武藤氏:会社の設立当初は、日米の価格差が大きかったので利益を取りやすく、取扱商品を数千点規模に増やしてさらなる売上アップを目指していました。そのうち日本製品をアメリカで販売するだけでは年商数億円規模が限界だと分かってきたので、年商10億円規模を目指すために世界各国の商品を扱うクロスボーダートレードにシフト。ひたすら規模拡大を追い求めました。

    ところが、その翌年頃から当社と同じような事業を手がける企業の倒産が目立ち始め、私も今のビジネスモデルでは先がないという現実に気づきました。そこでもう一度、何がやりたいのかという原点に立ち返り、改めて日本製品の魅力を世界に伝えていこうと匠の技を設立しました。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    2016年に初めてオリジナルブランドを立ち上げられます。どのような思いが込められているのでしょうか?

    武藤氏:アメリカでのEC事業は年商数億円規模に育ちましたが、お客様の喜びの声に触れる機会がほとんどなかったので、どこか虚しさがありました。サラリーマン時代も金融商品など形のないものを扱っていましたから、ものづくりに対する憧れにも似た思いがあったのでしょう。いつしか日本のクオリティで価値ある商品を自ら作りあげたいと切望するようになりました。

    そこで、お客様が悩みや不便さを感じやすい分野として注目したのが、ヘルスケア製品です。中でも骨折された方の入浴用ギプスカバーは、品質やブランディングの面で既存の製品に改良の余地があると分かり、これをブラッシュアップしてオリジナル製品を開発しようと決めました。そして、2016年に自社ブランド「TAKUMED(タクメッド)」を立ち上げました。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    お客様の反応はいかがでしたか?

    武藤氏:骨折された方が入浴する際、従来はギプスにビニール袋を被せて入浴するという方が多かった。しかし、その方法ではどうしても水が入ってしまい皆さん不快で不便な思いをされていたんですね。TAKUMEDのギプスカバーは間口を伸縮性の高いシリコン製にするなど防水性を高めているので、患部がまったく濡れず快適です。商品レビューのページに「こんな製品が欲しかった」という感想を見つけたときは、本当に嬉しかったですね。今では日本国内で最も多く販売されているギプスカバーとなりました。

    オリジナル製品の開発を通じて実感したのは、世の中にあるすべての商品が必ずしも丁寧に説明されているわけではないということです。商品写真や説明文、パッケージに至るまで完璧と思える商品は多くありません。TAKUMEDはそこを重点的に改良し、オンライン販売であっても、お客様に丁寧に情報を届けることを大切にしました。

    出会いから1週間での成約は、任せられると確信したから

    そんなTAKUMEDブランドをM&Aにより事業譲渡されました。なぜなのでしょうか?

    武藤氏:TAKUMEDを通じて、オリジナル製品の開発・販売に手応えを得ることはできました。しかし、ブランドの確立や浸透という点では理想の形に到達できていません。TAKUMEDをより成長させるには、これまで以上に人的リソースや時間をかける必要がありますが、当社は私と妻の2名体制なので現実的でないという結論に至りました。

    そこで、思い入れのある事業だからこそ、安心してお任せできる方へ譲渡し、TAKUMEDを永続的にお客様に愛されるブランドへと成長させてもらいたいと考えました。そのうえで、当社はさらなる新ブランドの開発に注力し、現体制のままで「オリジナルブランドによる付加価値の提供」ができる企業を目指していこうと決断したのです。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    M&Aを考え始めたのはいつ頃ですか?

    武藤氏:2018年の末です。実際に動き始めたのは年が明けた2月頃でした。最初に行ったのはM&Aのマッチングサイトへの登録です。簡単な手続きで登録できるということだったので、まずはやってみようと思いました。  

    反応はいかがでしたか?

    武藤氏:大手企業をはじめ複数の法人・個人からご連絡をいただきました。ただ、その大半が10社20社と数多くの譲渡案件に気軽にアプローチをされていると感じられ、M&Aのお相手として相応しいのか測りかねていました。

    そこで、マッチングサイトと並行して他のM&A仲介会社にも問い合わせてみようと考え、ピンときたのがfundbookです。アドバイザリーとプラットフォームを組み合わせたハイブリッドなところが面白いなと思い、ご連絡しました。

    M&Aで重視されたポイントはどんなことですか?

    武藤氏:スピード感です。3ヶ月以内の譲渡を目指しました。少人数で事業を動かしているので、M&Aに多くの時間を割くわけにはいきません。半年〜1年以上かけて譲渡先をじっくり探すイメージはありませんでした。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    そして、fundbookからご提案したお相手が、三恵観光株式会社でした。森部常務は、なぜTAKUMEDに興味を持たれたのでしょうか?

    森部氏:当社は長年アミューズメント事業を軸としてきましたが、業界が年々厳しくなっていたことから、数年前に経営の多角化に舵を切りました。そこで注目していたのがEC事業です。とはいえノウハウはありませんし、多くの人材を投入する余裕もありませんでした。そのようなときに、お二人だけで事業を運営されているというTAKUMEDのご提案をいただきました。

    TAKUMEDのギプスカバーは非常にニッチで魅力的でした。実際に購入して使ってみたのですが、クオリティも素晴らしかった。さらにはブランディングの面でも優れていて、類似商品があっても消費者からするとまったくの別物に見えます。付加価値を高めるための最大限の努力をされている姿勢がうかがえ、興味を持ちました。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    武藤社長は三恵観光株式会社にどんな印象を持たれましたか?

    武藤氏:杉本社長と森部常務にお会いして、そのバイタリティやスピード感、親しみやすさに、とても良い印象を受けました。さまざまな新規事業に積極的に取り組んでおられますし、この方々ならばTAKUMEDをお任せできると確信しました。譲渡後も継続的にコミュニケーションを取らせていただいて、TAKUMEDブランドを成長させていくお手伝いをしていきたいと、その場でお話しいたしました。  

    森部常務は武藤社長にお会いになって、どんな印象を持たれましたか?

    森部氏:私は初対面の方の人柄を3分で見極められるのが特技なのですが(笑)、武藤社長はお会いした瞬間に「この方なら大丈夫」と思えました。非常に誠実な方だなという印象でした。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    初対面から成約まで、どれくらいの期間だったのでしょうか?

    森部氏:1週間です。当社もスピード重視の経営ですが、武藤社長のスピード感はそれ以上で驚きましたね。それでもfundbookさんが間に入って的確に条件や契約内容の調整をしてくださったおかげで、無事に予定通り成約することができました。

    武藤氏:現代はワンクリックで中国でのモノづくりができるような時代ですから、成約まで何週間も何ヶ月間もかけていると、事業のスピードと感覚のズレが生じてしまうんですね。私としては心地よいスピード感で進めることができて満足しています。

    譲渡後は新ブランド立ち上げに邁進

    成約から4ヶ月が経過しました。TAKUMED事業の現状はいかがですか?

    森部氏:おかげさまで売行きは順調ですが、同時にオンライン販売の難しさも感じています。聞いたこともない用語が次々と出てきますし、初めの頃は商品補充のタイミングが読めず、販売サイクルを確立するまでに少し時間がかかりました。自動車教習所で言えば、ポールにこすりながら縦列駐車にチャレンジしているような感覚でしょうか。しかし、武藤社長が「スーパー教官」として丁寧に指導してくださっていますし、何かあればすぐにサポートしてくださるので、とても心強いです。

    今後は、現在のオンライン販売を軌道に乗せること、国内でBtoBのアプローチを広げること、そして当社の台湾法人を通じて台湾の大手ECサイトでの販売も目指しています。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    匠の技では現在、どのような事業に取り組まれているのでしょう?

    武藤氏:現在はアロマグッズやヘアアクセサリーなど、生活雑貨を中心とした新規事業を進めています。一から育ててきたブランドを手放した寂しさはありますが、価値あるブランドを新しく立ち上げるという次の目標に向けて楽しみながら取り組んでいます。これまで以上にお客様に喜ばれるようなモノづくりに、邁進していきたいですね。  

    事業譲渡というイグジットの可能性

    匠の技株式会社
    代表取締役 武藤健一 氏

    今回、TAKUMEDの事業譲渡を検討した際、規模を問わず多くの企業様からお問い合わせをいただきました。当社のような小さな企業が生み出したブランドであっても、お客様にとって価値のある製品であるならば、譲渡のお相手が見つかる可能性は十分あるのだと感じました。

    私がM&Aというイグジットを進めていく中で、どのようなお相手が良いか判断に悩むこともありましたが、fundbookを通じて安心してTAKUMEDをお任せできる企業が見つかり、私も新ブランドの開発に注力できるようになりました。EC事業を運営されている経営者のなかには、同じような悩みを抱える方もいらっしゃるでしょう。そのような方は、M&Aを一つの選択肢として検討されてもよいのではないでしょうか。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    M&Aが盛んな今こそ、信頼できる人を見極めたい

    三恵観光株式会社
    常務取締役 森部一浩 氏

    経営の多角化に向けて、これまで何度もM&Aに関するセミナーに参加してきました。そのなかで無事に成約に至るケースは決して多くないと聞いていましたので、当社にとって初めてのM&Aが、こんなにもスムーズに成約したことに驚いています。

    近年は大企業だけでなく中小企業の間でもM&Aが盛んに行われています。私も新規事業開発室の室長として、さまざまな方面からご提案をいただく機会が増えてきました。今回実際にM&Aを経験し、このような時代だからこそ、何より信頼関係が大切なのだと実感しました。これからM&Aを検討されている方には、お相手となる経営者様だけでなく、間に立ってくれるアドバイザーさんに関しても、信頼できる人を見極めることが成功の秘訣だとお伝えしたいですね。

    M&Aの力で描く、小さなヘルスケアブランドの成長曲線

    確かな信頼が実現させた短期間での異業種マッチング

    (担当アドバイザーのコメント)

    この度は、匠の技株式会社様の「TAKUMED」ブランドを三恵観光株式会社様へ承継させるお手伝いができたことを大変光栄に思います。

    武藤社長と面談させていただき、最初はこれほど順調な事業を譲渡されることに疑問を持ちました。しかし、M&Aを通して「TAKUMED」ブランドを拡大し、より多くの方の生活を豊かにしたいという想いを伺い、M&Aの意義を改めて認識いたしました。

    そのときは、すでに他のプラットフォームサービスや仲介会社にもご相談されている状況でしたが、アドバイザー×プラットフォームそれぞれの強みを併せ持つ当社の「ハイブリッド型」M&A仲介サービスや、分業制によるスピード感に魅力を感じてくださり、お相手探しを任せていただくに至りました。

    「TAKUMED」製品は今後の市場展開が見込める大変有望な商品ですが、日本での認知度がまだ十分でないことから、お相手を探すのは簡単ではありませんでした。しかし、当社のプラットフォームや専門チームを通じて、幅広い選択肢の中から三恵観光様との素晴らしいご縁を結ぶことができました。特に大きかったのが、三恵観光様の杉本社長、森部常務と武藤社長に短期間で信頼関係を築いていただけたことです。それがあったからこそ、この異業種同士のマッチングが短期間で実現したのだと思います。

    武藤社長が育て上げられた「TAKUMED」ブランドが、三恵観光様というパートナーとともに、今後さらなる成長を遂げられることを楽しみにしております。

  • 相手探しが難しい?面分業薬局が譲渡先と出会えた理由
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    調剤薬局業界は医薬分業の進展によりこの十数年で急速に市場が拡大しました。現在は度重なる調剤報酬の改定や、個人経営の店舗における後継者不在など様々な理由からM&Aの動きが活発で、業界再編が進んでいます。

    今回の譲渡企業は、およそ30年にわたって地域医療の一端を担ってきた個人経営の調剤薬局です。オーナー様は将来的なご自身の引退を視野に入れつつ、地域のために薬局を存続・発展させたいとM&Aを検討されました。一般的に特定の門前病院を持たない面分業薬局はマッチングが難しいと言われています。およそ2ヶ月というスピード成約となった背景にはどのような出来事があったのでしょうか。譲渡成立からおよそ半年、経営者として、薬剤師として大きな転機となったこの2ヶ月間を改めてオーナー様に振り返っていただきました。

    立ち上げに関わった薬局 前経営者から引き継ぎ再スタート

    まずは、御社のこれまでの歩みについて教えてください。

    オーナー様:この薬局は私ではなく別の方が30年ほど前に創業されたものでした。私は立ち上げ当時に薬剤師として呼ばれて約10年間勤務していました。

    その後、別の薬局で働いたり店舗経営の経験を積んだりしていたのですが、十数年前に前経営者から「店を手放したいと考えている」と相談を受けました。私にとっては立ち上げに関わった思い入れのある薬局ですし、ちょうど都内に自分の店を構えたいと思っていましたので、2002年に前経営者から引き継ぎ、店名も改めて新しいスタートを切りました。建物の老朽化のためこれまで2度移転しましたが、創業当時からずっと同じ地域にあります。

    相手探しが難しい?面分業薬局が譲渡先と出会えた理由

    事業の特徴を教えてください。

    オーナー様:処方箋調剤が中心です。特定の病院が近くにない「面分業薬局」として、様々な医療機関の処方箋を受け付けています。近隣にある内科、皮膚科、眼科、整形外科、歯科、耳鼻咽喉科の患者様はもちろんのこと、職場付近で受診された医療機関の処方箋をお持ちになる方もいらっしゃいます。7名のパート従業員さんと仕事をしていますが、1店舗だけですので経営者としてというよりは、薬剤師として当たり前のことを大切にやってきました。ドクターや患者様の要望をできるだけ細かく察知して対応することを心がけています。

    また昨年から、患者様のお宅に訪問して薬剤治療のサポートを行う在宅医療を始めました。かかりつけの先生からご依頼を受けて、ご高齢で一人暮らしをされている患者様のお宅に月1回のペースで伺っています。

    団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、医療・介護など社会保障の課題が大きくなる「2025年問題」を見据えて、政府は在宅医療の拡充に力を入れています。我々のような地域の薬局としても在宅医療に舵を切るべき時が来ています。もっと言えば「在宅医療をやらないと、今後さらに再編が進むこの業界で生き残れない」と感じています。

    「やめないでほしい」 閉店を引き止めた患者の声

    なぜM&Aを検討されたのでしょうか?

    オーナー様:2017年頃からM&Aの仲介会社にお話をいただくようになって意識するようになりました。知り合いも含めて複数の会社からアプローチがありましたので。

    また、私自身が60代を迎えて、自分が退いた後のことを考えるようになりました。私には後継者がいませんので、引退と同時に店を閉じるのも一つの方法ですが、今まで来てくださった地域の患者様を思うとそういうわけにもいきません。これまでも幾度となく患者様に「やめないでほしい」と言われ、その度に「心配ないですよ」とお答えしてきました。ずっと、この薬局を将来まで継続させる方法を探していたんです。

    具体的にM&Aの検討を始めたのは2018年の夏です。店舗の移転による患者様離れで業績が下降気味だったこともあり、売上が安定している門前薬局でないと譲受先が見つかりにくいという話を聞いて不安になったこともありました。しかし、ちょうどそのタイミングでfundbookのアドバイザーさんにお会いし、「相手は見つかりますよ」と太鼓判を押してくださったのでお任せすることに決めました。

    在宅医療を拡大したいというご希望もありますね。

    オーナー様:そうですね。時代の流れもありますが、業績不振の打開策としても在宅医療のウエイトを増やす必要があると考えていました。ただ本格的に在宅医療をやっていくには、24時間体制をとらないといけません。昔の街の薬局といえば自宅の1階に店舗があることが多かったと思いますが、今は自宅と店舗が別々というのが主流です。私も電車で1時間半以上かけて通勤していますから、24時間体制というのは現実には難しい。そこに活路が開けるかもしれないというのも、M&Aの検討に踏み切った理由の一つです。

    実際のM&Aはどのように進んでいったのですか?

    オーナー様:fundbookさんにお会いしたのが2018年9月頃で、そのおよそ1ヶ月後には譲受企業の社長様と面談させていただきました。お話を伺うと色々なご経験をされていて、この方なら柔軟に対応してもらえるのではと思えました。私から「在宅医療に注力して薬局を存続させ、地域の患者様のお役に立ちたい」とお伝えし、その想いに共感していただけたようでした。

    アドバイザー:譲受企業の社長様にとって、東京進出への足がかりができるという実利の面もさることながら、お二人の経営方針や地域医療への想いが通じ合ったというのが決め手になったようです。トップ面談で方向性が一致したことからその後の手続きは非常にスムーズに進み、2019年1月1日に成約となりました。約2ヶ月でのスピード成約です。

    相手探しが難しい?面分業薬局が譲渡先と出会えた理由

    地域に在宅医療のニーズあり 薬剤師を補充して新展開へ

    わずか2ヶ月でM&Aが成立したのですね。

    オーナー様:先方から「M&Aの成約日は縁起の良い元日に」とご提案いただいた時は正直驚きましたし、本当に大丈夫かなと少し心配しました。私自身は2019年の春頃かなと考えていましたので。しかし、fundbookさんが非常に細やかに対応してくださり、手続きも着々と進んでいきましたので、私もだんだんと前向きな気持ちになることができました。1月1日、無事に譲渡が成立した時には、まずホッと一息ついたのを覚えています。

    成約後にはどのような変化がありましたか?

