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  • 全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    インタビュー

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    譲渡:医療法人おひさま会

    譲受:オープングループ株式会社

    インタビュー

    2024年1月10日、提携成立

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    • 提携法人
      医療法人おひさま会
      設立年月日
      2006年
      事業内容
      訪問診療・在宅医療・クリニック運営
      URL
      https://zaitaku-clinic.net/
    • 提携企業
      オープングループ株式会社
      設立年月日
      2000年
      事業内容
      純粋持ち株会社(ロボットアウトソーシング事業、ロボットトランスフォーメーション事業などを展開)
      URL
      https://open-group.co.jp/

    医師の道を志し、医学部へ進学した山口高秀氏は、特殊救急部での経験で世の中の変化を実感していました。患者に寄り添う在宅医療の重要性を感じていた山口氏は、20年近く前の「在宅療養支援診療所」制度化とほぼ同時に在宅医療クリニックを開業。「伴走医療」を理念に掲げる医療法人おひさま会は、全ての人が自分らしく人生を歩めるための“伴走者”となって、地域の皆様に寄り添い続けています。
    こうした医療体制が広く全国に普及すれば、医療が抱える多くの課題解決につながると考えた山口氏は、一緒になって本気で取り組んでくれるパートナーを探していたところ、オートメーション事業を中心にビジネスを展開するRPAホールディングス株式会社(現オープングループ株式会社)と出会いました。山口氏の思い描く未来をともに目指すべく、2024年1月に両者は業務提携を締結。3月には共同で新会社も設立しました。
    山口氏と、オープングループの経営企画部長・長谷川修司氏に、医療業界の課題や実現したい世界観などについて伺いました。

    ※RPAホールディングス株式会社は、2024年6月1日に社名を「オープングループ株式会社」に変更。本記事では変更後の社名で記載

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    世の中の大きな変化を目の当たりにした特殊救急部時代

    最初に、山口様が医師を志したきっかけをお聞かせください。

    山口氏:私が生まれ育った大阪市阿倍野区の地元には、家族皆でお世話になっている町のクリニックがありました。専門は外科でありながら、風邪から盲腸の小さな手術にも対応してくれる医院で、地域を守っているその先生こそが、私の中での開業医の像となっていました。そんな先生を見て育ちましたし、中学校・高校では理系科目が好きだったので専門職の仕事に憧れるようになり、医師も選択肢の一つにぼんやりと入っていたんです。

    高校は生徒の半数ほどが医学部に進学するような学校で、私も医師への憧れから、大学は医学部を目指すことにしました。ただ、私の家はそんなに裕福なわけでもなかったので、家から通えて、なおかつ国立で学費の負担も少ない大阪大学医学部だけに絞って受験しました。ダメなら学部を変えようとも思っていたのですが、無事に合格し、医師への道のスタートが切れました。

    研修医だった頃は、主にどのような医局や専門に興味があったのですか?

    山口氏:私が医学部で研修医をしていた当時は、まだスーパーローテート(研修医が様々な診療科を経験して知識や技術を身につける制度)が導入されておらず、基本的には自身で入る医局を選ぶ仕組みで、私は特殊救急部を選びました。
    特殊救急部を選んだ理由は、激務でも労を惜しまず活動できる医局で学びたかったこと、そして、疾患が決まった患者が来るほかの診療科と違い、特殊救急部だけは外に向けて扉を全開にしているからです。救急車で患者が運ばれてくるように、世の中で起きたことが飛び込んできては、一生懸命しっかり対応している医師たち。そんな仕事はすごく魅力的だと感じました。

    念願の特殊救急部に入った山口様が、現在の在宅医療を始めるまでには、どういった出来事があったのですか?

    山口氏:特殊救急部は3次救急といって、事故による重症の救急外傷や、内臓と頭部を同時に損傷して治療が複雑なケースなど、私たちでないと治療できないような患者が運ばれてきていました。ですが、世の中の変化とともに交通事故や労災事故の数は改善し、そういった重症の患者は減少してきました。一方で、病気の悪化などで重症化した高齢者の患者が大多数を占めるようになってきたのです。救急部自体も、精鋭を集めて重症患者を治療するより、運ばれてきた患者を効率よく他の医療機関につなぐER(救急救命室)の役目が多くなってきたのです。

    末期癌の高齢者などが運ばれてくる様子を見ていると、「もはや“救命救急”という感じではないな」と、複雑な気持ちになることもしばしばありました。それに、そういった患者さんは特殊救急部で数カ月間の集中治療を受けてなんとか回復しても、一般病棟や療養病棟に転院した1カ月後くらいに亡くなったという報告が入ることが多いんです。頑張って命を助けているけど、患者さんに何の価値を提供しているのだろうかと考えるようになりました。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    医療法人おひさま会 山口高秀氏

    自宅で祖母を看取った経験も。在宅医療での開業を決意し、体制を確立

    特殊救急部の状況や環境の変化とともに、山口様の心境にも変化があったのですね。

    山口氏:もう一つ、大きな出来事がありました。実家の近くの救急センターにいたとき、祖母が心肺停止で運ばれてきたんです。自宅で母が食事介助をしていたときに窒息してしまったようでした。ここで私たち医師が蘇生を続けなかったら「穏やかに亡くなった」ではなく、一生懸命介護をしていた母が自責するかもしれないと考え、できるところまで力を尽くすことにしました。

    祖母は蘇生後脳症にはなったものの、幸いにも命は助かり、病態が落ち着いてから自宅へ退院しました。もともと重度の糖尿病で、退院後も大変な時期はありましたが、最期は皆がいる家で看取ることができました。寂しさはあるけど悲しさがないと言いますか、祖母が生活の中に戻ってこられて、皆と楽しく最期を過ごせたことはとても良いなと思いました。

    救急の現場や、家族皆でおばあさまを看取られた経験を経た山口様が、おひさま会様を創設した経緯をお教えください。

    山口氏:昔から、大学の医局に戻って教授になろうとか、研究をしようなどという考えは持っておらず、ずっと臨床を続けていきたいと思っていましたし、救急で開業するのは稀なことなので、それならば、障がいがあっても病院で寝たきりにさせるのではない医療機関みたいなものができればな、と考えるようになりました。

    あとは、タイミングです。50歳くらいでそういう医療機関を開設しようと思っていましたが、2006年に「在宅療養支援診療所(在支診)」が制度化され、在宅で療養する患者のかかりつけ医の機能が確立されることになったのです。当時私は31歳で、開業は早いかなと悩みましたが、いずれは開業を考えていましたし、救急も以前のような重症患者の治療を行う姿から他の医療機関へつなぐERタイプへと様変わりするなど、世の中の変化も実感していた頃でした。それに、在宅医療の制度がスタートすると同時に飛び込めるなんてそうそうないだろうし、早くに始めるデメリットも少ないだろうから、救急で身につけた対応能力を次に生かしていこうと思い、在宅医療のクリニック開業を決意しました。

    若くしてクリニックを開業されることになり、大変なこともたくさんあったのではないでしょうか。

    山口氏:実は開業の前に、ある医療機関がこの地で在宅医療クリニックを作るために院長を探していました。私は雇われ院長として応募していたのですが、その在宅医療クリニックが撤退してしまったんです。私自身で開業するには十分なお金がないものの、場所と施設とやる気はありますし、撤退して困る人だっているわけです。そこで、最低限必要な資金を調達して、自らで開業しました。なので、看護師をたくさん雇用することもできず、最初は事務スタッフと私だけでのスタートでした。施設や地域には看護師や薬剤師、理学療法士や作業療法士もいるので、地域の資源と連携して患者さんに貢献する存在になろうとしたのですが、結果的にそれが私たちの強みにつながっていきました。

    事務スタッフはあちこちから入る連絡を24時間体制で取ってくれて、各所とも常にコミュニケーションをしてくれたほか、往診のスケジュール管理や医師の送迎なども徹底してくれました。すると、事務スタッフのオペレーションとコミュニケーションの役割はどんどん増幅していき、一つの職種として確立されたのです。この「メディカルスタッフ」の存在が在宅医療のオペレーションで良い仕組みとなり、少数の医師でも幅広く動けるだけでなく、新しい医師が入った際も円滑に医療が提供できるようになっています。この方法は10年ほど前にクリニック情報誌で丸一冊の特集に取り上げられるほど、注目を集めました。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    「伴走医療」の普及に向けて、パートナーが必要だった

    在宅医療の画期的な仕組みを確立されたおひさま会様が、ほかの企業との提携を検討された背景をお聞かせいただけますか?

    山口氏:メディカルスタッフが大勢いればまだまだ拡大できると思いましたが、なんせスーパースタッフですから、容易に量産できる存在ではありません。加えて、在宅医療のニーズと医療依存度の高い患者も増してきたため、メディカルスタッフを中心とした強力なチームを作ろうと考え、看護師や薬剤師、医療事務員、ソーシャルワーカーを採用して人員を拡大したんです。

    当時のおひさま会は、ここ関西と関東で運営をしていましたが、それぞれの投資すべき分野が異なってきたため分割することになりました。その際、レセプト請求や会計業務などを全て引き受けているMS(メディカルサービス)法人の拠点が関東にあったため、それは関東側に渡して、関西側はその機能を新たに作り直すことになりました。ただ、こちらは人材の拡大に投資をしたばかりだったので、資金に余裕がある状況ではありません。私たちの取り組みをサポートしてくださるパートナー企業が見つかればと期待し、fundbookに相談しました。

    なぜ、企業との提携という形を一番に考えたのでしょうか?

    山口氏:テクノロジーをどう入れるのか、マーケティングをどうするのかといったことは、やはり医療機関だけで考えるよりも企業と提携したほうが大幅に可能性が広がると思いました。また、在宅医療は24時間体制の究極のかかりつけ医療であるため、どんな疾患が生じようが、単にいろんな診療科にパスするのではなく、まずはこちらで責任を持って対応していかなければいけません。ただ、実はこれこそがプライマリケア(何でも相談に乗ってくれる身近な医師による医療)の原点なのです。

    おひさま会は「24時間、いつでもどこでもその人に伴走できる医療体制」を全国民に普及させることを次のミッションに掲げています。ですが、当然、医療従事者だけで実現できるものではありませんから、パートナーは絶対に必要でした。医師がかかりつけ医として楽しく医療が提供できるプラットフォームを作りたいと思い、そんな大それたことにも本気で一緒に取り組んでくれる、次の時代の主役となるような企業が現れてくれればと願っていました。

    プライマリケアを推進すると、どういった医療の課題解決につながっていくのでしょうか?

    山口氏:例えば胸のあたりに違和感があったときに、胃腸科や循環器内科で検査をしても問題が見つからず、次は呼吸器科か精神科か……と悩んでいる人もいると思います。それはその人の胸の違和感に伴走する医師、つまり健康責任者がいないということなのです。また、胸の違和感に対して複数の診療科がそれぞれの思うベストな治療で介入してしまうと、優先順位をつけていないがためにかえって悪化するかもしれず、さらには医療費も時間もかかってしまう。そうすると、医療側も薄利多売になって相談も表面的になってしまい、医療の効果も満足度も下がる――という悪循環にも陥ってしまうわけです。

    これを解決するためのプライマリケアであって、かかりつけ医が症状の一丁目一番地からしっかりと寄り添い、優先順位をつけながら統合して医療を届けることが重要なのです。ただ、医師はそれぞれの専門分野で教育されており、その専門性を生かして開業しているので、包括的な対応ができる医師はいるのかという声もあります。ですが、私の地元の町のクリニックでは、先生が「この地域で何でも診ないといけない」と、地域密着で医療を提供していましたし、次の世代にも引き継がれているので、私は間違いなくプライマリケアは実現できるものと考えています。

    医療従事者が現場に専念でき、患者により向き合える環境を作りたい

    オープングループ様はRPA関連事業を中心に幅広くビジネスを展開されていますが、特に医療業界に向けてどのようなお取り組みをされているのでしょうか?

    長谷川氏:私たちオープングループは2000年に高橋と大角とで創業以来、新規事業支援を展開し、ここ最近は特にRPAや様々なデジタルを活用した伴走型のオートメーション事業をに力を入れています。そのなかで、医療業界に向けても、医療事務の業務効率化を図るプロダクトを提供するなど、様々な支援実績を有しています。

    また、中立的な立場で医療現場の生産性や労働環境などの課題解決に取り組むべく、2019年には「一般社団法人メディカルRPA協会」を立ち上げました。現在では大病院の理事長や先生方にも協会理事メンバーに加わっていただけており、活動は年々活発化しています。診断書提出用ロボットのように、多くの医療機関で汎用的に使える業務ロボットを幅広く提供し、入会者の皆様に使っていただけるようにしており、オープングループとしても協会の活動を通じながらより一層医療業界に貢献しようと尽力しているところです。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療
    オープングループ株式会社 長谷川修司氏

    医療業界の課題解決に向けて、オープングループ様が主体となって協会を立ち上げていらっしゃったのですね。

    長谷川氏:ほかの業界と同様、医療業界でも人手不足や働き方改革が課題に挙がっています。加えて、医療の場合は、デジタル化やDXが遅れていると言われる業界の一つであるように思います。そこに対して、私たちなりに何か付加価値が提供できる場面は多々あるのではないかと考えました。協会という方法をとったのも、ベンダーとしてRPAを提供して使ってもらうだけではどうしても表面的にしか分かり得ないところがあり、より医療現場に踏み込んでユーザー目線に立った仕組みを作るためでした。

    ユーザー目線に立つと、「高価で使いづらいけど、これしかないから使っている」というようなシステムが多くあることが分かります。医療業界に山積する課題を解決するうえではまず、使いやすい仕組みやシステムを作るために、医療機関と企業が一緒に取り組むことが大事だと思います。事務手続きなど面倒な業務はなるべく私たちの手で負担を減らしていき、医療従事者には現場に専念してより患者に向き合っていただけるような環境を作っていきたいと考えています。

    医療の未来を創るパートナーとして、志を一つに

    おひさま会様は、どういった企業を提携のお相手として希望していましたか?

    山口氏:「(すでに)あるものをこうする」よりも、「ないものを新しく作っていこう」と積極的に取り組む企業だったら嬉しいと思っていました。

    もう一つ、私にはないネットワークを持っていて、ソリューションを集めてくる力がある企業です。私自身もいろんなところに聞き回るタイプで、医療で工夫している人たちとは接触できるのですが、医療以外にも手広く交流している企業であれば絶対的に視野は広いでしょうし、普遍的なものも見つけやすいと思いますから。

    幅広いネットワークを持つ企業と手を組むことで、おひさま会様にも広がりを生み出したいと思われたのですね。

    山口氏:そうです。私が「こうしたいな」と思いついたことくらい、たぶん誰かが実現できるだろうと思っているので、不可能ではないのです。それよりも、実現するためのチームが作れていないことや、ネットワークがないことのほうがよほど課題です。いろんなつながりを持っていて、お客様に役立つものを作っている企業を求めていたので、今考えてもオープングループさんはすごくぴったりなお相手です。おひさま会のことや私の考えを理解してくれて、異業種・異業態でもおひさま会と提携するのに最適な企業をfundbookに紹介してもらえたのは良かったと思っています。

    相性抜群の様子が伺えます。最初の面談でのお互いの印象はいかがでしたか?

    山口氏:私はもう、自分の考えを話すことに精一杯でした。「こんなこととか、こんなことって面白いと思いませんか?」「こんな仕組みが必要なんです!」と。本気で聞いてくださったので、嬉しくなってたくさん話してしまいました。

    長谷川氏:こちらは医療に関してはまだまだ素人に近いものですから、ひたすらに山口先生のお話を聞かせていただきました。当社からは代表の高橋と取締役の大角、私の3人が出席したのですが、面談後も「もっと勉強しないとね!」と、全員の気持ちが高まる一方でした。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    ご両者で対話を重ねていくなかで、特に印象に残っている出来事などをお聞かせください。

    長谷川氏:当社グループ取締役の大角が山口先生と会食をしたときに話が一段と盛り上がったようで、後日「山口先生のアイデアやビジョンは素晴らしい!」と、ものすごく感銘を受けた様子で熱く語っていたことを鮮明に覚えています。山口先生には、初回の面談からプライマリケアやかかりつけ医の重要性、プラットフォームの構想などを詳しくお話しいただいていて、毎回共感するばかりでしたが、このときは特に「当社も実現に向けて動かなければ!」と自社の使命として捉えたような、一気にエンジンがかかったような、そんな感覚でした。

    山口氏:嬉しいですね。私の中で、やりたい医療の姿は2009年頃にはすでに固まっていて、方向性は何も変わっていません。例えば、24時間体制で相談できるかかりつけ医がポケットに入るようになるかもしれないし、100万人を管理できる仕組みができるかもしれない。それを海外旅行に持って行ければ、保険制度も使えるかもしれない――といった夢は持っていたんです。ただ、それは今50歳の私の次の世代が、十数年かけて作っていくのだろうなと想像していました。

    それが今になってAIの台頭など、テクノロジーが加速度的に進化してきて、時代が早まったなと思ったんです。国もデジタル化を推進していますし、高齢化も待ったなしの状況で、医療もDXやイノベーションをしなければならない状況になっています。オープングループの皆さんと、「これはもう自分たちで取り組んで、先に掴みに行くしかない!」と盛り上がりました。

    提携により「加速できる!」と高まる期待。共同で法人も設立し、医療現場の課題解決を目指す

    両者様はM&Aではなく提携の形を取られましたが、その理由をお聞かせいただけますか?

    山口氏:ありがたいことに、「対等な立場で運営していきたい」と言ってくださったんです。

    長谷川氏:医療法人なので「資本」ではないかもしれないですが、おひさま会さんと当社は「資本業務提携」という言い方がふさわしいように思います。吸収・合併のイメージでもなく、ビジネスライクな単なる業務提携でもない、対等で強固な関係性です。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    山口氏:結果的に、すごく良い形で手を組むことができたと思っています。

    提携を締結された際の山口様のお気持ちと、職員の皆様の反応や雰囲気はいかがでしたか?

    山口氏:私自身は「これから加速できるぞ!」という、すごくポジティブで楽しみな気持ちでした。

    職員は当然、提携によって何がどう動くのか、最初はよく分からないために不安はあったと思います。ですが、仲間になることにはとても寛容ですし、以前からも業務改善に自ら取り組める積極性と、変化に強い柔軟性を強みとしていました。それに、物事が前に進まず停滞していることがネガティブだと捉える雰囲気が醸成されているので、提携後も「AIでこういう新しい取り組みをしてみよう」と言うと皆で触ってみたり、地域活動もより外向的になってきたりと、前進するエネルギーがどんどん増している状況です。

    皆が「変化は大変だ」と言って進まなければ状態は悪くなるだけですが、「加速する」と信じているからこそ、私たちの実現したい未来がこれまで以上に早く近づいてきているように感じています。

    2024年3月に、両者様で新法人「ホスピタリティパートナーズ株式会社」を設立された理由や目的をお教えいただけますか?

    長谷川氏:言うならば、おひさま会さんと当社で、医療現場の課題を解決するためのジョイントベンチャーを設立した形です。オープングループの一事業ではなく、新会社として立ち上げた理由は、この「MS法人=箱」の中にグループのプロダクトや経験などの資源を存分に投入し、おひさま会さんをはじめとする様々な医療法人を幅広く支援したいと考えたからです。

    最初の段階としては、医療事務のDX支援をはじめ、人材採用や事務長業務のサポートなども必要に応じて手掛けていきたいと考えています。

    山口氏:まさに、オープングループさんの持つ資源から好きなものが詰め込める箱です。私はかねてから、実現したい医療に向けての部品は、おそらくもう世の中にはあるのではないかと思っていました。その部品を揃える箱もできたわけなので、医療業界や社会全体にとって嬉しいものができると期待していますし、それが世の中に広く普及するといいなと願っています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    全ての人に伴走者を。誰もが孤独にならず、諦めることもない世界へ

    皆様の今後の展望や、目指す世界観をお教えください。

    山口氏:専門性で縦割りになった医療より、「あなたの人生を支えます」という医療が全員に配られているような世界、つまり、全ての人に伴走者がいる世界を作りたいと考えており、その思いをおひさま会のスローガン「今日も誰かの人生と。」や、理念「伴走医療」の言葉に込めています。

    「人生に伴走するソリューションを作りたい」と、医療以外からアプローチしようとしても、全員に対して提供するのはなかなか難しいことです。しかし、医療は全ての人にニーズがあるためターゲットが限られておらず、その上、人々の生活を支えているため、あらゆるところに接続できる広がりがある。だからこそ、医療を基点に見つけたソリューションは、あらゆるビジネスや課題解決のきっかけとして、とても良いのではないかと思うのです。

    おひさま会が共通理念に掲げる「A New Harmonious World.」(あらゆる人が支え合いながら、自分らしく生きていく。そんな新しい調和の取れたハーモニーのある世界)は、医療に限定された考えではありません。医療から取り組んでいき、誰もが「孤独にならない」「諦めることがない」、そんな世界をオープングループさんとともに目指していきたいと思っています。

    長谷川氏:オープングループとしても、おひさま会さんがやりたいことは全力でバックアップしていきたいですし、ホスピタリティパートナーズとしても、皆さんの給与にしっかり還元してモチベーションをさらに高めていただけるよう、活動を強化していきます。

    ホスピタリティパートナーズの社名には、「“ホスピタリティ”=使いやすい新しいプラットフォームを作る会社になる」「“パートナーズ”=伴走する」の思いが込められています。良い形でスタートが切れているので、引き続き勢いを絶やさぬまま前進していきましょう。

    最後に、山口様ご自身の今後の抱負をお聞かせください。

    山口氏:もっと輪を広げていきたいです。ネットワークが広がり、どんどん知恵が集まれば、目指す世界や思い描いていた未来はもっと早く訪れるはずですから。15年後にできると思っていたことを、10年後、5年後に実現できるように、私自身これからも貢献していきたいと思っています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    <新設企業 ホスピタリティパートナーズ株式会社 概要>
    設立  :2024年
    代表者 :代表取締役 長谷川 修司
    事業内容:在宅医療に関して発生する情報の管理受託業務、医療事務に関する各種書類の作成医療関連事業の営業、調査、マーケティングの支援医療関連事業の経営支援、医療関連人材の派遣、採用支援、評価、教育、研修コンピューターによる医療事務に関連する計算業務の代行情報ネットワーク及びシステムの構築、運用、ソフトウェア制作
    所在地   :東京都港区
    URL  :https://hospitalitypartners.jp/

    医療法人と企業の連携は必須。行政やNPOも加わってほしい

    医療法人 おひさま会
    理事長 山口 高秀氏

    医療はもはや、その地域を左右するほどの重大な存在となっており、ましてや変化がより一層大きくなるこれからの時代で、医療法人と企業との提携は必須になると思います。医療の中だけでも医師、看護師、薬剤師などが協力する多職種連携が必要とされていることと同様に、いろんな文化や強みを持っている企業・法人同士が連携するほど、良いものができると考えるからです。さらに言えば「医療法人×企業」だけでなく、行政やNPOも連携したほうがもっと良いでしょうし、農業や漁業、国際団体などとも連携できれば、ますます面白い取り組みができるかもしれません。

    同じ理念を持っていたり、同じ方向を見ながら進んだりできるのであれば、色々なところと手を組んでも、何ら問題はないと思います。大事なことは、一方的なギブアンドテイクの関係になるのではなく、一緒に“伴走”してネットワークを広げていける関係となること。「つながればつながるほど、良い連携が生まれてくる。どう考えてもつながりが多いに越したことはない!」というのが、私の意見です。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    違う者同士が理念を共有し手を組めば、新たな化学反応が生まれる

    オープングループ株式会社 経営企画部長 
    ホスピタリティパートナーズ株式会社 代表取締役
    長谷川 修司氏

    私たちは、提携やM&Aにしても、日頃の業務の受発注においても、「共創型」で一緒にビジネスをしていこうというメッセージを発信しています。どちらかが使う・使われる立場になるのではなく、理念を共有しながら共同で働くことで、長く付き合える良い関係に発展できると考えているからです。