    オーナー様:調剤薬局グループという大きな組織の中に入ったことで、エリアマネージャーさんをはじめ相談できる存在ができ、これまでの孤独な経営から解放されました。何かあったときに一緒に解決しようとしてくれる方がいることは非常に有り難いことです。これから徐々に大きなテーマである在宅医療へ舵を切っていくことになると思います。

    実は最近、近くに在宅医療専門の薬局ができました。住宅街なのでご高齢の方の比率が比較的高いのです。他の薬局でも在宅医療に進出する店が増えており「業績不振からもう店を閉めようかと思っていたが、在宅医療を始めたところ、想像以上に多くの患者様に利用してもらえるようになった」という話も耳にしています。在宅医療を充実させたいという私の考えが、地域のニーズと一致していることが分かりましたので、譲受企業様とともにぜひ進めていきたいと考えています。

    アドバイザー:現在、薬剤師はオーナー様お一人という状況ですが、譲受企業様からもう一人薬剤師を派遣することで、在宅医療の拡充につなげていく方針と伺っています。

    相手探しが難しい?面分業薬局が譲渡先と出会えた理由

    地域の患者様のために、薬局の継続を

    譲渡企業オーナー様

    特に個人経営の調剤薬局では、業績不振や後継者の不在などで廃業を検討されている薬局が少なくありません。実際に私の周りにも同じ悩みを抱えている経営者がいらっしゃいます。しかし、近年は患者様にとって長期的な薬の相談の窓口になる「かかりつけ薬局」への移行が国によって促されていますし、地域医療における薬局の果たす役割はますます重要になっていきます。私たちは、いかに薬局を存続させるかを考えていくべきなのではないでしょうか。

    私は地域の患者様のためにM&Aという選択をしましたが、一時は相手が見つからず「廃業しかないのかもしれない」と不安になることもありました。そのような時にfundbookさんにお会いし、積極的な姿勢でサポートいただけたことで、前向きに将来を考えることができるようになりました。何より、納得できる譲受先をご紹介いただき、しっかりと結果を出してくださったことに感謝しています。

    担当アドバイザーコメント

    今回のM&Aを通じて、この仕事は関わる全ての人を幸せにできる仕事だということを再認識いたしました。

    後継者問題と調剤薬局業界の先行きに不安を感じられていた譲渡企業オーナー様、事業エリアの拡大を長年目指されていた譲受企業様、そしてオーナー様とともに働く従業員の皆さんや地域の患者様など、多くの方々が幸せになるためのお手伝いができたと感じております。

    今回の譲受企業様をご紹介した理由には、報酬改定等による事業環境の変化にも対応できる規模を有した企業であったこと、そしてM&Aにより事業を拡大していきたいという強いニーズを以前から伺っていたことがありました。もとより双方ともにメリットをご認識されていましたが、トップ面談で譲受企業オーナー様が、業界の動向や将来のビジョン、どのようなシナジーが発揮できるかを明確に、丁寧にご説明され、それが譲渡企業オーナー様の心を動かしてご成約の決め手になったのだと思います。

    譲渡企業様には、在宅診療等これからの新たな取り組みに期待しております。オーナー様が思い描かれていた地域と患者様により貢献できる調剤薬局を、ぜひ実現していただきたいですね。

  • インタビュー

    2018年12月25日、譲渡成立

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    静岡県の有限会社又一庵は、明治4年創業の老舗和菓子店。名物は熟練の職人が作る手焼きのきんつばで、地元のお客様から長年にわたり愛されてきました。しかし近年はコンビニ等が台頭した影響で苦しい経営を迫られ、鈴木康元社長はのれんを守るためにM&Aという決断を下します。

    その結果、経営体制の変更なしで成約直後から業績が回復し、当初は猛反対した長男たちも後継者の自覚を高めました。譲渡成立から5ヶ月、M&Aが劇的な好転をもたらした経緯について、鈴木社長と譲受企業の株式会社TTC河越社長にお話を伺いました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    コンビニ・大型店舗の台頭で経営厳しく

    又一庵は2019年で創業148年と非常に歴史のある和菓子店です。4代目である鈴木社長がM&Aを検討されるまでの経緯について教えてください。

    鈴木氏:私は5年ほど洋菓子の修行をした後、24歳で戻ってきました。当時は本店のみでしたが、きんつばが大変好評で毎日のように売り切れていたことから店舗を増やし、県内7店舗まで拡大しました。

    ところが近年はコンビニや大型店舗の影響で、いい商品を作っても以前のようには売れなくなってきたのです。私たちはお菓子を作るのは得意でも売るのは苦手。販売先を増やそうと営業をかけましたが、状況を打開できずにいました。また、当社は長男、長女、長女の夫が役員を務めておりますが、私と若い世代では意見が食い違うことも経営上の大きな課題で、このままでは空中分解してしまうと危機感を抱いていました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    そんな時、2018年5月にfundbookさんからご連絡をいただきました。お会いしてお話を聞いたところ、他の会社と一緒にやっていくことが一番必要なのではないかと考えるようになったのです。

    担当アドバイザーがご提案した譲渡先が株式会社TTCでした。

    アドバイザー:TTC様は、東京の百貨店や海外にも広く販売網を有し、行列のできる「熱海プリン」など商品プロデュース力も高い会社としてご提案いたしました。

    河越氏:当社は観光地における商品の企画・製造・卸・販売を行ってきましたが、時代の変化とともにブランド商品・店舗・企業の開発をテーマとするようになり、老舗企業支援のビジネスモデルも作りたいと考えているところに今回のお話をいただきました。私自身、又一庵のきんつばのファンであり、素材も技術も一流で日本を代表するきんつばメーカーだと思っていましたので、ぜひお話を進めたいと考えました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    鈴木氏:実は河越社長とは元々知り合いで、従業員教育を徹底されていることを存じ上げていました。譲渡先として申し分ないどころか、私たちでは恐れ多いのではないかと思ったほどです。

    息子たちが猛反対 成約前1ヶ月間に行った説得とは

    M&Aを進めるうえで難しかったのはどんな点でしょうか?

    鈴木氏:息子たちに猛反対されました。「騙されている」「上手くいかない」「自分たちで立て直せる」と言われましたね。しかし私はすでに会社を譲渡すると決めていましたので、成約前の1ヶ月間は、fundbookさんと一緒に息子たちの説得に身骨を砕きました。

    河越氏:又一庵の株式の大半は鈴木社長が保有していたため、M&Aは社長の独断で可能でした。しかし、私はそれでは意味がなく、家族全員から理解を得る必要があると考えていました。

    アドバイザー:河越社長からそのお考えを聞いた時、「この2社ならきっと上手くやっていける、一緒になるべきだ」と確信しました。

    まずは顧問税理士様のご同席のうえで、ご子息様たちに経営状況をご説明しました。現状は好ましいとは言えず、今後の見通しもさらに厳しくなるとお伝えしました。現状についてはご理解いただけたのですが、「数字を見ただけで納得はできない」という反応でした。

    そこで私から「役員として経営の意思決定をされるなら、譲渡先をよく知ったうえでご判断を」とお願いして、TTC様が手がけるサービスエリアや卵の専門店の視察にご案内しました。また、まるでアミューズメントパークのようなTTC様のホスピタリティの高さを肌身で感じ、河越社長とも直接お話しいただくために、本社にもお連れしました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    河越氏:私から「又一庵をどうしていきたいのか」と尋ねたところ、彼らは「歴史あるきんつばでお客様に本当に喜ばれる店にしていきたい」という思いを抱いていました。当社の店舗を実際に見て、「自分たちもこの会社と組めば、やりたいことを実現できるんじゃないか」という気持ちに少しずつ変わっていったようです。

    M&A後について、TTCは又一庵の経営にどのように関与すると説明されたのでしょうか?

    河越氏:老舗企業支援のビジネスモデルを確立するために、M&A後も社長・役員は変更せず同じ体制を継続したいとお伝えしました。当社には又一庵の素晴らしい技術をブランドとして光らせ、尖らせ、突き抜ける存在へと導くノウハウがあります。当社があらゆるアドバイスを行いサポートすれば、必ず業績アップし、東京進出や世界進出だって夢ではないのです。また、又一庵の将来を担う3人の教育も任せてくださいとお伝えしました。

    鈴木氏:やはり親子なので、私の言葉は素直に受け入れられない部分があります。ですからM&Aでは河越社長に息子たちを経営者として育てていただくことも大変期待していました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    fundbook担当アドバイザーの対応はいかがでしたか?

    鈴木氏:非常に誠実な方で、夜遅くまで電話でご対応いただいたり、息子たちとの間に入って色々とご苦労いただいたりしました。一生懸命な姿を見て「この方なら信頼できる」と思い、お任せできました。

    息子たちは成約の日までに100%納得した状態には至りませんでしたが、私たちの明るい未来を確信したアドバイザーさんが「なってみればわかりますから」と強く後押ししてくださったのも心強かったですね。

    M&A後も経営体制に変更なし およそ3ヶ月で黒字へ

    M&Aについて、従業員の方にはどのように伝えられましたか?

    河越氏:せっかくなら盛大にやりたいと思い、2019年1月11日に企業同士の「結婚式」を行いました。又一庵の全従業員さんに集まっていただき、M&Aの発表と当社の紹介を行いました。従業員さんが安心して働くことができ、最高の会社にしていこうと思えることが重要なので、そのきっかけにしたかったのです。

    鈴木氏:M&Aには不安もありましたが、TTCの方からうちの従業員にお酌をしていただいたりして、「本当にいい方々だ、これならやっていける」という気持ちになれました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    M&A後、どのような変化がありましたか?

    鈴木氏:経営体制や人員に変更はありませんが、TTCの方々に来ていただき当社の課題のピックアップや改善指導を本当に丁寧に行ってもらっています。また、週1回のビデオ通話による役員会議、月1回の合同会議を通じて密に連携しています。新商品の開発も進めており、TTCの強力な販売網も活用しながらきんつばに続く第二のブランドを作っていきたいと考えています。

    河越氏:私がまず行ったのは、又一庵にはどんなスタッフがいてどんな強みがあるのかを把握することです。そして、当社と又一庵はお客様の感動を創造するという経営理念が共通していたため、その実現に向けて当社の社是や「TTC三つの心(素直な心・肯定する心・感謝する心)」に基づく従業員研修を実施しました。経営理念の浸透と確立が第一と考えました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    経営が上手くいかないと社内が疲弊して後ろ向きになりがちですが、本当は素晴らしい人財が多いのだと気づかせることができれば、従業員に前向きな気持ちや責任感が芽生えます。さらに部門別損益への数字の意識も徹底しました。パート従業員さんまで一日の目標数値を頭に入れてどんな接客をすべきか自ら考えなければ、良くなっていきません。実際に結果としても表れており、2018年12月末に譲渡が成立してからおよそ3ヶ月、2019年3月には黒字に転じることができました。

    成立前に納得していらっしゃらなかったご子息様たちには、どのような変化がありましたか?

    鈴木氏:河越社長にお会いしたりTTCと会議を重ねたりするうちに、徐々にTTCの素晴らしさに気づき、後継者としての自覚を持つようになったようです。今では息子たちのほうが私よりも一生懸命頑張っていて、私にとってはM&Aの成果として一番嬉しいことです。

    「自分たちのものじゃなくなる」という心配は杞憂に終わった

    ご長男の鈴木将洋氏、ご長女の西澤佑梨氏とそのご主人の西澤範尚氏にもお話を伺いました。

    社長からM&Aの話を聞いてどのように感じられましたか?

    鈴木将洋氏:やはり抵抗感が非常に大きかったです。家業や自分たちが守ってきたものが途絶えてしまうのではないかという危機感がありました。

    西澤佑梨氏:自分たちのものじゃなくなってしまうという気持ちが強かったです。まだ自分たちが経営に本格的に携わっていない状態で会社を他人に渡すことに抵抗感がありました。

    西澤範尚氏:私は一族ではないので二人とは少し違うかもしれませんが、自分たちが楽になるために他人任せにするような感じがして、受け入れがたいものがありました。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    M&Aを通じてお気持ちはどのように変化しましたか?

    鈴木将洋氏:完全には納得できていない状態でM&Aが行われましたが、今では本当によかったと感じています。河越社長は私たちに毎日電話でアドバイスやフィードバックをくださり、大変ありがたいです。

    西澤範尚氏:河越社長に言われると、今までなら「これくらいやっておけばいいだろう」と考えていたことも一気にラインが拡大するような感覚です。TTCをお土産屋さんと考えていたのは大きな認識違いでした。我々よりも本物志向で、見習うところだらけの会社です。

    西澤佑梨氏:河越社長が人一倍仕事をされているので、私も頑張らなければという気持ちになります。自分たちのものじゃなくなってしまうという心配は杞憂に終わり、TTCの方々は私たちが経営の中心を担えるように育ててくださっていると感じます。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    M&Aは老舗の価値を未来に残す一つの方法

    有限会社又一庵
    代表取締役社長 鈴木康元 氏

    色々な不安はありましたが、fundbookに依頼してよかったです。TTCとの出会いがなければ私たちはどうなっていたかと思いますし、期待していた教育面の成果も予想以上。今は後継者不足の時代ですが、ありがたいことに当社には息子たちがいて、私が引退する前に河越社長から経営を学ぶ機会に恵まれました。ベストタイミングで会社を譲渡できたと考えています。

    今、地域で長年頑張ってきたものの非常に厳しい状況に置かれている企業は少なくないと思います。しかし、せっかくの高い技術や優れた商品が失われるのは本当にもったいないことですから、M&Aという道を積極的に検討することも一つの方法ではないでしょうか。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

    突き抜けるようなビジネスモデルで日本を元気に

    株式会社TTC
    代表取締役 河越康行 氏

    譲受後の体制や人員を一切変えないM&Aは当社にとって初のケースでしたが、社長も役員も従業員の皆様も一生懸命取り組んでくださっていることが如実に伝わってきます。息子さんたちからは問題点や改善点について毎日メールが届きますし、彼らの背中を見て従業員も変わっていきます。

    当社は日本全国の地域を活性化して日本を元気にすることをビジョンに掲げています。歴史や技術はあるが、売り方がわからないという企業をブランディングして企業価値を高め、突き抜けるようなビジネスモデルを作り出せるのが当社の強みです。今回のような老舗企業支援のビジネスモデルを今後も継続して、世の中のお役に立ちたいと考えています。
    fundbookさんは誠実で説得力があり、勝負をかける時も責任を持った行動をしてくれました。今後の老舗企業支援についても相談しているところで、出会えて本当によかったと思います。

    M&Aでのれんを守る、明治創業の老舗きんつば店

  • インタビュー

    2018年9月20日、譲渡成立

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    古くは五街道の一つ日光街道の宿場町として栄え、今日においても陸上交通の要衝として人々や物資が盛んに行きかう栃木県小山市。市の中央を南北に流れる思川のほど近くに、この地で半世紀にわたって運送事業を営んできた株式会社南洲機興の事業所があります。

    2018年9月、同社は全国規模のネットワークを有する磐栄グループの一員となりました。その背景にあったのは、会社の存続を願う経営者の想い。譲渡成立からおよそ半年。南洲機興の萩元雅彦社長と、磐栄ホールディングス株式会社の村田裕之会長にそれぞれお話を伺いました。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    父の跡を継ぎ、会社存続のために奮闘した20年

    (株式会社南洲機興 萩元雅彦社長インタビュー)

    南洲機興と萩元社長のこれまでの歩みを教えてください。

    萩元氏:当社は1964年、私の父が創業しました。父は鹿児島出身で、西郷隆盛にあやかって「南洲」を社名にしたようです。昔からこの地域では思川の治水工事が繰り返し行われ、80年代には東北新幹線の開通やつくば万博などもあって建設・運送業の需要がとても大きかったんです。そのような時の利を得て、父の代は業績も好調でした。

    ところが、私が経営を引き継いだ2001年頃にはすでに需要は一段落し、さらに2008年のリーマンショックで地域の運送業者は軒並み苦しくなりました。当時、私がメンバーとして参加していた市のトラック業界青年会の会長は「これから十年先、ここに集まっているメンバーで残れる奴は何人もいないだろう」と語っていましたが、彼の会社も数年後に無くなってしまった。そうした状況を打開する手立てはないものかと、試行錯誤しながら経営を続けてきました。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    fundbookのアドバイザーが最初に伺ったのは2018年5月でした。

    萩元氏:あの頃は地銀の競争が激しく、どこの銀行も強気の貸し込みをしていました。そのため、この地域の経営者の間には「資金はなんとかなる」という雰囲気があったように思います。私は逆に、それが危険だと感じていましたので、むしろ借入の返済を優先していたんです。ただ、借金の返済だけでは根本的な経営改善には至らず、どうしたものかと悩んでいたときにfundbookからご連絡をいただきました。

    会社を譲渡することに対して抵抗はなかったのですか?

    萩元氏:父ならば、お断りしていたでしょうね。創業者というのは、自分の力で大事を成したいという強い気持ちを持っているものです。ただ二代目の私はそうではなく、従業員や取引先のために財務基盤を強くして永続可能な会社にしたいと考えてきました。ちょうど銀行のセミナーなどでM&Aの話を聞いていましたし、会社の存続が叶うならばどのような形でも構いませんでした。

    それと、やはりアドバイザーの方の人柄があったと思います。話しぶりも知的でいやらしさがなく、「この人であれば」と最初から感じていました。実際にM&Aを進めていく際も本当にフットワークが軽く、タイミングよく次の打ち手を提案してくださった。とても頼りになる存在でしたね。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    M&Aはどのように進んでいったのでしょうか?

    萩元氏:40社ほどの候補をご提案いただき、そのうち3社とお会いしました。相手の経営者とお会いする場は、私のこれまでの経営が評価される機会でもありますから、前日は緊張して眠れませんでしたよ。ただ、私はアドバイザーの方を信頼していましたから、悪いようにはならないだろうという気持ちもありました。磐栄ホールディングスの村田会長とお会いしたのは3社目のトップ面談です。取引先が磐栄グループだったので会長のことは伺っていましたが、非常にざっくばらんな方で真摯に向き合ってくださった。本当に良いご縁を結んでいただきました。

    9月5日のトップ面談から2週間というスピード成約でした。成約された際の率直なお気持ちは?

    萩元氏:やっと肩の荷が降りたなと。父は会社を大きくしようと夢中で頑張ってきましたが、資金繰りに大変苦労していました。私はその姿を見ながら育ったものですから、財務基盤が弱いということに常に不安を感じていました。それが磐栄グループの一員になることで安心して仕事に取り組めるようになった。社長として継続勤務させてもらっていますが、モチベーションがまったく違います。グループの先輩方から色々とご指導いただき悩むことも多いですが、すベて前向きな悩みです。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    一人前の社長 そして一流の社長を目指したい

    周囲の方々や従業員の皆様の反応は?

    萩元氏:会社の譲渡が決まってすぐに取引先に挨拶回りをしました。「さびしい」という声もありましたが、「よかったね」「全国展開している会社ですごいね」と多くの方が仰ってくださいました。従業員も最初は辞めてしまう人が出るんじゃないかと考えていましたが、全員が理解してくれて有り難かったですね。環境の面でも給与の面でも、より良い条件にしてあげられるよう確かな道筋をつけていきたいです。

    これから南洲機興をどのような会社にしていきたいですか?

    萩元氏:これまで会社のためと信じて、設備や人材など様々なコストを削減してきました。それが結果として会社の筋肉を削ぎ落とし、かえって不健康になっていた。今は180度経営の考え方が違います。この半年でドライバーを新たに3名雇いましたし、6月には新しいトラックが入る予定です。磐栄グループはどんどん設備を入れ替えろという方針で、車両や燃料などの仕入れやコストの面でもグループ入りした恩恵はとても大きい。しっかりと採算をとれる会社に立て直し、ご恩に報いたいと思っています。

    村田会長は「仕事の計画を立てて問題なく遂行しつつ、新たな仕事も自ら開拓する。それができて社長として一人前。しかし磐栄グループでは一流の社長を目指しなさい」と仰いました。まずは一人前の社長になることからですね。不確かな未来ではなく、明確な目標がある。本当に充実していますよ。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    M&Aを検討されている経営者に一言

    萩元氏:自分の力だけではどうにもならない会社存続の危機に直面したとき、従業員や取引先のことを第一に考えれば、M&Aが自然な選択なのだと私は思います。実際のところ、分かっているけれど分かりたくないという方も多いのではないでしょうか。ですから、まずは相談から始めてみてください。経営者の悩みはなかなか周りの人には話せません。それを打ち明けるだけでも心が軽くなるはずですから。

    アドバイザーの方には本当にお世話になりました。M&Aの仲介会社も様々だと思いますが、fundbookは会社や従業員の将来を考えながら誠心誠意サポートしてくださいました。私にとってこのM&Aは人生で一番大変な経験でしたが、今、こうして笑顔でお話しできるのはアドバイザーの方の支えがあったからこそだと感謝しています。

    運送会社は社長の人柄が現れる

    (磐栄ホールディングス株式会社 村田裕之会長インタビュー)

    譲り受けた会社の経営は「今までどおり」が基本方針と伺いました。

    村田氏:後継者不在の会社はこちらから経営者を送りますが、社名も変えませんし、従業員の方々には「今まで通りやってください」とお伝えしています。それぞれの会社には長年培われてきた文化や風土がありますので、もとの強みはそのままで弱いところを私たちがサポートするという考え方です。もちろん、一緒にやっていけるかどうかというのは、交渉の過程でしっかり確認していますよ。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    M&Aではどのような点を重視されるのでしょうか?