    これだけ激しい変化が起きている今、1社単体で何でもできる時代ではなくなっています。スタートアップ企業がエコシステムの構築により発展しているように、医療法人や私たち企業もほかの法人などと手を取り合い、互いの強みを掛け合わせながら変化に対応し、未来を創っていければ、より速いスピードで、より良いものが作れるはずです。理念の共有を大前提に置きながら、違う文化や物の見方を持つ者同士が手を組むことにより、これまで考えつかなかったような発想や化学反応が生まれるだろうと期待しています。

    全ての人に「伴走」を。医療法人と企業の提携で創る未来の医療

    担当アドバイザー コメント

    在宅医療を幅広く展開するおひさま会様と、RPAによる業務効率化や新規事業支援を行うオープングループ様との業務提携をご支援させていただきました。
    おひさま会の山口先生とは、初めてお会いした際「2050年を見据えた医療体制のビジョン」について、熱く語られている姿が非常に印象的でした。
    その後、訪問診療への同行、おひさま会様の研修等に参加させていただき理念や体制の理解を深める中で、理想的な提携のお相手について時間をかけて擦り合わせ出来たように感じます。
    オープングループ代表の高橋社長、大角様、長谷川様もチーム一丸となり、山口先生のビジョン理解に努めていただいたうえ、提携によるメリットを具体的に示していただけたことで本件を実現することができました。
    双方の希望がぶつかった際でも決してネガティブな意見は出ず、課題解決に向けお互い前向きに議論を進められたのは、双方が実現したいビジョンを明確に持っていたからだと感じました。
    異業種でありながら、議論を重ねビジョンを共有された両社の提携に携われたことを嬉しく思います。今後の両社の更なる飛躍とご発展を心より応援させていただいております。

  • 「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    インタビュー

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    譲渡:医療法人社団養高会

    譲受:小澤典行氏(個人)

    インタビュー

    2023年11月6日、譲渡成立

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継
    • 譲渡法人
      医療法人社団養高会
      設立年月日
      1980年
      事業内容
      病院経営
      URL
      https://takano-hosp.jp/
    • 譲受側
      小澤典行氏(個人)
      事業内容
      個人医師

    医師の高野英男氏が1980年に福島県双葉郡広野町で創設した「医療法人社団養高会 高野病院」。眼下に海を望む自然豊かなこの場所で、地域の皆様に寄り添った医療を提供しています。英男氏の娘・高野己保氏(以下、高野氏)も、事務長として職員や患者を支えてきました。

    そんな高野病院の日常が、2011年3月の東日本大震災で一変。震災直後のライフラインの寸断はおろか、原発事故の避難指示区域から程近いために職員が減少し、さらには広域な双葉郡で高野病院だけが診療を続ける事態になりました。ただ一人の常勤医として働き続けた英男氏も心労が重なり、2016年末に急逝。その1カ月前に理事長を継いでいた高野氏にとって、まさにそこからも医師探しやコロナ禍などで苦難が絶えなかったと言います。

    病院を残すために奔走し続けて7年。医師であり、医療機関の経営改善でも実績の豊富な小澤典行氏と出会い、2023年11月に小澤氏が高野病院を承継。地域医療の拡充に向けた取り組みが、もうすでに始まっています。病院も地域も幸せになるM&Aの形とは――。高野氏と小澤氏にお話を伺いました。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    震災直後、地域で唯一診療を続けてきた高野病院

    高野様が父・英男様の創設した高野病院で働こうと思われた背景をお教えください。

    高野氏:医師としての父は本当に尊敬すべき人でしたが、娘の私からすると、幼い頃から父と一緒に過ごした記憶がほとんどないほど、家族を二の次にしてまでも医師として生きてきた人でした。高野病院は私が中学生の頃に開業し、当時の私は多感な時期でしたから「何においても患者さんを優先させる父が、家族を放っておいてまでも守りたいものや、貫きたいものとは一体何なのだろう」と、最初はけんか腰で見るような興味があったんです。

    30年ほど前に、初代の事務長が体調を崩されて代わりの人員が必要となり、それがきっかけで私が高野病院に入職することになりました。当初は時々来ては院長秘書や事務長の手伝いをしていましたが、次第にここでの仕事がメインとなり、2002年には事務長代理に就任し、その後2008年に事務長に就任しました。

    高野病院で働くうえで、どういったことを心掛けてきたのでしょうか?

    高野氏:病院を創設した院長の娘が来るとなると、親の七光りと思われても仕方がないです。最初は事務を手伝う程度でしたが、急に事務長代理になって指示をする立場になったわけですから、それを面白く思わない人だって少なくありません。なので、まずはその人たちが一緒に仕事をしてくれるように働きかけようと心掛けてきました。
    昼食後に職員が集まる休憩室に毎日出向き、最初は相手にしてもらえなかったものの、徐々に話してくれるようになり、1年も経たないうちに「早くおいで!」と言われるまでになりました。事務仕事は慣れればどうにかなりますが、やはり人との関係性を構築するまでが一番大変でした。

    医療法人社団養高会 高野己保氏

    高野病院で勤務して、「何においても患者さん優先」だった英男様の気持ちや行動の理由が見えてきましたか?

    高野氏:見えたというより諦めに近いような、「医師ってこうなのかな」と折れたんです。医師と事務長のそれぞれの立場から言い争いになることもありましたが、結局のところ、父の患者さんは常に寄り添ってもらえて幸せだったんだろうなと思います。

    東日本大震災と原発事故後、高野病院だけが双葉郡で唯一診療を続けてこられたことも、英男様の医師としての使命感の強さが表れていると思います。当時の状況をお聞かせいただけますか?

    高野氏:急性期(発災から1週間程度)はとにかく、水、食料、燃料、電気など、生きるために必要なものを確保することに一番苦労しました。そんな誰もが大変なときでしたが、隣町のスーパーの社長が「食べ物を自由に持って行っていいよ」とお店の鍵を置いていってくださったり、近くのガソリンスタンドの所長も自家発電機用の軽油を使わせてくださったりと、皆様からの支援を受けられて本当に心強かったです。

    また、自家発電機から異音がして、県の災害対策本部を通じて東北電力が持ってきてくれました。そのときの担当者が当院の状況を見て「こんなに頑張っている病院なのに、発電機を置いただけで去るわけにはいかない」と思ってくださったようで、3月の冷たい雨に濡れながら、1日がかりで遠くから電線をつないで電気を通してくださいました。

    ほかにも、ガソリンが不足して職員が移動できないなか、当院の状況を知ったいわき市のガソリンスタンドの方から連絡をいただき、給油していただけたおかげで避難所に職員を迎えに行けましたし、そこで出会った新聞屋さんが「自分の親も入院中で、病院の大変さが分かるから」と、新聞を毎日渡してくださったんです。地域の皆様や初めて出会った方々にも助けられて、なおのこと病院を続けなければという気持ちになりましたね。

    高野病院を事務長として支えてこられた高野様の役目も、とても大きかったと思います。高野様が理事長に就任された経緯をお教えいただけますか?

    高野氏:2016年3月頃から、父に足腰の衰えや手の震えが見え始めたんです。検査をしても脳にはまったく異常がなく、今振り返ればフレイル(虚弱)状態だったと思いますが、やはり震災後の疲労が大きかったのでしょう。避難により職員が減ったため、長らく常勤医は父一人の状況が続き、いくら医師とはいえ、あの年代の人が続けられる仕事量ではありませんでしたから。

    それで、何かあった場合でも必ず病院は残さないといけないと思い、半ば強引に父を説得して県に特例認可申請を出し、同年11月23日に事務長だった私が理事長に就任しました。その翌月に父が火災で急逝してしまったのですが、あのときに私が理事長に就任せずに事務長のまま病院を継続することになっていたら、もっと厳しい状況になっていただろうと考えると、父がいるうちに理事長をバトンタッチできていたことは不幸中の幸いだったと思います。

    病院経営が安定しなければ、患者さんを救い続けることができない

    小澤様のご経歴をお教えください。

    小澤氏:私は富山医科薬科大学(現:富山大学)医学部を卒業後、心臓カテーテル治療や遺伝子解析の研究にずっと従事してきましたが、ここ10年ほどはいくつかの病院で院長を務めながら、経営改善や病院経営の立て直しをすることに力を入れています。多いときにはグループで全国各地の5病院を同時に経営改善し、全ての黒字化に成功したという経験があります。

    どのような経緯があって、病院の経営改善を専門的に行うようになったのでしょうか?

    小澤氏:以前、医師として勤めていたときに、院長に就任するよう声が掛かったんです。ただ、当時の私はカテーテル治療に専念したく断っていたのですが、理事長からも「自分の好きなことだけをやっていてはいけない」と説得され、院長になることを決意しました。院長になるからには、やはり経営をしっかりできなければいけないだろうと思い、病院経営について徹底的に勉強するようになったのです。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継
    医療法人社団養高会 小澤典行氏

    医療業界の課題をどういったところに感じられているのか、お二人それぞれのお立場からお聞かせいただきたく思います。

    小澤氏:医師というのは、本当にお金ではなく道徳心で動いているんです。だから、経営の観点にはなかなか立つことができないのです。私が心臓カテーテル治療をしていたときも当然、途中で終えるわけにはいかず、快方に向かうまで続けなければいけませんでした。ですが、そうすると保険がどんどん切られていき、赤字になってしまう。それを当然だと思っているのが、医療の現場です。いろんな院長と話していても、この状況を「仕方がない」と言うのですが、私は「仕方がないで済ますのではなく、工夫しなさい」と一貫して指導してきました。

    決して、治療をするなと言っているわけではありません。病院の経営が成り立たなければ、治療することもできなくなると認識してほしいのです。私が臨床の現場に出たい本心をぐっと抑えてまで病院経営を専門とする道に進んだのも、やはり「患者を救う」という医師の満足のために、病院自体を危機にさらしてはいけないと強く思ったからです。医療の提供と経営のバランスを取るように工夫する意識を浸透させることが、今の課題だと思います。

    高野氏:父がよく「病院がなければ患者さんが困る。患者さんがいなければ病院が困る。だから、お互い共存していかないといけない」と言っていたのですが、まさに小澤(現)理事長の仰る経営の観点を持つことにも通じると思います。ですが、そういう観点で医療を提供できる人は少ないようにも感じます。

    地域の人々が安心できるよう、「高野病院」のまま承継

    高野様がM&Aを検討し始めた時期や理由をお教えください。

    高野氏:2022年3月頃から検討を始めました。コロナ禍の影響で赤字が続いてしまい、それでも病院を閉めるわけにはいかないという思いが一番にあったので、病院を残すためのいろんな選択肢を考えたんです。その一つにM&Aもありましたが、M&Aについて詳しく知らなかったので、当時の経営コンサルタント経由で仲介業者に相談しました。ところがその仲介業者の担当者と意見が合わずに頓挫してしまい、自己破産することも厭わないと腹をくくっていました。

    そんなときに、偶然fundbookさんからM&Aの解説DVDを配布しているというご案内が届いたのです。日頃はそういった案内はほとんど目に留まらないのですが、病院を残す道に導かれていたのか、「申し込もう」と行動に移し、それを機にfundbookさんと連絡を取り合うようになりました。直前に一度M&Aが白紙になってもう懲りていたはずなのに、不思議なものです。

    小澤様からも、M&Aを検討した理由をお教えいただけますか?

    小澤氏:私が以前勤務していた病院グループは何度かM&Aを実施していたのですが、そこで身に染みて思ったのが、「規模を大きくすれば確かに安定はするものの、単なる陣取り合戦だけになって、M&A後の地域医療や病院職員を置き去りにしてはいけない」ということでした。なので、譲渡する側も譲受する側も、そして地域の皆様や患者さんも、全員がWin-Win-Winで幸せになるM&Aを目指し、自ら譲受に向けて動こうと考えました。

    今、この高野病院の副理事長には、私と一緒に各地の病院を立て直してきた徳丸さんという方が就任しているのですが、Win-Win-Winの構想は彼とともに5年ほど前から温めてきていたもので、それが実現できる病院を探していたときに、高野病院と出会えたのです。

    小澤様は、高野病院のどういったところに共感を持たれたのでしょうか?

    小澤氏:福島という土地は初めてだったので、はじめは「震災で大変だったんだろうな」くらいの想像しかできませんでした。そこで、高野顧問の奮闘がつづられた書籍(『福島原発22キロ 高野病院 奮戦記 がんばってるね!じむちょー』東京新聞出版局)を読んだところ、養高会の苦労や高野顧問の情熱がものすごく伝わってきたのです。私と徳丸さんが考えていた、地域を守り、病院を守っていくWin-Win-Winを叶える場所としてうってつけだと思い、「ぜひ、高野病院を承継したい!」と、声を掛けさせてもらいました。

    面談でお会いしたときのお互いの印象はいかがでしたか?

    小澤氏:高野顧問は書籍の通りのお人柄だなという印象でした。書籍には胸が詰まるほどの震災後の苦労が書かれていたのですが、それでも写真は全部笑顔だったんです。それは頑張って作った笑顔だったのかもしれませんが、あの苦労のなかで笑顔を出せるとは、なんて強い人なんだろうなと。誰にもできないことです。地域にそれだけ情熱を持っている人と一緒に仕事をしたいと心から思いましたし、今も当時の印象のままです。

    高野氏:私自身はM&Aが成約すれば高野病院を去る覚悟をしていたのですが、後をお任せした際に病院はどうなるのかをとても気にしていました。M&A成約までは良いことを言っていても、後に職員の給与を下げたり、思わぬ方針転換をしたりするケースもゼロではないと思っていたので、最初にお会いした時点ではまだ100%信用していたわけではなかったんです。

    ところが、小澤理事長が「病院の名前は変えません」と仰ってくださいまして。面談の場でそうはっきり断言してくださるということは、信用できるかもしれないと感じました。やっぱり父が高野病院にこだわってきて、私もこの名前を大事にしたいという思いがあったので、高野病院のまま承継してくださるのであれば嬉しいなと思いましたね。

    小澤氏:やはり地元に高野病院があるということで、地域の皆様が安心感を持てているわけですから、高野病院として残さないといけません。なので変えることはありません。

    高野氏:「自分が承継したからには、法人名や病院名を変えたい」と思う人も少なくないと考えていたんです。なので、高野病院として残すという決断は信用につながりましたし、同時に、「名前を変えたがらないなんて不思議だな」と思ったくらいでした。

    M&Aを進めるうえで、大変だったことはありましたか?

    高野氏:M&Aではかなり多くの資料を揃えて提出する必要があるので、一般的には3~4人が関与しながら進めることが多いそうですが、今回は私一人で進めていましたし、加えて子どもたちの引っ越しなど、病院と家庭の両方で色々な大仕事が重なったため、一時はかなりの激務をこなさないといけない状態でした。一方の小澤理事長はスピーディーに対応されていたようなので、まるでジェット機並みの進捗に目が回るようでしたが、小澤理事長の情熱や、こまめに連携してサポートしてくれたfundbookのアドバイザーさんのおかげで、成約まで進めてこられたと思っています。

    小澤氏:高野病院は書類が非常にきれいにまとめられていました。いざM&Aをするとなったときに、必要な資料や証書が見つからないというケースも多いなか、創設から40年以上が経つにもかかわらずとてもスムーズに進められたのも、高野顧問が事務のトップとしても日頃から整理されてきたことに尽きると思います。

    M&Aが成約したときの高野様のお気持ちはいかがでしたか?

    高野氏:成約直前のことですが、10月の最終調印の前日は本当に今までにないほど胃が痛くて、「私、こんなに根性がなかったのかな」と思いました。

    そして11月にとうとう成約したときは、半々の気持ちが入り乱れていました。小澤理事長と徳丸副理事長は経営者としてすごく尊敬できる分、「私はこれができなかったんだ」と少し卑屈になるときもありましたし、反面では、父が亡くなってからの7年間、なんとか病院を残して引き継ぐことができたという安堵の気持ちが交互に押し寄せるような感じでした。

    今はもう、高野病院がこれからも続いて、職員がハッピーでいてくれたらいいなと。その気持ちしかありません。

    M&A成約に対して、職員の皆様からの反応はいかがでしたか?

    高野氏:当院にはお世話になった方々がたくさんいるので、さすがに急に「今日付で理事長を退任します」なんて不義理なことはできない、ということを小澤理事長にもご理解いただき、M&A成約の前から少し前から職員には伝えるようにしていました。職員だけには動揺させたくなく、一番先に伝えるべきだと思ったからです。

    職員は高野病院が好きで働いていても、やはりそれぞれが自分の生活を守らないといけませんし、そういう人たちが集まって働いてくれていることを私たちは忘れてはいけません。職員からは高野病院がどうなるのか心配する声も寄せられましたが、個別に色々と聞きに来てもいいよと話しました。また、小澤理事長も心配事や疑問を解消できるように職員向けの説明会も開いてくださったので、すぐに落ち着けたのではないかと思います。

    小澤様が理事長に就任してから、改めて感じた高野病院の良さや魅力についてお聞かせください。

    小澤氏:やはり震災を乗り越えてきたわけですから、この地域で暮らす方々は心が強く、職員の皆さんも自分をしっかり持って仕事をしてくれる人ばかりです。私の経験からも、理事長や院長が変わったり、何かが経営に入り込んできたりしたときは、もう皆が右往左往してしまうものですが、そんな事態にならず、きちんと統率を持って運営できているところに、高野病院の強さを感じます。

    高野氏:M&A前から院長が変わらずにおりますので、病棟での連携はこれまで通りに取れていると思います。それもこれも、職員が不安なく仕事ができるよう、体制や環境を大きく変えずに努めてくださった小澤理事長のおかげです。

    地域のために、困っている人々のために、できることを広げていく

    M&A成約後に高野様は病院を去る覚悟だったそうですが、引き続き顧問として病院を支えられることになった経緯をお教えいただけますか?

    小澤氏:私は、最初から高野顧問には病院に残ってもらいたいと考えていました。Win-Win-Win構想でお話しした通り、地域の医療を守ることが重要なので、地域に一番精通する人がいなくなってしまっては、外から来た私たちだけでできることは何もないだろうと。それで、私たちからお願いして顧問を引き受けていただきました。

    ただ、譲渡する側と譲受する側の心理はかなり違うと思うんです。高野顧問が成約時の気持ちを仰っていたように、自身が情熱を注いで守ってきた病院の経営権が移ったということなので、つらい思いもかなりあるだろうと考えると、顧問をお願いするのもすごく心苦しかったです。しかし、この病院は高野顧問がいなければきちんと維持できないでしょうし、やはり高野家が作ってきた病院ですから、理事長を務めてきた高野顧問にはしっかり見届けてほしいと、こちらの思いを伝えながらお願いさせてもらいました。

    M&A成約後、高野病院ではどういったお取り組みを始められているのでしょうか?

    小澤氏:この地域の医療は、震災後に唯一診療を続けてきた高野病院が担っていくしかないと思っています。2018年に、救急医療を行うふたば救急総合医療センターが開設されましたが、双葉郡という広い土地で救急対応ができる医療機関はそこしかなく、1カ所で全域をカバーすることは不可能と言えます。

    本来、高野病院は慢性期病院なのですが、震災からしばらくの混乱していた時期には、先代(英男様)がお一人で救急患者も受け入れていたそうです。今も地域のなかに困っている人たちがいるはずですから、当院も救急の入院施設になるしかないと考え、2023年1月から救急対応を再開しました。救急対応に必要な設備を整えるために開始したクラウドファンディングには、多くの方々から寄付をいただいています。

    また、病院に通えない方々に必要な訪問診療も、この地域では不足していたため、2月から新たに開始しましたし、現在はさらにリハビリの強化にも取り組んでいます。高齢になったり、脳梗塞になったりした患者さんにとって、リハビリはとても大事になるので、リハビリ設備や専門人材を追加して、充実化を図っているところです。

    すでに多くのお取り組みが始まっていることからも、地域医療に対する高野病院の皆様の熱意が伝わってきます。今後の展望についてもお聞かせいただけますか?

    高野氏:震災後、「何としてでも高野病院は残すんだ」という思いでここまでやってきたので、それはこれからも一貫して変わることはありません。ただ、父が「共存」と言っていたように、残るだけで役に立たない存在ではいけないのです。父が急逝してからは、医師を探すことさえすごく大変で、「この地域に高野病院は役に立っているのだろうか?」と考え込むときも多くありました。

    今回、小澤理事長が来てくださったことで、高野病院がまた地域にきちんとお役に立てるようになってきたと実感していますし、以前の私たちではできなかったことを着実に進展させ、大きくしながら未来につないでくださっていると思い、ありがたい気持ちでいっぱいです。今後も、ここにあり続けながら地域に貢献していきたいという思いに尽きます。

    小澤氏:維持することは大事ですが、私は、維持するために削減や効率化ばかりをやっていてはいけないと思うのです。救急、訪問診療、リハビリを強化しているように、外に向けて活動を広げていく“ポジティブな維持”もしていかなければいけません。この地域に本当に貢献できる病院として維持していくことは、高野顧問ともしっかりと意見が一致した私たちの目的であり、そこに向けて今の計画を拡大しています。ポジティブな考えのもとで維持し、進展していくことが、今後の高野病院の展開になります。

    最後に、高野様ご自身の今後の抱負や、挑戦したいことをお教えください。

    高野氏:私たちは東日本大震災と原発事故を経験しました。原発事故はとても異質な出来事だったにしても、その後各地でたくさんの災害が起きるたびに、経済的支援などといった、行政のあらゆる対応が不十分なままだと私は思うのです。もっと改善してもらうために、震災を経験した立場として何かをしないといけないという使命感から、震災についての講演を全国で続けてきました。ただ、2011年から日が経つごとに皆さんの興味が薄れてきたのか、依頼が少なくなったので、一度は講演をやめようと思った時期もありました。

    しかし、2018年に北海道胆振東部地震が発生した際、避難所ではまだ段ボールしか敷けていなかったり、自家発電機がなかったりする様子を見て、やっぱり自分が経験したことは今後も続けていかなければいけないと痛切に感じたのです。災害発生直後は現地に出向いた医師や看護師によるケアが受けられると思いますが、彼らが引き上げた後に取り残された病院は、結局大きな困難に直面するわけです。実際、私たちがそうであったように。なので、私はあきらめずに伝え続けなきゃいけない――。そう思って、今も講演の依頼を受け続けています。

    今後は理事長だったときよりも、もっと災害について勉強する時間などもきっと作れると思いますし、いざというときには現場でもっと動けるようになると思うんです。もちろん、災害が起きないことが一番の理想ですが、私の知識と経験と力を生かして困っている方々の助けになれるよう、これからも頑張っていきたいと思っています。

    全員の幸せを目指す病院の承継ができると、広く認識してほしい

    医療法人社団養高会 高野病院
    顧問 高野 己保氏

    今回のM&Aを経て、譲渡するにも経済的によほど限界を超えた状態では、成約までのハードルはすごく高くなっていただろうと思いました。譲受する側だけでなく、譲渡する側も当然一定のコストは必要になりますし、地域の皆様にとって必要で、今後も続いていくべき価値のある病院でなければ、承継者探しも難しかったのかもしれません。
    一方で、いくら“事業承継”という名称で分かりやすく説明しても、「高野病院は一体どうなるんだ?」と心配される声を多くいただき、医療業界はとりわけM&Aに対するネガティブな先入観がまだまだ強く持たれていることも実感しました。
    ですが、高野病院は確実に良い方向へ進展し始めています。当院のようなケースもあることや、小澤理事長のように全員の幸せを目指す考えを持って承継する方々もいることを、もっと広く認識していただけるようになれば嬉しく思います。

    震災を経験した病院を残していかなければ、医療は進まない

    医療法人社団養高会 高野病院
    理事長 小澤 典行氏

    今、数多くの地方のクリニックや小規模の病院が後継者不在に悩んでおり、病院の存続が危機的な状況にあります。その解決策として、M&Aは今後ますます盛んになってくると思いますが、ただの陣取り合戦を目的に譲受するようではいけません。信頼の置かれている病院を、地域の方々が困らない形で承継するM&Aにしていかなければならないと思うのです。
    また、最近は若くして医師を辞める人も珍しくなく、医療業界における引き継ぎの重要性について改めて考えさせられています。アーリーリタイアすること自体は、各々の価値観や人生観があるので肯定的に捉えていますが、医師というのは自身の人生と同様に、診ている患者さんの今後も大事に考えなければならない立場にあります。私はこれまでも患者さんが困らないよう手助けをしてきましたが、医師の引き継ぎや病院の承継は、患者さんを救うためにも意義が大きいものなのです。
    そしてもう一つ、この高野病院のように、震災を経験した病院を後世にしっかり残していかなければいけません。当時、何が起きてどう対処したのか、その経験はここにいた職員にしか分からないことですし、私も承継するまではこれほどまでの苦難があったとは知り得ませんでした。病院を残し、啓発していかなければ、10年先も医療は進みません。有事の際にどう対処できるのか、それを示すことが私たちの大事な仕事であり、果たすべき責任だと思っています。