    村田氏:運送会社は社長の影響が大きいですから、社長の人柄は大切です。従業員の仕事に対する姿勢やコンプライアンスの面も、社長によって変わりますから。特に安全確保や事故防止のためにコンプライアンスを遵守するというのは、運送業の大前提です。どんなに業績が良くとも、残業代を払っていない、労働時間の管理ができていない会社と一緒にやっていくのは難しいですね。

    南洲機興とのM&Aはいかがでしたか?

    村田氏:非常にしっかりされているという印象でした。社内も整理整頓が行き届いており、ドライバーの管理資料などもきちんと作られていた。萩元社長の人柄ですね。近くに当社のグループ会社がありましたし、これならシナジーを発揮できると感じました。経営は引き続き萩元社長にお任せしていますが、グループの一員として迎えたからには、磐栄運送を犠牲にしてでも良くしてあげたいという気持ちでいます。従業員の皆さんにも、M&Aをやってよかったと思っていただきたい。ですから、車両の入れ替えなど環境の整備をまずは進めていきます。

    運送業界は多重下請け構造で、下請けを単に内製化するのが目的のM&Aも少なくありません。私はそうではなく、一緒に頑張っていく。2016年にホールディングス化し、磐栄運送と全てのグループ会社を横並びにしたのもそのためです。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    今や全国規模のネットワークとなりましたが、積極的なM&Aのきっかけは?

    村田氏:きっかけとなったのは、2011年の東日本大震災です。当時、磐栄運送はいわき市のみで事業を行っていました。幸い人的な被害こそなかったものの、自然災害によって会社の存続が危うくなるというリスクを強く感じたのです。加えて、地域の経済を支えるために皆で戦い、喜びを分かち合いたいという意識も高まりました。運送会社は全国に6万3,000社ほどありますが、大半が20名もいない零細です。業界の先行きは不透明で、競争ではなく、協調せねばやっていけない時代が来ています。

    私たちは2014年10月に初めてM&Aを実施し、この5年間で30社ほどを譲り受けました。震災前は従業員130名、売上16億円だったのが、現在では従業員数も売上も10倍以上に成長しています。とはいえ、それは私の手柄ではなく、グループの皆が一体となってやってきた成果です。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    多くのグループ会社をどのようにまとめているのでしょうか?

    村田氏:グループ会社の経営は、各社長に一任しています。初めて社長という立場になった者も少なくありませんが、会社を良くしていこう、皆で良くなっていこうと心の底から思っていると、従業員も必ずついてきてくれる。ドライバーには職人気質の方も多く、情に厚いんです。ひとたび「やるぞ!」となると、率先して新人を教育し、社内環境を整備しようとしてくれる。本当に私は支えられているなと感じます。磐栄グループに入ってよかったと言ってくれる方が多いので、それはとても嬉しいですね。経営者の端くれとして、私は従業員の喜ぶ顔が一番見たいんです。グループ各社の社長も同じ気持ちでしょう。

    アドバイザーとの信頼関係が大切

    磐栄グループを束ねるリーダーとして、今後の展望をお聞かせください。

    村田氏:この業界に入って26年。人々の日々の暮らしを支えているのだという自負を持って仕事をしてきました。ただ、運送業というのはなかなか日の目を見ず、報われないことも多い。近年、ヤマト運輸の値上げが話題になりましたが、下請けの小さな会社で同じことをするのは難しいですよね。それがこうして一同団結することによって、運賃の交渉ができるようになり、従業員にも還元できるようになりました。今後も積極的に組織を拡大し、グループとしての強みを生かしていくことで活路を開いていくつもりです。

    また、事業の拡大とともに取り組んでいるのが、新たな領域へのチャレンジです。私たち運送業者はCO2を大量に発生させているという事実がありますから、環境保全を目的に太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギー、野菜工場などのアグリビジネスなどを展開しています。現在も大型風車の建設計画を進めており、これは2025年に稼働予定です。また、北海道の酪農家とのパートナーシップによる新事業も考えています。

    「永続可能な会社」を目指す、二代目社長の決断

    M&Aを検討されている経営者に一言。

    村田氏:磐栄グループは「従業員の幸せ」「お客様に喜んでいただくこと」「社会貢献」を経営の柱にしています。これまで数多くの経営者にお会いしておりますが、従業員の幸せを願わないという方はいらっしゃいません。運送業界全体が苦しい状況にあり、単独でやっていくのが困難な時代になってきました。このような時代だからこそ、経営者にとって一番大切なものは何なのかを、改めて考える必要があるのではないでしょうか。

    ただ、M&Aは相手とのご縁。様々な不安があると思います。ですからアドバイザーの方との信頼関係が大切です。私も複数の仲介会社とお付き合いしておりますが、担当してくださる方との相性も大きな要素です。ビジネスだけを考えておられる方だと、やはり信用できなくなってしまう。その点、fundbookのアドバイザーの方は最後まで誠実に対応してくださり、お人柄も含めて信用するに足る方だと感じます。M&A成功の秘訣は、良いアドバイザーを見つけることなのかもしれませんね。

    M&Aは経営者の想いをつなぐ

    (担当アドバイザーのコメント)

    萩元社長と初めてお会いしたのは約1年前、2018年5月23日です。南洲機興様の応接スペースで簡単なご挨拶と情報交換をし、次回の面談を社長のご自宅で行うことを決めて30分ほどで面談を終えました。その時には、まさか4ヶ月後に成約式を開くことになるとは夢にも思いませんでした。

    社長は当時、オーナー家の独自資本でバランスの良い経営を実現するために、借入を減らすことを優先されていました。借入を減らし設備投資を積極的に行わないという選択は、短期的に財務体質を改善するというメリットがあります。一方で将来の売上を得る力も失ってしまうというデメリットがあり、その点を非常に悩まれておりました。それから解決策を一緒に考えさせていただき、最終的には、会社の永続的な発展のため、従業員の皆様のため、そして社内にいる娘様のために、先代から引き継がれた会社のM&Aをご決断されました。

    南洲機興様の素晴らしいところは、萩元社長の非常に真面目でかつ包容力のあるお人柄が、会社に浸透している点です。磐栄ホールディングスの村田会長も「運送会社は社長の人柄が表れる」と仰っていますが、南洲機興様はまさにその好例でしょう。

    ご本人にとっては、目まぐるしく状況が変化し、心労が絶えない激動の4ヶ月間だったと思いますが、萩元社長、ご家族、従業員の皆様、そして南洲機興様の大きな転機にお力添えできたこと、大変嬉しく感じております。

  • インタビュー

    2018年8月31日、譲渡成立

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    株式会社ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング(以下、BTC)は、テクノロジーとコンサルティングを融合した従来のSIerとは一線を画すビジネスモデルによって、官公庁や数多くの大手企業をクライアントに持つ少数精鋭企業です。

    同社のさらなる成長のために上場という目標を掲げた創業者の大木塁会長は、2018年にプライベート・エクイティ(PE)ファンドのインテグラル株式会社へ自身が保有する株式を譲渡します。上場を目指しているのになぜM&Aなのかと思われるかもしれません。しかしそこには、会社の未来を見据えた確かな戦略がありました。

    M&A成約から半年、BTCオーナーの大木塁会長とインテグラルの取締役パートナーで現在BTCの取締役を務める水谷謙作氏のお二人に、上場戦略としてのM&Aについてお話を伺いました。

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    「ITで世の中を変えたい」強い想いから経営の道へ

    大木様は2002年、20代でBTCを創業されています。まずは起業の経緯を教えていただけますか?

    大木氏:私が就職活動をしていた90年代の末頃は、インターネットがまだまだ一般には普及しておらず、「Googleって検索エンジン知ってる?」という時代でした。その一方で渋谷のネットベンチャーたち、いわゆる「ビットバレー」が注目されて雑誌で特集が組まれたり、孫正義さんがプライベートジェットで彼らのイベントに参加したりと、ITやインターネットでこれから世の中が変わっていくんだという空気が確かに存在していました。

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    大木氏:私がこの業界に進もうと思ったのも、世の中を変える仕事をしたかったから。ただITに関しては全く知識が無かったので、専門的な領域ではなく、幅広くITに関わる仕事をしようとアクセンチュアに入社しました。それから、自分の力を試してみたかった。外資系というと実力主義のイメージがあるでしょう。周囲にも「アクセンチュアの最年少社長になる」と大見得を切って、死ぬ気で仕事をしましたね。

    ところが蓋を開けてみれば、すでに従業員2,000人を超える大きな組織となっていたアクセンチュアには、ごくごく平均的なプロモーションコースしかなかった。半年ほどでプロジェクトを任されるようになったものの、何か物足りないな、貴重な20代を無駄にしたくないなと思ったんです。じゃあ自分の会社を作ってしまおうかと。結局1年半でアクセンチュアを退職し、ビッグツリー・キャピタルを創業しました。

    それから17年、これまでの歩みはどのようなものでしたか?

    大木氏:まず創業の時に、ITを通じて新しい時代を、新しい文化をつくるという会社のビジョンを決めました。今では「BTCマインド」と呼んでいる『人間力を鍛える』『誰にも負けない熱意を持って仕事に取り組む』『主体性を持って行動する』『相手の期待を超える』『個性を磨く』という5つの行動指針も、この時に元となるものを作っています。

    段々とメンバーが集まってくるなか、経営の面では風通しの良い職場を作ることを心掛けました。経営陣だけで情報を握って、こっそり物事を進めるようなやり方はしなかったし、私自身が若い従業員との距離を近く保って、何でも言い合えるような環境を目指しました。もちろん馴れ合いになってはいけませんから、厳しさをそなえつつ、いかに良いアニキでいられるかというのを意識しましたね。

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    大木氏:想いを共にする従業員を大事にしたかったし、しっかりと育てて一流の人材にしてあげたかった。この業界の差別化要因って、人の質以外に無いんです。時代の先端を行く様々なテクノロジーも全て人の手から生まれるわけですから、最終的にはやはり「人」なんですよ。

    IT業界では人材不足が大きな課題になっていますね。

    大木氏:私が特に苦労したのも採用です。幸いにもアクセンチュア時代にお世話になったクライアントや周囲の方々が仕事を回してくださり、その点で困ることはなかったのですが、人手が足りずに依頼を受けられないことも少なくありませんでした。創業から5年くらいは大々的に採用活動をする余裕もなかったですし、人材を集めるのは本当に大変でした。

    そのため、教育には非常に力を入れてきたつもりです。今でも従業員には若いうちから幅広い仕事を任せ、現状維持ではなく、今出来ることの1.5倍くらいを目指して常にチャレンジしてもらうようにしています。プロモーションの面でも大手には出来ないような評価制度を考え、常に高い意欲を持って働いてもらえるように試行錯誤を重ねてきました。

    水谷氏:優秀な人材が多いというのは、BTCの大きな特徴ですね。中小規模のSIerというのはたくさんあるのですが、ここはシステム開発だけでなく、システムを生かした営業面でのコンサルティングにも強みを持っている少数精鋭の組織。いわゆるSIerとは全く異なります。これだけの人材が集うのも、大木さんの牽引力があってのことだと感じます。

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    2015年に社長を交代されますが、どのような理由があったのですか?

    大木氏:会社が成長するにつれて、官公庁や大手企業から重要なシステム開発のご依頼をいただくようになってきました。しかし、私自身は1年半しかアクセンチュアに在籍しておらず、大規模なシステム開発の現場をコントロールするような経験が足りていなかった。やはり、どこかで本当のプロにバトンタッチする必要があるなと感じていました。

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    大木氏:そこで思いついたのが、現社長の杉山健です。私のアクセンチュア時代の上司で、彼は当時から150人規模のプロジェクトをまとめていましたし、リーダーとしてうってつけの人物だと思えました。さっそく電話をして「(アクセンチュアを)辞めてくれ」と。もちろん断られましたけど(笑)。

    それから頻繁に連絡してご飯を食べたり、お茶を飲んだり、3ヶ月ごとに「辞める気になりました?」と口説き続け、とうとう2012年に入社してくれることになったんです。ただ、創業の苦しい時期を乗り越えてきた役員などのメンバーが、外から入ってきた人がパッと上司になることにアレルギー反応を起こす可能性もありました。まずは副社長としてうちの社風に馴染んでもらってから、2015年に社長を交代しました。

    あわせて社名も「ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング」に変更し、オフィスも移転しました。このビルは建築家の白井晟一さんが設計したもので外観も特徴的だし、来社された方に会社のストーリーを感じてもらえる、理想的なオフィスになったと満足しています。

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

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    第二創業期を経て、M&Aへ

    なぜ成長を続けているタイミングでM&Aを検討されたのでしょうか?

    大木氏:新たな目標が「上場」に決まったからです。

    2015年からの第二創業期で会社の成長はさらに加速しました。一方で、非上場企業と仕事をするのを避けるクライアントが増えてきたようにも感じていました。若い人たちの意識も大手志向に変わってきた。営業の面でも採用の面でも、上場して新しいステージに向かうことが私たちには必要だったのです。そこで、次の3年間で上場することを会社の目標に定めました。

    上場するための手段は色々あると思いますが、最も効果的と思えたのがM&Aによってファンドと手を組むというものでした。BTCは私が100%株主だったので、私が保有する株式をパワフルなファンドに譲渡して積極的に経営に参画してもらうことで、営業のパイプが広がったり、会社の信用力がアップしたりと様々なメリットがあります。デメリットといえば、上場の際に私個人が得られる利益が減ることくらい。クライアントや従業員のこれからを考れば、迷う必要はありませんでした。

    石川:多くの企業が上場を目指しながら、実現できているのはごく一部です。上場準備には数年かかりますし、簡単なものではありません。ただ、自力で上場すればそれだけ得られる利益が大きいわけですから、普通はなかなか出来る決断ではないですよね。

    大木氏:東証一部上場企業の株主構成を見ると、ほとんどの企業において創業家の株式保有率は高くないじゃないですか。今まで私が100%だったとしても、プライベートな会社からパブリックな会社になるには、どこかで私の株式保有率を下げなければいけない。遅かれ早かれです。それと、上場だけでなくその先を考えたときに、今この段階でファンドの力を借りて土台を固めておくことが大きな差につながる、という確信があったんです。

    譲渡先となるファンドの条件として、特に重視されたポイントは?

    大木氏:まず絶対に嫌だったのは、ファンドのマネーゲームに巻き込まれることでした。それと100億円以上という条件を、石川さんと最初にお会いした際にお話しさせていただきました。創業からこれまで、人というものを何より大切に、地道に理想とする経営を形にしてきた。BTCには私の人生がすべて詰まっている、いわば作品なんです。だからこそ納得できない価格で譲ることはできないし、ちゃんと従業員のことを考えてくれて、会社の将来を任せられるファンドを見定める必要がありました。

    それから1週間で6社の方とお会いしたのですが、インテグラルは4社目か5社目だったと記憶しています。水谷さんの最初の印象は、随分と熱く喋る人だなと(笑)。

    それまでのファンドの方々は、私のことや会社のことを色々と細かく質問してきたのですが、水谷さんは全く違った。うちが資本参加した場合はこうしていきたい、こういう想いでやりたいと、過去の事例を交えながらお話しくださいました。私はほとんど喋っていないんじゃないかな。

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    水谷氏:私たちインテグラルは、長期的な視点を持って投資先の企業とともに歩むという投資モデルを追求しています。これまで17社に投資してきまして、2018年には私が担当パートナーとして関わっていた3つの企業が上場しました。いずれにおいても実際に上場出来るのかを厳密に調査し、どういうプロセスで進めていくのかまで定めた上で投資を実行しています。

    ただ、大木さんが仰った通り、ファンドの中には投資家利益のみを優先するところも少なくありません。経営者の方にとっては非常に大きな決断ですし、まずは私たちの姿勢をしっかりとお話しさせていただき、信頼していただくことが必要だと考えたのです。

    私が大木さんに初めてお会いして感じたのは、オーナー経営者としての凄みですね。まだお若くありながら、この規模の会社を無借金で経営してこられた能力とセンス。思考回路も並のものではない。そして何より、世の中を変えていこうという強い想いを持っていらっしゃる。間違いなく良い会社だと確信したのを覚えています。

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    大木氏:水谷さんは熱い方だし、最初の面談はとても良い印象でした。ところが、いざ意向表明をいただいて提示された譲渡価額を見たら、あれっと。事前に「100億円未満で売ることは考えていない」とお伝えし、実際に他のファンドがいずれも100億円以上を提示してきた中で、インテグラルだけ100億円以下でのご提案だった。一番高いところとは30億円近くの差があったので、流石に驚きました。

    しかし、よくよく内容を見て、やはり最も信頼出来るのはここだと確信しました。インテグラルのご提案は、私ではなく従業員のことを第一に考えてくれているものだった。簡単に言えば、私の分は抑えて、それを多額のストックオプション付与や社内体制整備を強化することによるコスト増によって従業員に還元するという内容です。他のファンドが私に向けた提案をしてきたのに対して、唯一、インテグラルだけが従業員に目線を向けた提案をしてくれたのです。

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    水谷氏:オーナーとして、より高額で譲渡したいと考えるのは当然です。ただ、BTCは本当に皆さん仲が良い会社なので、株式譲渡された後の大木さんのお立場や見え方、そして大木さんのハートが従業員の方々に伝わるようなご提案をさせていただきたかった。そこを評価してくださったことがとても嬉しいですし、その期待にお応えしなくてはと思っています。

    fundbookの担当者の対応はいかがでしたか?