    「地域のために病院を残したい」被災直後も診療を続けた病院の事業承継

    担当アドバイザー コメント

    原発事故後、双葉郡の病院が次々と閉鎖する中、医療を提供し続けた唯一の病院が「高野病院」様です。この地から病院をなくすわけにはいかない、その一心で病院運営を行われてきました。そのような、地域医療の最後の砦ともいえる医療機関の事業承継に携われたことを光栄に思います。

    昨年秋の事業承継後も、小澤理事長と高野顧問が協力して、病院運営をしておられます。2024年に入ってから、地域の医療ニーズに応えて、救急や訪問診療という新たな医療の提供も始め、新体制の下でも地域患者様の為に尽力しておられます。

    二人三脚で、この地に必要な医療を提供し続けられることを影ながら応援しております。

  • 訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    インタビュー

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    譲渡:医療法人かなの会

    譲受:介護事業所等運営法人

    インタビュー

    2022年5月13日、譲渡成立

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    • 譲渡法人
      医療法人かなの会
      設立年月日
      2001年
      事業内容
      無床診療所
      URL
      http://www.kozaclinic.or.jp/
    • 譲受法人
      介護事業所等運営法人
      事業内容
      通所介護事業所など

    沖縄県で生まれ育った川平稔氏は、2001年に内科・神経内科・リハビリテーション科を診療科目とする「医療法人かなの会 コザクリニック」を沖縄市で開設。県内で神経内科に対応する医療機関が少なかった頃から神経疾患の治療に励み、パーキンソン病治療の「LSVT BIG」を県内で初めて導入したほか、「全国パーキンソン病友の会・沖縄支部」の立ち上げも率いてこられました。

    後継者を探すべくM&Aに動き始めていたコザクリニックに、突如としてコロナ禍の影響が降りかかることに。当初の予定よりも早く譲受法人を見つけなければならない――。不安と焦りの中でしたが、リハビリや介護事業に強みを持つ法人とめぐり逢い、2022年5月、M&Aの成約に至りました。譲受法人との連携によりコロナ禍で打撃を受けていた収益は大幅に改善し、休止していた訪問診療も再開に向かうなど、相乗効果が顕著に表れています。

    川平稔理事長と、医師の町田憲彦氏、総務を担当するご子息の川平史明課長に、M&A成約までの経緯や、今後への期待などについて伺いました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    沖縄県を代表する神経内科専門クリニック

    川平理事長がコザクリニックを開設された経緯をお教えください。

    川平稔氏:私はここ沖縄県で生まれ育ち、大学進学等で10年近く県外へ出た後沖縄に戻り、以降はずっと県内で医師として勤めてきました。私自身、神経内科を専門にしてきたのですが、昔は県内に神経内科が少なかったんです。県内の患者さんが県内で治療とリハビリを受けられるようにしたいと思い、2001年にコザクリニックを開設しました。現在は北は本島最北端の辺戸から、南は石垣島・宮古島からも患者さんが来られています。沖縄県は非常に広域ですが、当院の近くまで高速道路が通っていますし、離島と本島間の航空便も充実してきましたから、県外の病院に通わなければならなかった頃に比べて、コザクリニック開設後は患者さんたちもはるかに治療が受けやすくなったと思います。

    特にパーキンソン病治療では沖縄県の第一線で活躍されてきたそうですね。

    川平稔氏:当院は県内初のパーキンソン病治療を行うクリニックですが、沖縄県でパーキンソン病の患者会を立ち上げてはどうかとずっと働きかけてきて、ようやく「全国パーキンソン病友の会・沖縄支部」を発足させられたことは思い出深いです。当院は沖縄市に位置していますが、友の会の拠点は県内の中心都市にあった方がいいだろうと提案し、那覇市に拠点を置くこともできました。コザクリニックに来てくださった皆さんが中心となって立ち上げられたことはとても嬉しかったですし、今も継続して友の会の活動に力を注いでいます。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 川平稔氏

    M&Aを進め始めたところで襲い掛かったコロナ禍の大打撃

    かなの会様がM&Aを検討し始めたきっかけをお聞かせください。

    川平稔氏:私の年齢やクリニックの建て替えなどいろんな事情が相まって、数年前からM&Aを視野に入れるようになっていましたね。神経内科の医師として、20年以上にわたって続けてきた訪問診療も、年齢的にだんだん難しくなってきたと感じていた矢先、4年ほど前に病気を患ってしまったんです。そのときに課長の呼びかけで町田先生が当院に来てくれたのですが、町田先生にはご自身が続けてきた研究に専念できる時間も必要です。診療以外の病院経営の面まで負担をかけないようにしたいという思いから、M&Aが最善の策ではないかと真剣に考えるようになりました。

    町田先生はそのような状況をどう感じられていましたか。

    町田氏:私はコザクリニックに来てから2年間ほど訪問診療にも携わってきました。神経疾患は進行すると通院が困難になる場合もありますし、療養病棟に入院するより、落ち着いて過ごせる自宅での療養を選ばれる患者さんも多くいらっしゃいます。また、特別養護老人ホームに伺って診療することもあるなど、訪問診療は地域医療の一端を担う重要な取り組みであることは間違いありません。

    一方で、訪問診療は人材と時間と体力が要求されるため、容易には行えない医療サービスでもあります。また、私はコザクリニックに来る前からある医療分野の研究を続けている最中の身で、川平理事長と従来のペースのまま訪問診療を続けていくには限界があり、やむを得ず休止することになりました。訪問診療はコザクリニックの看板でもあるので、将来的に再開できればと色々な考えを巡らせていました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 町田憲彦氏

    その後、いつ頃からM&Aに向けて本格的に動き始められましたか?

    川平史明氏:2021年末に開催されたfundbookさんのセミナーを受講したことが、第一歩になったと思います。セミナー後に個別の相談をしたこともあってM&Aが具体的にイメージできるようになり、翌月には担当アドバイザーさんとともに、M&Aに向けて動き出しました。

    当初はM&A成約まで半年から1年弱のペースでゆっくり進めていこうと話していたのですが、直後に当院がコロナ禍の影響を大きく受けてしまったのです。県内でオミクロン株が急速に感染拡大し、途端に運営状況が悪化してしまいました。私がここで勤めてきたなかでも、最も大きな困難でした。資金繰りの不安もあり、その時点からスピードを上げてM&Aを進めていただくことになりました。

    短期間でM&Aを進めるうえで、大変だったことはありましたか?

    川平史明氏:強いて挙げるならば、資料の準備が大変でした。ただ、分からないことがあったときもfundbookさんが丁寧に教えてくださったので、問題なく資料を作成することができました。私たちとしては大変だったことより、時間が限られた中でも素晴らしい法人を紹介していただけたことに感謝の思いでいっぱいです。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継
    医療法人かなの会 川平史明氏

    譲受法人の支えで、クリニックの経営や職員の意識が向上

    譲受法人様と面談されたときの感想をお聞かせください。

    川平史明氏:当院はリハビリに力を入れており、譲受法人さんもリハビリを得意とされていらっしゃいますので、まず率直に相乗効果がありそうだと感じました。譲受法人の代表からも「一緒にやりましょう!」という熱い言葉を掛けていただき、こちらとしてもぜひ手を組ませていただければと、初回の面談から思いましたね。本格始動から4~5カ月でM&A成約に至れたことは奇跡的と言いますか、本当に良いご縁をいただけたと身に染みて感じています。

    町田氏:私も、初めて代表にお会いしたときから、そのエネルギッシュさと、従業員や周りの人々を大事にされているお人柄を見て、「とても良い法人さんを紹介していただけたな」と嬉しく思ったことを覚えています。また、私は鍼灸の分野にも興味を持っていて、研究対象にしたいと考えていたことがあったんです。譲受法人さんは鍼灸治療にも強みを持たれていますから、色々と勉強させていただけるのではないかという期待も膨らみました。

    M&Aが成約した際の川平理事長のお気持ちはいかがでしたか?

    川平稔氏:もう、「良かった」の言葉に尽きます。クリニックの移転や建て替えから後継者のことまで、今後どうするべきかと模索し続けていましたし、とにかく職員の雇用を守るために一番良い方法は何だろうかと探っていましたから。譲受法人さんに経営を応援していただけることになり、安堵の気持ちはひとしおでした。私は80歳(取材時)を迎え、無事にM&Aも成約したので、これからは少しゆっくりさせていただこうかなとも思いましたが、患者さんやクリニックが必要としてくださるときはぜひ、引き続き力になっていきたいと考えています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    M&A成約後、コザクリニックではどのような変化が表れているでしょうか?

    川平稔氏:今までも「コザクリニックの人たちは良心的だ」という評判は得られていたと思います。ただ、クリニックを長く続けていくには、そういった評判と同時に、経営もしっかりしておくことが大事です。譲受法人さんの代表が当院を見てくださるようになって、評判と経営の双方が乖離なく良い状態になったと実感しています。

    やはり経営者というのは、自身の生活をかけてその職を担っているものでしょうから、バイタリティーがあって、職員に対する気配りも大事にしてくださる代表が当院を率いてくださることは、すごく良いことだと思いますね。代表の「一緒にやっていくんだ!」という思いがこれからますます職員にも浸透していくと、さらに当院が発展していくのだろうと楽しみにしています。

    川平史明氏:職員にM&A成約を伝える際は、多くの人が離れていかないだろうかと心配していましたが、今も大半の職員が勤務し続けています。それに、譲受法人さんの施設との連携や職員間の交流も進んでいますし、譲受法人さんによる教育によって、職員の意識もますます向上している状況です。

    また、以前はほぼ私一人だけで財務管理をしていたのですが、譲受法人さんからノウハウの提供やサポートが受けられるようになり、負担もかなり軽減されました。様々な連携と支援によって、医業収益もM&A成約前に比べて倍近くまで伸長しています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    クリニックの存続は患者の安心につながっている

    今後のコザクリニックに期待することをお聞かせください。

    川平稔氏:まずはこのコザクリニックが存続し、職員が安心して生活できる基盤を固めることですね。医療機関であっても、世の中の移り変わりに合わせて、その都度、柔軟に方向性を変えていくことは必要です。その際に、医療法人としての核となるものをしっかりと持ちながら、経営に長けた譲受法人さんからアドバイスをいただいていけば、最適な方向に進んでいけると信じています。医療も経営も、一人だけで全てができるとは考えられませんから、皆がお互いに協力し合うことはとても大切です。職員同士、そして譲受法人さんと当院との協力が相乗効果を生み出し、その雰囲気が患者さんや外に向けても伝わっていけば嬉しく思っています。

    町田氏:ありがたいことに、譲受法人さんとの取り組みによって、訪問診療が小規模から徐々に再開できるようになりました。川平理事長も市外の患者さんのところまで行かれているんですよ。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    川平稔氏:訪問診療はまさに、コザクリニックの一つの核です。

    訪問診療について少しお話させていただくと、診療報酬のルール上、訪問診療を行えるエリアは医療機関から16km以内という決まりがあります。今でこそ神経内科に対応する医療機関が増えてきましたが、当院を開設した20年前は県内にほとんどなく、その上離島に住む患者さんも多くいらっしゃるので、当時は何とか遠方の患者さんにも訪問診療を行えないかと、厚生局などへ熱心に掛け合ったものでした。その結果、専門的な治療が必要な患者さんを例外として認めてもらえたこともあります。それだけ訪問診療は必要とされていますし、私たちにとっても強い思いがあるんです。

    訪問診療の再開など、M&Aは患者様とコザクリニックの双方にとって喜ばしい結果を生み出しているのですね。

    川平稔氏:そう思います。クリニックがより良くなって経営を続けられ、そして求められる医療が提供できるのですから。

    いろんな事情で閉院するクリニックがありますが、そのときは患者さんをほかの医療機関にお願いするわけですよね。いつも診てくれていた医師や医療機関を丸ごと変えなければならなくなると、患者さんに対しても大きな不安や負担を与えかねません。しかし、M&Aでその医療機関が続いていくのであれば、職員も然り、患者さんも心配せずに過ごせられると思うのです。M&Aがなければ、ただ単に閉院することになる医療機関もあるでしょうから、医療業界にとってもこういう手段があって本当に良かったと思っています。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    個人レベルではなく、公共の視野で物事を考えることが大切

    医療法人 かなの会

    理事長 川平 稔氏

    十数年前までは、M&Aに関するネガティブなニュースの影響で、M&Aに対して悪い印象を持った人は少なくなかったと思います。しかし今は、後継者不在など様々な課題を解決する手段を模索するなかで、M&Aは必要だと認識する人が多くなったのではないでしょうか。実際に当院もM&Aを実施してみると、課題を解消しながら、これまでの長所はさらに伸びていると実感しています。

    人は物事に対する良い印象は忘れやすく、悪い印象の方が残りやすいものです。医療業界でも「M&Aをして良かった」というところは当院以外にもたくさんあるでしょうから、もしM&Aに対して悪い印象が払拭できないまま悩んでいる医療機関があれば、ぜひ良い事例にも目を向けてみてはどうかと思うのです。

    理事長である以上、年齢を重ねるといくら健康に自信があっても「このまま続けられるのか?何かあったときにどうするのか?」という、将来の不安は必ず出てきます。そのときに、個人のレベルで物事を理解するのではなく、職員や患者さんたちも考慮した公共の視野で物事を理解し、考えようとすることが大切です。今回のM&Aを経て、改めてそう思いました。

    訪問診療も再開へ 沖縄の専門医療を担うクリニックの事業承継

    担当アドバイザー コメント

    この度は、沖縄県でも数少ないパーキンソン病の専門治療を担うクリニックとリハビリに強みを持つ譲受法人のM&Aをご支援させて頂きました。

    クリニックには毎年延べ数万人のパーキンソン病患者が通い、地域に欠かせない医療機関の代表例のような存在でした。そこに突如として襲い掛かかったオミクロン株の影響で経営にも打撃が・・・、1日でも早くM&Aでお相手を見つけたいと願った矢先、奇跡とも呼べるタイミングと相性で現れたのが譲受法人でした。

    譲受法人の経営支援により患者数が増え、コロナ禍の影響で失われた業績も一気に回復、休止していた訪問診療も再開の目途が立ちつつあり、新たな風が吹いたことで職員にも活気が湧いてきたように思えます。

    理事長から成約式で言われた「いいお相手に縁を持たせてくれてありがとう」という言葉が今でも胸に残っています。医療法人かなの会が地域に欠かせない医療機関として更に存在感を増していく姿をとても楽しみにしております。

  • 地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    インタビュー

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    譲渡:社団医療法人養生会

    譲受:株式会社地域ヘルスケア連携基盤

    インタビュー

    2022年7月28日、譲渡成立

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    • 譲渡法人
      社団医療法人養生会
      設立年月日
      1983年
      事業内容
      病院経営
      URL
      https://www.kashima.jp/
    • 譲受企業
      株式会社地域ヘルスケア連携基盤
      設立年月日
      2017年
      事業内容
      ヘルスケア分野での経営支援
      URL
      https://www.chcp.jp/

    福島県いわき市で、長年にわたって地域医療を支えてきた社団医療法人養生会。かしま病院をはじめ、特別養護老人ホームやケアハウスなどもグループで運営しながら、職員が一丸となって住民の健康と福祉の向上に尽力されています。

    県外の大学病院で勤めていた中山大氏は、父が創設したかしま病院から手伝いを求められ、地元へ戻ることに。そこで地域医療の重要性を目の当たりにし、理事長を引き継いで献身的に医療・看護・介護の地域連携の推進に取り組まれています。そんな中山氏にとって大きな壁となったのが、東日本大震災とコロナ禍でした。

    医師として現場に対応したいが、経営も見なければならない――。その葛藤から、経営支援を受けようと考え始め、医療グループの株式会社地域ヘルスケア連携基盤(CHCP)と出会いました。CHCPの社名と事業内容はまさに、養生会の目指す地域連携そのものだと期待を寄せています。中山氏と、CHCPの代表取締役会長・武藤真祐氏、代表取締役社長・国沢勉氏の3名に、医療業界の課題や養生会の展望について伺いました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    地域多機能病院のかしま病院。勤務当初は戸惑いの連続

    中山様が医師を志したきっかけやご経歴をお教えください。

    中山氏:私の父はかしま病院の創設者であり、もともと開業医でもあったため、私も物心がついた頃から「将来は医師になるんだろう」という環境にいたと思います。

    臨床研修医時代は心臓カテーテル治療の創生期で、その分野に魅力を感じた私は、研修を終えて大学に戻ってからもカテーテル治療を中心に対応していました。そうしているうちに、米国への留学の機会を得て、循環器科で1年半ほど臨床研究や論文の執筆、学会での発表などに携わり、帰国してからもしばらくはそういった仕事をしていました。

    そんなあるとき、かしま病院から「人手不足で大変だ」と手伝いに来るよう求められ、いわき市に戻ってきました。でも、最初は一時的な手伝いの予定だったんです。

    もともとはかしま病院を継ぐと思っていなかったのでしょうか?

    中山氏:私は末っ子ということもあって、かしま病院を継ぐなんて自分には関係ないだろうと思っていたほど、当初はまったく考えてもいませんでした。私が戻ってくる前から兄や姉夫婦が手伝いに来ていたのですが、当時兄は医大の仕事で多忙を極めていたので、「だったら、弟の私に」という程度で声がかかったのだと思います。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    社団医療法人養生会 中山大氏

    ですが、中山様は今もかしま病院で尽力されています。医師としてかしま病院に戻ってきて、お気持ちに変化はありましたか?

    中山氏:それまでは大学病院等で専門医として勤務していたため、循環器のことしか知らない状態で戻ってきたわけですが、地域多機能病院であるかしま病院にはいろんな症状の患者さんがいらっしゃいます。例えば、腰椎の圧迫骨折など、高齢者にはよくある外傷で来院された患者さんにも何をすればいいのか分からず、整形の先生に電話で聞いたりして、本当に「日々、勉強だな」と思うばかりでした。

    一方で、自分の得意とする分野の患者さんでも、併存症の状態が悪ければなかなか退院できない。大学病院とはまるで違う戸惑いの連続でした。今でこそ、重複して持つ病気を総合的に管理する医療は当たり前になっていますが、振り返れば私は20年ほど前から対峙していたということになります。

    今、中山様は医師としてどういうことを心掛けながら医療の現場に立っていますか?

    中山氏:常に“利他”を心掛けるようにしています。やはり、医療は中立的な立場でなければいけませんし、疾病や年齢で差別があってもいけません。それに、自分のことより相手を中心に考えることが大切です。若い頃の私は自分のやりたいことに目が向いていましたが、かしま病院に戻ってきてからは、「求められることにしっかり応えていこう」という意識を持って現場に立つようになりました。

    当法人のValue Statementには、①何物にも先入観を持って対応せず、医療・介護弱者の手助けを行うこと②他の施設が遂行困難な問題にこそ大きな需要があることを知ること③その仕事に誇りを持ち、決して皮肉はいわないこと――を掲げています。職員にも同じベクトルで考えてほしいと思い、この3つを明文化しました。「そんなの自分じゃなくてもいいでしょ」ではなく「自分がやらねば、誰がやる」と思って対応しようと、職員全員で心掛けています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    格差、高齢者ケア、医療従事者の負担など、業界の課題は山積

    皆様が感じられる医療業界の課題についてお聞かせください。

    中山氏:地域医療に関わる立場からすると、やはり都市部と地方の格差が非常に大きな課題です。また、医業に関しては、「高齢者の管理」が目の前にある一番の課題だと思っています。例えば、脳梗塞を起こした場合、最初に救命センターで機能障害を最小限に食い止めてから、かしま病院のような回復期リハビリテーション病棟を利用することになりますが、高齢になり再発を繰り返すとどうしても回復機能は低下してしまうので、再発時に高次特定機能病院で診てもらえなくなってしまうといった現状があるのです。在宅や介護施設などでの療養中に身体能力の低下や、症状が急性憎悪した状態を「サブアキュート」と呼びますが、そういった方々を私たちがしっかりと管理していかなければいけないと考えています。

    かしま病院では、訪問診療を活用しながら集合住宅に住んでいる高齢者を包括的に管理できるような仕組みを作ったり、地域内で救命センターを持つ病院との協力関係を構築したりと、課題の解決に向けた様々な取り組みに力を入れています。高齢者が過ごしやすく、健康長寿を叶える地域「Age-Friendly City」を実現するのは単独では難しいですから、病院をハブとした地域内の連携を推し進めていくことも、今必要になっていると思います。

    武藤氏:私たちも在宅診療を行っていますので、中山先生が仰った課題は身に染みて感じています。医療業界の課題は様々ありますが、格差の問題はものすごい勢いで広がると考えられます。その理由の一つに、医局の構造の変化が挙げられるのではないでしょうか。以前は大学が中心となって医師が各所に派遣されていましたが、今は医師個人の選択に変わってきているように思うのです。若い医師たちへのある調査結果を見ても、「教育」や「自身の成長」が重視されていることが分かりますし、働き方改革の流れも踏まえると、今後は「自分の時間」も大事になってくるとも想定されます。そうなると、教育や希望の働き方を提供できる医療機関とそうでない医療機関との間で、人材の集まり方にますます格差が生じてしまい、結果的に地域医療の格差も広がってしまいます。

    また、高齢者のケアについても、一人暮らしの高齢者が増えていますし、入院先の病院が十分ではない地域も少なくないので、病院外で高齢者が安心して生活できる環境の整備がいっそう重要になっています。そのために訪問看護・介護、薬局などと連携する制度の充実化は課題だと思います。

    最後に、新しい仕組みやイノベーションを導入できるか否かが、格差をさらに助長するのではないかと懸念しています。ITの活用などで、より少ない人材でより良い医療・介護が提供できるようになるにもかかわらず、従前どおりのオペレーションを続けていれば、人頼みになる上に人材が集められない状況になってしまう。従って、イノベーションをきちんと導入していくリーダーシップや、支援する仕組みが今まで以上に必要になってくると考えています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    株式会社地域ヘルスケア連携基盤 武藤真祐氏

    国沢氏:医療従事者や、特に医師が多忙すぎることも課題だと思います。理事長が典型的な例になりますが、理事長や医師が、診療から経営、さらには関係各所との会合まで、全てに対応しなければいけません。まして、病院は医療の中心という考えがあるので、退院後に在宅看護に移られた患者さんのことまでも考えていらっしゃるほど、医療従事者が地域全体を一手に担っていると言えます。今までは理事長や医師のやる気と「私が支えていく」という意志に頼って何とか成り立っていましたが、このシステムがいつまでも維持できるとは考えられません。長く続いた「気合いと根性」の風習を、これからの時代は変えていかなければならないと思っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援
    株式会社地域ヘルスケア連携基盤 国沢勉氏

    CHCP様の事業についてお教えください。

    国沢氏:私たちは医療グループとして、医療機関や調剤薬局、訪問看護・高齢者施設運営などの在宅サービス事業者に対し、資金・人材・ノウハウの提供を通じて、新しい地域包括ケアモデルを創出する支援をしています。これまでの医療支援は、医療機関のみ、調剤薬局のみ、といった形でそれぞれの業態に特化した支援をする事業者が一般的でしたが、私たちは全てのヘルスケア・プロバイダーを総合的に支援していることが特徴です。

    また、医療の現場はやはり医師・看護師と患者さんとの関係性が大事ですから、専門的な医療サービスは医療従事者にお任せし、経営部門を全面的にサポートするのが私たちのスタンスです。ヘルスケアと経営の両方に精通したメンバーが、医療従事者の皆様としっかりコミュニケーションを取りながら、一体となって経営を改善・推進する体制を整えていることも強みとなっています。

    CHCP様の社名にもある「連携」についてのお考えをお聞かせいただけますか?