    大木氏:石川さんの役割というのは非常に大きかった。BTCにインテグラルが必ずマッチすると判断されて、あえてご提案の場をセッティングされた。それが結果として最高の形となりました。最初の段階で私という人間をきちんと理解してくださったからなのでしょう。

    石川:インテグラル様への株式譲渡をご決断された際に、大木様が「この提案に全て込められている」と仰ったのを覚えています。

    上場を目指すには、会社に関わるすべての方々が一丸となる必要がありますから、大木様とそのような目線を持っているファンドをお繋ぎしたかった。インテグラル様は、投資先企業の経営者や従業員、関わる方々を大事にする姿勢を一貫して持っていらっしゃるファンドです。必ず良いお相手だと思っていただけると考えていました。

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    水谷氏:30億円もの譲渡価額の差を考えれば難しいご決断だったと思うのですが、間に立つ石川さんがしっかりとお互いの気持ちを伝えながら、win-winの形を作り上げてくださいました。

    大木氏:石川さんのお人柄もあったと思います。これまで人生をかけてきたものをお譲りするわけですから、私にとってこのM&Aは非常にセンシティブな問題だった。そうした私の心情を真摯に汲み取ってくださったし、こちらから連絡すれば、どのような時もすぐに対応してもらえました。とても紳士的で、ハートを打つ仕事をしていただいたと感じています。

    皆でさらなる高みを目指していく

    杉山社長をはじめ、従業員の皆様にはどのようにお伝えになりましたか?

    大木氏:役員陣には、話が現実味を帯びてきたあたりでM&Aを検討していると伝えました。もちろん最初は驚いていましたし、「業績も好調だし、今の体制で特に問題ないじゃないか」と言う役員もいて。ただ5年、10年先を見据えた上での考えなんだとはっきり説明をして納得してもらいました。

    従業員に話したのは譲渡が決まってからです。4、5人ずつ順番に会議室に呼び、私の口からこの3年間はこういう反省点があって、より会社を強くするためにはパートナーが必要だと、それで会社が良くなるんだと説明しました。そして「私はこれで抜けるわけじゃない。今後もついてきてほしい」と。

    もちろん私はマイノリティ株主となり、代表権はなくなります。ただ、それはあまり関係ない。この会社のことを理解して、この会社に対して正しいことが出来る人間であり続ければ、従業員はずっと「大木、まだいるな」と思ってくれると考えています。

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    M&Aの成立からおよそ半年が経ちました。どのような変化がありましたか?

    大木氏:普通のM&Aのように会社を譲渡して終わりというわけではないので、私自身の意識はあまり変わっていませんね。BTCの今後を考える時間も、若い従業員とのコミュニケーションもそのままです。

    とはいえ、こうして新しいリーダーに来ていただいたので、力強く会社を引っ張っていただくために出しゃばり過ぎないよう気を付けています。ようやく段取りが終わって、ここからが勝負という心境です。

    水谷氏:BTCに参画して、やはり実力のある会社だと思いました。テクノロジーとコンサルティングを両立させ、官公庁や大手企業を中心に確かな実績を有している。加えて、デジタルマーケティングやRPA(Robotic Process Automation)など時代を先取りしたビジネスも着実に成長させています。これはなかなかこの規模の会社で出来ることではありません。

    そこにインテグラルが持つネットワークをアドオンし、世に広くこの会社の強さを伝えられるようにしていければと考えています。すでに数社にご紹介していますが、非常に高い確率で受注に繋がっていますよ。

    唯一のボトルネックはやはり人の部分。採用面です。いかに優秀な人材を今後も採用していけるかというのがポイントになる。そこをさらに強化していければ、上場は単なる通過点で、いずれはこの業界でナンバーワンになれるでしょう。

    大木氏:これからはAIにも力を入れていきたいですね。BTCが現在行っている開発やコンサルティングにどのようにAIを活用し、クライアントに向けてより高品質で安全なサービスをお届け出来るかを追求していきます。

    私はずっと世の中を変えたいという気持ちで仕事をしてきました。新しいBTCでどのような可能性を示していけるのか、未来を想像するだけでワクワクしています。

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    M&Aは新たなステージに進むための戦略

    株式会社ビッグツリーテクノロジー&コンサルティング 大木 塁 氏

    M&Aに対する考え方は色々あると思いますが、私にとっては上場を実現するための戦略の一つでした。BTCという会社をさらなる高みに連れていくために、ファンドへの株式譲渡という決断をしました。

    もちろん、一から育てていった会社ですからどこでも良いというわけではありません。私が何より大事にしていた従業員のことを、しっかりと考えてくれるというのが絶対条件でした。つまりマッチングはとても重要で、fundbookのテクノロジーで機会を増やして、人の部分で成約を目指す「テクノロジー×人」というビジネスモデルは魅力的だと感じます。

    石川さんは私の真意をつかんで、インテグラルと繋いでくれた。正直、30億円という金額の差にはとても悩みましたが、結果として正しい選択が出来たと思います。もし私がお金に転んでいたら、ファンドのマネーゲームに巻き込まれていたかもしれません。そして、私も含めたBTCの従業員たちが背負う代償はきっと大きかったはずです。

    M&Aを検討されているならば、なぜそうしようと思ったのか、常に考えながら進めるべきです。経営者も、従業員も、すべての人が幸せになるM&Aをぜひ実現させてほしいですね。

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    大事なのは人 信頼をつなぐ仕事を

    インテグラル株式会社 取締役パートナー 水谷 謙作 氏

    M&Aはゴールではなく、スタートです。事業会社同士のときも、私たちのようなファンドを相手とされるときも、そこから始まるのです。ですから、オーナー様はM&Aの後のことを考えて譲渡先を見定めないといけません。選択を誤って「こんなはずじゃなかった」という結果になることだってありえますから。

    私は、やはり結局は人なのだと思います。短い期間であっても、しっかりと話し合って信頼関係を作ること。オーナー様にとって、人生をかけて経営してきた会社は我が子同然です。その将来を預けるという判断は、誰でもないオーナー様自身がしなくてはなりません。そして、譲り受ける側の私たちも、その期待に最大限応えるようなご提案をしなくてはならない。

    今回、そうした双方の想いをつないでくれたのがfundbookでした。従来のM&Aは譲渡側、譲受側のどちらかにアドバイザーが付くものです。譲渡側であれば、より高く譲渡するためのアドバイスをし、譲受側であれば、安く譲り受けるためのアドバイスをする。fundbookはそうではなく、それぞれの立場を考えて動いてくれました。難しい判断もあったでしょうが、私たちの想いを受け止めながら最良の形に導いてくれたと思います。

    ファンドと手を組みIPOへ、上場戦略としてのM&A

    アドバイザーの役割は、オーナーの想いを実現すること

    今回は、オーナーの大木様に上場という明確な目標があり、その実現のためにファンドへの株式譲渡を検討されていました。

    M&Aによってファンドの資本を入れ、上場を目指すという戦略は非常に理にかなったものです。実績のあるファンドには上場に導くノウハウがあり、彼らと組むことで上場の実現性は一気に高まります。また、M&Aによって一定のキャッシュを得られるため、万が一上場が実現しなかった場合のリスクヘッジとしても考えることが出来るでしょう。多くの方が「上場」と「M&A」を二者択一で考えていますが、最近では、上場を目指しているからこそのM&Aという選択肢が注目されつつあります。

    ただ、ファンドにもそれぞれの投資スタイルやカラー、規模感があります。資金投入しても経営には関与しないファンドや、インテグラル様のように積極的に経営に関わっていくファンド、上場の目処が立たなければ簡単且つ一方的に売却に切り替えてしまうところなど様々で、オーナーの考え方や戦略によって組むべき相手は異なります。

    fundbookの役割は、オーナーの想いを実現するためのベストなパートナーとおつなぎすることです。その意味で、私にとってもこのM&Aは大きな経験となりました。BTC様がインテグラル様というパートナーとともに、さらに成長される未来をとても楽しみにしています。

  • インタビュー

    2018年8月1日、譲渡成立

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    瀬戸内の穏やかな海に囲まれた香川県の小豆島は、日本のオリーブ発祥の地として広く知られ、映画『二十四の瞳』の撮影地にもなった自然溢れる島です。高松市からはフェリーで1時間ほど、現在およそ3万人が暮らしています。

    今回のインタビューでは、この島で「調剤薬局げんきまん」を創業し、17年間経営されてきた平井先生と、2018年8月に「調剤薬局げんきまん」を譲り受けた株式会社あけぼの関西・森社長にお話を伺いました。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    57歳で病院を出て立ち上げた、“離職率0%”の調剤薬局

    薬局の開局までの経緯を教えてください

    平井先生:私は大学を卒業後、病院の薬剤師として34年間勤めました。

    病院に勤めていた頃は薬局長として、時流であった「病院薬剤師は病棟活動に力を入れ、外来患者の処方せんは院外へ」という院外処方の体制を、3年ほどかけて整えていきました。当院の院長をはじめ、医師、看護師、患者様まで多くの方々の協力を得て院外での処方せん発行に踏み切り、ほぼ全ての処方せんを院外処方に切り替えることに成功しました。

    しかし当時、私はすでに57歳。病院としてさらに新しいチャレンジをしていくためには、PC作業などの近代的な業務技術が求められる時代になってきていました。これらの業務に慣れない私が上の立場にいると、皆の足を引っ張りそうで自信が持てませんでした。

    念願だった院外処方を実現し、34年間病院で勉強させてもらったことを少しでも地域の方々の役に立てたいと思い、定年前に退職して薬局を開くことを決断したんです。その頃、私が住んでいる地区には、まだ薬局が1軒もありませんでした。

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    それから約1年間、病院勤務のかたわら開局の準備を進めました。退職する年度末の3月31日までほぼ休みなく働いて、退職から1ヶ月後には「調剤薬局げんきまん」を無事に開局することができました。

    勤めていた病院の先生からは「病院の前で薬局を開いたらどう?」とも言っていただきました。ただ、私は商売としての薬局経営ではなく、お店に来てくださる患者様と向き合い、ゆっくりお薬の話をしたいとずっと思っていたので、自宅の近くで開くことに決めました。

    お陰様で、これまで遠慮なく自分らしい薬局経営をさせてもらうことができたと感じています。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    経営においてはどんなことを心掛けていましたか?

    平井先生:患者様が喜んでくださることに、私自身も喜びを感じます。ですから、何をしたら患者様が喜んでくださるかということを一番に考えて経営をしてきました。

    お店のことだけでなく、地域のケアマネージャーの人たちと関係を作り、なかなか病院や薬局へ来られない方へのサポートに注力してきました。

    森社長:薬局の仕事はもちろん大変なのですが、「調剤薬局げんきまん」の皆さんは仕事を喜びに変えることが自然にできていますよね。仕事はしんどいけれども、患者様に喜んでいただけることが何より嬉しい。とても良い従業員が揃っている薬局だなと感じます。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    平井先生:従業員とは、楽しみながら仕事することを心掛けてきました。自分らしい薬局をやるからには、働いてくれる皆とギスギスするような関係だけは嫌だなと思っていたんです。なので、それぞれが思ったことを発信できる、風通しの良い環境作りを心掛けてきました。

    何か間違いが起きてもそれを誰にも言えないのは良くないことです。どんなことでもお互いに言い合って、一緒に解決することで良い店舗運営を行ってこられたと思っています。

    森社長:先生も従業員の皆さんも、すごくお互いを尊敬し合っていますよね。それは、全員がこの仕事にプライドを持っているからこそなんだと思います。

    この業界って、受け身で仕事をする人がすごく多いんです。でも「調剤薬局げんきまん」の皆さんは、能動的に先を読んで自ら行動する方ばかりなので、薬局を譲り受けた今もすごく助かっています。

    それからもう一つ、このお店がとても素晴らしいのは、創業時から1人も従業員が辞めていないということです。世間で様々な業界の離職率が問題となっている中で、これは本当にすごいことだと思います。

    平井先生:従業員には、私もこれまで本当に助けてもらってきたと感じています。独立したときは私も含めて3人。皆、病院時代の同僚からの紹介で、本当に人のご縁のおかげで今があると思っています。

    創業当初の2人は、薬局の運営も医療事務もまったくの未経験でした。ただ、2人とも会計が得意で、経理は全部任せることができました。その後も従業員の皆が大変な努力をしてくれて、私の期待以上に大きく成長してくれました。今では島の他の薬局からも頼られるほどで、従業員を誇りに思っています。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    患者様のためにも廃業はできない、悩みに悩んだ3年間

    M&Aを検討されたきっかけは何だったのでしょう?また、いつ頃から考えていましたか?

    平井先生:実は、薬局を誰かに譲れないかということは、2〜3年前からずっと考えていました。薬剤師の仕事は好きなのですが、年齢のこともありました。

    息子からは「(薬剤師である)孫娘に継がせたら?」と言われましたが、島の病院で薬剤師として仕事を始めたばかりの孫に負担をかけたくありませんでした。まだ子育てもしている最中ですし、薬剤師をしながら経営をするのはとても難しいことです。本人にとっては、将来的に勤められる薬局があるという安心感があったかと思いますが、薬局の将来を今背負うことは重荷になるだろうと思っていました。

    何か良い方法はないか、誰か継いでくれる人はいないか、と周りの人にも相談して、悩みながら引退の準備をしていました。廃業することも選択肢として頭の中にありましたね。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    平井先生:これが都会であれば、急に薬局が無くなっても近くに他の薬局もありますし、そうでなくてもすぐに新しい薬局ができるでしょう。ただ、この島だとそうはいきません。「うちの患者様はどこに行けばいいのだろう。誰に相談すればいいのだろう。」というのが、まず頭に浮かびました。患者様にとって、自分の体のことを一番知ってくれている薬剤師の存在は貴重なんですよね。また、これまで一緒に働いてきた従業員のことを考えると、やはり薬局を存続させなければならないという使命感もありました。

    ちょうどそのタイミングで、村上さんが電話をくださったのです。

    村上:平井先生のように、薬局の経営者であると同時に、ご自身が管理薬剤師として現場で働かれている方は全国的に見てもとても多いです。仕事としての調剤業務については、薬剤師であれば誰にでも任せることはできますが、実際の経営を人に任せるのは難しい、とおっしゃる経営者がほとんどです。

    森社長:通常の調剤業務のみならず、診療報酬改定の影響で、薬局として求められる業務は年々増えてきています。このまま負担が増えていくと好きな仕事すら嫌になってしまいかねない。大好きな薬剤師の仕事が嫌になってしまう前に、という理由で廃業をされるという話もよく聞きます。仕事を辞めたくて廃業を選ぶ、という方はあまりいらっしゃらないですね。

    では、なぜfundbookに依頼しようと思ったのでしょう?

    平井先生:ちょうど事業承継やM&Aのセミナーに行こうかと検討していたタイミングでした。ただ、開催場所が高松市内と少し離れていましたし、日々の薬局の仕事もありますから、なかなか時間を作れませんでした。そんなときに、ちょうど村上さんからお電話をいただきました。小豆島まで来てくださるということだったので、それであれば話を聞くだけ聞いてみようと一度お会いすることにしました。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    平井先生:息子に「お母さんはすぐに騙されるから、俺が話を聞いてやる」と言われたこともあり、最初の面談のときから家族にも一緒に出てもらいました。最初は疑っていた息子とも、村上さんはすぐに意気投合し、家族皆とこのお話を進めてくれました。

    森社長:ご家族全員で、真剣にM&Aのお話を考えていらっしゃいましたよね。

    もう1つ、このM&Aがすごいスムーズに進んだのは、足を運ぶ中で村上さん自身も小豆島を好きになったからですよね。私が村上さんを島の虜にしてしまいました。(笑)

    「私が小豆島で薬局をやりたいって気持ち、わかるでしょう?」って。

    村上:平井先生のご子息様にはいつも港まで送り迎えをしていただき、森社長にも小豆島の色々なところに連れていっていただきました。1人で来たときにも、少しずつ島内を回ったりして。今ではもう島で行ったことのない場所は無いと思います。小豆島が本当に好きになりましたね。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    「小豆島に貢献したい」という夢を叶える第一歩

    小豆島の話をお伺いします。今回のご縁は、森社長の夢がきっかけだったと伺いました。

    森社長:私の祖父母がどちらも小豆島の人で、小さい頃からよく遊びに来ていました。昔から大好きな場所で、心のどこかでいつか小豆島と関わる仕事がしたいと思っていました。

    自分の会社を持つようになったときに、疲れた従業員の慰労のために小豆島へ連れて来たことがありました。薬局って、ストレスも多い職場なんですよ。(笑)

    島に着いてすぐに、従業員の皆が開放感に満ち溢れた顔になっていくのを見たとき、「やっぱり島の空気は違うんだなぁ」と強く感じたことを覚えています。小豆島ってすごく人が温かくて、島外の人を受け入れる気風があるんですね。皆が笑顔で、島全体が家族みたいなんです。

    それからは毎年の新卒研修も小豆島で行うようになる等、仕事でも島に触れる機会が多くなりました。その頃から「仕事を通じて、私たちも島に貢献することができるんじゃないか」と具体的に考えるようになりました。

    いつ頃からお話が具体化したんでしょうか?

    森社長:2017年の夏頃、村上さんと初めてお会いしたときに、「いつか小豆島に薬局を持って、小豆島の医療に貢献したい」と、ふと口にしたことがきっかけです。そのときは、いつか叶えたい漠然とした夢として語っていましたが、村上さんがその夢の実現を後押ししてくれたんです。

    他のアドバイザーの方ともお話をする機会はありますが、仕事の話がメインです。ただ、このようなふとした話も、村上さんは聞き流さずに親身に聞いてくださり、すぐに動いてくれていました。

    秋頃に「小豆島でご紹介できる薬局があります」という電話を受けて、思わず「まさか、嘘でしょ?」と言ってしまいました。そんな簡単なものじゃないよね、と。(笑)

    些細な会話の中でしたが、私の小豆島への想いをちゃんと受け止めてくれて、一生懸命探してくれていたんです。そして、その想いを深く理解したうえで、平井先生にも伝えてくれたからこそ、今回のご縁があったのだと思います。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    譲渡先としてあけぼの関西様を選んだ決め手はなんでしたか?

    平井先生:患者様を何より大事にする、という点で私と森社長の考え方が近かったのが決め手ですが、森社長が小豆島に馴染みがあり、思い入れを持ってくださっていたことも安心材料の1つでした。経営者が若くて、リーダーシップのある女性である点も希望が持てました。

    また、創業者としても、病院で働いている孫娘が将来的に薬局で働きたいとなったとき、帰ってくる場所を残してあげられることがすごく嬉しかったです。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    村上:お二方に初めて会っていただいたとき、「森社長とであれば是非ご一緒したい」と最初からおっしゃっていましたね。お二方とも「患者様のために」というお気持ちがとても強くて、平井先生も森社長のような若い社長の会社が譲り受けることで、可能性が広がるといったお話もされていました。

    森社長:私としては、夢に近づいていく一方で、自信をなくすこともありました。小豆島で薬局を持つということは、あくまで私の個人的な夢ではありましたが、会社としては、経営を左右する大きなチャレンジです。これまでのM&Aとは異なり、すごく怖かったです。

    ですが平井先生のご家族と最初にお会いしたときに、息子さんが「森社長と一緒になれば、これまで実現できなかった薬局創りが実現できると思う」と言ってくれたことが、私の背中を押してくれました。

    また薬局の従業員の皆様や島の方々とお会いする中で、こんな会社で本当に大丈夫なのかという声が1人くらい挙がっても不思議ではないのに、お会いする方すべてが「是非一緒にやって欲しい」と言ってくださって。今この機会に決断をしなければ、きっと自分の夢は一生実現できないと思い、決意を固めました。

    皆さんの「一緒にやろう、一緒ならできる!」というお言葉のおかげです。私1人ではとても決断できませんでしたね。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    fundbookの担当者の印象はいかがでしたか?