    国沢氏:まず、これまで医療従事者にかかっていた猛烈な負荷を軽減するために、「機能の連携」と「サービス提供者の連携」の両軸が必要だと考えています。この2つは、医療従事者が医療行為に集中していただけるよう、経営などその他のことは私たちのような事業者がサポートすること、そして、調剤薬局や歯科医院などのいろんな医療資源と病院が連携して役割分担をすることを意味しています。

    格差においても、人材が集まる都市部ではできるようなことが、できない地域で生じてしまうものなので、私たちはその課題認識に則って、地域で連携と役割分担がうまく機能するインフラを構築したうえで、格差を解消していこうとしています。

    武藤氏:少子高齢化が進行し、社会保障費が国家財政を大きく圧迫している現状にある日本では、地域の医療機関・薬局・在宅系サービス事業者がそれぞれ孤軍奮闘しながら地域の医療インフラを支えている現行の医療・介護システムは限界に近づきつつあります。だからこそ、連携を進めなければいけません。また、後継者を含む人材の確保・育成や、IT化への対応は、組織の存続と地域医療の継続を左右する課題にもなっています。地域医療の担い手が誇りとやりがいを持って協働するネットワークを構築し、地域医療の現場から新しいイノベーションを創出していくことも私たちの大事な責務だと考えています。

    医師として経験した震災とコロナ禍。経営はプロに任せるべきと再認識

    中山様が理事長に就任して以降、特に印象に残っている出来事をお聞かせください。

    中山氏:東日本大震災での原発事故と昨今のコロナ禍は、本当に大きな出来事でした。震災後2カ月ほどは断水が続きましたし、避難地域からもそう遠くなかったため、当然、職員の中にも病院に残ると言う人もいれば、子どもが心配で避難させたい人など、いろんな思いや事情がありました。なので、私から正式に「避難しなさい」と伝えたんです。2週間ほどは職員が減って大変でしたが、通常診療を再開した途端に皆が戻ってきてくれてすごくありがたかったですし、職員との関係性がさらに強まったと感じました。このときに改めて「職員に対しても、私がしっかりやっていかないといけないな」と思いましたね。

    そして次は今のコロナ禍です。ワクチンも治療薬もなかった頃に地域の病院とコロナ患者の受け入れについて話し合ったのですが、そのときはどの病院も手を挙げなかったんです。ですが私は、「地域に求められていることだから、私たちがやらないといけない!」と思い、受け入れを決めました。震災の経験から、地域に応えていこうとする土壌が職員の間でもしっかり固められていたのだと思います。この規模ながら、今では県内で3番目に多くのコロナ患者を受け入れており、各職員がプロフェッショナルとして、誠実に義務を果たしてくれているなと実感するばかりです。

    震災やコロナ禍の経験を経て、中山様が病院を経営していくうえで何らかの変化はありましたか?

    中山氏:震災のときを思い返しても、本来ならば私は経営者としての目線も持っていなければいけなかったのに、どうしても現場に走ってしまったんです。その反省があったにもかかわらず、コロナ禍でも同じことをしてしまって。だったら、自分が不得手としていることは、その道に長けた人から全面的なサポートを受けた方がいいと考えたんです。数年前に母校の理事長が「教授は医療と学問に専念すべきで、医局の運営はプロがすべきだ」と話されていたのですが、まさにその通りだと思いました。こうした経緯から、経営支援や協業の仕方を勉強するようになり、fundbookさんのセミナーも受講させてもらいました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    経営コンサルティングではなく、しっかりと中に入っていただける経営支援には、どういったメリットがあると思いましたか?

    中山氏:過去には当法人も経営コンサルタントに色々と相談に乗っていただいたことがあるのですが、その多くは短絡的な提案で、やはり長期的な視野で見ていただきながら、経営の母体を強固にする仕組みを作る必要があると思ったんです。また、病院経営をするうえで、ほかの医療機関と比較して自分たちがどの立ち位置にいるかを知ることも重要ですが、欲しいデータはなかなか手に入らないものです。その点、情報を豊富に持っている医療グループと協業できれば、メリットも大きいだろうとも感じていました。

    CHCP様と面談されたときのお気持ちをお聞かせください。

    中山氏:fundbookさんから最初にCHCPさんを紹介頂いた時は、「経営のサポートを受けながら、共に地域医療のあるべき姿を目指していくーー。そんな方法があるんだ!」と、イメージが覆りましたね。そして迎えた面談の日、お話ししていくなかで「私が求めていたことはこれだ!」と直感しました。私たちが目指していることは間違っていなかったんだと再確認できましたし、何よりCHCPさんの社名がそれを表していらっしゃいます。まだ経営支援が決まった段階でもないのに、面談後に浮足立っていたことを思い出します。

    CHCP様は、養生会様にどういった印象を受けましたか?

    国沢氏:最初に訪問したときから、とてもアットホームで良い雰囲気が醸成されていることがよく伝わってきました。しかも、そのアットホームさが病院の中だけに閉じているのではなく、地域に広く染み渡っているんです。地域のほかの病院や保育園とどう協業するのか、地域住民とどういった形で関係を構築するのかなど、医療機関を中心に皆で役割分担と連携をしながら地域全体をケアしていこうとされていて、まさに私たちが目指す地域医療の姿を体現されていると思いました。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    面談や見学を重ねた結果、養生会様にはどういった形で経営支援を提供されることになりましたか?

    国沢氏:経営の概念には、「リーダー」と「事業運営」の2つの側面があります。中山理事長をはじめ、養生会さんのトップマネージメントの方々から医療に対する思いを伺うと、皆様が本当にリーダーシップを持っていらっしゃることがよく分かりました。ですので、引き続き中山理事長やトップマネージメントの皆様にリーダーを務めていただきながら、私たちは事業運営の支援に徹し、そのうえで地域連携に向けて協力していきましょうと、そう気持ちを一つにしました。

    武藤様は養生会様や中山様にどのような印象を持ちましたか?

    武藤氏:長年にわたって地域医療に貢献されてきており、単なる医療機関ではなく「無形の財産」と言える存在になっていると思います。私も医療法人を運営していますので、地域を巻き込んでアットホームな雰囲気を作り上げることは決して容易ではないと重々承知しています。日々の診療やマネージメントを通じて実現されてこられたことを本当に素晴らしいと思うばかりですし、中山理事長の医師としての姿勢、そして地域における病院の価値の正当性を築き上げてこられた功績に、心から感銘を受けています。

    これまでの医療業界はイノベーションや協業などに馴染みが薄かったと思いますが、中山理事長はそういったことにも関心を持たれ、新たな価値を生み出せるのではないかと期待してくださっています。私自身、医師及びCHCPの立場として色々な活動をしてきましたので、中山理事長のお考えには大きな共感と尊敬を持っていますね。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    いわき市のこの地で「Age-Friendly City」を実現していく

    CHCP様からの経営支援が決まった際の中山様のお気持ちと、職員の皆様の反応はいかがでしたか?

    中山氏:私はもう「よしっ!」の一言でしたね。職員からは色々な反応がありましたが、ネガティブな意見はまったく出ませんでした。CHCPさんとお会いする前からも、全職員に向けて地域連携や多職種業務連携の話を頻繫にしていましたし、例えば訪問診療に行く最中にも看護師やドライバーとざっくばらんに意見交換をしていたので、「常日頃から言っていたことね」と、すんなり捉えてくれたのだと思います。

    CHCP様からの経営支援が始まってから、すでに何らかの変化は起きていますか?

    中山氏:今まで自分たちだけではできなかったことも、CHCPさんの丁寧なサポートのおかげで着実に進められています。収益構造も目に見えて向上していますし、いろんなことがものすごいスピードで前進していると、身をもって実感する毎日です。それに、現場もより未来志向になり、前にも増して明るくなったように思います。

    国沢氏:採用も、少しずつ強化しています。医療制度や教育はそんなに急激に変われるものではないので、まずは技術と熱意を持った人に集まっていただき、中長期的な視野で、段階的かつ確実に良い方向へと進んでいくことが大切です。私たちもその心づもりでチームをセットしているので、末永くお付き合いさせていただければと願っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    経営支援を受けるべきか悩んでいる医療機関に向けて、CHCP様から一言アドバイスをいただければと思います。

    国沢氏:経営支援や事業連携など、医療機関ごとに最善の方法は異なりますから、まずは色々な事業者をご存じの、fundbookさんのような立場の方々とたくさんお話しして、良い選択肢を提示してもらえればいいと思うんです。その後、私たちのような事業者とお話しする際にも、じっくり時間をかけて最適解を導けばいいのではないかと思いますね。「話をしたからには、何かしなければいけないのでは?」と悩む必要はまったくありませんし、第一歩として選択肢を広げることが大事だとお伝えしたいです。

    最後に、養生会様の目指す将来像や今後の展望をお聞かせください。

    中山氏:まずは、目の前にある高齢者救急問題をしっかりと解決していけるようになること。次いで、健康長寿を目指す高齢者に向けて、地域が一体となって親身な介入をしていくことが大きな目標です。当法人の中だけでも、病院のほかにグループホームや特別養護老人ホームもありますし、近くには小学校や保育園、複数の介護施設などもあって、実はかなり魅力的な地域なんです。医療から介護までシームレスにケアしていくことはこれからますます重要になりますから、かしま病院を中心に点と点を連携させ、この地域で「Age-Friendly City」を実現していきたいですね。CHCPさんの力もお借りしながら、地域での医療・介護・福祉の連携を推し進めたいと思っています。

    武藤氏:養生会さんのお取り組みは、いわき市の「街づくり」に直結していると思います。それだけに、養生会さんの発展が地域には欠かせないのです。地域医療や住民の方々の健康と福祉を守ることに、中山理事長や職員の皆様がさらに多くの時間と情熱を注げるよう、私たちも労力を惜しまず最大限のサポートをしていきます。

    国沢氏:当社の社名にもなっている「地域ヘルスケア連携」は、養生会さんがずっと前から力を入れてこられていることです。養生会さんの成功モデルや中山理事長の理念を、全国各地の同じような課題やニーズを持つ地域に向けて展開していくことも当社の使命だと考えていますので、良い成果を出して全国に広くインパクトを与えていきたいですね。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    職員たちが“良い夢”を見られる職場にすることが私の役目

    社団医療法人 養生会
    理事長 中山 大氏

    2015年に地域医療構想が策定されてからも、色々なところで格差は生じてしまっています。やはり、各々の医療機関が各々の考えで「連携を組んでいきましょう」と言っても、相当なリーダーシップを持った医療機関がないと、実現は難しかったと思うのです。今回のような協業によって、様々なシステムや人材、地域とのコネクションが広がっていけば、例え私たちが今までと同様の取り組みをしていたとしても、地域医療構想の推進力はもっと強くなっていくのだろうと感じています。そういう意味でも、経営支援や協業は、一医療機関の経営課題の解決にとどまらない、非常に大きな価値があるのではないでしょうか。

    地域のためにしっかりと真面目に働いてくれる職員たちにとって、もっと自慢できる職場にすることと、次世代の職員たちが“良い夢”を見られる職場にすることが、私の役目です。CHCPさんからのご支援もいただきながら、一歩ずつ実現していきたいと考えています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    「医療と経営」それぞれの責任者で役割分担する必要がある

    株式会社地域ヘルスケア連携基盤
    代表取締役会長 武藤 真祐氏

    日本は原則として、医師・歯科医師でなければ医療法人の理事長になれない制度のため、結果として理事長が経営にも関わらなければならないケースが多くなります。しかし、診療報酬は年々複雑になってきていますし、中山理事長が仰る通り、震災やパンデミックなどの不確実な事態がいつ起こるとも限らない中で、従前のマネージメントスタイルだけではうまく対応できないこともあるかもしれません。また、医療機関としては、医療従事者に成長できる場所を提供して人材を集めていくことも、ますます重要になっています。こうした全てを、プロの医師である理事長だけに任せるということは、企業であればほぼ無理な話です。

    海外では、CMO(チーフメディカルオフィサー)と経営の責任者が役割分担をして、より良い組織にしていく動きはすでに一般化しています。日本でもこうした流れは今後ますます取り入れられると思いますし、そうならざるを得ない状況になっているのではないでしょうか。私たちは医療機関への経営支援を通じて、医療従事者の業務改善から地域医療の発展まで、医療を取り巻くあらゆる課題を解決していきたいと思っています。