    平井先生:村上さんは、とても若いけれどしっかりされていて、色々なことを教えてくれました。いつ電話をかけてもすぐに出てくれて、何を聞いても丁寧に答えてくれます。私だけでなく、息子夫婦や孫とも頻繁にやり取りをしていただいて。

    村上:ご子息様やお孫様から直接ご連絡いただくこともありました。すごく真剣にお考えになられていて、鋭いご質問も多かったですね。

    今回のM&Aでは、平井先生、ご子息様ご夫妻、薬剤師であるお孫様と一緒に薬局の今後について考えさせていただきました。3世代にわたってM&Aのお話を進めさせていただいたのは、私の今までの経験の中で初めてでした。M&Aは会社や従業員の方々のみならず、オーナーのご家族の未来がかかっているということを改めて実感しました。

    平井先生:仲介費用もありますし、譲渡先の会社と直接お話ししたほうが経済的にも良いのではと考えることもありました。ですが私は会計のことがあまり分からず、交渉も苦手です。譲渡した後に何か問題が発生してしまっては取り返しがつかないことで、従業員や患者様に迷惑をかけるわけにはいきません。人生をともに歩んできた薬局であり、関わる人も多いのでやはりそこはプロの方にお任せしようと思いました。家族とも意見が一致して、村上さんにお電話でそうお伝えしました。

    村上:あのお電話は、私の記憶にとても強く残っています。大晦日の12月31日にM&Aを決断されたとご連絡くださいました。年の最後の最後までご家族の皆さんで話し合い、大事な決断をされ、それをすぐにお伝えいただいたことに、これまでにないほど強い責任感を抱いたことを覚えています。

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    平井先生:いくら信頼関係があったとしても、お金が関わる話はデリケートなことですし、やはり聞きにくいこともあります。譲渡後の関係を考えても、プロの方にしっかり入ってもらって良かったと今でも思います。

    森社長:段階を踏んで話を進め、口約束ではなく、きちんと書面に残すことは双方にとって大事なことです。譲渡を選ばれる経営者にとって、(M&Aは)ほとんどの人が初めての経験ですし、精神的負担や労力がとてもかかるので、そこはプロの方にお任せするのが良いと思います。

    森社長にもお伺いします。継続して村上が担当させていただいていますが、ご依頼いただけている理由などはありますか?

    森社長:村上さんとは決して付き合いが長いわけではないのですが、当社のことをとても勉強してくださっているんだなと感じています。実は私、村上さんからご紹介いただく面談の場で会社の説明をしたことが一度も無いんですよ。私がお会いする前に、会社の理念や特色、私の人柄まで全てお相手にお話しくださっていて、今回も私が話したことは本当に少なかったですね。

    それに双方の細かいところまで調べてくれていて、私が話すときは私の側に、お相手がお話されるときは相手の側に立ってくださいます。だからこそ私も本音で話すことができるのだと思います。

    私が具体案や決まった数字を持っていなくても、私が本当にやりたいことを真面目に聞いて、一緒に考えてくれることが助かっています。

    村上:他の誰よりも貴社のことを勉強させていただいている自信はあります。私も森社長やあけぼの関西の皆様方が大好きですし、本心からお相手の薬局オーナーへお伝えしようと努めてきました。それが結果として、良いご縁談に結びついたことがすごく嬉しいですし、そのようなお言葉をいただけるのは本当に光栄なことです。

    森社長:数多くの「会社を譲渡したい経営者」と「会社を譲り受けたい企業」があり、その中から「双方にとって良い」マッチングをしっかりと実現させているのがfundbookさんの良いところだと思います。

    村上さんにおいては、どうして薬剤師に残っていただきたいか等、こちらの要望の細かな理由まで熟知し、お相手へ伝えてくれています。ですからお相手にお話しされる際にも、表面的なM&Aの話だけではなく、私の想いを代弁してくれているのだと思います。

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    患者様の喜びを第一に考える薬局であり続けて欲しい

    譲渡後はいかがでしょうか?

    平井先生:私にとっては「今まで通りで良い」というのが一番楽でした。今も薬剤師として勤務をしていますが、森社長と自分の考えが近いこともあって、仕事の姿勢や従業員との関係も以前と変わらない形で続けさせてもらっています。

    普通は譲渡後のことで色々と不安を感じるのかもしれませんが、私はありませんでしたね。森社長は譲渡前から何回も何回も足を運んでくださり、私が分からないことを直接確認させていただけました。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    森社長:M&Aでは「会社が乗っ取られた」と従業員に受け取られてしまうこともあると聞きます。こんなはずじゃなかった、と。その中で従業員の皆さんにも、そして平井先生のご家族にも温かく受け入れてもらえたことはとても嬉しいですね。弊社の従業員がお店に来ても温かく迎えてくれて、私もここに来るのがとても楽しみになっています。

    地域の他の薬局さんからも、もしかしたら敬遠されるかなと思っていましたが、全然そんなことはなかったです。島の中で解決しないといけないから、お互いに助け合う、連携するのが普通になっているのかもしれないですね。

    平井先生:「早急にM&Aを決断してください、引き継ぎをしてください」と言われたら大変でしたが、ゆっくりでいいと言ってくださったことも助かりました。事務的な仕事や、各所への報告の手間もありますが、事務を行う従業員にとっても勉強になっていると思います。今までは赤字にならなければよかったといった雰囲気でしたが、きちんとした会社というものがどういうものか、田舎にいながらも学ぶことができています。私の孫もまだ若く、病院とうちの薬局以外を知らないので、M&Aを通して良い勉強になっているなと思っています。

    森社長:一番良くないのは、当事者同士が無理をして一緒になることが運営への負担となり、その結果、患者様へのサービスが落ちてしまうことです。

    平井先生も従業員の皆さんも一生懸命頑張ってくれていますし、事務的な作業は後からでもフォローできますので、まずは患者様へのサービスを優先していきたいですね。そのためには、従業員の気持ちにゆとりが生まれて、「一緒にやってよかったな」と思ってもらえるようにしなければいけません。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    今後、「調剤薬局げんきまん」を継ぐ森社長にはどのようなことを期待しますか?

    平井先生:これまで通り、患者様が本当に喜んでくださる薬局経営を第一に考えて欲しいと思います。患者様が困っているときに、何かヒントを与えられることができる薬局であり続けて欲しいですね。

    病気だけでなく、予防医学、健康寿命、在宅医療への関わり方など、医療事情が大きく変わっていく中で、どのように時代に対応していくかが薬局の大きな課題です。これまで通りのありきたりな薬局経営では厳しくなっていくでしょうから、手を取り合って新たなチャレンジに取り組んでいきたいですね。そして、森社長にはぜひ小豆島の医療を引っ張っていくような存在になって欲しいです。

    森社長:新たなチャレンジができる環境ですし。できる従業員が揃っていると思っています。これからは、私たちが頑張る番ですので。

    今は医療に関する国の方向性が、平井先生が何十年も前から考えていたことに近づいていると思います。私も普通の薬局で終わりたくない、何か今までと違う新しいことがしたい、という思いはずっとあるので、そういった点でも平井先生と意気投合しましたね。

    今は経営につなげるのが難しくても、新しいことをどんどんやっていくことで何かが生まれると思いますので、積極的にチャレンジしていきます。平井先生のアイデアや知見をお借りして、このお店から新しい薬局のあり方を発信していきたいですね。

    平井先生:数年前はこのあたりで店じまいする予定だったのですが、森社長との出会いを通じて「あともうちょっと頑張ってみよう」という気持ちになりました。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    森社長にもお伺いします。今回のM&Aを経て、どのようなことに期待をしていますか。

    森社長:小豆島の医療って、実はすごく先進的なんです。

    地方と聞くと色々な面で遅れているイメージがあるかもしれませんが、例えば患者様に寄り添う「かかりつけ薬剤師制度」は都会より断然進んでいます。どの病院に行っても、いつもと同じ薬局で薬をもらえる。病院に行く前にまずはOTCを試して様子を見て、改善されなければ病院を勧める。難しいとされている医師への処方提案も、患者様の検査値を見ながらしっかりと行っている。これって、まさに国がこれからやろうとしていることです。小豆島では、それが当たり前のようにできています。

    平井先生:ちょっとでもおかしな点があれば薬局の判断で薬を処方しないとか、病院へ行くことを促したりだとか、島ではどこの薬局もやっていますね。

    森社長:小豆島の人は健康寿命もすごく長いですよね。都会とは10歳くらい違うんじゃないかな?それくらい、皆さんお元気です。薬局がただお薬を出す場所というだけではなく、病気の予防にまで関わりを持てている地域なんです。小豆島に来ると、いつも学んで帰ることがたくさんあります。

    あけぼの関西の従業員にも研修などを通じてこの薬局で学ばせたいと思っていまして、それが今回のM&Aの意図でもあります。教科書で学んだことを、実体験を通じて習得していく。いま求められている薬剤師の在り方を目の前で見て学ぶことができるという、教育の場としても活用させていただきたいと思います。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

    平井先生:これからは、病院の薬剤師とより交流を深めたいと思っています。島にたった1つの病院ですから、病院の薬剤師にも問題意識を持っていただきたい。薬剤師ってこんなこともできるんだ、と思う医師がもっと増えれば、薬剤師からの提案もより聞いてもらえるようになるはずです。

    うちの薬剤師はそこもすごく上手で病院の医師へもしっかりと提案しますが、やはり外からのコミュニケーションだけでは限界がありますし、医師の意識を変えるまでの話をするのはなかなか難しいのです。

    森社長:小豆島は観光や移住にも力を入れていますので、いずれはそういった面でも島全体でアピールしていきたいですね。まず、私たちは医療の領域から新しいものをどんどん発信していきます。きっと素敵な人が集まりますよ。今も人口が増えていますからね、この島は。

    平井先生:ここの島は古くて新しいですよね。皆が古いものを大事にしながら、新しい考えを持っていて。新しく島に移住してきた人の力もあって、その文化が作られているのかな。

    森社長:新しさは、新しい人から生まれると思いますが、それを受け入れる体制がないと育たないですよね。こんなにもしっかりと受け入れてくださって、私も他所から来たという感覚が不思議なくらいありません。これから島外からの人がもっと増えてくることを、本当に楽しみにしています。

    小豆島の元気を守る、調剤薬局の事業承継M&A

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    一歩踏み出してみた結果、M&Aという選択肢が見つかった

    調剤薬局げんきまん 平井 玉子 氏

    M&Aには色々な理由があると思います。私の場合は、親族への承継や廃業を考え、辞めるタイミングや辞めた後のことで悩んでいましたので、新たな選択肢をいただけたことが嬉しかったです。

    M&Aという選択をして良かったと思います。とてもいい出会いがありました。

    これまでずっと、しんどい思いもしながら一生懸命経営してきた私のお店を、「この人なら」と思える方に引き継いでいただけました。譲渡してから3ヶ月ほど経ちましたが、今はすごく気持ちが楽です。

    今後の経営について悩んでいらっしゃったら、とりあえず参考までに話を聞いてみたらいかがでしょう。私も3年悩んだ末にたまたまタイミングが合ってお話を伺い、そこからは物事が上手く進んでいきました。あのとき、一歩踏み出してみて良かったと、心から思っています。

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    譲渡の前に、気になることは遠慮せずに何でも話し合うべき

    株式会社あけぼの関西 代表取締役 森 あかね 氏

    アドバイザーの方にご紹介していただいた後は企業同士の長い付き合いとなっていくので、お互いに無理をしないことが大事だと思います。経営方針から強みや弱み、日々の業務の細かいところまで、しっかりと擦り合わせる必要がありますから、そこで無理をして合意に進んでも双方が幸せにはなれないでしょう。些細なことが後々大きな問題になってしまう可能性もあります。まずはお互いの考えをはっきり言葉にして明確化し、時間をかけて進めていった方が、長い目で見て良いご縁談になると思います。

    譲渡のタイミングに関しても、呼吸を合わせなければなりません。今すぐしたい、今すぐはできない、じゃあやめとこうか、という話があっても、あと半年待ってもらえたらできる、ということもよくあります。今回のM&Aも、しっかりと話し合うことができたから、上手くいったのだと感じています。

    それでも、会社同士が一緒になる際には、お互いに変えなければならないところが必ず出てきます。気になることは遠慮せずに何でも話し合うことが大切ですね。

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    双方の夢を叶えるM&A仲介

    「ご家族の皆様と実現したM&A」
    印象に強く残っているのは、譲渡オーナーである平井先生から「M&Aを進めることを決断しました」と大晦日にご連絡をいただいたことです。年末最終日まで、ご家族の皆様でM&Aについて深く吟味をされたとのことでした。その後、M&Aの成約までは平井先生のみならず、ご子息様ご夫妻・お孫様と3世代に渡ってご連絡をいただくようになり、休日も昼夜問わず本件のお手伝いに尽力させていただきました。

    本件を通じて改めて、譲渡を検討されるオーナー様にとってM&Aのご決断はご自身のみならず、“ご家族皆様の夢を乗せた船出”であるのだと実感しております。廃業も将来的な選択肢にある中で、第三者への承継という形でこれまで続けてこられた薬局を存続させるという、オーナー様の夢を実現するお力添えができたことに大変な喜びを感じています。

    「『私にしかできない』という信念で夢の実現をサポート」
    M&A仲介を行う上で、譲受を検討されるオーナー様とお会いした際に、企業の今後の展望や経営者の夢に触れる機会は多々あります。私は、そのような皆様の夢の実現に力添えさせていただくことが、M&A仲介という仕事の妙味であると考えています。森社長から「いつか小豆島でお店を出したい」という強い想いを伺った際、「これを叶えられるのはM&Aアドバイザーである私しかいない」と感じたことを今でも覚えています。

    しかし、森社長のお言葉にもあった通り、実現させることは決して簡単な話ではありません。森社長のみならず、あけぼの関西様で活躍される皆様方とお会いさせていただき、会社の沿革や文化、企業理念、社風などあらゆる面に触れさせていただくという勉強の機会を得られたことが、森社長の夢の実現にお力添えできた原点であったと感じています。

    「薬局の未来のため、ご一緒になるべき会社だと感じた」
    初めて伺った際に、平井先生・ご子息様ご夫妻・お孫様、皆様方から薬局への想いと今後について深くご教示いただきました。当時、すでに地域に根付いた独自の運営手法が確立されており、平井先生ご自身が目指される未来への展望をお持ちでした。

    しかし今後の薬局業界を考えると、この展望を実現するには独自経営では非常にハードルの高いお話であるとも伺いました。その際に、私からあけぼの関西様のご紹介をさせていただきました。森社長が小豆島にご縁があることのみならず、あけぼの関西様の企業理念や経営方針をしっかり勉強させていただいていたからこそ、双方が一緒になることのシナジー効果を具体的にご紹介できたと思っています。結果として、平井先生と森社長に実際にお会いいただき、ご一緒になられた今までを振り返ると、とても感慨深いです。

  • あるWEB制作会社が、3ヶ月でスピード譲渡した経緯
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日
    あるWEB制作会社が、3ヶ月でスピード譲渡した経緯

    ビッグデータ解析やディープラーニング、ブロックチェーン技術など、日々目まぐるしく変化し続けている今日。加速度的に激変する経済の基盤を支えているIT業界は、とくに変化が激しくスピード感のあるビジネスが非常に重要となっています。

    スピード感は技術だけでなく、M&Aにおいても非常に重要です。通常、交渉開始から成約まで約半年から2年とも言われる企業同士のM&Aですが、わずか3ヵ月でのスピード成約となったM&Aがあります。そのM&A仲介を担当した弊社fundbook(ファンドブック)のアドバイザーである田中が、譲渡企業の元代表取締役社長に「M&Aを検討し始めたきっかけ」や「譲渡後の変化」についてお話を伺いました。

    ディレクションができない人が多い。課題を感じ会社を立ち上げ

    創業の経緯を教えてください

    創業のきっかけは、前職であるウェブ制作会社時代に「世の中にはちゃんとディレクションができる人って少ないんだな」と感じたことから始まっています。

    大手広告代理店と一緒になってプロジェクトを進めていた時のことでした。大きなプロジェクトだったので、毎回、大手広告代理店の担当者が10人近く会議に参加していたのですが、それだけの人数が参加しているのにもかかわらず、ディレクションの実務がきちんとできる人が担当者にほとんどいなかったんですよね。私にとってこれはショックでした。

    例えば、プロジェクトの進め方。私たちの経験からすると、まずサイト全体のワイヤーフレーム(ウェブサイトにおける設計図のようなもの)を詰めてから、その後デザインに着手するという流れが一般的です。きちんと設計をした後にデザインをするので、工程に無駄がありません。しかし、当時の広告代理店のディレクターからの依頼は「まずはデザイン案を数パターン出してほしい」というものでした。

    その進め方だとフローに無駄が生じるのではないかと代理店の担当者に説明しましたが、結局、半ば強制的にそのやり方でプロジェクトを進めることになり、案の定、クライアントからはプロジェクトの進め方で怒られたという苦い経験があります。その中で「ディレクションができる優秀な人間がたくさんいるウェブ制作会社を作りたい」という思いが芽生え、創業に至りました。

    会社の経営においてどんなことを心掛けていましたか?

    創業当初から「丁寧に仕事をすること」を念頭に置いて経営しています。ディレクションやディレクターの実態に課題を感じ、それらを解決するために創業に至ったので、当初から制作やディレクションまで一つ一つ丁寧な仕事を心掛けていました。そういった意味では、経営目線というよりもプレーヤー目線だったかもしれません。

    その後、徐々に会社の規模も大きくなり、従業員が増えるにつれて経営者目線で会社のことを考える必要性が出てきました。そこから「丁寧に仕事をする」というマインドを従業員に啓蒙することに力を入れ始め、とにかくクライアントの仕事やプロジェクトの全容を把握することがどれだけ大事かというのを伝えていましたね。従業員が皆丁寧に仕事をしてくれると、顧客満足度が上がり次の仕事に繋がりやすくなりますから。

    なので、まずは何よりも「丁寧な仕事をする」ということが最重要であることを心掛け、それを従業員にも伝えています。

    役員の退職をきっかけに考え始めた会社の方向性

    あるWEB制作会社が、3ヶ月でスピード譲渡した経緯

    —— M&Aを検討されたきっかけは何だったのでしょう?また、いつから考えていましたか?

    立ち上げから一緒に経営してきた役員が退職したことがきっかけでした。元々は株式譲渡を全く考えていませんでしたが、今後の経営の方向性を考えていたときに、ちょうどタイミングよくfundbookから連絡をいただいたのがM&Aを検討することとなったきっかけです。

    ではなぜfundbookに依頼しようと思ったのでしょう?

    理由は2つあって「田中さんが骨のあるアドバイザーだったこと」と「ご提案いただいた譲渡候補先が的確だった」という点です。

    最初はあまり乗り気ではない状態だったので、会ってそうそう「やっぱりいいです」と断っていました。ただ「御社にとってもプラスになる情報なのでお話だけでも」という積極性が好印象で、そこまで言うのなら話を聞いてみようということで話を伺うことにしました。

    そして2回目にお会いしたときにいただいた譲渡候補先のリストが、弊社とシナジーのありそうな候補先ばかりだったのも、大きな理由の一つです。確かにここに譲渡したら面白そうだな、とかここだったら譲渡しても良いかもとイメージができました。そこから本格的に依頼しようと思い、現在に至ります。

    fundbookの担当者の印象はいかがでしたか?

    あるWEB制作会社が、3ヶ月でスピード譲渡した経緯

    依頼する立場としては、fundbookはまだ設立の浅い会社だったので不安が尽きませんでしたが、田中さんのコミットしてくれる姿勢を見て、依頼して良かったと思っています。

    他に2社ほどM&A仲介会社への相談を進めていましたが、こちらの要望に対してガッツがあったのは田中さんだったんですよ。食らいつく姿勢と言いますか。実際、条件交渉や譲受候補企業とのマッチ度は、他社と比べても群を抜いていたと思います。

    実際、そういった経緯もあってM&Aを検討している友人には田中さんをご紹介していますし、好評いただいていますよ。

    M&Aの話を進めていく中で不安に思われたポイントはありますか?

    M&Aをする上での不安はさまざまでしたが、特に「従業員にM&Aを検討している旨を悟られないか」と「契約段階で交渉決裂しないか」という2点の不安が大きかったですね。

    まずは「従業員にM&Aを検討している旨を悟られないか」という点です。M&Aを検討しているということは、傍から見れば会社を手放そうとしているということになります。そのため、M&Aをすると言うことが従業員の耳に入ると、こちらが意図していることとは違うネガティブな解釈をするのが普通だと思います。従業員からの信頼度や仕事に対するモチベーションが下がるし、経営にも大きく影響が出てくる。それを考えると、やっぱりM&Aを従業員に悟られないかというのが一番の不安でした。

    また、交渉を重ねた譲渡候補企業との破談の可能性から来る不安は、常に付きまとってきます。M&Aでは、デューデリジェンス(会社の資産価値査定)など大詰めの段階で破談というお話も少なくありませんし、時間をかけて交渉を重ねてきた後に破談となってしまうと時間の損失は大きいです。なので、契約書を交わして成約するまで本当に不安でしたね。

    この2点の不安は、M&Aアドバイザーが寄り添ってくれているとはいえ、最後まで拭いきれませんでした。こういった不安は、ITにかかわらずどんな業界の社長でも感じることなのではないでしょうか。

    成約まで3ヵ月というスピードにこだわって交渉を進めた理由はなんでしょうか?

    上記のような不安も大きいですし、やっぱりM&Aにおいてもスピード感を持って進めていきたいということもあって「3ヶ月以内に成約」という条件を設けさせていただきました。

    M&Aには半年から2年程度かかることは知っていましたが、そのスピード感では、短期間で変化し続けるIT業界では遅すぎますし、仮に成約しなかったとなれば、それだけの時間が勿体ないと思っています。

    元々M&Aを検討していなかったこともありますし、決めた期間で決まればご縁だし、決まらなければ自分でそのまま続けるだけと思い、半ば「やれるもんならやってみろ」という気持ちで依頼をしたのですが、まさかその期間で実現してくれるとは思いませんでした。結果的に良い譲渡先に巡り会えましたし、満足できるM&Aができたと思っています。

    短期間で数十社にお話を伺ったとのことですが、譲渡を決めたきっかけはなんでしたか?

    実際に会ってみて、お相手の社長は良い意味で変化の少ない方だと感じました。短期間でM&Aを行いたいという思いもあり、これまで30社ほどの譲受候補先とお話させていただきましたが、最初に提示された条件が変わったり、良い見せ方をする社長が多いんですよね。

    そんな中で、私が譲渡先として選んだ会社の社長は、最初にお会いしたときから控えめな方でした。「ご縁がありましたら是非」というような言いぐさで、最初は「本当にうちとM&Aする気はあるのかな?」と思ったほどです。

    でも次に会ったときも同じトーンで、その次も、その次もと結局最後まで同じ雰囲気だったんです。やりがいやビジョンが魅力的な譲受候補先はほかにもありましたが、逆にそのブレない姿勢が印象的で「ここだったら上手くいきそうだし、条件を守ってくれそうだ」と感じました。契約日を日程まで確定して連絡してくれたスピード感も魅力的なポイントでしたね。

    熱意が高いほどスピード感があるということかもしれませんね。譲渡後はいかがですか?

    譲渡した後も譲受先の社長の姿勢は一定で、とても安心感があります。私は譲渡先の会社にグループインした形で現在も社長を続けていますが、ビジネス的なシナジーが強く感じられています。

    例えば、これまで私たちの技術や規模だけでは難しい案件があった場合には、外注先を探す必要がありました。外注した場合は費用も余計に掛かるし、外注先を選ぶだけでも一苦労です。現在はこういった案件もグループ内で完結できるし、外注先が急に飛んでしまうというリスクもありません。また、案件を受注しすぎてしまった場合でも、グループ内に案件を受け渡すこともできます。

    グループインすることで販路が広がりますし、グループの力を借りることで受注できる案件の幅が大きく広がりました。こういった意味でもグループの一員として仕事をするのは安心感がありますね。「グループインするってこういうことか」と。

    最初はグループインすると譲受先に振られた案件を無理やりにでもこなさなきゃいけなかったり、譲渡先のやり方に迎合する必要があるといったことは懸念していました。ですが、私の場合は無理やり案件が振られるといったことは全くありませんでした。とても恵まれた環境だと実感しています。

    貴重なお話をありがとうございます。では、これからM&Aを検討するIT企業の代表に向けて一言いただけますでしょうか?

    M&Aに対してネガティブな印象を抱いている人や、とくに自分には関係ないと関心を持っていない経営者が大半だと思います。私も同じように関心を持っていませんでしたからね。そんな無関心なところからでもM&Aを成功させる鍵は、自社の方向性を理解してくれるM&Aアドバイザーと一緒に、落とし所を見つけながら、希望する譲受先を見極めることです。それができれば、満足のいくM&Aができると思います。

    M&Aに対してよくないイメージを持っているのは、やっぱりM&Aをした後の未来が描けないからだと考えています。現状に不安を抱えたままよりも、ちょっと勇気を出してM&Aの話を聞いてみれば、自分にとってプラスになることがあるかもしれません。fundbookでは無料相談を行っているようですので、まずはお話を聞いてみるのも良いかもしれませんね。

    あるWEB制作会社が、3ヶ月でスピード譲渡した経緯

    担当アドバイザー コメント

    今回お話を伺った譲渡企業オーナーは30代とまだお若いですが、会社の更なる発展のためにM&Aという手段を選択されました。技術の進歩と比例して成長スピードが速いIT業界において、事業の継続や拡大を果たすためには、相乗効果を発揮できるパートナーをいかに早く探し出すかが重要な要素の一つです。

    本件の譲渡オーナーはM&A後も譲受企業のグループ社長として職務を継続し、グループ内のリソースを活用し、現在は事業の拡大や新規事業展開に専念されています。また、グループインすることで、これまでオーナーが一人で行っていた煩雑な事務手続きなどを本社が一括して引き受けてくれたため、業務におけるストレスが軽減したとのことです。

    今回は3ヶ月で成約という短い期間でのM&Aですが、これまで以上に活き活きと仕事に取り組まれる姿を拝見し、本件に携わらせて頂けたことを改めて嬉しく思いました。今後の成長と発展が非常に楽しみです。

  • インタビュー

    2017年11月1日、譲渡成立

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日
    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    インタビューの舞台は京都府八幡市。「八幡(やわた)」という市名は、市内に鎮座する日本三大八幡宮の一社、石清水八幡宮に由来します。大阪府と京都府の境目にあるこの地域は、男山を中心に田園や住宅地が広がっていることでも知られます。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    閑静な住宅地を抜けると、地域の人々に愛されながら30年間「みずほ薬局」の屋号で、若江東大阪ファーマシィ薬局株式会社の経営を続けてきた仲井氏にお出迎えいただきました。地元住民にとってはお馴染みの顔です。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    地域に寄り添った調剤薬局を営んできた「みずほ薬局」

    さっそくですが創業の経緯を教えてください

    仲井氏:まず前提として、薬剤師として人生を歩む上で「どんな仕事でも自分で一通りできなければならない」という思いがありました。そこで、まず「仕事の基本は営業職だろう」ということで、最初は薬剤の卸売りを行っている会社で営業職に就きました。

    そこで約3年間、薬品の営業活動をしていましたが、やっぱり営業には向き不向きがありますよね。私はそこまで営業が得意ではなくて、思ったように営業活動がうまく行かず……。

    当時は医薬分業が進んでいる時代だったということもあり、会社の上司から「仲井くんは薬剤師免許も持っているし、調剤薬局の方が向いているんじゃないか」と紹介していただいたのが、調剤薬局を営む会社でした。

    7年ほど、調剤薬局にて薬剤師として業務に携わり、その後、ご縁があって独立し、今に至ります。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    これまで経営で苦労していたことは?

    仲井氏:正直なところ、特に大きな苦労はせずにやってきたんですよ。店を開けている時間はずっとここに居て、患者さまが来たら対応し、疲れたら休憩しながらやってきましたから。この薬局は家のようなものなので、幸いにも苦労はほとんどなかったですね。

    とはいえ、やっぱり薬局を経営していく上では、来る日も来る日も仕事を休むことが難しく、辛かった時期もありました。

    例えば営業時間です。うちの場合は、平日は20時まで、土曜日は15時まで店を開けています。近くには住宅地や、目の前にバス停があるということもあり、営業時間を過ぎても患者さまがいらっしゃることが多いんです。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    患者さまの声にはできるだけ応えたいという思いから、本来の営業時間よりも長く、平日は21時ごろまで、土曜日でも17時ごろまでは店を開けていました。やっぱり患者さまからすると、長い時間開いていたほうが嬉しいですからね。ただそれが当たり前になってくると、時間通りに店を閉めることが難しくなります。実際、本来の営業時間通りに店を閉めると怒られてしまいますしね(笑)

    ただ、患者さまから「いつも開いていて助かる」という言葉をいただくと、やっぱり嬉しいですよね。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    (みずほ薬局は住宅街にあり、小さい子どもや仕事帰りの患者が多く訪れる)

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    森社長:仲井さんは地元の住人にとって「居てくれて当たり前の存在」になっているんです。みずほ薬局さんは医院の隣に立地しているのにもかかわらず、集中率(一か所の病院からの処方箋の割合)が低いことが特徴です。これはひとえに、地域密着で患者さまのことを第一に考えて経営されているということが、患者さまにも伝わっているのだと思います。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    村上:営業時間が終わった後も、遅くまで社長ご自身で事務処理などを行っていましたよね。実際に私が(譲渡の)お手伝いをさせていただいていた間も、いつもご従業員の皆さまが帰られた後の、夜 8 時半からのご面談でしたね。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    仲井氏:そうですね。結局、30年間で休んだのはたった一日だけ。それ以外は定休日じゃない日はずっと店を開けていました。 また、この年になってくると漠然とした経営の悩みはありましたね。薬剤師としての業務だけでなく、従業員のマネジメントや、売上や給与の計算などの経営にまつわる事務的な業務も多く、プレッシャーも感じていました。 経営者は普通の会社員とは違い、定年が訪れるという世界ではありませんから。そういった終わりのない経営にも不安はありました。

    従業員や周りの人に支えられたからここまでやってこられたという思いがありますが、やっぱり身体的な疲れだけでなく、今思い返すと精神的なストレスも多かったと思います。

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    会社を存続させる選択肢としてのM&A

    M&Aを検討し始めたタイミングを教えてください

    仲井氏:身体的な負担はもちろんのこと、先ほど話したような漠然とした先行き不安は常に抱えていました。そういったタイミングで、いくつかのM&A仲介会社から譲渡のお話をいただく中で「M&Aも将来の選択肢の一つ」と脳内に芽生えました。

    村上:そうですよね。調剤薬局の経営者さまにお話を伺う機会は多いんですが、やはり、調剤報酬改定などの薬局業界ならではの悩みを抱える方も多くいらっしゃいます。

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    いくつかM&Aの仲介会社からお話があったということですが、その中でなぜ弊社を選ばれたのでしょうか?

    仲井氏:fundbookさんにM&Aのご相談をしたのは、最終的に「縁」だったと私は思っています。以前に話が進んでいた仲介会社とは、何度か会ってみて具体的な話までは聞きましたが、最終的な意思決定には至りませんでした。

    昨年(2017年)5月頃に、fundbookさんに電話をいただき、この薬局までわざわざ来るというので、ならば会ってみようと思いました。実際に村上さんにお会いし、さまざまなお話をする中で、普通に考えたらできるわけがないだろうという条件を提示したんですね。営業職は基本的に成果主義でしょう。私の中ではM&Aの仲介会社といえども「会社を紹介して売ったら終わり」という認識があったので、わざとそのような条件をお伝えしました。

    他の仲介会社はこの条件ではできないと言っていたので、これができたら大したものだと思っていました。すると「やります」と村上さんが言ったので、それならば「お願いします」と、今回のお話を進めるきっかけとなりましたね。

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    村上:仲井さんから提示された条件を超えるのは、正直ハードルの高いお話ではありました。ただ、やるのなら絶対に仲井さんの条件を受け入れたいと思っていましたし、もちろん森社長にもその旨をお伝えして、今回のM&Aをお手伝いさせていただきました。

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    森社長:M&Aというのは大きなお金が動くことだし、譲り受ける立場としても不安なことも多々あるんですよね。でも村上さんはいつも、こちらが納得できるまで真摯に動いてくれているので、ほとんど不安は感じませんでした。 こちらが知りたいと思う情報を先読みして、フットワーク軽く何度も対応してくれて、最終的に双方が納得のいくM&Aができたのではないかと感じています。

    村上:M&Aは「売りたい会社と買いたい会社を引き合わせれば成立する」という単純な話ではありません。双方の会社にとって、M&Aをすることによる互いの魅力をしっかりと感じていただいた時に、初めて話が前に進みます。

    売りたい、買いたいとおっしゃる各社にとって“どのようなお相手と一緒になれば”双方にとってメリットがあるかを様々な角度で考え出し、シナジー効果を提供することが私ども仲介に立つ者の使命であり、存在意義であると私は考えています。

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    関わる人たち全員がハッピーになれるM&A

    「M&Aによる譲渡」という選択に不安を抱える経営者は多いと思います。譲渡を決断するきっかけとなったのはなぜでしょうか?

    仲井氏:あけぼの関西さんへの譲渡を決めた理由は、先ほど話した条件を満たしてくれたということもありますが、一番は譲渡する際の見えない不安や、心配ごとを拭ってくれたことですね。

    例えば森社長だけでなく、他のあけぼの関西さんの経営陣の方々が、何度もこちらの店舗まで足しげく通ってくれました。また、譲渡後にどのような運営体制になるかを詳細に教えてくれることのみならず、「これまで通りの運営」という明確な方向性を示してくださったのが大きかったと思います。

    譲渡を考え始めた当初は、ただ単純に「会社を売る、手ばなす」という気持ちが強かったのですが、実際にあけぼの関西さんとの話を進めていくなかで、いつしか「会社を譲る、バトンを繋ぐ」という気持ちに変わっていきました。

    譲渡後の対応についても、シフトがバラバラな従業員一人一人に対し、森社長みずからがコミュニケーションを取るために、わざわざこちらの店舗まで足を運んでくれたり、店舗の外装を変える際には夜中の1時や2時まで手伝いに見えられたりする姿を目の当たりにし、あけぼの関西さんがお相手で本当に良かったと思っています。

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    森社長:私も実は譲渡を経験した立場なので、そういった気持ちはよく分かるんです。私はM&Aで大事なことは「会社同士」の譲り受けではなく「人同士」の譲り受けと捉えることだと考えています。

    実際に会社を譲り受けるとなると、何度も現地を訪れて、納得のいくまで社長や従業員の方と接するようにしています。M&Aは今店舗にいる従業員の皆さんが一番大事になってきます。なので、従業員の皆さんの気持ちや想いを知るということから徹底的に着手しています。

    譲渡する経営者からすると、事実上は「会社を売ったらそこで終わり」なのかもしれません。ですが、残された従業員の皆さんが一緒に働くのは、バトンを受け取った私ども譲受企業ですからね。コミュニケーションがうまく行かず、無理にM&Aを行ったところで、結果として離職に繋がってしまうと皆にとって不幸な結果となります。なのでしっかりと現場の声に耳を傾けています。

    仲井氏:そうですね。実際に私の周りでもM&Aをした後に従業員が泣いているという話は耳にします。そういった不安を取り除いたうえで、譲渡するのが経営者にとっても大事な役目だと思います。

    森社長:当社に譲る前に「うちの従業員はどうなりますか」と聞いてくれる経営者さんが多くいらっしゃいます。私は、そういった経営者さんに、必ず「守ります!」と伝えています。

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    会社を「売る」のではなく「バトンを繋ぐ」

    譲渡後の変化はありましたか?

    仲井氏:将来的な漠然とした不安や経営の心配がぐっと減って、精神的に非常に穏やかになったと思います。これまでは給与の計算などの事務的な業務に追われ、毎晩日付が変わる頃までバタついていましたが、今ではそういったストレスはほとんどなくなり、患者さまとコミュニケーションを取り、薬剤師としての業務だけに専念できるのが嬉しいですね。

    森社長:地域に密着した薬局だと、患者さまの顔も覚えてどの患者さまがどんな病気を患っているのかなど、調剤薬局の薬剤師さんがコミュニケーションを取っているんです。なかには「仲井さんがいるから」と通う患者さまもいらっしゃるので、そこは仲井さんにお任せしています。

    今は、給与計算や経営の雑務は本社が一括で行い、仲井さんには患者さまとのコミュニケーションに集中してもらっています。

    仲井氏:ただ、少し大変だったのは「人に任せるための引継ぎ」でしたね。特に私の場合は事務作業も一人でやっていましたから、これまでは自分だけが分かる方法でやっていれば良かったんです。ただ、譲渡後は自分でなく、従業員など別の人に作業を任せる必要があります。

    そういった仕組みを作って共有するというのがどれだけ大変なものなのかを、会社を譲渡してみて初めて気が付きました。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    仲井氏:また、休みがきっちり取れるようになったことが嬉しいポイントです。これまでの30年間は店を休むこともできず、旅行や遠出といったリフレッシュがほとんど出来ていませんでした。譲渡後は週休2日で休めていますから、時間に余裕もできました。

    森社長:それは私としても嬉しい変化ですね!