    地域医療の課題解決に挑む、病院理事長が決めた経営支援

    担当アドバイザー コメント

    医療法人の経営は、新時代を迎えようとしています。

    医療職中心で運営していく時代から、各々スキルを持ったプロが集い、スキルシェアをしていくこれからは、

    ・CMO(最高医療責任者)

    ・CEO(最高経営責任者)

    ・CTO(最高ICT・DX導入責任者)

    ・CAO(最高地域連携責任者)

    など、各々の役割分担を明確にした組織体の増加、今までになかった呼称も誕生していく可能性を感じています。地域の患者様・働き手となる生産年齢人口がこれだけダイナミックに変化する時代を迎え、変化し続ける医療機関が、その地域の地域医療の新しい形を創っていくのではないでしょうか。この度の経営支援が、養生会様の更なる発展に繋がるとともに、いわき医療圏の皆様にとって有益となることをとても楽しみにしています。

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      ※アドバイザリー契約締結から成約までの期間

    濱田 貴也
    医療業界、介護業界、福祉業界

    領域特化ならではの高いノウハウをもって、日本のライフラインの永続的な発展に寄与します。

    濱田 貴也ヘルスケアビジネス戦略本部長

    大学卒業後、2012年に新卒で株式会社リクルートスタッフィングへ入社。その後、2017年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。当初より、ヘルスケア領域のM&Aを専門的に担当し、2021年に株式会社fundbookへ入社。現在のヘルスケアビジネス戦略本部の立上げに関与し、2023年に部長、2025年に本部長へ昇格。自身で担当した成約件数は累計で約30件、サポートを含めると50件を超える成約に携わっている。

    横山 朗
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    ヘルスケア領域の経営課題解決を通じて、地域および国全体のウェルネスに貢献します。

    横山 朗提携戦略本部長

    大学卒業後、外資系製薬会社へ入社。在職中にMBAを取得し、ヘルスケア業界の経営者に貢献すべく2016年に株式会社日本M&Aセンターへ入社。医療・介護・ライフサイエンス分野専門のM&Aアドバイザーとして、60件以上のM&A成約を支援。2021年に株式会社fundbook ヘルスケアビジネス戦略本部の立上げを行い、現在に至る。M&Aのみならず親族承継支援など事業承継コンサルティングサービスも提供。

    姜 真淳
    医療業界、介護業界、福祉業界

    業界特化の知見を活かし、誠心誠意ご支援いたします。

    姜 真淳ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

    大学卒業後、2021年に新卒で株式会社fundbookへ入社し、ヘルスケアビジネス戦略本部へ配属。入社直後より圧倒的な行動量で成約経験を積み、2024年に課長、2025年度より最年少で部長昇格。 一貫してヘルスケア領域、特に医療法人業界のM&Aを担当し、病院やクリニック、診療科を問わず様々な医療機関の成約実績を有しており、部内最多の支援依頼件数を有する。

    西山 賢太
    医療業界、介護業界、福祉業界

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    西山 賢太ヘルスケアビジネス戦略本部 部長

    埼玉県済生会川口総合病院で薬剤師の実務経験を得た後、2021年に株式会社fundbookへ入社。病院やクリニック以外にも有料老人ホーム、専門学校、事業会社など幅広い業種を担当。2024年は初回面談から4ヶ月かつ株価10億円超えのM&A成約実績を有する。成長戦略を目的としたM&Aも得意とし、代表が50歳未満の顧客も多数支援中。期待を超える好条件でのM&Aを目指し、コンサル的な目線でのバリューアップにも取り組んでいる。

    岩田 和樹
    医療業界、介護業界、福祉業界

    医療機関様の想いに寄り添い、最適なM&Aを誠実に導きます。

    岩田 和樹ヘルスケアビジネス戦略本部 課長

    大学卒業後、2021年に新卒で株式会社fundbookへ入社。ヘルスケアビジネス戦略本部に配属後、1年目からインサイドセールスとして8件の受託を獲得し、同期入社内1位を達成。さらに、同期入社内最速でM&A成約を実現し、その実績が評価され新人賞を受賞。病院・クリニックをはじめとする幅広い医療機関のM&Aを手がけ、複雑なスキームの構築にも精通。医療法人特有の課題を理解し、最適な戦略の提案を得意とする。

    小田垣 直哉
    医療業界、介護業界、福祉業界

    医療、介護、福祉の専門的な知識を活かし、お客さまとご関係者さまのご納得のいく決断をご支援させていただきます。

    小田垣 直哉ヘルスケアビジネス戦略本部 課長

    大学卒業後、2019年に株式会社大塚商会へ入社。主に法人へのITソリューションの営業に従事。2023年に株式会社fundbookへ入社し、医療法人の事業承継及びM&A支援に従事。ヘルスケアビジネス戦略本部として入社から約1年で無床診療所の事業承継支援を行う。また2年目以降でも大規模在宅クリニックの事業承継を支援。出資持分あり・なしや基金拠出ありなど様々な法人形態の事業承継支援の実績を有する。

    山浦 遼
    医療業界、介護業界、福祉業界

    本気の思いに、本気でお応えいたします。

    山浦 遼ヘルスケアビジネス戦略本部 課長

    大学卒業後、2014年にオムロン コーリン株式会社へ入社。病院やクリニック向けの医療機器営業に従事。その後2016年に株式会社Medi Plusへ入社。システム営業として現場の課題を抽出し、自らもエンジニアとしてシステム開発に携わりながら病院の業務改善に貢献。2023年に株式会社fundbookへ入社し、内科、小児科、介護老人保健施設、美容皮膚科など数多くの医療機関への支援実績を有する。

  • STRENGTH02

    全国各地の病院からクリニックまで
    幅広く対応

    地域や規模を問わず、全国の病院やクリニックの課題解決を、M&Aを通じてサポートします。
    情報収集や提案資料の準備、マッチング後の面談設定や買収監査、契約書の作成、締結にいたるまで、すべてお任せください。

    • 支援した医療期間の種類

      支援した医療期間の種類
    • 支援した医療機関の売上規模

      支援した医療機関の売上規模
    • 支援した案件(一部)

      譲渡法人 譲受法人
      事業内容 地域 事業内容 地域
      病院 関東地方 病院 中部地方
      病院 東北地方 個人医師 -
      病院 東北地方 ファンド 関東地方
      病院 関東地方 病院・介護施設 中部地方
      病院 北海道地方 事業会社(医療機関支援) 関東地方
      病院 関東地方 一般社団法人(病院グループ) 関東地方
      病院 中国地方 クリニック(眼科) 近畿地方
      クリニック(健診) 関東地方 事業会社(健診事業) 関東地方
      クリニック(小児科) 関東地方 クリニック(小児科) 関東地方
      クリニック(在宅医療) 近畿地方 事業会社(専門サービス業) 関東地方
      クリニック(婦人科) 近畿地方 事業会社(医療機関支援) 関東地方
      クリニック(内科・訪問看護) 近畿地方 介護 近畿地方
      クリニック(内科・循環器科) 中部地方 病院 東北地方
      クリニック(内科・神経外科) 九州地方 クリニック(整形外科) 関東地方
      介護老人保健施設 東北地方 病院 関東地方
      介護老人保健施設 九州地方 事業会社(医療機関支援) 近畿地方
      介護付有料老人ホーム 中部地方 介護付有料老人ホーム 中部地方
      その他介護施設 中国・四国地方 クリニック(在宅医療) 関東地方
  • STRENGTH03

    着手金・中間金無料の
    完全成功報酬制

    fundbookは、M&A成約にいたるまで費用をいただきません。 「理想のお相手とのM&Aの成約」という最終目標を、お客さまと共有し、二人三脚で業務に取り組みたいからです。
    担当するアドバイザーの能力や紹介される候補先がまだわからない段階から費用が発生することは、少なからず不安を伴うでしょう。
    fundbookは、顧客第一主義を貫き、理想的なM&Aの実現にコミットします。

    • 完全成功報酬制

    ※1. 着手金、中間金、月額報酬が発生しない報酬体系を「完全成功報酬制」といいます。
    ※2. お客様との合意により別途、組織再編手続き等の費用が発生する場合があります。
    ※3. お客様との合意により中間報酬が発生する契約形態を選択する場合があります。

完全成功報酬制だから
実現できる
安心安全なM&A

fundbookはM&Aが成約するまで一切の費用が発生しない「完全成功報酬制」です。
多くのM&A仲介会社で設定されている「着手金」「中間金」「月額報酬」はございませんので、お気軽にご相談、ご検討いただけます。

  • メリット1
    MERIT01

    M&Aが成約しない場合は
    費用がゼロ

    「着手金」「中間金」「月額報酬」が設定されているM&A仲介会社では、M&Aが成約しなかったとしても数百万から数千万円の費用を支払う場合があります。
    fundbookは完全成功報酬制を採用しているため、M&Aが成約しなかった場合は一切の費用を頂きません。

  • メリット2
    MERIT02

    より多くの買い手候補との
    マッチングが可能

    fundbookは売り手様、買い手様共に完全成功報酬制となっております。そのため買い手様にとっても着手金や中間金のハードルがなく、より多くの買い手様にご利用いただけるため、売り手様は幅広い買い手候補とのマッチングが可能になります。

  • メリット3
    MERIT03

    未来に備えた
    情報収集が出来る

    現時点ではM&Aを検討していなくても、経営戦略としてM&Aに関する情報を収集しておくことは非常に重要です。「自院の法人価値はどれくらいか」「どんな買い手候補がいるのか」といった疑問に対し、fundbookは無料で情報提供をさせていただきます。

よくある質問

  • fundbookヘルスケアチームの強みはなんですか?

    fundbookヘルスケアチームには40名以上が在籍しており、ヘルスケア業界で類を見ないM&A支援経験を誇るプロフェッショナルが揃っています。メンバーが成功に導いたヘルスケア業界のM&Aは、累計200件を超えており、業界トップクラスの経験とノウハウを蓄積しています。

  • どのような法人が相談できますか?

    fundbookヘルスケアチームは、出資持分の有無や病院、介護老人保健施設、クリニックの事業内容にかかわらず、株式会社など全ての法人形態で支援実績を有しています。どのような法人の方からのご相談にも対応でき、法人形態ごとのM&Aノウハウをもとに、法人の将来について幅広い視野での戦略提案が可能です。

  • 相談に料金はかかりますか?

    ご相談は無料です。fundbookでは、着手金・中間金・月額報酬が発生しない「完全成功報酬制」を採用しており、候補先とのM&A成約にいたるまで費用をいただきません。情報収集のみでも気軽にお問い合わせください。

  • 他の仲介会社に依頼しており相手が見つからないのですが、fundbookに依頼することは可能ですか?

    可能です。fundbookでは、専門部隊によるマッチングと譲受企業向けプラットフォーム「fundbook cloud」によるマッチングを組み合わせており、あらゆる可能性を追求しています。豊富な選択肢から候補先をお選びいただくことで、より満足いただけるマッチングが可能となっています。

  • M&A以外の相談もできますか?

    可能です。経営に関するお悩みについて、どんなことでもお気軽にお問い合わせください。「事業承継問題」から「経営改善」「拡大・成長戦略」といったあらゆる課題について、M&Aのご提案のみならず、コンサルティングサービスの提供もさせていただきます。

会社概要

会社名 株式会社fundbook (英:fundbook,Inc.)
設立年月日 2017年8月7日
事業内容 M&A仲介事業
※中小企業庁M&A支援機関登録制度 登録企業
本社 〒105-0001 
東京都港区虎ノ門1-23-1虎ノ門ヒルズ森タワー25F
役員
代表取締役
取締役
取締役
取締役
社外取締役
社外取締役
常勤監査役
社外監査役
社外監査役
執行役員
執行役員
執行役員
執行役員
渡邊 和久
古谷 優樹
福留 大士
古家 由也
溝口 潤
小高 功嗣
小川 和久
江藤 真理子
泉 光一郎
小倉 竜馬
十亀 秀仁
梅田 亜由美
中野 雅広
資本金等 20億円 (資本剰余金含む)
親会社 株式会社チェンジホールディングス
加盟団体 一般社団法人 M&A支援機関協会

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