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    「“売る”のではなく“バトンを繋ぐ”」 ~第三者承継の心得~

    若江東大阪ファーマシィ薬局株式会社(旧:みずほ薬局) 前代表取締役 仲井 秀文 氏

    周りの会社経営者を見ていると、私と同世代でもまだまだ「自分でやるぞ」という意気込みで続けている人が多いんですね。私も実際に譲渡する前はそう思っていましたが、業界の動向や、将来に対しての漠然とした不安がある中で、身体的な負担は増えていく一方でした。

    最初にM&Aの話を聞いた時は、やっぱり不安ばかりで、いくらM&Aの担当者がやってきて「経営が楽になる」や「円満に引継ぐ」という話を聞いても、「本当か?」と感じるときも正直ありました。ですが、従業員も誰一人辞めずに皆「頑張ります」と言ってくれているし、譲渡して良かったなあと感じています。

    まずは話だけ聞いてみて、お相手の会社が合わなかったら、途中で辞めればいいと思いますよ。

    良いお相手と出会ったら、本当に従業員や患者さま(お客さま)の為になるか、あるいは今の会社や家族の為になるのかをよく考えましょう。これら全てが満たされた時にいつしか会社を「売ってしまう」のではなく「譲る、バトンを繋ぐ」と感じるようになっているでしょう。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    「M&Aは“会社同士”ではなく“人同士”の譲り受け」

    株式会社あけぼの関西 代表取締役 森 あかね 氏

    会社を譲り受けるということは、単に屋号や経営権を引き継ぐということではありません。経営者の思いや会社の文化などを重視して、私たちが譲歩できる部分、難しい部分をしっかりと話し合います。

    結局のところ人が会社を作っているので、そうした方が最終的には利益に繋がると考えています。経営に対する思いや歴史、文化を通じて「会社」ではなく「人同士」が繋がるので、徹底的に話し合って、本当に譲り受けたらお互いにとって最適かを考えてM&Aを行っていきたいですね。

    地域と共に30年、M&Aでバトンを託した調剤薬局

    「単なる“後継者不足”だけでは語れないM&Aの価値」 ~M&Aの現場~

    ――fundbookの存在意義――

    M&A仲介の現場に立つ私は、日々、全国の会社経営者の皆さまとお会いしています。新聞記事を読んでいると「日本の60歳以上の会社経営者の約50%以上は“後継者不足” である」と表現されていますが、私がお会いする会社経営者の半数以上の方がそのようにお答えするかと言うと、答えは「No」です。

    仮に統計上は“後継者不足”の問題を抱えているとは言っても、実際には「今後の業界の変動にどう対応していこう」「新たな事業展開、会社の成長・発展はどうしよう」「従業員はどうしよう」などの理由で頭を悩ませている方がほとんどです。

    つまり、M&Aを選択する経営者の理由として、必ずしも“後継者不足”の問題が先立つわけではなく、会社やそこで働く従業員、顧客、そして家族のことを総合的に考慮したうえで「M&Aによる譲渡」を検討されています。
    M&Aというのは「1.後継者がおらず」「2.売却を検討すれば」「3.お相手が見つかる」といった容易な内容のお話ではありません。

    独自の理念、技術、歴史や文化を持つ会社にとって、最もふさわしいお相手探し・巡り合わせを幅広く提供できることが弊社fundbookの存在意義です。これは、M&A事業を営む同業他社や金融機関が増えてきている中で、弊社が持つ何よりの強みです。


    ――M&A仲介の社会的価値――

    必ずしもM&Aを選択される経営者にとって“後継者不足”が先立つわけではないとしても、“後継者不足”の問題は、日本経済に大きな影を落としています。経済産業省によると「“後継者不足”の黒字企業の廃業を放置すれば、2025年までの累計で約650万人の雇用と約22兆円のGDPの喪失の可能性がある」と試算されています。

    AIやIoTによる第四次産業革命といった世界情勢、少子高齢化社会と人口減少といった日本情勢を背景に、各業界は揺れ動いています。

    私は日々、全国のさまざまな会社を訪問する中で、各社が持つ理念、技術、歴史や文化に触れております。規模の大小を問わず、どこの会社も「世界一」を誇れる特徴のある会社ばかりです。

    激動の社会情勢の中ですが、日本の中小企業において、決して絶やしてはならないこの「世界一」のバトンを繋ぐことがM&A仲介業の使命であり、同時に社会的価値であると私は考えています。

    今後の日本経済を支える架け橋になるべく、日本経済の将来に変革をもたらすべく私は全国を渡り歩いていきます。

  • 譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局
    • 譲渡企業
      設立年月日
      事業内容
    • 譲受企業
      設立年月日

    東京都練馬区の有限会社大泉薬局は、西武池袋線「大泉学園」駅前にある歴史の長い薬局です。3世代にわたって通われる患者様がいらっしゃるなど、地域に根ざした薬局として愛されてきました。

    同社の杉山貴典社長は「地域に愛される薬局を次世代に残したい」との想いからM&Aの検討を開始し、最終的に株式会社エスシーグループへ株式を譲渡しました。しかし、その過程には独自の経営方針ゆえの悩みや苦労もあったといいます。譲渡成立から約2年、杉山社長と譲受企業の株式会社エスシーグループ皿澤康孝会長にお話を伺いました。

    調剤報酬改定に翻弄されず、地域で薬局を続けるために

    まずは、大泉薬局のこれまでの歩みや事業の特徴を教えてください。

    杉山氏:当社は1954年に創業して創業家の方に代々受け継がれてきましたが、2010年に創業者の孫で当時の経営の要だった方がお亡くなりになりました。そこで、その方と以前から知り合いであった私と、調剤薬局チェーンを経営しながら当社の経営に関わっていた者との2名で大泉薬局を引き継ぐことになりました。その後、共同経営者が2014年に調剤薬局チェーンを譲渡してリタイアしたのを機に、経営者は私だけになりました。

    当社は処方箋なしで買うことができるOTC医薬品や健康食品などの調剤以外が取扱商品の約20%を占めており、患者様にトータルなご提案をできることが強みです。例えばご高齢の方で体力低下から病気を患っている場合は、体力のベースを高めるサプリメントをご提案することもあります。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    これまで経営ではどんなことを心がけてこられたのでしょうか?

    杉山氏:「目の前の患者様のお役に立っていれば、結果としてやっていける」という手応えがあり、とにかく患者様に尽くすことを心がけてきました。当社は大泉学園周辺では最も古い薬局で、今ではご家族3世代にわたってご利用いただいている患者様もいらっしゃいます。

    なぜM&Aの検討を始められたのでしょうか?

    杉山氏:2年に一度の調剤報酬改定が経営に与えるインパクトが非常に大きいためです。特に個人経営の薬局は改定のたびにどんな打撃を受けるか分からない不安が常につきまといますので、経営者が私一人になった翌年からM&Aを考え始めました。地域の患者様のために薬局を存続させたい、そのために当社にもM&Aという選択肢があるのかぜひ知りたいと思っていたのです。fundbookからご連絡をいただいたのはちょうどその頃ですね。

    アドバイザー:2017年3月のことです。当時はM&A仲介事業を立ち上げたばかりで、その第一号案件としてご相談を受けさせていただきました。

    M&Aを検討するうえで何か不安はありましたか?

    杉山氏:OTC医薬品等の割合が高く一般的な調剤薬局とは少し異なるため、譲受先が見つからないのではないかと不安でした。

    特に、当社はテレビCMでは宣伝されていないような商品を多く取り扱っています。テレビCMで見かける商品はドラッグストアで購入されやすいので、独自色の強い商品に力を入れてきたのですが、M&Aにおいてはそれがネックになるのではないかと危惧していました。

    アドバイザー:一般的な調剤薬局ではOTC医薬品が5%程度なので、大泉薬局様の20%という数字は確かに特徴的と言えます。しかし、それをネガティブな要素ではなく、ポジティブな要素としてご提案できないかと考えました。実際、株式会社エスシーグループ様はその数字を大泉薬局様の強みとして前向きにとらえてくださいました。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    私たちと違う業態だからこそ、グループに迎えたかった

    エスシーグループ様のこれまでの歩みや経営理念について教えてください。

    皿澤氏:1992年に創業した当社は、調剤専門の薬局からスタートしました。『「安心と信頼」人にやさしい薬局を目指して』を理念に掲げて少しずつグループを拡大していき、2019年現在では首都圏を中心に約100店舗を展開しています。本社が板橋区にあるため板橋区・練馬区に20店舗以上が集中しています。

    グループがここまで成長できたのは、規模拡大だけを追い求めず、一緒になる薬局の経営者やその店舗で働く従業員の皆さんの考え方や人柄を重視して、理念を共有して共に成長できるかどうかを見極めてきたからです。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    大泉薬局様をご紹介した際、OTC医薬品等の割合が高いことは気にならなかったのでしょうか?

    皿澤氏:逆に、私どもにとって経験のない形の店舗であることを魅力に感じました。当グループ内に大泉薬局ほどOTC医薬品等を本格的に扱っている店舗はありません。M&Aで大泉薬局のノウハウをグループの他の薬局の運営にも活用できるのではないかと考えました。

    アドバイザー:また、大泉薬局様のある練馬区はエスシーグループ様が強いエリアであり、近隣にグループの店舗が複数あることで経営上のメリットも期待できます。

    杉山氏:店舗に在庫がない薬の処方箋を持参される方も少なくないので、ない薬をどのように入手するか、逆に過剰在庫によるリスクを抱えないためにはどうすればいいかという点は、常に調剤薬局の悩みです。近隣に同じグループの店舗があれば融通がきいて心強いです。

    アドバイザー:杉山社長のお人柄や仕事に対する姿勢が皿澤会長のお人柄と非常に相性が良いと感覚的に分かったこともあり、マッチングをご提案しました。

    皿澤氏:私どもはグループの薬局に画一的なやり方を押し付けるのではなく、100店舗あれば100通りのやり方があると考えています。大泉薬局は、地域性やお客様の特性に合わせたやり方でこれまで立派に経営してこられましたから、ぜひグループに入っていただきたいと感じました。

    実際に面談でお会いされた時はどのような印象を持たれましたか?

    杉山氏:経営理念に「人にやさしい薬局」という言葉がある通り、患者様だけでなく当社の従業員もしっかりと守っていただける安心感がありました。

    皿澤氏:事前にアドバイザーの方に伺っていた話と何ら違和感なく、非常に人柄の良い優しそうな方だという印象を受けました。M&A後の経営に関することでは、ご自身が薬剤師でいらっしゃるので、グループ入り後も引き続き店舗をお任せしたい旨をお伝えし、快くお引き受けいただきました。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    成約までの流れはいかがでしたか?

    杉山氏:あらかじめ伺っていた通常の流れよりも、さらにスムーズに進んだ印象でした。これまで経験したことがないM&Aの手続きに不安を感じていましたが、経営データを開示する用意は整えていましたし、最後までアドバイザーの方が親身に対応してくださいました。慣れないことではありましたが、難しいことは特にありませんでした。

    アドバイザー:スムーズな成約の背景には、大泉薬局様の財務諸表に疑問符がつくような箇所が一つもなかったことが挙げられます。経営者の私的な支出は一切ありませんし、在庫の管理も定期的に行われていて、帳簿上の数字と実際の数字がきちんと一致する状態であったことが大きいです。

    今は、安心して地域の患者様と向き合える

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    成約後、店舗運営の体制や業績などにはどのような変化がありましたか?

    杉山氏:エスシーグループのスケールメリットにより、仕入れの大幅なコストダウンが実現できました。当社は、調剤薬局チェーンを営む共同経営者が抜けたことで仕入れ価格が上がり厳しかったのですが、その課題が解消されました。

    店舗運営の体制は以前と変わりありません。実は私はM&A後に退くつもりでしたが、皿澤会長のご厚意で成約から2年ほど経った今も残らせていただいています。何かあったときにはグループと従業員の間に立ってフォローできるという点で、残って良かったと思います。また、小規模な薬局では苦労しがちな薬剤師の採用問題についても、グループ入りのメリットを感じています。

    皿澤氏:グループ入りしていただくことによって、採用も含めた管理部門の経費や手間が縮小されることは大きなメリットです。大泉薬局のように経営者が薬剤師として現場で働かれているような薬局がグループ入りした場合はなおさらでしょう。反対に大泉薬局のOTC医薬品等の活用ノウハウは、今後他の薬局にも広げていければと考えています。

    M&A成立から2年近く経ちますが、その後の両社の関係が良好であると聞いております。その秘訣は何でしょうか?

    杉山氏:グループ入りする前は、エスシーグループのことがあまり分からない中でやっていくのが不安でしたが、皿澤会長はグループの決算書をはじめあらゆる情報をオープンにしてくださるので、安心して仕事ができています。

    皿澤氏:私には「仕事を成し遂げるにはすべての人の力を借りなければならない」という考えがあります。どんなスーパーマンも一人では仕事ができません。それぞれの店舗で皆さんのお力を借りて、協力しながら築き上げていく方針を大切にしているので、グループ入りしていただいた経営者の方には情報をオープンにしています。

    また、こうして現在も良い関係を続けていられるのは、M&Aの段階でしっかりと関係を構築できたというのが大きいようにも思います。その点では、譲渡側と譲受側どちらの立場にも偏らず両者の真ん中に立って話を進めてくださったアドバイザーさんに感謝しています。

    アドバイザー:アドバイザーの立ち位置については様々な意見があると思いますが、私は中立であるべきだと考えています。双方がしっかりと納得したうえでM&Aを進めなければ、必ず後悔が残ります。どちらにも偏らず、客観的に見て納得できる条件になることを大切にし、長い目で見て「この相手で良かった」と幸せになっていただける仲介を心がけてきました。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    M&Aは患者様のための選択肢

    有限会社大泉薬局
    代表取締役社長 杉山 貴典 氏

    国の方針次第で調剤薬局の経営がガラリと変わる時代が間近に来ています。特に個人経営の薬局は苦境に立たされ、生き残るための競争は今後さらに激しくなっていくでしょう。このような時代ですから、経営者として利益を追求することはもちろん大切です。しかし、それは会社をただ存続させるためではなく「地域の患者様のため」であるべきだと私は考えています。

    M&Aによってエスシーグループの一員となり、日々患者様のことだけを考えて仕事に取り組めるようになりました。患者様に選んでいただける、理想的な薬局を実現するための選択肢。M&Aがその一つになることを、もっと多くの経営者に知っていただければいいなと思います。

    譲受企業にノウハウをもたらす、独自経営の個人薬局

    患者様や従業員の幸せを考える経営者とともに

    株式会社エスシーグループ
    代表取締役会長 皿澤 康孝 氏

    長年にわたって患者様に愛されてきた薬局が閉店してしまうのは、地域医療における大きな損失です。手を取り合うことで、その道を避けることができる。これまでと変わらず患者様のお役に立つことができる。そう考えて当社は志をともにする方々と一緒に歩んでまいりました。

    ただ、譲渡を検討される経営者にはご自身の利益だけを考えている方も少なくありませんし、そのような方と同じ未来を描くのはやはり難しい。杉山社長のように、地域の患者様、従業員の幸せを考えられる方をご紹介いただけて本当に良かったと思っています。それぞれの強みを生かし、グループ全体を成長させていけたらいいですね。

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    両社の将来にとって意義のあるM&Aを

    (担当アドバイザーのコメント)

    大泉薬局の杉山社長は、長年地元の方々に愛されてきた薬局を将来まで残したいという想いと、単独で経営していくことの先行き不安から、M&Aをご検討されていました。M&A仲介会社は数多くありますが、私のご提案を通じて、当時設立されたばかりでまだ実績のなかったfundbookにお任せいただけたこと、今でも有り難く感じています。

    杉山社長にエスシーグループ様をご紹介したのは、まず杉山社長の真面目で誠実なお人柄が、皿澤会長のお人柄や経営理念とマッチすると思ったからです。また、都内の板橋区・練馬区に20店舗以上を展開するエスシーグループ様のエリア戦略において、大泉薬局様と手を組むメリットは大きく、大泉薬局様もグループ入りすることでスケールメリットを得ることができる。必ず双方にとって前向きなM&Aになると確信していました。

    大泉薬局様は、強固な財務基盤を有する調剤薬局グループの一員となったことで、経営が安定し、これまで以上に患者様に向き合うことができるようになりました。両社がそれぞれの強みやノウハウを活かしながら、将来にわたって地域医療に貢献されていくことを期待しております。

会社を譲渡する方法

会社を譲渡するにはいくつかのスキームがあります。代表的なものをいくつかをご紹介します。

株式譲渡

会社を譲渡する際の代表的な手法が「株式譲渡」です。M&Aにおける株式譲渡は、譲渡企業の株式を譲受企業が買い取ることで、経営権を移動させます。
株式譲渡の手法では、譲渡企業の株式を譲受企業に渡し、対価を受け取り、株主名簿を書き換えることで、M&Aが成立します。合併や事業譲渡などの他の手法と比べて、手続きが簡易なことが特徴です。また、株式譲渡では原則として経営資源も引き継がれることが一般的です。譲渡企業の従業員の雇用も継続されることがほとんどであり、不動産や設備、ノウハウなども引き継がれます。

事業譲渡

株式譲渡と同様に代表的な手法が事業譲渡です。事業譲渡とは、株式譲渡とは異なり株式ではなく企業全体ではなく企業の一部または全部の資産・負債を譲渡することで、会社を売却する方法となります。
事業譲渡を選ぶシチュエーションは、「資金の獲得のために事業の一部を譲り渡したい」「非中核事業を譲渡して資金を中核事業に集中したい」「オーナーに法人格を残して事業を売却したい」「会社再生の手法として用いたい」など、様々なケースが考えられます。事業譲渡の譲渡企業側の大きなメリットの一つとしては、会社の経営権が譲渡企業に残ることがあげられます。
経営権が移動しない事業譲渡であれば他事業を継続したり、貸借対照表には計上されていない簿外債務がある場合にもM&Aを比較的容易に行うことができます。また、残したい資産や従業員の契約を選べる(事業の一部だけを選んで譲渡できる)など、必ずしもすべての債権者に対して通知や公告せずに手続きを進められるという点も経営戦略上のメリットになります。

会社分割

会社分割には、新設分割と吸収分割の2つの方法があります。新設分割とは、1つまたは2つ以上の会社が分割する事業で有する権利義務の全部または一部を分割により新たに設立する会社に承継させる組織再編のことをいいます。
一方、吸収分割とは、1または2以上の会社が分割する事業で有する権利義務の全部または一部を分割により他の会社に承継させる組織再編のことをいいます。
会社分割と事業譲渡は「特定の事業を他社へ切り出す」という点では同様の結果を得られます。しかし、会社分割では移転する事業が有する権利義務や財産などを包括的に承継するのに対し、事業譲渡では売買取引として財産などを個別に承継する必要があります。

会社を譲渡するタイミング

会社を譲渡するのには、時期を見定めることも重要です。どのようなタイミングが適しているのかみていきましょう。

1)イグジットを目的としたバイアウトの場合

イグジットを目的に譲渡を進める場合は、自社にとって外部環境が良い時期、成長している段階であるとより良い条件での譲渡が期待できます。外部環境は事業に大きな影響を与えるため、自社にとって良い時期であることは、条件交渉などで有利に働くことがあります。例えば、市場が飛躍的に拡大している業界であれば、譲受企業が提示する譲渡価額は高くなる傾向にあります。成長が見込まれること以外にも、法律の改正が有利に働くタイミングなども、外部環境が良い時期といえます。
また、自社が成長段階であることもイグジットを目的に譲渡する場合は、良い時期と判断できます。譲受企業の多くは、今後の成長が見込める企業を買収したいと考えるためです。
一方で、資金繰りが芳しくない状況となる見通しがある場合は、実際に資金繰りが不安定になる前に交渉を開始することも重要です。不安定になってしまった場合、譲渡は達成できても、株価などが安価に設定されるケースもあります。

2)業界再編が進んでいる場合

業界再編が進む業界の場合は、業界再編が完了する前に、譲渡を進めることが得策といえます。業界内の大手企業同士の合併などによって再編が進んでいる際は、中小規模の企業への譲り受けニーズが高まります。
そのため、譲渡価額も高く設定される傾向があったり、事業が成長局面にない場合でも譲渡できる可能性が高まったりと、譲渡企業側に有利になることがあります。
一方で、業界再編が進み、大手数社のシェアが高まり再編が完了した場合は、譲り受けニーズが弱くなります。つまり、業界再編が完了する前の再編が進んでいるタイミングが譲渡に適した時期といえるのです。
また、業界再編がある程度進むと、シェアの高い企業はスケールメリットなどによって、再編前より競争力が強化されることもあり、中小規模の企業にはより一層の競争力が求められる可能性があります。業界再編は法律の改正などによって急速に進むことがあるため、自社の関係のある業界の動向は把握することをお勧めします。

3)経営者の健康問題を理由とした事業承継の場合

経営者自身の高齢化や身体の不調などの健康状態を鑑みて、事業承継を検討する際は、いつ頃までに実施するのかをあらかじめ考えておくことが重要です。
M&Aでは短くとも半年、長期化する場合は数年を要することもあります。経営者の健康状態が優れない状態になってから、経営者としての業務をこなしながら、譲渡の手続きを進めることは体力や身体的に難しくなります。
特に、譲渡先の候補を見つけるマッチングには多くの時間がかかります。そのため、近い時期の譲渡を考えていない場合でも、事前にM&A仲介会社などに相談をして、いつ頃までに譲渡を実施したいのか共有しておくこともお勧めです。
また、円滑な譲渡を実現するためにも、自社の経営の改善を進めるとともに、M&A仲介会社などに共有する会計処理に関する書類や取引先との契約書、譲渡の条件の準備を進めておきましょう。

会社の譲渡を成功させるために

会社の譲渡は多くの関係者に影響を与え、また譲渡が完了まで時間を要する大きな決断です。
ここでは会社の譲渡を成功させるために押さえておきたいポイントを紹介します。

1)譲渡のタイミングを判断する

会社の譲渡候補先が見つかりやすく、高い金額で譲渡が可能なタイミングは、事業や会社が好調な時です。事業や会社が不調で利益が下がっているタイミングではの譲渡補先が見つからない可能性も考えられます。
会社や事業の状況を見極めつつ、譲渡のタイミングを見計らうことが重要といえます。

2)自社の理解を深める

会社の譲渡を行うためには、譲渡候補先企業を見つけることが非常に重要な項目になります。
譲渡候補先企業を見つけるためには、自社の強みやアピールポイントを把握し、その候補先企業に売り込むことが必要です。上手く伝えられない場合、譲渡価額の減少や候補先企業が見つからないなどに陥る可能性が出てきます。
そのため競合他社と比較して自社がどういった強みを持っているか、市場でどの程度のシェアを持っていて、今後の見通しはどうかなど様々な観点から自社の情報を整理してみましょう。

3)信頼できるM&A仲介会社を選択する

中小企業の会社譲渡は、M&A仲介会社を介することが一般的です。
会社を譲渡する際には税務や法務といった様々な注意点やリスクが存在するため、それらに精通している専門家を介さない場合、トラブルが発生したり時間を要する可能性が高まるためです。
M&A仲介会社には様々な企業が存在します。仲介会社によって強みとしている業界が異なったり、特定の地域に特化している企業もありますが、実績が豊富で知見があり、人間としても信頼できる担当者が在籍しているM&A仲介会社を選択することが重要です。
また、仲介会社によって手数料体系にも違いがありますので、事前に確認しておくことをお勧めします。

M&A成約まで完全無料

圧倒的に検討しやすい料金体系

M&A仲介会社では「着手金」「中間金」「成功報酬」といった料金体系があります。
fundbookはM&Aが成約するまで一切の費用が発生しない完全成功報酬制を採用しています。
M&A仲介会社によって着手金・中間金の有無の差があるので、しっかりと確認されることをおすすめします。

M&Aの流れ

ADVISOR

アドバイザー紹介

横山 朗
介護業界、福祉業界、調剤薬局業界

ヘルスケア領域の経営課題解決を通じて、地域および国全体のウェルネスに貢献します。

横山 朗提携戦略本部長

名古屋商科大学大学院マネジメント研究科卒。外資系大手製薬会社へ入社後、MBAを取得。2016年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。医療・介護・ライフサイエンス分野専門のM&Aアドバイザーとして、50件以上のM&A成約を支援。ヘルスケア分野の譲渡相談数はチーム内で最多を誇り、M&Aのみならず親族承継などコンサルティングサービスも提供。セミナー講師依頼も多数。2021年にfundbookへ入社。

古川 弘樹
建設業界、人材派遣業界、建材・電材卸業界、食品卸業界

想像を超えるシナジーを生み出すM&Aによって、より良い社会や未来を創出します。

古川 弘樹企業情報本部長

慶応義塾大学商学部卒。公認会計士試験に合格後、有限責任あずさ監査法人へ入所。中小企業の税務会計から上場会社の監査まで幅広い業務を経験。2018年にfundbookへ入社。上場・未上場や後継者不在型・成長戦略型M&Aを問わず、建設、人材派遣、製造などを中心に多岐に渡る業種のM&A・事業承継成約実績を有する。日本公認会計士協会準会員。

小川 浩正
製造業界、サービス業界、飲食業界

M&Aアドバイザーとして経営者さまのご決断をサポートし、関係当事者みなさまの成功にコミットします。

小川 浩正第一M&Aコンサルティング本部長

静岡大学教育学部卒。2016年に三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)へ入行し、国内営業支店にて、中堅中小企業に対する事業承継スキームの立案・ファイナンスの実行や、上場企業・PEファンドに対するMBO・LBOスキーム立案、買収ファイナンスの実行に従事し、複数の社内賞を受賞。2021年にfundbookへ入社。

中村 優介
建設業界、製造業界

お客さまに誠実に向き合い、全体最適なM&Aを実現いたします。

中村 優介第三M&Aコンサルティング本部 部長

明治大学理工学部卒。2010年に野村證券へ入社し、企業オーナーや富裕層向けの資産管理業務に従事。相続・事業承継コンサルティングを得意とし、CFP、1級ファイナンシャル・プランニング技能、更に日本最年少でのシニアプライベートバンカー資格合格。2018年にfundbookへ入社。

濱田 貴也
医療業界、介護業界、福祉業界

領域特化ならではの高いノウハウをもって、日本のライフラインの永続的な発展に寄与します。

濱田 貴也第一ヘルスケアビジネス戦略本部長

東京理科大学経営学部卒。2012年に株式会社リクルートスタッフィングへ入社し、人材を求める企業と働き先を探す求職者を結びつける業務に従事。2017年に株式会社日本M&Aセンターへ入社し、医療・介護業界のサポートを専門で行う医療介護支援部に配属。2021年にfundbookへ入社。

西山 賢太
医療業界、介護業界、福祉業界

理事長・家族・従業員・患者の誰もが幸せになれるM&Aを約束します。

西山 賢太第二ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

日本大学薬学部卒。薬剤師・調理師・医療経営士。埼玉県済生会川口総合病院にて薬剤師としての実務経験を得た後、2018年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。病院・診療所における事業承継やM&Aのほか、事業計画策定・病床機能転換など経営支援にも従事。2021年にfundbookへ入社。

平田 樹
医療業界、介護業界、福祉業界

ヘルスケア業界での知見を活かし、納得感のあるM&Aを戦略立案から実現までサポート致します。

平田 樹第二ヘルスケアビジネス戦略本部長

近畿大学生物理工学部卒。2013年にスリーエムジャパン株式会社へ入社し、医療材料の営業に従事。2016年にエムスリーキャリア株式会社へ入社し、医療法人に対する経営支援業務に従事。2019年に株式会社日本M&Aセンターへ入社し、医療介護業界のM&A及び病院経営改善コンサルティング業務に従事。2021年にfundbookへ入社。

十亀 秀仁
建設業界

企業の永続と発展のために、覚悟をもって寄り添い、責任ある提案をお約束します。

十亀 秀仁西日本支社 M&Aコンサルティング本部長

同志社大学経済学部卒。2012年にSMBC日興証券へ入社。顕著な営業成績を記録し、複数の受賞歴を有する。銀証連携を担う三井住友銀行担当を兼務。その後、外資系製薬企業へ入社し、2017年に最優秀学術賞を含め、複数回の海外表彰を受賞。2018年にfundbookへ入社。

足洗 瞬一
建設業界

日本のインフラを支える事業者様の承継や将来に向けた経営戦略実現のため、 豊富なノウハウでサポートいたします。

足洗 瞬一第二M&Aコンサルティング本部 部長

東北大学経済学部卒。2009年に商工組合中央金庫に入庫し中堅中小企業の法人営業に従事。2017年に株式会社日本M&Aセンターに入社し、売買の両面で様々な企業の企業の成約を支援。2020年にシニアディールマネージャーに昇格。2020年にfundbookへ入社。

小島 大樹
LPガス業界、産業ガス業界、人材派遣業界、IT業界

顧客満足の実現に向け、誠実に、真剣に、精一杯、ご支援いたします。

小島 大樹第三M&Aコンサルティング本部長

立教大学社会学部卒。2016年に株式会社リクルートスタッフィングへ入社し、神奈川・大阪エリアにて人材営業に従事。2018年に湘南支店チーフとして売上10億円を達成し、通期全社表彰。グロービス経営大学院にて企業経営を学び、2021年にfundbookへ入社。

遠藤 将大
エネルギー業界、建設コンサル業界

経営者さまの想いを実現するため、アドバイザーとしての覚悟と情熱をもってご支援いたします。

遠藤 将大第二M&Aコンサルティング本部長

高崎経済大学経済学部卒。2015年に七十七銀行へ入行し、中堅中小企業の法人営業、事業承継、企業再生のコンサルタント業務に従事。最年少筆頭職として所属支店を牽引し、優秀賞入賞へ貢献。2021年にfundbookへ入社。

岩堀 夏大
製造業界、建設業界、小売業界

納得感とシナジーの最大化を追求し、大切に守り育てたものを次世代へお繋ぎいたします。

岩堀 夏大第一M&Aコンサルティング本部 部長

東京理科大学基礎工学部卒。2018年に株式会社キーエンスへ入社し、グローバル企業の海外大型生産ライン投資案件などを中心に工場・ビル設備の課題解決に従事。2020年にfundbookへ入社。製造・建設業界を主に担当。

姜 真淳
医療業界、介護業界、福祉業界

業界特化の知見を活かし、誠心誠意ご支援いたします。

姜 真淳第一ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

関西学院大学人間福祉学部卒。2021年に新卒で株式会社fundbookへ入社。一貫してヘルスケア業界のM&A支援を行う。2025年より最年少で部長昇格。

仲村 奈津子
士業事務所アライアンス

M&Aも、それまでも、その先も。 徹底的にフレキシブルに、在るべき理想のアライアンス体制を築きます。

仲村 奈津子アライアンス戦略本部長

同志社大学法学部卒。東京海上日動火災保険株式会社へ入社し、代理店営業に従事。その後、会計事務所を中心に、紹介営業のみで保険や資産運用など法人向け各種提案を展開。代理店・紹介などアライアンスでの営業歴は約20年、うちM&Aは約10年の経験を持つ。2023年にfundbookへ入社。

濱田 貴也
医療業界、介護業界、福祉業界

領域特化ならではの高いノウハウをもって、日本のライフラインの永続的な発展に寄与します。

濱田 貴也第一ヘルスケアビジネス戦略本部長

大学卒業後、2012年に新卒で株式会社リクルートスタッフィングへ入社。その後、2017年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。当初より、ヘルスケア領域のM&Aを専門的に担当し、2021年に株式会社fundbookへ入社。現在のヘルスケアビジネス戦略本部の立上げに関与し、2023年に部長、2025年に本部長へ昇格。自身で担当した成約件数は累計で約30件、サポートを含めると50件を超える成約に携わっている。

岩田 和樹
医療業界、介護業界、福祉業界

医療機関様の想いに寄り添い、最適なM&Aを誠実に導きます。

岩田 和樹第一ヘルスケアビジネス戦略本部

大学卒業後、2021年に新卒で株式会社fundbookへ入社。ヘルスケアビジネス戦略本部に配属後、1年目からインサイドセールスとして8件の受託を獲得し、同期入社内1位を達成。さらに、同期入社内最速でM&A成約を実現し、その実績が評価され新人賞を受賞。病院・クリニックをはじめとする幅広い医療機関のM&Aを手がけ、複雑なスキームの構築にも精通。医療法人特有の課題を理解し、最適な戦略の提案を得意とする。

平田 樹
医療業界、介護業界、福祉業界

ヘルスケア業界での知見を活かし、納得感のあるM&Aを戦略立案から実現までサポート致します。

平田 樹第二ヘルスケアビジネス戦略本部長

大学卒業後、医療材料の営業、全国の医療法人に対する経営支援業務に携わり、2019年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。医療・介護業界のM&A及び経営改善コンサルティング業務に従事し、2021年に株式会社fundbookへ入社。持分あり・なしの医療法人、株式会社、合同会社、事業譲渡など各形態で累計40件以上の成約支援実績あり。コンサル経験を活かし、中長期的な経営戦略の目線でのM&A提案を得意とする。

横山 朗
介護業界、福祉業界、調剤薬局業界

ヘルスケア領域の経営課題解決を通じて、地域および国全体のウェルネスに貢献します。

横山 朗提携戦略本部長

大学卒業後、外資系製薬会社へ入社。在職中にMBAを取得し、ヘルスケア業界の経営者に貢献すべく2016年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。医療・介護・ライフサイエンス分野専門のM&Aアドバイザーとして、60件以上のM&A成約を支援。2021年に株式会社fundbook ヘルスケアビジネス戦略本部の立上げを行い、現在に至る。M&Aのみならず親族承継支援など事業承継コンサルティングサービスも提供。

姜 真淳
医療業界、介護業界、福祉業界

業界特化の知見を活かし、誠心誠意ご支援いたします。

姜 真淳第一ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

大学卒業後、2021年に新卒で株式会社fundbookへ入社し、ヘルスケアビジネス戦略本部へ配属。入社直後より圧倒的な行動量で成約経験を積み、2024年に課長、2025年度より最年少で部長昇格。 一貫してヘルスケア領域、特に医療法人業界のM&Aを担当し、病院やクリニック、診療科を問わず様々な医療機関の成約実績を有しており、部内最多の支援依頼件数を有する。

西山 賢太
医療業界、介護業界、福祉業界

理事長・家族・従業員・患者の誰もが幸せになれるM&Aを約束します。

西山 賢太第二ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

埼玉県済生会川口総合病院で薬剤師の実務経験を得た後、2021年に株式会社fundbookへ入社。病院やクリニック以外にも有料老人ホーム、専門学校、事業会社など幅広い業種を担当。2024年は初回面談から4ヶ月かつ株価10億円超えのM&A成約実績を有する。成長戦略を目的としたM&Aも得意とし、代表が50歳未満の顧客も多数支援中。期待を超える好条件でのM&Aを目指し、コンサル的な目線でのバリューアップにも取り組んでいる。

小田垣 直哉
医療業界、介護業界、福祉業界

医療、介護、福祉の専門的な知識を活かし、お客さまとご関係者さまのご納得のいく決断をご支援させていただきます。

小田垣 直哉第一ヘルスケアビジネス戦略本部

大学卒業後、2019年に株式会社大塚商会へ入社。主に法人へのITソリューションの営業に従事。2023年に株式会社fundbookへ入社し、医療法人の事業承継及びM&A支援に従事。ヘルスケアビジネス戦略本部として入社から約1年で無床診療所の事業承継支援を行う。また2年目以降でも大規模在宅クリニックの事業承継を支援。出資持分あり・なしや基金拠出ありなど様々な法人形態の事業承継支援の実績を有する。

山浦 遼
医療業界、介護業界、福祉業界

本気の思いに、本気でお応えいたします。

山浦 遼第二ヘルスケアビジネス戦略本部

大学卒業後、2014年にオムロン コーリン株式会社へ入社。病院やクリニック向けの医療機器営業に従事。その後2016年に株式会社Medi Plusへ入社。システム営業として現場の課題を抽出し、自らもエンジニアとしてシステム開発に携わりながら病院の業務改善に貢献。2023年に株式会社fundbookへ入社し、内科、小児科、介護老人保健施設、美容皮膚科など数多くの医療機関への支援実績を有する。

よくある質問

  • 相談料はいくらですか?

    ご相談は無料です。また、企業価値評価や候補先とのマッチングなどM&A成約までのサービスはすべて無料で提供しております。

  • 会社の将来について悩んでいるのですが、経営相談にのってもらえますか?

    もちろん可能です。M&Aや事業承継に関することだけでなく、経営に関するお悩みも気軽にご相談ください。

  • 自社の譲渡価額が知りたいです。譲渡価額はどのように算出されるのですか?

    複数の評価方法による理論的な企業価値算定と経営者様の意向を考慮したうえで決定されます。fundbookでは企業価値評価を無料で行っていますので、気軽にご相談ください。

  • 一部の事業のみの譲渡は可能でしょうか?

    はい、可能です。事業譲渡や会社分割など、ご相談内容に合わせて適切な手法をご提案します。

  • 知り合いの会社とのM&Aを検討しています。仲介会社に依頼する必要はありますか?

    当事者同士の交渉も可能ですが、双方が納得できる契約条件を引き出せず、うまくいかないケースがほとんどです。M&A検討の段階から専門家のサポートを受けることをおすすめします。